The Reaching Shore――届かせるもの―― 作:ほいみん
※独自解釈/女性体オリジナルサーヴァント/ギルガメッシュ×アトラス/本文に文章生成AI補助あり
※掲載イラストは作者による手描きです。
詳しい注意事項・AI使用表記・制作FAQはこちら:
【作品案内URL】
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https://docs.google.com/document/d/1Gdk-aR_oVREDxgTlwfcmQzWDoM_qF-cY2UsIi8TS6_0/edit?usp=drive_link
眠れたとは言い難かった。
目を閉じれば、五体のくまが浮かんだ。
一つずつ増えていく数字。
届かなかった贈り物。
けれど、もう考えなければならないのは過去だけではない。
今、この家にいるイリヤのことだ。
身体の中に英霊の魂を抱え、小聖杯として完成へ近づいている。
その状態をどう止める。
どうすれば助けられる。
朝から何度考えても、答えは出なかった。
◇
居間には四人がいた。
士郎。
遠坂。
イリヤ。
アトラス。
座卓の上には、遠坂が書き出した三つの項目が並んでいる。
「確認するのは、この三つ」
遠坂が紙を指で叩いた。
「一つ目。イリヤの身体に、今何が起きているのか」
イリヤは黙って聞いている。
「二つ目。第四次のアーチャー――ギルガメッシュが、どうして今も現界しているのか」
金色の英霊。
アインツベルンの城で、アーチャーとバーサーカーを退けた存在。
「三つ目。セイバーの現在のマスターが誰か」
昨日、セイバーは現在のマスターを明かさなかった。
戦端を開く意思はない。
今回の訪問には戦闘の意図がない。
保証したのは、それだけだった。
「言峰が正直に話すとは限らない」
遠坂が言う。
「たぶん、全部は話さない。嘘を混ぜる可能性もある」
「それでも行くのか」
「行く。答えそのものが信用できなくても、何を答えて、何を伏せるかは情報になるわ」
紙の一番上。
イリヤの身体。
そこだけが、ほかの二つより深く書き込まれている。
「一番先に聞くのは、イリヤのことよ」
「わたしも行く」
イリヤが言った。
遠坂の指が止まる。
「イリヤ」
「わたしのことでしょ。どうしてわたしが残るの?」
「危ないからだ」
言葉が先に出た。
「言峰が敵だったら、教会で何が起きるか分からない。だからイリヤはここに――」
残れ。
そう言いかけて、士郎は止まった。
閉じ込めておけば安全になる。
けれど、それでは、いてくれたことにならない。
イリヤの身体について聞く。
イリヤをどう救うか考える。
その話から、本人だけを外そうとしている。
イリヤの赤い目が、まっすぐ士郎を見ていた。
「また、わたし抜きで決めるの?」
「悪い」
士郎はすぐに言った。
「勝手に決めるつもりじゃない」
「今、残れって言おうとしたじゃない」
「そうだ。だから、悪い」
言い訳はできない。
「残ってくれって頼むなら、ちゃんと理由を話す」
イリヤは何も言わなかった。
拒絶ではない。
聞くための沈黙だった。
「言峰が敵かもしれない」
遠坂が引き取る。
「だとしたら、向こうが狙っているのはイリヤよ。教会で戦闘になった時、わたしと士郎だけなら逃げる経路を作れる。でも、貴女を守りながらだと難しくなる」
「わたしが足手まといってこと?」
「標的を連れて敵のところへ行けば、それだけ向こうの手が増えるってこと」
遠坂は表現を濁さなかった。
「衛宮邸なら、ランサーの防護を一番強く使える。敵が外から来ても、ここでなら拒絶できる」
イリヤがアトラスを見る。
アトラスは、自分へ向けられた視線を受けても、すぐには答えなかった。
「この邸宅であれば、外部からの侵入を拒絶できる」
