The Reaching Shore――届かせるもの――   作:ほいみん

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Fate/stay night二次創作長編『The Reaching Shore――届かせるもの――』第6話です。

※独自解釈/女性体オリジナルサーヴァント/ギルガメッシュ×アトラス/本文に文章生成AI補助あり
※掲載イラストは作者による手描きです。

詳しい注意事項・AI使用表記・制作FAQはこちら:
【作品案内URL】
https://docs.google.com/document/d/1J5hZ3qOATZGBYELXd_x-g7suIvv0zHGGJ4TijIUNzlI/edit?usp=sharing

アトラス設定資料はこちら:
【設定資料URL】
https://docs.google.com/document/d/1Gdk-aR_oVREDxgTlwfcmQzWDoM_qF-cY2UsIi8TS6_0/edit?usp=drive_link



第二部 王を知る日々
第6話 家が増えた朝


 一晩経っても、白い剣は消えていなかった。

 

 居間の座卓の脇。

 

 昨夜置いた場所に、そのまま残っている。

 

 朝の光を受けても、白い。

 

 刃の形をしている。

 

 けれど、剣の気配はしなかった。

 

 士郎はそれを持ち上げた。

 

 軽い。

 

 昨日と変わらない。

 

 アーチャーが指で弾いた時の、鈍い音を思い出す。

 

 形だけ。

 

 中身が足りない。

 

 それでも、一晩経っても消えてはいない。

 

 普通ではない。

 

 遠坂は、そう言った。

 

「土蔵に持っていく」

 

 背後にいたアトラスへ告げる。

 

 アトラスは昨日徴用した子供服のまま、白い剣を見た。

 

「廃棄が妥当だ」

 

「失敗作でも、作ったものは捨てにくいんだ」

 

「機能しない」

 

「分かってる」

 

「保管場所を消費する」

 

「それも分かってる」

 

 アトラスの血色の瞳が、剣から士郎へ移る。

 

 昨日なら、非効率だと言ったかもしれない。

 

 けれど。

 

「そうか」

 

 それだけだった。

 

 士郎は白い剣を抱え、庭へ出た。

 

 昨日埋め戻した土は、朝露を吸って色が濃くなっている。

 

 折れた木。

 

 仮止めした土蔵の戸。

 

 ごまかしたところで、壊れていることに変わりはない。

 

 紐を外し、戸を少しだけ開ける。

 

 中は暗かった。

 

 棚。

 

 工具。

 

 部品。

 

 失敗作。

 

 昔投影した、形だけの日用品がいくつか残っている。

 

 寸法の合わない水筒。

 

 内部のない時計。

 

 刃のついていない鉈。

 

 作った時は、もっと本物に近いと思っていた。

 

 今見ると、どれも違う。

 

 見た目だけだ。

 

 士郎は白い剣を、その隣へ立てかけた。

 

 同じ失敗作。

 

 そのはずなのに、同じものには見えなかった。

 

「行くぞ」

 

 土蔵を閉める。

 

 アトラスは白い剣をもう一度見たあと、士郎に続いた。

 

     ◇

 

 洗面所に、見覚えのない瓶が増えていた。

 

 細長い瓶。

 

 小さな容器。

 

 髪をまとめるための黒い輪。

 

 棚の端には、新しい歯ブラシが一本。

 

 別棟の洋室へ荷物を運んだので、母屋にはほとんど何も増えていない。

 

 それでも、誰かが家にいることは分かる。

 

 姿を見なくても分かるものらしい。

 

「何見てるのよ」

 

 鏡越しに、遠坂と目が合った。

 

 髪を梳かしている。

 

「いや。増えたなと思って」

 

「何が?」

 

「物」

 

「これくらい必要でしょう」

 

「遠坂の部屋に置けばいいんじゃないか」

 

「朝晩使うものを、いちいち別棟まで取りに戻れっていうの?」

 

「そういうものなのか」

 

「そういうものよ」

 

 遠坂は髪をまとめ、振り返った。

 

「それより、朝食は?」

 

「今作ってる」

 

「そう」

 

 当然のように返される。

 

「遠坂。昨日、朝食は食べない主義って言ってなかったか?」

 

