共暦1551年【暖風の月】25日。ロースティ平原にてディック・カーネギーを討ったマルドナ・ヒンギスは、そのまま東進しホトポット山の麓に布陣。
翌26日には、ヴェダン・アルマンド麾下の1000余名が合流する。
そしてこれを境として、近隣小貴族・小土豪・村長が雪崩を打つようにマルドナの元へと殺到した。
「将軍閣下、続きましてサーミサ村の村長殿がお見えです」
「……ああ、うん、通して差し上げてくれ」
日に30人から40人、引きも切らずに訪れるそれらを相手にすることそこから3日。
…列伝【ヒンギス家覚書】はこの時のマルドナの様子を、“衰弱の極みにてさながら不治の病の如く”、“先の合戦の数倍の労を滲ませたる”と書き記している。
「ここまで淀んだ風を纏っているのを見たのは初めてだな、朋友」
夜の陣屋。全ての謁見を終えそのまま地面に四肢を投げ出しかねない有様のマルドナを、からかう声がある。
「掲げられている旗が、今にも竿についてしまいそうなほどだ」
「ああ、そりゃあそうだろうな」
テントの入り口にもたれかかり珍しく軽薄な口調で語りかけてくるヴェダン。対するマルドナも、彼を知る者にとって非常に稀な荒い声と投げやりな口調で返す。
「布陣や兵力移動の指示もこなして施政に関する書状を方方に出しつつ3日で100人と少しの謁見、これで軽やかに風なんて吹かせるものか。
試しに1日お試し鎮北将軍にでも就任してみるかい?君がやってくれるなら私の方で今すぐ制度を作ることも吝かじゃないよ」
「遠慮しておこう。他人が定めた流れに沿って吹くのは、少なくとも小生の“風”ではないからね」
ポロン、と竪琴を一つ鳴らして朗らかに笑った後、ヴェダンは一転真剣な表情でマルドナを見る。
「して、どうかね朋友。魔王が吹かせし暴風、収まりそうか?」
「微妙だね」
即答しつつ、マルドナの眉間に疲労とは別の皺が深く刻まれる。
「近隣、このあたり一帯からの謁見は概ね受けた。ギネモカ郡は完全に再掌握したと言っていい。
………元から、私達側だった貴族や場所についてはね」
先の【ラクンダの戦い】直後。マルドナの鎮北将軍就任前の時点で、信長領と接する多くの地域や小貴族が信長領への帰順を示した。このギネモカ郡も例外ではなく、ウェーザック村やロドンラナ町などが先に信長に自ら降っている。
ディック・カーネギーが残る郡ごと信長を亡命先に選んだのも、童詩による誘導と“先例”の存在が合わさってのことだろう。
その上で、これら“先例”の各町村からは、ディックの敗死後も再編入の願い出が来ていない。
「………数日前にヤィラ・ヤレイクが一族郎党尽く撫で斬りとされた件、かなりの効果が出てしまっているようだな」
「ああ、アレで“敵対者には一切の容赦をしない”という、ノブナガ・オダの印象が完全に定まった。
厄介なのは、ノブナガ殿自身は寧ろ善政を敷いている点だ」
冷たく酷薄な君主なれば、切り崩しは容易い。如何に恐怖で抑圧しようとも人として我慢の限界は来る、まさにスータントのようにきっかけがあれば簡単に各地の旗色は変わるだろう。
だが信長は、あくまで敵に対しては“冷たく徹する”というだけ。事を自ら構えない限りは、現状民にとって全くと言ってよいほど害はない。
「……こちらが敵地を調略すれば恐怖は枷となり、向こうが小生ら側の調略を行えば恐怖が後押しとなる。成る程難儀なものだな」
「ああ、実に。だから、わざわざ時を割いて私自らが謁見していたわけだ」
「……どうして、ヒンギス卿自身が有力者たちと直接顔合わせをすることが、私達への牽制になるの?」
「ん?」
ギネモカ郡と地を接する、リントゥナ地方ハッシ郡。名も無き平原に築かれた、一応は鷹狩の野営地を名目とした陣屋の中で、アイリーンは眉間に皺を寄せて小首を傾げる。
「今回のヒンギス軍の圧勝で、私達に合流する勢力が減るのは理解できるわ。鎮北将軍の権限の問題もあるし、何よりマルドナ・ヒンギスの力が如何に強大か誇示されたわけだから。
でも……直接会ったからって更に裏切りにくくなる、その理屈がよくわからないわ」
「そりゃあ、理屈じゃなくて“情”の話だからな」
応じる信長は、しかしアイリーンの方を向いていない。その眼は、夜の帷の先に聳えるホトポット山を静かに見据えている。
「ツラを突き合わせて言葉を交わし“縁”が生まれちまうと、不思議なもんで人間なかなか酷薄になれなくなる。勘定を千枚書こうが幾郡の所領を任せようが、書状のやりとりのみで結ぶ君臣の契なんざ砂で作った城より脆い。
