カントーの潮風を追って 作:mochiato
十歳の誕生日を迎える前日の夜。
ヤマトは家族と食卓を囲んでいた。
「いよいよ明日だな」
父が言った。
「うん」
ヤマトは頷いた。
明日から、旅に出る。
何年も前から考えていたことだった。
けれど、こうして前日になってみると、やはり少しだけ違って感じる。
「最初はどこへ行くんだ?」
「まずはハナダに行こうと思ってる」
「ハナダか」
父が頷く。
「道具は揃えたのか?」
「うん。だいたい」
ヤマトは自分の部屋に置いてある荷物を思い出した。
着替え。
タオル。
水筒。
雨具。
救急用品。
地図。
保存の利く食べ物。
ポケモン用の餌。
そして、これまで物置から集めてきた道具。
「忘れ物はないと思う」
「そうか」
父は安心したように頷いた。
「まあ、困ったら帰ってくればいい」
「うん。一回は帰ってくるつもりだよ」
「ならいい」
母も笑った。
「ちゃんと食べるのよ」
「分かってるって」
「旅先で無理しちゃ駄目だからね」
「うん」
ヤマトは笑った。
明日から旅に出る。
それでも、ここが自分の帰る場所であることは変わらない。
◇
翌日。
旅立ちの前に、ヤマトはポケモンだいすきクラブへ向かった。
14話で約束した通りだ。
「いよいよ旅立つのね」
以前話した人が、笑顔で迎えてくれた。
「うん。今日から」
「そう。気をつけてね」
「ありがとう」
ヤマトはクラブの中を見回す。
何度か訪れた場所だった。
ここで見たポケモンたち。
ポケモンを大切にしている人たち。
その光景も、今日でしばらく見納めになる。
「そうだ」
女性が何かを思い出したように、奥から小さな包みを持ってきた。
「これ、旅立ちのお祝い」
「これ……?」
包みを開ける。
中に入っていたのは、白っぽい木の実のようなものだった。
「たべのこしよ」
「たべのこし……」
ヤマトは知っている。
ポケモンに持たせておけば、少しずつ体力を回復してくれる道具。
「ありがとう」
大切に受け取る。
「旅先で役に立つと思うわ」
「うん」
ヤマトは荷物へしまった。
「それじゃあ、行ってきます」
「いってらっしゃい」
そう言って、ヤマトはクラブを後にした。
◇
港へ向かう。
今日も海はいつもと変わらない。
けれど、ヤマトにとっては少しだけ特別な日だった。
これから、この港を離れる。
そう思いながら歩いていると、見覚えのある大きな男がいた。
「おう、坊主」
「マチスさん」
マチスの隣には、もう一人いる。
白衣を着た老人だった。
ヤマトは一目見て分かった。
(オーキド博士だ)
転生する前から知っている人物。
けれど、ここでそれを表に出すわけにはいかない。
「君がヤマト君か」
オーキドが言った。
「はい」
「マチスから話は聞いておるよ」
「そうなんですか」
「うむ」
それだけの短いやり取りだった。
マチスが手を伸ばす。
「ほら」
その腕には、一匹のポケモンがいた。
黄色い身体。
赤い頬。
頭から伸びた二本の角。
エレキッド。
ヤマトは目を見開いた。
「……この子?」
「ああ」
マチスが笑う。
「お前にやる」
ヤマトはエレキッドを見る。
まだ少し警戒しているのか、じっとこちらを見ている。
「いいの?」
「前に言っただろ。旅に出るなら、仲間が必要だ」
ヤマトはエレキッドの目線に合わせる。
「よろしく」
エレキッドが小さく鳴いた。
「よし」
ヤマトは笑った。
8歳の頃。
マチスに教えてもらったエレキブースター。
それが今、こうして一匹のポケモンへと繋がった。
「大事にしろよ」
「うん」
マチスは満足そうに頷いた。
「それじゃあ、頑張れよ」
「ありがとう」
オーキドにも頭を下げる。
「旅を楽しむんじゃぞ」
「はい」
二人と別れる。
ヤマトはエレキッドを連れて、いつもの港へ向かった。
◇
目的は決まっている。
コイキングに会うこと。
そして、
これから一緒に旅をすることを伝える。
いつもの場所まで来る。
海面を覗く。
「……いるかな」
ヤマトが声を掛ける。
しばらくすると、
バシャーン!
