天堕とし   作:心ここにあらず

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夢と過去

 

 初めはただ、イキの良いガキ…そんな印象だった。言うことを聞かねぇウチの馬鹿娘と一緒にいた黒髪のガキ。

 

 しかし、そのガキは初めからただのガキじゃあ無かった。なにせこの俺様に向かって成人もしてないようなクソガキが啖呵を切りやがったんだからよぉ。数倍は違うであろう体格差に明らかに種族という垣根を超えたまさに超越者の力を放ち続けているであろうこのカイドウに対して一歳怯むことなく正面から吠えやがったんだ。

 

 しかもいうに事を書いて俺様に楯突いた理由はウチの馬鹿娘が原因のようだ。…いや"あのタイプ"は根っからの善人だ。恐らくヤマトと同じような状況下に置かれた所謂"弱者、窃取される側"を知っている男の眼だった。

 

 その後、勿論俺様は生意気な口を効いたクソガキ…レイ・ヴァルハートに対し必要以上にボコボコにした。それはもう立ち直れない、トラウマを植え付けるように重傷を負わせた。…しかしレイは次の日にはケロッとした面で再び俺様に勝負を挑んできやがったんだ。ガキのくせに悪魔の実を使いこなし攻撃を繰り出すレイに俺様は少し期待した。このガキが成長した暁には俺様と対等…いや俺様を殺せる存在になれるんじゃないのか…と。

 

 

 それからだ。俺様がレイに覇気の存在を教え本格的に期待したのは。勿論教えるっつったって指導したとかそう言うじゃねぇ。向こうが勝手に俺様の覇気を見様見真似で覚え実践した事に対し俺様がひたすらに否定していくだけ。それだけだったんだが2年の月日が経った頃には奴は見違えるほどに強くなりやがった。"あの海軍大将"を彷彿とさせる氷雪系の悪魔の実を使いこなし尚且つ攻撃に武装色の覇気を纏わせ威力を底上げし、防御面に関してもこの2年で見聞色の覇気を習得した事で俺様の雷鳴八卦を喰らっても直撃や致命傷は避けれるほどに上達していた。

 

 

 そして、いつの間にか図体すら2年前より遥かにデカくなりやがったレイはこれまでの戦闘とは明らかに一線を画す表情で俺様の前に立ち塞がった。只の武装色を纏った攻撃ですら俺様の肌を突き破りダメージを与える威力に加え、奴が喰らった悪魔の実…"コチコチの実"の能力で一番厄介なのはその万能性。捕縛から迎撃、更には武器の造設、単体から大規模な攻撃まで無数の手札を持つ悪魔の実。

 

 それが奴の実力により拍車を掛けるのだ。ただでさえ厄介な悪魔の実を短絡的に見えて意外と頭も回る奴はそれを使いこなし俺様の攻撃に対しより相性の良い技を繰り出してきやがる。例えば俺様の雷鳴八卦…この大砲に対し奴は真正面から衝突することは避ける。小技の効いた技を用いり防御面でも全てを防ぎるのではなくどれだけ致命傷を避けるか…その一点を狙って動く。

 

 経った2年…たった2年で奴は新世界でも有数の実力者へ…それこそ四皇のクルークラスと遜色のない実力者へと変貌したのだ。

 

 

 しかし相手は四皇・百獣のカイドウ

 

 いくら実力が向上したとは言え相手はまさに世界最強の呼び声高い"生物的強さの到達点"

 

 

 "真の覇気"…覇王色を纏ったカイドウの金棒の前ではいくら強化された氷と言えど水風船のように簡単に破れてしまう。互いの大技の衝突…しかし吹き飛ばされるのはレイのみ

 

 

 もはやレイの全身で傷がないところは在らず息も上がり、誰が見ても疲労困憊なのは見て取れる。

 

 

 あぁ…やはりコイツじゃあ無かったのか。俺を殺せるほどの強者…違うと脳が理解した瞬間に次第にコイツへの期待が薄くなっていく。…殺すか。

 

 一重に留めを刺そうとした時、レイと俺の間に娘のヤマトが割り込んでくる。ヤマトは自分を犠牲にしレイを助けるようにと懇願してくる。そこまでコイツに絆されやがったか。

 

 俺はヤマトの懇願をある条件を元に叶えてやる事にした。それは俺と同じく四皇であるビックマムことシャーロットリンリンの息子と結婚すること

 

