…
……
………
Si vis amari, ama.
「愛されるには、愛しなさい」
………
……
…
気が付けば友人として交際を始めて1ヶ月が経った位だろうか。季節の移ろいを感じつつ、浦和ハナコは何時もの様に学校へと通学し、広い教室でモモトークを開く。案藤マリンへ朝の挨拶をするべく画面をタップした。
後は暫く放置すれば返事が帰ってくる。…筈だった。待てども待てども、返事が帰ってこない。お昼のお誘いをしても返事が帰ってこない。
これはおかしいなと思った浦和ハナコは思い立ってシスターフッドの大聖堂へと赴いた。自主的に大きなその建築物へと足を運ぶ様になったのも懐かしい。重い木製の扉を開き、中に入る。
ステンドグラスを通して色鮮やかな光が薄暗い大聖堂の中を照らす。少しひんやりとした空気が肌を撫でる。少し…肌寒いかもしれない。
浦和ハナコは偶々目の前を通りがかったシスターに声を掛けて案藤マリンの事を聞いた。すると如何だろうか。目の前の少女は少々口ごもり…そして話した。
「シスターマリンは…その、生理が来まして」
その言葉だけで浦和ハナコは全てを察した。羽根を持つ少女は不思議な現象によって生理が訪れる度に己の胎内に卵を生成する。通常の生理と同じく、その苦しさ、重みは個人差があるが案藤マリンはと言えば…有り体に言って重かった。
「もしもシスターマリンのお見舞いに行っていただけるのであれば」
シスターはそう言うと浦和ハナコの頷きを見て、一度大聖堂の奥に戻ると、小さな鍵を握って戻ってきた。
「此方の鍵はシスターマリンの家の合鍵になります。非常時に備えてシスターフッドが管理している物です。これをお貸ししますね」
「確かに預かりました」
「あの…シスターマリンの事、宜しくお願いします。私も彼女にはお世話になっているので」
「ええ、確りと」
浦和ハナコは努めて真面目に、かつ短く答えると大聖堂を後にした。
さて、午後の授業を早退した浦和ハナコはドラッグストアを併設するスーパーマーケットに立ち寄り、手軽な飲食物や解熱剤等を買い込んだ。生理の時に医薬品の備蓄が切れていると悲惨な思いをする。身体の熱や倦怠感に頭痛等など。
買い物を終えれば浦和ハナコは改めてモモトークを開くと案藤マリンに短いメッセージを送る。返事は返してくれなくて良い。既読さえ付けてくれれば。そう思いながら短く文字を刻む。
「お見舞いに行きますね」
すると暫くすると「ポコン」と既読が付いた着信音が響いた。たったのそれだけで浦和ハナコは安心した。
やがて、数回ばかり訪れた事のある案藤マリンの家に到着した。鍵を差し込み、回す。借り受けた合鍵は確かにドアを開いた。
これがもし何らかの間違いで他の鍵と取り違えていたらどうしようか。と言う漠然とした不安から解放された浦和ハナコは安堵の溜め息を漏らした。
「マリンちゃん、お邪魔しますね?」
程ほどの声量で声を掛ける。こじんまりとしたキッチンに食料品を置き、友人が寝ているであろう寝室へと向かった。焦げ茶色のドアをそっとノックする。
「マリンちゃん、ドアを開けますよ?」
丁寧に一声一声掛けながら、浦和ハナコはそっと寝室のドアノブを捻り、静かにドアを開けた。ベージュの壁紙の貼られたさっぱりとした部屋。
部屋の隅に設置されたベッドの中に友人は居た。浦和ハナコは傍らに置かれていた椅子をベッドに近寄せて静かに腰掛ける。
「マリンちゃん、具合はどうですか…?」
やや間を置いてから、気だるげに目蓋を開いた案藤マリンが応えた。
「…苦しい」
「生理ですものね」
浦和ハナコはしみじみと呟いた。彼女自身、生理は軽い方では無いが、諸々の薬を飲めば普通に一日を過ごせる程度だ。
然し、キヴォトスに住む羽根を持つ少女ともなればそうは行かない。薬を飲んだ所で苦しみの一時凌ぎにしか成らず、胎内に出来た卵を産み落とさねば重く苦しい生理は終わらないのだ。
何はともあれ、浦和ハナコは買ってきたレトルトのお粥を案藤マリンに優しく食べさせてから、解熱剤や痛み止めを飲ませた。食事を摂ったからかして少し顔色が良くなったかもしれない。
暫くの間、浦和ハナコは何も言わずに案藤マリンを見守った。少し荒いように感じた呼吸も今は落ち着きを取り戻している。
「マリンちゃん」
優しく、声を掛けた。案藤マリンはゆっくりと目蓋を開き、浦和ハナコを見る。
「その、普段は…どんな風に卵の処理を?」
そう質問された案藤マリンは力無く毛布を退け、寝間着をはだけた。そして、ぽっこりと膨らんだ下腹部を重々しく撫でる。
「自力で…押し出してる…」
「誘発剤を使ったりは?」
