…
……
………
Ne gloriatus sis beneficiis tuis.
自分がした親切を自慢してはならない。
………
……
…
昼休み。それはトリニティ総合学園の日常で二番目に賑やかな時間帯。
一番は勿論のこと、学業の終わった放課後だ。
クラブ活動に精を出す者もいれば友人達と出掛けたり遊びに興じたりする者も居るのだから。
そんな折、案藤マリンと浦和ハナコは偶然にも同じ食堂で顔を合わせた。
「こんにちはマリンさん。珍しいですね? 学食で出会うだなんて」
「こんにちは、ハナコさん。今日は授業に出た教室の都合で此処の学食を使うのが便利だったから」
「成る程♡ 普段のお昼はどうしているんですか?」
その質問に案藤マリンはうーん、と首を傾げた。
「その都度その都度、かしら…学校に来てるキッチンカーでお昼を買う事もありますし、今日みたいに学食を使う事もあれば、シスターフッドの聖堂でお昼を頂く事もあるし」
「そうなんですね。うふふ…♪ ねぇマリンさん。貴女の都合が良ければ、此れからもお昼をご一緒したいです♡」
「ふむ…」
そう言われれば、マリンは頭の中で一週間の大まかなスケジュールを確認した。
キヴォトス三大校の名に恥じず、沢山の教室とそれに比例して幾つもある食堂を抱える程のキャンパスの広大なトリニティ総合学園ではあるが
昼前の授業を受けた教室の場所から逆算すればお互いに都合の良い食堂も在る筈。そうすれば距離的にも時間的にも二人一緒に昼食を取る事は問題ないだろう、と考えに至った。
「キチンと打ち合わせをすれば、問題ないと思いますよ」
「あらあら♡ 嬉しいお言葉ですね♪」
そして二人はそれぞれが注文した料理を浮けとると、テーブルに腰かけた。自然と話題は今受けている授業についてだった。
「数学の二次関数を解くのが難しくて…一次関数や三角関数は何とかなったのだけども」
「それは困りましたね。具体的に何が難しいんです?」
「計算が複雑で…一つの問いを答えるのにとても時間が掛かるんです」
「そうですねぇ…因数分解で解いてみるのは如何でしょうか? これは計算で使われる数字と答えの数字が整数や簡単な分数ならば有効な計算方法です。ですが」
そう言って言葉を区切り、浦和ハナコはエビピラフに添えられたポテトサラダを口にする。
「使う数字、求められる数字がそうでない場合は正攻法の解法で攻めるのが一番でしょう。慣れてない内は難しいでしょうが、反復練習を行う事で幾らか苦手意識の克服と計算力は鍛えられますよ」
「せめて三角関数の様に身近に使える数式なら覚えやすいのに…」
「ふふっ♪ マリンさんは狙撃がお得意ですものね」
そんな風に、緩やかにランチの時間は過ぎていって…
食後、二人は学内の庭に面した廊下を歩いていた。季節の花が花壇に植えられて元気に咲き誇っていた。
コスモスやリンドウ、ナデシコやダリアなどと見る者の目を楽しませてくれた。
その最中…池の目の前で立ち尽くしている少女の姿が目に入った。困っている風に見えた物だから、案藤マリンは少女に近付くと声を掛けた。
「貴女、大丈夫?」
「あっ…マリンちゃん」
涙を流していた少女は目元の涙を拭いながらオロオロとしていた。
「実は、大事な指輪を悪い子に奪われて、池に投げ捨てられちゃって…」
「…ふむ」
話を聞いた案藤マリンは躊躇せず服を脱ぎ始めた。
「マリンさん…!?」
自分の躊躇いの無い行動に少し驚いた浦和ハナコを気にも止めずに、案藤マリンはブーツ、靴下、ガンベルトに修道服、シャツにウィンプルと下から上へと脱いでは服を軽く畳み、長い金髪をハンカチでアップに纏めると深呼吸をしてチャプン、と足を冷たい池に差し込んだ。
