ウートルフ。リントゥナの南西に位置し、構成する郡数は7と帝国領内においてはやや小さめの地方だ。
しかしながら風向穏やかで湿原や水場が多いことから渡り鳥の経由路が集中しやすい上に、帝国の支配下に置かれる前より養鶏が盛んだったことで上質かつ多種多様な鳥肉の産地として知られる。
共暦1551年【暖風の月】22日。七郡の内一つ、ギモネカ郡はロースティ平原。ここで、2つの軍勢が対峙している。
片方を率いるは、この郡の領主である貴族、ディック・カーネギー卿。そしてもう片方の指揮官は────マルドナ・ヒンギス。
「やれやれ、鎮北将軍就任後の初仕事がいきなり一戦とはね」
凡そ半里ほど先、草深い野原に布陣する“敵勢”を馬上で眺めつつ、マルドナは深く肩を落とす。
「新たな法度の制定に、叙任挨拶を兼ねた馬揃えの日程調整、各地各卿の税収状況調査、不当徴税や規格外の重税に対する是正措置……目白押しだった予定がすべておじゃんだ。
まぁ、今言ったところで是非もないんだけれど」
「……将軍閣下。そう仰られるなら、少しはお隠しあそばされては如何でしょうか」
愚痴るマルドナの横に馬を並べつつ、スーラは長い耳をひくつかせながら呆れたような口調で嗜める。
……長い付き合い故に、彼女は気づいている。さも残念そうな言葉の羅列が、マルドナの“本心”からはほど遠いものであることに。
「そのギラついた、長らくの空腹の果てに獲物を見つけた獅子の如き眼光。到底、“是非もない”と考えているような者のそれではありませんから」
「あんまりな言い草じゃないかスーラ。大体今回、先に挙兵したのはカーネギー卿の方だ。私のこの出陣はあくまで、これを抑えるためにすぎない」
実際、経緯はマルドナの主張通りだ。
共暦1551年【暖風の月】10日、ディック・カーネギーはウートルフからの自領郡離脱と、信長の支配圏であるリントゥナへの編入を突然かつ一方的に宣言し始めた。
確かにラクンダでのシャンティン敗戦を機に様々な小貴族や豪族、市町村が信長へ雪崩を打って帰順したが、それらは何れもマルドナの鎮北将軍就任前。即ち、“私闘の成り行きに伴う自衛的判断”と裁定できる範囲内になる。
だがディックのそれは明確にマルドナの鎮北将軍叙任が公布された後の動きであり、しかも一村や一県ではなく郡丸ごと。言い訳のできない越権行為──どころか、将軍としての権限が及ばぬ範囲への独断編出入ならば“謀反”と捉えらることさえ決して大げさにはならない。
マルドナは当然編出入の取り下げ要請と意図を詰問する使者を送ったものの、ディックは黙殺。やむなく、これを静止……“最悪の場合”懲罰を目的として自ら兵を率いて出陣し、これにディックが近隣の小諸侯を抱き込んで迎え撃ち今に至る。
だが、その経緯を知っているにも関わらず。……否、知っているからこそ。スーラの視線はますます冷え込んだ。
「先月の末、閣下が叙任される頃に前後する辺りから、ギネモカ郡内ではこのような童詩が流行っていたそうにございます。
ギネモカ郡の御領主は、ヒトでありながらヒト攫い、ヒトでありながらヒトを売る、ヒトの面したヒトでなし。
隣におわす魔王より、血も涙もなきヒトでなし。
帝遣わす貴公子様が、華のようなる貴公子様が。
赤くて強い騎士様と、麗し強き姫様連れて。
ヒトデナシ卿討ち取るぞ……と」
ギネモカ郡や近隣の幾つかの県において、貧農から未納税の“カタ”として女子供を取り上げ、奴隷として売り払っている………あくまでも“噂”の体を取ってはいたが、ディック・カーネギーとその取り巻きの小貴族たちによる悪行は殆ど公然の秘密であった。
「この童詩と併せて、“鎮北将軍は不当な人身売買を手がけていた貴族の私財と領地を尽く没収し、帝国改革の元手とするつもりである”………という噂話も実しやかに囁かれていたとか。それこそ、詩う童たちでさえ文の意味を解するほど広く、深く。
………そう言えば、彼の地にはヴェダン・アルマンド卿が懇意にしている盗賊ギルドが支部を置いておりますね」
「成る程。それはそれは、不可思議な“風”が吹いてもおかしくないね」
端正な眉を大いに潜めながら覗き込んでくるスーラに対し、マルドナはわざとらしく正面の“敵勢”を眺めながら小さく肩を竦める。
「まぁ、“真相”がどうであれ、だ。ディック・カーネギー卿たちの心中を蝕み、此度の暴挙に至らせた不安と猜疑心は、彼ら自身の日頃の行いが招いたものだ。
童詩の出処が謀略であれ民草たちによる無邪気な“風”の噂であれ、結末は自業自得────そうだろう?」
「まぁ、その点は否定いたしませんが……はぁ」
前方から駆けてくる馬蹄音。それが放っていた密偵の物であることに気づき、お小言の時間がこれ以上取れぬと悟ったスーラが溜息をつく。
「報告!ディック・カーネギー卿の軍勢、未だ陣列解かず!!寧ろ槍衾ますます強固にし、騎馬勢を両翼に押し出してきております!!