「その手のお薬、効きづらいから…」
嗚呼、神よ。何故彼女にこの様な苦しみを与えたもうたのか。浦和ハナコは一言断ってから友人のお腹を撫でさせて貰った。
確かに其処には卵が鎮座していた。撫でた感じ、普通の鶏卵よりも大きい様に思える。これは苦しいだろう。
「ねぇ、ハナコ…」
力無い声で呼ばれる。そちらに視線を向ければ、何か意を決した案藤マリンが自分を見ていた。
「お腹、押して貰える…?」
「でも…」
それはとどのつまり、他人に産卵を見られる訳で。羽根を持つ少女にとっては酷くデリケートな話なのである。
見知らぬ誰かに裸を見られるよりも恥ずかしいと言う羽根を持つ少女はそう少なくない。だが…
「ハナコになら…いい」
フッ…と力無く笑う案藤マリンは、確かに浦和ハナコを信じていた。
そうと決まれば浦和ハナコの行動は早かった。エアコンの温度を微調整し、腰の下に畳んだタオルを挟んで力みやすい姿勢を取らせる。汗や体液を拭く為のタオルを用意し、両手を確りと洗浄した。
「準備は良いですか、マリンちゃん?」
下半身を晒した案藤マリンは汗で滲んだ顔で頷いた。
「私はゆっくり押し込んでいきますからね。行きますよ?」
そう言うと再び案藤マリンは頷いた。そして、力む。苦しげな声を漏らし、身体を震わせながら力む。浦和ハナコは下腹部に添えていた掌から、卵を産み落とそうと筋肉が震えているのがよく分かった。
それに続いて、自分も掌をゆっくりと押し込む。ぐぐぐ…と胎内から卵が押し出されようとしているのが分かるが、しかし足りない。もっと押し込まないと。
「ぁ…あぁ…! かふっ…!」
「マリンちゃん…!」
「もっと、押して…ぇ!」
浦和ハナコはハッキリ言ってしまえば怖かった。掌を押し込む事で無事に卵を産み落とせても、力を掛けすぎて疲労している身体に負担を掛けてしまったらどうしようかと。それでも。
「だい、じょうぶ…」
友人の言葉を、信じる他無かった。浦和ハナコは、ゆっくりと、しかし先程よりも力を強めて確りと下腹部を押し込んだ。ぐぐぐ…とドンドンと胎内から卵が押し出されていくのが分かる。そして…
ごぽ…と濁った水音と共に、拳ぐらいはあろうかと言う黒い卵が血の滲んだ体液に塗れて転がり出てきた。浦和ハナコは咄嗟に下腹部から手をどけて案藤マリンの顔を見る。
荒い呼吸を繰り返す友人の顔が其処にはあった。やがて呼吸が落ち着くと、少女は静かに意識を手放した。苦しみに満ち溢れていた表情から一転、穏やかな顔を浦和ハナコに見せてくれた。彼女はホッとした。
一通りの後片付けを終えてから、浦和ハナコは案藤マリンの産んだ卵をしげしげと眺めていた。卵は、身体の成長に比例して大きくなるらしい。
平均的に初潮が訪れる割合が多いのは小学校5年生か6年生の頃である。彼女の身体は発育が良いからもしかしたらもう少し早く訪れたかもしれない。
その頃からずっと平均的な羽根を持つ少女の産む卵よりも大きな卵を産んでいたのだとすれば。随分と苦しい戦いを続けていた事になる。
家族が居れば今日の様に手伝いもして貰えるだろうが、以前ぽろりと聞いた事がある。中等部に進級する頃に案藤マリンの母親はこのトリニティを出て
シスターフッドのOG組織と共にキヴォトス各地へと祈りを捧げる巡回の旅をしているらしい。つまり三年間と今日に至るまで、彼女はずっとこの苦しみに一人で耐えてきたのだ。
「もう少し自分を産んでくれる身体に優しく出来なかったんですか? あなたは」
そう呟きながら浦和ハナコは目の前の黒い卵をツンツンとつついた。その時、浦和ハナコはふと思う。この卵を抱き締めて愛情を込めて育てれば子供が産まれる事はあるのだろうか? …と。そんな話は此れ迄聞いた事が無かったから。
まだまだ身体に熱も残る案藤マリンを丁寧に看病し、そして一夜が開けた。彼女の顔色は薬を飲んだり、生理の山場を越えた事から随分と良くなった様に見えるが、しかし
尾を引く身体の気だるさや卵を産み落とした物理的ダメージで下腹部は痛むらしく、案藤マリンは浦和ハナコに申し訳無さそうにもう一日の看病を頼んだ。少女はそれを快く承諾した。友人に頼って貰える事が、内心嬉しかった。
「女の子だけの特別な一日を共にしてしまいましたね。マリンちゃん♪」
態と茶化すようにそう言って見せると、案藤マリンは何処か照れ臭いような、困ったような顔で言った。
「ハナコになら…これからもお願いしてもいいな…」
そう言われてしまえば、浦和ハナコも顔を赤くせざるを得なかった。厄介な黒い卵は、二人の間により強い関係性を産み出したらしい。
────第七話。神秘の片鱗。