拙く速いと書いて、拙速。
共暦1549年、【豊穣の月】30日。その日信長が見せた動きは、まさに“拙速”という言葉の体現であった。
払暁に届いたアドラ・ブレイメン勢撤退開始の報。信長はその報に触れてから、僅か四半刻後にはレツカツ市を出陣していた。
否、その時点での信長の姿を、“出陣”などと上等な呼び方をしてよいものか。
「やだ!?ちょっと、まって信長!?ねぇこんな時間にどこに連れて行く気!?せめて着替えさせて、きゃあーーーーっ!!?」
「喧しいそんな暇あるかぁ!!無駄に喋るな、舌を噛むぞ!!」
「むにゃ………眠い、ぞ〜〜………」
寝間着姿のアイリーンをたたき起こして小脇に抱え、自らも鎧さえ着ず騎馬の横にぶら下げ、ルシアに至っては子守で赤子をおぶるが如く縄で括って背負う始末。
人攫い中の賊徒か着の身着で夜逃げを図る博打打ちかというその有様を見て、誰が一郡掌握せし総大将の出陣だなどと思うだろうか。
信長自身クシャローからトンソック村へと向かった時以上の慌ただしき出立に、麾下の軍勢の混乱もまたより大きかった。あの時は最寄りの村に着くまでにはラッセルやリナら麾下の将も軍装を整え300余全員が集結を終えたが、此度は信長が最寄りの街道沿いで待っている間に追いついたのはグイン・ゴーンを含む40余名ほど。
グインが客将でありあまり積極的に戦にここまでは参加していないことも踏まえると、本来は今しばらく兵力の集結を待つ必要がある。
「───正気か!?」
「嘘でしょ………!?」
「おお、正気だ」
だが信長は、この40余名で攻撃開始を決断した。あまりの驚愕に目を見開き短く叫ぶグインと絶句するアイリーンに向かって、信長は平然と頷く。
正気、そう主張しつつ…………その瞳に宿るあまりにも強すぎる光は、どう見ても狂気を帯びたそれだ。
「敵は1400余、こっちに集まっとる兵はせいぜい40がいいところじゃぞ!?確かに敵が混乱はしとるかもしれんが、アドラに立て直されればすぐにすり潰されかねん!!」
「それは全軍が集まっても野戦に打って出た時点で同じこと。我らの兵力は増えたとてせいぜい800余、アドラの軍略をもってすれば多少の動揺による損害などすぐに立て直す。
寧ろ、未だアドラはこの報を受けていない今こそが最大の好機。まず一撃し、浮き足立たせ、しかる後追い立て、追い討ち、尽く攻め潰す。
虎の子得たりと思うなら、虎の巣穴に踏み込む程度のことはせねばな」
「馬鹿な………!賭けるにしても無謀すぎる!!全軍と言わずともせめて200は集めてから」
「アイリーン、ルシア、続け」
最早信長は、グインに反論さえしなかった。それ以上の時は無駄とばかりに、背を向けて“左文字”を抜き放ちつつアイリーンとルシアを促す。
「…………………はぁ、下手したらこれが私の最後になるかもって思うと、貴方に着いてきたことを後悔しかしないわ」
「………………っ!」
道中、そしてついさっきまで、自身同様取り乱していたはずだった。だが今のアイリーンは、信長に促されため息はつきつつも、すっかり落ち着き諦めたように頷いて馬上で信長の前にすんなりと腰を落ち着ける。
可憐で人並み外れた美しさと奇妙な魔術はあれど、ただの女人に過ぎない───そんな程度の印象だったグインは、再び驚愕に襲われることとなった。
「カカカ、なれば恨むか?俺を」
「冗談。最終的に貴方の手を取り、“利用されてやる”って決めたのは私自身だもの──こうなりゃ、死のうは一定、付き合ってやるわよ」
「アイリーンが着いてくならルシアものぶながに着いていくぞ!!それに、おまえが起こすたたかいは“たのしい”からな!!」
「ふはははは!!デ、アルカ!!────者共、進めぇええい!!!」
「「「おおおおおおぅ!!!!」」」
信長の号令を受け、40余名が駆けていく。……アイリーンやルシアだけではない。40余名の兵たちはその誰一人として、織田信長という男に着いていくことに微塵の疑問も抱いていなかった。
(…………頭が、おかしいのか。あの小童は)
朝日がようやく地平線から顔を出す中で、猛然と駆けていく40余騎を最後尾から追いかけつつ、グインは何度も何度もその無謀ぶりに呆れて頭を振る。
……………だが一方で、自分でも気づいていた。
信長が40余騎で攻めると言い切った言葉に。自身が述べる危険を一顧だにせず、まるで決断を揺るがさぬ意思の強さに。“左文字”を振り上げ配下に突撃を命じる、雄々しき姿に。
グイン自身の中を巡る血が、ふつふつと熱を持って煮えたぎっているような、そんな感覚が走りつつあると。
信長ら先遣隊がカッシラ砦を陥落させた辺りで、前線には続々と後続・主力部隊が到着し始める。だが信長は、これらを集結させ再編せず、前線についた者からひたすらにアドラ勢右翼の防衛線に攻めかからせた。
