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Amicus in necessitate probatur.
友は困窮において試される。
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夕方のトリニティの町を二人並んで歩き、案藤マリンの導きの元、一件の落ち着いた佇まいの喫茶店に彼女らは辿り着いた。
「『Spring Field』…春の野、ですか」
「店主の思い出の場所だそうです」
そう短く答えながら案藤マリンはドアを開き、浦和ハナコに店内へと促した。彼女に小さく頷いて。
カランカランと頭上で軽やかに鳴るベルの音を聞きながら浦和ハナコは店の敷居を跨ぐ。実に穏やかな店内だ。
可愛らしいランプシェードを被った電灯が柔らかい灯りで中を照らしていた。
木製のテーブルや椅子達は使い込まれ、シットリとした色味を放っている。
触り心地の良いモケットで出来ている椅子のクッションや背もたれは実に居心地が良さそうだった。
嗚呼、実に案藤マリンと言う人物の好みが伝わってくる良い店だと浦和ハナコは思った。
空いているボックス席に腰掛け、店長自ら注文を取りに来た。
「今はアイスコーヒーが美味しい季節ですよ」
と、案藤マリンがそう言うと浦和ハナコは喜んで勧められるがままにアイスコーヒーを頼んだ。
少しして、注文したアイスコーヒーとクッキーがテーブルに運ばれてくる。
小さな籠の中に詰め込まれたチョコチップクッキーはとても可愛らしかった。浦和ハナコはそっと一枚取り上げるとパクリと一口囓る。
サクッ…と軽やかな音が響き…甘くて優しい味を堪能したかと思うと、クッキーはスッと溶ける様に消えていった。
「ふふっ。実に美味しいクッキーですね。以前食べた事のある卵白とナッツを使った口溶けの軽やかなクッキーを思い出します♪」
「私の友達の間でも美味しいと評判ですよ」
少し嬉しそうにそう答えた案藤マリンはそっとアイスコーヒーを飲む。ほぅ…と静かに吐き出される小さい吐息はとても優しい声色だった。
「さて…友達になるには先ずは自己紹介からするのが相場だとお聞きしました」
「そうですねぇ…では、先ずは私から」
浦和ハナコはそう言うとキリッと冷えたアイスコーヒーを口にする。その滑らかな味わいはコレが水出しコーヒーなのだとすぐに理解できた。
「実は私、自分で言うのも恥ずかしいのですが、ちょっとばかり頭が良くて…ティーパーティーの幹部やシスターフッドの重役から気に掛けられているんです」
「ふむ…それはまた」
ティーパーティー幹部やシスターフッドの重役に気を掛けられるとすれば、それはそれは凄い事だ。一般的なトリニティ生のそれと幹部、その差は正にただの平民と大貴族の差ほどある。
尤も、同時に大きな苦労も舞い込んでくると案藤マリンは知っていた。
悩みや苦労を吐き出したくてヒッソリコッソリとシスターフッドの懺悔室にやってくるティーパーティーの役員の存在はシスターの間では密やかに知られていたから。案藤マリンも一度か二度ばかり彼女らから話を聞いたものだ。
「お陰様で少々、トラブルに巻き込まれてしまうのですけれど…」
と、苦笑混じりに浦和ハナコは呟いた。案藤マリンは頷く。
「何故、苛めを受けていたの? 頭が回るのであれば、貴女は幾らでも苛めから逃げ出せたはず」
案藤マリンの率直な問い掛けに、浦和ハナコは静かにアイスコーヒーの水面を見つめた。氷が揺れ浮くそれは冬の湖のよう。
「…何と無く、でしょうか。彼女らを見ていると自分を見ているような…自分の裏側を見せ付けられて居るような気持ちになって…陰鬱になって、逃げ出すのが億劫になってしまうんです」
「でも、だからと言って自分に降り掛かる火の粉を払い除ける権利は誰にだってある。同時に、まるで苛めっ子が自身を写す鏡の様に思えると感じながらも、ハナコさんは誰かを苛めている訳じゃない。その二点は大きな事だと、私は思いますよ」
