The Reaching Shore――届かせるもの――   作:ほいみん

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Fate/stay night二次創作長編『The Reaching Shore――届かせるもの――』第13話です。

※独自解釈/女性体オリジナルサーヴァント/ギルガメッシュ×アトラス/本文に文章生成AI補助あり
※掲載イラストは作者による手描きです。

詳しい注意事項・AI使用表記・制作FAQはこちら:
【作品案内URL】
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第16話 話せるうちに

 袖へ腕を通したところで、肩に鈍い痛みが走った。

 

「――っ」

 

 声を漏らすほどじゃない。

 

 けれど、無視できるほど軽くもない。

 

 士郎は動きを止め、ゆっくりと右腕を下ろした。

 

 手首。

 

 肘。

 

 肩。

 

 その奥から背中へ。

 

 葛木の拳を受けた時の衝撃が、一本の筋になって残っている。

 

 剣は砕けなかった。

 

 亀裂が入っても、手の中に残った。

 

 けれど、剣が受け止めたものまで消えたわけではない。

 

 衝撃は刃を通り、腕を抜け、身体へ届いた。

 

 そして、その後ろからアーチャーが入った。

 

 白と黒の双剣が交差する。

 

 葛木の胸から血が流れる。

 

 それでも葛木は倒れず、キャスターを見た。

 

 士郎は目を閉じた。

 

 剣は砕けなかった。

 

 だからって、何も失わずに済んだわけじゃない。

 

 前夜。

 

 水面が閉じた後、柳洞寺を覆っていた魔力は急速に薄れていった。

 

 池の周囲に残っていた竜牙兵が、支えを失ったように崩れる。

 

 歪んでいた石畳が元へ戻る。

 

 堂宇へまとわりついていた黒い気配も、次第に消えていった。

 

 やがて、閉ざされていた戸の向こうから物音が聞こえた。

 

 誰かが咳き込む。

 

 床を踏む音。

 

 戸が開きかける。

 

 眠らされていた僧侶たちが起きたのだ。

 

 士郎は反射的にそちらへ向かおうとした。

 

「待って」

 

 遠坂に腕を掴まれた。

 

「わたしたちを見られると面倒なことになる」

 

「でも、中にいた人たちが――」

 

「見てるわよ」

 

 遠坂は堂宇へ目を凝らした。

 

 戸の隙間から、白い寝間着姿の男が顔を出している。

 

 後ろから別の声がかかり、振り返る。

 

 自分の足で立っている。

 

 歩いている。

 

 何が起きたのか分からない様子ではあるが、会話もできていた。

 

「自分で起きて歩けてる。緊急の手当てが要る様子じゃない」

 

「だからって、このまま帰るのか」

 

「あとは監督役に任せるわよ。わたしたちが残って説明できることなんてないでしょ」

 

 納得したわけではなかった。

 

 けれど、僧侶たちにこちらの姿を見られれば、説明できないことが増える。

 

 アーチャーは立っているだけで精一杯だった。

 

 アトラスも、池と境内へ残った術式を押さえた後だ。

 

 その場に留まる方が危険だった。

 

 士郎たちは、人が境内へ出てくる前に柳洞寺を離れた。

 

 守れた。

 

 僧侶たちは生きていた。

 

 周囲の建物も壊れていない。

 

 黒い呪いも、市街地までは広がらなかった。

 

 それでも。

 

 水底へ沈んだ二人は、戻ってこなかった。

 

 襖の向こうから、低い話し声が聞こえた。

 

 士郎は服を着終え、居間へ向かった。

 

 遠坂が座卓の横へ膝をつき、実体化したアーチャーの脇腹へ手を当てている。

 

 淡い光が、遠坂の指先から傷へ流れていた。

 

 アーチャーは普段と変わらない顔をしている。

 

 だが、呼吸は浅い。

 

 座った姿勢から身を起こす時も、一拍遅れた。

 

「動かないで」

 

「十分に動いていないつもりだが」

 

「口を動かすのもやめなさい」

 

「それでは君が治療に失敗した時、抗議もできん」

 

「失敗したら抗議する暇なんてないわよ」

 

 遠坂の声は尖っている。

 

 けれど、手は慎重だった。

 

 士郎が部屋へ入ると、アーチャーが視線だけを向ける。

 

「その肩で朝食を作る気か」

 

「作れる。骨は折れてない」

 

「骨が折れていなければ無傷、という便利な身体ではないだろう」

 

「おまえに言われたくない」

 

