The Reaching Shore――届かせるもの―― 作:ほいみん
※独自解釈/女性体オリジナルサーヴァント/ギルガメッシュ×アトラス/本文に文章生成AI補助あり
※掲載イラストは作者による手描きです。
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朝。
「休むのは今日までだからね!」
藤ねえは、玄関で念を押した。
「いや。しばらく学校には行かない」
「士郎!?」
「どうしても、やりたいことができたんだ」
「何よ、それ」
「今は言えない」
「言えないことを理由に学校を休んじゃ駄目でしょう!」
「でも、行けない」
何度訊かれても、答えは変えなかった。
学校へ行きたくないわけではない。
むしろ、行かなければならないと思っている。
あそこには、慎二がいる。
結界がある。
何も知らない生徒たちがいる。
だからこそ。
今の士郎が学校へ行っても、守る側にはなれない。
遠坂やアーチャーやアトラスに守られながら、危険を増やすだけだ。
「傷が治ったら行くって、昨日は言ったでしょう?」
「傷だけの問題じゃないんだ」
「じゃあ、何の問題なのよ!」
「それも、今は言えない」
藤ねえは頬を膨らませた。
怒っている。
心配もしている。
それが分かるから、余計に言いづらかった。
「……後で、ちゃんと説明する」
「後っていつよ」
「全部終わったら」
「何が終わるのよ」
「それも言えない」
「士郎!」
同じ場所へ戻った。
結局。
何を訊かれても士郎が答えを変えないため、最後には藤ねえの方が折れた。
「絶対に、無茶しないこと」
「ああ」
「遠坂さんとアトラスくんの言うことを聞くこと」
「それは内容による」
「聞きなさい!」
「ああ」
「あと、ちゃんと御飯を食べること!」
「それは守る」
「そこだけ素直なのも腹が立つ!」
藤ねえは靴を履き、扉へ手をかけた。
「帰ったら、もう一回話すからね」
「分かった」
「行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
扉が閉まる。
静かになった玄関で、息を吐いた。
「押し切ったわね」
背後から遠坂の声がした。
「押し切ったわけじゃないぞ」
「何を訊かれても答えなかったんでしょう。十分押し切ってるわよ」
「嘘は言ってないだろ」
「そういうところは妙に律儀なのよね」
遠坂は腕を組み、士郎を見る。
「昨夜の復習は?」
「できてる」
「本当に?」
「ああ」
昨夜。
夕食の後、遠坂から魔術の講義を受けた。
まず確認されたのは、魔術回路の扱いだった。
開く。
閉じる。
使う時だけ、通す。
終われば止める。
遠坂にとっては初歩以前のことらしい。
士郎にとっては、誰にも教わったことのない操作だった。
今まで士郎は、魔術を使うたびに、身体の内側へ別の回路を作るような真似をしていた。
それがどれほど危険か。
遠坂は呆れ、怒り、最後には頭を抱えた。
何度も開閉させられた。
身体の一部を意識しすぎず。
けれど曖昧にもせず。
通す時と、止める時を分ける。
その後、遠坂の魔術についても少しだけ教わった。
魔力を宝石へ蓄え、必要な時に引き出す。
その場で無理に力を生み出すのではない。
時間をかけて、前もって用意する。
準備した分だけ、使える。
用意していないものは、必要になってからでは間に合わない。
それは、アトラスの言う条件を揃えることにも似ていた。
「開いて」
「ああ」
意識を切り替える。
身体の内側に、熱が通る。
「閉じて」
止める。
遠坂は士郎の肩へ指を触れた。
わずかな魔力の流れを確認しているらしい。
「昨日よりはましね」
「まし、なのか」
「最低限よ。喜ばないこと」
「喜んでない」
「ならいいわ」
遠坂が時計を見る。
「わたしは学校へ行く。アーチャーも昨日に続いて周囲を調べるわ」
「結界は?」
「今のところ、急激な変化はない。でも、止まってもいない」
「慎二は?」
「登校するか確認する」
「俺も――」
「行かないって決めたばかりでしょう」
「分かってる」
言葉を飲み込む。
「夜は柳洞寺へ行くわ」
「今日か」