また近隣複数郡の貴族の私兵も合流しており……総数、五千余とのこと!!」
「ははぁ、これは一本取られた!そんなに集まるだなんて思ってもいなかったから、此方は3千ほどしか連れてきていないぞ!!」
報告を聞いたマルドナが額に手を当てつつ叫んで天を仰ぎ、その姿を冷淡にスーラが眺める。
ゲリラ戦や籠城戦に持ち込まれるのを避けて決戦を切らせるために敢えて一部の手勢しか連れてこなかったくせに、よくもこんなことを白々しく叫べるものだといっそ感心してしまう。
「しまったなぁ……敵は負ければ何もかもを失うから決死の覚悟を持ち、しかも私の軍勢のほうが少ないと分かり意気軒昂。対して私はまだ鎮北将軍就任直後で、ここで確かな勝利を得られず一敗地に塗れれば、私の鎮北将軍としての仕事はいきなり頓挫しノブナガ・オダの威勢を間接的に後押ししてしまうことにもなる……由々しき事態だ………
─────さて」
誰に対しての解説だと問いただしたくなる長い独り言の果て、マルドナがふと顔を上げてスーラを見る。
先程までの絶望(したフリ)は何処へやら、口元に浮かぶは余裕すら感じさせる柔和な笑み。
その瞳の奥にある、愉悦と、闘争心と………眼前の相手に向けられた、揺るがぬ信頼を綯い交ぜにした輝き。
「スーラ、一当てお願いできるかな?」
「閣下のご命令とあらば」
応え、手綱を引いたスーラの眼にもまた、同様の輝きが宿っている。
「ノブナガ・オダ公のご出陣はまだなのか!?」
「はっ……何度か使者は送っているのですが梨の礫にて……」
「クソッ……!!」
一方、ディック・カーネギーの陣屋。最上座に座るディックは、左右に均等に分けられた茶髪を掻きむしりながら配下からの報告に歯噛みする。
かつては一応、西方攻勢に際して帝国軍の先鋒を担ったこともある勇将としてそれなりに名が通っていた。だが時の流れとは残酷なもので、既得権益を貪り食ううちに生来の勇猛さは鳴りを潜め、今は眼の前に迫った破滅に怯え保身の道を必死に探るばかり。
「このワシが頭を下げてやっているというのに、無視とは無礼どころの話ではないぞ……!!このままでは、ワシの金がヒンギスの若造に根こそぎ………!!」
「落ち着いてくだされカーネギー卿!」
神経質に爪を噛むディックの姿を見かね、彼のもとに集った小貴族の内一人が声をかける。
「最早兵を挙げた以上は是非もなし、マルドナ軍を打ち破ればノブナガ公の注意を引け、その傘下に逃げ込むこともできましょう!
幸い敵勢は3000程、恐らく一揆か暴動の鎮圧程度と読んで当てが外れたのでしょう。
周囲の貴族たちがマルドナ側へ呼応する前に打って出れば、勝機もあり申す」
「う、うむ………む?」
共謀していた小貴族の内一人からの進言に少しだけ冷静さを取り戻したところで、耳が一つの馬蹄音を捉える。何人かを伴い陣屋を出れば、ヒンギス勢側の陣列から騎士が一人、ただ一騎此方へ駆けてきている。
……美しい金髪に、騎士と言うよりは冒険者のそれに近い軽装。それに伴い均整が取れつつも明確に凹凸がある体の線が見て取れる。容姿の美しさも併せて、女であることはすぐに分かった。
だがそれ以上に、ピンっと左右に立った常人より長い耳が遠目でも目につく。
「我こそはスーラ、エルフ族のスーラなり!!