 返すと、アーチャーは薄く口元を歪めた。

 

 いつもの皮肉だ。

 

 それだけで少し安心する自分が、腹立たしかった。

 

「昨日は――」

 

 士郎は言いかけた。

 

 アーチャーは士郎を守るために、中枢を壊す射撃を捨てた。

 

 そのためにキャスターの力が残った。

 

 葛木の奇襲を受けた。

 

 最後には、傷ついた身体で葛木を斬った。

 

「悪かった」

 

「何がだ」

 

「俺を庇ったせいで、あんな傷を――」

 

「私が選んだ」

 

 アーチャーは平然と言った。

 

「おまえに命じられた覚えはない」

 

「でも」

 

「守られたことを悔いる暇があるなら、次の判断へ使え。私の選択を、おまえの後悔に含めるな」

 

 それ以上を許さない口調だった。

 

 士郎は口を閉じた。

 

 自分で選んだ。

 

 葛木も。

 

 キャスターも。

 

 アーチャーも。

 

 誰も、士郎が望んだ通りには止まらなかった。

 

 けれど、だからといって、その選択をなかったことにはできない。

 

 士郎は台所へ向かい、湯を沸かした。

 

 鍋を持ち上げると、また肩が痛んだ。

 

 昨日、守れたものを数える。

 

 学校の生徒たち。

 

 柳洞寺の僧侶たち。

 

 周囲の市民。

 

 遠坂。

 

 アトラス。

 

 重傷ではあるが、戻ってきたアーチャー。

 

 葛木も、一度は生きたまま止められた。

 

 あの時、確かに水圧の中で呼吸をしていた。

 

 士郎の命令も、アトラスへ届いた。

 

 アトラスは葛木を殺さなかった。

 

 それでも葛木は、キャスターのもとへ戻るために拘束を破った。

 

 キャスターも逃げなかった。

 

 二人は互いを選んだ。

 

 そして死んだ。

 

 湯が沸く音を聞きながら、士郎は呟いた。

 

「殺さないように戦えば、それで届くわけじゃない」

 

 背後に気配があった。

 

 アトラスが、台所の入口に立っている。

 

 鎧は外している。

 

 山門で付いた外装の傷は見えない。

 

 それでも、顔には普段より深い疲労が残っていた。

 

「敵戦闘員を許容損失に含めることは、誤った裁定ではない」

 

 声はいつもと変わらない。

 

 責めてもいない。

 

 慰めてもいない。

 

 ただ、前夜の結果を事実として示している。

 

 葛木はアーチャーを殺そうとした。

 

 拘束された後も戦い続けた。

 

 キャスターは街中の人間から生命力を奪い、葛木を取り戻すために陣地を崩壊させた。

 

 あのまま止めなければ、僧侶も、遠坂も、アーチャーも危なかった。

 

 アトラスは士郎の命令を守った。

 

 葛木へ致死攻撃をしていない。

 

 最後の沈降も、広がる呪いと術式を閉じるためのものだった。

 

 間違っていない。

 

 たぶん、あの場では他に選べなかった。

 

 それでも、士郎の手は最後まで届かなかった。

 

 キャスターの短剣を止めたのも、葛木の拳から士郎を守ったのもアーチャーだった。

 

 葛木を生きたまま止めきれなくなった後、その結果を引き受けたのもアーチャーだった。

 

 二度とも。

 

 士郎が届かなかった場所へ、アーチャーが刃を入れた。

 

 それが必要だったことは分かっている。

 

 アーチャーを責める気もない。

 

 だからこそ、自分の手で終わらせられなかったことが悔しかった。

 

「間違いじゃなくても、他にできなかったかは考えたい」

 

 アトラスの血色の瞳が、士郎を見る。

 

 すぐには答えなかった。

 

 短い沈黙。

 

 その間に、湯気が二人の間を上がっていく。

 

「汝は漂流している」

 

「……漂流?」

 

「人を救う。守る――それは方角だ。決定ではない」

 

 アトラスは静かに言った。

 

「方角のみを定め、到達する手段を持たぬまま進めば、同じ場所を巡る」

 

 言い返せなかった。

 

 救いたい。

 

 守りたい。

 

 そう思っている。

 

 けれど、その先で何を選ぶのか。

 

 誰へ何を伝え、何を諦めず、どこまで引き受けるのか。

 

 士郎はまだ、それを決められていない。

 

「後から、存在しなかった手段を作るな」

 

 アトラスは続けた。

 

