クッショー城からシャブトゥン郡との郡境・トンソック村までは広い平野が広がっており、平坦な道が続く。魔物の生息なども確認されておらず、幾つかの賊徒は信長が吸収するか討滅した。
街道の整備も行き届いており、スータント地方の中では最も安寧に移動できる区域と言えるだろう。自然、軍の通行にあたってもその速度は出しやすくなる。
………そして、それら諸条件を差し引いても信長の行軍速度は常軌を逸していた。
「おお、あれか」
クッショー城を発ったのが、【豊穣の月】10日の夕刻。そこから、“通常”の速度で言えば本来2日はかかる。
「よし、脚を緩めよ!もう間もなく着くぞ!!」
だが信長たちは、翌11日の払暁には既にトンソック村に到着していた。
「……………ぶはぇ〜〜〜」
「も、もダメだオラぁ……」
「ウボァ……」
「腰………腰が……お尻も痛い………」
「ぬぅ………さすがに、堪える………な……」
「つ、疲れたぞ〜………」
無論、その代償は甚大である。諸将及び騎馬兵は皆疲れ果て、村の中に入るや否や蹌踉めくようにして次々と自らの馬を降り地面にへたり込み、或いは民家の壁や街道を区切る柵によりかかる。ルシアは多少体力を残しているようだが、それでも全身に汗を滲ませており表情もぐったりとしている。
歩卒衆に至っては、大半が地面に寝転がって四肢を投げ出し、言葉さえ継げず荒い呼吸を繰り返している有様だ。
「おうおう、何だお主ら情けないのぅ。こん程度でワヤになっちまって、鍛え方が足りんぞ。俺を見よ、ピンピンしとるわ」
「……………………………申し訳………ありませぬ…………」
諸将兵卒等しく疲れ切っている様子を見て、信長は呆れたように眼を眇め鼻を鳴らす。皆一様に「貴方がおかしいだけだ」と喉元まで出かかるが口にする度胸も気力もなく、かろうじてヒディがか細く謝罪を述べるのみ。
「………あのね、間違いなく貴方の体力が常識外れなだけよ。皆さん本当によく着いてきてくれたと思うわ」
「カカカ。デ、アルカ」
そして、肩で息をしつつもしっかりとツッコミを入れるアイリーンの姿に、誰もが尊敬の念を禁じ得なかった。信長の方も、窘められて別段気にする素振りはなく軽く笑うのみ。
「………村長、この地の村長はおるか!!」
「へ、へぃ!ここにおりやす!!」
この頃になると、トンソック村の村人たちと思わしき者たちがわらわらと民家を出て信長達の周囲を囲うように集まってくる。気を取り直した信長が大音声で呼びかけると、その中から1つ、小柄な影が大慌てで転がり出てきた。ジャガイモのようにゴツゴツとした輪郭の顔と、情けなく垂れ下がった眉が特徴的な初老の男だ。
「トンソック村長のヒンヅメにございます!そ、その、ノブナガ・オダ様であらせられましょうか……?」
「おう。でなければこんな軍勢率いておらんだろ」
「わ、わかりきったことを申し訳ありませぬ!!何分お初お目にかかる上、思った以上に年若い方でした故……!!
そ、それで、昨晩準備を始めたばかりなのでまだお迎えの準備がまるで……」
「よい。こちらも相当な“前倒し”であることは重々承知している。
一先ず、水じゃ。者共に飲ませる、井戸や湧き水からありったけ汲んでこい。こちらも動けるようになった者から手伝いに遣わす」
「ヘ、ヘイ!!喜んで!!おおい、水だ!水を汲みに行ってくれ!!」
「……ねぇ信長。トンソック村って、確かもうシャブトゥン郡に入ってるわよね」
ヒンヅメが他の村人達に呼びかけつつ再び転がるようにして村中に駆け戻る中、ふと気づいたアイリーンが信長の袖を引きつつ小声で尋ねる。
「じゃあ、ここって一応敵領の、ブッヒルの領土のはずじゃないの…?」
「ああ、そりゃあ猿を通じて寝返りを俺が持ちかけたからな」
周囲を眺め、村の置かれた地形を把握しつつ、信長はこともなげに応える。
「そも先に討ち取ったスケィビィを始め、四子爵の連中はその器のなさ故に自らが居を置く郡内さえまともな統治ができておらなんだ。
となれば、これは寝返りというより“どちらにつくか”を選ばせる、というのが正しい。元より仕えていた主君領主を裏切るよりは、遥かに決めやすい。ましてや一方の条件が圧倒的によければ尚更な。
ここ以外にも、既にもう少し奥にあるチラーガ村と………おっ」
「きゃあっ!!?」
いつの間にか傍らで膝をつく、全身を黒い装束に包んだ一人の男。見留めた信長が軽く眉を上げ、その動きで遅れて気づいたアイリーンは驚きの声とともに信長にすがりつきながら飛び上がる。