「…冷たい」
ぼそりと、呟く。足先からどんどん体温を奪われながらも、水生植物が浮かび、観賞魚の泳ぐ池の真ん中を目指して一直線に歩いていく。
そんなマリンの行動を廊下から見掛けた生徒達が小さくざわめいていた。
踝程の深さだった池はもう膝元まで深くなっていた。そして、案藤マリンは徐に腕を池の中に突っ込んだ。
ゴソゴソと水底を漁ること少々、案藤マリンは「見付けた」と呟くと腕を池から引き抜いた。
其処には紛れもなく銀色に輝く指輪があった。案藤マリンは今し方歩いてきた所を戻って、少女の元へと歩いていく。
涙を流していた少女は、今度は嬉し涙を浮かべて、くしゃくしゃとした顔で案藤マリンを迎えた。
「今度はチェーンに通して首に掛けておくとか、奪われないように注意してね」
「ありがとう、ありがとうマリンちゃん! このお礼は今度必ず返させてね!」
そう言って立ち去る少女を見送ってから、案藤マリンは畳んだ服を片手にやれやれと庭の片隅で日光浴を始めた。
幸いにも日差しは暖かい。校舎に囲まれた中庭であるからして、風も余り吹いていない。恐らく風邪を引く事は無さそうだ。
「マリンさん!」
その時、浦和ハナコが彼女を呼ぶ声がした。其方の方を振り向けば、タオルを持って此方に近付いてくる姿があった。
「全く、驚かされましたよ? 急にストリップを始めたかと思えば躊躇すること無く池の中に入っていくんですから…(てっきり、私と同じ趣味があるのかと…)それで、何時もあの様に人助けをしているんです?」
彼女の問い掛けに、案藤マリンは体を拭きながら頷いた。
「何て言えば良いのだろう…ギフテッド、なのかしら…昔から私は失せ物が何処にあるのか分かるの。見えるって言っても良い。だからあんな風に、苛められてる子を助けてきた」
そうやって助けてきた子は何人も居る。きっと私に与えられたギフトはこう言う事の為に与えられたって思ってる。
案藤マリンは自分の行いを何て事はないとばかりにそう言ってみせた。
「ふぅ…今度から池に入る時は、ちゃんとタオルとか用意してくださいね? マリンさんが風邪を引いたら、私悲しいです」
浦和ハナコはそう言うと頬を少し膨らまして心配と不満を露にした。案藤マリンは素直に彼女に謝った。自分でも些か軽率だったかもしれない、と思ったから。
その後、お互いに昼過ぎの授業やお勤めを終えて放課後を迎えると、二人は何時もの様に改めて合流した。
今日は浦和ハナコの提案で図書館でデートしよう。と言う事になった。
「マリンさんは図書館は利用されるほうでしょうか?」
「そう、ですね…インターネットの情報は如何にも何か物足りない所が感じられるので、そこそこの頻度で図書館にお邪魔します」
「成る程…うふふ♡ マリンさんのそう言う真面目な所は本当に愛おしいですね♪」
静かな図書館の中を歩き、各々が読みたい本をピックアップする。そして受付で学生証を通して貸し出しの許可を貰うと、互いの借りた本を見せあった。
案藤マリンは主に料理のレシピブックだった。その中にバイクに関する図鑑も一冊紛れていた。浦和ハナコは素朴な装丁の一冊の哲学書を片手に持っていた。
「マリンさん、お料理されるのですね?」
「ええ。小さい頃からお母さんと一緒に。偶にアップルパイを焼いたりしてる。他にもずぼらな同級生のお弁当も作ってあげてるし」
その言葉を聞いて、浦和ハナコはちょっとむくれた。
「むぅ。私もマリンさんの手料理、食べたいです」
「…凝った物でなくても良いのなら、明日にでも作ってあげるから、そう怒らないで?」
「やった♡」
案藤マリンはホッとした。今日は浦和ハナコを心配させたりむくれさせてしまったりと忙しないな、と。