「当時の条件を捨てておのれを責めても、次の裁定には使えぬ。方角を捨てろとは言わぬ。だが、方角を決定と取り違えるな」

 

「……分かってる」

 

「別の手段を探すならば、次に用いろ」

 

 アトラスの言うことは分かる。

 

 あの場で、間違った判断をしたわけじゃない。

 

 遠坂も。

 

 アーチャーも。

 

 アトラスも。

 

 できることをした。

 

 士郎自身も、逃げなかった。

 

 それでも。

 

 間違っていなかった、で考えるのを終わらせたくない。

 

 戦いになった後では、選べるものが少なすぎた。

 

 葛木を殺さず止める。

 

 キャスターの陣地を壊す。

 

 味方と僧侶を守る。

 

 それだけで精一杯だった。

 

 なぜ葛木がキャスターを守るのか。

 

 キャスターが何を望んでいたのか。

 

 二人へ聞く時間は、もうなかった。

 

 戦いの中では、言葉まで止めるためのものになってしまう。

 

 遠坂に聞けば、現実的な答えが返るだろう。

 

 アトラスに聞けば、条件と責任を整理してくれる。

 

 アーチャーなら、もっと厳しいことを言うかもしれない。

 

 どれも必要だ。

 

 けれど今は、誰かの正しい答えを聞くより先に、自分で考えたかった。

 

 自分は、何が嫌だったのか。

 

 本当は、どう終わらせたかったのか。

 

 次に同じことが起きたら、何をするのか。

 

 昼前。

 

 士郎は台所の棚を確かめた。

 

 野菜が足りない。

 

 豆腐もない。

 

 買い物へ行く理由は、本当にあった。

 

「昼飯の買い出しに行ってくる」

 

 居間で休んでいた遠坂が顔を上げる。

 

「その肩で?」

 

「買い物くらいできる」

 

「重いものは持たないでよ」

 

「ああ」

 

 アーチャーは霊体化している。

 

 治療を続けるらしい。

 

 アトラスだけが、士郎をじっと見ていた。

 

「帰還はいつだ」

 

「すぐ戻る。買い物だけだ」

 

 アトラスは何も言わない。

 

 信じたようにも見えない。

 

 疑っているようにも見えない。

 

 けれど、買い物だけだとは思っていない。

 

 それでも、何も聞かなかった。

 

「腕へ強い負荷をかけるな」

 

「分かった」

 

「異常を認識した場合は戻れ」

 

「ああ」

 

 それだけだった。

 

 同行するとは言わない。

 

 止めもしない。

 

 士郎は玄関を出た。

 

 サーヴァントの守れる範囲から、自分の意思で離れた。

 

 商店街は、昨日の柳洞寺が嘘だったようにいつも通りだった。

 

 店先に野菜が並んでいる。

 

 人が笑っている。

 

 子供が母親の手を引いて走る。

 

 誰も、夜の山で何が起きたのか知らない。

 

 知らないままでいられる。

 

 それは守れたということなのだろう。

 

 士郎は大根と葱を選び、豆腐を買った。

 

 袋を持ち直した時、肩が痛んだ。

 

 水底へ沈んでいく紫の光が目に浮かぶ。

 

 キャスターは最後まで葛木を抱いていた。

 

 子供の笑い声が遠ざかる。

 

 必要なものは買った。

 

 そのまま帰ればいい。

 

 会えると思っていたわけじゃない。

 

 会えなければ、そのまま帰ればいい。

 

 それでも、次に会う時が戦場になってからでは遅い。

 

 足は、以前イリヤと会った場所へ向かっていた。

 

 どら焼きを買った店の前を通る。

 

 今日は買わなかった。

 

 買わなかったことへ、歩きながら気づいた。

 

 商店街から少し外れた公園には、数人の子供がいた。

 

 ベンチは一つ空いている。

 

 イリヤはいない。

 

 やっぱり、都合よく会えるはずがない。

 

 そう思って引き返しかけた時だった。

 

「何してるの、シロウ」

 

 背後から声がした。

 

 振り返る。

 

 白い髪。

 

 赤い瞳。

 

 冬の公園で、イリヤが笑っている。

 

 バーサーカーの姿はない。

 

「イリヤ」

 

「そんなに驚くことないでしょう?」

 

「いや、だって」

 

「買い物?」

 

 イリヤは士郎の持つ袋を覗き込んだ。

 

「ずいぶんたくさん買うのね。シロウが全部作るの?」

 

「作らないと食べるものがないからな」

 

「ふうん」

 