「基本的にはね」

 

「基本的には?」

 

「でも、せっかく用意されてるなら、無駄にすることもないでしょう」

 

「もう遠坂の分まで数に入れて作ってるんだけど」

 

「なら、なおさら食べるべきね」

 

 遠坂は胸を張った。

 

「兵站の浪費は避けないと」

 

「朝飯を兵站にするな」

 

「兵站の重要性には同意する」

 

 廊下の向こうからアトラスが言った。

 

「アトラスまで乗るな」

 

「戦闘継続に必要な資源管理だ」

 

「味噌汁にそこまで背負わせるな」

 

 台所へ戻る。

 

 昨日より米を多く炊いた。

 

 味噌汁も増やした。

 

 長ねぎはもうないので、今日も玉ねぎだ。

 

 卵を溶いていると、遠坂が台所の入り口から顔を出した。

 

「藤村先生たちが来る前に、説明を確認しておくわよ」

 

「説明?」

 

「わたしがここにいる理由と、ランサーのこと」

 

 アトラスが来る。

 

「虚偽を用いるのか」

 

「必要最低限ね」

 

「虚偽は裁定を歪める」

 

「だから、貴方は余計なことを言わないで」

 

「黙秘で対応する」

 

「そうしてちょうだい」

 

 遠坂は指を一本立てた。

 

「わたしは、遠坂邸が急な改装工事に入ったから、しばらく衛宮邸の別棟を借りる」

 

「昨日も聞いた」

 

「聞いただけでしょう。ちゃんと合わせて」

 

「分かった」

 

「ランサーは、わたしのところで預かっていた外国の親戚」

 

「親戚ではない」

 

「だから黙秘」

 

「黙秘で対応する」

 

「二回言わなくていいわよ」

 

「記録した」

 

「それから」

 

 遠坂が士郎を見る。

 

「訊かれたことだけ答える。余計な説明を足さない。聖杯戦争、マスター、サーヴァント、令呪、全部禁止」

 

「俺だってそこまで馬鹿じゃない」

 

「昨日、真名を教会で普通に喋った人が何か言った?」

 

「あれはアトラスが勝手に」

 

「必要性は(おれ)が裁定した」

 

「今は黙ってろ!」

 

 玄関の戸が開く音がした。

 

「先輩、おはようございます。遅くなってすみません」

 

「おはよう、桜」

 

 桜が靴を揃え、廊下へ上がる。

 

 士郎を見る。

 

 遠坂を見る。

 

 最後に、子供服姿のアトラスを見る。

 

 ほんの少しだけ、動きが止まった。

 

「遠坂先輩も、いらしてたんですね」

 

「ええ。少し事情があってね」

 

 遠坂が笑う。

 

 桜も笑った。

 

「そうですか」

 

 言葉はそれだけだった。

 

 けれど、桜の視線は一度、別棟へ続く廊下へ向いた。

 

 そこへ、玄関が勢いよく開いた。

 

「しろーう! 朝ごはんー!」

 

 藤ねえの声。

 

 桜の後ろから、藤村大河がいつものように上がってくる。

 

 まず士郎を見る。

 

 次に遠坂を見る。

 

 止まった。

 

「遠坂さん?」

 

「おはようございます、藤村先生」

 

「どうして遠坂さんが士郎の家にいるの?」

 

「少し事情がありまして」

 

 藤ねえの視線が動く。

 

 洗面所。

 

 遠坂の髪。

 

 別棟へ続く廊下。

 

 そして。

 

 アトラスを見る。

 

 完全に止まった。

 

「……誰、この子!?」

 

 アトラスは返事をしない。

 

 黙秘で対応している。

 

「士郎!」

 

「俺に聞くなよ」

 

「ここは士郎の家でしょう!」

 

「遠坂の親戚だって」

 

「外国の?」

 

「そう」

 

「どうして士郎の服を着てるの?」

 

 そこまで分かるのか。

 

「昔の服を貸したんだ」

 

「名前は?」

 

 藤ねえがアトラスへ近づく。

 

 遠坂が止めるより早い。

 

「アトラスだ」

 

