サキュバス族、或いは私のようにサキュバスの血を色濃く継いだ者たちは、「人の心」を見ることができる。
といっても超級魔道士が使う読心魔法や、噂に聞く大和の魔族【サトリ】のように、声として言葉として一言一句正確なものを“聞ける”わけじゃない。もっと大雑把に………色が、見える。
例えば、怒り狂っている人ならば赤色。
浮かれ燥いでいる人なら黄色。
憂鬱な感情に苛まれているならば青色。
何かしら、恋心や愛情、肉欲などを抱えているならば桃色。
抱いている感情を表す、薄っすらと色のついた靄のようなもの。これが、私達の“眼”から見るとその強さに応じて濃淡や動きを変えつつ人々の周りに漂っている。
……普通はこれが基本一人一人のものであるため、人数が多くなれば多くなるほど私達の「眼」は人々の心を観にくくなり、当然【魅了】も効きが格段に悪くなるらしい。
だけど私の「眼」は────今も、はっきりと“観える”。
(…………とても、悲しい色だわ)
陣屋の中から目の前の、ラクンダ丘陵帯に布陣するオージン地方連合軍8000余。その頭上で、靄というよりは巨大な雲と化した、8000人分の“心”が渦巻く。
毒々しい、紫色。目を凝らせばちらほらと赤色も見えるけど、本当に一握り。
そして紫の方は、時を追うごとに濃くなって、寒さに凍え縮こまる子どものように弱々しく震え続けている。
私達の上に浮かぶソレとは、あまりにも対照的だ。心臓のごとく力強い鼓動を繰り返す信長の軍の“心”は、燦然と闘志に満ちた橙色の光を放つ。
……その、あまりにも大きすぎる“差”が見えていたが故に。
「────私がやる」
気がついたら、私の手が一人でに上がっていた。
「………アイリーン。お前が、か?」
「ええ、できる」
連合軍の陣形を、戦わずして崩せるか。
珍しく戦闘前に軍議を開いた信長が、問いかけてきた言葉。
とはいえ向けられた先は別に私じゃない。一応含まれてはいたかもしれないけど、メインはラッセルさんやヒディさん、マリントンさん、グインさん、何よりアドラさんたちだったのでしょう。
信長は珍しく、目を見開いて驚きの表情を浮かべているわ。
「何ぞ、策でも思いついたか?もしそうなら述べて」
「違うわ。とりあえず、すぐにできるから信長は攻める準備だけしておいて」
「あ、アイリーン様…!」
「………!」
私はそう言って席を立ち、陣屋を出る。真っ先にリナが、次いで信長が私のあとに続く。
論より証拠。グダグダ理論を述べる前に、どこかの誰かさんよろしくまずは実行。
「……………────」
陣屋をでた私は、深く息を吸い込みつつ、敵軍の上に漂う8000人分の心……その“塊”を睨み据え、それを握り込むような動きをしながら【詠唱】を開始する。
「────見よ、その瞳を。聞け、その胸の奥を」
魔法は、術者の魔力を“イメージ”によって具現化し、奇跡として顕現させることで実体・実効を持つ。
詠唱は、それをある種の自己暗示によって補助する役割を担う。
いつも使う、一人から多くても数十人に掛ける
だけど8000人分をそうするとなれば、相当強固にイメージを固めていかないと間に合わない。
「刃も鎧も、いまはただの飾り。
恐れも怒りも、私の声の前では“色”を失う」
詠唱を進め、重ねながら、“心塊”を見つめ続ける。彩る紫を、更に濃く。イメージの中で繰り返し色濃く“重ね塗り”していく。
紫が、限界まで濃くなり………なお、濃く。濃く。濃く。
「さあ、心を開け。意志を解け。
愛しき名も、守るべき旗も、今ひととき私へ渡せ─────」
従来の
私の場合、この特殊な「眼」によるものなのか、そこが少しだけ違う。
感情へのタガを、外す。心が浮かべている“色”に、震えに、自重なく従うことを、促す。
自身の感情そのものに、理性なく従うことへ………魅入らせる。
それが、私の
「
「アイリーン様!!」
「アイリーン!!!」
一瞬だけ、体中を焼き焦がすような感覚が走る。崩れ落ちそうになった身体を、駆け寄ってきた信長とリナに抱き留められる。
詠唱を終えた瞬間、一気に膨大な魔力がかざした掌から私だけに見える形で迸り、そのまま真紫になった“心塊”に纏わりつく。
限界まで紫色を濃くしていたそれが───私の放った魔力が触れた瞬間、一気に、夜の闇のような深い黒色に塗りつぶされた。
圧倒的数の差、それに包囲されているという状況、敵将ノブナガ・オダの存在………様々に重なったそれらで恐怖を膨張させつつも、シャンティンが各貴族を必死に督戦した結果、連合軍はかろうじて陣形を立て直し、臨戦態勢を整えていた。
(地の利自体はこちらにある、それにノブナガも裏に控えるヒンギス卿のことを踏まえればやはり真っ向からの激突で大きな被害を受けるのは避けたいはず………!!