 イリヤは袋と士郎の顔を交互に見る。

 

「本当に、それだけ?」

 

 軽い声だった。

 

 けれど、目は笑っていない。

 

 試されている。

 

 士郎は、買い物へ来ただけだと答えかけた。

 

 それでも間違いではない。

 

 けれど、昨日のことを考える。

 

 言葉にしないまま戦いになった。

 

 何も聞けなくなった。

 

「……イリヤに会えないかと思ってた」

 

 イリヤが瞬きをする。

 

「わたしに?」

 

「ああ」

 

「シロウが、自分から?」

 

「そうだ」

 

 イリヤは一瞬だけ黙った。

 

 すぐに顔を逸らす。

 

「変なの。敵を探しに来るなら、もっと怖い顔をするものじゃない?」

 

「戦いに来たんじゃない」

 

「じゃあ、何しに来たの?」

 

 士郎は答えようとして、以前の声を思い出した。

 

『次はもっとゆっくりお話しようね、シロウ』

 

 そう言ったのはイリヤだった。

 

 だからというわけじゃない。

 

 けれど士郎は、すぐに聖杯戦争の話を始めなかった。

 

「何か飲むか」

 

「え?」

 

「寒いだろ。あそこの店で温かいのを売ってる」

 

 イリヤは少し呆れたような顔をした。

 

「わたしとお話しに来たんじゃなかったの?」

 

「話すから買うんだよ」

 

「どら焼きは?」

 

「今日は買ってない」

 

「気が利かないわね」

 

「次は用意する」

 

「また次があるつもりなの?」

 

 そう言いながら、イリヤはついてきた。

 

 自動販売機で温かい飲み物を二つ買う。

 

 イリヤには甘いココア。

 

 士郎は茶を選んだ。

 

 二人でベンチへ座る。

 

 イリヤは買い物袋の中を覗き込み、今日の昼食を尋ねた。

 

「知ってる。日本人は『ユドーフ』が好きなんでしょう?」

 

「湯豆腐だけじゃない。大根もあるだろ」

 

「お肉はないの? なんだか地味ね」

 

「昼飯なんだからいいんだよ」

 

「本で読んだことあるわ。そういうの『おじいさんみたい』って言うのよ」

 

「どんな本だ、それ」

 

 イリヤが笑う。

 

 士郎も、少しだけ肩の力が抜けた。

 

 昨夜の死も。

 

 聖杯戦争も。

 

 マスターもサーヴァントも。

 

 今だけは遠い。

 

 隣にいるのは、温かい缶を両手で持った、小さな女の子だった。

 

「痛いの?」

 

 不意にイリヤが言った。

 

「何が」

 

「肩」

 

 士郎は答えなかった。

 

 飲み物を取る時に、顔へ出たらしい。

 

 イリヤは士郎の右腕を見る。

 

「また怪我したの?」

 

「大したことじゃない」

 

「嘘」

 

「骨は折れてない」

 

「骨が折れてなければ怪我じゃないの?」

 

 朝、アーチャーにも似たようなことを言われた。

 

「昨日、戦ったのね」

 

 イリヤの声から笑いが消える。

 

「……まあな」

 

「誰と?」

 

「それは」

 

「あのランサーがいるのに、どうしてまた怪我してるの?」

 

 責めるような口調だった。

 

 けれど、責められているのが士郎なのか、アトラスなのか分からない。

 

「アトラスは守ってくれた」

 

「守れてないから怪我してるんでしょう?」

 

「俺が自分で前に出たんだ」

 

「どうして?」

 

「必要だったから」

 

「そうやって、また死にかけるの?」

 

 イリヤは缶を強く握っている。

 

 自分の知らないところで士郎が傷ついたことが、気に入らないらしい。

 

 敵なら、傷ついた方が都合がいいはずだ。

 

 それなのに、怒っている。

 

「リンも一緒だったの?」

 

「ああ」

 

「どうせリンが無茶をさせたんでしょう」

 

「遠坂は関係ない。俺が選んだ」

 

「みんなそう言うのね」

 

 イリヤは唇を尖らせた。

 

「守れなかった方も、守られなかった方も、自分で選んだって」

 

 士郎は返せなかった。

 

 昨日のアーチャーの言葉と重なる。

 

 イリヤは何も知らない。

 

 それでも、同じところへ触れていた。

 

「昨夜、別のマスターとサーヴァントと戦った」

 

 士郎は言った。

 

 イリヤがこちらを見る。

 

「相手を殺さずに止めようとした。一度は、止められたんだ」

 