機能上の差だけを淡々と述べる。
「教会で、同等の防護は保証できぬ」
「教会に行くなってこと?」
「
アトラスは、それ以上を付け足さなかった。
残れとも。
行けとも。
言わない。
イリヤが士郎を見る。
次に遠坂を。
最後に、アトラスを見上げた。
「アトラスが残るなら、留守番してあげる」
残らされるのではない。
自分で条件をつけて選ぶ。
アトラスはわずかに顎を引いた。
「承知した」
短い返答だった。
「アトラス」
士郎は言う。
「イリヤを頼む」
それより先に、イリヤ自身が残ることを選んでいる。
「イリヤスフィールの選択を確認した。防護を継続する」
「ああ」
左手には、最後の令呪が残っている。
けれど今は、それを使う必要はなかった。
士郎の言葉だけで、アトラスはイリヤの側へ残る。
◇
玄関を出る。
門の外へ出て、士郎は一度だけ振り返った。
門の内側にアトラスが立っている。
その少し後ろに、イリヤがいた。
アトラスの外装は展開されていない。
けれど、邸宅の周囲には目に見えない壁が立っているようだった。
イリヤは、士郎が振り返ったことに気づいている。
けれど、手は振らなかった。
士郎も振らない。
今度は、勝手に置いていくのではない。
話した。
頼んだ。
イリヤが選んだ。
「行くわよ」
「ああ」
士郎と遠坂だけが、冬木教会へ向かった。
◇
道の途中、遠坂はもう一度、質問の順番を確認した。
「最初はイリヤの身体」
「ああ」
「次が第四次のアーチャー。最後にセイバーのマスター」
「最後にする理由は?」
「言峰自身の立場へ踏み込む質問だから」
遠坂は前を向いたまま答える。
「最初からあいつを問い詰める形にしたら、何も答えなくなるかもしれない。まずは監督役として答えられる範囲を聞く」
「イリヤのことも、まともに答えると思うか」
「答える可能性はある」
「どうして」
「あいつにとっては、隠す必要のない情報かもしれないから」
嫌な言い方だった。
イリヤの状態を、敵が隠す必要さえないものとして扱う。
「それに」
遠坂が続ける。
「どういう言葉で答えるかも見たい」
「言葉?」
「イリヤを、人間として説明するか。聖杯として説明するか」
士郎は答えなかった。
言峰がどちらの言葉を選ぶか。
考えるまでもない気がした。
◇
教会の扉は開いていた。
中へ入る。
冷たい空気。
磨かれた床。
奥から、黒い僧衣の男が現れる。
「珍しい組み合わせでもないな」
言峰綺礼は、士郎と遠坂を交互に見た。
その視線が、遠坂の右手の甲へ一度だけ落ちる。
消えた令呪。
それを確認してから、言った。
「保護を受けに来た、という様子ではないが」
遠坂は右手を下ろさない。
「今日は保護を頼みに来たんじゃないわ。確認したいことがあるの」
「監督役へ?」
「そうよ」
「ならば聞こう」
言峰は拒まなかった。
まるで、最初から待っていたように。
◇
「イリヤの身体に、何が起きてる」
士郎が最初に問う。
言峰の顔は動かない。
「小聖杯として造られた身体が、与えられた役割を果たしている」
「役割?」
「英霊の魂を受け入れ、完成へ近づいている」
イリヤの身体に何が起きているのか。
そう聞いた。
言峰は、壊れているとも、苦しんでいるとも、危険だとも言わない。
役割を果たしている。
完成へ近づいている。
それだけだ。
「それが何だっていうんだ」
「質問の答えだ」
「違う」
士郎は言う。
「俺が聞いてるのは、小聖杯として正常かどうかじゃない。イリヤがどうなるのかだ」
「同じことではないか」
「同じじゃない」
声が強くなる。
「イリヤは聖杯じゃない」
言峰の目がわずかに細くなった。
「そうか」
肯定ではない。
否定でもない。
士郎の答えを一つ、受け取っただけだった。
「どこまで進んでいるの」
遠坂が割って入る。