「アトラスくん! 髪、すごくきれいねえ。染めてるの?」

 

 藤ねえの手が伸びる。

 

 淡い水青の髪へ触れようとする。

 

 その手首を、アトラスが静かに止めた。

 

「不快だ」

 

「ご、ごめんなさい」

 

 藤ねえが素直に手を引いた。

 

 珍しい。

 

 声を荒らげたわけではない。

 

 力を込めたわけでもない。

 

 ただ、不快だと言った。

 

 それだけで、入ってはいけない場所が分かる。

 

「藤ねえ。いきなり触る方が悪い」

 

「だって、こんなにきれいなんだもの」

 

「理由になってないだろ」

 

「でも、男の子でこんなに長い髪って珍しいじゃない」

 

 アトラスは何も言わない。

 

 黙秘は継続中らしい。

 

 桜が小さく頭を下げた。

 

「初めまして、アトラスくん。間桐桜です」

 

「アトラスだ」

 

「はい」

 

 桜は笑った。

 

 藤ねえのように距離を詰めない。

 

 アトラスも拒絶しなかった。

 

「それで」

 

 藤ねえが遠坂へ向き直る。

 

「遠坂さんがここにいる理由を、詳しく聞かせてもらえる?」

 

「自宅が急に改装工事へ入ることになったんです」

 

 遠坂の声が、一瞬で優等生のものになる。

 

「ホテルへ移る予定だったんですが、衛宮くんが別棟を使っていいと言ってくれて」

 

「士郎が?」

 

「そういうことになった」

 

「なったって何よ!」

 

 藤ねえの声が家中へ響いた。

 

「女の子を泊めるなら、先に私へ相談しなさい!」

 

「何で藤ねえに」

 

「私は士郎の保護者です!」

 

「保護者を名乗るなら、勝手に毎朝飯を食いに来るなよ」

 

「それとこれとは別!」

 

「何が別なんだ」

 

「それで、部屋は?」

 

 話を聞いていない。

 

「別棟の洋室です」

 

 遠坂が答える。

 

「あそこなら母屋と離れていますし、部屋には鍵もあります」

 

「鍵?」

 

「内側からも外側からもかけられます」

 

 藤ねえは考えた。

 

 遠坂を見る。

 

 士郎を見る。

 

 別棟を見る。

 

「……まあ、それなら」

 

「納得するのかよ」

 

「でも士郎!」

 

「今度は何だ」

 

「絶対に夜中に別棟へ行っちゃ駄目だからね!」

 

「行かない!」

 

「本当に?」

 

「何で俺が疑われるんだ!」

 

「貴方が信用ならない回数だけよ」

 

 遠坂が横から言う。

 

「遠坂まで乗るな!」

 

「士郎は信用できる子だもん! お姉ちゃんの自慢の子なんだから!」

 

「疑うか信じるか、どっちかにしてくれよ……」

 

 桜は黙っている。

 

 笑っている。

 

 いつもの穏やかな顔。

 

 けれど、遠坂の荷物が置かれた別棟へ、一度だけ視線を向けた。

 

「先輩」

 

「何だ?」

 

「朝食、お手伝いします」

 

「いいのか」

 

「はい。人数が増えましたから」

 

 その言葉だけが、少し静かだった。

 

     ◇

 

 食卓には、五人が座った。

 

 士郎。

 

 藤ねえ。

 

 桜。

 

 遠坂。

 

 アトラス。

 

 昨日までは二人だった。

 

 一晩で倍以上になった。

 

 藤ねえと桜は、元からこの家へ来ていた。

 

 遠坂とアトラスが加わっただけだ。

 

 それだけなのに、食卓の形まで変わって見える。

 

 アトラスは、言われる前から膳の前へ座っていた。

 

 昨日は、士郎が促してから箸を取った。

 

「今日は食べるのか」

 

「食卓は結節点だと記録した」

 

「結節点?」

 

「この場へ集う者の関係を維持する機能がある」

 

 藤ねえが目を輝かせた。

 

「偉い! ちゃんと分かってるじゃない!」

 

「難しく考えすぎだろ」

 

「でも食べるんでしょう?」

 

「然り」

 