だから、気にする事じゃないとばかりにクッキーをサクサクと食べながらそう言ってのけた案藤マリンに、浦和ハナコは少しキョトンとすると…少しだけ間を置いてからうふふ、と微笑んだ。
「マリンさんは真っ直ぐなのですね」
「小さい頃から謀略も腹芸も落第点でして。それとシスターにしては引き金が軽すぎるとよくお叱りを頂きますが」
「そう言えば…マリンさんはご自分が苛めっ子達の間ではパニッシャー《断罪者》と呼ばれ恐れられているのはご存知でしょうか?」
此方への問い掛けに、案藤マリンは静かにアイスコーヒーを一口飲んでから頷いた。
「友人達から聞いた話や、苛めっ子本人からその様な呼び方をされたので存じています」
「荒事を良しとしないシスターフッドとしては少々趣が違うのでは…? 生徒達の間でマリンさんはちょっとした有名人ですよ。苛めっ子を処して回る《破戒のシスター》として。何故その様なことを…?」
浦和ハナコからの問い掛けに、案藤マリンは少し悩んだ。何から話せばいいのかと。
そして彼女は懐からシナモンスティックを取り出し、鼻先で香りを嗅いでからそっと咥えた。徐に首に吊るしたクロスを撫でる。
「私は気が付けば幼少期からクロスを握っていました。母も、祖母も、祖母の祖母も、そして親戚もシスターフッドに籍を置く生徒でした。私はこの世に生を受ける前からシスターフッドに入る事が決まっていました。だけど、私は幼い頃から今の様に苛めっ子をシバき倒していた」
「その当時から学園を運営する者や上級生から、将来シスターフッドに身を置く者として相応しくないと私は問題児扱いされ、何度も注意されては反省を促されてきましたが、私は苛めっ子をシバき倒すのを止めなかった。何故其処までして苛めっ子をシバき倒すのかと問われれば、明確な理由は自分でも分かりません」
咥えていたシナモンスティックを唇から一度離し、一口、案藤マリンはアイスコーヒーを飲んで喉を潤した。
「ただ苛めっ子を見ていると頗る気分が悪くなるから、泣いている苛められっ子が可哀想だから、掃除をする様に苛めっ子をシバき倒してきた。正義感とか義憤じゃない。私はただ苛めっ子が不愉快だから今までシバき倒してきたの」
「少しずつ分別がつき始めて、中等部に上がる頃には己の行動が主に仕えるシスターフッドとしてあるまじき行いだと自覚はしていました。でも苛めや暴力に脅える、無力な迷える子羊は救わねばならない。なら私は迷える子羊の為に罪を被ってでも苛めっ子をシバき倒そうと思った。そうする事で誰か一人でも幸せになるのなら、世の中が少しでも平和になれば私はそれでよかった」
──── 同時刻 ────
シスターフッドの本拠地、大聖堂の中にあるこじんまりとした執務室にて、シスターローズはカリカリと万年筆を走らせて書類を製作していた。その傍らで補佐を勤める一年生のシスターが彼女に声を掛けた。
「質問を宜しいでしょうか、シスターローズ」
「ええ、構いませんよ」
「その、失礼な事だと思いますが…シスターフッドは何故、シスターマリンを追放しないのです?」
その問い掛けを聞いて、シスターローズは一度手を止めると、万年筆を置いて徐に紅茶の満ちたコップに手を伸ばし、休憩の姿勢を取った。
「シスター、貴女は何れくらいシスターマリンの来歴を知っていますか?」
「風の噂では、小さい頃から随分やんちゃだとか…」
「やんちゃ。ふむ。その程度であれば良かったのですけどね…」
やれやれとばかりにシスターローズは紅茶で喉を潤した。氷も溶け掛かって、やや温い。
「あの子はそれはもう、トリニティに入学するずっとずっと前から苛めっ子との間で大きなドタバタ劇を繰り広げています。それも一度や二度ではありませんよ。そしてそれは、トリニティに入学して、シスターフッドに籍を置いても変わらなかった」
