この世界にはファストゥル、バンテニー、サーディアン、フォッスル、ファイバの5つの大陸が存在する。最大のものはバンテニーで、最小はフォッスル。ファストゥルは2番目の面積を誇る。
ここ二十年ほどで一気に大拡大期を迎え、ファストゥル大陸の七割を手中に収める広大な国土を持つロンディア帝国が事実上の覇権国家として君臨しつつある。他の大陸はほとんどが群雄割拠の様相を呈しており、大陸全体に影響力を発揮できるほどの大国でもバンテニーのパルスやセリカ、ファイバのミッドランドなど決して多くはない。
特にフォッスル大陸は、数年前まで大陸全土が火薬の製法をめぐる大戦乱の最中にありつい先日ようやく休戦条約が締結されたばかりとなっている。
門が開かれる、重い音。次いで、革靴が歩みを進めるコツコツという音が聞こえてくる。
城の主であるアイリーンは、大広間の中央、玉座に腰かけつつ足音に対して静かに耳を傾ける。
───その姿の美しさは、筆舌に尽くしがたい。
少しウェーブの掛かった金髪は腰まで伸び、一本一本が上質な生糸のように艶を放ち窓ガラスから振り注ぐ朝日を反射して輝いている。肌は雪が振り注いだ直後の野原のごとく滑らかさと透明感を両立し、紅をさしてもいないのに赤く熟れた唇がその白によく映える。パッチリと大きな瞳は唇同様ルビーのように情熱的な赤色を宿し、二重の瞼の下で潤う。目尻は少し吊り上がっているが、その強気そうな目元もまた瞳の色をより魅力的にした。
着ている紫色を基調としたドレスは決して薄手でもなければ繁華街の娼婦のように露出が大きなデザインというわけでもないが、にも関わらず豊満でありながらハリのある胸部やはっきりと凹凸のついたくびれが服越しでも容易く解るほど自己主張している。
ただ座っているその姿を絵に収めただけでも、恐らく大枚を叩いて買う輩が後を絶たないであろうと思わせるほどの可憐さ、美しさ、妖艶さ。だがそんな光景とは裏腹に、アイリーンは静かに瞑目しながら“足音”への観察を怠らない。
別段武芸や戦闘について心得があるわけではない。が、この村に流れ着いてからの二年余りで何十回とスケィビィや他の貴族共からの“誘い”を跳ね除けていく内に、足音だけである程度相手の力量を測れるようになってしまっていた。
(…………この感じ。なんとなくだけれど、今までのスケィビィたちの配下や冒険者と比べて、一番“手慣れている”感じがするわ)
そう言えば、今回ここに派遣されてくるネイブ・ナガンなる冒険者は、確か歴代最年少で銀冒険者章を授与された新進気鋭の若武者だと村人たちから聞いている。……そんな若き実力者が何故こんな辺鄙な村の、こんな受ければ寧ろ不名誉を被るような依頼に手を出しているのかと疑問は浮かばないでもない。
だが、相手の真意がどうであれ、挫かなければアイリーン自身の純潔と自分たちを受け入れてくれたこの村の安寧が喪われる。何としても、それだけは防いでみせる。
──とはいえ、それは何時まで保てるだろうか。
(………ダメよ、アイリーン。今は、そのネイブとかいう奴を倒すことに集中しないと)
ここ最近、魔力と気力を削られていく度に、回復を利かせられる環境がない故に殆ど一方的に目減りしていくだけのそれについて考える度に過る不安を、頭を振って追い出す。呼吸を整えつつ、近づいてくる足音の主に全神経を集中する。
足音は迷いなく、まっしぐらに大広間へと向かってくる。やがて部屋の前で立ち止まると、それなりに凝った意匠の木の扉がゆっくりと開かれた。
「…………………」
(…………その、結構、いい男ね)
扉の向こうに立つ、恐らくはネイブ・ナガンと思われる年若い男。その姿を、そして顔立ちを目にした時に、アイリーンは思わずそんな感想を浮かべた。
この古城の主となってから言い寄ってきた男たちは、スケィビィをはじめとした“四貴族”の連中を含めてその大半がそもそも容姿からお世辞にも良好とは言えない。
加えてそうした輩は大体がアイリーンの容姿に、身体に対して歪んだ欲望を隠そうともせず向けてくる。懐柔や油断の誘発のために仕方なくとは言え彼らの手が自身の身体を撫で回し這い回る感触には毎回心底からの嫌悪を内心で渦巻かせていた。
だが、扉のところに立つネイブは、まず容姿という点においては一線を画している。
鼻筋はすぅっと通り眉の形も程よく整い、冒険者焼けした肌はやや浅黒いがきめ細かく滑らかだ。肩ほどまで伸びた黒髪はワイルドに後頭部で束ねられているが、女のそれと言われれば信じてしまうほど艷やかな光を放つ。
顔の輪郭全体も、十代前半ゆえの幼さが少し残りはするが顎の線がシュッと引き締まり下卑て肥え太った貴族共では到底真似できない凛々しさを醸し出す。体格は一見すると年相応の中肉中背で、実際アイリーンと背の高さもそう変わらない。が、多少機能性を重視した節はあるもののしっかりとした作りの胴鎧を苦もなく着こなしている点から鑑みて、その下側には恐らく鍛え抜かれた肉体が隠れている。
何よりも、その眼。
気性の粗さの現れか勝ち気に吊り上がった切れ長の青い瞳。その瞳に宿る光は、氷のような冷徹さと灼熱業火が荒れ狂っているが如き激しさ、本来両立し得ない2つの性質を併せ持って強く強く輝いていた。
(って、何を考えているのよアイリーン!所詮は、あんな依頼に食いついてスケィビィに与するような輩なんだから!!顔立ちが多少良くても、結局はどうせ同じ穴の狢、ケダモノに違いないわ!!)