「盗賊ギルドの者か」
「……はっ。お初お目にかかりまする、ノブナガ様。ギルド長からも、今後切にご贔屓を願いたき旨預かっております」
「うむ、苦しゅうない。………して、ブッヒルの手勢、今どの位置にいる?」
「ドンデラス・ガルガゼラ以下600余、クロトン城近郊からダラダラと南下をしております。ブッヒルからは一刻も早くエウロイ郡に討ち入るよう指示が出ているはずですが、ドンデラスは守る気さらさらない様子。
今日の昼頃から進軍が再開されるとしても徒で3日、あの鈍さなら4日から5日はかかると思われます」
「よう調べた。引き続き奴等の動向を仔細に伝えよ」
「はっ」
黒装束の男は一連の会話を終えると、ついと頭を下げる。次の瞬間、まるで朝日の中に溶けでもしたかのように、その姿がかき消えた。
「とまぁ、レツカツ市に居を置く盗賊ギルドの連中の内通は既に取り付けてある。先んじて寡兵であるはずの俺たちの方から討ち入ってきているなどとは、まぁ奴らは思うまいな」
(そう言えば、そんな事を城を出る前にヒディさんが言ってたわね……)
信長が“転生者”であることは、アイリーンは既に知っている。その口ぶりや実際の能力から、何かしら“大きなこと”を成し遂げた人物であることも察してはいる。
だけど………その“大きさ”の想像がつかない。
最低でも一国一城の主程度であることは間違いないと元々思っていた。
だがこの視野の広さ、郡規模で軍略を施すスケールの大きさは、その遥か上、アイリーン自身では想像もつかないほどの“高み”であったように感じる。
(………な、何で私この人の前世についてなんて考えてるのかしら……別に、今世にしろ前世にしろ信長がどんな人生歩んでいようが私に関係は───)
ふと、頭上を“影”が覆っていることに気づく。はて、さっきまで朝日を浴びていたはずだが、急に雨雲でも湧いて出たのだろうか。
「────っ」
「くるるるるるっ!!!」
「………………ひっ」
振り向き、その正体が巨大な人影であると気づいた時には、既に信長とルシアがアイリーンを庇うようにしてその間に割って入っていた。
信長は“左文字”の柄に手をかけてアイリーンを自らの背後に隠しつつ鋭い目つきで“影”を睨み上げ、ルシアの方は両手両足を地面につけ、全身の鱗を逆立て尻尾を振り上げながら威嚇の唸り声を漏らす。
そこでアイリーンもまた、その“影”が放つ強烈な殺気に気づき、即座に腰が抜けてストンと尻もちをつく。
「………ぬはははははは!ちぃっと驚かせ過ぎちまったみてぇだな!!
安心しな嬢ちゃん、取って食ったりはしねえよ!!」
信長が“左文字”の鯉口を切り、ルシアが牙をむき出したさらにその矢先。頭上から破鐘の如き笑い声が降り注ぎ、“影”から立ち上っていた殺気がその濃度が嘘であったかのように霧散した。
「し、“ショーグン”!?ノブナガ様に何をしてるだ!!」
「おお、すまんなぁヒンヅメ村長。てっきり用心棒としての仕事のしどころかと思うて勇み足をしてしまったわ。しかし、ほほぅ」
「む………」
影───短く刈り上げた白髪が目立つ初老の男は、ずいっと信長に顔を近づけ、値踏みするようにじろりと全身を睨め回す。
「貴公が噂のノブナガ・オダか!ナラーンとスケィビィを討ち、賊徒や魔物を片端から撫で斬り、ひと月足らずでエウロイ郡を掌握せし傑物!!
どのような悪鬼羅刹かと期待しとったが……なんじゃ、存外な優男で肩透かしだのう!!ガハハハハハ!!」
「…………グイン殿!?もしや、グイン・ゴーン将軍であらせられますか!?」
「…………ほぉう」
誰もが呆気にとられる中、はたと思い当たったラッセルが、突然目を見開き叫ぶ。
初老の男は、ラッセルの声を聞いて再び上体を上げそちらを見据えた。
「意外だな、まだ俺の名を口にする奴がいるたぁ」
「何を仰せになられます!帝国に仕えた武人として、貴殿の名を忘れたことなどただの一度とてありませぬ……!!」
どうやら、ラッセルは驚愕が大きすぎるのか感情を十分にコントロールできておらず、声の抑揚が安定しない。
だがまぁ、無理もないだろう。
「【冥府の戦鎚】グイン殿が、まさか………!」
「その名を呼ぶのはやめてくれ………こそばゆいったらねえからな」
5年前、魔導派との政争に負けて表舞台から姿を消した、武断派筆頭──元ロンディア帝国軍大将軍が帝国領の北の果にいるなどと、誰が予想できたものか。