たんぺんエヴァンゲリオン   作:しゅとるむ

2 / 2
第二次エヴァンゲリオン世界大戦

「ゾルゲ?」

 

 一度も聞いたことのない名前だ。碇シンジは首を傾げた。

 

「そう。リヒャルト・ゾルゲ。日本在留の寄稿ジャーナリストでナチ党員でもある。同国人を売るような真似はしたくないけど、彼はソ連のスパイよ」

 

 惣流・アスカ・ラングレードイツ海軍少佐の言葉にシンジは目を見開いた。カーテンの側から尾行が無いか街路の様子を伺っていたのだが、振り返り、ベッドの上に腰掛けるアスカにつかつかと近づいた。アスカは早くも軍服を脱いで上下とも下着姿になっており、シンジをどぎまぎさせたがそれどころではない。

 

「それをどうして帝国海軍将校の僕に?」

「あらご挨拶じゃない。一応愛人(ゲリープテ)でしょ。私も四分の一は大和撫子だし」

 

 アスカは白い夏用の第二種軍装を着たままのシンジの首に腕を回し、しなだれかかった。

 

「君はそんな血統主義者じゃない。だからナチスドイツでも居場所がないんだろ」

 

 シンジの追及を黙殺して、アスカはゾルゲの情報を一方的に流した。ゾルゲがコミンテルンに勧誘されたドイツ人で、その後ソ連の諜報部門である労農赤軍参謀本部第4局に移籍したこと。駐日ドイツ大使のオイゲン・オットーの知己と信頼を得て、大阪朝日新聞の記者尾崎秀実らと日本国内に諜報団を組織していることなどを。

 

「スターリンが日本陸軍の動きを探らせる為に送り込んだのがゾルゲよ。彼が関東軍動かずと情報を送れば、極東の赤軍は欧州に回され祖国ドイツは必敗よ──ちょび髭上等兵(ゲフライター)は不快だけど祖国は祖国なんだから」

 

 ナチスドイツの総統アドルフ・ヒトラーの軍歴はよく日本語では伍長と表現されるが、正確にはGefreiter、すなわち伍長勤務上等兵であり、下士官ではなくあくまで兵卒であった。

 

 その口調からも分かるように、アスカはナチ党員ではなくヒトラーのユダヤ人迫害政策にも常に批判的だった。彼女自身ツェッペリン伯爵家の末流ながら母の代からの東洋人との混血だけに少数民族の立場がよくわかるのだろう。

 

 シンジにはアスカの言うことがうまく飲み込めなかった。時は1940年6月、ドイツは前年にポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が始まっていた。フランスが先月ドイツに降伏したが、ドイツとソ連は戦争などしていない。

 

「私がヒトラー周辺の動きを観察した限りでは、近い将来ドイツがソ連と戦争する可能性は十分高いってことよ。その時に極東の赤軍を引き抜かれて欧州戦線に張り付けられていてはドイツに到底勝ち目はない」

「でも──、独ソ不可侵条約があるのに?」

「それなら日ソ中立条約で関東軍は安心しきっているって訳? ヒトラーもスターリンも条約なんて簡単に破る。やつらは貪狼よ。日本も気をつけた方がいいわ」

 

 今年の4月に日本とソ連は中立条約を結んでばかりであり、相互不可侵を約している。独ソ不可侵条約締結はそれより2年遡り、また、フランス降伏により日独間ではここ数年の懸案の軍事同盟締結が取り沙汰されている。アスカの忠告はソ連に気を付けろというメッセージであるのと同時に、日独同盟の有効性、信頼性に対しての疑問の呈示であり、牽制であった。

 

「……兎に角、そのゾルゲの情報は助かる。参謀本部にいるトウジに報せるよ」

 

 鈴原トウジ、陸軍士官学校第五十期卒であり、後に東條暗殺事件を起こす津野田知重らと同期で、立場もごく近い陸軍部内の良識派である。陸軍では数少ないシンジの友人であり、アスカとも面識がある軍人だった。現在、参謀本部第二部第六課(欧米情報担当)所属の大尉であった。 

 

 用件が済んだとばかり、半裸のアスカを置いて、外に出ようとすると、彼女にもう一度抱き寄せられた。

 

「慌てて出ないでよ。連れ込み宿よココ」

「う、それはそうだけど」

「怪しまれるし、ちゃんとする事はしていってよ。それが情報料よ」

 

 シンジは肩を落とした。場所が場所だけに、覚悟はしてきたのだが、やはりそういう展開になるのか。たまにはアスカとは軍事とも濡れ場とも離れた落ち着いた付き合いがしたいのだが。

 

「分かった……分かったよ」

「そんな情けない顔しない。身体を重ねるのは、気持ちいいし、愉しいことでしょ、碇少佐」

「それはそうだけど」

「自信持ちなさい、色男の海軍さん。あたしの初めての男なんだから──」

 

