暦の上では春にあたる【華咲の月】だが、上旬ではまだまだ季節の変わり目として厳しい寒さが残ることも多い。
ましてや大陸北端のスータント地方ともなると、尚の事その気候傾向は顕著になる。
この日も、そうであった。城壁や平原には前日にちらついた雪が残り、それら雪から移ったかのように吐息は白く彩られる。月の名前とは裏腹に、花弁が鮮やかに華咲く様は見渡す限り1つもない。
「───ふっ!!はっ!!!」
ただ、その男の周りだけは。周囲の景色に似つかわしくない“熱気”が漂っている。
「せいやっ!!!」
シャーム・クロフォードは、城壁の上で1人一心不乱に槍を振るう。踏み込む脚は力強く、朝日に輝く槍穂先は閃光の如き速度で突き出される。
川の水に氷が張るほどの寒さの中にあっても、彼は上半身の衣服を脱ぎ、真夏日の只中で運動しているかのように身体を汗ばませて調練に励む。
「ふっ、ふっ、たぁっ!!」
敵に囲まれていることを想定した振り返り様の三段突き。突き自体も速い上で、穂先にブレが全く見られない。元より信長から高い評価を受けていた槍捌きは、強さに鋭さと滑らかさが備わりいよいよ猛将のそれへと進歩しつつあった。
「ふぅ………」
「精が出ますな、シャーム殿」
「ボイヤ殿!」
一連の動きを終えて息をついたところで、壁上に上がってきていたボイヤ・ミッドウェルに声をかけられる。かなり線の細い彼は寒さに弱いらしく、布の厚い衣服を複数枚着込んでおり首から上の“ニンジン”のような貧相さに対して身体が達磨のごとく膨れ上がるというやや滑稽な姿になっていた。
「こんなに朝早くから自主的に稽古とは。私も、1人の武人として見習う必要が………あるのですがなぁ」
「ははは、まぁ、これは俺が勝手にやってることですから」
自身の厚着ぶりを見下ろして言葉を濁すボイヤに、苦笑いとともに返すシャーム。
まぁ目の前の若武者が薄着どころか半裸になるほど熱心に槍を振るっているとなれば、向き不向き故のやむなき所とはいえボイヤに忸怩たる思いが出るのは仕方ないだろう。
「ノブナガ様にお仕えして、一年半。技も身体も成長しているのが自分でも分かるんです。
ノブナガ様の覇道を更に先へと進めるためにも、もっと成長しないとと思うと居ても立ってもいられなくて」
「……確かに、この一年半で伸びましたからなぁ」
「まぁ、食える物の量が増えたおかげですかね」
自身の上着の袖に手を突っ込みつつ、ボイヤはシャームを“見上げる”。
元より年相応よりやや高めの背であったシャームの背は、本人の実感通り大いに伸びて7寸近く高くなっている。応じて身体の厚みも増し、今や兄貴分と慕っていたドンファ・ゴンゴルドに十分匹敵するほど恵まれた体躯を誇る。
「若さとはそれだけで才を底上げし、研磨をすればその分だけ身につく。シャーム殿のお姿、今後ノブナガ様にお仕えする若き兵士たちの手本とすべきでしょう」
「ははは、さすがに褒めすぎですよボイヤ殿。俺はただ、ボイヤ殿やラッセル殿のように指揮采配でノブナガ様に貢献できない分を武で埋めようとしてるだけです」
「………スケィビィとバカーモに父母を殺されたことが動機と聞いていましたので、両名を討ちて目的を見失ってしまうのではないかと危惧していましたが……どうやら、杞憂だったようですな」
「…………俺自身も結構驚いてます。復讐はもう終わってるのに、何なら終わった直後ですら何ら疑問なく身体が動いたんで。正直、特にガンガル平原で勝った直後は、自分が途方もない冷血漢なんじゃないかって疑いました」
ボイヤの言葉に真剣な表情で頷きつつ、シャームは城壁の縁に歩み寄りそのまま晴れ晴れとした寒空を見上げる。
「多分、ですけど……俺があの時本当に憤っていたのは、親父やお袋を殺されたことそれ自体じゃない。
殺された上で何もできない、自身の弱さ、無力さ。そして、ただ身体や技を鍛えただけではそれらを変えられない息苦しさが……溜め込んできた復讐心にも、曲がりなりに磨いた技にも、何の意味も持たせられないことが。堪らなく悔しかったんだと思います。
ですが………ノブナガ様があの日ラルカ村に来て、全部変えてくれました。
