序盤から酒場で与太話ばかりする冒険者、誰も信じないけど全部実話だったっていうのをやりたい。 作:ヘルブラザーズ
次から次へと飛び出してくるハエトリグサモドキの大顎……アラキスは大太刀を振るいながらそれらを全てなぎ倒していく。切り裂かれたところから腐食するように溶けて消えていく……
もはやどれほどの時間が経過していただろう。アラキスは息を途絶えさせることなく淡々と迫りくる魔獣を刈り取る。文字通り根こそぎ刈る勢いだ。
カイとリダはただただ、その背中を見つめることしかできなかった。
「う、嘘だろ……」
カイの声は掠れていた。無理もない。十を超える魔獣が波状攻撃を仕掛けてきているというのに、アラキスは半歩たりとも後ろに下がっていない。それどころか、防戦どころか完全に狩る側に回っている。
リダは杖を握る手にぎゅっと力を込めながら、それでも一歩も動けずにいた。魔法で援護しようにも、アラキスの太刀筋があまりにも速すぎて、下手に割り込めば巻き込みかねない。
「カ、カイ、私達……何もできてない……」
「わかってる……!でも、俺たちが踏み込めるレベルじゃねぇよ……」
二人は寄り添うようにして、ただ立ち尽くすことしかできなかった。目の前で繰り広げられている光景は、彼らが今まで見てきたどんな戦闘とも違っていた。
ザシュッ、ザシュッ、と乾いた音が連続で響く。飛び出しては斬られ、溶けて消える魔獣の残骸が地面に染みを作っていく。それでもまだ、草むらの奥からは新手の気配が絶えない。
(……多い。多すぎる。)
これだけの数を単独の湧きで説明できるわけがない――アラキスの脳裏に、ちらりとそんな考えがよぎる。まるで巣穴から絶え間なく湧き出てくるかのような数だ。だが今はそれを考えている場合じゃない。目の前の一体、また一体を仕留めることに意識を割く方が先決だ。
右から来た一体を袈裟に斬り上げ、返す刀で左から迫る二体をまとめて薙ぐ。振り向きざまに背後から迫る影を大太刀の柄で弾き飛ばし、着地と同時に踏み込んで首を刎ねる。
息一つ乱さない。汗すら、ほとんど滲んでいない。
まるで身体が、いつも以上に軽い。それこそ、酒場で管を巻いている時の自分とは、まるで別人のように。
(……っぱ『身体は闘争を求める』ってか?久々にいい運動になるぜ。)
場違いな呑気さで内心そう呟きながらも、手だけは止まらず正確に、次々と迫る敵を刈り続ける。
と、その時。
地面がドクン、と震えた。
草木を薙ぎ倒しながら、これまでとは比較にならない質量のナニカが姿を現す。ハエトリグサモドキを何倍にも肥大化させたような、しかしそれだけではない――全身に幾つもの目玉のようなものが不規則に浮かび上がった、明らかに「格が違う」化け物だった。
「っ、あれが……本体か……!」
アラキスの声が、初めて低く沈んだ。
これまで相手をしていた個体とは、まとう気配の質からして違う。粘つくような、絡みつくような、嫌な圧が肌を刺してくる。前世でだって、こんな威圧感を感じたことはない。
本体と思しきその魔獣は、周囲に散らばる自分の分体――否、眷属とでも言うべきか――の残骸を一瞥すると、ぐるりとその無数の目玉をアラキスへと向ける。
まるで、値踏みでもするかのように。
「カイ、リダ!絶対にそこから動くな!何があっても、だ!」
「は、はい……!」
「アラキスさん、無理はしないで――!」
リダの声が、悲鳴に近い響きで背中に飛んでくる。だがアラキスはそれに答える余裕を、既に持ち合わせていなかった。
巨体に見合わぬ速度で、魔獣の本体が地を蹴った。空気を裂くような唸り声と共に、その大顎がアラキス目掛けて――そしてその奥にいるカイとリダをも呑み込まんとするような軌道で――迫る。
アラキスは動かない。
いや、正確には、動く必要がなかった。
大太刀を右下段に構えたまま、迫る大顎をただ静かに見据える。カイとリダには止まって見えたその一瞬――アラキスの中では、その巨体の動きも、大顎の軌道も、全てが緩慢に感じられていた。
(スッゲェ良く見えるぜ……)
牙の並び、顎の可動域、踏み込みの軸。まるで動画を一コマずつ再生しているかのように、その全てがくっきりと視界に映る。こんな感覚、今まで一度も味わったことがない。言葉にする間もなく、アラキスはニヤける。
――遅ぇよ。
大顎がアラキスへと届く、その刹那。
「――終わりだ」
地面を踏み抜くような踏み込みと共に、大太刀が一閃した。
鈍い音すらしなかった。まるで最初からそこに切れ目があったかのように、魔獣の本体はゆっくりと――しかし確実に、頭部から胴体、そして地面へと真っ二つに分かたれていく。
