いつの間にか、日は傾き始め空の色は橙色へと移行しつつあった。
地平線の彼方へ沈み往く夕日の向こうに、静かに佇むクッショー城。信長たちが制圧した関所からは人の足で徒歩で移動してもものの半日、騎馬ならほんの一刻程でたどり着ける距離だ。
(………兵は間違いなく、こちらのほうが少ない。本来なら、夜間、夜襲こそ“攻め時”であるが……)
信長は夕日に映し出される城の輪郭を睨みつつ、静かに思考を巡らす。
「──して、アイリーン。クッショー城に籠るスケィビィ軍の残党の人数はどれぐらいだ?」
「そうね……」
問われ、アイリーンは眉間に微かな皺を寄せ、共にクッショー城の方角を見据える。彼女の金髪が、夕焼けに照らされて美しくキラキラと輝いている。
「もともと大きな貴族ってわけじゃなかったから、常備の兵は300にも満たないはずよ。
………でもそれ以上に、多分ラッセル・バーナードが残ってるのが厄介だわ。元は帝都の直属騎士団に所属してたらしくて、なんでこんな僻地に来たのかは解らないけど……かなり実力はあるはずよ。実際、あの人が村に来たときは兵士たちの統率がかなり取れていて、私も魅了魔法をかける隙自体がほとんど見いだせなかった。
あの人が来たときは不思議とそもそも略奪自体が起きた記憶がないけれど」
「あのカタそーな、おヒゲの騎士様のことですよね?」
ひょっこりと顔を出したリナが、そのまま会話に参加してくる。アイリーンへの親しみは当然として、既に信長に対しても遠慮や畏れといった垣根が消えつつある。
元々人見知りをしない社交的な性格なのだろう、信長に初対面であれほどの啖呵が切れるのも納得だ。
「確かに、アタシもあの人にはひどいことされそうになった記憶ないですねー。通り一遍にアイリーン様の引き渡しと立ち退きを要求されるだけで、毎回すぐに帰っちゃいますし。
まぁ、スケィビィもそのあたりを察してか途中からナラーンたちとか雇った冒険者崩れのならず者しか寄越さなくなりましたけど」
「ラッセル、か」
その名は、初耳。だが信長は、即座に誰を指しているのか理解する。スケィビィからの依頼を受けた折、ラルカ村の状況や地理の説明を請け負ったあの口髭をきっちり切り揃えた側近のことだろう。
あの時、そのラッセルだけは確かにナラーンや他のならず者共と立ち居振る舞いが一線を画していた。そして、何より──
『…………かの村に至るまでの地形は“通”であり、進むも退くも易いためここはそう怖くありません。
しかし村のはずれの古城、アイリーンの居城は兵法における“挂”の地形に建ちます。くだり坂ゆえ進むは楽も、戻るにはやや斜面が急な上に道の両脇は森で囲われ伏兵も置ける。道の幅も狭うございますので塞ぐも容易い。
城の中に引き込まれた上で術をかけられれば、仮に広間からは逃げ出せても城の外の道で絡め取られる恐れあり。
城へと至る道に、何かしら策が施されていると見る必要はあるかと。
………ましてや、村の者共は皆スケィビィ卿に楯突く輩、アイリーンと志を共にした“誰か”がいれば、容易く扇動されるでしょうからな』
あの時は、ごく自然に兵法を引用しつつ正確な解説を入れるラッセルの能力に、“一揆”を起こす上で最大の危険因子として警戒を置いていた。
仮にスケィビィがラッセルを連れてきていたなら、一連の謀殺も単なる指揮官兼手助けではなく信長主導の正面攻勢で殲滅し、圧倒的な“力の差”を見せつけての恐怖政治でラルカ村の服従を引き出す算段さえ覚悟した程だ。
だが……単身で城に乗り込む冒険者に、“軍勢”での戦闘を、それも“城方”としての戦闘を念頭に置いたかのようなあの説明は、落ち着いた今考えてみれば不自然極まりない。