動きだけを見るなら、開戦当初のブッヒルとさして変わらぬ愚行。だが、寝耳に水の撤退令とそれに続く奇襲攻撃ででただでさえ混乱の極みにあるアドラ軍からすれば、それは兵力の逐次投入ではなく息継ぐ間もない波状攻撃となる。
次々と発生する敵襲に情報は変容と錯綜を繰り返し、いよいよ立て直しの機を逸していき、被害は瞬く間に拡大した。
「おのれ………!!」
「さあて、総仕上げといこうかい」
30日正午には、信長は防衛線右翼を完全に打通。各拠点を尽く制圧・陥落させる。
余勢を駆って信長はなおもアドラ右翼軍を猛追。辛うじて再編された防衛線残党200余を、後続兵力の合流もあって膨れ上がった本隊400余でレツカツ市北西7里地点にて捕捉する。
「ほんじゃま………ぶぁーーーーっと行ってみようかい!!」
その初撃で、戦の趨勢はあっさりと決まった。
「っがぁあああああああああ!!!!」
「う、うわぁ!?なんだこの小娘………うぎぁっ!?」
「りゅ、竜人族!?なんでこんな田舎に、あぎぁっ!?」
「止めろ、十人係でいいから止めろぉ!!」
開戦と同時、先陣を切りつつ信長が放った巨大な火球の炸裂で一気に10人以上が吹き飛ばされると、乱れた隊列にルシアが凄まじい速度で飛び込み激しく斬獲。ただでさえ払暁奇襲による大混乱と敗退に継ぐ敗退で弱りきっていた右翼部隊は、いきなり畳み掛けられた猛攻であっさりと浮き足立つ。
「総寄せぇい!!!」
「「「いあらぁあああああああっ!!!」」」
ルシアの斬込みによる“穴”が程よく広がったところで総攻撃に移ると、最早残党軍にこれを耐える余力はなかった。突かれるがままに隊列を乱し、瞬く間に総崩れに陥り、半刻と持たずに敗走を開始した。
「ぬぉりゃあああ!!!」
「ほぅ」
この、右翼軍への猛追戦の中で、1人信長の目に止まった若者がいる。
顔立ちから察するに、クッショー城に残したシャームや“今の”信長とさして歳の頃は変わらない。だが、十分恵まれた体躯であるはずの二人と比較してさらに頭1つ、恐らく3寸から4寸程度背が高い。のみならず者肩幅や胸部など全体的な“厚み”も見られ、既に膂力は大の大人にも対抗できるだろう。
「どぅりゃぁあああっ!!!」
その上で、振るわれる槍の力強さが尋常ではない。既に“技”を身に着けつつあるリナは鎧の隙間を巧みに縫う槍捌きで敵兵を倒すのに対し、この者はともすれば鎧ごと敵兵を貫き倒し、まさに“力”を振るって次々と敵をなぎ倒していく。
「そこな足軽!名は!!」
「へい!!マリントンの兄貴の一派が1人、チラーガ村のドンファでさぁ!!ノブナガ様の目に止めていただき、光栄の極み!!」
「よし、ドンファ、その槍働き見事!!戦のあと一隊を任す故、ますます励めぃ!!」
「………!!
ガッテン承知でさぁ!!!」
「他の者共も聞けぃ!!
この信長、ただ力のみを見る!!ただ才のみを見る!!日が浅くとも、かつてが敵であろうとも、存分に働け!!働けばその分、栄誉も富も欲しいがままだ!!存分に敵を屠り、絶やせぇい!!」
「「「ぉああああああああっ!!!!」」」
ドンファの、合戦の真っ最中でもおかまいなしの“立身出世”を目の当たりにしていよいよ熱烈士気が天を穿った信長軍は、夕刻まで追い立て、右翼防衛軍を討ち減らし続ける。
ようやく右翼防衛軍残党がこれを振り切ったときには、50名以下にまで討ち減らされていた。
「……………。全軍、クロトン城まで退却せよ」
なんとか軍の再編を進める中、レツカツ市にてこの報に触れたアドラは、今にも噛み砕かんばかりに歯を鳴らしつつ絞り出すようにして命じる。
兵力の2割を一方的に失い圧倒的に士気に差をつけられている状況下で、勝利をする絵など見えるはずなかった。
「ノブナガ“様”」
「……………おう」
夜。アドラが放棄したカツレツ市に入り、戦力の再編と状況の把握に努める信長。ラッセルら将校たちに一通り指示を出し終えたところで、こちらに歩み寄ってくるグインに気づく。
半笑いのその目元は、まるで、グインが何のために訪れたのかを見透かしているかのようだった。
「────本日の戦ぶり、真にお見事でございました。貴殿を若輩と見、侮りしこと恥じ入るばかりです。どうか、お許しくだされ」
「カカカ、まぁ、こんなナリじゃ、仕方あるまいよ。
………んで、いよいよ“客将”としてその武勇を見せてくれるってか?」
「否、客将として、ではありませぬ」
唐突に、グインは掌と拳を合わせ、“臣下の礼”をとりつつ信長の眼の前に跪く。
「この、グイン・ゴーン、ノブナガ・オダ様の臣下となること決意いたしました。
次の戦、先鋒にて我が武を存分にお確かめあれ」
「─────デ、アルカ」
グイン・ゴーン。かつてのロンディア帝国大将軍にして、“武断派”の筆頭格。
政争に敗れ5年にわたり表舞台から消えていたその名は、この共暦1549年をもって再度歴史に刻まれていく。
後の、“ヒノモト四天王”においても特筆すべき武は───続く、【クロトン城の戦い】で大いに振るわれることになる。