俺が磨いてきた技に意味をもたせ、渦巻いてきた怒りを奴らに直接ぶつけさせてくれた。
その上で、村の中なんて及びもつかないとんでもなく広い世界を駈ける機会を与えてくれた。だから俺は、親父を殺したナラーンの手下やお袋を嬲り物にしたバカーモを倒し終えた今でも、ノブナガ様の“槍”として戦えているんだと思います。
俺もまた、ノブナガ様が見据えるものを観たい。今の槍は、そのために振るっています!」
「……なるほど。あの方の途方もなさが、シャーム殿の“世界”を広げられた。広き世界で戦えることそれ自体が、シャーム殿の原動力となっているわけですか」
真っ直ぐに空を見つめて口元を引き結ぶシャームの姿を見て、ボイヤは頼もしげに頷いた。
「なれば、燃え尽きるような心配はなさそうですな。寧ろその火、今からより大きくなりましょう」
「ええ、無論です!!」
力強い返答とともに、シャームは再度槍を構える。
唸るような風切り音が───前年に得た信長の“新領”、ケネヨス市の防壁上で響いた。
共暦1550年【明照の月】。スータントの西に境を接するリントゥナ地方で、一人の貴族が挙兵する。
名を、マーカー・セインヌ。ロンディア拡大戦争の初期には前線指揮も幾度か経験した初老の男で、一時は【帝都圏】でそれなりの勢力を誇っていた時期もある。
所謂“魔導派”の一人であったが、その派閥内での権力闘争に負けて二年前「都落ち」しリントゥナに封ぜられていた。
左遷から日が浅いこともあり未だ中央での栄華に強い未練を持っていたマーカーは、その前年【清涼の月】からスータントの端で始まった“騒動”に着目。
経過をつぶさに観察し、冒険者上がりの“無頼の徒”が地方を一先ず掌握したらしいと知るや、兼ねてより声をかけていた同郡内の貴族たちを糾合。四貴族殺害の罪を喧伝しつつノブナガ討伐の令を発する。
元より過去の戦功から僻地とはいえ三郡を治め頭抜けた軍事力を誇るマーカーの指示なれば、逆らえる者は当然いない。
またマーカーがスータントについて“切り取り次第”、容色絶美と噂のアイリーンについて“戦功第一者の自由”としたことで、参戦させられた貴族たちの戦意も意外と低くはなかった。
マーカーはほくそ笑む。愚者の4貴族などどうでもいいが、それらを抹殺した“無頼漢”を討滅したとなれば中央の覚えもめでたくなる。リントゥナの諸侯を連合させたことで、自身の影響力が健在であることも見せつけられた。
これらを材料に、中央政界へ返り咲く第一歩を踏み出すことは十分に可能だろう。
無論、ネイブ・ナガン改めノブナガ・オダなる人物が、如何に四貴族共の愚物ぶりを差し引いたとて尋常ならざる相手であることはマーカーも十分承知している。
故にこそ、マーカーは挙兵の時期を【スータントの乱】終結の直後に合わせたのだ。支配が根付く前に、そして度重なる連戦・出兵で疲弊しているであろう直後に。あとは元より兵力で圧倒する上に虚を突かれ慌てふためく敵を呑み込み、“無頼漢”を討ち取った上で中央のお歴々に談じ込むのみ。
……タイミングは“本来”完璧であったし、兵力も十分。過去の戦功の賜物といえど、実際に諸侯を動かし万の軍勢整えた手腕は見事と言える。
その上でマーカーの罪を、失策を一つ挙げるとするなら……それは“自分たちの常識”に則って敵を測ってしまったことだろう。
『───わざわざ新領の馳走とは、痛み入るばかりなり』
史書【創国記】によれば、マーカー・セインヌ挙兵の報に触れた信長が見せた反応は、たったそれだけだったという。
信長は、即座に発つ。率いる兵は、スータント統一に際して共に転戦してきた兵に新たな志願者を加えた4000余。この時点で、まともに兵力を集めることさえ困難というマーカーの思惑は外れた。
クッショー城からスータントとリントゥナの境まで、20日の道のりを僅か二週間という恒例の“拙速”。マーカーより遥かに早く国境を抑えた上で、息を潜めて信長は“待った”。
スケィビィやブッヒルらとは比べ物にならぬ戦巧者にして外交巧者。その上でマーカー・セインヌは、こちらに余力なしと睨んでいる。ならば兵力が無駄に分散してこちらにつけ入る隙を作るを嫌い、国境付近で悠々と兵力を集め一局にその軍事力を集中するはずと。