 しかし、それが奴を覚醒させてしまう引き金となってしまった。ヤマトの涙を目撃した奴から突然、黒雷が発生し大気が荒々しく脈動する。それが"覇王色の覇気"だと気づくのにそう時間は掛からなかった。

 

 元々軽佻は存在した。寧ろ俺相手にここまで戦い、ヤマトをも認めさせた男だ。持ってない方が不思議に思える程だ。

 

 そこからは互いに死力を尽くした応州を繰り広げる。奴の攻撃には無意識なのか覇王色が纏わりつき先ほどまでとは天と地ほどの差がある攻撃が繰り出される。この俺の鱗を容易く斬り落とし互角に戦う奴はまさに覚醒したといえよう。

 

 

 そして最後の一撃。互いが己が持ち得る最大最強の技を繰り出し衝突した一撃は和の国で巨大な振動と余波を繰り出し、あたり一面を更地にし山々は砕け海は大荒れに見舞われた。俺たち自身はと言うとレイの方はしらねぇが俺様は遥か彼方まで飛ばされており、その衝撃と威力に流石に体力、気力共に限界が近づいていたのだ。

 

 後に慌てて出てきた百獣海賊団の面々、特に大看板のキング達に話を聞くとどうやらヤマトやレイの遺体や影は見当たらなかったらしい。あれ程の実力を身につけた男だ。最後の衝突で木っ端微塵になったと言うのはまず有り得ないだろう。

 

 そしてあの決戦から早くも1月が経過しようとしたもののいまだに奴らの目撃情報はなく恐らくヤマトと共にこの和の国を出航した可能性が一番高い。

 

 

 

「ウォロロロ…"奴らとおでん"以外に俺様を満足させる奴がいるとはな」

 

「カイドウさん?」

 

 

 右腕のキングがこちらを不思議そうに見つめている

 

 

「キングよ。次代は移り変わっているようだ。ロジャーやロックスの時代は終焉を迎え新たな芽たちは着実に育ってきている」

 

「…。」

 

「ウォロロロ…俺を殺す男は奴かも知れんな…」

 

 

 そう言いながらカイドウは成人男性ほどの大きさを誇る樽に入った大酒を流し込む。その様子を見ながらキングは確信する。カイドウをも満足させれる実力を持つ男がいる事を…そして次に警鐘を鳴らす。カイドウには悪いが次はカイドウと戦う前に己が立ちはだかり奴を食い止めるのだと決心を固める。

 

 

 

 

 

 

 

「コラ引っ付くなってヤマト!」

 

「だってぇ〜!本当に死んじゃうじゃないかって〜」

 

 

 

 新世界…和の国から数百キロ離れた広大な海に囲まれた大海の中に2人の男女が存在した。2人が乗るのは中型船ほどの数人が乗り込める広さを持つ船で有り、その船の一室にて賑やかな空間が広がっていた。

 

 全身を包帯で巻いたレイとそのレイの腰に抱きつき泣きじゃくるヤマトの姿である。

 

 あの決戦の後、山を越え港付近まで吹き飛ばされたレイを追いかけて看病したのはヤマトである。ヤマトは見つけたレイとともに百獣海賊団の追っ手が迫る事を危惧し港に停めてあった適当な船と自分たちの洞窟の住処から必要物資だけを取り出して急いで海へと飛び出したのだ。

 

 

 

 しかしあの決戦での傷は深く、レイは三日三晩目を覚まさなかった。あまり医学に詳しくないヤマトはこのままレイが死んでしまうのではないかと酷く心配しようやく目覚めたレイに対して過剰に過保護になっていた。レイがどこへ行くのにもついて行き、トイレはなんとか死守したものの風呂はもう諦め今では一緒に入浴しているほどである。

 

 

「僕はおでんだけどレイはトキになってもらう事に決めたんだ。」

 

「いやなんでだよ。そもそも性別違うし」

 

「むぅ〜。…嫌なの?」

 

 

 メンヘラである。カイドウも酒に溺れ酔うと中々にめんどくさい性格をしていることは百獣海賊団の中では有名な話であるがヤマトの場合それがレイに該当してしまった。

 

 あの決戦でヤマトを嫁に出すと言ったカイドウから助けてくれたレイに対してヤマトはようやく自分で"この気持ち"がなんなのか整理がついたようだ。勿論、その知識も少なく精神的にはまだ幼いヤマトは所謂"初恋"に陥った子供のような心境であるが大人の成人女性よりも豊満な体格とハンコックに劣らない美貌にレイは押されっぱなしである。

 

