束の間、静寂が村を覆う。
響くのは、汗だくで肩を上下させる村人たちの荒い呼吸音と、静かな風の音だけ。むせ返るような血の匂いが、秋風に巻かれてかさm?少しずつ散っていく。
「終わっ……た………の……?」
恐る恐る、リナがそう呟く。途端その一言は、乾いた砂地に落ちた水滴のごとく村人たちに一気に浸透し、実感として染み渡っていく。
「ああ、ああ……!そうだ!終わったんだ……!!」
「俺たち、スケィビィの野郎をぶっ殺してやったぞ!!」
やがてそれは、歓喜のうねりとなって全員の腹の底から湧き上がってきた。
男も女も、老いも若きも、興奮の中で涙を流し熱っぽい視線で見交わし合う。
「ザマァ見ろ!!スケィビィめぇ、ナラーンめぇ!!」
「よっしゃあ勝ち鬨だ!!みんなで勝ち鬨を──」
「まだぞ!!!」
弛緩しかけた空気を引き締める、大音声。信長は地面に転がったスケィビィの生首を即座に布にくるんで抱えると、“左文字”を掲げつつ馬へと飛び乗る。
「“戦”はまだ終わっておらん!
スケィビィの居城・クッショーを奪う!!
あやつの私兵を尽く飲み込み、他の貴族共が奪う前に彼の地を“我ら”の根拠地とする!!でなければ、単に暴君がすげ変わって終わりぞ!!
皆駆けや!!馬に乗れる者は馬に乗れぃ!!武具を握れる者は馬車に隠れぃ!!城へと至る関所を奪い、しかるのち風を巻いてクッショー城を急襲せん!!
あとスケィビィの兵士共から鎧奪うの忘れるなよ!着の身着のまま行ったら瞬で露見するぞ!!」
「そ、そうだ!まだ安心できねぇ!!」
「ノブナガ様の言うとおりだ!!おい、まだバテてねえやつぁノブナガ様に続くだよ!!」
「ナラーンたちから鎧引っ剥がせ、急げ!!」
或いは、本来その叫びは村人たちが抱く勝利の余韻に水を差すだけのひと言になったかも知れない。
だが、アイリーンとともに村人たちの前に姿を現した際、現実で殴りつけつつ焚きつけた言葉が。その後の二週間で見せつけた武勇と知略が。
そして、たった今存分に発揮された、村人たちを一人も死なさずスケィビィを討ち取ってみせた信長の“将器”が。完全に村人たちの心をつかんでいた。
誰もが信長の叫びを聞き、弾かれたように“次”に向けてまとまり、動き始める。最早、「戦を続ける」ように信長に仕向けられていることに、誰一人疑問を持っていない。
「……………」
信長に言われて、乱戦に巻き込まれぬよう隠れていた民家からおずおずと広場に進み出つつ、アイリーンは一連の光景をどこか現実味を感じられぬまま眺める。
スケィビィが討たれたことも、ナラーンが死んだことも、リナたちラルカ村の人々が、誰一人として命を落とさずに戦い抜いたことも…………その上で、“次の戦”に全員が平然と参加しようとしていることも。ふわふわと、夢の中にいるような感覚が繰り返されて脳に入ってこない。
(止めなくちゃ。村の皆を)
夢心地な頭の中で、自分の声が囁く。
そうだ、止めなくちゃ。既にスケィビィとナラーンを討つという、最も重大な目的は果たした。信長の言うことにも一理はあるが、少なくとも
スケィビィを討ったことで政治的な空白は作ることができた。
ならば、仮にラルカ村が協力するにしても戦う必要はないはずだ。皆は信長に心を開きつつあるけれど、まだ自分が辞めるように言い含めればルシアを筆頭に十分止められるはず。
………なのに、声が出ない。眼の前で着々と進撃の準備を続ける村の皆を、止められない。
信長という得体のしれない存在に、恐れをなしたのか?………否。
初めて“戦”を目の当たりにして、腰でも抜けたのか?………否。
────ああ、そうだ。考えをめぐらし、理由を探していく内に、自覚する。
止められないんじゃない。“止めない”んだ。
「おう、何を呆けている」
ふと、近くまで駆け寄ってきた蹄の音。ぼんやりとした視界に、差し伸べられる手。
「征くぞ、乗れ」
「きゃっ………!」
