序盤から酒場で与太話ばかりする冒険者、誰も信じないけど全部実話だったっていうのをやりたい。 作:ヘルブラザーズ
ヒユ・セツナ。
幼き頃から剣術を極めてきた剣豪の家系であり、彼女もまた一族の例に漏れずその生涯のほとんどを剣術の研鑽に費やしている。
そんな彼女もこの『イーヴィル・テイル』の世界では哀れな末路を辿りかねない存在の一人だった。
本来のシナリオにおいて、ヒユ・セツナは主人公と直接パーティを組むキャラクターではない。彼女は「冒険の中で時折顔を合わせる一匹狼のライバル剣士」というポジションのNPCだ。
万物を斬り得る才を持ちながら、決して驕らず、常に己の未熟を恥じ続ける求道者――そんな彼女の生き様に惹かれるプレイヤーは、決して少なくなかった。
だが『イーヴィル・テイル』というゲームは、そうした魅力的なキャラクターほど、無慈悲に磨り潰すことに躊躇のないタイトルだった。
本来のシナリオでは、ヒユはとある場所で発生した魔獣の異常発生を単独で調査に向かい、そのまま行方を絶つ。
後にプレイヤーが彼女の足跡を追って辿り着くのは、無数の魔獣に囲まれ、なおも剣を握り続けたまま事切れた、彼女の変わり果てた姿だった。
あらゆる得物を極めた剣豪をもってしても、群れを成す魔獣の物量には抗えなかった――そんな「才ある者すら平等に押し潰す」という、この作品が繰り返し描いてきた鬱展開の典型のひとつが、彼女に用意された末路だった。
最期の瞬間、彼女が何を思っていたのか、シナリオ上で語られることは一切ない。ただ、プレイヤーの手には、彼女が握りしめたまま事切れていたという、一振りの折れた剣だけが遺されるのみだ。
だがこの世界において既にヒユは自身の才能を超える者を知っている。本来一匹狼の彼女が、何の因果かパーティを組んでいたほどの相手がいる。
それは間違いなくストーリーを変える一石になり得るのだ。
……勿論、そんな未来をヒユ自身が知る由もない。
馬車に揺られながら、彼女はただ、剣の柄を指先でなぞり続けている。何気ない癖のようなその仕草には、これまで積み重ねてきた研鑽の年月と、まだ拭いきれない過去の因縁が、静かに滲んでいた。
窓の外に流れる景色を眺めながら、ヒユはふと小さく息を吐く。
(――何を今更、緊張してんだか)
自嘲気味にそう呟きながらも、目的の街が近づくにつれて、胸の奥のざわつきは増していくばかりだった。しばらくして馬車は街へと辿り着く。
ヒユは向けられる眼差しを無視してそっと足を踏み出す……少し懐かしさを感じる街並みだ。
ちなみにヒユはコートを目深に隠して素顔をなるべく隠している状態だ。
ヒユは今や王都に名を轟かせる剣豪、下手に顔を晒して騒ぎになっては困る……と言う判断だ。あの号外が街中に出回っているであろうことを考えれば、なおのこと迂闊な真似はできない。
通りを歩く人々の視線を避けるように、俯き加減で街を進む。石畳の感触も、軒先に吊るされたランプの意匠も、王都のそれとはどこか違う。地方特有の、ゆったりとした空気がこの街には流れていた。
(懐かしい……ような、そうでもないような)
この街に来たことがあるかどうか、正直はっきりとは思い出せない。だが不思議と、心のどこかがざわつく感覚だけは拭えなかった。
ともかくやるべきは情報集め……こういう時に情報集めをするには酒場が一番だと相場が決まっている。人が集まる場所には、自然と噂も集まるものだ。
ヒユはそっと足を進めて酒場を探すと、ものの数分で見つけることができた。看板には木彫りのジョッキが描かれている、いかにも冒険者向けの造りの店だ。
ヒユはそっと扉を開いて酒場の扉を潜る。
昼下がりの酒場は、それなりに賑わいを見せていた。ムサい男達が机を囲んで笑い合い、その隙間を縫うように、給仕係が忙しなく行き交っている。
(……悪くない雰囲気だな)
剣呑な気配を纏う自分に対して、こちらを窺うような視線が幾つか刺さるのを感じたが、ヒユは慣れたもので気にも留めなかった。旅の剣士など、こういう街ではさして珍しくもない。フードの下から辺りを一瞥し、店内の様子をざっと確認する――これも、長年染み付いた癖のようなものだ。
カウンター席の隅に腰を下ろすと、程なくして若い女将が声をかけてきた。
「いらっしゃいませ。お一人ですか?」
「あぁ、適当に軽いものを頼む。それと――」
ヒユは一拍置いてから、続けた。
「少し、話を聞きたいことがある」
その言い方に、女将――ナリアはわずかに目を丸くする。ただの旅人にしては、纏う空気がどこか違う。腰の得物、無駄のない立ち振る舞い、そして何より、こちらを見定めるような視線の強さ。
「話……ですか?もしかして、噂の……」
ナリアが言いかけたところで、ヒユは小さく頷いた。
「深緑の森の近くで、妙な魔物が出たと聞いてな。詳しい話が聞ければと思って、こうして立ち寄らせてもらった」
その言葉に、ナリアの表情がわずかに強張る。数瞬の間を置いてから、彼女は静かに口を開いた。
「……お客さん、もしかして王都の方の冒険者ギルドの方とか、そういう……?」
「いや、そういうわけじゃない。単に個人的な興味だ」
「個人的な、興味……」
訝しむようなナリアの視線に、ヒユは少し冷や汗を垂らしながらも、懐から一枚の紙――あの号外を取り出して、カウンターの上に静かに置いた。
「これと似たような魔物が、この街の近くにも出たと聞いた。事実か?」
ナリアはその紙面に視線を落とすと、小さく息を呑んだ。
「……えぇ、事実です。少し前に、深緑の森の奥で……」
言いかけて、ナリアは一瞬言葉を切る。何かを迷うような、あるいは誰かを庇うような、そんな間だった。
「詳しいことは、私もあまり……ただ、幸い誰も犠牲にはならずに済んだと聞いています」
(誰も、犠牲にならずに?あれだけの魔物が相手で?)
