The Reaching Shore――届かせるもの―― 作:ほいみん
※独自解釈/女性体オリジナルサーヴァント/ギルガメッシュ×アトラス/本文に文章生成AI補助あり
※掲載イラストは作者による手描きです。
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夢の中では、門は閉じていた。
目を開けても、海の冷たさが残っていた。
天井がある。
見慣れた木目。
潮の匂いはしない。
ここは衛宮邸だ。
そう分かるまでに、少し時間がかかった。
身体を起こす。
昨日の服を着たまま眠っていたらしい。
左手には、赤い令呪が残っている。
夢ではなかったものの印。
海底の都市は、夢だった。
長い城壁。
閉じた門。
人のいない街。
名前のない旗。
青い光の漏れる王宮。
思い出そうとすると、像は水の向こうへ遠ざかっていく。
けれど、最後に見た扉だけは妙に鮮明だった。
開けてはいけない。
閉じられていることに意味がある。
理由のない確信だけが、胸の奥に残っている。
「アトラス?」
返事はなかった。
昨夜、客用の布団を敷いた居間にも姿がない。
布団は畳まれていた。
士郎がいつも片づけるより、角がきっちり揃っている。
霊体化はできない。
外へ出たのか。
敵襲。
昨夜の白い少女。
バーサーカー。
考えた途端、眠気が消えた。
廊下を抜け、縁側へ出る。
冬の朝だった。
空は白く、庭へ薄い光が落ちている。
人影はない。
代わりに、昨夜の戦いが残っていた。
抉れた土。
折れた木。
倒れた鉢。
土蔵の壊れた戸。
帰宅した時にも見たはずだった。
暗くて、疲れていて、直視する余裕がなかっただけだ。
朝の光の下では、ごまかしようがない。
「明日には藤ねえと桜が来る」
このままにはしておけない。
士郎は庭へ下りた。
まず、抉れた土を戻す。
完全には埋まらない。
それでも、大穴のままよりはましだ。
折れた枝を拾い、庭の端へ運ぶ。
倒れた鉢を起こす。
割れたものは、破片をまとめた。
土蔵の戸は、蝶番が壊れている。
今すぐ直すのは無理だ。
板を当て、紐で仮止めする。
修理ではない。
偽装だ。
見つかった時に説明できる程度まで、昨夜を隠す。
「その処理では、構造強度は回復しない」
背後から声がした。
士郎は振り返る。
「アトラス。どこに――」
言葉が止まった。
アトラスは縁側に立っていた。
鎧ではない。
昨夜までの衣服でもない。
白いシャツ。
濃い色の上着。
膝丈の半ズボン。
細い脚には、少し大きめの靴下。
どれも、子供用だった。
しかも、見覚えがある。
「それ、俺の服じゃないか」
「然り」
切嗣が買ってきた服だ。
サイズが合わなくなってからも、捨てずに押し入れへ残していた。
何年前のものだったか。
あの頃の切嗣が、どんな顔で選んだのか。
そこまでは思い出せない。
ただ、自分が着ていたものだということだけは分かる。
「使用可能な衣類を徴用した。対象と数量は記録済みだ」
「許可は?」
「必要性は
「そこじゃない」
「何がだ」
「勝手に持ち出したことを訊いてるんだ」
アトラスは淡い水青の髪を揺らし、士郎を見た。
「実体化を維持する以上、鎧姿で市街へ出ることは秘匿性を損なう」
「それは分かる」
「既存の衣類から、体格に適合するものを選定した」
「それも見れば分かる」
「返却可能だ」
「だから、使う前に聞けって言ってるんだ」
沈黙。
朝の風が庭を抜ける。
借りた上着の裾が、わずかに動いた。
「所有者の許可を、以後の選定条件へ追加する」
「服を借りるだけで、そんな大げさな言い方するな」
「規則は明文化した方がよい」
「日常生活の全部を規則にする気か」
