共暦1549年【豊穣の月】10日、夕刻。ブッヒル・ピグレルト挙兵の報とこちらを二倍以上も上回る予想兵力を受けて、信長が降した判断は───出陣。
ヒノモト国史書【創国記】は、信長の下知が飛んだ直後のクッショー城内について、以下の様に記載している。
「し、出陣!出陣!出陣じゃぁーー!!ノブナガ様がご出陣なされるぞーーーー!!」
「皆武具を用意せよ!!指名あった諸将は厩に急げ!!」
「わーーーん、ルシアのご飯ーーー!!」
「ちょっ、アタシの槍!誰か、アタシの槍どこにやったか知らない!?」
「組頭を呼んでくれ!!城内各隊の編成を急ぐ!!」
「携帯食料を人数分用意しろ!経路上の村落で兵糧を準備できるかの確認も早馬に行かせるんだ!!」
さながら夜討ちにて総崩れになりたるが如し、阿鼻叫喚の次第なり。………と。
「ちょっ、、ちょっと!ちょっと、信長!!貴方急に何を言い出すの!?いきなり出陣だなんてそんな、それに向こうの方が軍勢も圧倒的に多いって……きゃっ!!?」
メイド、使用人、兵卒、諸将、文官………皆一様に上を下への大騒ぎになる中、アイリーンが懸命に信長を押し留めようとする。
が、信長はまるで山賊が娘を拐かすようにしてひょいとその身体を抱えあげてしまう。アイリーンのドレスの裾が、ひらりと翻った。
「馬引けぃ!!」
「はっ!これに!!」
アイリーンを抱えたまま城塔前の広場に出れば、甲冑を鳴らしつつ騒がしく行き交う雑兵たちの間を黒く逞しい馬が一頭引かれてきた。
元はナラーンの持っていた馬で、クッショー城の騎馬の中では突出して精悍かつ健脚であったことから信長に気に入られ、その愛馬となっている。
「わっ、とと……」
「…………よう俺の馬を覚えていたな、猿」
「お褒め預かり恐悦至極!」
アイリーンを半ば定位置化しつつある自身の前に座らせ、自らも黒馬に跨りつつ、脇を見下ろす。地面に片膝をつき、馬を連れてきたヒディが済まし顔で軽く頭を下げる。
「ノブナガ様が家臣にして“志願兵”一番乗りとしましては、この程度のことはこなせて当然ですので!飼い葉も腹八分で予め食わせました故、問題なく走り抜けましょう!!」
「いっそ腹立たしいほどに小賢しき男よ」
本当につくづく“藤吉郎”と話している時のようだと、思わず懐かしさが胸を満たす。が、今はその世界線を越えた感傷に浸っている暇はない。
「猿!例の件、首尾は如何に」
「ははっ!!つい一昨日、レツカツ市の盗賊ギルドとチラーガ村、そして郡境のトンソック村よりノブナガ様へ恭順する旨したためた書状が届いておりまする!!
トンソック村には、我らが向かう際狼煙を上げて知らせることも言い含めてあります!!」
「重畳成!!」
信長が、軽く手綱を引く。黒馬が嘶き、逞しい前足を軽く振り上げた。
「猿、早急に狼煙台にて火をかけよ!!また城内の者共には、主から集結場所について触れを出せ!!俺はアイリーンと共に、チッカ村にて待つ!!」
「はっ!!このヒディ、すぐに追いつきまする!!」
「ハイ、ヤァ!!!」
尻にひと鞭当てれば、再び嘶いた後力強い馬蹄音を鳴らし黒馬が駆け出す。開かれ始めた城門の間をすり抜けるようにして、信長とアイリーンはクッショー城の外へと矢の如き速度で飛び出した。
「もう、もう!!あんな恥ずかしい格好で連れ出さないでよ!!絶対城中から見られたわよあの姿!!」
「どう、どう、落ちるかもしれんから暴れるな」
「わぷっ、ちょっと、撫でないでよ……んもうっ!」
ようやく落ち着いたところで、振り向いて耳まで真っ赤になりながら抗議するアイリーン。
抑え込むようにしてその頭に手を置き、ワシャワシャと掻き乱す。抗議の声を上げるが、結局髪を梳く信長の手の感触に戸惑って怒りの矛先を鈍らせてしまう自分が恨めしく、むくれっ面で正面に向き直る。
途端、胸の内に後から後から不安がわいてくる。
確かにラルカ村を解放する過程で、“一揆”に参加し大いに修羅場を経験した。
だけど本格的な“戦”は、経験どころか見たことさえ一度もない。だが今、自分は信長に連れられてまさに“戦場”へと向かっているのだ。
沈黙していては気が狂いそうで、震える声で尋ねる。
「………ねぇ、信長。本当に勝てるの?相手は2000人、先月のスケィビィやナラーンたちの比じゃないわよ」
