カントーの潮風を追って 作:mochiato
また一年が過ぎた。
ヤマトは八歳になった。
春のクチバシティは、冬の寒さが抜け始めていた。
港へ向かう道を歩きながら、ヤマトは少しだけ伸びた自分の影を見る。
七歳の頃より、ほんの少し背が高くなった。
歩く速度も速くなった。
釣りざおを持って歩くことにも、もう慣れている。
そして港に着けば、いつものように海の中から赤い体が現れる。
「おはよう」
ヤマトが声を掛ける。
バシャーン。
「今日も元気だね」
コイキングが跳ねる。
七歳の一年間で、釣りをすることも、戦うこともすっかり日常になっていた。
たいあたり。
何度か戦って、頃合いを見て終わる。
釣ったコイキングは海へ帰す。
そんな日々を繰り返している。
相棒のコイキングも、去年より少し大きくなった。
けれど、まだコイキングだ。
「いつになったら進化するんだろうね」
ヤマトがそう言うと、コイキングが跳ねた。
「まあ、急がなくてもいいけど」
そう言って、ヤマトは餌を投げた。
◇
ある日のことだった。
父が仕事から帰ってくると、手にいくつかの物を抱えていた。
「ただいま」
「おかえり」
ヤマトは父の手元を見る。
「それ何?」
「仕事先で出てきたものだな。使わなくなったものとか、処分するにはまだ使えそうなものとか」
「へえ」
父が荷物を置く。
ヤマトは一つずつ眺めてみた。
すぐに使い道が分かるものもあれば、何に使うのか全然分からないものもある。
その中に、古びた道具がいくつか混じっていた。
「これ、もらっていい?」
「何に使うんだ?」
「分からないけど……何かに使えるかもしれない」
父が少し笑う。
「そんなものか?」
「うん」
ヤマトは考えた。
こういう物が仕事先から出てくるなら、これからも似たような物が出てくるかもしれない。
「父さん」
「ん?」
「これから仕事で、何か使えそうなのがあったら物置に置いておいてよ」
「物置に?」
「うん。自分で見て、使えそうなのがあったら取るから」
「分かった」
父はあっさり了承した。
「ただし、物置がいっぱいになったら整理しろよ」
「分かってる」
その日から、ヤマトにとって家の物置は少しだけ特別な場所になった。
◇
物置の中は、決して綺麗ではなかった。
古い道具。
箱。
使い道の分からない部品。
いつ使うのか分からないもの。
ヤマトは時々、その中を覗くようになった。
「これは……違うな」
手に取って、戻す。
「これも何に使うんだろう」
また戻す。
そんなことを繰り返していると、奥の方に小さな箱があった。
開けてみる。
中には、石が入っていた。
「……綺麗」
普通の石とは少し違う。
妙に整った形をしていて、光の当たり方によって表面がきらりと光った。
ヤマトは手のひらに乗せる。
「何だろう、これ」
父に聞いてみても分からなかった。
「仕事先にあったものじゃないか?」
「これ、何に使うの?」
「さあな」
誰にも分からない。
ヤマトはもう一度石を見る。
「まあ、綺麗だし」
自分の部屋へ持っていくことにした。
◇
数日後。
また物置を探していると、今度は別の石を見つけた。
「……また石だ」
こちらも綺麗だった。
最初に見つけたものとは形が違う。
けれど、普通の石ではないことくらいは分かる。
「これも何か分からないな」
父に聞いても、やっぱり分からない。
ヤマトは二つの石を並べてみた。
「こっちの方が好きかな」
少し悩んでから、どちらも自分の部屋に置くことにした。
特に使い道はない。
ただ、綺麗だから。
それだけだった。
◇
さらに物置を探していると、今度は石とは違うものが出てきた。
「これは……?」
金属のような部品。
丸い部分と、少し変わった形の突起が付いている。
ヤマトには何に使うものなのか分からなかった。
「ポケモンに使うのかな」
なんとなく、そんな気がした。
これも取っておく。
その隣には、古びたハチマキのようなものもあった。
「これも?」
手に取ってみる。
特に変わったところはない。