そして改めて、案藤マリンは浦和ハナコの持つ本を見る。それは如何にも難しそうなタイトルが書かれた哲学書であった。
「ハナコさんが持ってる本は…難しそうな哲学書なんですね」
「Scientia est potentia. 知は力なり。と言いますからね」
ふむん。噂に聞く彼女の知性の高さはこう言った所でも発揮されるのだろう、と案藤マリンは思った。
尤も、だからと言って彼女の知性を自分の悪巧みやなんやかんやに使おうだなんて微塵も思わないのだが。
それは彼女を酷く傷付ける行為であるし、同時に自分には人を騙してまでやりたい後ろめたい事など無いのだが。
…いや、彼女の頭の良さを当てに苦手な科目の勉強を教えて貰ったりするのは罰は当たらないかも知れない。私達は友達であるのだし。多分、きっと、恐らく。
そして二人は徐に読書コーナーのコンパートメントに移動した。居心地の良い椅子に背中を預けて、暫し読書の時間に心を奪われる。
パラ…パラ…と紙の捲られる音が静かに耳をくすぐる。
紙の香り、インクの香りが鼻先を撫でていく。落ち着く空気感にトロンとした吐息が静かに漏れる。
その時不意に案藤マリンは本から顔を上げた。すぐ隣では浦和ハナコが此方をウットリとした愛おしい目で自分を見つめていた。
何時から見詰められていたのだろうか、そう思うと案藤マリンの頬は赤く染まった。誰かにこんなにじぃっと見つめられた事なんて初めてだ。
「ハナコさん、その、私に何か…?」
おずおずとそう浦和ハナコに問い掛けてみれば…
「うふふ…♡ 本を読むマリンさんの横顔が凛々しかったから♪」
恥ずかしげも無くそう言ってのけた浦和ハナコの嘘偽りの無い言葉に、案藤マリンは赤く染まった自分の顔を本で隠した。
時間は緩やかに過ぎていき、図書館の窓から見える昼下がりの空はやがてオレンジ色になっていた。二人は学園を後にして、帰り道の道すがら
一件のカフェテラスに立ち寄ると飲み物を買い、小さなティータイムと洒落こんだ。歩道に開かれたテーブルにそっと腰かける。
「日に日に朝夕の風がひんやりとしてきましたねぇ…もう少ししたら、昼間も涼しくなるのでしょうか」
浦和ハナコの呟く言葉を聞きながら、濃くて香ばしいエスプレッソにたっぷりのミルクとちょっぴり砂糖を落とした物をチビチビと飲みつつ、案藤マリンは思い付いた事を口にした。
「長閑な田園までピクニックに出掛けるのも楽しいかもしれませんね…」
その言葉を聞いて、クリームでしっかり練られた甘いココアを飲んでいた浦和ハナコも「それは、是非♡」と喜んだ。
「お出掛けの時はお互いに料理を持ち寄りましょうね♡ 私も頑張って作りますから♪」
「ええ、きっと楽しい一日になりますね」
クッキーを摘まみながら、二人はのんびりと沈みゆく夕方のティータイムを楽しんだ。ゆっくりゆっくりと、空はオレンジから群青色へと変わっていく。
ティータイムを終えれば、案藤マリンは浦和ハナコを彼女の家まで送り届けた。もうすっかりとそれは日常の一コマになった。
浦和ハナコの家の玄関先で、案藤マリンは彼女の額にそっと祝福のキスをする。これもまた日常の一コマになった。
そして案藤マリンも浦和ハナコに見送られて帰路に着く。群青色の空を見上げれば、少し前よりも色が深く、濃くなった様に見える。浦和ハナコと付き合い始めた時間の流れを感じさせた。
「…ピクニックのメニュー、今の内に幾つか考えておこうかな」
そう考えながら、案藤マリンは石畳で出来たトリニティの道を歩く。
コツコツと軽やかな足音が石畳の上で反響する。青々としていた木々の葉がゆっくりと黄色や赤色に移ろい染まる秋の深まりが、二人の友情の深まりに似ていた。
────第四話。歩幅を合わせて。