「ああ、2000だな。
───“たった”2000だ」
あまりにも事もなげな口調に、思わずアイリーンは再び振り返る。だが見上げた信長の表情には、強がりも虚勢も見られない。
あるのはただ、絶対的な自信のみ。
「確かに数の差はある。そして戦において、いかに多くの兵を集め得るかは重要だ。俺ぁ“前の下天”じゃ、いつだってどんな時だってまず兵を、そしてその兵が飢えずに戦える量の飯と惜しげもなく使える量の矢玉を用意することに費やした。
だが、最も重要ってのは別に“全て”ってわけじゃねえ。時として戦には、兵数なんかよりはるかに重要な“機”を見るべきことがある。
まさに、此度こそがそれさ」
信長の瞳には、山の向こうに傾き始めた夕日が映り輝いている。だがおそらく、実際に信長が見ているのは夕日などではない。
もっともっと遠く。さらに向こう側に続く、一筋の“道”だけをその眼は捉えている。
「見ていろ、アイリーン。今お前と共にあるのは、冒険者ネイブ・ナガンなどではない。
────第六天魔王、織田前右府上総介信長よ」
「のぶながー!!!アイリーーーン!!!」
「アイリーン様、ノブナガ様!!」
「ノブナガ様、お待たせいたしました」
「ノブナガ様、アイリーン様、遅れまして相申し訳ありませぬ!!」
あっという間にチッカ村に到達した信長とアイリーン。水分補給や馬の脚を冷やすのに時間を当てていると、程なくして歩兵・騎兵の集団が続々と村に集まってきた。
リナは疲労で頬を赤く上気させつつ二人の眼前に跪き、リナに連れられてきたルシアはその後ろから飛び降りるとアイリーンと信長に交互に飛びつく。
ラッセルはきっちりと臣下の礼を取りつつ頭を下げ、最後に飛んできたヒディは二人の眼の前で殆ど五体投地のような勢いで地に伏せる。
「これで全部か、ラッセル」
「はっ。城から出てこれた者はこの場に集まっている人員ですべてです。騎馬50、歩兵250、占めて300余と相成ります」
「デ、アルカ」
短く頷く。確かに、ブッヒル軍の全軍どころか、つい先日出陣したという先鋒の兵力にさえ遠く及ばない。
だが、信長にとっては寧ろ“都合がいい”。
寡兵で大兵を討ち果たせば、その結果はそのまま、信長の名声へと繋がる。所領を拡大し統治をしていく上で、“名声”の効果は決してばかにならない。
「───目指すは、トンソック村!!」
アイリーンを伴い馬上の人となりつつ、“左文字”を抜き放って天に掲げる。
夕日からの橙の光が、紫の刃に反射してどこか妖しげな、蠱惑的な輝きを放たせていた。
「狙うは………ブッヒル・ピグレルトが首なり!!続けぃ!!」
「「「「おぉおおおおおぅ!!!!」」」」
「粥だ、とりあえず麦粥さ炊くだ!井戸水でかさ増しすりゃとりあえず腹は膨らませられるで!」
「レンバスと干芋はあるだが?!携帯食料の補充求められっかもしんねからな、今のうちに俺等が食うに困らねえ程度にまとめとくだ!!」
一方、ブッヒル・ピグレルト領シャブトゥン郡、トンソック村。
阿鼻叫喚という点では、トンソック村側も大概だ。先日ヒディなる男を通じて既にノブナガへの臣従を誓った矢先、ほんの数日も経っていないのに村へ向かうことを示す青の煙が上がったと見張り台から連絡が来た。
確かに、ブッヒルがエウロイ郡攻めの兵を起こしたという報は既に入っている。
だが、それに対するノブナガ・オダの反応速度が常軌を逸している。
「村長、これ大丈夫だか?おらたち、戦に巻き込まれちまうんじゃ……」
「今更いうても仕方ねえべ……!それに仮にノブナガにつかなかったらブッヒルの兵役に応じにゃなんね、結局おんなじことだべぇ……!!」
「ちっきしょう、あの用心棒、こんなときぐらい役に立ちゃいいのに……!!」
村人の一人が、外れのあばら家に険しい視線を投げる。ほんのふた月ほど前から、その小屋には一人の屈強な初老の男が寝泊まりしている。
「今日も“しょーぐん”様はおねむの時間だべか?ウチのまだ2歳のせがれよりよく寝るだかな……!ホントにあんなんが【帝都圏】で鳴らした将軍だったのかよぉ……!」
「………今は気にする意味もない。ほれ、飯炊きの準備を続けるだよ」
「────Zzzz」
村人達がてんてこ舞いで立ち働く間にも、あばら家からは地鳴りの如き巨大ないびきが響き続けていた。