カントーの潮風を追って 作:mochiato
また春が来た。
ヤマトは九歳になった。
港へ行けば、いつものようにコイキングが待っている。
釣りざおを垂らし、餌を用意する。
そして、釣り上げたコイキングと戦う。
「たいあたり!」
ドンッ。
コイキングが跳ねる。
「もう一回!」
再び、たいあたり。
以前よりもずっと手慣れたものになっていた。
ヤマトにとっては、もう何年も続けている日課だ。
相棒のコイキングも、すっかり大きくなった。
港で見かける他のコイキングと比べても、明らかに大きい。
「ほんと、大きくなったね」
そう言うと、コイキングが大きく跳ねた。
バシャーン。
ヤマトは笑った。
そんな日々を過ごしているうちに、あることを意識するようになった。
十歳。
ポケモンと一緒に旅へ出られる年齢。
それは、この世界では当たり前のことだった。
そしてヤマト自身も、前世の知識として知っていた。
けれど、これまではどこか遠い話だった。
十歳になったら旅に出る。
そう思っていた。
それが、もう来年の話になっている。
◇
ある日、父と街を歩いていると、見慣れない少年が大きな荷物を背負って歩いていた。
その少年の隣には、一匹のポケモンがいる。
どうやら旅立ったばかりらしい。
ヤマトは少しだけ、その後ろ姿を眺めた。
「どうした?」
父が聞く。
「……あの子、旅に出るのかな」
「そうだろうな」
「そっか」
しばらく歩いてから、ヤマトが言った。
「父さん」
「ん?」
「俺も来年には十歳だよね」
「ああ」
「じゃあ、来年は俺も旅に出られるんだ」
父は少しだけ笑った。
「そういうことになるな」
「そっか」
ヤマトはそれ以上何も言わなかった。
けれど、その日から少しだけ意識するようになった。
来年。
自分も旅に出る。
今まで何度も考えていたことだった。
なのに、実際に近づいてみると少しだけ違って感じた。
◇
それから、ヤマトは時々家の物置を見るようになった。
今まで集めてきた物。
綺麗な石。
エレキブースター。
きあいのハチマキ。
その他、細々とした道具。
改めて見てみると、結構な数になっていた。
「これ、旅に持っていくかな……」
一つずつ手に取って考える。
エレキブースターは持っていく。
いつ使うのかは分からないけれど、マチスから教えてもらった大事な道具だ。
二つの石も持っていく。
何に使うのかは相変わらず分からない。
「……綺麗だし」
きあいのハチマキも手に取る。
これも荷物に入れることにした。
そんなことを考えながら物置の中を探していると、奥から見慣れないボールが出てきた。
「……これ、モンスターボール?」
手に取ってみる。
普通のモンスターボールとは少し違う。
青みがかった色合いをしていて、水の中にいるポケモンを捕まえるためのものだと分かる。
「ダイブボールか」
ヤマトは少し考えた。
そして、海の方を見る。
そこには、いつものコイキングがいる。
「これなら……」
ヤマトはボールを眺めた。
十歳になったら、コイキングを正式に自分のポケモンにする。
それはもう、ずっと前から決めていた。
「ちょうどいいな」
ダイブボールも荷物に加えた。
◇
それから少しずつ、旅に必要なものも揃えていった。
リュック。
着替え。
タオル。
水筒。
雨具。
簡単な救急用品。
地図。
保存の利く食べ物。
コイキング用の餌。
必要になりそうなものを一つずつ確認していく。
「結構あるな……」
床に並べてみると、思っていたより多い。
十歳の子供が一人で持ち歩ける荷物には限界がある。
ヤマトは何度か中身を入れ替えた。
これは必要。
これはいらない。
これは持っていく。
そうやって少しずつ荷物を決めていった。
◇
そんなある日のこと。
父が仕事から帰ってくると、いつもとは少し違うものを手にしていた。
「ヤマト」
「何?」
「これ、お前にやる」
差し出されたのは、一枚のわざマシンだった。