「それで?」

 

「それでも、最後には二人とも死んだ」

 

 細かなことは話さない。

 

 キャスターの短剣も。

 

 葛木がどう戦ったかも。

 

 アトラスが何を沈めたかも。

 

 けれど、二人が互いを選んだことは話した。

 

 葛木は逃げず、キャスターのもとへ戻った。

 

 キャスターも、自分だけ逃げずに葛木へ戻った。

 

「戦いが始まってからじゃ、もう遅かった。止めることしかできなかった」

 

 イリヤは黙って聞いている。

 

「だから、イリヤとは戦う前に話したかった」

 

「わたしを止めるため?」

 

「違う」

 

「でも、わたしも敵でしょう?」

 

「そうだ」

 

「バーサーカーもいる。シロウを殺すかもしれないよ」

 

「分かってる」

 

「じゃあ、降参させに来たの?」

 

「それも違う」

 

 士郎はイリヤを見る。

 

「イリヤが本当に俺を殺したいのか、知りたかった」

 

 イリヤの目が細くなる。

 

「何度も俺に会いに来たのは、どうしてなのか。聖杯戦争で、何をしたいのか。俺が勝手に決めるんじゃなくて、イリヤの言葉で聞きたかった」

 

「それって、わたしだから?」

 

 問いは、思っていたより静かだった。

 

「それとも、相手が誰でも同じなの?」

 

 士郎は答えかけて、止まる。

 

 誰だって助けたい。

 

 それは嘘じゃない。

 

 けれど、それだけを言えば、イリヤが聞いていることには答えられない。

 

『敵に大きい方をあげるの?』

 

 以前、どら焼きを二つに割った時、イリヤはそう聞いた。

 

 あの時は、うまく答えられなかった。

 

 敵だから小さい方を渡したわけではない。

 

 敵ではないと思ったからでもない。

 

 正義の味方として譲ったわけでもない。

 

 ただ、あの時はイリヤに大きい方を渡したかった。

 

 今日も同じだ。

 

 誰にでも同じことを言うために、ここへ来たんじゃない。

 

 イリヤが何度も会いに来た。

 

 問いかけた。

 

 一緒にどら焼きを食べた。

 

 本当に殺すことだけが目的なら、そんな時間はいらなかった。

 

「イリヤだから来た」

 

 イリヤが目を見開く。

 

 士郎は続けた。

 

「誰でもよかったんじゃない。イリヤが何を考えてるのか、俺が知りたかった」

 

「……本当に?」

 

「ああ」

 

「わたしがバーサーカーのマスターだからじゃなくて?」

 

「それも無関係じゃない。でも、それだけなら話を聞きに来たりしない」

 

 イリヤは顔を逸らした。

 

 白い髪が頬へかかる。

 

「シロウって、変なところでずるいんだから」

 

「何がだ」

 

「別に」

 

 口元が、少し笑っている。

 

 隠しているつもりなのだろう。

 

 けれど、士郎には分かった。

 

 喜んでいる。

 

 イリヤは缶へ口をつけ、一口飲んだ。

 

「それで? わたしがシロウを殺したいか聞きに来たんでしょう?」

 

「ああ」

 

「聖杯戦争なんだから、敵を倒すのは当たり前よ」

 

「それは答えになってない」

 

「負けたら殺すかもしれないわ」

 

「かもしれない、なのか」

 

「シロウが弱すぎるのが悪いんだよ」

 

「それも関係ないだろ」

 

「あるわ。そんなに弱かったら、わたしより先に誰かに殺されるもの」

 

 イリヤの声が尖る。

 

「それは気に入らない」

 

「どうして」

 

「どうしてでも」

 

「俺を殺したいなら、誰に殺されても同じじゃないのか」

 

「同じじゃない!」

 

 強い声だった。

 

 近くで遊んでいた子供が振り返る。

 

 イリヤは少し声を落とした。

 

「シロウは、わたしが倒すの。リンでも、他のサーヴァントでもない」

 

 矛盾している。

 

 殺すと言いながら、他の誰かに殺されることを嫌がっている。

 

 そういえば、最初の夜もそうだった。

 

 バーサーカーは士郎を殺せた。

 

 地面へ倒れた士郎へ、あと一撃を加えれば終わっていた。

 

 なのに、イリヤは最後の命令を出さなかった。

 

 命令だけが、止まっていた。

 

 なぜなのか。

 

 士郎はずっと考えていなかった。

 

 生き残ることで精一杯だった。

 

