共暦1549年【豊穣の月】27日。信長とアドラの間で、“静かな戦”が続いている。
レツカツ市まで陣を進め、ここにほぼ全兵力を集中しつつさらなる“募兵”を続ける信長。これに対して本営をサンカッド市に置きつつ、以北のシャブトゥン郡を塞ぐような形で1400余の兵力を分散配置し防衛線を展開するアドラ。
両者は睨み合いつつも、お互いに相手の“間合い”には踏み込まぬまま7日が経過した。
「…………んで、どうするんじゃね第六天魔王殿」
レツカツ市を囲う城壁の上。縁に寄りかかる信長の横で腕を組んで仁王立ちしつつ、グイン・ゴーンが尋ねる。
その視線は、三里半ほど先で聳えるサンカッド市の城壁に注がれている。
「どう、とは?」
「しらばっくれおって。アドラ・ブレイメンが敷きしこの防衛線よ」
とぼける信長を見て微かに目を怒らせつつ、ずいっとその大きな顔を近づける。
「ワシの眼から見ても、赤子の爪の先ほども隙がないわい。
トンソックでのお主の手際は見事であったが、向こうの方が兵が多いのにこうも固められては手が出せん。このまま刻が過ぎれば過ぎるほど先の勝利の貯金は崩れていきワシらの勝ちの目は薄くなるぞ」
「あの、ちょっと待ってグインさん。今も信長のもとには続々と義勇兵や冒険者が集まってきてるわ。確かに今は兵力的に不利だけど、この調子なら寧ろ時間を置くほどその不利は縮まるんじゃ………」
「長続きせん」
恐る恐るといった体で反論を試みたアイリーンに、グインは間髪を入れず吐き捨てる。
「シャブトゥンの民連中からすれば、確かに帝国は侵略者。ブッヒル云々抜きにしても忠節など誓うまいよ。
だが、奴らにとってはノブナガ・オダもまた赤の他人だ。圧政からの解放を一時的に喜びこそすれ、別に命懸けで付き従う義理はない。
当然、勝ちの目が薄いとなればブッヒルからの復讐を恐れて協力を渋る連中はみるみる増えていくぞ。どころかこのまま下手に長引けば、命あっての物種とブッヒルに再度寝返る村や町が出てきてもおかしくない」
「そんな………」
「スータントが帝国の手に落ちて未だ10年にも満たん、民草の情などそんなものだ。……噂には耳にしているが、寧ろたった2年ほどで深い絆を結んだお主とラルカ村のあり方が稀有なだけじゃ」
「付け加えるなら、“悪政”故にこそ生き生きとしている連中もいる」
信長は、グインの否定的な物言いに鼻白むどころか寧ろ嬉々としてその後を受け、続ける。
「山賊、盗賊、食い詰めて人攫いや強盗で生計を立てる冒険者まがいのならず者……こうした連中は碌な政をやらず、寧ろ私欲でそうした連中を雇い入れることさえあるブッヒルやスケィビィのような輩の“治世”をこそ望む。ましてや俺ぁエウロイ郡で特にナラーンに近しかったその手の者共を片端から撫で斬りに処した故な。
となると、近隣郡に跋扈する賊徒共が“明日は我が身”とブッヒルに与し、その兵力を増やすことは十分に考えられる。
ましてや、アドラほどの将なればその程度の腹芸容易くこなせよう」
「解っているならどうするのだ。いかなお主とて、この強靭な防衛線を寡兵で真っ向から穿つなど無理じゃろうに」
「ああ、“真っ向から”は到底無理だな。アドラとやらは、間違いなく腕利きの将よ。
………無論、俺もバカ正直にやり合う気はないさ」
「……………。不気味なやつだのぅ」
────信長が浮かべる、三日月を思わせるほどに口元が大きく吊り上がった悪辣な笑み。最初の内はアイリーンも、目にする度に今しがたグインが口にしたものと同じ感想を抱いていた。
だが、この短期間で何度も目にしていく内に、アイリーンは理解してきている。
この男がこの嗤い方をする時は、“何か”が起こる前触れなのだと。
───また同時に、自覚せざるを得ない。
次は、この男は何を仕出かす気なのか。そう、どこか胸を高鳴らせてしまっている自分がいることに。
(って、何を考えているのよ!!この人は魔王を平然と自称する怪物のような男、私やラルカ村の皆だっていつ策の礎にされるか解らないというのに……!!)
