「天下……?!」「今、天下と申したかあの男……!!」
ビリー・ボラスの言葉が広間に響き渡った瞬間、居並ぶ群臣に、どよめきと緊張が走った。
天下、という言葉に別段一つしか意味がないわけではない。……だが、少なくとも“この場”でこの単語が発せられるなら、自然と一つに絞られる。
即ち、ロンディア帝国による支配。帝室が、ロンディウス3世が布く治世。
ボラスの言葉は、これを是とすれば聞きようによっては帝位簒奪の意あり、とも捉えられかねない非常に危険な発言だ。
「ああ、ある」
だが信長は、あっさりと首肯。そして、間髪入れず言葉を続ける。
「現在の帝室は、年若き皇帝陛下を恐れ多くも私利私欲のために傀儡にせんとする君側の奸これ多き。先帝陛下の志正しく継ぐには今一度力ある臣が御政道を定かに示す必要有り。
そういう意味で、興味ありは確かだ。貴殿の“野望”という言葉も言い得て妙である」
……群臣の中には、信長のあまりの拡大速度に恐れを成して不本意ながら臣従を選択した小貴族や、ヤレイク領に出向き不在だがダントン・ギムレットのように“スータントの乱”は腐敗貴族を討ち取るための義挙と信じ込んでいる者も少なからずいる。
そうした連中の手前で日が浅い内から“野望”をあからさまに出せば、当然反発や離反を招きかねない。マルドナという敵に大義名分を与えかねないことを避けたのも含めて、これは“上手い”返しだ。
まぁ信長的には、考慮している幾つかの“手筋”の1つとして今語ったものも考えているため強ちただの出任せでもないのだが。
(ん〜〜〜……合・格ザンス。これで考えなしにただ頷くような輩ならその言質を手土産にすぐにマルドナ側に談じ込むつもりザンしたが……豪放磊落とただの無謀を履き違えた大人物“気取り”ではなさそうザンスねぇ)
(いきなり言葉遊びカマしてきやがってこの尖り野郎。クセが強いと睨んじゃいたが予想以上だな)
「………ノブナガ様、ご無礼を平にお許しくださりませ」
不敵な笑みを浮かべ頷くビリーと、油断なく眼を細めつつビリーを観察する信長。
そんな両者の「会話による鍔迫り合い」を横目に軽くため息をつき、コモが禿げ上がった頭を下げる。
「こちらにおわすボラス卿、本来私めよりも遥かに大身でありながら何故か私めの臣下を名乗る些か奇特な方にて。卿の言動、常人には理解しかねる所も多々あるかと思われます故どうかお気になさらず」
「んーま!こんな無二の忠臣捕まえて、失礼極まるザンス!」
「“卿”………貴殿、やはりビリー・ボラス卿か」
コモの台詞にビリーがわざとらしい仕草で鼻白む中、ラッセルが僅かに目を怒らせつつ前に進み出る。
「かつてはダンジョー・オルガナ卿をも凌ぐ“魔導派”の筆頭貴族、“傀儡師ビリー”。十年前に一地方を丸ごと返上して突然政界から姿を消したかと思いきや、何故このような場所に?」
「あらまぁ、まだ覚えてる方いたんザンスか?その異名嫌いなんザンスけどねぇ」
眼つきを鋭くするラッセルに対し、ビリーはうんざりしたような表情を浮かべて肩を竦める。
「このような場所にってそりゃ、アテクシがコモ・ノーサン卿にお仕えする身だからザンス。昔がどうあれ、今は俸禄銀1800を糧にするしがない一家臣ザンスよ」
「戯言を……」
「ラッセル」
腰の剣に手を掛けて一歩踏み出しかけたところで、信長が手と眼で静かに制する。
「お主の忠節、誠に大義。故あっての真似と理解もする。
…なれど、他家の“臣下”を曖昧な理由で斬ったとあれば主君たる俺の恥となる。控えよ」
「………はっ。失礼仕りました」
「いーえー、慣れっこだから気にしてないザンス♪」
信長はビリーの中央にいた頃の仔細を知らぬが、あのラッセルが礼節よりも露骨な敵意を優先したことから二つ名も含めてロクな輩ではないと概ね察せる。無論、そこに対する警戒は強める。
だが、元より曲者とみていた相手がいよいよ特級のそれと解った上で、そんな人物が栄達を投げ捨てて仕えるコモ・ノーサンという男への興味が更に増したのもまた事実だ。