「英霊の魂を受け入れてることは分かってる。次に何が起きる。どのくらい時間が残ってるの」
「器はすでに満ちつつある」
「曖昧ね」
「数を教えれば、おまえたちに何ができる?」
「答える気がないなら、そう言いなさい」
言峰は遠坂の苛立ちを気にした様子もない。
「次に英霊が失われれば、状態はさらに進む」
「さらにって、どうなるのよ」
「完成へ近づく」
「人間としての身体は?」
「器としての機能が優先される」
その言葉だけで十分だった。
人間としての機能が後回しにされる。
「残された時間は長くない」
言峰は続ける。
「完成した器を起動する場所も、すでに用意されている」
「場所?」
遠坂が聞く。
「どこにあるの」
「それは今の質問とは別だ」
「言峰」
「おまえたちが知りたいのは、少女の身体の状態だろう」
起動する場所。
誰かが準備している。
偶然ではない。
イリヤが完成するのを待っている者がいる。
「止める方法を聞いてる」
士郎は言った。
「器を壊せば済む話ではない」
言峰の返答は早かった。
「それは臓器と同じく、少女の身体へ組み込まれている。無理に切り離せば、先に人間としての身体が壊れるだろう」
アトラスと遠坂が出した答えと同じだった。
小聖杯は取り外せる物ではなく、身体そのものに組み込まれている。
「じゃあ、どうすればいい」
言峰は、ほんの少し沈黙した。
答えを考えているようには見えない。
どの答えを渡すか選んでいるようだった。
「それでもイリヤスフィールを救いたいと願うのなら、おまえがこの聖杯戦争の勝者となるがいい」
「何だって?」
「完成した聖杯を手にし、その力へ願え」
言峰は教義を語るように続けた。
「救う方法が存在するのなら、あるいは聖杯がそれを示すかもしれん」
一瞬、言葉の意味が繋がらなかった。
完成した聖杯。
その力へ願う。
けれど、聖杯が完成するために必要なのはイリヤだ。
「バカな」
声が、自分でも分かるほど震えた。
「イリヤを聖杯にして、その聖杯でイリヤを救えっていうのか!?」
「結果だけを求めるなら、矛盾ではあるまい」
「してるに決まってるだろ!」
士郎は一歩、言峰へ近づいた。
「それじゃ、助ける前にイリヤを犠牲にしてる!」
「犠牲」
言峰が、その言葉を確かめるように繰り返す。
「では問おう。少女一人を器として完成させることで、万能の願望器が得られる。それでもおまえは、完成を拒むのか?」
「当たり前だ」
「聖杯を得れば、少女を救うだけではない。より多くを救えるかもしれん」
「だからって、イリヤを使っていい理由にはならない」
「衛宮士郎は衛宮切嗣の息子だ」
空気が冷たく沈んだ。
「親父は関係ない」
「本当にそうか?」
言峰は笑わない。
ただ、士郎を見る。
「より多くを救うために、少ない犠牲を選ぶ。それを拒むなら、おまえは何をもって正義を名乗る?」
「俺は――」
言葉が止まる。
正義の味方。
切嗣から受け取ったもの。
けれど、目の前の問いは正義を選べと言っているのではない。
イリヤを数へ戻せと言っている。
「イリヤを助ける」
士郎は言った。
「イリヤを犠牲にしないで」
答えになっていないかもしれない。
方法もない。
理屈も足りない。
それでも、言峰が与えた二択を受け入れることはできなかった。
「そうか」
言峰は、またその一言だけを返した。
◇
「次よ」
遠坂が言った。
士郎と正義について、これ以上言峰に話させないために。
「アインツベルンの城に現れたギルガメッシュは?」
言峰は、その名を聞いても驚かなかった。
「第四次のアーチャーが、どうして十年も残っているの」
「十年前の戦争は、正常には終わらなかった」
言峰は答える。
「聖杯は完成せず、召喚された全ての英霊が、本来の結末へ至ったわけでもない」
「つまり、ギルガメッシュは第四次から残っている?」
「その可能性はある」
