カントーの潮風を追って   作:mochiato

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第5話 釣り日和

 

 それから、半年ほどが過ぎた。

 

 ヤマトは六歳になってからも、変わらず港へ通い続けていた。

 

 朝、母へ「行ってきます」と声をかける。

 

 港へ着けば、いつもの岸壁へ向かう。

 

 海をのぞき込み、餌を一粒投げる。

 

 それだけで、水面の下から赤い影が近づいてくる。

 

 最初は偶然だった遊びも、今ではすっかり日課になっていた。

 

     ◇

 

「ヤマト」

 

 休日の朝。

 

 朝食を食べ終えたヤマトを、父が呼んだ。

 

「今日は一緒に釣りでも行くか」

 

 ヤマトは父を見上げる。

 

「……久しぶりだね」

 

「最近は一人で行ってたからな」

 

「うん」

 

 それだけ言うと、ヤマトは静かに立ち上がった。

 

 釣りざおを取りに行く足取りは、少しだけ軽い。

 

 その様子を見た父は、小さく笑った。

 

「母さん、行ってくる」

 

「行ってらっしゃい。お昼までには帰ってきてね」

 

「分かってる」

 

 玄関で靴を履く。

 

 隣には父がいる。

 

 半年前までは当たり前だったその景色が、今日は少しだけ懐かしく感じられた。

 

     ◇

 

 港へ着くと、潮の匂いが鼻をくすぐる。

 

 荷物を運ぶワンリキー。

 

 上空を飛ぶポッポ。

 

 岸壁へ打ち寄せる波の音。

 

 見慣れた景色だった。

 

「おっ、坊主」

 

 声を掛けてきたのは、いつもの釣りのおじさんだった。

 

「こんにちは」

 

「今日は親父さんも一緒か」

 

「久しぶりにな」

 

 父が笑って答える。

 

「坊主は相変わらず毎日来てるぞ」

 

「そうらしいな」

 

「今日もあいつ、来るんじゃないか?」

 

 おじさんは海を見ながら笑った。

 

 父は首をかしげる。

 

「あいつ?」

 

「見てりゃ分かる」

 

 父は不思議そうな顔をしながら、釣りの支度を始めた。

 

 ヤマトも隣へ腰を下ろす。

 

 餌を付け、糸を垂らす。

 

 海面へ浮きが落ち、小さな波紋が広がった。

 

「釣りって、待つ時間が長いよな」

 

 父が笑う。

 

「うん」

 

 ヤマトも浮きを見つめたまま答える。

 

 そのままポケットから、小さな袋を取り出した。

 

 いつものポケモンフードだ。

 

 一粒だけ指でつまみ、軽く放る。

 

 餌は岸壁から少し離れた場所へ弧を描いた。

 

 次の瞬間だった。

 

 水面が揺れる。

 

 赤い影が一直線に駆け抜け、勢いよく跳び上がる。

 

 ぱくり。

 

 空中で餌をくわえ、そのまま大きな水しぶきを上げて海へ戻った。

 

「……おお」

 

 父が思わず声を漏らす。

 

「器用なことするな」

 

「待ってる間に遊んでるだけだよ」

 

 ヤマトは当たり前のようにもう一粒投げる。

 

 今度は少し高く。

 

 コイキングは勢いよく跳び上がり、難なく餌を口へ収めた。

 

 水面へ戻る動きも滑らかだった。

 

「前より高く跳んでないか?」

 

 父が海を見つめる。

 

 ヤマトも視線を向けた。

 

「いっぱい遊んだから」

 

 その言葉に応えるように、コイキングがもう一度高く跳ねる。

 

「最初に見た頃とは別みたいだな」

 

「同じ子だよ」

 

「そうなのか?」

 

「うん」

 

 父は少し驚いたようにコイキングを見つめた。

 

 毎日遊ぶ。

 

 それだけで、こんなにも変わるものなのか。

 

 そんなことを考えているようだった。

 

「坊主」

 

 おじさんが笑いながら口を開く。

 

「そのコイキング、お前さんが来る時間まで覚えてるんじゃないか?」

 

「そうかな」

 

「毎日待ってるように見えるぞ」

 