「してコモよ。送ってきた戦勝祝賀状、げに面白い内容であった。この一状のみでも、主の臣従を受け入れること吝かではない。
…その上で聞きたいのは、書き連ねられた“戦勝”の内容ぞ」
ズイっと、信長が玉座から身を乗り出す。
「あの時お主の手勢があったセリンツ砦、あそこからどう足掻いても1日2日では戦勝の報せなど得られぬ距離の戰場も状の中には含まれていた。
魔法士の中で飛行魔法を扱えるものは人馬による伝令の比にならぬ速度で移動できるというのは聞いているが……」
「残念ながらノブナガ殿、アテクシは飛行魔法が使えないザンス♪」
ちらりと向けられた視線の意を受け、ビリーは両掌を信長に向けヒラヒラと振る。その仕草に、ラッセルの眼が剣呑に細められた。
「……で、あれば尚の事。コモよ、主はどうやってあの状を書いた?」
「それらの地にて戦が起こる、という報せは既に得ておりましたので。
故にノブナガ様が勝利される、そう潮目を読んだまでのことにございます」
会談を前に、信長が期待していた返答。
それをコモ・ノーサンは、まるで何ら特筆すべきでないことのように。
童でもできる簡単な作業について説明しているかのように。
淡々とした口調で、朴訥とした声色で述べていく。
「まず、ヤィラ・ヤレイク。この者の敗北は仔細見るまでもありませぬ。
“包囲網”の効果を過信し、ノブナガ様の軍勢の機動力を甘く見積もり、兵站を軽んじ、友軍と合力するどころか出し抜かんと拙速に兵を挙げ悪路を行き、その割に国境を超えるまで陣屋を作りすらしない。
天の時、地の利、人の和を尽く無視する所業。
彼の者の性分考えますに友軍のラクンダにおける敗報耳にしてもろくに信じず強引に兵を進めた先の壊乱でしょうが、縦しんば進軍をやめたとてジャーダン山を強引に越えた時点で退路の用意がありませぬ。結果は大して変わらなかったかと愚考する次第」
……その声は、力強くもなければ大きくもない。声質は低いなりによく通りはするが、口調は相変わらず平坦で朴訥としたもの。
にも関わらず、群臣たちのざわめきが、コモの口上が進むに従い急速に収まっていく。
「次に、マグナ・テルアージ卿が兵を潜めたガスレ。これもヤィラよりマシという程度で理由は同じです。シャンティン・エリーゼ卿と素直に合力しラクンダの麓か退路のいずれかを固める形を取れば、ノブナガ様のお力あったとてこうも一方的なものとはならなかったでしょう。
しかし彼の御仁は才覚自体は凡愚ならずも欲の深さはヤィラをも上回り、マルドナ・ヒンギス卿を次期の大将軍や宰相と見込みこれに取り入らんと過剰に戦功を求めております。天の時は悪くありませんでしたが、地の利を活かせる位置に非ず人の和は寧ろ自ら乱していました。
その上で、かの御仁なれば欲の深さゆえに引き際を見誤り、ノブナガ様の“拙速”に捕まるものと読みました。アドラ・ブレイメン殿辺りが兵を巻いて攻めかかれば武においても知においてもこれに抗せる人材がおりませぬ。
大方、家中にては武辺者で通るダッツ・リルバーンあたりをけしかけた挙句あえなく討たれ、敗走といったところでしょうな」
当初、強いて言えば信長を除きその場にいる誰もコモに大した注意は払っていなかった。傲岸不遜にして慇懃無礼な言動の数々、かつては“地方持ち”の貴族として魔導派の一角を担った大人物という経歴、ラッセル・バーナードが向ける強烈な敵意……様々な要素から、耳目は寧ろビリー・ボラスにこそ向いていた。
だが今や、大広間中の誰もがコモの、五尺に足るかも怪しい小柄な体躯に視線を注いでいた。
アイリーンも、マギィも、ラッセルも……当然、信長も。君臣尽く、コモの静かなる語りに呑まれ、引き込まれている。
「ケネヨス市については、まぁそう深く語るものでもありませぬ。若きながら勇猛なシャーム・クロフォード殿に統率に優れ思慮深いボイヤ・ミッドウェル殿の組み合わせとあれば、この地に寄せきた烏合の衆など戦う前から勝負は決しているようなもの。
ボイヤ殿が城を堅め後顧の憂い許しからざる上で、2、30程もシャーム殿が打ち倒せばもう逃げ腰でしょうな」
「………!?