「わざマシン?」
「ああ。仕事先でもらったんだが、俺が持ってても仕方ないからな」
ヤマトは受け取る。
ラベルを確認した。
「……じしん」
思わず呟いた。
わざマシン26。
強力なじめんタイプの技。
ヤマトはその効果を知っている。
そして、これが旅の役に立つことも。
「旅に出るなら、こういうのも使うだろ」
「うん。ありがとう」
ヤマトはわざマシンを大切にしまった。
◇
九歳になってからも、コイキングとの日々は変わらなかった。
港へ行く。
釣りをする。
戦う。
餌をやる。
時々、街で見かけたポケモンを眺める。
それだけだ。
けれど、ヤマト自身は少しずつ変わっていた。
野生のポケモンと戦うときも、以前より相手の動きを見るようになった。
「たいあたり!」
コイキングが飛び出す。
相手が跳ねる。
「もう一回!」
たいあたり。
勝つ。
それを何度も繰り返した。
コイキングの身体は、さらに大きくなった。
ヤマトも、それに合わせるように少しずつ戦い方を覚えていった。
けれど、港で過ごす時間そのものは変わらない。
そこにコイキングがいる。
ヤマトが会いに行く。
それだけだった。
◇
そんなある日。
港を歩いていると、見覚えのある大きな男がいた。
「あ」
ヤマトが声を漏らす。
向こうも気付いた。
「おう、坊主」
マチスだった。
「こんにちは」
「まだコイキングとやってるのか?」
「うん」
ヤマトが海を見る。
コイキングが大きく跳ねた。
マチスも目を細める。
「ずいぶんデカくなったな」
「そうでしょ」
ヤマトは少し嬉しそうに答えた。
「最初に見たときより、かなり大きくなった」
「うん」
マチスはしばらくコイキングを眺めていた。
「それで?」
「ん?」
「お前はどうするんだ?」
ヤマトは少し考える。
「来年、旅に出るんだ」
「来年?」
「十歳になるから」
「ああ……そうか」
マチスが頷く。
「もうそんな歳か」
そして、何かを思い出したように聞いた。
「そういや、あのブースターはまだ持ってるか?」
「うん。部屋に置いてあるよ」
「そうか」
マチスはそれ以上何も言わなかった。
ただ、来年旅に出る。
その言葉だけが、以前よりずっと現実的に感じられた。
◇
十歳になる少し前。
ヤマトは父と一緒に、ポケモンだいすきクラブへ立ち寄った。
「久しぶりね」
以前話した人が声を掛けてくる。
「こんにちは」
「もうすぐ十歳だったわよね?」
「うん」
「ということは……」
「旅に出ます」
ヤマトが答える。
「そう。楽しみね」
「うん」
クラブの中を見回す。
以前来たときと同じように、たくさんのポケモンがいる。
けれど、今は少し違って見えた。
もうすぐ自分も、その中の一人になる。
そう思うと、少しだけ不思議な気分だった。
「旅立つ前にも、また来てね」
「分かった」
ヤマトは頷いた。
◇
そして、十歳の誕生日が来た。
ヤマトは朝、目を覚ました。
十歳。
ついに、この年齢になった。
部屋を見回す。
物置から見つけた二つの石。
エレキブースター。
きあいのハチマキ。
ダイブボール。
そして、父からもらったわざマシン26。
少しずつ集めてきたものが、部屋の中に並んでいる。
ヤマトは一つずつ確認した。
これで、準備はできた。
窓の外を見る。
クチバシティの街が見える。
そして、その向こうには海がある。
ヤマトはしばらく眺めていた。
もう、自分は十歳だ。
旅に出られる。
そう考えると、少しだけ胸が高鳴った。
◇
その日の午後。
いつものように港へ向かった。
海面から、赤い身体が跳ねる。
バシャーン。
「おはよう」
もう昼だったが、ヤマトはそう言った。
コイキングがまた跳ねる。
「明日も来るから」
ヤマトは笑った。
それだけ言って、いつものように餌を投げた。
ただ、その先には今までとは違う日々が待っている。
クチバシティで過ごした時間も、もうすぐ一つの区切りを迎えようとしていた。