「昨日、学校の方は調べた。今夜は柳洞寺を見る」
「同じ日に両方見るのか」
「学校は日中。柳洞寺は夜。競合しないでしょう」
遠坂は鞄を持ち上げる。
「それに、市内からあそこへ流れている魔力は、待ってくれないもの」
「吸い上げられてるって……」
教会で聞いた、魂食いの話が頭をよぎる。
サーヴァントは、人間の魂を魔力へ変えられる。
あの山へ集められているものも、同じ類なのか。
「その可能性が高い。放っておくほど、向こうの陣地が強くなる」
「攻めるのか」
「偵察よ」
遠坂の声が低くなる。
「敵の数。結界の範囲。退路。何がいるかを見る。戦えるからって、そのまま勝ち切ろうとしないこと」
「俺に言ってるのか」
「主に士郎へ言ってる」
「分かった」
「本当に?」
「ああ」
遠坂はまだ疑っている顔だった。
「昼の間は、ランサーと訓練しなさい」
「訓練?」
「本人の提案よ」
居間を見る。
アトラスは既に立っていた。
「道場を借りる」
「何をするんだ」
「汝の生存率を上げる」
血色の瞳が、真っ直ぐ士郎を見る。
「夜までに、可能な範囲で」
◇
道場。
竹刀を二本、床へ置く。
士郎はその一本を拾った。
「剣を教えるのか?」
「違う」
アトラスも竹刀を取る。
構えは、剣士のものには見えなかった。
槍を持つ時とも違う。
必要最低限に、握っているだけだ。
「汝に対人戦闘の経験が皆無とは見なさぬ」
「じいさんとは、殴り合いみたいな訓練もしたからな」
「確認している」
「知ってるのか」
「身体の反応を見れば分かる」
アトラスは竹刀の先を下げた。
「不足しているのは、生命を奪う意図と魔術が介在する状況下での判断経験だ」
「判断経験」
「どのような状況でも、観測と選択を停止しないための訓練を行う」
「剣の稽古じゃないのか」
「違うと言った」
次の瞬間。
竹刀が肩へ落ちた。
「痛っ!」
「回避が遅い」
「始めるなら言え!」
「敵対者が開始を宣告する保証はない」
「それはそうだけど!」
今度は脇腹。
受ける。
竹刀同士がぶつかった。
「正面の攻撃へ意識を固定するな」
「言われても――」
足を払われる。
床へ手をついた。
「っ!」
「立て」
「容赦ないな」
「必要がない」
「少しくらいあるだろ」
「訓練の目的に反する」
立ち上がる。
アトラスが竹刀を構え直した。
「選択肢を口にしろ」
「何だって?」
「攻撃を受けた際、何を選ぶ」
「避ける。受ける。反撃する」
「不足」
「退く。伏せる」
「不足」
「アトラスを呼ぶ」
「継続しろ」
「遠坂かアーチャーへ知らせる。周囲に人がいれば、逃がす」
「その順序は」
「状況による」
「正しい」
竹刀が来る。
今度は受けず、横へ退いた。
「視野を保て」
「保ってる!」
「左」
反応する前に、肩を打たれた。
「今のは右から来ただろ!」
「左側の退路を確認していない」
「攻撃の話じゃないのか!」
「状況の話だ」
また打たれる。
竹刀の速度は、サーヴァントが本気で動く速さではない。
それでも士郎より速い。
間隔も一定ではない。
一度退けば、次は踏み込まれる。
受ければ、足元を崩される。
竹刀だけを見れば、別の方向から肩を押される。
切嗣との訓練とは違う。
殴り合うためではない。
勝つためでもない。
その場で何が起きているかを見続けるための訓練だった。
「剣は素人なんじゃなかったのか!」
「剣士ではない」
「同じだろ!」
「異なる」
竹刀が手首へ触れる。
士郎の竹刀が床へ落ちた。
「汝を打つために、高度な剣技は不要だ」
「腹立つな、その言い方」
「事実だ」
拾う。
構える。
「続けるぞ」
「当然だ」
昼を過ぎる頃には、腕も脚も重くなっていた。
何度打たれたか分からない。
けれど、最初よりは周囲を見る余裕がある。
攻撃だけではない。
距離。
壁。
入口。
逃げる方向。
呼ぶ相手。
選ぶべきことは、一つではない。
「終了する」
アトラスが竹刀を下ろした。
「もういいのか」
「身体的疲労が判断を阻害する段階へ入った」
「まだ動ける」
「動けるかではない」
竹刀を置く。
「夜に必要なのは、疲労した身体ではなく、判断能力だ」
「……分かった」
士郎も竹刀を置いた。
腕が震えている。