「じゃあいっぱい食べなさい。小さいんだから!」

 

 藤ねえが、アトラスの茶碗へ白飯を追加しようとする。

 

 アトラスが手で制した。

 

「体格と摂取量に直接の因果はない」

 

「だって、育ち盛りじゃないの」

 

「藤ねえ、勝手に増やすな」

 

「何歳なの?」

 

 全員が止まった。

 

 アトラスは藤ねえを見る。

 

「回答の必要性を認めない」

 

「何で!?」

 

「藤村先生」

 

 遠坂が味噌汁へ口をつけながら言った。

 

「海外では年齢をしつこく訊くのは失礼なこともありますから」

 

「そうなの?」

 

「そういうことにしておけ」

 

「む~~~~、士郎が言うと怪しい」

 

 桜が卵焼きを取り分ける。

 

「アトラスくん、これもどうぞ」

 

「既に足りている」

 

「少しだけですから」

 

 桜は押しつけない。

 

 小皿へ一切れ置く。

 

 アトラスはそれを見た。

 

 断らなかった。

 

「桜ちゃんの卵焼きは美味しいわよー」

 

 藤ねえが言う。

 

「今日作ったのは俺だけど」

 

「大丈夫! 士郎のもちゃ~んと美味しいんだから!」

 

「はいはい、後付けはいいから冷める前に食ってくれよ」

 

「摂取に支障はない」

 

「アトラス。それは昨日も聞いた」

 

「評価は変わっていない」

 

「もう少し別の言い方を覚えろ」

 

「記録した」

 

 藤ねえが笑う。

 

 桜も小さく笑った。

 

 遠坂は呆れた顔をしながら、味噌汁を飲んでいる。

 

 朝食は食べない主義。

 

 そう言っていた本人の茶碗は、既に半分空いていた。

 

 家が増えた。

 

 人数ではない。

 

 音が。

 

 言葉が。

 

 食卓へ向かう視線が増えた。

 

 それを家と呼ぶのかは、まだ分からない。

 

 けれど。

 

 昨日より静かではなかった。

 

     ◇

 

 いつもの登校風景に、二人増えていた。

 

 一人は遠坂。

 

 もう一人は、士郎の子供服を徴用した外国人のサーヴァントだ。

 

 藤ねえと桜は先に学校へ向かった。

 

 遠坂は士郎の隣を歩く。

 

 アトラスは半歩後ろ。

 

 男児服。

 

 淡い水青の長い髪。

 

 どう考えても目立つ。

 

 実際、すれ違う人間は一度振り返る。

 

「だから、連れてくるのは反対だったんだ」

 

「敵性領域への単独進入を認可する理由がない」

 

「単独じゃない。遠坂とアーチャーもいる」

 

「別陣営だ」

 

「昨日、共同戦線を結んだだろ」

 

「共同戦線と、マスター防護の委任は同義ではない」

 

「心配性ね」

 

 遠坂が言った。

 

「妥当な警戒だ」

 

「まあ、学校にマスターがいるのは確実だものね」

 

 昨日のうちに、遠坂から聞かされていた。

 

 学校には、人間の生命力を吸い上げる結界が敷かれている。

 

 まだ完成はしていない。

 

 けれど、誰かが意図して作っている。

 

 つまり。

 

 学校には、敵のマスターがいる。

 

 それを聞いたアトラスが、士郎を一人で登校させるはずがなかった。

 

「校内には入るなよ」

 

「理由を求める」

 

「目立つ」

 

「既に目立っている」

 

「だから増やすなって言ってるんだ」

 

「校舎外周と退避経路を確認する」

 

「それなら」

 

「必要時は呼べ」

 

「分かってる」

 

「異常を認識した時点で呼べ」

 

「分かってるって」

 

「負傷後では遅い」

 

 言い返そうとして、やめた。

 

 アトラスが言うと、妙に重い。

 

「なるべく一人にならないことね」

 

 遠坂も言った。

 

「遠坂まで」

 

「貴方、昨日まで魔術回路を毎晩作ってた人でしょう」

 

「もうやらない」

 

「投影も勝手にした」

 

「あれは勝手にできちまったんだ」

 

