カントーの潮風を追って 作:mochiato
港へ吹く風は、少しだけ暖かくなっていた。
「おはようございます」
ヤマトが声を掛ける。
「おう、坊主」
釣りのおじさんはいつもの場所で釣り糸を垂らしていた。
「今日も来たか」
「うん」
ヤマトは笑い、いつもの岸壁へ向かう。
ポケモンフードの袋を取り出す前から、水面の下に赤い影が見えた。
「あれ」
コイキングが一度だけ跳ねる。
ぱしゃん、と小さな水しぶきが上がった。
「まだ投げてないよ」
ヤマトが笑う。
コイキングは岸壁の近くを泳ぎながら、もう一度だけ小さく跳ねた。
「そんなにお腹空いたの?」
袋から一粒取り出し、軽く放る。
コイキングは勢いよく跳び上がり、空中で餌をくわえた。
「上手」
着水と同時に、水しぶきが少しだけ大きく広がる。
ヤマトはその様子を見つめた。
「今日はもう少し高く跳べるかな」
今度は、いつもより少しだけ高く餌を投げる。
コイキングは思い切り跳んだ。
あと少し。
餌には届かない。
「あっ、惜しい」
水面へ戻る。
少しだけ間を置いて、また岸壁の近くへ戻ってきた。
「もう一回」
ヤマトは笑う。
今度は少しだけ低く投げる。
コイキングが跳ぶ。
ぱくり。
「できた!」
ヤマトは嬉しそうに手を叩いた。
「今日は調子いいね」
もう一粒。
今度は少しだけ高く。
コイキングは体を大きく反らせながら跳び上がる。
空中で餌をくわえ、そのまま海へ飛び込んだ。
バシャンッ。
今までより大きな水しぶきが上がる。
「すごい」
思わず声が漏れた。
コイキングは何事もなかったように岸壁の近くへ戻ってくる。
「ずいぶん派手になったな」
後ろから、おじさんの声が聞こえた。
「高く跳べるようになったから」
「毎日やってりゃ、上手くなるもんだ」
「うん」
ヤマトはもう一粒だけ餌を投げた。
コイキングは勢いよく跳ぶ。
着水。
また跳ぶ。
そのたびに水しぶきが少しずつ大きくなっていく。
時間はゆっくり過ぎていった。
◇
昼が近づき、ヤマトは袋の口を閉じた。
「今日は終わり」
コイキングは名残惜しそうに水面を泳ぐ。
「また明日ね」
ヤマトは手を振った。
コイキングも尾びれを動かし、小さなしぶきを返す。
ヤマトは笑って港をあとにした。
少し歩いたところで――
バシャーンッ!
今までで一番大きな音が港へ響いた。
ヤマトは思わず振り返る。
遠くの岸壁。
コイキングが高く、高く跳び上がっていた。
太陽の光を浴びた赤い体が、一瞬だけ空へ浮かぶ。
そのまま勢いよく海へ飛び込み、大きな水しぶきを上げた。
「今日は本当に元気だったね」
ヤマトは小さく笑い、もう一度だけ手を振る。
そして家へ向かって歩き出した。
◇
その姿が見えなくなるまで、釣りのおじさんは静かに海を眺めていた。
「坊主が帰っても跳ぶのか」
小さく笑う。
コイキングは岸壁の近くを一度だけ泳ぐと、また勢いよく跳び上がった。
高く。
もっと高く。
そして――
大きな水しぶきを上げながら、海へ飛び込む。
波紋はゆっくりと広がり、やがて静かな港へ溶けていった。