「ポケモン用かもしれないし……」
とりあえず、これも取っておく。
結局その日は、四つほど物を自分の部屋へ持っていった。
綺麗な石が二つ。
用途の分からない金属製の道具が一つ。
そしてハチマキ。
どれも、今すぐ使う予定はない。
それでもヤマトには、
いつか何かの役に立つかもしれない。
そんな気がしていた。
◇
それからしばらくして。
ヤマトは父が仕事から帰ってくるたび、少しだけ期待するようになった。
「今日は何かある?」
「今日はないな」
「そっか」
「お前、本当に物置好きだな」
「宝探しみたいで面白いから」
父は笑った。
「仕事先にもそんなものがあるのか?」
「あるかもしれないな」
「じゃあ、何かあったらよろしく」
「はいはい」
そんな会話をするようになった。
ヤマトは父の仕事について、少しずつ知っていった。
何をしているのか全部分かるわけではない。
それでも、父が仕事をすることで、自分の知らない場所から知らない物が家へやってくる。
そのことだけは分かった。
そして、その中には時々、自分にとって面白いものが混じっている。
それだけで十分だった。
◇
別の日。
父と街へ出かけた帰り、ヤマトは以前から気になっていた建物の前で足を止めた。
ポケモンだいすきクラブ。
十一話のときにも前を通った場所だ。
「ここ、入ってみる?」
父が聞いた。
「うん」
ヤマトは中へ入った。
そこには、たくさんの人がいた。
ポケモンを連れている人。
ポケモンについて話している人。
ポケモンを撫でている人。
楽しそうに笑っている人。
ヤマトは少しだけ周囲を見回した。
ニャース。
ピカチュウ。
ポッポ。
ほかにも、これまで街で見かけたことのあるポケモンがいる。
けれど、こうして一つの場所に集まっているのを見ると、改めて数の多さを感じた。
「色んなポケモンがいるね」
「そうだな」
父が答える。
ヤマトは近くにいたポケモンを眺めた。
コイキングとは全然違う。
歩くもの。
飛ぶもの。
人のそばで大人しくしているもの。
誰かの荷物を運んでいるもの。
ポケモンは、ただ戦うためだけにいるわけではない。
それは知っていた。
けれど、こうして改めて見ると、その当たり前のことが少しだけ新鮮だった。
「コイキングは?」
近くにいた人が聞いた。
「いるよ」
「どんな子?」
「元気だよ」
ヤマトは少し考える。
「よく跳ぶ」
「それだけ?」
「あと、たいあたりもする」
そう言うと、相手が笑った。
「ずいぶん元気なコイキングね」
「うん」
ヤマトも笑った。
自分にとっては、あのコイキングが当たり前だった。
でも、ここにいるポケモンたちを見ると、同じポケモンでも付き合い方は全然違うのだと分かる。
その日は、しばらくクラブの中を見て回った。
帰る頃には、ヤマトは少しだけ満足していた。
「また来てもいい?」
「いいぞ」
父が答えた。
◇
その頃から、ヤマトは街で見かけるポケモンにも少し目を向けるようになった。
今までも見てはいた。
けれど、コイキングとニャース以外のポケモンについて、わざわざ考えることはあまりなかった。
街角で荷物を運ぶワンリキー。
店先で昼寝をするニャース。
子供と一緒に歩くポケモン。
それぞれに、それぞれの生活がある。
「ポケモンって、結構色々いるんだな」
ある日、ヤマトはそう呟いた。
父は、
「今さらか?」
と笑った。
「知ってはいたけど、ちゃんと見てなかったから」
「なるほどな」
ヤマトは歩きながら、少しだけ考えた。
自分の知らないポケモンは、まだたくさんいる。
それは、少し楽しみだった。
◇
そんなある日のことだった。
いつものように港へ行き、ヤマトがコイキングと過ごしていると、少し離れたところに見慣れない男が立っていた。
大柄だった。
周囲にいる人たちとは明らかに体格が違う。
そして、外国人だった。
クチバシティで暮らしているヤマトにとって、外国人そのものが珍しい。
まして、その姿には見覚えがあった。
ヤマトは一瞬だけ目を細める。
(……マチス?)