けれど、嫌な疲れではなかった。
「俺、少しはましになったか」
「評価には実戦下の観測が必要だ」
「褒めないな」
「褒める必要を認めない」
「そうかよ」
道場を出る。
背後から、アトラスの声がした。
「ただし」
振り返る。
「初回より選択の停止は減少した」
「それ、褒めてるのか?」
「観測結果だ」
それで十分だと思うことにした。
◇
夕方。
休息を取り、食事を済ませた。
遠坂が帰ってきたのは、日が落ちる少し前だった。
「慎二は学校へ来た」
「何かしたのか」
「表向きは何も。結界も急激には進んでいない」
「止めたわけじゃないんだな」
「ええ。わたしたちが気づいていることも、同盟を組んだことも知ってる。その上で術式は残してる」
「使う気はあるってことか」
「少なくとも、捨てる気はないわね」
遠坂は上着を脱ぎ、椅子へ掛ける。
「柳洞寺は予定通り行く」
「アーチャーは?」
「先に周辺を見てる」
「今夜は遠坂も行くのか」
「今夜はわたしも行くわよ。ただし、前へ出るのはランサー」
アトラスは反応しない。
「敵の手札を見る。こっちの手札は、最初から全部見せない」
「分かってる」
「なら準備して」
◇
柳洞寺へ向かう途中。
商店街の近くを通った。
公園が見える。
昨日、イリヤとどら焼きを食べた場所。
目を向けたのは、たまたまだと思うことにした。
ベンチに、小さな影が座っている。
紫の帽子。
銀色の髪。
イリヤだった。
「アトラス」
「確認した」
「話してくる」
「接触を報告した点は規則に適合する」
「許可は?」
「視認範囲を出るな。十五分以内とする」
「分かった」
イリヤも士郎に気づいた。
ベンチから立ち上がり、笑う。
「来たのね、シロウ」
「待ってたのか」
「別に。たまたまよ」
「そうか」
「そうよ」
昨日と同じ言い方だった。
士郎はベンチへ座る。
イリヤも隣へ戻った。
「今日はどら焼き、持ってないの?」
「毎日買うものじゃない」
「つまらない」
「どら焼きを食べに来たのか」
「シロウとお話しに来たの」
あっさり言われる。
「そうか」
「そうよ」
話ができる。
昨日も、今日も。
バーサーカーを連れていない時のイリヤは、普通の少女に見える。
なら。
戦わない道もあるのではないか。
「イリヤ」
「なあに?」
「どうして、聖杯戦争に参加してるんだ」
イリヤは瞬きをした。
「どうして?」
「ああ」
「だって、わたしはマスターだもの」
「それは分かってる」
「分かってないわ」
イリヤは足を揺らす。
「わたしは、生まれた時からマスターになるって決まってるの」
「生まれた時から?」
「そうよ」
迷いがない。
「だから、他のマスターは倒すわ」
昨日、どら焼きを食べた時と同じ声だった。
「シロウもそうでしょう?」
「俺は違う」
「どうして?」
「聖杯が欲しいわけじゃない」
「じゃあ、何でマスターをしてるの?」
「この戦いを止めるためだ」
「変なの」
「そうかもしれない」
「他のマスターを倒さないで、どうやって止めるの?」
「話ができるなら、戦わなくていい」
「できなかったら?」
「その時は」
答えが止まる。
戦わないとは言えない。
慎二がまた誰かを傷つけようとしたら。
学校の結界を動かしたら。
止めなければならない。
イリヤは士郎の顔を見ている。
「シロウは、倒すのが嫌なのね」
「嫌だ」
「でも、マスターでしょう?」
「マスターだからって、誰かを倒すのが正しいとは思わない」
「正しい?」
イリヤは首を傾げた。
その反応に、言葉が止まる。
正しいとも、悪いとも考えていない。
そう見えた。
イリヤにとっては、生まれた時から決まっていた。
マスターになる。
戦う。
他のマスターを倒す。
それが一つにつながっている。
そこへ善悪を持ち込む必要自体が、最初からなかったように。
「じゃあ、シロウ」
イリヤが訊く。
「どうしてリンを庇ったの?」
「あの時か」
「そう」
「遠坂が危なかったからだ」
「リンだって、シロウの敵だったでしょう?」
「あの時はそうだった」
「なのに?」
「危なかったから」
「敵でも助けるの?」
「目の前にいて、助けられるなら」
「誰でも?」