 ヤマトは海を見つめる。

 

 コイキングは岸壁のすぐ近くを泳ぎながら、時折こちらを見上げていた。

 

「待ってるなら、また遊ぼう」

 

 ヤマトが小さく笑うと、コイキングは尾びれで水面を叩いた。

 

 ぱしゃり、と小さな音が響く。

 

 父も、おじさんも笑っていた。

 

     ◇

 

 そのあとも、港には穏やかな時間が流れていた。

 

 浮きは波に揺れ、風が時折、潮の香りを運んでくる。

 

 父は静かに竿を握り、ヤマトも隣で浮きを見つめていた。

 

「釣りって、不思議だな」

 

 父がぽつりとつぶやく。

 

「どうして?」

 

「何も釣れなくても、こうして海を見てるだけで悪くない」

 

 ヤマトは少しだけ考えた。

 

「僕は、待ってる時間も好き」

 

「コイキングが来るからか?」

 

「うん」

 

 父は笑い、もう一度海へ視線を戻した。

 

 そのときだった。

 

 父の浮きが大きく沈む。

 

「おっ」

 

 竿がしなる。

 

 父は慌てることなく竿を立て、ゆっくりと糸を巻き始めた。

 

「掛かった」

 

 水面が揺れ、小さな魚が姿を現す。

 

「今日は夕飯のおかずになりそうだな」

 

 父は魚を外しながら笑った。

 

「お父さん、すごい」

 

「運が良かっただけさ」

 

 ヤマトも浮きを見つめ直す。

 

 けれど、こちらはぴくりとも動かない。

 

 ヤマトは竿を置き、袋からポケモンフードを一粒取り出す。

 

 軽く放る。

 

 コイキングは勢いよく跳び上がり、空中で餌を受け止めた。

 

 父は思わず吹き出す。

 

「魚よりそっちの方が忙しいな」

 

「待ってるだけだと暇だから」

 

「なるほどな」

 

 おじさんも笑っている。

 

「坊主の釣りは、二本立てだな」

 

「二本立て?」

 

「魚を待ちながら、コイキングとも遊ぶ」

 

「そうかも」

 

 ヤマトは少し照れたように笑った。

 

     ◇

 

 昼が近づく頃。

 

 父の籠には何匹か魚が入っていた。

 

 ヤマトは一匹も釣れなかった。

 

「今日は父さんの勝ちだな」

 

「うん」

 

 悔しそうな様子はない。

 

 父と一緒に釣りができただけで十分だった。

 

 竿を片づけ、餌の袋もしまう。

 

 コイキングはまだ岸壁の近くを泳いでいた。

 

「またね」

 

 ヤマトが手を振る。

 

 コイキングは返事をするように、高く跳ねた。

 

 水しぶきが陽の光を受けてきらりと光る。

 

「本当に懐いてるな」

 

 父が感心したように言う。

 

「毎日遊んでるから」

 

「そういうものか」

 

「そういうものだ」

 

 横から、おじさんが笑って口を挟んだ。

 

「ポケモンだって覚えるさ」

 

 父もうなずく。

 

「また来るよ」

 

 ヤマトがそう言うと、コイキングはもう一度だけ尾びれで水面を叩いた。

 

     ◇

 

 帰り道。

 

 港を離れ、いつもの道を並んで歩く。

 

 父が魚の入った籠を持ち、ヤマトは釣りざおを肩へ担いでいた。

 

「そういえば」

 

 父が思い出したように口を開く。

 

「この竿で釣れるポケモンは、コイキングだけなんだ」

 

「そうなの?」

 

「ああ。魚はいろいろ釣れるけどな。ポケモンはコイキングしか掛からん」

 

 ヤマトは少し考える。

 

「じゃあ、僕も釣れるかもしれないね」

 

「そのうちな」

 

「釣れたら、逃がしてあげるよ」

 

 父は笑ってうなずいた。

 

「それがいい」

 

 ヤマトも小さくうなずく。

 

 肩に担いだ竿が、歩くたびに小さく揺れた。

 

 港では、今日も変わらず波の音が響いている。

 

 その音を背に、親子はゆっくりと家路についた。

 

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