ディック・カーネギー卿、翻意なくば疾く陣列解き兵をお引きあれ!!……さもなくばこのスーラが、将軍閣下の意に従いて貴殿らを討つ!!」
「…………ふ、ふは、ふははははは!!!」
高らかな名乗りに、高らかな笑いが応じる。先程まで焦燥と恐怖に彩られていたディックの表情に、変わって浮かぶのは侮蔑に満ちた下品な笑み。
マルドナ・ヒンギス、シェーン・ゲイルのまさに“虎の子”として扱われていたが、名声に反して戦を知らないようだ。
ただでさえ寡勢の中で、女人、それも“耳長”を一騎駆けさせるとは。
「鎮北将軍閣下より“馳走”を賜ったようじゃ!!誰ぞあれを捕らえい!!褒美として、捕らえたものの好きに“使って”よいぞ!!」
「「「うぉおおおおお!!」」」
類は友を呼ぶ。人攫いとその売買で私腹を肥やすような輩の下には、それ相応の人格の者たちが集まる。
聞くもおぞましい情欲まみれの鬨の声と共に、騎馬歩兵併せて80名余が陣列を飛び出しスーラに押し寄せる。
「げへへへ!流石は“みみなが”、ツラもカラダも極上だ!!」
「とっとと馬から叩き落としてひん剥け!!」
「その場でマワしたって構わねえよなぁ!?見せしめにゃあうってつけなんだからよぉ!!」
「なら最初は俺に食わせろ!!さぞや美味にグボラッ」
一陣の風が吹き抜ける。
スーラを囲うように押し寄せてきた80余名。その先鋒を駆けていた騎馬武者が、巨人の手で殴られたかのように馬上から吹き飛ぶ。
「ウギッ」「ヘガッ」「オブッ……」
「なっ……」
「このアマ、“みみなが”のくせに………!!」
鉄が貫かれる高い音、骨肉が貫かれる湿った音、そして屍が地に伏す鈍い音。これらが5回繰り返されたところで、ようやく押し寄せてきた兵たちは、スーラの構える槍がそれを為していることに気づく。
「ビビんな!不意を突いてきやがっただけだ、とっとと組み伏せて解らせてやれ!!」
集団の指揮官と思わしきひげ面の騎士が命じ、80余名が気を取り直して一斉に群がる。
「……………愚かですね」
そして、スーラの“舞”が始まった。
両側から二人、同時に剣で斬りかかる。跳ね上げられた槍穂先が軌道を逸らし、返しの一閃。喉笛が2つ裂かれ、血飛沫が二筋吹き出して弧を描くを
巨躯の男が鎚を振り下ろす。馬ごと後方に跳ね跳びつつ、その際の土煙で姿をくらます。男が惑った瞬間、横合いから一突き。心の臓を差し貫く。
歩兵が一人ゴブリンのごとく飛び掛ってくる。冷静にその軌道上に槍を添え、串刺しにする。ぶら下がった屍を付近の隊伍に投げつけ、態勢を崩させる。乗り崩し、瞬く間に更に4人を突き伏せる。
斧を振り上げて騎馬が一人猛然と掛かってくる。素早く距離を空け、間合いのはるか先から刺突。小麦の粒さえ打ち抜きかねない精度で、槍穂先が眉間を貫く。
振り向きざまに一閃。背後から襲いかかってきた別の騎兵の剣を弾く。向こうが返す間もなく石突きで馬上から叩き落とし、身体を起こしたところで胸板を貫く。
押し寄せてきた槍衾。一閃してその穂先を砕き、二閃して切っ先を喉笛に走らせ裂く。
崩れた陣列の向こうからこん棒を持った騎兵が現れる。真上から槍を叩きつけ、頭蓋を割る。
「───母なる自然よ、我が声に応えよ。我はお前たちの子。我はお前たちの下僕。従順なる子の、敬虔なる下僕の願いを、母の御名のもとに叶え給え」
一方的に屍が増え、一方的に血飛沫と骨肉が舞い散る中………朗々と響くは、スーラの声。
「こ、こいつ……呪文詠唱を!!?」
「やめさせろ!!殺せ、この“みみなが”を殺せぇ!!!」
「地よ、起こせ。岩よ、進め。
眠る層を裂き、根を断ち、敵の足元を貫け」
最早マワすやら好きにするやらできるわけもなく、指揮官の怯えた喚き声があたりに響く。
血相を変えて敵兵たちが得物を突き出すが、麗しき“耳長”の女騎士はこれを容易くいなし、躱し、時に討っていく。
そのような中でも、声は些かも震えず、淀まない。さながら吟遊詩人の語りの如く、静かに、涼やかに、そしてはっきりと、奇跡を形作る言葉は紡がれていく。
「大いなる大地よ、刃となれ。槍となれ。
避けられぬ重みで、その身を穿て!!」
スーラが、一気に声を張り上げつつ槍を横に構える。彼女を中心に紫色の魔法陣が地面に現れ、戦闘が起きていた一帯を、スーラを囲っていた騎士たち全員を、更に包み込む。
「
大地が、まるで命が宿ったかのように突然波打つ。土が、岩が、砂が、石が、瞬く間に寄り集まり、練上がり、膨大な数の塊を形成して突き上がる。
「「「カッ─────………」」」
言うなれば、大地の槍衾。百や二百では効かぬ量のそれらが、スーラの周りにいたカーネギー軍の兵士たちを、尽く刺し貫く。
「───────疾く見知り置け、逆賊の徒よ!!」
静寂と死が周囲を満たす中、改めて響くスーラの声。“大地の槍衾”と、それが貫いた屍の群れに囲まれながら、明らかに動揺するカーネギー軍に向かって声高に叫ぶ。
「我が名は、スーラ!!
マルドナ鎮北将軍の臣にして妻──スーラ・ヒンギスなり!!」