「これを問題視したシスターフッドの上級生は直ちに『暴には暴へ』とばかりに、正義実現委員会へとシスターマリンの移籍を打診しました。然し帰ってきた返事は『No』でした。既に彼方の上級生の間でも彼女の初等部、中等部時代の問題行動と素行は知れ渡っており、受け入れはスッパリと拒否されました。『首輪が付けられない犬に価値はない』、と」
「でしたら、噂に聞くトリニティの自警団等は…? それこそ、彼女の行う学園内での苛め行為に対する制裁に自警行為は相応しいのでは?」
「シスター。自警団の方々は飽くまでただのプライベートな活動です。有事の際の責任の所在も不明かつ不明瞭、尚且つ我が学園では非公認の、部活と言っても良いのかさえ怪しい所へとシスターマリンの様な問題児を押し付けるのは、シスターフッドはどれだけ無責任なのかと周囲から非難を受ける事でしょう」
シスターローズはそう言い終えるとやれやれとばかりにため息を漏らした。コップの中の紅茶も随分と減った。
「これらの事から、シスターフッドはシスターマリンを追放出来ずに居ます。余程の事が起きなければ…尤も、その余程の事が起きてしまうとなると、シスターマリンがどうなってしまうのか…想像したくもありませんが」
ため息を一つ付いてから、シスターローズは補佐のシスターに紅茶のお代わりを要求した。
窓から射し込む光も、随分と弱まっていた。
──── 喫茶店、『Spring Field』にて ────
「成る程…そう言う事があったのですね」
「大した事ではありません。私の行動の根っこにあるのは子供の癇癪とそう大差ないのですから」
「…ですが」
浦和ハナコが言葉を口にする。
「誰かが救われて欲しい、平和になって欲しい。そう思う気持ちは、マリンさんの本心なのでしょう? それはもう、歴とした愛ですよ。愛」
「愛…」
ポツリと口にする。果たして、自分の行いを愛と呼ぶ資格はあるのかと自問しながら。
「…もう暫くは、自信が付くまでは『子供の癇癪』で居たいかな」
「私達はまだまだ子供、ですからね♪」
「ええ…おや?」
修道服のポケットからリンロン、リンロン、と可愛らしい鈴の音が聞こえる。鎖に繋がれた懐中時計を開いてみれば、もう空が暗く成り始める時間だった。
「思ったより話し込みましたね。今日のお茶会はこの位にしておきましょう。家まで送りますよ」
「まぁ。お優しい♡」
「私達はもう友人、なのでしょう? ならば此れ位の事は普通でしょう。自慢ではありませんが、暗い夜道や鉄火場には少々慣れていますので」
「頼もしい限りですね♡」
笑顔の素敵な店主に見送られて、案藤マリンと浦和ハナコは喫茶店を後にした。群青色に染まりつつある空にぽつぽつと一等星が小さく煌めき出している。
家路につく人々の流れに乗り、二人はゆっくりと歩いていく。他愛もない会話をポツリポツリと交わしながら。
やがて浦和ハナコの家に辿り着いた頃には、もう空はすっかり暗くなってしまった。風もひんやりと肌寒い。
「それじゃあ、お休みなさい、マリンさん。また明日も…遊びに行っても良いでしょうか?」
「シスターフッドは何時でもお客様を歓迎していますよ。ハナコさん。嗚呼、そうだ」
何かを思い出したとばかりに案藤マリンは浦和ハナコのすぐ目の前にまで近付くと…
「貴女の此れからに幸あらんことを」
そう言うと、案藤マリンは浦和ハナコの額にキスをした。
「…勉強の足りていない一介のシスターがこの様な祈りを捧げた事、内緒にして下さいね」
ばつが悪そうに、照れ臭そうにそう言うと彼女は手を振って去っていった。ポカンとしている浦和ハナコを置いていって。
「……ああ、もう」
浦和ハナコは、赤く染まった頬を手で挟む。顔が熱い。頭がグルグルと回ってしまう。
「思ったより…積極的、なのですね…♡」
フワフワと浮かれている気持ちを嬉しく思いながら、浦和ハナコは自宅のドアを潜った。実に、明日からの生活が楽しみだ。積極的に案藤マリンの元へと遊びに行こうと心に決めて、プランを練る。
二人の友情の、第一歩。
────第二話。触れ合い。