服部全蔵の夢小説です。がちがちに設定がある男主です。
雲が薄く、月がよく映えた夜。屋根瓦を無音で跳ぶ忍びが居た。右手にピザ箱を持ったその男は左腕の時計を見て呟いた。
「……チーズが冷めちまう。急ぐか」
男──服部全蔵は忍忍pizzaの配達員だった。首に巻いたマフラーをはためかせ、男は足先に力を込めた。三つほど家を飛び越えた頃、変な風切り音が全蔵の耳に触る。不思議に思いながらも足を踏み出したその時──全蔵の横を尋常ではないスピードで白いものが掠めた気がした。
("同業者"か……?)
思わず足を止めた。ふわりとマフラーが垂れた。ふと、首元に違和感。
「は?」
全蔵のマフラーは可愛いらしくリボン結びにされてひらひら揺れていた。明らかに先程の同業者の仕業だ。首元に触れられた。なのに自分はその瞬間気配をひとつも拾えなかった。全蔵は背後の気配に顔を向けた。
そこには九年前の亡霊が立っていた。
白い忍び装束。リボン状に結ばれたマフラー。白い髪に隠れた左目。小柄で細いが立ち方に隙がない。口元には微笑。昔の作り笑顔でも、絶望した顔でもない。その顔を全蔵は知っていた。もっと幼い頃の顔だ。だが今のこの笑顔はどうも気に入らなかった。
「久しぶり、全蔵」
「お前どこ行ってた」
心底呆れた顔で、全蔵はその男の方へ顎をしゃくった。
「修行してた」
「九年間もか?」
「うん」
「嘘つけ」
「で、これはどういうつもりだ」
全蔵は自分のマフラーを指さした。
「似合うよ」
「答えになってねえな」
それを解きつつ、全蔵は背を向けた。
「俺ぁ仕事中だ、残念だがお前に構ってる暇はない」
「残念に思ってくれてるの?」
「ああ、本当に残念だよ。お前の頭は」
それだけ言い残し、全蔵は屋根瓦を踏み付け、かぶき町の夜を跳ぶ。後ろからは一定の距離を保った気配。
「ちっ……ついてくるな」
昔とぴったり同じ間合い。気に入らない。全蔵はわざと速度を上げた。男は普通の顔をしてついてくる。上がって、降り、曲がり、降り、上り、曲がる。複雑なルートも男はなんのその。
「その距離やめろ」
「懐かしい?」
「うぜぇ」
配達先の屋根まで着くと、そこで全蔵は静かに飛び降りた。玄関口の横に付いたインターホンを押す。出てこない。もう一度押す。
「あーはいはい、分かったから。出るから……!」
髷を結った髭の男が頭を掻きながら出てきた。
「あ、ピザ屋? 遅せぇんだけど!?」
「あ、すんません。ちょっと白い妖怪に絡まれまして」
「なら仕方ねぇな」
「仕方なくてたまるか」
「あぁ! てか、このピザ崩れてるじゃねえか!」
「あ、すんません……すぐに新しいのを配達するんで」
「いやあ、もういいよ。白い妖怪に絡まれたんだろ」
「白い妖怪なんなの? かぶき町だと有名なの?」
「なんか、アレだろ。着ぐるみみたいな……」
「は? なにそれ、怖」
勘定を終え、全蔵は屋根瓦に登ってひと息ついた。崩れたピザだけは返品された。
「……それで、いつまでついてくるつもりだ、楓」
後ろの影に声をかける。
「いつまでも、かな」
楓と呼ばれた男は答えた。
「そのピザ、食べていい?」
「はぁ……?」
本当は廃棄するものだ。持ち帰って報告もしなければならない。
「勝手に食え」
どかっと屋根瓦に腰を下ろし、全蔵はピザ箱を楓の足元に雑に滑らせた。そしてあぐらをかく。楓もまたその横に座り、ピザ箱を開けた。ふわりと湯気が上がり、星空に消えていく。
「おいしそー」
「崩れてんぞ」
「修行で断食してたんだよねー、今は雑草すらもサラダに見えてくるよ」
「……食うなよ?」
「流石に止められたから」
(食べようとは試みたのか)
「……薫や猿飛が心配してたぞ」
「本当に? 今度お詫びに花束でも持っていくかな」
楓の軽さに呆れつつ、全蔵はピザを頬張った。
「……花はねえな。薫が花屋をしてるからな」
「お花屋さんかぁ……薫ちゃんに似合う職業だね」
その横顔は髪で隠れてよく見えなかった。笑った口元だけが鮮明に記憶に残った。
「全蔵は今何してるの? ピザ屋さん?」
「配達のバイトな。フリーの忍者だ。そういうお前は」
「俺もフリーかな。そうだね……護衛とか潜入とか……──暗殺とか」
「ふーん、そうか」
全蔵は指に付いたソースを舐めた。驚くことはない。自分も昔からそういう依頼は請けてきたし、今も金次第で請ける可能性がある。
「暗殺の仕事がない日は、少し体調悪いんだ。めまいとか、吐き気とか、眠れないとか。変だよね」
「医者行け」
「暗殺してますって言うの……?」
「馬鹿。忍び専門のがいるだろ……ったく」
全蔵は懐から小さな紙を取り出し、鉛筆を走らせる。そして楓の胸にそれを投げた。
「ん?」
楓は首を傾げ、指先でそれを拾った。
「そこの電話番号だ。それと担当忍者の名前」
「全蔵……ありがとう」
やはり、その笑顔は無邪気なものだった。暗殺の職業病に悩んでいる男には見えなかった。ただ、自分について回ってうざったい子供の頃の顔だった。
全蔵は、ピザを頬張る楓の横顔を見た。長い白髪。赤いリボン。焦げた菓子。ざんばらに切れた髪。痩せた手首。思い出したくないものばかりが月明かりに引きずられて浮かんでくる。だから全蔵は、ピザをもう一口食べた。
「でも……全蔵が生きてて良かった」
「……何だ急に」
「言いたかっただけ」
嫌いだ。コイツの笑った顔が。子供の頃みたいに笑うのが、どうにも。
「そういうところが嫌いなんだよ」
楓は一瞬きょとんとした。
「そうなんだ」
「……」
「俺は好きだよ」
傷付いた顔をして欲しかった、怒りを露わにして欲しかった。だけどコイツはなんでもないような顔でそうなんだと納得して返す。その上で、好きだと言う。だから気に食わない。だから、嫌いだ。
楓が最後のピザを食べ終える。そして丁寧に箱を閉じた。
「ご馳走様でした」
目を伏せ、手を合わせた。楓は立ち上がる。
「美味しかった。また会いに来るね」
「来るな」
「次もピザ食べたいなぁ……シーフード味で」
「話聞け? ちゃっかりリクエストしてんじゃねえ」
「聞いてるよ。全蔵の声、好きだもん」
「そういう意味じゃねえ」