 上にのし掛かるようなアスカに押し倒され、詰め襟のホックを外されながら、まるで鴎外の『舞姫』のエリスだな──。帰国した彼を追いかけるように駐在武官として来日してきたアスカに対して、シンジは思わずそう思った。

 

 

「結局朝まで泊まってしまったな……」

「ねぇシンジ。私の上司をもちろん覚えているでしょ?」

 

 脱力したようなシンジの裸の胸の上に頭を乗せながらアスカは言った。頬は上気しており、微笑みに幸福感がたたえられているが、口調は真剣だった。

 

「アプヴェーアのカナリス提督だよね。留学中にお世話になった」

 

 アプヴェーアとは、ドイツ国防軍情報部のことである。ヴィルヘルム・カナリス海軍大将はアプヴェーアの部長であり、ドイツ情報機関とエヴァンゲリオン運用のトップである。彼は開明的な軍人であり、ユダヤ人を密かに支援するなど、ヒトラーとナチスに対しては面従腹背の姿勢を取っていた。

 

 カナリス提督は日本の海軍省直属特務機関ネルフの司令、碇ゲンドウ少将──シンジの実父でもあるが──のカウンターパートに当たる。ユダヤ人同様、東洋人への偏見もなくシンジや、東洋人の血を引くアスカにも親しく接してくれていた。

 

 実を言えば、シンジはドイツ留学中に、カナリス提督の紹介で同じエヴァンゲリオンパイロット候補であるアスカと知り合い、やがて恋仲になったのだ。そうした経緯で、提督は二人にとって公私に亘る恩人と言えた。

 

 アスカはシンジの胸から顔を上げて、青い瞳でシンジを見つめた。

 

「そう。彼は今の祖国の体制に不満を持っている。どのみち今の体制を変えないと未来はないの」

「それは日本も同じだよ」

「──列強のどこもかしこも共産国の権威主義的独裁体制と統制経済の効率性に憧れている。人種間の憎悪を煽っている。でもそれは間違っている」

 

 ソ連、ドイツ、英国、日本、アメリカ……主要国の何れもが濃淡はあれど、何らかの形で人種間の憎悪を煽っている。それは独ソ英に共通するユダヤ人に対する敵意であったり、アーリア人種優越思想であったり、白人によるアジア支配への敵愾心であったり、排日運動であったりした。前大戦までの騎士道精神や人種間連帯の精神──義和団の乱の時のような欧、日、さらには中の民間人との連携──は、時代の空気の前に吹き飛んでしまったようだ。

 

「アスカの事が心配だよ」

 

 しかし歯に衣着せぬアスカの批判は、彼女の祖国が人種主義の急先鋒なだけに、シンジを不安にさせずにはいられない。だが、アスカは首を振った。

 

「私は大丈夫。エヴァパイロットは欧州では日本以上に希少だからね。それに日本でもバチカン条約以降は、右翼が親英米派を狙っているでしょ」

 

 シンジの身を案じるようにアスカは言った。碇シンジは米内光政、山本五十六、井上成美、堀悌吉らの直系に当たる親英米派であった。

 

「エヴァの数量制限が不満だったんだよ」

 

 エヴァンゲリオンは、戦艦や後のN2爆弾のように列強の保持する力の象徴であり、かつ実体であって、戦艦や補助艦艇の数量が制限された後は、すぐに軍縮会議の議論の対象となったのである。陸上兵器でありながら、各国において海軍の所管とされたのもこの象徴性が戦艦に酷似していたためであろう。当時、戦艦の保有国は建艦費用のみならず運用ノウハウや莫大な射撃・弾道データ獲得、維持修繕運航のコストのために、後世のN2爆弾の保有国並みに希少だったのである。

 

「日本の零号機と初号機、ドイツの弐号機、合衆国の参号機とウルフパック、フランスのウルトビーズ、英国の仮設五号機とマーク6──日本だけが初号機凍結という煮え湯を呑まされた。そういう不満よね」

「合衆国の国力を考えれば軍縮条約があった方が良かったのに屈辱感から憤激していたんだ」

 

 バチカン条約以降、統帥権干犯という魔法の言葉が朝野を席巻し、議会勢力が弱体化するとともに一気に反英米感情が高まった。海軍予算の圧迫で瀕死だった各国の財政は救われたが、特に争論のなかった列強間に敵愾心を生んだという点で、平和を目指す軍縮会議としては失敗であった。この対英米への不信感は日本のバチカン条約の脱退以降も解けていない。

 

「実は合衆国でエヴァ量産の動きがある。バチカン条約は日本からご破算にしたんだから、合衆国は躍起になってエヴァを増やしてくるはず。信頼できる筋からの確かな情報よ」

「量産型か。物量で来られると苦しいな」

 

(日本でも初号機のスーパーエヴァンゲリオン化計画を進めているけど……) 

 

 エヴァの機数では勝てない日本としては、初号機強化の一点豪華主義で対抗しようという方針なのだ。もちろん、これは戦艦大和と同様、最高軍機である。

 

 アスカにも漏らすことの出来ない軍機を口の中に飲み込み、愛人である彼女に秘密を持つことに後ろめたさを感じてシンジは思わず眉を顰めた。

 