果たして、スータント地方内への示威行為と他の地方への喧伝も併せて、リントゥナ連合軍は国境までわずかの距離にある小高い丘、ヤンズ丘陵帯にて陣を構築。兵力の集結と侵攻軍の編成を開始する。
……信長は、尚も息を潜めて待ち続ける。
共暦1550年【甘露の月】14日。リントゥナ連合軍の兵力は8000程度に達する。決して遅くはない。寧ろ、各貴族たちと調整し食糧調達の難しい冬場に挙兵したことを踏まえると、この時点でほぼ全軍の兵力を集結させつつあるマーカーの手腕は見事という他ない。
だが───信長は既に、“全軍”の集結を終えている。
その日の夜。
国境を突破した信長軍4000余は、あえて兵力を分散しつつ闇夜をひた駆けて四方から一挙に連合軍の陣へと踊り込む。
世に言う、【ヤンズ夜戦】である。
リントゥナ連合軍は一撃で総崩れに陥り、壊乱し、討死3000余の大損害を受けて敗走した。
兵力の損害も尋常ではないが、それ以上に特筆すべきは………信長自身に斬り伏せられたマーカー・セインヌを始めとする、“貴族首”の多さ。
この戦いで実に21名の貴族を討ち取った信長は、それらを斬首した上で、まだ行軍の途上にあった残余の貴族たちに次々と使者を送る。
彼らは、信長に渡された生首を見せ、主の言葉を借りてこう問いかける。
『このように死ぬるか、土地を明け渡して逃げるか、臣として服従し生きるか。3つに、1つ』
──半数は、城も財も、ひどいと一族も捨てて逃げ散った。残り半数は、次々と門を開放して信長軍を出迎えた。
統治者たる貴族共が降るか逃げれば、当然その統治下にある市町村も雪崩を打って降りゆく。
共暦1550年【華咲の月】。今からちょうど1年前に、リントゥナ地方最南端のケネヨス市が信長に臣従を表明。
かくして織田信長は、旗揚げから僅か半年にして2地方25郡にも及ぶ大領主として突如大陸の北端に割拠したのである。
「…………って、振り返って羅列してみるとさも簡単なことみたいに思えますけど、実際とんでもないですよね」
時は戻り、共暦1551年【華咲の月】4日。とある市街を、馬車を中心に巡察する一団がある。
その一団の一人──リナ・ラバナスタが、馬上でこれまでの記憶を振り返り空を睨みつつくるくると円を描くように指を回す。
「そもそも“地方持ち”自体、帝国貴族・騎士としては余程の名門か余程の大武功持ちかじゃないですか。
普通はいいとこせいぜい一郡、大体は一県だって任せてもらえないような小さなお貴族様に下級騎士様がわんさかいらっしゃるんですから」
「帝国騎士団の競争は激しいからねぇ」
馬車を挟み反対側では、マリントン・ザキーラがさもありなんと頷く。信長に降った当初はその信長でさえ眉をひそめるほど軽薄な造りの鎧を着ていたが、1年半が経つ中でラッセルやダントン、アドラに影響されてかだいぶ落ち着いた姿に変わってきている。何かこだわりがあるのか、ほうぼうに好き放題跳ねた金髪は相変わらずだが。
「例えば【帝都圏】の直属防衛騎士団なんかは、所領じゃなくて賃金制だから単純比較できんにしろ下級騎士でも金1000枚相当の俸禄って噂だぜ。翻って俺なんかは、ブッヒルの野郎がケチだったの差し引いても部隊長で銀2000枚がやっとだ」
「ラッセルさんからそのあたりは聞いたことあるわね。自分に過ぎたるものと思っていたので自慢にならないが、かなりの額をもらっていたって」
間の馬車に座るは、アイリーン・オーディン。美しさに見惚れて動かなくなった鍛冶師、恭しくにこやかに会釈をする商人、馬車を追いかけてくる子供たちなどにせわしなく手を振りつつ、会話に参加しながら思案げに眉根を寄せる。
「帝国領の広がり方が急すぎて、とにかくやっつけで領主を増やすしかなくてスケィビィたちみたいな能力のないまま領土をもらった貴族も大勢いるって。……とはいえ、流石に複数郡持ち辺りからはかなり過去の経歴や戦功も見られたから、そんな無能な人が成るケースは稀らしいけど」