ヒユの声に、思わず疑念の色が滲む。号外に記されていた魔物と直接対峙したヒユだからこそ分かる情報…………複数体での連携、異質な体液、通常種とは一線を画す危険度。単独の冒険者、それも駆け出しクラスであれば、まず生きて帰れるような相手ではないはずだ。
「その調査に向かった冒険者は、無事だったのか?」
「……はい。運が良かったんだと思います」
ナリアはどこか歯切れの悪い様子で答える。何かを隠している、というよりは――誰か特定の人物を思い浮かべながら言葉を選んでいる、そんな気配がヒユには感じ取れた。
(運、ねぇ……)
剣士としての勘が、静かに告げていた。これはただの幸運では片付けられない話だ、と。
「その運が良かったって冒険者、駆け出しなのか?」
「はい……といっても、その子達だけじゃなくて……」
そこまで言いかけて、ナリアははっとしたように口を噤む。まるで、話してはいけない一線に触れかけたかのような、そんな間だった。
「……いえ、なんでも」
「なんでも、で片付けるには、その顔は誤魔化しきれてないぞ」
ヒユの静かな指摘に、ナリアは観念したように小さく肩を落とす。それでも完全に話す気にはなれないのか、視線をカウンターの木目にそっと落とした。
「なぁ、その冒険者について、もう少し詳しく――」
ヒユがそこまで言いかけた時、店の奥から新たな声が割り込んできた。
「ナリアぁ!カイの奴、いつの間にかめちゃくちゃ筋良くなっててビビったぞ!ちょっと祝い酒くれや!」
威勢のいい声と共に、扉が勢いよく開く。だがそこにいたのは、ヒユが求める答えとは似ても似つかない、ガラの悪そうな中年冒険者の一団だった。ヒユが一瞬身構えたのも束の間、すぐに彼らはカウンターとは反対の卓へと向かっていく。
「あぁ、すみません、常連さんで……」
ナリアが苦笑気味に説明する。ヒユは小さく肩の力を抜きながらも、内心でわずかな落胆を覚えていた。
――今、店に入ってきたのがアラキスだったら。
そんな益体もない考えが一瞬よぎったことに、ヒユ自身が一番驚いていた。
(……何考えてんだ、私は)
軽く頭を振って、雑念を追い払う。ヒユが知る由もないことだが、当のアラキスは今この時、この酒場から少し離れた草原で、カイの鍛錬に付き合っている真っ最中だった。
カウンター越しに、常連らしき男達の笑い声が響く。誰かの武勇伝を肴に、また誰かが茶々を入れる――そんな、どこにでもありそうな酒場の光景だ。だが今のヒユには、その賑やかさすらどこか落ち着かない。
「――続き、聞かせてもらえるか?」
気を取り直したヒユが問いかけると、ナリアは少し考えるような素振りを見せてから、ゆっくりと口を開いた。
「そうですね……お客さんが、その、只者じゃなさそうなのはわかりますし……少しだけなら」
カウンターの向こうで、ナリアが声を潜める。窓の外では、まだ昼下がりの陽が、街の石畳を柔らかく照らしていた。
ナリアはちらりと店の入り口の方に視線を向けた後、小さく息をひとつ吐いてから、ようやく重い口を開き始める。
「実は、その化け物と戦った子達……というより、正確に言うと――助けに行ったアラキスって言う冒険者さんが居まして……」
次の瞬間放たれた名を聞いた途端に、ヒユは軽く肩を落とす……そして、ナリアに静かに問いかけた。
「その冒険者、今どこにいるのか分かるか?」