「可能性?」
「同一の英霊が再度召喚された可能性も、言葉の上では否定できまい」
答えている。
だが、知っていることを全部は出していない。
遠坂もそれに気づいている。
「第四次では、何があった」
士郎が聞く。
「聖杯が完成しなかった理由は」
「衛宮切嗣は、最後に聖杯を拒絶した」
「親父は、何をしたんだ」
「令呪を用い、聖杯を破壊させた」
昨日、セイバーから聞いたこと。
言峰も同じ事実を知っている。
「その結果として、戦争は閉じず、残ったものがある」
「残ったもの?」
「おまえも、その一つかもしれんな」
十年前の火災。
士郎の身体に残された鞘。
今も現界するセイバー。
第四次のアーチャー。
そして、目の前にいる言峰。
「最初から知ってたのか」
士郎は、初めて教会へ来た日のことを思い出す。
名前を告げた時。
言峰は確かに反応した。
「俺が、切嗣の子供だって」
「姓を聞いたことがあるだけだ、と言ったはずだ」
「あの時、そう言った」
「あの時点では、それで十分だった」
「何が十分なんだ」
「おまえが何を知らないのかを知るには」
最初から、言峰は知っていた。
切嗣のことを。
第四次のことを。
士郎が何も知らずに聖杯戦争へ入ったことも。
「それで、黙って見てたのか」
言峰は否定しなかった。
「知れば、おまえは選ぶ」
「何を」
「何を与えれば、何を選ぶか。それを見ていた」
「人を試してたっていうのか」
「選択とは、その者が何であるかを示す」
言峰の視線が、士郎の左手へ落ちる。
まだ一画残っている令呪。
すぐに視線は戻った。
「最後の質問よ」
遠坂が言う。
「セイバーの今のマスターは誰?」
言峰は即答しなかった。
沈黙。
それから。
「監督役が、他陣営のマスターを君たちへ教える。ずいぶん都合のいい中立だとは思わなかったのか?」
「答えないってこと?」
「中立であるなら、答える理由はない」
遠坂の眉が動く。
違う。
言峰の言い方は、中立だから答えないのではない。
自分たちが言峰を中立だと思っていたこと自体を笑っている。
「……変ね」
遠坂が低く言う。
「まるで、自分が中立じゃないって知ってる側の言い方じゃない」
言峰は初めて、ほんのわずかに口元を緩めた。
右腕を上げる。
袖の奥で赤い光が走った。
「令呪を以て命ずる。セイバー、衛宮邸へ向かえ。イリヤスフィールを確保し、柳洞寺へ連行せよ」
言葉が教会の空気を裂いた。
「な――」
令呪。
セイバー。
命じたのは。
「言峰、おまえが――!」
答えは言葉ではなく、命令そのものだった。
◇
衛宮邸の境界へ、金の髪の剣士が到達する。
一歩、門の内側へ踏み込もうとした足が止まった。
空気が硬くなる。
薄い紺碧の光が、地面から壁のように立ち上がる。
アトラスがイリヤスフィールの前へ出た。
セイバーの手が、見えない剣の柄へかかる。
けれど、すぐには抜かない。
「言峰綺礼の令呪により、イリヤスフィールを確保し、柳洞寺へ連行するよう命じられました」
命令内容を隠さずに告げる。
アトラスの外装が、紺碧の光を強めた。
◇
「どけ!」
士郎は出口へ向かう。
もう質問など関係ない。
セイバーがイリヤのところへ向かっている。
見えない場所で、令呪に動かされている。
言峰が出口へ続く通路へ移動した。
大きな動きではない。
ただ一歩で、教会の扉へ進む線が塞がれる。
「どこへ行く」
「決まってるだろ!」
「問いの答えは、まだ十分ではないのだろう?」
「今、おまえが答えた!」
言峰がセイバーのマスター。
しかも、イリヤを柳洞寺へ連れていこうとしている。
「退け!」
士郎が踏み込む。
その前に、遠坂の指が動いた。
空気を裂いて、魔力の弾丸が言峰へ飛ぶ。
言峰は黒い鍵を抜いた。
金属音。
青い火花。
遠坂の魔術が逸らされる。
「帰るのは、こいつを抜いてからよ」