「さらに悪いわよ」

 

 校門が見えてくる。

 

 いつもの学校。

 

 同じ建物。

 

 同じ制服。

 

 同じ朝。

 

 その中に、目に見えない何かが敷かれている。

 

 知らなかった時には、ただの日常だった。

 

 知ったあとでは、門の向こうが敵地に見えた。

 

     ◇

 

 言われてみれば、どうして今まで気づかなかったのかと思う。

 

 校内の空気は、異常だった。

 

 甘い。

 

 それなのに、毒々しい。

 

 息を吸うほど、胸の奥へ薄い膜が張りつくような息苦しさがある。

 

 生徒たちは、いつもどおりだ。

 

 笑っている。

 

 教室へ向かう。

 

 教師に挨拶をする。

 

 誰も、空気の変化を気にしていない。

 

 士郎も昨日までは同じだった。

 

「完成してないからよ」

 

 人気のない階段の踊り場。

 

 遠坂が壁を指でなぞる。

 

「今はまだ、ゆっくり薄く吸ってるだけ。普通の人間なら、少し疲れるとか、寝不足みたいに感じる程度ね」

 

「これが完成したら?」

 

「校内にいる人間を、一気に溶かす」

 

 あっさりと言われた。

 

 冗談には聞こえない。

 

「止められるのか」

 

「止める。そのために調べるの」

 

 遠坂は壁際の小さな染みを示した。

 

 一見すれば、汚れにしか見えない。

 

 けれど、目を凝らすと細い線が集まっている。

 

 文字。

 

 記号。

 

 どちらとも違う。

 

「呪刻。結界を固定する杭みたいなものよ」

 

「これを壊せばいいのか?」

 

「壊さないで。下手に触ったら、術者へこっちの位置が伝わるかもしれないでしょう」

 

 遠坂は指先へ魔力を集めた。

 

 赤い光が、ごく薄く呪刻へ触れる。

 

 染みの一部が沈んだ。

 

 消えたわけではない。

 

 眠ったように見える。

 

「わたしが呪刻の機能を少しずつ潰して、完成を遅らせる」

 

「全部やれば止まるのか」

 

「中核が分からない。数も多い。雑に触れば、向こうが予定を早めるかもしれない」

 

「じゃあ、見つけたら遠坂を呼ぶ」

 

「そうして。勝手に触らない」

 

「分かってる」

 

「本当に?」

 

「何で昨日から全員それを訊くんだ」

 

「信用の問題ね」

 

 遠坂と別れる。

 

 士郎は校舎の反対側へ向かった。

 

 廊下。

 

 階段。

 

 使われていない教室。

 

 壁際の染み。

 

 床の傷。

 

 何でも呪刻に見えてくる。

 

 それでも、意識して探せば、普通の汚れとは違うものが分かった。

 

 甘い空気が、濃くなる場所。

 

 息苦しさが、一段深くなる場所。

 

 その中心に、細い線がある。

 

 旧校舎へ続く渡り廊下で、三つ目を見つけた。

 

 遠坂を呼びに戻ろうとした時だった。

 

「衛宮」

 

 聞き慣れた声。

 

 慎二が立っていた。

 

「何してるんだよ、こんなところで」

 

「別に。校内を歩いてただけだ」

 

「へえ」

 

 慎二は笑っている。

 

 笑っているのに、声の端が尖っていた。

 

「今朝、遠坂と一緒に来たんだって?」

 

「もう知ってるのか」

 

「噂になってるぞ。おまえと遠坂が仲良く登校してきたって」

 

「同じ方向から来ただけだ。今まで時間が被らなかった方が偶然なんだろ」

 

「ふうん」

 

 納得していない声。

 

「それに、変な外国人のガキも一緒だったって聞いたけど」

 

「遠坂の親戚だってさ」

 

「遠坂の?」

 

「ああ」

 

「何でおまえの家の方から来るんだよ」

 

 一拍。

 

 危ない。

 

 同居は言わない方がいい。

 

 理由は分からない。

 

 けれど、今の慎二に聞かせるべきではない気がした。

 

「町を案内してただけだ。学校まで一緒だったのは偶然だろ」

 