断末魔の声すら上げる暇もなく、巨大な魔獣は左右にずれ落ち、腐食するようにドロドロと溶け崩れていった。
辺りに、しん、と静寂が戻る。
鳥の声も、虫の音も、まだ戻ってはこない。だが、あの息が詰まるような不穏な気配だけは、確かに消えていた。
アラキスはふうと息を吐き、大太刀を静かに鞘へと収める。刃には汚れ一つ残っていない――まるで、最初から斬れることが決まっていたかのように。
「……終わったか」
振り返ったその顔は、いつもの飲んだくれの顔とは、少しだけ違って見えた。
カイとリダは、へなへなとその場に崩れ落ちる。腰が抜けたのか、二人とも立ち上がることすらできない様子だ。
「あ……アラキスさん、あんた、一体……」
カイが震える声で問いかける。その目には、さっきまでの生意気な自信は欠片も残っておらず、ただただ畏怖の色だけが浮かんでいた。
「な、なんですかあれ……最後の、あの一撃……」
リダも震える声で呟く。彼女は魔術師だ、戦闘の心得もそれなりにある。だからこそわかる。今の一撃が、居合が、どれほど常識外れだったかということが。
だがアラキスは、いつもの調子でひらりと手を振った。
「なんだよその顔。ほら、突っ立ってねぇで帰るぞ。……あー、腹減ったな。帰りに酒場寄って何か食おうぜ」
あくまで飄々と、いつも通りに。
「い、いやいやいや!ちょっと待ってください、今の説明を――」
「説明も何も、倒したから終わり。それでいいだろ」
「よくないですよ!?」
カイが半ば涙目で食い下がってくる。まぁ、そりゃそうである……あれだけの化け物を目の前で瞬殺されれば、誰だって説明が欲しくなる。
しかしアラキス自身、内心では驚きを隠せずにいた。
(……なんだよ、あの化け物共。)
これまで幾度となく死線を潜り抜けてはきたが、あんな化け物は見たことがない。調べようにも亡骸はほかのやつらと一緒に溶けてなくなってしまった。これではこの化け物どもの証明のしようがないではないか。
まぁ、深く考えたところで答えが出るわけでもない。今はとりあえず、この二人を無事に街まで送り届けるのが先だ。
「ほら、いいから立てるか?肩貸してやるから」
「あ……ありがとうございます……」
差し出された手を、カイは呆然としたまま握る。立ち上がったその足は、まだ少しふらついていた。アラキスを掴む手は未だに震えている。
リダはそんな二人の様子を見て、ふいに目に涙を浮かべたかと思うと――堪えきれなくなったように、アラキスと、カイに抱きついてきた。
「うわっ!?お、おい、いきなり何を――」
「リダっ!?ちょっ!?」
「怖かったんです……本当に、本当に怖かった……!このまま二人とも死ぬんだって、そう思ったのに……!」
声を震わせながら、リダはぎゅっとアラキスの服を掴む。カイもそれに続いて、深々と頭を下げてきた。
「アラキスさん……助けてくれて、本当にありがとうございました。俺、調子に乗って、リダの言うことも聞かないで……本当にすみませんでした」
いつもの生意気さは鳴りを潜め、二人ともただただ真摯な様子でアラキスを見つめている。
アラキスは頭をガシガシと掻きながら、居心地悪そうに視線を逸らした。
「……いいっての。無事だったんだから、それで十分だろ。それに、俺だって最初は小遣い稼ぎのつもりで来ただけだしな」
その言葉に嘘はない。だが、それだけでもないことを、アラキス自身が一番よくわかっていた。
「さぁて、それより早く帰るぞ。この森、なんか薄気味悪くなってきたしな。あと――」
アラキスはちらりと、魔獣が溶け崩れた場所へ視線を投げる。もう何も残ってはいない。だが、そこにあった異様な気配だけは、まだ脳裏にこびりついていた。
「――今日のことは、しばらく誰にも言うなよ。俺の武勇伝ってことにしといてくれ。」
いつもの軽口。だがその声には、ほんの少しだけ、真剣な響きが混じっていた。どうせ、いつものホラ吹きだと信じてはもらえないだろうが……それでもなお、念には念を入れての口止めだ。
カイとリダは顔を見合わせ、それから小さく頷く。
「……はい」
「わかりました」
三人は森を後にする。木々の隙間から差し込む夕暮れの光が、来た時とは違う色に街道を照らしていた。
アラキスの足取りはいつも通り飄々としたものだったが、その背中を見つめるカイとリダの目には、もう先ほどまでのような侮りの色は、微塵も残っていなかった。
同時に……本来起こるはずだった悲劇が一つ減った。それを武勇伝としてアラキスが自覚する日はまだまだ遠い未来のことであろうが。