「曖昧な運用は齟齬を生む」
昨夜の間仕切りを思い出した。
襖を開けろと言ったら、外して経路を確保しようとした。
たぶん、今のアトラスにとっては、日常の方が戦争より難しい。
「とにかく、次からは一言聞け」
「承知した」
返答は早かった。
「それで、どこにいたんだ」
「屋内を確認していた」
「何のために」
「侵入経路、備蓄、退避経路、遮蔽物の配置を把握した」
「人の家を勝手に作戦地図にするな」
「マスターの拠点だ」
「だからって」
言い返しかけて、やめた。
左手には令呪がある。
庭には戦いの跡がある。
昨日までただの家だった場所は、もうアトラスにとって守るべき領域なのだ。
「……何か変なものはなかったか」
「定義を求める」
「敵とか、仕掛けとか」
「敵性反応はない」
「ならいい」
士郎は土蔵の戸へ向き直った。
「それは修復ではない」
「分かってる。藤ねえたちに見つからないように、ごまかしてるだけだ」
「偽装か」
「そういうこと」
「初めからそう言え」
「普通は見れば分かるんだよ」
「記録した」
何を記録したのかは訊かなかった。
◇
朝食は、白飯とさわらの塩焼き。
卵焼き。
油揚げと玉ねぎの味噌汁。
本当なら、味噌汁には長ねぎを使うつもりだった。
けれど、野菜室に入れておいた束は、昨日ライダーの一撃を受けて成仏してしまった。
仕方なく、玉ねぎへ変更した。
戦争が始まっても、朝食は必要だった。
膳を二つ並べる。
アトラスは座っている。
食べようとはしない。
「冷めるぞ」
「食事は不要だ」
「食べられないのか」
「摂取は可能だ。維持に必須ではない」
「じゃあ食べろ」
「必要性がない」
「俺だけ食べるのも落ち着かない」
「マスターの摂食に、己の摂食は必要ない」
「必要かどうかじゃない。アトラスが何も食べないで座ってると、俺が気になるんだ」
「非効率だ」
「効率じゃないだろ、こういうのは」
アトラスは、味噌汁の湯気越しに士郎を見た。
冷たい血色の瞳。
昨夜より顔色は戻っている。
けれど、まだ完全ではない。
「……記録した」
「なら、少しでいいから食べろ」
「マスターの要求としてか」
「朝飯を一緒に食べようって言ってるだけだ」
アトラスは箸を取った。
動作に迷いはない。
まず、味噌汁へ口をつける。
「どうだ」
「塩分量は適正だ」
「味の感想を聞いてるんだけど」
「摂取に支障はない」
「それ、褒めてないだろ」
「否定もしていない」
次に、さわらを少し食べる。
「魚は?」
「保存状態に問題はない」
「もういい」
士郎は白飯を口へ運んだ。
向かいでは、アトラスが少量ずつ食べている。
美味しいとも、不味いとも言わない。
それでも、箸は止まらなかった。
食べる必要のないサーヴァントが、士郎のために食卓へ座っている。
効率ではない。
それでよかった。
◇
食後の片づけが終わる頃、玄関の呼び鈴が鳴った。
戸を開ける。
遠坂が立っていた。
その後ろには、赤い外套のアーチャーがいる。
「おはよう、衛宮くん」
「おはよう。早いな」
「昨日の宿題が多すぎるのよ」
遠坂は士郎の返事を待たず、家へ上がった。
居間へ入る。
アトラスを見る。
止まる。
「……何で子供服を着てるの?」
「徴用した」
「無断で?」
「必要性は己が裁定した」
遠坂が士郎を見る。
「注意した」
「ならいいけど」
「いいのか?」
「返すつもりがあるなら、今はね。それより」
遠坂は座卓の前へ座った。
声が変わる。
「昨日の続きをするわよ」
士郎も座る。
アーチャーは柱へ背を預けた。
アトラスは士郎の隣へ正座する。
「まず、魔術回路の話」
来た。
遠坂は士郎を見た。
「毎晩、作ってるって言ったわね」
「ああ」