「………クク」
苦笑いが漏れる。
今思えば、ひどく不器用な“誘い”であったものだ。ラッセル・バーナード、さては金冠頭や権六と同じ人種か。
「………信長?」
「ノブナガ様、どうかしましたか?」
「喜べ、アイリーン、リナ」
アイリーンが不安げに、リナが不思議そうに首を傾げつつ覗き込んでくる中、信長の瞳はギラギラと凶暴な輝きを放っていた。
「明日の朝、かの城は落ちる。最後まで、我らの血を一滴たりとも流さずに……な」
翌日の、朝。
轟音が、続いて地鳴りが沸き起こる。山が一つ噴火したかと紛うようなそれは、当然クッショー城まで届いた。
「なんだ!?なにごとだ!?」
「おい見ろ!関所が燃えて……いや、爆発してる!!」
「何が起きてやがんだ!?」
寝ぼけ眼をこすりながら大慌てで城壁に駆け上がってきた兵士たちや、侍女、侍従たちが、関所の方を指さして口々に叫ぶ。
まさに関所からは、天まで届かんばかりの紅蓮の火柱が突き上がり、その根元から朝焼けに不釣り合いな黒煙を濛々と噴き出している。
知らぬ人が見れば、関所の建っていた丘が実は活火山で、たった今噴火したのだと言われても信じるだろう。
「……………!!」
ラッセル・バーナードもまたこの光景を城壁上で目にする。他の兵士たちやナラーン指揮下のならず者連中の残りが右往左往する中、懸命に事態を把握しようと努める。
「む…………」
そんな中こちらへ猛然と駆けてくる、天井に少女を乗せた馬車1台。その周りを固める騎馬十数騎。これら集団の先頭を征くは、抱きかかえるようにして目を見張るほど美しい少女を同乗させた騎馬武者。
「カカカ!!案の定城の連中は大騒ぎだなぁ!!」
言うまでもなく、信長とアイリーン、そしてラルカ村の面々である。
関所は、出ると同時に信長がその圧倒的な魔力で吹き飛ばしてみせたのだ。
「ちょっ………と!貴方の魔力、確かにとんでもないとは思ってたけど………!!」
アイリーンは馬上で揺られながら、目を皿のように見開いて何度も後方の爆炎を振り返る。
「何よあの威力………幾ら魔剣で威力が上がってるとは言え、関所が、木っ端微塵に……!
ロンディアの宮廷魔法師だってこんな魔法撃てるのは一握りよ、大魔法士フラメルが撃ったって言われても信じちゃうぐらい……!」
「魔法は“いめぇじ”が重要だからな」
アイリーンの驚愕に、信長は馬上でふんぞり返るような動きをしながら鼻を鳴らす。昨日、関所までの道中に見た“覇王”の面影から一転、その仕草はまさに年相応の少年のようでどこか愛らしい。
「俺ぁ戰場で散々“火”を見てきた。初陣の吉良大浜に始まり比叡山、伊勢長島、越前。一向一揆を焼き払うにゃ火攻めが効率的だった故にでけぇ“付け火”も何度も見て、茶釜抱えて爆散しやがった奴のせいで爆炎も直に目にして、最後にゃ本能寺で火に巻かれて俺自身が死んだ。
そんな俺が、火の魔法を扱えんわけがねえだろう」
「…………貴方、やっぱり転生者なのね」
「おう、そうだ。別段隠してるつもりもなかったが………俺の下天は“二度目”だ」
悪びれもせず頷く信長だが、アイリーンの方も別段多少の驚愕があっただけで信長が転生者だからどうというつもりはない。
流石にありふれている、とまでは言わないが………300年前、バンテニーとファストゥル、2つの大陸にまたがる“魔王大戦”に端を発し、これまでも既に何人かの“転生者”が歴史に名を刻んでいるのだから。
「すっげーなのぶなが!あんなデケェ炎撃てるなんて、お前実はルシアと同じ竜族か!?」
「ハッハッハッ、そりゃ光栄な褒め言葉だな!今後は越後の龍に倣って尾張の龍とでも名乗るか!