「衛宮が?」

 

「何だよ」

 

「いや。ずいぶん親切だなと思ってさ」

 

 慎二は笑った。

 

「遠坂にも。知らないガキにも」

 

「困ってるなら手を貸すだろ」

 

「相変わらずだな、衛宮は」

 

 言葉は友人のものだ。

 

 けれど。

 

 訊き方が妙だった。

 

 好奇心というより、何かを確認しているように聞こえる。

 

「慎二」

 

「何だよ」

 

「最近、学校で変なことなかったか」

 

 慎二の目が止まった。

 

 ほんの一瞬。

 

「変なこと?」

 

「疲れてる奴が多いとか、空気が重いとか」

 

「気のせいだろ。期末も近いし、みんな疲れてるんじゃないか?」

 

「そうか」

 

「変なこと言うなよな」

 

 慎二は士郎の肩を軽く叩いた。

 

「じゃあな」

 

 去っていく。

 

 足音が遠ざかる。

 

 渡り廊下に一人残る。

 

 甘い。

 

 毒々しい。

 

 さっきより、息苦しい。

 

 士郎は壁の呪刻を見た。

 

 慎二が立っていた場所のすぐそばだった。

 

     ◇

 

 昼休み。

 

 士郎は一人で校舎裏へ向かった。

 

 午前中に見つけた呪刻は、遠坂が処理した。

 

 その際、校舎の裏手にも流れが続いていると分かった。

 

 遠坂とアーチャーは別の棟を調べている。

 

 アトラスは外周の経路を確認中。

 

 異常を認識した時点で呼べ。

 

 言われた言葉が頭にある。

 

 校舎の角を曲がる。

 

 人気はない。

 

 冬の空気。

 

 古い壁。

 

 積まれた清掃道具。

 

 壁際に、黒い染みがあった。

 

 今までの呪刻とは違う。

 

 線がない。

 

 ただ、黒い。

 

「これも……?」

 

 近づく。

 

 染みが動いた。

 

 壁から剥がれる。

 

 地面へ落ちる。

 

 影が、立ち上がった。

 

 人の形ではない。

 

 獣でもない。

 

 薄い黒が、刃の形だけを持っている。

 

 士郎は左手を上げた。

 

「アトラス」

 

 呼ぼうとした。

 

 校舎の向こうから、生徒の声が聞こえた。

 

 笑い声。

 

 二人。

 

 こちらへ近づいてくる。

 

 影が動く。

 

 声の方へ。

 

「待て!」

 

 士郎は影の前へ出た。

 

 黒い刃が振るわれる。

 

 身を引く。

 

 制服の胸元を掠めた。

 

 影は追ってくる。

 

 士郎は校舎裏の奥へ走った。

 

 生徒から遠ざける。

 

 人目のない場所へ引く。

 

 影もついてくる。

 

 狙いは自分だ。

 

 なら、それでいい。

 

「アトラス!」

 

 今度こそ呼ぶ。

 

 契約の向こうで、何かが動く。

 

 来る。

 

 けれど、遠い。

 

 黒い刃が横へ薙がれる。

 

 掃除用具の柄を掴む。

 

 魔術回路。

 

 昨日作った切り替え。

 

 撃鉄を起こす。

 

 細い熱が灯る。

 

「同調、開始――」

 

 柄へ魔力を通す。

 

 強化。

 

 間に合わない。

 

 刃が木を切る。

 

 抵抗もなく。

 

 折れた柄が落ちる。

 

 次の刃。

 

 左腕を上げた。

 

 制服の袖が裂ける。

 

 熱。

 

 遅れて痛み。

 

 血が流れた。

 

「っ……!」

 

 影が沈む。

 

 地面へ溶ける。

 

 別の場所から立ち上がる。

 

 一つではない。

 

 二つ。

 

 三つ。

 

 薄い刃が、士郎を囲む。

 

 紺碧の壁は、まだ来ない。

 

 赤い男もいない。

 

 黒い刃が落ちる。

 

 その間へ、風が入った。

 

 銀の鎧。

 

 金の髪。

 

 見えない剣。

 

 一閃。

 

 影が裂ける。

 

