トンソック村における信長圧勝の報は、干草の山に放った火の如くシャブトゥン郡全域に広まった。
とりわけ、信長軍がドンデラス勢の残党を尽く受け入れ、損害を受けるどころか戦前より兵力を“増大”せしめたという事実は大いに郡内を動揺させた。
無理もない。ブッヒル軍の数的優位の大幅な減退と、降りさえすればたとえ直前まで戦っていた相手にも許しを与えるという信長の寛大さが同時に示されたようなものなのだから。
信長は盗賊ギルドを用いてこの報を即座により広域へと流布し、同時にチラーガ村に改めて信長の統治下に入ることを正式に宣言させる。
周辺の村落市町は信長が仕掛けたこの“演出”にいよいよ浮足立ち、先を争うようにして次々に信長へ臣従と協力を申し出る。
「……………ノブナガへの従属を表明したのは………10の村、2の町、それにレツカツ市、か」
かくしてトンソック村における戦闘から4日後、【豊穣の月】20日。アドラ・ブレイメンが指揮下の兵を率いてサンカッド市に入った時には、シャブトゥン郡南方の情勢は最早手の施しようがなくなっていた。
市庁舎の執務室で麾下の下級将校たちとともに執務机を囲いつつ、その上に広げた郡地図に視線を落として深く深くため息をつく。
「完全に、郡の南端は奪われたな。チラーガやトンソックはともかく……まさか一足飛びに盗賊ギルドに調略を仕掛けているとは」
「アドラ殿、盗賊ギルドの介入は今のところ確固たるものは見られませぬが……」
「いちいち調べずともわかるさ。幾らなんでも我々の敗報の流布が早すぎる。
それに、幾ら片田舎の末端組織とは言え盗賊ギルドを名乗る連中がほんの少し見ただけで関与が解るほど雑な仕事をするわけがない」
将校の一人の指摘に反論しつつ、逆にそんなことも言われねば解らぬのか──と喉元まで出かけた辛辣な言葉を舌打ちで誤魔化す。
「ノブナガ軍の今の兵力は解っているか?」
「はっ。トンソック村に着いた直後は恐らく300程度と推察されましたが、ドンデラス殿のお討ち死にと麾下残存兵力の降伏を経て16日時点で600余まで膨れ上がりました。
さらに、降伏したレツカツ市や各村各町から冒険者パーティや民による志願兵が流入しつつあり、現状はもう100程度増えると見て間違いないでしょう」
「つまり………こちらがドンデラス隊600をいきなり丸ごと失ったのに対し、向こうはもう700強まで兵力を増やした、と」
急速に強くなり始めた頭痛を物理的に抑え込もうとするように、アドラは瞑目しながら自らの眉間を強く押した。
「恐ろしいものだな。当初は6倍以上あったはずの兵力差が、ほんの10日足らずでもう2倍程度まで詰め寄られるとは」
せめてブッヒルが“兵力の逐次投入”という最悪の初手を打っていなければと、嘆いても詮無きことながらどうしても後悔が頭をもたげる。
「アドラ殿、かくなる上は全兵力で打って出てトンソック村を急襲しては如何でしょうか。彼の地はエウロイ郡とこの郡とを繋ぐ街道の要衝、ここを制圧すれば奴らは兵糧を補給できなくなり干上がりざるを得ません」
「下策も下策だ。ノブナガ軍は既にレツカツ市に主力を駐屯させているんだぞ?あのノブナガが、その鼻先をわざわざ突っ切るのを見逃すなどあり得るか?寧ろ我らが兵站線を切られつつ背後か側面を襲われ壊滅的な損害を被りかねん」
「或いはこの急拡大とスケィビィに対するものから続く連戦連勝で気を良くして油断しているかも知れません!賭ける価値は」
「ないわ阿呆が!!ここまでただの一手たりとも手を抜かず着実に我らを追い詰める動きをしてきている男が、ここに至って突然呆けることについてその合理を述べてみろ!!」
あまりにも楽天的な、策と呼ぶも烏滸がましい進言に思わず怒声を飛ばしつつ勢いよく執務机を殴打する。木片が舞い、強烈な一撃に机全体がみしりと一瞬ゆがんだ。
嗚呼、何故我が野望ようやく歩み出したばかりだというのに、いきなりこれほどまでに手強い敵が立ち塞がってくるのか。
「…………すまない。少し熱くなった。
一先ず、かなり詰められたとはいえ兵力は我々のほうがまだ優勢であることは間違いない。だが、だからこそ我々はここで一度守りを固める。
兵力に劣るノブナガ側は、下手な攻勢を向こう側からしかければそこで損害を受けたときに金輪際立て直せなくなるからだ。そうなれば、せっかく抑えたシャブトゥン郡南方も手放すことになる。
ゴンゼラ隊とニジェ隊、サンカッドから南下しこの街道の関所を押さえろ。アーホン隊は西方のミーミガー村を────」
「ほぉ」
一方、レツカツ市。盗賊ギルドからもたらされた敵勢の配置図を見て、信長は軽く目を見開く。
「敵将、なかなかよい布陣をするな」
支配が及ぶ領域の各所に数十人から多くても100程度の兵力を配し、一見大兵力を小規模に広く分散する愚行を犯しているように見える。
しかしその実、各隊の布陣地点がそれぞれ街道でしっかりと繋がるか砦同士で隣接しており、相互に即時連絡連携が取れる状態が維持されている。
例えば仮に信長が布陣のうわべだけを見て嬉々として攻め入れば、即座にその兵力が漸減戦闘で信長を遅滞させる内に残る主力で絡め取り、逃げる間もなく前後左右を包囲されてすり潰されるだろう。
“浮き拠点”が見当たらず、どこを攻めてもどこかしらから短時間で増援が駆けつけてくるように仕掛けられている。
「かなり考え込まれた陣張りじゃ。なかなかの切れ者のようだが………」
「………あっ、多分、アドラ・ブレイメン将軍っすね」
信長の視線を浴び、軽く顔を青ざめさせながらもマリントンが答える。
「正直、なんであんな人がブッヒルなんかに仕えてんのかってくらいの切れ者でして。このスータントじゃ、文武両道の名将として名を馳せてました。……確かにまじで隙が見えねぇっす、こんなんできるのはアドラさんぐらいっすね」
「デ、アルカ」
マリントンの解説に口癖をつぶやきつつ、信長の瞳は地図を見つめ続ける。
その眼光は、アイリーンを、ラッセルを、マギィを、ヒディを、マリントンを………自身の覇道の助けとなりえる、“欲しい”存在を見つけた時のそれであった。