「我らを囲うは、桔梗紋の旗印!!
明智日向守光秀、御謀叛!!!」
「……………デ、アルカ」
───西暦、1582年6月21日。山城国は京、本能寺。
眼前に膝を着いた森成利の、血反吐を吐かんばかりの叫び。それを、どこか他人事のように聞いている。
本来なら、自分自身が“そう”すべきなのかも知れない。
尾張の小土豪より、父の跡を継ぎ30余年。今では東に北条を屈服させ西で毛利と長宗我部を制しつつあり、その覇は満天下に轟いていた。
後数年、ほんの数年あれば、自分は正真正銘“天下人”となっていたであろう。
ここにきての謀反。客観的に見れば、それこそ血反吐を吐き地を砕かんばかりに踏みしめなければならないのは、臣下ではなく自分であるような気がする。
にも関わらず、“自分”は──織田前右府上総介信長は、まるでそういった感情が浮かばなかった。
「是非に及ばず」
口をついて出たは、ただそのひと言のみ。
「お蘭、弓を持てぃ!!」
「………はっ!!!」
信長は、躍動した。
十重二十重に寺を囲う明智勢に向かって、幾本もの矢を放つ。弓の弦が切れれば、槍を振るって幾人もの脾腹を貫く。槍穂先が折れれば、太刀を抜き放ち押し寄せる武者共と斬り合い、渡り合う。
圧倒的寡勢でありながら、尚勝利を目指しているが如き戦いぶり。魔王と呼ばれた男に相応しい、血みどろの恐ろしき姿。
近習衆たちからは、或いは明智の雑兵共からは、どの様に映るだろうか。天下を逃す悔しさから来る八つ当たりや、天下を最後の最後まで諦めぬ君主としての粘りに見えるのだろうか。
然しながら、信長にそのような複雑で深い感傷はない。単に、死が決まった以上無駄なく体力を使い切っておきたい、程度の発想から暴れているに過ぎない。
「…………お蘭!!」
「はっ!!」
遂に太刀もひん曲がり、使い物にならなくなる。“死ぬまでの暇つぶし”を終えた信長は、それを庭にあふれる明智勢に投げつけると、茂利に向かって叫ぶ。
「火を放て!!誰も近づけるな!!」
「御意にございますれば!!」
本堂に入り、襖を閉める。程なくして、パチパチと火の粉が爆ぜる音が自分を追ってくる。一方敵勢による追撃は、茂利を始めとする小姓衆の捨て身の奮戦にせき止められる。
仏間までたどり着き、その中央に腰を下ろす。存外、火の回りが早い。
比叡山延暦寺をそこに置かれた仏ともども焼き払った自分が、今また寺で仏とともに焼かれようとは因果なものだ。
「人間五十年、下天の内を比ぶれば…………夢幻の、如くなり……か」
ふと、敦盛の一節が口を衝いて出る。まさに凡そ50年、夢幻の如き日々を過ごした。
口惜しさは多少ある。だが、悔いはない。
「ぬんっ…………!!!」
脾腹、短刀を突き立てる。いよいよ炎の波が迫る中、横一文字に、裂いた。
───瞬間、これまでの織田信長として生きた光景が走馬灯のごとく駆け抜ける中に、強烈な渇望が押し寄せる。
やはり、天下を取れなかったことを悔いているのか───否。
やはり、生への執着があるのか───否。
それは、“乱世”が終わることへの渇望。
(輝かしき日々であった……!尾張の小土豪から成り上がり、信友を討ち、信勝を討ち、尾張をまとめ上げ!大大名今川義元の首を上げ、満天下を驚愕せしめ!!美濃を握り、京を握り、天下へと手をのばしていくあの日々は!!
猿や、五郎左や、権六を叱咤し下知を飛ばし、時に自ら刀を握り泥濘にまみれながら戦い続けた我が生は!!!今この瞬間、金柑頭めに討たれるこの瞬間ですら!!!愛おしく、輝かしかった…………!!!)
その乱世が、今、終わる。自身の死によって。
悔いはない。この乱世を生き抜き、味わい尽くした。
だが、甘美な果実は、幾度でも食らいたくなるもの。
死を前にしてなお。
否、死を前にしたからこそ。
織田信長の魂は、既に“次”の乱世を望んでいた。
また日の本であれとも、また信長としてとも願わない。
ただ、乱世であれ。英傑たちが鎬を削り、魂を焦がし合う、灼熱の乱世であれ。
もしもそう生まれられなければ、或いは。
「或いは、乱世を“創る”も、一興なり」
血に混ざり、意識が流れ出していく中、呟く。
上から、燃え盛る梁が落下してくるのが、視界の端に映る。
そうして意識は、永久の闇の中に呑まれていった。