 黒い形が、音もなく消えた。

 

 残る二つが動く。

 

 セイバーは踏み込む。

 

 風が走る。

 

 一つ。

 

 二つ。

 

 影は斬られた場所から崩れ、壁へ戻ることもなく消えた。

 

「下がってください」

 

 同じ声。

 

 昨夜と同じ言葉。

 

「また、あんたか」

 

 セイバーが振り返る。

 

 緑の瞳。

 

 昨日より近い。

 

 傷ついた左腕が熱を持った。

 

 血の熱ではない。

 

 昨日、回路へ通った熱とも違う。

 

 もっと深い。

 

 身体の中心。

 

 そこに埋まっていた何かが、剣の気配へ応えるように開いていく。

 

 痛みが薄れる。

 

 血が止まる。

 

「待ってくれ」

 

 士郎はセイバーを見る。

 

「あんたは、誰なんだ」

 

 答えはない。

 

「どうして俺を助ける」

 

 セイバーの目が揺れた。

 

 何かを言おうとした。

 

 けれど、言わない。

 

 遠くで紺碧の光が走る。

 

 アトラスが来る。

 

 セイバーも気づいた。

 

「傷を押さえてください」

 

「待て!」

 

 風が巻く。

 

 銀の姿が跳ぶ。

 

 校舎の向こうへ消える。

 

 離れた瞬間、腕の奥にあった熱も遠のいた。

 

 それでも。

 

 傷は、もうさっきほど痛くなかった。

 

「マスター」

 

 アトラスが校舎の角を曲がる。

 

 子供服のまま。

 

 淡い水青の髪が揺れている。

 

 その後ろから、遠坂とアーチャーも来る。

 

 アトラスは士郎の前へ立った。

 

 周囲を確認する。

 

 黒い影は、もうない。

 

「敵性反応は」

 

「消えた。セイバーが斬った」

 

「また?」

 

 遠坂が士郎の腕を見る。

 

「切られたの?」

 

「ああ」

 

「見せて」

 

 袖を上げられる。

 

 裂けた布。

 

 血。

 

 傷。

 

 確かに切られた。

 

 そのはずなのに。

 

「……浅い」

 

 遠坂が言った。

 

「もっと深かったと思うんだけど」

 

「思う、じゃなくて見たんでしょう」

 

「血が出てたからな」

 

「出血量と合わない」

 

 遠坂の指が傷の周囲へ触れる。

 

 皮膚は裂けている。

 

 けれど、縁がもう閉じ始めている。

 

「ランサー、治した?」

 

「他者への治癒に覚えはない」

 

「昨日の処置の影響?」

 

「断定材料がない」

 

 遠坂は傷を見る。

 

 次に、セイバーが消えた方向を見る。

 

「あのセイバーが来たのは?」

 

「切られた直後だ」

 

「近くにいた?」

 

「ああ」

 

「どれくらい」

 

「すぐ目の前に」

 

 遠坂は黙った。

 

「遠坂?」

 

「……そう」

 

 何に対する返事なのか分からない。

 

 遠坂は鞄からハンカチと包帯を取り出した。

 

「今はこれで押さえる。あとでちゃんと消毒するから」

 

「もう血は止まってる」

 

「だから変なのよ」

 

 包帯が巻かれる。

 

 昨日は傷だと思ったものが、ただの汚れだった。

 

 今日は違う。

 

 傷だった。

 

 血も出た。

 

 それなのに、傷の方が先に消えようとしている。

 

「マスター」

 

 アトラスが言った。

 

「異常を認識した時点で呼べと伝えた」

 

「呼んだ」

 

「負傷後だ」

 

「人が近くにいたんだ。影を引き離してから」

 

「その判断により、汝が負傷した」

 

「でも、他の奴は無事だった」

 

「結果による正当化は認めぬ」

 

「間に合っただろ」

 

「間に合ったのは、己ではない」

 

 冷たい声。

 

 怒っているわけではない。

 

 けれど、平坦でもなかった。

 

「……悪かった」

 

「次からは先に呼べ」

 

「ああ」

 

「記録ではなく、実行を求める」

 

「分かってる」

 