「たぶん」
イリヤの、揺れていた足が止まる。
「……わたしでも?」
小さな声だった。
「イリヤが危なかったら、助ける」
「バーサーカーがいても?」
「助けが必要なら」
「わたしがシロウを殺そうとしても?」
「その時は止める」
「倒すの?」
「止める」
「同じじゃない?」
「同じじゃない」
イリヤは少し黙った。
嬉しいのか。
不満なのか。
どちらにも見えた。
「シロウって、本当に変ね」
「よく言われる」
「でも」
続きを待つ。
イリヤは言わなかった。
「今日はどこへ行くの?」
「用事がある」
「リンと?」
「……まあな」
「またリンなのね」
「遠坂だけじゃない。アーチャーもアトラスもいる」
「ふうん」
面白くなさそうだった。
「また、ここに来れば会えるのか?」
訊いてから、自分でも少し驚いた。
イリヤは笑う。
「さあ」
「さあって」
「シロウが来たら、いるかもしれないよ」
「曖昧だな」
「会いたいなら、探しに来ればいいでしょう?」
イリヤは立ち上がる。
「もう行くのか」
「シロウは用事があるんでしょう?」
「ああ」
「じゃあ、今日は帰る」
紫の帽子を押さえる。
「またね、シロウ」
「ああ」
イリヤは公園を出ていった。
アトラスが近づいてくる。
「接触内容を報告せよ」
「聖杯戦争に参加する理由を聞いた」
「回答は」
「生まれた時からマスターになると決まっていた。だから他のマスターを倒すって」
「他には」
「俺が遠坂を庇った理由を訊かれた」
「回答は」
「危なかったから」
「本人に対しては」
「イリヤが危なかったら助けるって言った」
血色の瞳が士郎を見る。
「記録した」
「それだけか」
「他に何を求める」
「別に」
「ならば移動する」
◇
遠坂とアーチャーに合流したのは、柳洞寺へ続く道へ入る前だった。
「遅い」
「十五分は過ぎてない」
「何をしてたのよ」
「公園でイリヤに会った」
遠坂の眉が上がる。
「またバーサーカーのマスターと話してたの?」
「アトラスも見てた。バーサーカーはいなかった」
「それで安全だと思わないことね」
「思ってない」
「何を話したの」
士郎は、イリヤとの会話を伝えた。
生まれた時からマスターになると決まっていたこと。
他のマスターを倒すつもりでいること。
遠坂を庇った理由を訊かれたこと。
イリヤが危なければ助けると答えたこと。
遠坂はしばらく黙った。
「最後の一つ、言う必要あった?」
「訊かれたから答えた」
「そういうところよ」
「何がだよ」
「何でもない」
アーチャーが鼻で笑う。
「敵へ救助を約束するとは、随分と余裕があるらしい」
「約束したわけじゃない」
「同じことだ」
「違う」
「その区別を、敵も共有しているといいな」
「アーチャー」
遠坂が止める。
「今は柳洞寺よ」
山を見る。
夜の中に、黒い輪郭が立っている。
「行くわ」
◇
山へ近づくほど、空気が重くなった。
魔力が流れている。
目では見えない。
けれど、身体の内側へまとわりつくような感覚がある。
「市内から集まってる」
遠坂が低く言った。
「この山へ、少しずつ」
「霊脈か」
「ええ。土地そのものを使ってる」
石段の前で足を止める。
左右は木々に覆われている。
「横から行けないのか」
「無理ね」
遠坂が地面へ触れる。
「これは敵が作った結界じゃない」
「違うのか」
「柳洞寺の土地そのものに根付いてる。正面の参道だけを入口にして、他の道を弾く古い守りよ」
「元からあるのか」
「ええ。その上へ、別の陣地を重ねてる」
アーチャーが山門を見上げる。
「唯一の正規経路へ守り手を置けば、侵入者は正面から来るしかない」
「守り手?」
「いる」
アトラスが言った。
石段の上。
山門の下に、人影が立っていた。
長い刀。
紫の衣。
風に長い髪が揺れる。
「夜分に客とは珍しい」
男の声は穏やかだった。
「だが、ここから先は通せぬ」
遠坂が小さく息を呑む。
「サーヴァント」
「クラスは」
士郎が訊く。
「キャスターって様子じゃないわね。アサシンでしょう」
遠坂が答える。
男は否定しなかった。
「いかにも。山門を預かる、アサシンだ」
アトラスが前へ出る。
士郎はその後ろ。