「どうやって?」
「どうって」
「最初から説明して」
士郎は、いつもの手順を話した。
身体の中へ異物を作る。
背骨の中へ、焼けた鉄を通す。
自分の身体を、魔術を使える状態へ作り替える。
成功すれば回路ができる。
失敗すれば、身体が壊れる。
それでも、繰り返せば強くなる。
そう教えられた。
話しているうちに、遠坂の顔から表情が消えていった。
「それ、誰に教わったの」
「親父」
「衛宮切嗣?」
「ああ」
遠坂は目を閉じた。
何かを飲み込むように息を吐く。
「……それは、回路を作ってるんじゃない」
「でも、俺は毎回」
「既にある魔術回路へ、一時的に神経を繋ぎ直してるの。魔術を使うたびに、使い捨ての回路を無理やり作ってるようなものよ」
「何が違うんだ」
「全然違う!」
遠坂の声が跳ねた。
すぐに、低くなる。
「貴方がやってるのは、毎回、首に刃を当てて、運がよければ魔術が使えるって方法よ」
「そこまで危険じゃ」
「危険なの」
言い切られた。
「回路は作るものじゃない。最初から持ってるものを、切り替えて使うの。オンとオフ。それだけ」
「切り替えるって、どうやって」
「それを今から教える」
遠坂は士郎の胸元を見る。
「その前に確認。昨日から、魔術は使ってないわね」
「使ってない」
「庭は?」
「直す魔術なんて知らないぞ」
「知らないって、こんなの初歩じゃない……まあ、いいけど」
褒められた気がしない。
「貴方の父親が何を考えてそんな教え方をしたかは知らないけど」
遠坂は一度、言葉を止めた。
「少なくとも、貴方には必要なところまで伝わってない」
親父が間違っていた。
そう言われると、胸の奥に引っかかる。
けれど、反論できるほど魔術を知らない。
「今後、一人でその方法を使わないこと」
「魔術を使うなってことか」
「違う。死にかける方法で使うなって言ってるの」
「分かった」
「本当に?」
「昨日から何回それを聞くんだ」
「貴方が信用ならない回数だけよ」
◇
「次」
遠坂は座卓へ紙を広げた。
昨夜の戦闘を、簡単な図にしていく。
道路。
士郎と遠坂。
アトラス。
アーチャー。
バーサーカー。
最後に、所属不明のセイバー。
「昨日の戦いで分かったことがある」
遠坂の指が、アーチャーを示した。
「バーサーカーを相手にするなら、前衛が必要」
「セイバーがいたじゃないか」
「そのセイバーを計算に入れられないって話を、昨日したでしょう」
アーチャーが続ける。
「あれは教会の近辺から現れた。お前を助けはしたが、所属を明かさなかった」
「教会? ……おい、まさか」
昨日の神父の顔が浮かぶ。
「言峰が何か知ってるってことか」
「可能性はある。だが、現時点で断定する材料はない」
返答は平坦だった。
「どちらにせよ、マスターが不明な状態で、バーサーカーとの共闘など期待できん」
アーチャーの指が、紙の上を動く。
「加えて、昨夜の私は後衛を守るため前線へ固定された。本来の射程を取れず、敵の正面で防御へ回るしかなかった」
校庭では違った。
自在に立ち位置を変え、間合いを支配していた。
昨夜は、後ろへ通さないために動く場所を失っていた。
「誰かが前を維持すれば、アーチャーは距離を取れる」
遠坂の指が、今度はアトラスを示す。
「ランサーなら、短時間は前に立てる」
「俺の供給じゃ無理だって話じゃなかったか?」
「通常ならね」
遠坂は士郎の左手を見る。
「令呪がある」
赤い印。
三画。
「使うのか」
「今すぐじゃないわ。使い方を考えるの」
「令呪は命令を強制するだけじゃないのか」
「強制力だけじゃない。サーヴァントへ一時的な魔力を与えることもできる」
昨夜、アーチャーが言った。
無駄に使うな。