「遠坂」
「正面は任せない。二人で抜くわよ」
倒すためではない。
外へ出るため。
衛宮邸へ帰るため。
「投影、開始」
手の中へ剣の外形を引き出す。
内部。
重さ。
使われた時間。
完全ではない。
それでも、一本の剣が士郎の手に現れた。
言峰の黒鍵が来る。
受ける。
衝撃が腕を抜ける。
剣が軋む。
けれど、砕けない。
遠坂が側面へ回る。
言峰のもう一方の手から、二本目の黒鍵が放たれる。
士郎は剣を横へ振った。
刃を受け、軌道を逸らす。
その一瞬、遠坂の魔術が言峰の肩へ届く。
言峰は半身を沈めた。
次の瞬間、距離が消える。
「っ」
掌が士郎の剣へ触れた。
押したようには見えない。
けれど、剣の中心から強い衝撃が走る。
投影した刃が砕けた。
破片が消える。
言峰の肘が迫る。
士郎は腕で受けた。
骨まで響く。
身体が横へ流される。
だが、倒れない。
足を踏み直す。
言峰が追う。
その間へ遠坂が入った。
拳へ魔力を集め、言峰の脇腹を狙う。
言峰は肩を回した。
遠坂の腕を逸らし、掌を返す。
「遠坂!」
士郎は次を始める。
「投影、開始」
完成した技ではない。
アーチャーのようにはできない。
けれど、一度砕かれても次の剣を出せる。
戦いを続けられる。
新しい剣で、遠坂へ向かった掌を受けた。
刃がひび割れる。
腕が痺れる。
それでも、攻撃線はずれた。
遠坂の魔術が言峰の胸元へ届く。
僧衣が焼け、言峰の身体が半歩だけ下がった。
出口への線がわずかに開く。
「行ける!」
遠坂が叫ぶ。
士郎が踏み出そうとする。
言峰の視線が左手へ落ちた。
「使わないのか」
令呪。
最後の一画。
呼べる。
左手の一画を使えば、アトラスはここへ来る。
ここへ呼べば、言峰を止められるかもしれない。
確実に。
今より強く。
出口を開けることができる。
「俺を守らなければ、もっと強く拒否できたのか」
「可能だ」
前に交わした言葉が戻る。
アトラスは、士郎の防護へ割いている力を外せば、より強く敵を拒絶できる。
呼べば来る。
マスターの命令を優先して。
衛宮邸を離れて。
けれど、それではイリヤのところからアトラスがいなくなる。
イリヤは、アトラスが残るならと言った。
その条件で、自分で留守番を選んだ。
士郎がここへ呼べば、自分の危機のためにその選択を崩す。
左手を握る。
令呪は光らない。
アトラスの名を呼ばない。
「そうか」
言峰が言った。
何かを確かめたように、また踏み込んでくる。
士郎は剣を構えた。
逃げるために。
生き残るために。
遠坂の攻撃を通すために。
令呪ではなく、自分の剣で受ける。
言峰の掌が刃へ届く。
剣が砕けると同時に、衝撃が肩へ抜けた。
身体が後ろへ飛ぶ。
床へ背中を打つ。
息が詰まる。
それでも、遠坂の前は空いた。
「はあっ!」
魔力が言峰の正面へ叩き込まれる。
黒い僧衣が揺れ、言峰が一歩後退した。
◇
衛宮邸。
紺碧の境界へ、セイバーの身体が押し込まれる。
令呪が前へ進ませる。
王宮外装が侵入を拒絶する。
門。
壁。
幾重もの見えない区画が、セイバーの進路を閉じる。
剣が抜かれた。
空気が歪む。
振られる。
最大の一撃ではない。
アトラスの急所へも向かわない。
イリヤスフィールへ直線で踏み込むこともない。
アトラスが自分を止められる正面位置へ、剣が届く。
紺碧の外装が受ける。
「イリヤスフィールは渡さぬ」
アトラスが告げる。
「分かっています」
セイバーは剣を止めない。
止められない身体で、止められる攻撃を選び続ける。
「行かない」
イリヤスフィールが、赤い目で門の外の剣士を見た。
「わたしは、そこへ行かないんだから」
◇
言峰は士郎を見ている。
令呪を使わなかった左手。
令呪を失っても退かなかった遠坂。
砕ける剣で、互いの攻撃線を残し続ける二人。
