カントーの潮風を追って 作:mochiato
朝、目を覚ますと、窓の外から雨音が聞こえてきた。
屋根を叩く雨は思っていたより強い。
ヤマトはカーテンを開け、灰色の空を見上げた。
「今日は無理だね」
後ろから母の声がした。
「うん」
「海は危ないから」
「分かってる」
ヤマトはもう一度だけ窓の外を見てから、カーテンを閉めた。
こんな日まで港へ行こうとは思わない。
波も高いだろうし、約束を破る理由もなかった。
◇
午前中は家で過ごした。
ニャースが足元へ来て、前足でズボンをちょんちょんと叩く。
「遊ぶ?」
「ニャー」
毛糸玉を転がす。
ニャースは勢いよく追いかけ、器用に前足で止めた。
「上手だね」
「ニャ」
しばらく遊んだあと、本棚から絵本を一冊取り出す。
読み終える頃になっても、雨は止まなかった。
窓を開けると、ひんやりとした空気が部屋へ流れ込む。
港の方角には、まだ厚い雲が広がっていた。
「今日はずっと雨かな」
誰に言うでもなくつぶやく。
ニャースが足元で小さく鳴いた。
「明日は晴れるといいね」
「ニャ」
返事をするような鳴き声だった。
◇
翌日も雨だった。
昨日より少し弱くなっていたが、止みそうにはない。
「もう一日だけ我慢ね」
母が洗濯物を見ながら言う。
「うん」
ヤマトは窓から港のある方角を見つめた。
あのコイキングは何をしているだろう。
そんなことを少しだけ考えた。
けれど、海の中なら雨くらい平気なのかもしれない。
そう思うと、少し安心した。
◇
三日目の朝。
カーテンを開けると、青い空が広がっていた。
「晴れた」
思わず声が漏れる。
朝食を食べ終えると、ポケモンフードの袋を持って立ち上がる。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
玄関を出る。
雨上がりの道は少しだけ濡れていた。
水たまりを避けながら、いつもの道を歩いていく。
港へ近づくにつれ、潮の香りが風に乗って流れてきた。
いつもと同じ匂いだった。
◇
岸壁へ着く。
海は静かだった。
「おーい」
ヤマトが海へ向かって声を掛ける。
一秒。
二秒。
何も起きない。
「あれ?」
そう思った、そのときだった。
バシャーンッ!
目の前で大きな水しぶきが上がる。
「わっ!」
赤い体が高く跳び上がる。
太陽の光を受けながら、大きく弧を描く。
そして勢いよく海へ飛び込んだ。
「久しぶり」
ヤマトが笑う。
コイキングは返事をするように、もう一度跳ねた。
「元気だった?」
また跳ぶ。
今度は少しだけ高く。
「そんなに跳んだら疲れちゃうよ」
それでもコイキングは止まらない。
水面を泳いでは跳び、泳いでは跳ぶ。
以前よりも高く。
以前よりも力強く。
ヤマトは思わず笑ってしまった。
「今日はすごいね」
袋からポケモンフードを取り出す。
「はい」
一粒投げる。
コイキングは勢いよく跳び上がり、空中で受け止めた。
着水。
大きな水しぶき。
「上手」
もう一粒。
また跳ぶ。
何度も何度も。
まるで、この二日間を取り返すようだった。
「待ってたの?」
コイキングは答えない。
代わりに、今日一番高く跳び上がった。
ヤマトは少しだけ目を丸くし、それから笑った。
「ふふっ」
理由は分からない。
けれど、今日はいつもより楽しそうだった。
◇
昼が近づき、ヤマトは袋をしまった。
「今日は終わり」
コイキングは名残惜しそうに岸壁の近くを泳ぐ。
「また明日ね」
手を振る。
コイキングも尾びれで水面を叩き、小さなしぶきを返した。
ヤマトは港をあとにする。
帰り道。
少しだけ振り返る。
コイキングはまだ岸壁の近くを泳いでいた。
その姿を見て、ヤマトは安心したように笑う。
「また明日」
小さくつぶやき、家へ向かって歩き出した。
港には、雨上がりの澄んだ青空が広がっていた。