無駄でない使い方がある。
「長期戦にならなければ、令呪で補強したランサーなら前線を維持できるはずよ」
「ただし、令呪一画を費やす」
アトラスが言った。
「切れる手札は三度のみだ」
「分かってるわ。だから無駄に使わず、使う条件を先に決めるの」
遠坂は図へ線を引く。
「ランサーが前を止める。アーチャーが距離を取る。わたしと衛宮くんが後ろで支える」
「俺に何ができる」
「それを作るために組むの」
遠坂は紙から顔を上げた。
「別々に動いたら、次は全員死ぬわ」
士郎は黙った。
昨日、遠坂は言った。
次に会えば敵かもしれない。
「俺にとっては願ったりだけど……こっちに都合がよすぎるっていうか」
「こっちにだってランサーが必要なの。貴方たちだけが得をする話じゃないわ」
遠坂はアトラスを見る。
「貴方は?」
「条件を求める」
「情報共有。相互防衛。戦闘時の役割分担。裏切り行為の禁止」
「期間は」
「バーサーカーが敗退するまで。あるいは、どちらかが協定を破るまで」
「終了条件として妥当だ」
「細かいわね」
「戦争中の協定だ。曖昧さは損失を生む」
遠坂は眉間を押さえた。
「じゃあ、あとで書面にする」
「然り」
「本気なの?」
「必要だ」
士郎は紙を見る。
敵。
味方。
昨日まで分かれていたものが、線でつながろうとしている。
「俺は賛成だ」
遠坂が士郎を見る。
「アトラスが前に立つなら、俺がちゃんと命令できるようにならないと駄目なんだろ」
「そういうこと」
遠坂は少しだけ笑った。
「じゃあ決まりね、士郎」
「……いきなり呼び方が変わったな」
「同じ陣営で衛宮くん、衛宮くんって呼ぶのも面倒でしょう」
「遠坂は遠坂のままなのか」
「不満?」
「別に」
「なら問題なし」
問題があるような。
ないような。
「拠点はここにするわ」
「待て。そこまで決まってるのか」
「わたしの家より、こっちの方が風通しがいいと思うわよ」
「風通しで作戦本部を決めるのかよ」
「人の出入りと、サーヴァントの待機を考えれば重要よ」
「遠坂の家は?」
「閉じすぎてるの」
遠坂が簡単に言った。
アトラスの目が、わずかに動く。
「結界か」
「そういうこと。説明はあと」
「またか」
「今日は先にやることがあるの」
◇
訓練は庭で行うことになった。
庭はまだ完全に戻っていない。
それでも、動ける場所はある。
アトラスは朝より顔色がよくなっている。
大規模な防壁は使わせない。
アーチャーも武器を出していない。
「最初は簡単な課題よ」
遠坂が縁側に立つ。
「アーチャーが士郎へ近づく。それをランサーに止めさせる」
「分かった」
「本当に?」
「やってみれば分かるだろ」
士郎はアトラスを見る。
「アーチャーを止めてくれ」
「承知した」
アーチャーが歩き出す。
アトラスは、その前へ立った。
それだけだった。
アーチャーも止まる。
「……何してるんだ」
「対象の進行を停止させた」
「いや、そうだけど」
「命令は達成されている」
遠坂がため息をついた。
「止めるって、どこから先へ? いつまで? 何をしたら成功なの?」
「そこまで言うのか」
「言うの。ランサーは貴方の意図を勝手に補完しない」
「汝が省略した条件を、己が推測で埋めることはできぬ」
「昨日も似たようなこと言ってたな」
「同じ問題だ」
第二回。
「アーチャーを俺に近づけないでくれ」
「承知した」
青い光が士郎の周囲へ走る。
円形の薄い壁。
士郎だけを囲う。
遠坂も、家も、逃げ道も、その外にある。
「ちょっと!」
遠坂が声を上げる。
「わたしは外なの?」
「命令対象に含まれていない」
「衛宮くん――じゃなかった。士郎!」
「今のは俺も悪いと思う」