転生する前に知っていた人物。
クチバジムのジムリーダー。
そして、でんきタイプの使い手。
見間違えることはなかった。
ただ、本人から名乗ったわけではない。
ヤマトは少しだけ様子を見る。
男は港を眺めている。
その視線が、やがてヤマトとコイキングへ向いた。
「おい、坊主」
声を掛けられた。
「何してる?」
「コイキングと遊んでる」
「そのコイキング、お前のポケモンか?」
「違うよ。野生」
「野生?」
「いつもここにいるんだ」
マチスは海面を見る。
コイキングが跳ねる。
バシャーン。
「……へえ」
少し面白そうに眺めている。
ヤマトはその反応を見ながら、少し考えた。
せっかくマチスと会えたのだ。
何か聞いてみたい。
そこで、ヤマトはポケットの中に手を入れた。
物置から見つけた、あの金属製の道具。
「ねえ」
「ん?」
「これ、何か分かる?」
マチスの顔が変わった。
「……それ、どこで手に入れた?」
「父さんの仕事関係」
ヤマトは素直に答えた。
「物置にあったから貰った」
マチスはエレキブースターをじっと見る。
「エレキブースターだ」
「何に使うの?」
「ポケモンの進化に使う道具だ」
「進化?」
「ああ」
ヤマトは少し考える。
やっぱり。
転生前の知識とも一致した。
(やっぱり、この人マチスだ)
これで確信した。
「へえ」
ヤマトはエレキブースターを見る。
「じゃあ、これ大事なものなんだ」
「そうだな。なくすなよ」
「分かった」
ヤマトは道具をポケットへ戻した。
マチスはもう一度、海面を見る。
「それにしても、野生のコイキングと遊んでるのか」
「うん」
「変わった坊主だな」
「そうかな」
「まあ、楽しそうではあるな」
ヤマトはコイキングを見る。
「楽しいよ」
コイキングが跳ねた。
マチスは少しだけ笑った。
「そうか」
それ以上、深くは聞かなかった。
◇
その日の帰り。
ヤマトは家に戻ると、自分の部屋に置いてある物を眺めた。
謎の石が二つ。
きあいのハチマキ。
そしてエレキブースター。
「これ、進化に使うのか……」
初めて、この道具の使い道を知った。
ヤマトはエレキブースターを手に取る。
けれど、自分にはまだ使う相手がいない。
なら、これからも大事にしまっておけばいい。
そう思った。
そのとき、ふと別の物が目に入った。
父の物置から見つけた、黄色い玉。
「これなら……」
でんきだま。
ヤマトには使う予定がない。
けれど、さっきの人なら使い道があるかもしれない。
「今度会ったら、これ渡そうかな」
ヤマトはでんきだまを手に取った。
そして、エレキブースターの隣に置いた。
◇
それからしばらく経った。
ヤマトは港へ行くたびに、以前より少しだけ周囲を見るようになった。
けれど、マチスと毎回会うわけではない。
そんなある日。
「あ」
見覚えのある大きな背中があった。
「この前の人」
ヤマトは近づいた。
「こんにちは」
「おう、坊主か」
マチスも覚えていた。
「この前はありがとう」
「何がだ?」
ヤマトはポケットから黄色い玉を取り出した。
「これ」
「ん?」
「この前、教えてくれたから。そのお礼」
でんきだまを差し出す。
マチスは少し驚いた。
「これを俺に?」
「うん。使わないから」
「いいのか?」
「いいよ」
マチスはしばらくでんきだまを見る。
それからヤマトを見る。
「……変わった坊主だな」
「そう?」
「ああ」
マチスは笑った。
「ありがたくもらっとく」
「うん」
ヤマトは頷いた。
それ以上は何も言わなかった。
マチスも、深くは聞かなかった。
ただ、その日のことは二人の間に小さな縁として残った。
◇
八歳になってからも、コイキングとの戦いは続いていた。
釣りざおを垂らす。
魚が掛かる。
普通の魚なら、そのまま家へ持って帰ることもある。
ポケモンなら、やっぱりコイキング。
そして、相棒に指示を出す。
「たいあたり!」
ドンッ。
命中。
「もう一回!」
ドンッ。
また命中する。
最初の頃は、ただ技が当たることが嬉しかった。
でも、いつからか少し違ってきた。
「もう一回!」
たいあたり。
相手のコイキングが大きく跳ねる。
「あと一回かな」
ヤマトは相手の様子を見る。
もう一度。
ドンッ。
相手のコイキングが動きを止めた。
ヤマトは一瞬、黙った。
「……勝った」
七歳の頃なら、
できた。
それだけだった。
けれど今は違う。
これは勝ったのだ。
自分とコイキングで、相手に勝った。
「やったね」
相棒が跳ねる。
ヤマトは少し笑った。
「強くなったね」
もちろん、勝つことだけが目的ではない。
いつものように、頃合いを見て戦いを終える。
釣ったコイキングは海へ戻す。
「またね」
遠ざかっていくコイキングを見送る。
そして相棒を見る。
以前より、明らかに大きくなっていた。
「君も大きくなったね」
バシャーン。
返事の代わりに、大きな水しぶきが上がった。
◇
そして、また春が来た。
ヤマトは九歳になった。
港へ向かう。
いつもの道。
いつもの海。
いつものコイキング。
ただ一つだけ違うのは、その身体だった。
「……大きくなったなあ」
ヤマトは海面から顔を出したコイキングを見る。
最初に出会った頃とは比べものにならない。
それでも、まだコイキングだ。
「いつか進化するのかな」
コイキングが跳ねる。
バシャーン。
「まあ、急がなくてもいいけどね」
ヤマトは笑った。
自分の部屋には、まだ用途の分からない石が二つある。
物置から拾った道具もある。
マチスから教えてもらったこともある。
知らないポケモンも、少しずつ増えてきた。
けれど、ヤマトの日常そのものは変わらない。
港へ行く。
コイキングと遊ぶ。
時々、戦う。
そして帰る。
九歳の春。
ヤマトはまた一つ、知らない世界へ近づいていた。