「それに、葛城博士のスーパーソレノイド理論を応用した新型爆弾も開発中とか」

N2(エヌツー)爆弾か──」

 

 日本の諜報機関であるD機関からも聞いたことのある新型爆弾のコードネームをシンジは口にした。

 

「とにかく気を付けなさい」

 

 アスカは立ち上がってシンジを裸身のまま見下ろした。そして下着とシンジのものと同じような白い海軍軍服を身に付け始める。海軍の軍服はどこの軍服にも大差がない、だからとっさの時に変装にも使えるんだと諜報部門出身の加持大佐から教えてもらったことがある。変装はさすがに無理だろうが、軍服に身を包んだアスカはまるで日本海軍軍人のようにも見えた。シンジは自分と彼女が別の国の軍隊に所属する身であることに臍を噛んだ。

 

 アスカは窓に近付いて、そっと影から覗き込んだ。

 

「昨日の尾行、まだいるわよ」

「一晩中いたのかな」

「あたしとシンジが愛し合っている間、ご苦労様なことね」

 

 下の通りの隅にひそむ、眼鏡でニキビ面の地方人(非軍人)風の間諜を哀れむように一瞥した後、シンジに再び近づいて、アスカは言った。軍帽からはみ出た長い金髪が窓から入った朝の光を浴びて、きらきらと輝いている。

 

「やっぱり合衆国を敵に回したら詰むわね。私はドイツに帰国して体制改革を目指すわ。弐号機パイロットの私ならヒトラーにも近付ける。シンジもやれることをするのよ」 

「うん、アスカも無茶だけはしないで。こちらは米内さんと山本さん、井上さんによく相談するよ。宸襟を悩ますのは畏れ多いけど、陛下も戦争には強く反対されているから……」

 

 立憲君主たる天皇の力に頼るのは、反則のような気もするけれど、いざとなったらそういうことも考えておかなければならない。いずれにしてもエヴァパイロットとはいえ、一介の少佐の力だけでは出来ることにも限りがある。

 

「Auf Wiedersehen」

 

 アスカが裸のままのシンジを抱きしめて口づけをした。

 

「うん、またね。……アスカ」

「次は平和の世界で」

 

 日独同盟にシンジは主義として反対だった。しかし戦場で敵としてアスカとまみえることが無いのだけは、その最悪の未来における唯一の救いと言えるだろう。

 

 

「お前の情報のお蔭でゾルゲの奴、逮捕されたで」

 

 開口一番、そう関西弁で囁かれて、シンジは先月、帰国の途についたアスカの姿を思い浮かべた。

 

「そうか、やっぱりスパイだったんだね」

「情報源は例のドイツの嫁さんか?」

 

 嫁さんというよりはインチかな──つい、シンジは頭の中で失礼なことを考えてしまう。インチとは長さの単位のことではなく、海軍隠語でいうところのインチメイト──馴染みの愛人のことである。

 

 三宅坂の陸軍省──来年、市ヶ谷台に移転が予定されていると聞く──にトウジを訪ねたシンジだったが、この反問には無言だった。その無言が雄弁に真相を物語っていた。

 

「まあええ。ただ今や同盟国とはいえ、慎重にな。誰が見とるかわからんさかい」

 

 日独伊三国同盟は海軍の一部や、天皇、枢密院などの憂慮を乗り越えて9月に調印されていた。

 

「うん。ところで陸軍内部の様子なんだけど」

 

 アスカのドイツ体制改革に呼応するように、シンジはトウジに日華事変の収拾工作の研究を呼びかけていた。

 

「畑大臣(俊六、陸相、陸士12)も、ワシが懇意にさせてもろてる梅津さん(美治郎、陸士15)少し下がって今村さん(均、陸士19)辺りは大陸からの撤兵に賛成してくれるんやないかと思うんやがなあ」

 

 陸軍良識派の名前を指折り数えて、トウジは言った。指折り数えられるのが寂しい限りだ。そうではあっても、日米戦争=世界大戦を回避するためには、日華事変を解決するに如くはない。

 

「多田さん(駿、陸士15)は?」

 

 駐華ドイツ大使を仲介としたトラウトマン和平工作で多田駿参謀本部次長は、政府の和平交渉打ち切り方針にあくまで反対だった。これを逃したら、中国との戦争は収められなくなる、と。政府が陸軍より強硬だった時期もあったのだ。

 

「陛下がな……」

 

 畑俊六が陸相候補に擬せられた時、梅津と並んで多田駿も候補に挙がった。天皇は首を縦に振らなかったという。叛服常無き石原莞爾との近さが警戒されたものという。

 

「なかなかうまく行かないね」

 

 みんなが一致して平和を指向したとしても、人間関係や君主の信頼が、事の正否を左右する。

 

 シンジはエヴァンゲリオンの強大な力をもってしても、ままならない平和への道を慨嘆しつつ、どこか当事者でありながらも他人事のように観望していた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。