一瞬胸の内を過った場違いな感想を軽く頭を振って追い出すと、やや頬を赤らめながらネイブと思わしき青年を睨み据える。
「そこの女人。ラルカ村を治める、アイリーン殿で相違なきや?」
「…………如何にも。私が、ラルカ村の長代理、アイリーンですわ」
ネイブの方からの問いかけに一瞬面食らいつつも、なんとか超然とした姿勢を崩さずに応じる。
【魅了】の効果を最大限に引き出すにあたり、“雰囲気”は極めて大事だ。ちょっとした動揺を表に出すだけでも、術を掛ける相手の自分に対するイメージが崩れて一気に掛かりが悪くなる。
「御機嫌よう、ネイブ・ナガン。少し…………お話しましょう?こちらに来てくださる?」
努めて声色を、ゆったりとした優しげなものに、しかしながら妖艶に響くよう調整しつつ、広間いっぱいにふわりと甘い香りを広げる。アイリーンのドレスの袖口から、薄桃色の靄のようなものが放たれ、香りと併せて広間を瞬く間に満たしていく。
「───………」
その“靄”がネイブのもとに届く。途端、スッとネイブの脚が一歩踏み出しそのままこちらへ歩を進め始める。
掛かった、とアイリーンは安堵する。前評判からも実際の立ち居振る舞いからもかなりの手練であることが推測できた故に出し惜しみせず魔力を多めに放出したが、幸いその甲斐はあったらしい。
(それにしても、このネイブって人顔だけじゃなくて声もいいわね。正直、スケィビィなんかに与するような人じゃなければ私たちを守ってくれるよう依頼したいぐらいなのに。ああ、なんでよりによって───)
───【魅了】が掛かっているにしては、あまりにもしっかりとした足取り。全く緩んでいない、こちらを射抜くが如くしっかりと向けられた鋭い眼光。術が掛かっているならあり得ない、命令した以上の接近。こちらに、何ら遠慮なく伸ばされる手。
これらに違和感と疑問を抱いた時には、遅すぎた。
「むぎゅっ!?」
アイリーンの柔らかな頬を、まるで物を知らぬ童が我欲のままに果実を毟り取ろうとするが如き乱暴さで、ネイブの手が鷲掴みにする。
「ぬんっ!!!」
「ふぎゃぁっ!!?」
宙を舞った身体が、ベチンっと腹ばいのような無様な姿勢で床に打ち付けられる。全身に走る痛みで、自分が玉座から放り投げられたとアイリーンは理解した。
「にゃん、でぇ…!?」
とりわけ強か打ち付けた鼻の頭を押さえつつ、アイリーンは涙目で玉座を振り返る。そこには既に、不遜傲岸な笑みを浮かべつつふんぞり返って玉座に座る、ネイブ・ナガンの姿があった。
「にゃんで、わらひの、高貴なるサキュバス族の血を引くわらひの【魅了】が、効かにゃいのよぉ!」
「なんで、だぁ?」
……魔法とは、想像の世界。火炎魔法を使うなら、対象物がどのようにして燃えるか。氷魔法なら、対象物が凍った時どのような有様になるか。使う、使える魔力の量や魔法陣の精巧さと併せて、如何に望む光景をはっきりと思い描けるかがその威力や効果の大きさを左右する。
想像による創造。それが、魔法・魔術である。
その点において、ネイブ・ナガンの──織田信長の“想像”は。
「たかが“魔に族する者”のまやかしが、この俺に──第六天“魔王”にかかるわけがなかろううつけがぁ!!」
という、根拠が薄弱極まるくせにあまりにも確固たる自信は。
アイリーンの