「思うだけじゃなく直して!」
壁が消える。
士郎は考えた。
何を守る。
誰から。
どこで。
いつまで。
昨日、アトラスは言った。
守る対象と境界を定めるなら、被害を減らす余地はある。
「この庭で、一分間」
言葉を区切る。
「アーチャーが俺に触れるのを止めてくれ」
「承知した」
アーチャーが動く。
今度は速い。
赤い影が庭を横切る。
アトラスは士郎の前へ立つ。
青い光が細く走り、アーチャーの進路だけを塞ぐ。
正面。
右。
左。
移動するたび、壁が一枚ずつ置かれる。
大きくはない。
厚くもない。
必要な場所だけが閉じる。
アーチャーが踏み込む。
壁へ手を触れる直前、次の進路へ移る。
アトラスは三叉槍を出さない。
攻撃もしない。
ただ、士郎へ届く道だけを閉じ続ける。
一分。
遠坂が時計を見る。
「そこまで」
青い光が消えた。
アーチャーは士郎の数歩手前で止まっている。
「できた」
「最低限はね」
「最低限か」
「守ったのは自分だけ。凛も、家屋も、退路も命令外だ」
アーチャーが言った。
「実戦では、お前一人だけを綺麗に囲っても、後ろが潰れれば同じことだ」
「分かってる」
「今はな」
危機の中でも言えるか。
それは別の話だ。
アトラスの呼吸が、少しだけ深い。
「今日はここまでにする」
士郎が言った。
「まだ続けられる」
「続けられるかじゃない。休ませるって決めただろ」
「マスターの裁定か」
「ああ」
「承知した」
◇
「次は士郎の魔術」
居間へ戻ると、遠坂が言った。
「強化ならできる」
「見せて」
士郎は土蔵から古い木材を持ってきた。
手を置く。
いつもの手順へ入ろうとする。
背骨の中へ、焼けた鉄を通す。
「待ちなさい」
遠坂の声で止まった。
「今、何をしようとしたの」
「回路を」
「朝、何を言ったか覚えてる?」
「覚えてるけど、他のやり方はまだ」
「なら、今は使わない」
「それじゃ何も見せられないだろ」
「安全に起動できない状態で見せる必要はないの」
遠坂は士郎の手を木材から外させた。
「回路は作らない。自分の中にある道へ、スイッチを入れるだけ」
「そのスイッチが分からない」
「普通は、イメージを決めるの。鍵でも、引き金でも、何でもいい」
士郎は目を閉じた。
引き金。
鍵。
何も噛み合わない。
自分の中の回路は、ずっと神経と一緒に焼いてきた。
安全に入る道が見つからない。
「駄目だ」
「でしょうね」
「最初から分かってたのか」
「昨日の話を聞けばね」
遠坂は木材を見る。
「強化以外に、何かやったことは?」
「投影なら、昔からやってる」
遠坂の眉が動いた。
「昔から? 何を投影したの?」
「何って、色々だけど……土蔵に転がってるがらくただよ。中身がなくて、まるで機能しない」
遠坂の顔が険しくなる。
「転がってるって、消えてないの?」
「ああ。壊さなければ残ってるぞ」
「……ちょっと待って」
「何だよ」
「普通、投影したものはすぐに世界から修正されるの。長く残るものじゃない」
「でも、残ってる」
「見れば分かるわよ。あとで全部確認する」
「使い物にならないぞ」
「それと、残ること自体がおかしいことは別」
遠坂は額へ指を当てた。
「投影なんて割に合わないの。作れたって、同じものを再現するのが精いっぱい。それなら、元の力を十倍にも二十倍にもできる強化へ魔力を使った方がいいわ」
「でも、アーチャーがやってるあれ、投影だろ?」
部屋の空気が止まった。
アーチャーの目が細くなる。
「見た目が似ているからといって、同じ工程だと判断するな」
「違うのか」
「お前が知る必要はない」
「でも、できるなら」
「士郎」
遠坂の声が低い。
「貴方、死ぬ方法を増やしてどうするの」
