“事”が起こっている間、自分がどのような事を言い、どのように身を委ねていたのか。残っている記憶は曖昧で、夢の中を彷徨っているようなふわふわとした心地のままベッドの上に横たわる。
正直、曖昧で良かったとアイリーンは密かに安堵する。きっと自分が盛んに口走り繰り返し囁いていた言葉は、明確に覚えていたなら赤面して悶えそのまま死んでしまうほどに恥ずかしいものだっただろうから。
「………もう少し、優しくしてくれてもバチは当たらなかったんじゃないかしら。これでも、本当の閨事は初めてだったんだけど」
「ははは、すまん」
気持ちと身体が落ち着いてくれば、強烈な多幸感にかなりの部分を上書きされつつそれでも芯に響くような鈍痛が残っていることに否が応でも気付かされる。さらに肩や首筋には、焼きついたかのようにくっきりと残る唇の跡。信長の方に向き直りつつ苦々しい想いとともに睨みつければ、当の本人は涼しい顔で見返しながら髪を撫でてくる。
(……心地良いのが心底悔しいわね)
余談だが、信長の“生前”の子の数は男女合わせて20人を超えるとされている。
「久しぶりだったものでな。それこそ“本能寺”からこちら、この下天に生を受けて以降はとんと沙汰がなかった」
「意外ね。そのお顔に体付き、おまけに最年少銀冒険章持ちとくれば大層引く手数多だったでしょうに」
「何を言いやがる」
アイリーンからの皮肉に、信長は心底“意味が分からない”という表情で眉を上げる。
「それで欲の発散という結果を得たとて、他の様々な部分で碌なことにならんだろ。合理にも道理にもそぐわん。
そんなもんに時と金を消費する暇あらば、その金を貯めて此度のように予めの謀略に備えるほうが余程いい」
「………貴方冒険者時代から今回のことを考えてたの!?」
「ネイブ・ナガンであったころは本当に漠然と、だがな。ただ、ネイブの時もスケィビィの元に向かう辺りからは相応に絵図は描かれていたのは覚えているが」
「あっきれた……貴方、自我が強すぎよ」
「カカカ!そりゃあ当たり前だ。こちとら十数カ国を斬り従えし大大名、織田信長ぞ」
ガンガル平原における決戦の前、リナとの会話が思い出される。
愛も情もあるが、信長はその上で“合理”を優先できる───改めて、その評が如何に的を射たものかを実感する。
(…………強い人)
喜び、怒り、哀しみ、楽しみ。或いは欲望、恋慕、憎悪、憐憫、優越。人が人である限り、感情を切り離し、感情から逃れることは難しい。ともすればそれは強く大きくなって頭を擡げ、時に人の全てをも支配する。
織田信長は、別段感情を排除しているわけでも殺しているわけでもない。それら感情を、そのまま“合理”の元に操り制してしまうのだ。
常人を遥かに凌ぐ武勇を。圧倒的な魔力を。何十手も先まで読み権謀術数を重ねる智略を。時に感情から切り離して冷徹に、時に感情を乗せてより昇華した状態で振るう。
ただでさえ卓越した能力を、“合理”によって感情を制しつつ発揮する。
その“強さ”が、転生という特異な運命の中で培われたものなのか、或いは“前の下天”から信長に備わり続ける天性のものなのかは解らない。
ただ………それでも、どうしても考えてしまう。
(こんなにも“強い”人が、もしあの時………私の、私達の傍にいてくれたら。私達の運命は、変わっていたのかしら)
「……ん?どうかしたか?」
羨望、後悔、嫉妬………それこそ、様々な“感情”を綯い交ぜにした瞳で見上げてしまっていたのだろう。怪訝な表情で信長がアイリーンの視線を真っ向から見下ろす。
「な、なんでもないわ……その、私達がこの先どうなるのか、ちょっと気になっただけ」
「“この先”か、あー……そうだな」
慌てて視線を反らしつつ、誤魔化し半分で問いかける。幸いそれ以上の追及はなく、信長は答えを探すようについと天井を見上げた。
「まぁ流石にすぐには動かん。先ずはスータント内で今後も雪崩を打って臣従してくる連中を受け入れ、統治に組み込む。
シッチャカメッチャカだった税制を整え、法を布き、賊徒・魔物を討滅し、“国”の型を定める。……同時に、定めた“国”がいきなり取り上げられたりすることのないよう、“中央”に働きかけて俺がスータントを統治することを認めさせる」
「………まさか、スケィビィ討伐を中央に認めさせるために働きかけてるって、ダントンさんを調略するための方便じゃなくて本気だったの!?」
「おう。さすがに、いきなり帝国に睨まれるのは命が幾つあっても足りん。
クッショー城を落とした時点で、他郡への調略と合わせて冒険者時代の伝手を辿ってそちらへの働きかけも続けておいたわけだ。
幸い、国主の崩御以降中央の連中は政争に躍起になっており片田舎での一揆による統治者交代なんぞにいちいち関わりたくない輩が山ほどいる。金を掴ませた末端貴族を通してそうした連中を経由して陳情させれば、流れ作業で処理されるって寸法さ」
最早、驚きや感心を通り越して呆れ果てる。この織田信長という男は、大陸の遥か片隅からどこまで遠く、高くを見据えているのだろうか。
「………世界で一番過酷な労働をさせられているのは、どうやら貴方の頭みたいね。そんなに四六時中小難しい上に底意地の悪いことばかり考えていて、飽きないの?」
「飽きんし、そうでもせんと時間が足りぬからな。本当なら寝ている間も考えを巡らしたいぐらいだ」