………とまぁ、冗談はさておき」
ルシアからの賞賛に少し大袈裟に高笑いしたあと………クッショー城がいよいよ眼前に迫ると、信長の笑みが、再び悪辣なものに変わる。彼は城の前で馬の手綱を引き停止すると、“左文字”を高々と掲げた。
その先端に突き刺さるは、スケィビィ・クシャローとナラーン・ズンモンの生首。
「クッショー城の者共にぃ、伝えるぅ!!!
我が名は織田信長、織田信長なり!!主らの主スケィビィ・クシャローと、その郎党頭ナラン・ズンモンを討ち取りし者なり!!!」
近くにいたアイリーンの耳をつんざきかねないほどの大音声に、朝の空気がビリビリと震える。
「先の関所の大火を見たな!?あれぁ、俺が魔術をもって吹き飛ばしたものだ!!あの程度の魔法、俺はこの太刀一振りでぶっ放せる、つまりこの城も瞬きする間にただのでけぇ篝火にできるってわけだ!!」
言いながら、馬首をめぐらして城門前をゆるゆると行き来する。城の者共にスケィビィとナラーンの首がよく見えるように、そして自身の大音声が余すことなく城内に行き渡るように。
最後の一瞬に至るまで、冷徹に合理的に計算をとめることはない。
「者共、降れぃ!!降り、城門開けるなら、これまでを不問とした上でこの信長の臣下に加える!!
だが、こちらの兵数を侮りまだ手向かいするならば………城を丸ごと焼き、生き残った者も老若男女、兵か民かを問わず一人残らず“撫で斬り”とする!!さあ、返答やいかに!!?」
「スケィビィと………そんな、頭が、頭がやられただって?!」
「あいつ、あん時来てたネイブ・ナガンじゃねえのかよ!?なんだよノブナガ・オダって!?」
信長の叫びがしっかりと届き、城内は蜂の巣をつついたような騒ぎになる。そもそもまだ武具さえ全員がつけ終わっては居ない中で、ましてや戦闘態勢など作れるはずもない。
「シャーム、馬車の中の連中は一応外に出させて武具を構えるよう言え。ルシア、万が一にも奴らが城の外で“やる気”になったら、陣が組まれる前に突っ込んで大暴れしろ」
「はいっ!」
「おー、任せろ!!」
矢継ぎ早に指示を出し、自らもスケィビィとナラーンの首を切っ先から振り落として地面に放り投げつつも………何かを確信しているように、その口元には笑みが浮かんでいる。
「さぁ、城の…………“都落ち騎士”の返答やいかに?」
「冗談じゃねえ、おカシラのタマ取られてるってのに芋引けるかよ!!」
「その通りだ!!冒険者風情がヘタレの村人共たばねて調子に乗りやがって!!あいつら全員皆殺にして、アイリーンかっさらってマワしてやらねえと気がすまねぇ…!!」
「いやいや待てって……あの魔法見たろ?関所が吹っ飛んでんだぞ?この城だってどうなるかわからないだろ……」
「いくら不意打ちっつったって、スケィビィ卿だけじゃなくてナラーン殿も殺されてるなら、かなりの手練もいるだろうしなぁ……」
一方城内。スケィビィについては人望の欠片もなかったが、ナラーンは曲がりなりにもならず者共を束ねていた身。直属として甘い汁を吸っていた配下たちの中では一定の支持があった。その直属の配下であった連中おおよそ残50名ほどは、仇討ちに大いに息巻いている。
ただし一枚岩というわけではなく、元々の城の常駐騎士やラッセルの部下たちは、ほとんどが及び腰で出戦には否定的だ。
「…………………………………」
──ラッセルの耳には、これら喧騒が全く耳に入っていなかった。その眼は、城外で不敵な笑みを浮かべてこちらを見上げる騎馬武者に、ネイブ・ナガンに…………否、織田信長に注がれている。
(やったのか、あの若者が。本当に、スケィビィとナラーンを討ったというのか)
期待は、確かにしていた。なぜかは解らないが、スケィビィに促されて村の状況を説明する時、あの少年の強烈な眼光に惹かれる何かがあった。
故にラッセルは、ほんの一縷の望みをネイブ・ナガンに託した。意図を汲み取ることを願い、あの村での“籠り方”を暗に提示した。………この地方の現状を変えられなかった自身の、かつての志を託すような気持ちも、或いはその中に含まれる。
そして今、ネイブ・ナガンは。織田信長は、本当にやってのけた。
ならば、今自分がすべきことは、なんだ。
荒みきり、諦めきっていた自分の目の前で、世界がかわりつつあるのなら。
今自分は、誰がために動くべきだ。
何のために、動くべきだ。
初めから、そんなことは解りきっているだろう。
「ビビりやがって腰抜けどもめ!数はこっちの方が上なんだ、やつがそれなりの魔法士だったからってビビる必要はねぇ!!