ところが知己という情を得ると、これが途端にでけえ重石になってズンッとド真ん中に居座る。こうなると、恐怖や利で調略を受けても直ぐには靡かん」
「……貴方が人の情について語っているのを見ると、違和感が凄いわね。合理に非ず!とか言って真っ先に否定しそうなのに」
「情で右往左往と判断を翻したり、逆に情で意固地になるのはそりゃ非合理の極みと思うぞ。
だがな、人の大半はその非合理に突き動かされる。なら、切り捨てるんじゃなくてそれも勘定に入れて算盤弾いたほうがよほど“合理”だろ。
……前の下天じゃ、これに気づくのが遅れた挙句の本能寺だったがな。先の“人の縁”の話も、実のところ昔に猿が語っていたものの受け売りよ」
「猿……ヒディさんそんなこと言ってたの?」
「ああいや、もう一人いたんだ。まさに“前の下天”でな」
懐古の苦笑いを一瞬浮かべた後、信長の眼は再度鋭さを取り戻しホトポット山に向けられる。
「とまれ、顔を合わせたことによる“縁”の楔はこちらが恐怖をもって寝返りを持ちかけたときに取り分け……効く。出足を鈍らせ、縫い止める。
ましてやマルドナは善政を布く仁君であり、鎮北将軍という権威も備えている。善政への御恩と帝室からの覚え、民も貴族もおいそれとは逆らえん。ディック・カーネギーの末路が満天下に見せつけられた今、奴は奴で裏切った場合の“恐怖”も十分に上乗せさせられる。
ま、いよいよもって自発的な流入もこちらからの調略も望み薄だな。特に後者は、役職権限が帝室によって明確に定められた以上下手に手を出せば向こうに大義名分を与えかねん」
「ただ、ここはもう一手打っておきたいのが正直なところだ」
陣屋の中を闊歩しつつ、人差し指を振りながらマルドナは言葉を続ける。
ヴェダンはそれがマルドナがとりわけ深く思考をしているときの習慣であり、これら語りも自分に向けられたものではなくマルドナ自身が考えを整理するための独り言に近いことを知っている。
「先の謁見においてさえ、私への完全恭順について若干言葉を濁した有力者は何人もいた。
確かに私達がカーネギー卿の討滅をなしたことは力の喧伝になっただろうが、それを言い始めたらノブナガ殿はガンガル平原にヤンズと2度にわたって圧倒的寡兵で勝利して見せている。
私と、ノブナガ殿それぞれへの畏怖は、あくまで客観的に見れば“拮抗”がせいぜいだろうね。戦後の苛烈な仕置きを目の当たりにしている側からすれば、恐怖の度合いはいまだノブナガ殿の方が上でさえあるかも知れない」
「……故に、まず“繋がり”を断つ、と」
「ああ、その通りだ」
足を組んで椅子に座りつつ、ヴェダンが絶妙な機微で合の手を入れる。その言葉に大きく頷きながら、マルドナがそちらを振り返る。
「ディック・カーネギー卿はノブナガ殿の暫定的支配下にあるリントゥナへの編入を宣言していた、これを仮にノブナガ殿が主導していたなら重大な帝室への反逆行為だ。即座にこれを討滅しなければならない」
「が、残念ながら証拠はない。ノブナガ・オダはカーネギー卿の救援をしなかったどころか、悠々と鷹狩を楽しんだそうだ」
「そう、だから今回の目的は“詰問”。本気で事を構える必要はない………ただ、本来使者を行き来させて会談の場を設け弁明するつもりが、双方が警戒のため連れてきた兵力の不慮の衝突が起きてしまい小競り合いが勃発した。
これが、今回私が用意した筋書きさ。恐らく、ノブナガ殿もこれに乗るだろう」
「なんでそんな回りくどいことをしてわざわざ合戦なんてするの?しかも、貴方も乗る気なんでしょう?」
「そりゃあ俺はマルドナ・ヒンギスとその麾下兵力の実力を見ておきたいし、向こうもそれは同じだろうからな。お互いに決戦は御免被るが、そろそろ手の内は見ておきたい。その落としどころってのが一つ。
………今一つは、俺とマルドナの“手切れ”の演出よ」
「手切れの、演出?」
「ああ」
カチャンと、“左文字”の濃口が小さく打ち鳴らされる。
「あくまでここら一帯に限れば、恐らく“暴れぶり”においてはこの信長に一日の長がある。此度マルドナと“縁”を結んだ連中にせよ、釘刺しには多少なっても完全に腹を据え切れるとは思えん。
ならば、その連中を率いた上で俺と直接事を構えさせればいい。形ばかりであっても臣従を示した以上、その出鼻の下命を断れば立場などなくなる」