 けれど今なら、別の意味が見える。

 

 イリヤは、本当に士郎へ死んでほしいわけではないのかもしれない。

 

「何よ」

 

 見つめていると、イリヤが不機嫌そうに言った。

 

「いや」

 

「変なシロウ」

 

 イリヤは足を揺らした。

 

 しばらくして、ぽつりと話す。

 

「わたし、本当はお城にいないといけないの」

 

 以前にも、同じことを聞いた。

 

 郊外の森にある城。

 

 イリヤが暮らしている場所。

 

 けれど今になって、「住んでいる」ではなく「いないといけない」と言ったことが気にかかった。

 

「前にも、そう言ってたな」

 

「覚えてたの?」

 

「ああ。ずっと城にいなきゃいけないのか」

 

「そうよ」

 

 口調は軽い。

 

 けれど、それ以上は話さなかった。

 

 自分の家へ帰る、ではない。

 

 いなければならない。

 

 好きで住んでいる場所なのか。

 

 出ることを許されていない場所なのか。

 

 士郎には分からない。

 

「そうだ。わたしのお城に来る?」

 

「俺が?」

 

「シロウは、わたしのことを知りたいんでしょう?」

 

 イリヤはベンチから立ち上がる。

 

「ここじゃ話せることも少ないもの。お城なら、もっとゆっくり話せるわ」

 

「バーサーカーもいるんだろ」

 

「いるよ」

 

 当然のように答えた。

 

「怖い?」

 

「怖くないわけないだろ」

 

「なら、来なくてもいいんだよ。お兄ちゃん」

 

 イリヤは笑った。

 

 挑発している。

 

 けれど、その奥に不安があるように見えた。

 

 断られると思っているのかもしれない。

 

 来てほしい。

 

 けれど、頼む形にはしたくないのだろう。

 

 士郎が自分を選ぶか、確かめているのだろう。

 

「いつだ」

 

 イリヤの笑みが止まる。

 

「来るの?」

 

「話すために呼ぶんだろ」

 

「そうだけど」

 

「なら行く」

 

 イリヤは士郎の顔を見た。

 

 本当に言っているのか確かめるように。

 

 それから、少しだけ胸を張る。

 

「明日、わたしのお城に来て。シロウ一人で」

 

「一人?」

 

「リンも、アーチャーも、あのランサーも連れてこないで」

 

「どうしてだ」

 

「みんなで来たら、話にならないもの。リンがいたらすぐ喧嘩になるし、あのランサーがいたら、シロウは自分で答えないかもしれないでしょう?」

 

「アトラスが答えを決めたことなんてない」

 

「でも、守られてる」

 

「それは――」

 

「わたしは、シロウと二人で話したいの」

 

 はっきり言われた。

 

 条件は危険だ。

 

 バーサーカーがいる。

 

 城の中はイリヤの領域だ。

 

 一度入れば、帰れなくなる可能性もある。

 

 今日の公園とは違う。

 

 イリヤが何を考えているのか、まだ全部は分からない。

 

 罠かもしれない。

 

 いや、罠ではないと考える方が無理がある。

 

 それでも。

 

 戦いが始まってしまえば、できることも言えることも減っていく。

 

 今日、イリヤから少しだけ言葉を受け取れた。

 

 殺したいと言いながら、他の誰かに殺されたくないと思っている。

 

 城にいなければならない事情がある。

 

 もっと話したいと思っている。

 

 さらに知るためには、イリヤが差し出した場所へ行くしかない。

 

「分かった。行く」

 

 イリヤは、また驚いた。

 

 今度はすぐに隠せなかった。

 

 赤い瞳が明るくなる。

 

「約束よ?」

 

「ああ」

 

「明日だからね」

 

「分かってる」

 

 イリヤは嬉しそうに笑った。

 

「待ってるわ、シロウ」

 

 そう言って、公園の出口へ歩いていく。

 

 途中で一度振り返り、手を振った。

 

 士郎も手を上げる。

 

 やがて白い姿が見えなくなった。

 

 士郎は買い物袋を持ったまま、その場に残った。

 

 肩はまだ痛む。

 

 危険な約束をしたことも分かっている。

 

 それでも、柳洞寺の翌朝とは少し違っていた。

 

 今度は戦場で相手を止めるためではない。

 

 戦場になる前に、相手のいる場所へ行く約束をした。

 

 衛宮邸へ戻ると、予定より少し遅くなっていた。

 

 玄関を開けた時には、買い物袋を持つ腕が重くなっている。

 