言われるままに、その手を取る。途端、ぐいっと力強く身体が引き上げられ、視界が明瞭さを取り戻しつつ舞い上がる。馬上で手の主──信長に自然抱えられるような姿勢になりながら、その前に座り込む。
「───目指すは、クッショー城!!!」
「「「おおうっ!!!」」」
馬の手綱を引きつつ、信長が叫ぶ。シャームが、リナが、追随する村人たちが雄叫びを以て応える。騎馬十数騎と、村人達を乗せた馬車が、馬蹄音を轟かせつつ駆けていく。
「わっ、わっ、わっ………!!」
信長の膝の間に身を置き、初めての“乗馬”に目を白黒させる。激しく上下する視界に、飛ぶように背後へ消えていく景色に、何度も落下しそうな感覚に陥る。信長の手にしがみつき、背を必死に彼の胸板に預けようとしてしまう。
「信、長……!ちょっと、怖いわ……!もっとゆっくり───」
───振り返った先に、信長がいる。凛々しい顔立ちと、ギラついた勝ち気な瞳、乱雑にまとめられているくせに艷やかな黒髪が特徴的な、最年少銀冒険章持ちの青年が、真っ直ぐに前を見つめている。
そして………その後ろに、“もう一人”。
冷徹な瞳や目鼻立ちにどこか信長を思わせるものを携えた、壮年の男。威厳に満ち、野望に瞳をギラつかせる、大きな“影”。
「…………どうした」
急に静かになったアイリーンに、信長が問いかける。
その声色は、これまでに聞いたことがないほど、優しく澄んでいた。
「“何”が見えた?アイリーンよ」
「貴方が見えたわ」
促されて、自然と答えが零れ出る。
「いいえ、貴方じゃないけれど、それでも貴方だった。
うまく言えないけど──あれは間違いなく、“織田信長”だったわ」
「デ、アルカ」
一見、要領を得ない支離滅裂な答え。だが、信長はアイリーンが何を見たか、理解しているようだった。
手綱を操りつつ、その手がすっと、風になびくアイリーンの金髪を押さえるようにして撫でる。
「そりゃあ、天の頂に手を伸ばし、しかし届かなかった野望の残りカスだ。
……ただの、“夢幻”さ」
「………………。そう」
どこか懐かしげで、どこか儚い信長の応えに、アイリーンは静かに頷く。
二人の間に降りた沈黙が、軽快な馬蹄音に飲み込まれていった。
「のぶながー、多分全部やっつけたぞー」
関所の陥落は、あまりにもあっさりとしていた。恐らく、かかった時間は30分にも満たない。
『開門、開門!!ラルカ村、謀反!!スケィビィ卿は寝返った冒険者・ネイブに斬られ手傷を追われた!!
また、ナラーン・ズンモン殿はお討ち死に!!!』
ナラーンたちの装備を奪い、ナラーンに殴られた際またも負傷しているオグリビンを先に行かせて敗走を演出。しかる後、開かれた関所内に突入して敵勢を尽く殲滅して占拠。
まさに、電光石火という他ない強襲で信長はクッショー城に気取られることなく関所を押さえてみせた。
「悪辣ですねノブナガ様……」
「カカカ、悪辣じゃなきゃ生きていけん“下天”にいたからなぁ」
リナからのドン引きの視線を受けて信長は嗤いつつ、その笑みには別の満足感もまた浮かんでいた。
関所襲撃の際、信長のみならずリナも、シャームも、ルシアも他の村人たちも、躊躇なく殺戮をやってのけた。
その心理的な変化は、信長にとって行幸という他ない。
「………」
一方アイリーンは血腥い関所のなかに踏み入り、信長が斬り裂いた足元の敵兵の屍を見下ろす。まだ内心では信長の容赦ない謀略とその後の殺戮劇に対する、猜疑、畏怖、嫌悪………決してプラスではない感情も多く渦巻いている。
「悪辣………本当にその通りね。………でも」
傍らに立ち、不敵な笑みを浮かべる信長を伺う。決して心優しくはないだろうし、今回自分たちを助けたのだって本人がいうように“義挙”ではなく、彼の野望の一環にすぎないのは恐らく事実だ。
──それでも、“そう”なることを解っていながら、アイリーンは村人たちが信長についていくことを止めなかった。
再び凄惨な光景を見せられると知りながら、伸ばされた手を自ら取った。
そして…………道中で見た、“もう一人の信長”。
アイリーンは───信長の“野望”に、強烈に惹かれ始めていた。