まさに昨年信長に敗れた、マーカー・セインヌがそれだ。周到な調略にあくまで“常識”の範囲では迅速と言って過言ではない兵力の集結速度、信長の隙を突く動きだって意図は明確だし“普通なら”タイミングも良好。
ただ、相手が“第六天魔王”だったが故に敗れ去ったとしか言いようがない。
「地方を2つも3つも、なんて騎士や貴族はそれこそ指折り数えられるほどしか私も知らないわね。【ガーイン地方の猛虎】で知られるシェーン・ゲイル卿とか、平南将軍の役職をお持ちのソー・モリアティ卿とか」
「あー……モリアティ卿なぁー……」
アイリーンの挙げた名に、マリントンが額に手を当てつつ天を仰ぐ。
「ノブナガ様がスータントで暴れ回ってる最中に、お父上のアンドルフ・モリアティ卿が亡くなっちまってよぉ……2代にわたる名将の家系だけに、惜しい方を亡くしたもんだ」
……マリントンのこの、見た目の軽薄さに見合わない高潔さや思慮深さには、本人に大変失礼ながらアイリーンとしては未だに面食らうことが多い。
「………とりあえず信長が、領土の規模という面ではこうした人たちに肩を並べるほどというのは事実だわ。齢17にしてこれは、まぁ、破格だわ」
「でも、いいことばかりじゃないですよね」
アイリーンの台詞を受けて、リナの頬がぷくっと膨らむ。
「ここ半年ぐらい、私達の領土が攻められる頻度、尋常じゃないですもん。しかもちまちまちまちま、野盗とか山賊みたいに国境のちょっとした村や町に攻めてきてすぐに退く!もー、腹立たしいやらいやらしいやら……」
「刈り働き……ってやつね」
要は、敵国の領内疲弊を狙った略奪行為の繰り返しだ。アドラ・ブレイメンもブッヒル・ピグレルトの配下時代はたびたび信長領への刈り働きの連続を具申しており、それを聞いた信長は「ブッヒルの感性が爪の先ほどもまともであれば俺の飛躍は5年は遅れていた」と震撼していた。
「なかなか、対処は難しいわね、確かに。庭を荒らすモグラやアリを巣穴が出るたびに叩くようなものだもの。
さりとて放置すれば、略奪や破壊によって生産性が下がり、人心も離れるわ」
……こうして並べ立てると、信長が嫌がるのもよく解る。
即効性はない。だが長期的な国家運営としてみると、放置しようが対処しようが遅効毒のように徐々に国を蝕んでいく。
信長が行った数々の政略によって、今スータントとリントゥナはこの一年半で……リントゥナはさらに言えば一年足らずで恐ろしい速度を保ちながら発展・繁栄を突き進んでいる。
だがそうした面にも、この“嫌がらせ”が続けば陰りが出てくるかもしれない。
「しかも毎回ちょっと迎撃したらすぐ逃げるから尻尾というか正体が掴めないし………あーもう!絶対アイツらだって解るのに!!」
「ま、そもそも俺らと領土を接してる中でちょっかい出せるような度胸と国力があるのはアイツらしかいねえわな」
怒り心頭なリナの言葉に、マリントンがげんなりと同調する。内地の警ら巡察が多いリナに対して、マリントンはその身軽さを買われてラッセル・バーナードともども信長に国境守護に駆り出されることが比較的多い。その分、直接的に“疲れ”を感じているのだろう。
「ベンテーラ郡領主、グイン将軍とさして変わらぬ年齢ながら未だ前線に立ち続ける老将、シャンティン・エリーゼ。
バンチング郡を治める、槍でクマを串刺しにしたっつつー逸話もある、剛力無双のマグナ・テルアージ。
風魔法の使い手で、数多の魔物を鎌鼬で葬ってきたって噂のヴェダン・アルマンド。
んで………えーと……あいつだよ」
「マルドナ・ヒンギス卿ね」
頭が回っていない様子のマリントンに、ため息をつきながら助け舟を出す。
「チュンボス地方の領主…………まさに、“地方持ち”の貴族の一人よ。
………最近の嫌がらせ攻撃は、このマルドナ卿がマグナ・テルアージたちをけしかけてやらせてる可能性が高いと、信長は見ているみたいね」
マーカー・セインヌ
リントゥナ地方に所領を持っていた貴族。かつては中央でもそれなりの権勢を築いていた。
決して無能な人物ではないが、あまりにも相手が悪すぎた。
統率-75
武勇-28
魔力-77
智略-79
政治-84
魅力-43