「…………加えて、織田信長とマルドナ・ヒンギスが刃を交えれば、その“敵対”を知ることによってマルドナ側への帰順を申し出た有力者たちは自分たち側から信長に寝返りを申し出られなくなる。だって、下手をすればディック・カーネギーの二の舞になるから」
「おお、よう解ってきたな。やはりお主は飲み込みが早い」
「ちょ、やめなさいよ……幼子じゃないんだから……もう……」
ワシワシと頭を撫でられて、アイリーンの耳が先っぽまで赤くなる。
「……帰順してきた連中へ即座に軍役を課すことによってその腹の中を探れるだけでなく、そやつらを先手として俺たちに打ち掛からせれば此度の“大物見”で自分たちが直に失う兵を極力少なくできる。いやはや、悪辣だのうマルドナよ」
「……そういえば小生の隊の物見が返ってきていたが、それによるとノブナガ側はカーネギーとハッシの境に兵を差し向けているそうだな。
確か、ジェルム・ガードナーとコモ・ノーサンが率いる1000ほどだったか」
「まぁ、ノブナガ殿からの合図だろうね。“筋書きに乗ってやるぞ”、という。
こっちも謁見に際して合流してきた貴族の中からそれなりに実績があるものを選抜し、デントナに率いさせて押し出してある。
ヴェダン、君の隊も明朝には出立してくれ」
「小生としては構わぬ。……だがいいのか朋友」
ポロンっと竪琴を一つ鳴らしつつ、ヴェダンの眼が“将”のそれに変わる。
「今回集まった貴族たち、大半は小身。カーネギーの兵は逃げ散っている上日も浅いから直ぐには使えぬ。
率い得る兵は朋友と小生の軍に小貴族たちを併せてせいぜい8000程度だぞ。
ノブナガが、ラクンダのようにこれを見越して一挙に大軍で攻め寄せてくる恐れはないのか?」
「それはないね」
ヴェダンの問いかけに、マルドナは笑いつつ即座に応じる。
「今、互いの先遣隊はこの先のヴィシュナル川を挟んで対峙している。このまま、“小競り合い”の場所はここになるだろう。
仮にノブナガ殿がそんな大軍勢を率いて押し寄せてきたとして、川を盾にしながらこちらは即座に逃げ散れる。
しかもそんな事をすれば、ノブナガ殿は貴族として正式に叙任される前に鎮北将軍の権益を犯した大罪人と化し、みすみす私に討伐事由を与えてしまう。そうしてまでギネモカ郡を得たとて、別にここは私の直接の所領でも何でもない。あまりにも、割に合わない賭けだよ。
まぁ、カーネギー卿の挙兵に乗らなかった時点で私の狙いをノブナガ殿か、仮にいるとしたらその“軍師”が看破しているのは明白からね。寧ろ総兵力については周辺諸侯の必要以上の団結を避けるためにも尚の事隠すだろう。せいぜい、私たちと同じ8000余程度じゃないかな、率いてくるとしたら」
「その上で、向こうから決戦に踏み込む益も少ない」
ラクンダやヤンズのように、神速をもって決戦に挑むべきではないか。そんなアイリーンからの問いかけに一通りこちらが決戦に踏み切る愚を語り終えたところで、信長はさらに続ける。
「コモが謁見に際しキヨスで語った通り、マルドナの率い得る六万余という兵力はあくまで諸侯たちが集っての“合従軍”。要が打ち崩されれば途端にただ烏合の衆と化す。そしてこの場合の要とは、言うまでもなくマルドナよ」
“左文字”の切っ先が、足元に広げられていた地図のチュンボス地方を軽く叩く。
「俺が此度を決戦と挑まぬは、大義名分がまるでないが故とせいぜいマルドナ本隊が三千余であることを踏まえると川を盾にされて追いつけず、取り逃す算段が大きいからよ。
だが、向こうが決戦に臨めばこれらの非合理が全てあちらへと降りかかる。しかも直属で動かせる兵力それ自体は向こうの方が少ないのだ。本当に全軍を率いての決戦なれば、最大の利点である数の利を投げ捨てて挑まねばならん。
わざわざ、自ら勝機を逸する悪手となる」
「ノブナガが、朋友の吹かせた“風”に焦り、総大将を討つ好機を逃すまじと博打に出る………という可能性は、考慮しなくてよいのか?」
「いや、ないね」
ヴェダン・アルマンドの問いかけに、マルドナは静かに首を振る。
「マルドナ・ヒンギスが、貴方やコモさんの言うとおり名将ならば、そうした計算の裏をかいて大胆に決戦を強いる、ということは考えられないの?」
「否、ない」
アイリーンからの問いかけに、信長は即座に首を振る。
「俺がマルドナ・ヒンギスであったなら、そのような手は打たん」
「私がノブナガ・オダであったなら、そんな手は打たない」
「「それで、十分だ」」