皮肉交じりのアイリーンからの問いかけに、信長は平然と頷きつつ笑みを浮かべる。
そこにあるのは、ただ純粋な“喜悦”。
「日ノ本もまた、“取り甲斐”のある地であり、時代だった。
だがこのファストゥルは、日ノ本の何倍も何十倍も広大だ。最初に食ろうた連中こそ愚物だったが……満天下を見渡せば英傑と呼ぶに足る器量を持つ者は噂を聞く限りまだまだごまんといる。
そのような地で、再び武を天下に布くべく日々を過ごしていくと思うと………武者震いが止まらぬ」
「………ラルカ村で話を聞いたときから、そうじゃないかとは薄々思ってたけど。貴方、ファストゥルを統一する気なのね。それも………ロンディア帝国に成り代わって」
「仕方あるまいよ。それが、織田信長という人間の性分だ。
必ずやこの“下天”でも、上り詰め、天下一統を成してみせるさ」
「………あっそ。それはまた、まだまだ遠い道のりね」
コツンと額を信長の胸にぶつけつつ、素っ気なく返す。
…………単なる夢物語ではなく、明確な実態をもって語られる途方もなく巨大な“野望”の内容に。それを本気で成し遂げんと、曇りなき口ぶりで語る信長の姿に。
激しく惹かれ、胸をときめかせてしまったことが堪らなく悔しくて、アイリーンはそのまま赤面しつつグリグリと胸板に顔を埋めるのだった。
響いた音を、“矢が的に突き刺さった音”だと言われて、信じられる者がどれほどいるだろうか。5枚の板を重ねた的は、吊るされた状態でど真ん中にぽっかりと巨大な穴を空けており、周りにはパラパラと木片が舞う。
そして、同じような状態の的が計5つ、“騎馬武者”の通り過ぎたあとに残されて並んでいる。
「はっ!!!」
騎射のエリアを抜けたところで、その武者は素早く弓を投げ捨てて槍へと持ち替える。風が巻き、眼にも止まらぬ早さで突き出された槍穂先が寸分たがわぬ精度で鎧の隙間を射抜き、人型を模した木人形の首を突く。
「ふっ、ふっ、はぁっ!!」
そのまま、群立する人型たちの間を速度を落とすことなく騎馬で駆け抜けつつ、次々と槍を一閃。都度、槍穂先は正確無比な狙いで人型の急所部位を差し貫く。
「覇っ!!!」
最後の1体の横を駆け抜ける際に、槍を力任せに横薙ぎ。一回り大きく作られたその人型は、木っ端微塵に吹き飛んだ。
「天雷よ、我が詠唱に応え足下に跪き、我道を阻む敵を撃て!!
振り向きざまに、淀みなく放たれる呪文詠唱。槍を天に掲げればその先端にエメラルドグリーンの魔法陣が生成され、無数の稲妻が宙を走る。先ほど一通り貫いた人型が次々と撃たれ、火炎に包まれていく。
「────お美事にございます、マルドナ様」
チュボンス地方、プリンセラ郡郊外の野外演習場。速度を緩め足を止めた騎馬武者を、一人の女性が出迎える。
……透き通るような光沢を放つ金色の髪に、ため息が出るほど白く滑らかな肌、サファイアのごとく青い瞳。そして、何よりも特徴的な“尖耳”。
エルフ族だ。
「ああ、ありがとうスーラ」
方向性こそ違えど、サキュバス族と並び称されるほど容姿が美しいことで知られるエルフ。だが“スーラ”と呼ばれたそのエルフが出迎えた鎧武者も、兜を脱げば負けず劣らずの顔立ちが現れる。
サラサラと風に揺れるややウェーブがかった金髪、すっと筋が通った高い鼻、シミ一つなくつるりと光る肌、涼やかで優しげな目元。世の少女たちに“白馬の王子”の模範解答を選ばせようとすれば、彼を知る者はそのすべてが彼を挙げるのではないかと思ってしまう。
「しかし、このような調練をマルドナ様がわざわざされることもないでしょうに。先代帝よりチュンボス地方を丸ごと賜り、一万五千の兵に号令をかけることができる身。まるで、立身出世に飢える下級騎士のような調練をする必要は………」
「そうした油断こそ、将として最も忌むべきものさ」
“スーラ”と呼ばれたエルフからの問いかけに騎馬武者────マルドナは苦笑いを浮かべつつ嗜める。
「軍とは将が率いて軍足り得、軍勢とは軍に死をも厭わぬ“勢い”がついてこそ軍“勢”足り得る。居丈高に兵たちの死を求めるのみで自らの命は賭けない大将に、兵士は決してついてこないさ」
「お心がけは、立派なものだと思いますが……さりとて、こうも連日一騎がけの調練をされるのは私としては腑に落ちません」
「…………まぁ正直、多少、例のスータント地方の“冒険者”を意識してしまっている面はあるだろうね。
彼の戦ぶりを伝え聞くに……彼もまた、私と似たような大将像をもつように思えてならないんだ」
「……ノブナガ・オダ、ですか?
確かに、彼の者の僅か三ヶ月でスータントを掌握せしめた実力は尋常ではないと思います。
しかし、所詮は片田舎の一揆軍。到底マルドナ様と渡り合えるような相手とは───」
「スーラ」
スーラの語りを止めたマルドナは、一見いつも通り柔和な微笑みを浮かべている。
「────っ!!」
だが、その瞳の中に。激しく煮えたぎる獰猛な輝きを見て。ひとりの武人として、“騎士”として。魂を燃やすに足る好敵手を得た悦びに満ち溢れた光を見て。スーラは言葉を止め、思わず息を呑んだ。
「断言するよ。
ノブナガ・オダは、スータント地方如きでその身を追える男じゃない。いつか、までは解らないけれど………必ず、私とノブナガと刃を交えることになる。
そう、感じるんだ」