信長に対する“認めたくない感情”から目を背けるように、アイリーンは視線を城壁の外に転じる。
(………………そう言えば、ヒディさんをここ数日見かけないわね)
秋風に金髪を靡かせながらサンカッド市の方角を見て目を細めつつ、ふと、そんなことを思った。
共暦1549年【豊穣の月】30日の早朝。サンカッド市の執務室で、アドラは軽食をついばみつつ引き続き余念なく防衛線の整備と強化のために書類と向き合い続けていた。
今目の前に山と積まれるは、あまりにも下手くそな字で書かれた一応は“書状”の群れ。
一瞬大陸公用語とは全く違う未知の言語なのではないかと疑いたくなるようなそれらは、シャブトゥン郡内外の賊集団たちが協力と派兵を約束してきたものだ。
(全てかき集めれば、800から1000程度は確保できる。ノブナガ側の兵力も増強されてきていることも差し引いても、改めて差としては十分なものとなるだろう。
数の差が埋まりきらず、再度広がるとなれば一度ノブナガに屈した各地も再びの翻意が期待できる)
とはいえ、本当はもう一手決定的なものが欲しい。アドラは傍らに立つ副官を見上げる。
「ダントン殿の参陣はまだ確約が取れないか?」
「はっ……何度か出兵を促しているのですが、どうにも反応鈍く……」
「そうか……」
ダントン・ギムレット。シャブトゥン郡北方の治安維持を担当するブッヒル配下の騎士で、アドラの僚友にあたる。
特筆すべき能力はないがこの地方に派遣される騎士としては例外的に帝国への忠節と職務への熱意を失っておらず、賊徒討伐や民の救済がダントンの担当する数県はかなり行き届いている。
自身の担当外区域についてもあまりに荒廃が過ぎれば見かねて私財を出し手を差し伸べる人格者であり、ダントンのみはシャブトゥン郡の民たちも例外的に慕う者が多い。
……まぁ、だからこそブッヒルからは大いに疎まれており、当然ダントンもブッヒルを快く思わず実際に担当区域から出てくることは稀なのだが。
「ダントン殿が我らに付けばノブナガ支配下の地域を大いに動揺せしめられ、何より一声かけるだけで500は新たに領民兵が集まる。何としてもご出兵頂きたいが……」
「ノブナガが帝国から任官されているクシャロー卿を討っている点を引き合いに出し、“一揆勢首魁の討伐”という名目でお声掛けしています。仮にピグレルト卿との確執があろうとも、かの御仁が“帝国に歯向かう者”の討伐を拒否するとは考えづらいです。
………それよりも、一点気になることが」
「ああ、先週辺りから広まり始めているあの噂話か」
副官の言わんとすることを察し、アドラは嘲笑うように鼻を鳴らす。
「スータントを旧領とする王国の残党が、ノブナガの侵入に合わせて旗揚げを画策している……まったく、とんだ笑い話だよ」
スータント地方に割拠していた王国は、ロンディア帝国に完膚なきまでに叩き潰された。当時【鉄血魔導】と謳われたロンディア帝国最強の魔法師とその指揮下の精鋭魔法師団の猛攻を受けて軍は塵芥となり、王室一族および関係者と軍上層部は尽く捕縛され根絶やしにされた。
生き残ったのは一握りの下級将校と雑兵数百程度という悲惨な有様であり、それらも各地に逃げ散り冒険者や野盗に身をやつした。到底帝国への旗揚げなど、そもそも取り纏められる者が存在しない。
だからこそ、ラルカ村にて“異常者”が挙兵するまではこれほど露骨な棄民政策にもスータント地方の“平穏”は保たれていたのだ。住まう者たちに、余力がないゆえに。