 アトラスは士郎の包帯を見た。

 

 それ以上は言わなかった。

 

     ◇

 

 夕方。

 

 衛宮邸の居間。

 

 遠坂が見つけた呪刻を紙へ書き込んでいる。

 

 校舎。

 

 体育館。

 

 中庭。

 

 旧校舎。

 

 いくつもの印。

 

「全部でいくつあるんだ」

 

「分からない。今日見つけた分だけでも十を超えてる」

 

「処理できたのは?」

 

「四つ。完全には消してない」

 

「時間を稼いだだけか」

 

「それでいいの。今はね」

 

 遠坂は校舎裏へ印をつけた。

 

「監視用の影まで配置されてる。向こうが調査に気づいた可能性がある」

 

「慎二が近くにいた」

 

 遠坂の手が止まる。

 

「慎二?」

 

「呪刻を探してた時に声をかけられた。今朝、遠坂と登校したことと、アトラスのことを訊かれた」

 

「何て答えたの」

 

「同じ方向だっただけだって。アトラスは遠坂の親戚だって言った」

 

 遠坂は紙を見た。

 

「慎二が術者だと思う?」

 

「分からない。でも、訊き方が妙だった」

 

「明日、様子を見ましょう」

 

 士郎は包帯へ触れた。

 

 痛みはほとんどない。

 

 巻いた時より、さらに薄れている。

 

「傷、見せて」

 

 遠坂が言った。

 

「さっき見ただろ」

 

「時間経過を確認するの」

 

 包帯を外す。

 

 赤い線。

 

 それだけだった。

 

 傷口は、ほとんど閉じている。

 

 遠坂の眉が寄る。

 

「早すぎる」

 

「そうなのか」

 

「普通なら、まだ血が滲んでてもおかしくない」

 

「遠坂の宝石が効いたんじゃないか」

 

「あれは回路の処置。治癒用じゃない」

 

「じゃあ、セイバーが?」

 

「分からない」

 

 遠坂は短く答えた。

 

「相手の能力も、目的も、所属も分からない。助けられたからって、味方だと思わないこと」

 

「分かってる」

 

 二度目だった。

 

 名前も知らないセイバーに、また命を拾われた。

 

 なぜ助けるのか。

 

 訊いても答えない。

 

 敵なのか。

 

 味方なのか。

 

 それすら分からない。

 

 けれど、あの緑の目は。

 

 何かを言おうとしていた。

 

 それだけが残った。

 

     ◇

 

 翌朝。

 

 左腕の傷は、赤い痕を残すだけになっていた。

 

 遠坂は何も言わなかった。

 

 アトラスは昨日より近い位置を歩いた。

 

 学校へ着く。

 

 昨日と同じ空気。

 

 甘い。

 

 毒々しい。

 

 息苦しい。

 

 それでも、生徒たちはいつもどおりに笑っている。

 

 教室へ入ると、慎二が自分の席からこちらを見ていた。

 

 目が合う。

 

 すぐに笑う。

 

 昼休み。

 

 廊下で呼び止められた。

 

「衛宮」

 

「何だ」

 

「昨日は変なこと訊いて悪かったな」

 

「別に」

 

「ちょっと気になっただけなんだよ。遠坂とおまえが急に仲良くなったみたいだからさ」

 

「そういうんじゃない」

 

「分かってるって」

 

 慎二は笑った。

 

 昨日より機嫌がいい。

 

 その分だけ、作った顔に見えた。

 

「なあ、衛宮」

 

 声を落とす。

 

「おまえ、最近何か隠してるだろ」

 

「慎二こそ」

 

「僕?」

 

「何か知ってるんじゃないのか」

 

 笑みが止まる。

 

 ほんの一瞬。

 

 すぐに戻った。

 

「いいよ」

 

「何が」

 

「話してやるよ」

 

 慎二は士郎の肩へ手を置いた。

 

「放課後、うちへ来いよ。話がある」

 




お読みいただきありがとうございます。
しばらくは毎日7時頃に更新予定です。

後日譚の
『The Reversed Star――逆位置の星――』 https://syosetu.org/novel/417875/
も連載中です、よろしくお願いします。
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