あ、あの、シャームのこと知ってるんですか!?」
「無論。ガンガル平原においてはバカーモ・オローグ卿を討ちし武名、しかと我が元に届いておりますとも」
思わずリナが素っ頓狂な声で遮るが、コモは鼻白みもしなければ困惑も見せず突然の問いかけにも淡々と返す。
「無論貴女の名も聞き及んでおりするぞ、リナ・ラヴァナスタ殿。スケィビィ・クシャローに刃をつけノブナガ様のスータント掌握の魁となり、その槍捌き並の男騎士をも容易く薙ぎ払える程と。
貴女に、シャーム殿に、ドンファ・ゴンゴルド殿に、なんと言ってもヒディ・ヨースター殿。ある意味アイリーン・オーディン殿やルシア・ドラコニア殿もそうですかな。
民草の身からノブナガ様の武辺者として立身されたるは、無論ノブナガ様自身のご慧眼もありましょう。しかし、何を差し置いても皆様の才あってのことにございます」
「え、え、えへへ〜〜〜」
(…………とんでもない、視野の広さだわ)
既に武功幾度もとはいえ、未だその歳二十にすら及ばぬ若き身。思ってもみないべた褒めの嵐に相好を崩すリナの横で、アイリーンは感心を通り越して戦慄すら覚える。
つい二年前まで、リナたちは正に“民草”に過ぎず、貴族たちの歯牙にかかるような存在じゃなかった。だというのに、名を知っているどころかその出自を正確に記憶している。
どれほど、眼の前の一見冴えない小男は織田信長という存在について仔細隈無く調べ上げてきたというのか。
「ラクンダに布陣されたシャンティン・エリーゼ卿の軍は、流石に天・地・人、何れの要もしかと読んで挙兵されました。…1つかの御仁が読み間違えたとすれば、ノブナガ様の“常備軍”構想の真髄にございます」
「…………!!!」
思わず信長は玉座から立ち上がるが、コモはまるで意に介す様子がない。
ズンっと重き小岩が如く、揺らぎを見せぬまま朴訥と言葉を紡ぎ続ける。
「少数精鋭の即応による、電撃的な敵勢の粉砕。シャンティン卿、それからマルドナ卿は、おそらくノブナガ様による“常備兵”の編成の真意をそのように読んでいたはず。
しかしながらノブナガ様は、“常備え”を全軍に行き渡らせ一時に大軍勢をノブナガ様ご自身の意思にて即座に動かせるようにして参りました。それ故ラクンダにて、最も致命的な箇所を読み違えたシャンティンは、ノブナガ様をおびき寄せたつもりがまんまと予想をはるかに上回る大軍勢との対峙を余儀なくされたのです」
「………何故、俺が全ての兵に“兵農仕分け”を施すと解った?」
「わざわざ、領民兵を残す理由がありませぬ故。軍の足並みを自ら乱すような編成、“合理”より程遠いもの。
ノブナガ様のもとには、その日の出の如き勢いに加えて大陸の二大商会からの接触、さらには【楽市令】による途方もなく大きな利によって、溢れかえらんばかりに人が集まってきております。もとより外地から来る、スータントにもリントゥナにもしがらみ執着無き者共。
少なくとも私めなら、それらを雇い入れ、常備えを全軍に拡大しこれ全て精鋭と成す………そう、考えただけのことでございます」
「…………なるほど」
そう、考えた。その一言に、信長の背筋がゾクリと大きく震える。
アイリーンに始まり、ルシア、リナ、シャーム、ラッセル、ヒディ、グイン、アドラ………欲しいと思った人材は、尽く皆手に入れてきた。
だが────これほどまでに欲しいと“渇望”した相手は、元亀天正の前世ですら記憶にない。
「して、ラクンダの勝ちようですが」
「よい」
コモの言葉を、静かに遮る。玉座から離れ、一歩、また一歩と足を踏み出し………やがて、コモの真ん前に、信長は腰を下ろした。
「コモ・ノーサン“卿”。
…………お聞かせ願いたい。貴殿が描く、“天下”という者を」
「卿の、お望みとあらば」
信長の求めに応じるコモ。
その厚ぼったい瞼の奥で、瞳がギラリと。天駆ける彗星の如く強く激しく輝いた。