陣列を整えて堅く守り、敵戦力を漸減しつつ下がれば勝てぬまでも余力を残しつつの後退は十分に)
必死にシャンティンが思考を巡らす最中、小さく、カランと、どこか空虚で乾いた音が響く。
丘陵の稜線は、ノブナガ軍の出現直後に多少の揺れ動きは見せつつも、まだ“軍列”であった。槍が並び、盾が連なり、旗が風に鳴っていた。それが突然、何の前触れもなく崩れ始める。
「ダメだ」
音の主。兜と盾を、地面に投げ捨てた若い兵士。彼は眼を一杯に見開き、顔を青褪めさせ、ブルブルと震えながら一歩、一歩と後退る。
「ノブナガ・オダが来てる。第六天魔王が来てる」
「そうだ、ノブナガが……あんなに大軍を連れて……」
「スータントとリントゥナをたった半年で攻め滅ぼしたノブナガが……」
「魔王が、魔王が」
「逆らった奴ら皆撫で斬られたって」
漏れ出たつぶやき。隣の兵士がそれを拾い、武器を捨てながらやはり後退る。その隣に。その隣に。その隣に。揺らぎは波紋へ、波紋は漣へ。
囁きが、声が、叫びが、“ドス黒く”兵らの心を染めた恐怖とともに伝播し、兵士たちを押し流し始める。
「撫で斬りにされる……」「勝ち目なんてあるわけねぇ………」「そもそもなんでロンディアなぞのために命をかけなきゃなんねぇ……!」「オラァおっかあ残して死ぬわけにゃいかねぇ!!」「今ならまだ間に合うぞ!!」「囲まれる前に逃げろ!!!」「助けて!!!」「助けて……!!!!」
「待て! 隊列を───」
「おのれ……!!」
一度始まった崩壊は止まらない。武器が、盾が、鎧が、旗が、次々と地に投げ捨てられ、兵たちはこぞって踵を返す。貴族や士官たちの静止に誰も耳を貸さない。どころか、そうした者たちの中にさえ逃げ出す者が後を絶たたぬ。
「────疾く逃げよ!!オージンの者共よ!!!」
あまりに絶望的な光景にシャンティンが歯噛みする中、そこに無慈悲な追い討ちが振り下ろされる。
「魔王の手元に、【冥府の戦鎚】あり!!このグイン・ゴーンが、主らの背を追うぞ!!そら、そら、そら!!砕かれたくなくば早く逃げおおせよ!!」
「そおりゃ皆の衆、グイン将軍を盛りたてぃ!!