赤い身体が跳ね上がった。
「おはよう」
いつものコイキングだ。
ヤマトは笑う。
「今日はね」
隣を見る。
エレキッドがいる。
「新しい仲間を連れてきたんだ」
その瞬間だった。
コイキングの動きが止まった。
「……?」
ヤマトも首を傾げる。
コイキングは海面に浮かびながら、エレキッドをじっと見ている。
エレキッドもコイキングを見る。
しばらくの沈黙。
そして――
バシャーン!
「うわっ!」
コイキングが勢いよく跳ねた。
もう一度。
バシャーン!
「ちょ、ちょっと!」
さらに激しく跳ねる。
明らかに怒っていた。
「どうしたの?」
ヤマトには理由が分からないわけではなかった。
長い間、自分と二人きりだった。
そこへ突然、見たこともないポケモンを連れてきた。
「違うって!」
ヤマトが慌てて説明する。
「この子は新しい仲間!」
バシャーン!
「君の代わりじゃない!」
バシャーン!
「一緒に旅するんだって!」
それでも収まらない。
コイキングは何度も何度も跳ねる。
まるで、
そんな話は聞いていない。
そう言っているようだった。
「だから、君も一緒に行くんだってば!」
その言葉を聞いた瞬間だった。
コイキングの身体が強く光り始めた。
「え?」
ヤマトが目を見開く。
エレキッドも驚いたように後ずさる。
光はどんどん強くなっていく。
「まさか……」
コイキングの身体が大きく変わっていく。
小さな身体が伸びる。
ヒゲが伸びる。
大きな口が開く。
そして――
光が消えた。
そこにいたのは、巨大な青いポケモンだった。
「……ギャラドス」
ヤマトは呆然と呟いた。
何年も一緒に過ごしてきたコイキング。
その姿が、今までとはまるで違っている。
ギャラドスは海面からヤマトを見下ろす。
そして、隣にいるエレキッドを見る。
「……まだ怒ってる?」
ギャラドスが唸る。
ヤマトは苦笑した。
「だから、本当に君の代わりじゃないって」
ギャラドスが少しだけ顔を動かす。
「君も一緒に旅するんだよ」
しばらく見つめ合う。
やがて、ギャラドスの唸り声が少しずつ小さくなった。
「分かってくれた?」
ギャラドスが海面を叩く。
バシャーン。
「……たぶん」
ヤマトは笑った。
そして、リュックから一つのボールを取り出した。
「これ」
青いボール。
ダイブボール。
「君のために見つけておいたんだ」
ギャラドスはボールを見る。
それからヤマトを見る。
しばらくして、ギャラドスがボールへ触れた。
光に包まれる。
ボールが閉じる。
揺れる。
一度。
二度。
三度。
そして、
カチッ。
「……よし」
ヤマトはボールを拾った。
今日まで野生だったコイキングが、
正式に自分のポケモンになった。
◇
家に戻る。
旅立つ前に、最後の準備をする。
ヤマトはギャラドスをボールから出した。
「これからよろしくね」
ギャラドスが低く鳴く。
まずは、だいすきクラブでもらったたべのこしを持たせる。
次に、父からもらったわざマシン26を取り出した。
「これも使おう」
わざマシンを使う。
ギャラドスがじしんを覚える。
これで準備は一つ整った。
そしてエレキッドには、物置から見つけたきあいのハチマキを持たせる。
「これでいいかな」
エレキッドがハチマキを身につける。
少しだけ格好良く見えた。
これまで少しずつ集めてきたものが、今日からは旅の道具になる。
◇
準備を終える。
ヤマトはリュックを背負った。
両親が玄関まで見送りに来る。
「忘れ物はない?」
母が聞く。
「大丈夫」
「本当に?」
「大丈夫だよ」
父が笑う。
「無茶するなよ」
「うん」
「困ったら帰ってこい」
「分かってる」
ヤマトは二人を見る。
十年間。
ずっとこの家で暮らしてきた。
港へ通った日。
物置を漁った日。
マチスと出会った日。
そんな日々も、今日で一区切りだ。
「じゃあ……行ってきます」
ヤマトが言う。
「行ってらっしゃい」
母が笑った。
父も頷いた。
玄関を出る。
ヤマトは一度だけ振り返った。
住み慣れた家。
その向こうには、クチバシティの街がある。
何度も歩いた道。
何度も通った港。
そこには、十年間の思い出が詰まっている。
けれど、いつまでもここにいるわけにはいかない。
「行こう」
ヤマトが歩き出す。
最初の目的地は、ハナダシティ。
ここから先は、知らない場所ばかりだ。
ヤマトは前を向いた。
十歳の少年の旅が、今始まった。