「自然発生的な噂話か、ノブナガ側の謀略か……まぁどちらにせよ、歯牙にかけるも愚かな戯言だ。各隊には引き続き防衛線を堅持させてレツカツ市を抑えつつ、ダントン殿への出兵要請を────」
「ご報告!!!」
追加の指示を出そうとした矢先、執務室の扉が開かれる。伝令の腕章を着けた兵士が一人、入口で掌に拳を合わせつつ頭を下げる帝国式の敬礼をしながら入ってくる。
「クロトン城近郊にて、不穏の動き多数あり!!反帝国分子決起の可能性高まってきている模様!!」
「はぁ………」
伝令が送られてくるとは、ブッヒルの差し金だろうか。確かにあの小心者なら、馬鹿げた噂話でも不安を拭いきれないかも知れない。
(くだらぬ流言飛語だが………まぁ、伝令が来るほどなら対処せざるをえんな。あの阿呆のもとに行って、説き伏せてすぐに戻れば)
「また!!!!」
伝令が、バッと顔を上げる。
その顔色は蒼白で、表情にこの上ない焦燥が浮かんでいた。
「こ、この報せピグレルト卿直々に各隊に伝達され…………同時に、後退命令も降されました!!
既に、特に我軍右翼方面を中心に凡そ7隊300余が移動を開始しています!!!」
手から、羽根ペンが滑り落ちて机の上で乾いた音を立てる。立ち上がった拍子にインク壺が床にたたきつけられ、黒いシミがカーペットに浸透していく。
「私はセアーブラ町に布陣するサザンバル分隊長指揮下の兵ですが……し、周辺友軍多数の撤退開始を受け、分隊長がどうすべきか指示を仰ぎたいと…………!!」
「絶対に動くなと伝えろ!!おい、すぐに伝令をかき集めて各隊に走らせろ!!撤退命令取り消し、速やかに持ち場に戻れと!!」
視界が明滅するほどの憤怒と衝撃に、伝令兵と副官それぞれに向かって怒鳴りつけつつ立ちくらむ。ブッヒル・ピグレルト、“野望”にうってつけだからその幕下を選んだが、これほどに底なしの愚物とは………!!
「サンカッド市内より二個小隊100余名を右翼方面に駆けさせろ!!バナトン村を抑えれば一旦そこで時間は稼げる!!その間に撤退を始めているバカどもを呼び戻して再編を───」
「ご注進!!ご注進!!!!」
……………飛び込んできた、2人目の伝令。肩口に刺さった矢、煤けた鎧、切傷に刻まれた顔といった要素が視界に入り、アドラの不安を一気にかき立てる。
「ノブナガ・オダ勢、右翼前線にて出現!!!バナトン村、ポッシ村が制圧下に置かれたる由!!
また、カッシラ砦にてお味方勢40余名壊滅、敗走と相成りました!!!!」
その不安は、最悪の形で現実となった。
信長の前で、砦が燃え盛っている。中の兵は既に尽く討たれ、熱に巻かれた風が彼の下に血の匂いを届ける。
“左文字”を肩に担ぎつつ、信長はむせ返るようなその匂いがむしろ心地よいが如く、残忍に笑む。
「趙の李牧、秦の蒙括に章邯、蜀漢の姜維、宋の岳飛………これらの将は史に績を刻み世に名を轟かせながら、ついぞ志し遂げることなく無残に死んだ。
それは何故か?君主やその側近が、暗愚であったが故だ」
“左文字”を、勢いよく横に振る。吸われた敵兵の血が跳び、地面に紅の線を描いた。
その眼は、既に眼前の陥落した砦の残骸などではなく………この先で立ち塞がってくるであろう、“まだ”顔も知らぬ智将を見据えている。
「喜べアドラ・ブレイメン。主に、名だたる名将たちと同じ気分を味あわせてやる。
ああ、安心せい、主は死なぬ。この信長が、“国盗り”の手駒としてしかと使い倒してやるからなぁ」