怨敵退散、御味方勝利!怨敵退散、御味方勝利!!」
「「「怨敵退散、御味方勝利!!怨敵退散、御味方勝利!!!」」」
「め、【冥府の戦鎚】が来るぞぉおおおお!!!!」
「早く、早く、早く逃げるんだぁああああ!!皆殺しにされちまうううう!!!」
前に進み出たグイン・ゴーンが、大音声でがなり立てる。ヒディ・ヨースターがこれに呼応して兵士たちを煽り立て、18000余の大合唱が空気を震わせる。
それらは兵士たちの背を益々押し、漣を津波へと変えていく。
「何を………何をしでかした!!ノブナガぁぁ!!!」
杖を叩きつけつつ、シャンティンが絶叫する。
その絶叫さえも、兵士たちの悲鳴に。そして、
「────総寄せぇい!!!」
「「「いぁらあああああああああああ!!!!!」」」
信長勢18000余が上げる鬨の声と進軍の軍靴に、飲み込まれていった。
今までも、十人や十五人程度ならやったことはある。
けれど、流石に八千人なんて大人数は未知の領域だった。
(正直できるかどうかさえ半信半疑の出たとこ勝負だったけど……なんとかなったみたいね)
とはいえ、魔力はすっからかん。血と鉛を入れ替えたみたいに身体が重く、立ち上がるのさえ億劫になるほど。信長の腕の中から、立ち上がるのさえしばらくは覚束ない。
(すごい鬨の声……多分、こっちの圧勝か)
それにしても、私の【魅了】で浮足立った敵勢にすぐさまグインさんをけしかけてその名声で怯えを助長させるだなんて。
私が“軍勢を丸ごと【魅了】する”なんて絶対予測してなかったくせに、こんなにすぐに対応するなんて。この人の頭の回転の早さと柔軟さはつくづく尋常じゃない。
「どう、かしら、信長。大言壮語に、見合っt」
「アイリーン・オーディン」
粗い呼吸の中でなんとか言葉を紡ごうとした矢先。信長の腕が、私の肩をしっかりと、温もりを伴って抱きしめる。
驚くほど優しい声色に、思わず目を上げた。
「大功、苦労である」
「…………………。ええ」
信長の周りに漂う“心”。自分が率いる軍勢のそれと同じ、黄色と橙色。その中に一際、強く輝く色がある。
名工が手ずからに鍛え抜いた剣を思わせる、鋭い銀色。
それが、漂い形を頻繁に変える他の“心”の中程に、柱のように揺らぐことなく一本の筋を通している。
ブッヒルを討つ前夜、リナと話してから、信長の“心”をなんとなく意識して眼で追うようになった。冷血漢どころかこの男が寧ろ他者より幾らか感情豊かで、特に喜悦と憤怒は日常ならなんら遠慮なく発露させていることをそこで知った。
……そして、どんな時でも。真ん中に通ったこの“銀色”だけは揺らがないことにも、すぐに気づいた。
喜び楽しんでいる時も、怒りを顕にしている時も、時偶困惑に首をひねっている時も。織田信長という男の“心”の中心には、いつだってこの銀色が揺らぐことなく通っている。
どんな色にも混ざることのない、確かな強さを持った“志”────信長の、“野望”。
いつ如何なる時でも衰えず、混じらないその輝きに、私は魅入られた。
『───どうかその力、決して、間違った使い方をしないでね』
私とルシアが“寄る辺”を失ったあの日、私の背を押しつつ“里長”が残した言葉が思い浮かび、チクリと胸が痛む。
美しく、とても優しい人だった。あの人の心の在り方を考えると、数多の命を死に追いやるこんな使い方、言うまでもなく“間違った使い方”に当たるだろうから。
「ラルカの古城で言った事、撤回せにゃあな。お前さんにゃ間違いなく、“大サキュバス”の血が流れとるわ」
「ふふ、“魔王様”に認めてもらえるなんて光栄ね。………流石に、一回で魔力を根こそぎ持っていかれるし、そう短期間で頻発できる魔法じゃないけれど」
それでも、この“心”の強さに惹かれてしまった今は。
信長の“野望”に、私自身が【魅了】された今は。
「許される限り、この力何度でも───貴方の覇道のために」
共暦1551年【華咲の月】23日。
織田信長の軍勢とシャンティン・エリーゼ麾下オージン地方連合軍が激突した【ラクンダの戦い】において、信長軍は“なぜか”自壊した連合軍の背を徹底して追い討ち、首級2000余とも3000余とも言われる大勝を上げる。
シャンティン・エリーゼ率いる本隊のみは“オージン武者勢で唯一意地を示したる”と史書【創国記】に評される奮戦を見せたものの、殿軍を引き受けたこともあり指揮下兵力の半数、領内総兵力の1/3に匹敵する1000余を失う大損害を被った。
「そおら勝ち鬨ぞぉ!!ノブナガ様に捧げるんじゃあ!!!」
「「「えい、えい、おぉおおお!!!えい、えい、おぉおおおおお!!!!」」」
この“大兵力同士の激突における大勝”と、その際にみせた“2万に迫る軍勢の動員”は。
「「「えい…えい…おおおおおお!!!!」」」
本格的に、ロンディア帝国の“中央”が織田信長という人物を注視するきっかけとなっていく。
アイリーン・オーディン
ラルカ村を事実上不法占拠していた女領主。誰もが息を呑む美貌と、卓越した【魅了】魔法の才を持つ。
統率-63
武勇-10
魔力-119
智略-71
政治-69
魅力-143