「今はやらないって」
「今は、でしょう」
「決めつけるな」
「決めつけさせたのは貴方よ」
遠坂は鞄から小さな宝石を取り出した。
「まず、安全に回路を使えるようにする」
「それは?」
「飲んで」
「は?」
「飲みなさい」
「宝石だぞ」
「分かってるわよ。わたしの宝石なんだから」
「腹を壊さないか」
「その前に、貴方の身体の方を心配しなさい」
宝石を渡される。
小さい。
けれど、飲み込むには十分大きい。
「本当に?」
「早く」
士郎は覚悟を決めた。
口へ入れる。
飲み込む。
喉を通った瞬間、身体の中で何かが弾けた。
「っ――!」
熱い。
胸の奥から、全身へ熱が走る。
火ではない。
神経の一本一本へ、別の道が引かれていくような熱だった。
指先が震える。
呼吸が乱れる。
膝から力が抜ける。
「士郎」
遠坂が肩を支えた。
「倒れないで。今、回路を正常な状態へ繋いでる」
「これが、正常なのかよ……!」
「今までが異常だったの!」
熱が背骨を上る。
頭の奥まで白くなる。
けれど、いつもの痛みとは違った。
身体を壊すための熱ではない。
閉じていた道へ、初めて鍵が差し込まれる。
そんな感覚だった。
「今日はもう魔術禁止」
「さっきも言ってたな」
「今度は絶対。熱が引くまで動かない」
「庭の片づけが」
「朝やったでしょう」
「土蔵の戸が」
「逃げない」
「逃げないけど」
「言うことを聞く」
遠坂の手が、士郎の肩を押す。
座布団へ座らされた。
「わたしは一度、家へ戻る」
「帰るのか」
「荷物を取ってくるのよ」
「荷物?」
「あとで分かる」
「またそれか」
「夕方まで休んでなさい」
遠坂は立ち上がる。
アーチャーも続く。
「ランサー」
「何だ」
「士郎が魔術を使おうとしたら止めて」
「拘束の許可を求める」
「必要なら」
「遠坂!」
「貴方は信用がないの!」
玄関の戸が閉まる。
士郎は、熱の残る身体で座っていた。
アトラスが隣にいる。
「拘束するか」
「しなくていい」
「魔術を使う予定は」
「ない」
「なら不要だ」
「最初から分かってるなら訊くなよ」
「確認した」
身体の内側はまだ熱い。
午前の光が、障子を白く染めている。
「アトラス」
「何だ」
「服、きつくないか」
「許容範囲だ」
「それ、親父が買ったんだ」
アトラスが自分の上着を見る。
「そうか」
「……それだけか」
「他に必要な応答があるか」
「ないけど」
士郎は座卓へ額をつけた。
熱い。
疲れた。
眠い。
「寝ろ」
「命令か」
「状態を見た上での提案だ」
「そうか」
目を閉じる。
朝見た海は、もう浮かばなかった。
◇
目を覚ますと、外は夕方だった。
身体の熱は、まだ芯に残っている。
けれど、立てないほどではない。
居間には、アトラスがいた。
借りた子供服のまま、窓の外を見ている。
「何かあったか」
「異常はない」
「ずっと見張ってたのか」
「待機していた」
玄関の方から、大きな音がした。
「士郎! 開けて!」
遠坂の声。
士郎は立ち上がり、玄関へ向かう。
戸を開ける。
遠坂が立っていた。
朝とは違う。
大きな鞄。
旅行用のバッグ。
紙袋。
その後ろでは、アーチャーがさらに二つの荷物を持っている。
「何だ、それ」
「見れば分かるでしょう。荷物よ」
「何の」
「その前に、熱は?」
「だいぶ引いた」
遠坂は士郎の額へ手を当てた。
「まだ少しあるわね」
「平気だ」
「平気かどうかは、わたしが決める」
「俺の身体なんだけど」
「貴方に任せると壊すでしょう」
否定できない。
「一度だけ、回路を起動してみるわよ」
「もう魔術禁止じゃなかったのか」
「わたしが見てる状態で、一度だけ。処置が通ってるか確認するの」
