「──イブ殿、ネイブ殿!!
ネイブ・ナガン殿、話を聞いておられるのか!?」
「んぉっ………」
木製のテーブルが、振り下ろされた拳によって打ち鳴らされる。瞬間、突然世界が光に満ちた。
「ネイブ殿、依頼の話の最中であるぞ!!途中からぼーーーっと虚空を見おって……まさか寝ていたなどとは言うまいな!!?」
「ん、あ……?」
目の前で、男が一人座っている。中途半端に生えた金色の髪を王冠にでも見立てたのか妙ちきりんな円形に仕立て上げ、でっぷりと太り如何にも好色そうに脂ぎった頭の上にちょこんと乗せている。誰だこいつはと、見知らぬ男を目を眇めて観察する。
そもそもねいぶ?ねいぶながん?なんだその奇天烈な響きは、まさか人の名前か?仮にそうとして、何故わざわざ俺の方を見て───
否。
知っている。
「…………スケィビィ、クシャロー」
「……っ!なっ、なっ、なっ!!き、きさ、貴様!!若くして銀章持ちだからといって、一冒険者風情が貴族たるわしを呼び捨てだと!?ナメているのか!!?」
呟きに、眼前の太った男───北方貴族の一人、スケィビィ・クシャローは耳まで真っ赤になりながら喚き散らす。
そう、スケィビィ。スケィビィ・クシャロー。自分は、この男のことを知っている。
そして、ネイブ・ナガンなる人物についても思い出す。
自分だ。
自分が、ネイブ・ナガン。
「う、お」
思考の、津波。頭の中で、記憶が逆巻く川の如く溢れかえり、大時化の海の如く荒れ狂う。
泣き喚く赤子の自分を、誰かが冬の山道に捨てている。
吉良大浜にて果たした初陣、巡り方を見るために着けた火が、田畑を飲み込みながら燃え盛っている。
頬に傷のある、白髪の目立つ無骨な隻眼の男が、不慣れな手つきで赤子の自分を抱いている。
婚礼の儀。斎藤道三から娶った娘が、静かに自分の前で傅いている。
初めて握った剣。何故か身体に染み付いていた通りに動くと、驚くほど筋がいいと隻眼の男がはにかみながら手を叩いた。
田楽狭間。雷雨降り頻る中、五七桐に囲まれた陣に向かって自ら騎馬を駆り斬り込んでいく。
初めての“くえすと”。何もなさずに死ねるものかとヤケクソで突出した刃が、“ごぶりん”の喉笛を貫いた。
軍勢を率いての上洛。猿を思わせるツラの小男が旗指物を掲げて、自分の乗る騎馬の口輪を引いている。
驚くほどあっさりと使えた魔法。繰り出した火炎が“もんすたぁ”の群れを焼き払うと、“ぎるど”の連中は目を丸くしていた。……育ての親である“ぎるど”の長だけは、どこか誇らしげだったが。
長篠の戦。押し寄せる甲斐武田の武者たちを四方から鉛玉が撃ち竦めるさまを、本陣から冷徹に見下ろす。
度胸と魔力の類稀なるを評され、12歳──捨て子のため本当の正確な歳など知る由もないが──にして年齢下限ギリギリでの、見習いから正式な冒険者登録となる。
木津川。毛利・村上を討つべく九鬼に造らせた鉄甲船を眺め、その威容を大いに堪能した。
“ごぶりん”の巣穴討伐を主導し、自らも魔術と刃を振るい見事殲滅。異例の速度での銅冒険者章授与。齢まだ12の身に酒を飲まされ、側溝に転げ落ち糞尿まみれで溺れかけた時のほうがよほど命の危機であった。
安土城。聳える天守の最上階から城下町を眺め、自らの覇道を振り返った。
“ごぶりんろぉど”に率いられていた大規模群の討伐達成。史上最年少にて銀冒険章を授与し姓を名乗ることを許されたのを機に、長に申し出て“ぎるど”を辞する。……そのときは、自分でもなぜその選択を取ったのか解らなかった。
本能寺。今一度の乱世に渇望しつつ、自らの腹を渾身の力で裂き、炎に呑まれた。
帝都にて見つけた、【税の未納領主の身柄の確保及び、税金の強制徴収】の“くえすと”。今更自分がやるようなものではない、遥か片田舎の依頼。依頼主もまた、悪政の限りを尽くしていると噂される愚物の貴族。
にも関わらず、何故か奇妙な“ひらめき”が走り、その依頼を手に取った。
───そして今、自分は依頼者であったその貴族から、取り巻きの荒くれ者どもに睨まれつつ、その依頼内容を聞いていた。
「ネイブ・ナガンよ!!貴様ワシをナメておるのか!?帝都圏からきたからといって」
そうだ、しっかりと覚えている。
自分は、ネイブ・ナガン。
どこの馬の骨ともしれぬ者に捨てられた天涯孤独の孤児であり、ある冒険者ギルドに拾われて育った。失うものがないゆえの“捨て身”と孤児としては稀有を通り越して前代未聞の魔術の資質を用い、驚くべき速度で中堅上位まで上り詰めた新進気鋭の冒険者。
そして………“思い出した”。
自分は───織田、信長。
第六天魔王、織田前右府上総介信長だ。
「……なぁスケィビィの旦那。だから言ったろ、こんなクソガキに任せられる訳ぁねえって。とっとといつも通り俺たちに依頼すりゃいいんだよ」
「何を言うかナラーン殿!大枚はたいてわざわざ中央からこやつを呼んだんだぞ!だいたい、アイリーンたんを攫わせようとしてお主ら既に何回失敗していると思ってるんだ……!」
「いやいや、そりゃ奴のあのわけわからん魔法が厄介なだけでこのガキンチョが耐えられる証明にならねえだろ。寧ろ、何度も食らってるからこそ俺たちのほうが耐性ついてきてるかもしれねえんだぜ?」
「う、うむ………」
「──あいやしばらく」
返事さえしなくなったこちらの様子にたまりかねて密談を始めた、スケィビィと奴の私兵の長であるハゲ頭──確かナラーン・ズンモンだったか──を手で制する。
こんな“好機”、逃してなるものか。
「申し訳ない。夜に日を継いでここまで来ましたため、些か疲れが出ましてございます。
されど、スケィビィ殿のお力になるためにここまで来た身、しかと仕事は熟します故ご安心を」
「おおっ……!」
「……………けっ」
───時に、共暦1549年、夏の暑さが未だ残る、【清涼の月】の4日。
織田信長による“二度目の下天”が、静かに幕を上げる。
人間五十年、下天の内を比ぶれば、夢幻の如くなり。
一たび生を賜れば、滅せぬ者のあるべきや。
どうせどこかで、再びいつか“滅する”時は来る。
ならば今一度、面白く生きてみよう。
「まず、その者の使う魔法についてですが、私に心当たりと腹案があります。ただ、準備期間が──」
スケィビィに向かって冷静に語りつつ………信長の胸の内では、新たなる“野望”の火が激しく燃え盛っていた。