 かといってレイ自身もヤマトの好意には気付いており、人並みに欲もあるレイはヤマトに対しても特に嫌な感情はありはしない。

 

 それどころかレイの精神がギリギリの土俵際で粘ってはいるもののこのままでは堕ちるのも時間の問題である。

 

 レイもカイドウとの決戦でヤマトを嫁に出すと言い放ったカイドウの言葉に酷く嫌悪感と嫉妬を抱いた事で自分の気持ちには気づいてはいるものの寸前のところでとある人物の存在がそれを食い止めるのだ。

 

 

「…"ハンコック"」

 

「むっ…誰それ」

 

 

 レイの表情と雰囲気から"敵"であると認識したヤマトは一瞬で不機嫌な表情を浮かべた。その様相を見たレイは苦笑しながらも頭を撫でて何とか誤魔化そうとする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝靄が晴れ、穏やかな陽光が島を包む。風に揺れる巨大な樹々と色鮮やかな花々が咲き誇り、鳥達の囀りが静かな森へ響いていた。

 

ここは女戦士の国と呼ばれ男を拒み続けた女ヶ島

 

"アマゾン・リリー"

 

その島の最奥。先代皇帝達が眠る慰霊碑の前で、一人の女性が静かに跪いていた。

 

腰まで届く漆黒の髪と透き通るような白い肌、長身でスタイルのいい体に二年前よりさらに気品を増したその姿は、まさに”世界一の美女”と呼ばれるに相応しい。

 

彼女の名前は"ボア・ハンコック"

 

アマゾン・リリー皇帝であり九蛇海賊団船長であり2年前に天竜人に誘拐された際、レイが命を賭けて守り抜いた存在である。

 

彼女は今日も花を供え、静かに目を閉じる。祈る相手は先代皇帝ではない。その胸に浮かぶのは、たった一人の青年。

 

黒髪を揺らし、出会ったばかりのハンコックを命を賭して守り抜いた英雄の姿だった。

 

「……もう二年、か」

 

小さく漏れた声は風に溶けていく。

 

誰も知らない。皇帝が毎朝この場所を訪れていることを。誰にも見せない涙を、この場所だけに落としていることを。

 

 

「…レイ」

 

 

 その名を口にした時、ハンコックの頬を再び雫が流れる。

 

“レイ・ヴァルハートは死んだ”…あの時助け出された奴隷たちは皆口を揃えてそう言った。無理もない天竜人直属の騎士団達を相手に1人残り戦い抜いたのだ。生きている方がおかしいと思うのは自然である。

 

「妾は……信じておる」

 

静かに祭壇へ触れる。あの日以降、口調も変えた。もう奪われないために…守るために強くなろうと決心したあの日から

 

 

「妾は必ず見つけるぞ。何年でも何十年でもお主を探し出すその日まで」

 

その時だった、一陣の風が吹く。祭壇へ供えられた一輪の白い花びらが、ふわりと舞い上がる。

 

ハンコックはゆっくり空を見上げた。

 

雲一つない蒼穹とどこまでも広がる青い世界。

 

その空の向こうで今もきっと、あの男は生きている。

 

そんな気がしてならなかった。ハンコックは涙を拭い、静かに立ち上がる。その横顔に迷いはない。希望だけがあった。

 

「必ず探し出すぞ……レイ…そしてその時は…妾と…」

 

あの絶望から助けてくれた恩人に、そしてレイを想う一人の女として今日も男へ祈りを捧げる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでこれから僕たちどうするの?」

 

 

 船の室内で本を読んでいたヤマトがそう呟く

 

 

「俺にはやりたい事がある。」

 

「やりたい事?」

 

「あぁ。もう理不尽に誰にも奪われないような世界を作るために…俺は力が欲しい。天竜人でも…世界政府が相手でも…たとえ四皇だとしてもそれに抗う術が欲しい。」

 

「今でも十分強いじゃないか。僕のバカ親父と戦えるだけですごい強いと思うけど」

 

「ダメだ。あの時は自分でも調子が良すぎて実力以上のものが出てたと思う。アレを平均的に出せるようにする。それにいくら俺とヤマトが強くても2人だけじゃあ限界がある。俺の目指す世界を作るためにはそれを死守するための力も必要となる。…世界中から生きる事に絶望を感じている人や救いを求めている人を集めて俺らで国を作るんだ」

 

「へぇ…って国を!?」

 

「あぁ。世界政府に属さない非加盟の独立国家。和の国なんてまさにそうだ。鎖国国家の代表例みたいなもんだしな。」

 