さらに後方へ、遠坂とアーチャー。
「前へ出ないのか」
士郎が遠坂へ訊く。
「偵察って言ったでしょう」
「でも」
「ランサーが山門の守りを測る。わたしたちは、その外側から寺全体を見る」
アーチャーが弓を出す。
「全員で最初から手札を切る馬鹿はいない」
「分かった」
アトラスが槍を現す。
紺碧の鎧に、変化はない。
アサシンが刀へ手を置いた。
「通るつもりか」
「そのために来た」
「ならば、止めよう」
アサシンの姿が消える。
金属音。
アトラスの槍と、長刀がぶつかった。
速い。
目で追うだけで精一杯だった。
アトラスが一歩下がる。
すぐに槍を振るう。
アサシンは石段の上で身体を捻り、穂先を避けた。
刀が返る。
アトラスは受けない。
横へ退く。
距離を取る。
「入らないな」
アサシンが言う。
「必要がない」
「慎重な槍兵だ」
「技量差を無視する理由もない」
アサシンの剣技が上。
アトラスはそう認めた。
その上で、近づかない。
槍の長さを維持する。
刀の間合いへ入らない。
何が来るか分からない。
だから、来る距離へ行かない。
石段へ青い光が走った。
足場。
薄い光の面が、石段の脇へ短く伸びる。
アトラスが正面から消え、石段の脇へ移る。
アサシンの刀が追う。
それでも山門の線から大きくは出ない。
「門を離れない」
士郎が呟く。
「離れられない可能性がある」
アーチャーが答えた。
「まだ断定はしないで」
遠坂は山門ではなく、寺の奥を見ている。
「別の魔力がある」
「どこだ」
「境内の奥」
空気が揺れる。
アトラスの槍が石段を叩く。
アサシンが跳ぶ。
その瞬間。
士郎の足元が、沈んだ。
「え?」
景色が遠ざかる。
石段。
山門。
遠坂。
アーチャー。
全部が、薄い膜の向こうへ離れていく。
「士郎!」
遠坂の声が切れた。
身体だけが、別の場所へ引かれている。
暗い。
向こう側に、何かが開いている。
寺の奥。
知らない空間。
アトラスとの距離まで、断たれる。
何が起きている。
誰がしている。
どう止める。
考えろ。
選べ。
昼間、何度も言われた。
観測と選択を止めるな。
けれど。
分からない。
足元が消える。
身体が落ちる。
左手が熱い。
「アトラス、どうにかしてくれ!」
令呪が光った。
左手の甲から、強い熱が走る。
魔力が、アトラスへ流れ込む。
血色の瞳が士郎を捉えた。
青い光。
壁。
門。
通路。
複数の境界が、一瞬で重なる。
士郎とアトラスの周囲だけが、別の領域へ変わった。
転移の力が、境界へ触れる。
「棄却する」
短い裁定。
空間が弾けた。
引かれていた身体が止まる。
足元に石段が戻る。
息を吸う。
「士郎!」
遠坂は外にいる。
アーチャーも。
重なった境界の内側にいるのは、士郎とアトラスだけだった。
「ランサー!」
「退く」
アトラスが言った。
「でも遠坂たちが!」
「命令範囲外だ」
「何だって」
アサシンが再び踏み込む。
アーチャーの矢が飛ぶ。
刀が矢を弾いた。
「凛、下がれ!」
アーチャーが二射目を放つ。
遠坂が石段脇の結界を確認する。
「こっち! 正面を下る!」
「横へは行けないのか!」
「古い結界に弾かれる!」
アトラスが士郎の前へ立つ。
青い境界を周囲に保ったまま、後退する。
アサシンは追う。
けれど、山門の線を越えない。
刀の間合いが届かなくなる。
「やはりだ」
アーチャーが言った。
「あれは山門を離れられん」
寺の奥から、再び魔力が膨らむ。
「来るわ!」
遠坂が宝石を投げた。
光。
爆発。
空間へ走った干渉が逸れる。
「今!」
一行は石段を下った。
山門が遠ざかる。
アサシンは追ってこない。
ただ、門の下からこちらを見ていた。
◇
山を離れた。
市街が見える場所まで戻って、ようやく足を止める。
息が苦しい。
身体のどこにも傷はない。
それでも、まだ足元が消える感覚が残っていた。
「左手を見なさい」
遠坂に言われる。
令呪。
三画あったはずの文様が、一つ減っている。
「消えてる」
「使ったのよ」
「今のが」
「ええ」
アトラスを見る。
「でも」
言葉が出る。
「遠坂たちは守られてなかった」
「当然だ」
「当然?」
「汝は、何を命じた」