荷物は玄関へ置いたまま、居間へ戻る。
遠坂が士郎の前へ座る。
アーチャーは壁際へ立った。
アトラスも見る。
「昨日までの方法は使わない」
「分かってる」
「身体に何かを通さない。作り替えない。最初からある回路へ手をかけるだけ」
「どうやって」
「午前中に話したでしょう。鍵でも、引き金でもいい。自分で決めるの」
士郎は目を閉じた。
昨日まで、道は焼いて作るものだった。
今は違う。
最初からそこにある。
閉じているだけだ。
なら。
引き金でもない。
鍵でもない。
回路の前に、一つの切り替えがある。
撃鉄のような。
起こす。
それだけでいい。
胸の奥で、何かが噛み合った。
熱が走る。
午前ほど激しくない。
細い線が、身体の中へ灯る。
「入った」
遠坂の声が聞こえる。
「その状態を覚えて」
覚える。
そう思った瞬間、別の像が浮かんだ。
白い剣。
昨夜、アーチャーの手にあったもの。
何もない場所から生まれた夫婦剣。
形は覚えている。
曲線。
刃。
左右へ広がる鍔。
色。
ただ、それだけ。
「士郎?」
遠坂の声が遠い。
空気の中へ、見た輪郭を置く。
外形だけをなぞる。
魔力が抜けた。
手の中に、白いものが現れる。
剣だった。
昨夜見た白い夫婦剣。
形だけは似ている。
けれど、軽い。
軽すぎる。
白い表面の下に、何もない。
「何してるの!」
遠坂の声で目を開けた。
手の中には、白い剣がある。
消えていない。
アーチャーの目が細くなる。
遠坂が剣を覗き込む。
「……今の、投影よね」
「ああ」
「強化を試すんじゃなかったの?」
「分からない。剣が浮かんだから」
「浮かんだからって作らない!」
「でも、できちまった」
「外側だけよ」
遠坂は剣へ手を伸ばしかけ、止めた。
「材質が違う。内部構造もない。魔力的な機能も再現されてない」
アーチャーが一歩近づく。
指先で、刃を軽く弾いた。
鈍い音がした。
剣の形をしている。
けれど、剣の音ではなかった。
「外形だけだ」
アーチャーが言う。
「これを剣と呼ぶには、中身が足りない」
「最初から全部分かるわけないだろ」
「だから、投影を主軸にするなと言っている」
遠坂は白い剣を見たまま、眉を寄せている。
「でも、消えない」
「だから言っただろ。土蔵のも残ってるって」
「普通じゃないのよ、それ」
「失敗作なのに?」
「失敗作かどうかと、世界に残るかどうかは別の問題」
遠坂は息を吐いた。
「それでも、今は強化を優先する。投影はわたしがいる時だけ」
「やるなって言ってたのに」
「状況が変わったの」
「今日それ、二回目だぞ」
「必要なら変えるわよ」
士郎は手の中の剣を見る。
形はある。
中身はない。
朝の命令と同じだった。
止めろ。
近づけるな。
外側だけを言っても、必要なものは伝わらない。
白い剣も同じだ。
輪郭だけを借りた。
それだけだった。
「回路を切って」
遠坂が言う。
「どうやって」
「入れた時と逆。下ろしたものを戻す」
意識する。
身体の中の細い光が消えた。
今度は、背骨を焼かない。
痛みもない。
ただ、道が閉じる。
「できた」
「今日はそこまで」
遠坂は立ち上がる。
「それで」
士郎は玄関を指した。
「あの荷物は何なんだ」
「見れば分かるでしょう」
「だから、何に使うんだよ」
遠坂は当然のように鞄を持ち上げた。
士郎の横を通り過ぎる。
「今日からここを作戦本部にするから」
お読みいただきありがとうございます。
しばらくは毎日7時頃に更新予定です。
後日譚の
『The Reversed Star――逆位置の星――』 https://syosetu.org/novel/417875/
も連載中です、よろしくお願いします。