そして遠く、契約を通じて伝わる、進まない命令。
大規模な攻撃を行わないセイバー。
完了しない確保。
言峰がアトラスとイリヤの言葉を知ることはない。
ただ、命令が止められていることだけは分かる。
僧衣の男は、士郎へ向けていた腕を下ろした。
赤い光が再び、その袖の奥へ走る。
「もういい。止まれ、セイバー」
二度目の令呪。
士郎にも、それだけは分かった。
◇
衛宮邸。
セイバーの剣が、アトラスの外装へ届く直前で止まる。
全身を縛っていた力が、別の命令によって押さえ込まれる。
剣先が下がった。
アトラスは紺碧の外装を解かない。
イリヤスフィールも、その場を動かない。
「……命令が、止まりました」
セイバーが言った。
◇
言峰は出口の前から退いた。
攻撃を止め、黒鍵を下ろす。
士郎たちは言峰を倒していない。
言峰が道を開けただけだ。
「何のつもりだ」
士郎は床へ手をつき、立ち上がる。
肩が痛む。
口の中に血の味がある。
言峰は答えない。
もう見るものは見たというように。
遠坂が士郎の腕を取る。
「行くわよ」
「ああ」
教会の扉へ向かう。
その時、扉の向こうから靴音がした。
ゆっくりと。
誰にも止められたことのない歩き方で。
黒い革の上着。
金の髪。
赤い瞳。
ギルガメッシュが教会へ入ってきた。
言峰は驚かなかった。
ただ、一拍だけ黙った。
「珍しいな。おまえが自ら顔を出すとは」
「我がどこへ出向こうと、貴様の許しを得る必要があるか、言峰」
言峰。
自然に呼んだ。
初対面ではない。
昔を知るだけでもない。
今もここへ出入りしている。
言峰がギルガメッシュの現界について、何も知らないはずがない。
「やっぱり」
遠坂が小さく呟く。
二つ目の質問。
言峰が伏せたもの。
答えは、ギルガメッシュ本人が持って現れた。
「士郎、帰るわよ」
遠坂が言う。
言峰とギルガメッシュ。
二人を相手に、ここで戦うことはできない。
衛宮邸が今どうなっているかも分からない。
けれど、背を向けるだけで首筋が冷たくなる。
言峰が追うかもしれない。
ギルガメッシュが宝具を放つかもしれない。
「士郎」
遠坂の声が強くなる。
「ここで死んだら、イリヤのところへ戻れない」
それで足が動いた。
士郎は二人へ背を向ける。
言峰もギルガメッシュも、追わなかった。
勝ったのではない。
逃げ切ったのでもない。
ただ、退去を許された。
◇
教会から離れる。
階段を下り、十分に距離を取っても、遠坂は速度を落とさなかった。
「遠坂」
「何」
「言峰の令呪」
「見た」
「二回使った」
「ええ」
それ以上の整理は今はしない。
先に衛宮邸へ戻る。
それでも、遠坂は歩きながら士郎の左手を見る。
「呼べたのよね」
「ああ」
「でも、呼ばなかった」
「イリヤのところに、アトラスが必要だった」
「そう」
正しかったとは言わない。
結果もまだ分からない。
ただ、遠坂は士郎が何を選んだかを確認した。
人気のない道へ入ったところで、遠坂が足を止める。
「遠坂?」
「これを持っていきなさい」
差し出されたのは、細身の剣だった。
鞘に収められ、儀礼用に見える。
「遠坂、これは……」
「アゾット剣。魔術師が儀式に使う礼装よ」
遠坂の手の中にある、大切に保管されてきた物。
鞘の上からでも分かるほど、魔力が蓄えられている。
「わたしはイリヤの術式を切る。セイバーがどうなるかも分からない」
遠坂が剣を士郎へ押しつける。
「あんたは、言峰を止めて」
「でも、これは遠坂の」
「使えとは言ってない」
士郎が剣を返そうとすると、遠坂は受け取らなかった。
「必要になった時、持ってなかったら選べないでしょ」
士郎は、すぐには受け取れなかった。
言峰を止める。
どうやって。
どこまで。
この剣で何をすることになる。
分からない。
けれど、持たなければ選ぶことさえできない。