「どうにかしてくれって」
「対象は」
「……決めてない」
「範囲は」
「決めてない」
「脅威は」
「分からなかった」
「完了条件は」
「……言ってない」
答えるたびに、足りなかったものが形になる。
「王宮外装は、対象と範囲に従い展開する」
アトラスの声は平坦だった。
「狭く厚く展開することも、薄く遠くへ広げることも可能だ」
「なら、全員を守れたんじゃないのか」
「可能性はあった」
「じゃあ」
「対象が増えれば、防護密度は低下する。脅威が定義されなければ、優先して拒否すべき干渉も定まらない」
「今回は」
「令呪によって最優先されたのは、命令者である汝の危機回避だ」
「だから、俺だけ」
「
初めて、アトラスが自分を数に入れた。
「己が汝を回収し、無認可の転移を拒否した」
「遠坂とアーチャーは」
「命令されていない」
「退路は」
「命令されていない」
「アサシンと、寺の奥の敵は」
「排除を命じられていない」
遠坂が息を吐く。
「『どうにかして』じゃ、ランサーが勝手に貴方の望む結末を選ぶしかなくなる」
「でも、アトラスは」
「選ばない」
遠坂が言う。
「この子は、士郎の代わりに誰を守って、誰を置いていくか決めない」
アーチャーが腕を組む。
「力が足りなかったのではない。命令に中身がなかった」
厳しい。
けれど、違わない。
昼間。
アトラスは、選択肢を口にしろと言った。
退く。
受ける。
反撃する。
呼ぶ。
誰を。
どこまで。
何から。
いつまで。
危機の中で、士郎はアトラスを呼べた。
止まらなかった。
けれど、それだけだった。
何をしてほしいのか。
誰を守るのか。
どこまで終わればよいのか。
何一つ、言葉にできなかった。
「俺が決めなきゃいけなかったんだな」
「然り」
「曖昧でも、アトラスなら何とかしてくれると思ってた」
「今回、汝の生命は維持された」
「でも、それだけだった」
「それだけを命じた」
「命じたつもりはなかった」
「意図は、定義されなければ命令にならない」
左手を見る。
一画。
もう戻らない。
「俺を守らなければ、もっと強く拒否できたのか」
「可能だ」
「どういうことだ」
「己一人を対象とする場合、王宮外装は完全な閉鎖系を構築できる」
「俺も入れない?」
「入れない」
「じゃあ、今のは」
「汝を含む局所展開だ。完全閉城ではない」
遠坂が寺の方向を見る。
「話は後でもできる。まず、見たものを整理するわ」
地面へ枝で簡単な図を描く。
「正面参道だけを入口にする古い結界。山門にアサシン。あれは門を離れられない可能性が高い」
「剣技は」
「ランサーより上だ」
アーチャーが答える。
「少なくとも、純粋な近接技巧ではな」
アトラスは否定しない。
「それから、士郎だけを狙った空間転移」
遠坂が続ける。
「あれだけ高度な術を、この陣地の中から使った」
「魔術師のマスターか」
「普通の魔術師じゃ無理よ」
遠坂は山を見る。
「霊脈を利用して、市内から魔力を集めてる。柳洞寺全体を陣地として扱ってる。魔力の発生源は境内奥」
「じゃあ」
「奥にいるのは、キャスターのサーヴァントと考えるべきね」
「マスターじゃなくて?」
「人間の魔術師が、短期間で組める規模じゃない」
アーチャーが言う。
「こちらが得た情報は、向こうにも渡った」
「王宮外装のことか」
「少なくとも、空間転移を拒否できると知られた」
「次は対策してくる」
「当然だ」
夜の山は、何も変わらずそこにある。
古い結界は残る。
山門も。
「次に来る時、同じ布陣とは限らん」
アーチャーが言った。
「それでも、行くのか」
士郎が訊く。
遠坂は答えない。
アトラスが山を見る。
「目的は達した」
淡々と。
敗北でも、成功でもなく。
得たものと、足りないものを分けるように。
「攻める条件が揃っていない」
血色の瞳が、夜の柳洞寺を捉えている。
「揃えてから来る」
お読みいただきありがとうございます。
しばらくは毎日7時頃に更新予定です。
後日譚の
『The Reversed Star――逆位置の星――』 https://syosetu.org/novel/417875/
も連載中です、よろしくお願いします。