「ただいま」

 

 居間へ入る。

 

 遠坂が時計を見た。

 

「ずいぶん長い買い物だったわね」

 

「少し寄り道した」

 

「どこへ?」

 

 士郎が答える前に、アトラスがこちらを見た。

 

 血色の瞳が、士郎の服と手元を順に追う。

 

 士郎には分からない何かを見ている。

 

 おそらく――魔力の残り香。

 

 以前、イリヤへ触れられた時と同じ気配。

 

 アインツベルンの魔術の痕跡。

 

「接触したな」

 

 驚いた声ではない。

 

 初めから、その可能性を考えていた声だった。

 

「気づいてたのか」

 

「出立前から可能性として把握していた。今、事実として記録した」

 

「だったら、なんで止めなかった」

 

「汝が一人で考えることを望んでいたからだ」

 

 遠坂が立ち上がる。

 

「ちょっと待って。誰と接触したの?」

 

 士郎は買い物袋を下ろした。

 

 隠し続けるつもりはない。

 

 むしろ、ここで言わなければならない。

 

「イリヤだ」

 

「は?」

 

「俺から探しに行った」

 

「はあ!?」

 

 遠坂の声が家中へ響いた。

 

「昨日の今日で、バーサーカーのマスターを一人で探しに行ったの!?」

 

「一人で考えたかったんだ」

 

「一人で考えるのと、敵のマスターへ無断で会いに行くのは別でしょう!」

 

「それは分かってる」

 

「分かってないから行ったんでしょうが!」

 

 反論できない。

 

 士郎は、公園で話したことを順に説明した。

 

 昨夜のことを話した。

 

 イリヤとは戦う前に話したかった。

 

 イリヤが城にいること。

 

 明日、アインツベルン城へ招かれたこと。

 

 一人で来るように言われたこと。

 

 行くと答えたこと。

 

 話すほどに、遠坂の顔が険しくなる。

 

「そこまで、その場で決めてきたの?」

 

「ああ」

 

「信じられない。相手の拠点よ? バーサーカーがいるのよ? しかもアーチャーもアトラスも消耗してる時に!」

 

「だから、今話してる」

 

「話せば無断で約束していいことにはならない!」

 

「悪かった」

 

 士郎は頭を下げた。

 

「一人で考えたかった。でも、黙って行ったことまで正しかったとは思ってない」

 

 遠坂は怒ったまま、少しだけ言葉を止めた。

 

 士郎が言い返すと思っていたのかもしれない。

 

「……本当に、どうしてそういうところだけ素直なのよ」

 

「悪いと思ってるからだ」

 

「なら最初から相談しなさい」

 

「相談したら、止めただろ」

 

「当たり前でしょ!」

 

「だから、一人で行きたかった」

 

「全然反省してないじゃない!」

 

「今日のことは、だ」

 

 士郎はアトラスを見る。

 

「アトラスは、たぶん分かってた。それでも送り出してくれた」

 

「誤解するな」

 

 アトラスが言った。

 

「昼間の接触と、敵拠点への進入は条件が異なる」

 

 声は静かだ。

 

「あの娘は、これまで日中の接触で即時殺害を選んでいない。バーサーカーも伴っていなかった。(おれ)が同行すれば、接触そのものが成立しない可能性もあった」

 

 士郎が一人で考えようとしていることも、アトラスは分かっていた。

 

 だから止めなかった。

 

 けれど、明日は違う。

 

 敵の領域へ入る。

 

 バーサーカーがいる。

 

 退路を奪われる可能性がある。

 

 城の術式によって、士郎とアトラスの契約が遮られるかもしれない。

 

「一人で答えを作ることと、危険を秘匿することは同義ではない」

 

 士郎は黙った。

 

 その通りだった。

 

 アトラスは何も聞かず送り出した。

 

 信じたから。

 

 士郎が自分で考え、自分の言葉を返そうとしていると理解したから。

 

 なら、信じてもらった側にも責任がある。

 

 危険へ入る前に、情報を返す。

 

 何が起きたら助けを求めるのか、決めておく。

 

 信頼は、何も言わなくていいということではない。

 

「悪かった」

 

 今度は、アトラスへ言った。

 

「明日のことは、全部話す」

 

「承知した」

 

 遠坂は腕を組んだ。

 

「わたしは反対よ」

 

「分かってる」

 

「明らかな罠だもの」

 

「それも分かってる」

 

「分かってて行くの?」

 

「ああ」

 