「分かった」
士郎はアゾット剣を受け取った。
鞘からは抜かない。
遠坂が使用方法を説明する。
剣に蓄えられた魔力を解放する時は、läßt――レスト、と唱える。
「言ってみて」
「レスト」
「もう一回」
「レスト」
遠坂は発音を聞き、間違いがないことを確認した。
剣はまだ鞘の中にある。
使うかどうかも決まっていない。
士郎はそれを持って歩き出した。
◇
衛宮邸が見える。
門は壊れていない。
屋根も。
壁も。
紺碧の光が、まだ薄く残っている。
「イリヤ!」
門をくぐる。
庭に三人がいた。
イリヤ。
アトラス。
セイバー。
セイバーとアトラスの間には、まだ張り詰めた空気がある。
アトラスの外装も、完全には解かれていない。
けれど、イリヤは自分の足で立っている。
「無事か」
「見れば分かるでしょ」
いつもの、少し尖った返事。
士郎の身体から力が抜けかける。
「よかった」
それだけが出た。
「そっちは、あんまり無事じゃなさそうね」
イリヤが士郎の肩と腕を見る。
「これくらい平気だ」
「そういうこと言うから、信用できないのよ」
言い返す前に、セイバーが口を開いた。
「私から、説明があります」
士郎と遠坂が見る。
「言峰綺礼の令呪により、私はこの邸宅へ向かわされました。イリヤスフィールを確保し、柳洞寺へ連行するよう命じられた」
教会で聞いた命令。
そのまま。
「私は、イリヤスフィールを連れていくことを望みませんでした」
初めて、セイバー自身の言葉として意思が示される。
「命令を無視することはできません。しかし、実行の方法には、わずかに選べる余地があった」
最大の一撃を使わない。
アトラスの急所を狙わない。
イリヤへ直接踏み込まない。
命令を隠さない。
「可能な範囲で抵抗しました。二度目の令呪によって、最初の命令は停止しています」
「でも」
士郎は言う。
「また言峰に命令されたら」
「否定はできません」
セイバーは、都合のよい保証をしなかった。
「言峰との契約は、まだ切れていません」
「あいつは今日、令呪を二画使った」
遠坂が言った。
「残りは一画よ」
通常のマスターが持つ令呪は三画。
言峰は二度使った。
「その一画まで使い切ったら、今度はセイバーを止めるものがなくなる」
遠坂はセイバーを見る。
「自分を斬りかねないサーヴァントの前で、そう簡単には切れないはず」
「言峰が次に何を命じるかは分かりません」
一度言葉を切る。
「それでも私は、自分の意思でイリヤスフィールを守ります」
言峰との契約を残したまま。
危険も消えないまま。
それでもセイバーは、自分で同行することを選んだ。
「教会で、何が分かったの」
イリヤが聞く。
遠坂が順に説明した。
言峰がセイバーのマスターだったこと。
二度、令呪を使ったこと。
ギルガメッシュが教会へ現れたこと。
言峰と現在も繋がっていたこと。
イリヤの器は完成へ近づいている。
次に英霊が失われれば、状態はさらに進む。
完成した器を起動する場所が、すでに用意されている。
「命令で示された行き先は、柳洞寺です」
セイバーが補う。
言峰がイリヤを連れていこうとした場所。
完成した器を起動するための場所。
別々だった情報が一つに繋がる。
「柳洞寺へ行く必要がある」
遠坂が言う。
「ただし、今すぐ飛び出すのは駄目。向こうには言峰とギルガメッシュがいる。セイバーの契約も残ってる。装備も経路も整理する」
士郎の最後の令呪。
アトラスの防護。
遠坂の宝石。
士郎が受け取ったアゾット剣。
柳洞寺へ向かう道。
考えることは多い。
その話を、イリヤは黙って聞いていた。
アトラスが自分の側へ残った。
士郎が令呪を使わずに言峰と戦った。
遠坂も、令呪を失ってなお教会へ行った。
セイバーも、令呪に抵抗した。
「みんな、わたしのことで勝手に大変になってるのね」
