カントーの潮風を追って 作:mochiato
再び春になった。
七歳になったヤマトは、今日も港へ向かっていた。
去年の春は、一人で港まで歩くことだけでも少し緊張していた。
今ではもう、道順を考える必要もない。
いつもの角を曲がり、いつもの道を歩く。
ポケモンフードの入った袋も忘れていない。
それに、去年の冬からは予備も用意するようになった。
「今日は何しようかな」
ヤマトは歩きながら考える。
港が見えてくる。
海の匂いがする。
いつもの場所へ向かうと、赤い背びれが水面から見えた。
「おはよう」
ヤマトが声を掛ける。
コイキングが跳ねる。
バシャーン。
「元気だね」
ヤマトは笑った。
もう、この光景もすっかり日常になっている。
◇
その日は、いつものポケモンフードとは別に、釣りざおを持ってきていた。
家にあった古い釣りざおだ。
性能の良いものではない。
けれど、普通の魚を釣るくらいなら使える。
そして、ポケモンが掛かった場合はコイキングしか釣れない。
「ちょっと釣ってみようかな」
ヤマトは岸壁に座り、釣り糸を海へ垂らした。
しばらく待つ。
波がゆっくり揺れている。
糸も動かない。
「まだかな」
少し待つ。
そのとき、竿先が大きく揺れた。
「来た」
ヤマトは竿を握り直す。
魚が掛かった。
糸が引っ張られる。
ヤマトは慌てずに竿を引いた。
「よいしょ……」
水面から赤い体が飛び出す。
コイキングだった。
「やっぱりコイキングだ」
ヤマトは釣り上げたコイキングを見つめる。
相棒とは別の個体だ。
釣られたコイキングは、海の上で跳ねている。
その姿を見ながら、ヤマトはふと思った。
「そういえば……」
相棒の方を見る。
相棒はいつものように海面から顔を出していた。
ヤマトは少し考えた。
今まで相棒とは、餌を投げたり、一緒に跳んだりして遊んできた。
でも、七歳になった。
そろそろ、戦うことも覚えてみてもいいかもしれない。
ヤマトは相棒の方を向いた。
「やってみる?」
コイキングが跳ねる。
「じゃあ……」
ヤマトは釣り上げたコイキングを見る。
それから相棒を見る。
「たいあたり!」
コイキングの動きが変わった。
水面を跳び上がり、そのまま釣り上げたコイキングへ向かっていく。
ドンッ!
「おお」
見事に命中した。
釣り上げられたコイキングが大きく跳ねる。
ヤマトは少し目を丸くした。
「できた」
相棒は何事もなかったように海へ戻る。
「ちゃんと分かったんだね」
もう一度、釣り上げたコイキングを見る。
まだ元気そうだ。
「もう一回」
ヤマトは相棒へ指示を出す。
「たいあたり!」
すぐに反応する。
再び体当たり。
今度もきれいに当たった。
「上手いね」
相棒が水面から顔を出す。
ヤマトは少し考えた。
もう十分だろう。
「もういいよ」
相棒のコイキングはすぐに動きを止めた。
釣られたコイキングは、海面を跳ねながら少しずつ離れていく。
「今度は、もう少しいろんなことできるようにしようか」
「じゃあまたね」
ヤマトは手を振る。
少し離れたところから、相棒が一度だけ跳ねた。
春の海に、大きな水しぶきが上がった。
◇
それから、釣りはヤマトの日課の一つになった。
最初のうちは、釣りざおを持って港へ行くこと自体が少し新鮮だった。
魚が掛かるまでの時間も長く感じる。
けれど、何度も繰り返しているうちに、竿先の小さな変化にも気付けるようになった。
普通の魚が釣れることもある。
そして、ポケモンが掛かれば、やっぱりコイキングだった。
釣り上げたコイキングを海面に留めたまま、相棒に声を掛ける。
「たいあたり!」
相棒が跳ぶ。
ドンッ。
命中する。
「もう一回!」
また跳ぶ。
ドンッ。
それを何度か繰り返す。
ある程度で、
「もういいよ」
と止める。
釣ったコイキングは、そのまま海へ戻っていく。
「またね」
ヤマトが手を振る。
コイキングが遠ざかっていく。
そんな日が、少しずつ増えていった。
◇
夏になった。
暑い日でも、ヤマトは港へ向かった。
太陽が高く、海面が眩しい。
「暑いね」
岸壁から海を覗き込む。
コイキングが跳ねる。
バシャーン。
「水の中は涼しそう」
ヤマトがそう言うと、コイキングがもう一度跳ねた。
その日は何度か餌を投げたあと、釣りざおを取り出した。
しばらくして、またコイキングが掛かる。
「来たね」
相棒を見る。
「たいあたり!」
ドンッ。
最初の頃と同じ技。
けれど、ヤマトにとってはもう特別なことではなくなっていた。
指示を出せば、コイキングが動く。
コイキングが動けば、ヤマトは次の指示を出す。
それだけのことが、いつの間にか自然になっていた。
◇
秋。
風が冷たくなってきた頃には、釣りにもすっかり慣れていた。
餌を投げる。
釣りをする。
コイキングが掛かる。
たいあたりを指示する。
そして、終われば海へ帰す。
いつもの流れだ。
ある日、ヤマトは相棒を見て首を傾げた。
「……大きくなった?」
以前より、少しだけ身体が大きい。
気のせいかもしれない。
けれど、春の頃より明らかに違って見えた。
相棒が水面から跳び上がる。
バシャーン。
「やっぱり大きくなってる」
ヤマトは少し嬉しそうに笑った。
コイキングは何も気にせず、また海の中へ戻っていく。
◇
冬。
寒い日は、港にいる時間も短くなった。
「今日はちょっとだけね」
ヤマトがそう言うと、コイキングが跳ねる。
釣りをして、コイキングが掛かれば、いつものようにたいあたり。
「たいあたり!」
ドンッ。
「もう一回!」
ドンッ。
そして、
「もういいよ」
それだけ。
派手な戦いではない。
けれど、一年近く繰り返してきたことで、それはヤマトとコイキングにとって当たり前の時間になっていた。
最初にたいあたりを指示した日のことも、今では少し遠く感じる。
◇
そして、また春が来た。
ヤマトは八歳になった。
いつものように港へ向かう。
道も、海の匂いも、何も変わらない。
けれど、一年前とは少しだけ違う。
ヤマト自身も少し背が伸びた。
そして――
「おはよう」
海面から顔を出したコイキングを見る。
「……やっぱり大きくなったね」
相棒のコイキングは、以前よりずっと大きくなっていた。
それでも、まだコイキングだ。
「今年はどこまで大きくなるかな」
コイキングが跳ねる。
バシャーン。
ヤマトは笑った。
「まあ、ゆっくりでいいか」
そう言って、ポケモンフードを取り出す。
一粒、海へ投げる。
コイキングが跳ぶ。
そして、その身体は去年よりも大きな水しぶきを上げて海へ戻っていった。
八歳の春。
ヤマトとコイキングの日常は、また始まった。