「う〜ん?」

 

 

 ヤマトはあまりこう言う固い話は好きじゃない。コイツは好きに暴れさしておく方が合ってるからな。

 

 ――それは、まだ誰にも語られたことのない夢だった。やれ海賊王を目指すだとか世界を支配したいだとかましてや、英雄と呼ばれたいわけでもない。

 

レイが望んだのは、ただ一つ。

 

誰かが理不尽に涙を流さなくて済む世界。その理想は、あまりにも幼く、あまりにも無謀だった。

 

何故なら世界には”正義”を掲げる世界政府が存在し、その頂点には数千年もの歴史を築き上げた天竜人が君臨する。

 

海には四皇が割拠し、新世代の海賊団が牙を研ぎ、無数の海賊達が己の欲望のままに旗を掲げる。誰もが己の信じる正義を掲げ、その正義同士がぶつかり合い、敗れた者だけが悪と呼ばれる。

 

そんな世界で――誰一人見捨てない国を築くなど。

 

笑い話にもならないほど、不可能な夢だった。

 

だがレイは知っていた。世界は生まれながらに平等ではないことを。

力がなければ守れないものがあることを。そして、優しさだけでは誰一人救えないことを。だからこそ、彼は力を求めた。

 

誰よりも強く誰よりも揺るがず四皇を退け、世界政府を敵に回してもなお折れない絶対的な力を…しかし、それだけでは足りない。

 

一人の強さでは、国は守れない。だから彼は集めようとしていた。

 

戦う力を持つ者だけではない。居場所を失った者。

 

奴隷として生きるしかなかった者。差別され、故郷を追われた者。世界に絶望し、それでもなお生きたいと願う者。そんな者達すべてに、帰る場所を与えるために。そこには身分も血筋も関係ない。

 

誰もが同じ空を見上げ、同じ大地を踏みしめ、胸を張って笑える国を創るんだ。誰にも奪われない自由と誰にも踏みにじられない尊厳。誰も飢えることなく、誰も涙を流さなくて済む場所。

 

それこそが、レイの描く理想国家だった。

 

もちろん、その道は平坦ではない。そんな国の誕生を、世界政府が許すはずもない。

 

海軍や世界政府が黙って見過ごすはずもない。

 

海賊ですら自らの領土に企みその存在を警戒するかもしれない。

 

世界中の常識を敵に回すことになるかも知れない。それでも彼は歩みを止めない。

 

なぜなら、その夢は誰かを支配するための夢ではなく。誰かを救うためだけに抱いた夢だからだ。

 

この日、誰も知らぬ海の上で、一人の青年が口にした理想。

 

それは後に世界の歴史を根底から揺るがし、世界政府さえ無視できない一つの国家を生み出すことになる。

 

まだ、その時代を知る者はいない。

 

だが歴史とはいつだって――誰にも信じられなかった、一人の夢から始まるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーー世界はどこまでも残酷だ。その少年は、生まれた瞬間から祝福されるはずの命ではなかった。

 

ある王国。

 

豊かな自然と繁栄を誇り、民からは理想国家と讃えられたその国の王城で、一人の美しい女性が働いていた。

 

王族に仕えるメイド。

 

だが、その美貌ゆえに王族の一人の寵愛を受け、やがて妾となった女性。

 

彼女は身分違いの恋など望んではいなかった。

 

ただ与えられた役目を果たし、静かに生きることだけを願っていた。

 

しかし、その腹に一つの命が宿る。

 

生まれた男児は、この世界ではあまり見ない漆黒の美しい髪と、澄み切った蒼に近い瞳を持っていた。

 

赤子の名はレイ・ヴァルハート。

 

それが母がその子に与えた名前だった。だが、その誕生を喜ぶ者はいなかった。

 

平民の血に王家の血が混じる。それは王族にとって”汚点”であり、王位継承の火種となり得る存在だった。

 

生まれて間もない赤子に向けられたのは、祝福ではなく――。

 

"母子ともに暗殺命令"

 

「母子ともに始末しろ。」

 

王城の奥で交わされたその一言だけで、親子の命は消えるはずだった。

 

しかしその計画を偶然耳にしてしまった母は、まだ産まれたばかりのレイを胸に抱き締め、夜の王城を裸足のまま駆け抜けた。

 

降りしきる雨と背後から迫る追手の中、母は振り返ることなく走り続けた。

 

愛する我が子だけは、生かすために。

 