「どうして」

 

「イリヤが話す場所を作ってくれたからだ」

 

 今日の会話だけで、何かが決まったわけではない。

 

 イリヤはまだ、自分の事情を話していない。

 

 士郎も、戦いをやめさせられたわけではない。

 

 それでも、以前よりは分かった。

 

 イリヤは士郎の怪我を気にしている。

 

 他の誰かに士郎を殺されることを嫌がっている。

 

 自分から会いに来たことを喜んだ。

 

 自分の暮らす場所へ招こうとした。

 

「ここで断ったら、次は戦場でしか会えないかもしれない」

 

「だからって、一人で城へ入るなんて――」

 

「約束した。城の中へは一人で行く」

 

「士郎」

 

「でも、全部一人でやるとは言ってない」

 

 遠坂が眉を寄せる。

 

「城の外までは来てほしい」

 

「当然よ」

 

「イリヤと話してる間は、入らないでくれ」

 

「状況によるわ」

 

「俺が出ようとして止められたら、入ってくれ」

 

 士郎はアトラスを見る。

 

「契約が切れたら分かるか」

 

「完全な断絶ならば認識できる。著しく細くなった場合も、異常として観測可能だ」

 

「その時は来てくれ」

 

「戦闘が始まった場合も介入する」

 

「ああ」

 

「第一目的は汝の回収だ。敵マスターの撃破ではない」

 

「それでいい」

 

 遠坂が口を挟む。

 

「良くない。細かい侵入経路も決めるわよ。城の結界がどうなってるかも調べないと」

 

「遠坂」

 

「行くなって言っても行くんでしょう。なら、死なない形にするしかないじゃない」

 

 遠坂は苛立った声で言い、座卓の上へ地図を広げ始めた。

 

 霊体化していたアーチャーが姿を現す。

 

 動きはまだ重い。

 

「おまえは休んでろ」

 

「断る」

 

「その傷で来る気か」

 

「私が参加するかどうかを、おまえが決めるのか。衛宮士郎」

 

 アーチャーの声が低くなる。

 

「でも」

 

「自分で選んだ結果を、今朝すでに説明したはずだ」

 

 アーチャーは壁へ背を預けた。

 

「敵陣へ一人で入る馬鹿を回収するには、手が多い方がいい」

 

「誰が馬鹿だ」

 

「他にいるのなら紹介してくれ」

 

 遠坂が地図を指で叩く。

 

「喧嘩するなら二人とも置いていくわよ」

 

 話し合いが始まる。

 

 士郎は城へ一人で入る。

 

 遠坂、アーチャー、アトラスは外まで同行する。

 

 対話を優先する。

 

 士郎が退去しようとして妨げられた場合、介入する。

 

 契約が遮断された場合も同じ。

 

 城内で戦闘が始まった場合は、救出へ入る。

 

 目的はイリヤを倒すことではない。

 

 士郎を連れ戻すこと。

 

 アトラスは、安全を保証できないと言った。

 

「分かってる」

 

「保証されぬ危険へ、汝は入る」

 

「保証してもらうために行くんじゃない」

 

 アトラスは士郎を見る。

 

「それでも、条件は共有しろ」

 

「ああ」

 

 今度は、隠さない。

 

 行き先。

 

 目的。

 

 城へ入る条件。

 

 助けを求める条件。

 

 全部伝える。

 

 昼間、アトラスは士郎を一人で送り出した。

 

 夜、士郎はアトラスへ明日の危険を返した。

 

 夜が深くなり、話し合いが終わった。

 

 士郎は自室へ戻った。

 

 肩にはまだ痛みがある。

 

 服を脱ぐ時も、腕を上げれば鈍く響く。

 

 左手を見る。

 

 令呪は一画残っている。

 

 昨日は、戦場の中で葛木を止めるために命令した。

 

 殺すな。

 

 止めるだけでいい。

 

 その言葉はアトラスへ届いた。

 

 それでも、葛木とキャスターへ届くものは少なかった。

 

 明日は、そうなる前に行く。

 

 イリヤの言葉を思い出す。

 

『待ってるわ、シロウ』

 

 危険なのは分かっている。

 

 罠かもしれない。

 

 それでも行く。

 

 明日は、止めるためじゃない。

 

 話すために行く。

 




お読みいただきありがとうございます。
しばらくは毎日7時頃に更新予定です。

後日譚の
『The Reversed Star――逆位置の星――』 https://syosetu.org/novel/417875/
も連載中です、よろしくお願いします。
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