少し突き放すような言い方だった。
「勝手にって」
士郎が言いかける。
けれど、否定できない。
イリヤのために、それぞれが選んだ。
本人の許可を取ったわけではない。
「そうね」
遠坂が答えた。
「勝手よ」
「認めるの?」
「認める。でも、やめるとは言わない」
「リンらしいわ」
「貴女に言われたくない」
ほんの少しだけ、いつもの調子へ戻る。
けれど、イリヤは笑わなかった。
「少し疲れたから、先に休む」
「大丈夫か」
「疲れただけ」
「でも」
「シロウ」
赤い目が士郎を止める。
「休むくらい、自分で決めていいでしょ」
「……ああ」
無理に引き止めない。
アトラスがイリヤの後ろへつく。
「部屋まで同行する」
「好きにすれば」
二人が廊下へ消える。
士郎は、その背中を見送った。
◇
イリヤの部屋の襖が閉じる。
アトラスは部屋の外へ立った。
廊下。
外部から部屋へ近づく経路。
庭。
屋根。
王宮防護は、敵対者の侵入と領域への攻撃を拒絶する。
ただ、保護される本人を内側へ閉じ込めるものではない。
◇
居間では、柳洞寺までの経路を広げていた。
遠坂が地図を指す。
「正面から行くなら、この石段。別の道もあるけど、結界を無視して全員で動くのは無理」
「言峰たちは、俺たちが来るのを待ってる」
「でしょうね」
「なら、裏から行っても意味がないか」
「奇襲が目的じゃない。イリヤの器を起動させないことが優先」
セイバーは柳洞寺周辺の地形を確認する。
アトラスは、まだイリヤの部屋の前にいる。
士郎は受け取ったアゾット剣を、鞘に入ったまま見下ろした。
läßt。
レスト。
頭の中で発音を繰り返す。
使う時が来ない方がいい。
けれど、使う時に間違えるわけにはいかない。
「言峰の残りは一画」
遠坂が言う。
「セイバーへ何を命じるか分からない。そこは常に警戒する」
「はい」
セイバーは答える。
安全だとは誰も言わない。
それでも、明日まで待つ余裕があるとも思えない。
準備が整い次第、柳洞寺へ向かう。
◇
イリヤの部屋の窓が開く。
白い少女が縁側へ足を下ろす。
派手な魔術は使わない。
紺碧の防護を壊さない。
外にいるアトラスを欺く術も使わない。
庭へ降りる。
境界の内側から外へ。
保護対象本人の移動を、王宮防護は拒絶しない。
イリヤはそのまま門の外へ出た。
部屋には一枚の紙が残されている。
紺碧の境界を越えた瞬間、廊下に立つアトラスが顔を上げた。
「イリヤスフィール」
返答はない。
襖の向こうへ呼びかける。
「応答せよ」
沈黙。
アトラスが襖を開く。
部屋にイリヤはいない。
開いた窓。
揺れるカーテン。
退出したことは分かる。
だが、どちらへ進んだかを防護機能は追跡しない。
アトラスはすぐに居間へ向かった。
◇
「マスター」
声に、士郎が顔を上げる。
「イリヤスフィールが保護領域を出た」
「何?」
立ち上がる。
「いつだ」
「境界の通過を確認した。現在位置は追跡できぬ」
「部屋は」
「本人の不在を確認した」
士郎たちはイリヤの部屋へ向かう。
窓が開いている。
庭から冷たい空気が入ってくる。
部屋の隅には、昨日渡した五体のテディベアが並んでいる。
クルミも残されている。
「イリヤ!」
呼んでも返事はない。
遠坂が窓の外を見る。
セイバーが廊下で足を止める。
士郎は、机の上に置かれた紙を見つけた。
手に取る。
短い。
三行だけの書き置き。
「私は聖杯じゃない。
私のことを、私抜きで決めさせない。
バーサーカーはいないけど、私はまだイリヤだから」
お読みいただきありがとうございます。
しばらくは毎日7時頃に更新予定です。
後日譚の
『The Reversed Star――逆位置の星――』 https://syosetu.org/novel/417875/
も連載中です、よろしくお願いします。