 

 

 

 

それから何年もの歳月が流れた。運良く生き残った二人は世界地図にも記されないような小さな港町へ辿り着く。

 

誰も王族を知らず、誰も二人の過去を知らない。貧しくとも穏やかな日々。朝には市場へ出掛け、昼には笑い合い、夜には母が優しくレイを抱き締める。

 

豪華な城も宝石もないがそこには確かに、幸せがあった。

 

母は何度もレイへ言った。

 

「あなたは誰よりも優しい子になってね。」

 

「誰かを傷つけるためじゃなく、守れる人になって。」

 

その言葉だけが、母の願いだった。

 

だが――。世界はそんなささやかな幸せさえ許さなかった。ある日、一隻の巨大な船が港へ姿を現す。その船首に掲げられた紋章を見た瞬間、街の空気が凍りつく。誰もが頭を地面へ擦り付け子供は泣き、大人は震え、店という店は慌てて戸を閉めた。

 

現れたのは世界の支配者。"天竜人"とその護衛と海軍

 

その男は暇潰しでもするかのように街を歩き、商品でも眺めるような目で住民を見渡していた。

 

そして視線が、一人の女性で止まる。

 

「ほう……。」

 

母だった。年齢を重ねてもなお色褪せぬ美貌。そして気品ある立ち姿。

 

「気に入ったんだえ」

 

その一言だけで、運命は決まる。護衛達が無言で歩み寄り、母の腕を掴んだ。

 

「離してください!」

 

必死に抵抗する母。幼いレイは泣きながら母へ駆け寄ろうとする。

 

だが一人の護衛がその小さな体を乱暴に掴み上げた。

 

「ママ!!」

 

必死にもがくレイ。伸ばした小さな手は届かない。

その光景を見た瞬間だった。

 

母は迷わなかった。乾いた音が街中へ響く。母の掌が、天竜人の頬を打ち抜いていた。

 

誰もが息を呑み街は静まり返る。

 

天竜人が叩かれた。それは、この世界で最も許されない行為とされる、国家への反逆罪どころではない…それはこの世界そのものを敵にするようなもの

 

男はゆっくりと頬へ手を当てる。そして怒りに震える声で告げた。

 

「……殺すんだえ」

 

その二文字だけだった。

 

護衛達は一斉に銃を構える。引き金が引かれる。轟音と共に放たれた銃弾は、幼いレイへ向かっていた。

 

その瞬間母は迷うことなく飛び出した。小さな我が子を強く抱き締め、自らの身体を盾にする。

 

銃弾が身体を貫く。

 

一発、二発、三発と白い服が真紅に染まっていく。

それでも母は声も上げず倒れない。最後の力を振り絞り、レイだけは決して離さなかった。

 

やがて膝をつき、震える手でレイの頬へ触れる。

 

「レイ……。」

 

掠れた声。もうほとんど息は残っていない。

それでも母は微笑んだ。

 

「生きて……。どんなにつらくても……生き抜いて。あなたは……誰かを憎むために、生まれてきたんじゃない……。誰かを……守れる人になって……。あなたは……ママの……」

 

震える指先がレイの頬を撫でる。

 

「……一番の宝物。…大好き」

 

その言葉を最後に。母の手は力なく滑り落ちた。

瞳はもう二度と開かない。幼いレイは、ただ母を揺さぶり続けた。

 

「ママ……。起きてよ……。ママ……!」

 

返事はない。温もりだけが、少しずつ失われていく。その様子を見下ろしていた天竜人は、興味深そうにレイへ目を向けた。

 

漆黒の髪と吸い込まれるような蒼い瞳。まだ幼いながらも、人目を奪うほど整った顔立ち。

 

男は口元を歪める。

 

「……悪くないんだえ。妹への土産にしてやろう。」

 

その言葉一つで、レイの運命もまた決まった。母の亡骸から無理やり引き離される小さな手。

 

レイの泣き叫ぶ声が、港町に響き渡る。

 

だが誰も動けなかった。誰も助けられなかった。

世界最悪の権力を前に、人々はただ俯くことしかできない。

 

――これが、この世界の現実。

 

力なき者は奪われる。逆らえば殺される。正しさは、権力の前ではあまりにも無力だった。

 

だからこそ後に世界を揺るがす一人の男は、この日、心の奥底に決して消えない誓いを刻むことになる。

 

「もう二度と、大切なものを奪わせない。」

 

その誓いだけが、母から受け継いだ最後の遺産だった。

 

 

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