ラッセルの旦那、アンタ昔はロンドリアにいたエリートなんだろ!?なら、あんな連中とっととたたっ殺して───」
「───そうだな」
「……………ぇあ?」
打ち抜かれる、ラッセルの剣。いきり立って喚き散らすナラーン一党の副頭目とでも言うべき存在だったその男の喉笛に、その切っ先が目にも留まらぬ速度で突き立つ。
「そして、元はと言えば貴様らのような………スケィビィや、ナラーンのような連中を討つことに使命感を抱いて。
無垢なる民を、善良なる人々の暮らしを守るために騎士になったのだ、私は」
「うぎゃっ!?」「ごはっ………」
さらに踏み込み、かつてのナラーン一党をラッセルの刃が次々と斬り伏せていく。
「総員、かかれ!!内政を壟断し、エウロイを私物化せし“不逞の輩”を、一人残らず討ち取るのだ!!!」
「「「お、おおおお!!!」」」
ラッセルの号令に、ナラーン配下以外の兵士たちも、次々と武器を取り、構え、“不逞の輩”に向かって振り下ろしていく。
血飛沫が舞い、幾つもの断末魔が城内に木霊した。
「「「……………!」」」
「おっ」
ゆっくりと、クッショー城の城門が開く。シャームたちは一斉に緊張の面持ちで武具を構えるが………信長のみは軽く声を上げたのみで、寧ろ“左文字”を、鞘に納める。
「…………………」
中から進み出てきたのは、ただ一人の騎士。口髭を豊かに蓄え、しかしきっちりと切り揃えたその生真面目そうな騎士は、まっすぐに整然とした足取りで、ズンズンと朝日の中をこちらへ歩を進めてくる。
「クッショー城守備頭、ラッセル・バーナードでございます」
「うむ」
騎士──ラッセルは、流れるような所作で信長の眼前に跪くと、兜を脱ぎ、深々と頭を下げた。
「我が首を持って、クッショー城残兵250余、尽くネイブ殿───否、ノブナガ様に降ること、平にお許しいただけますようお願い申し上げまする」
「…………え?」
「どういうこと……?」
「えっとー、のぶながに降るってそこのヒゲが言ってたかー…………?」
一瞬、ラルカ村の面々は誰もが、眼前の光景とラッセルの言葉の意味を俄には理解できなかった。互いにせわしなく言葉を交わし、必死に現状を理解しようと努める中。
「────勝ち鬨をあげよ!!!」
信長のその一言が、一気に全員に現実を認識させる。
「「「「………………えい!!えい!!おおおおおおおおおおお!!!!!」」」」
とても30余名分とは信じられぬほどの、巨大な歓声が四方八方に響き渡った。
───共暦1549年、【清涼の月】20日早朝。前日のスケィビィ・クシャロー及びナラーン・ズンモンの死と、城番ラッセル・バーナードの降伏をもって、信長はクッショー城とラルカ村を“自領”として掌握した。
「「「えい、えい、おおおお!!!えい、えい、おおおお!!!!」」」
それは、この月から同年【冥暮の月】、すなわち1549年の終わりまで続く、凡そ3ヶ月間。織田信長、“二度目の下天”における最初の飛躍期の。
「「「「えい!!!えい!!!
…………おおおおおおおおお!!!!!」」」」
【スータントの乱】の、開幕を告げるものでもあった。