村の中央の広場には、苔むした、人が数人横になれる程度の面積の古びた石台が置かれている。
ラルカ村がかつてロンディア帝国領となる前、スータント地方の大半を治めていた小国。バンテニーとの陸上交易路を抑えるこの村について、統治者の加護を届かせるという名目でその王が自らの石像を建てさせた名残だ。
統治者の加護とやらは所詮は圧倒的な国力差の前では塵芥のようなものだったらしく、小国はあっさりとロンディア帝国にねじ伏せられ王族も末子に至るまで皆殺しにされた。石像も、帝国軍の兵士たちによって叩き壊された。
別段、村人たちの間に王族への敬意や忠誠はない。だがその像があった内は、村にはささやかながら、繁栄と自由が確かに存在した。
その“名残”である石台を、なんとなく誰も壊すことができぬまま今に至る。
今、その石台の上に、一組の男女が立っている。
一人は、此の村の事実上の主・アイリーン。彼女は端正な顔立ちに目一杯の困惑を浮かべ、キョロキョロとあたりを見回している。
今一人は………年若い、というよりはギリギリ“幼い”と評しても問題なさそうな、冒険者風の服装の青年。
石台の上に並ぶ二人を囲うは、ラルカ村の村人たち。足腰が立たぬほど年老いたものや病人を除き、200余名ほぼ全員が集まっている。
「………本気で、やるの?」
アイリーンが、弱々しい囁き声で青年を仰ぎ見つつ尋ねる。声に混じるのはわずかに残る恐れと………それを圧倒的に凌駕する純粋な戸惑い。
「あたりめえだ」
青年——ネイブ・ナガン、否、織田信長は、彼女の言葉を聞いて口の端を大きく釣り上げた。
「“敗軍の将”に選択肢なんざねえぞ、アイリーンよ。腹ぁ括れ。
………うまく転がりゃ、村とお前さん、両方が俺によって“救われる”んだからな。断わりゃあなんもかんも“ワヤ”になるだけ、お前らに得なんざな~んもない。
ま、俺ぁそれでも構わにゃあぞ?最善、最短じゃねえにしても、向かう先は変わらんからな。この場で改めてお主をふん縛り、村ごとスケィビィに献上するだけだ」
………脅しではない。彼の、織田信長の言葉は。恐らく、村やアイリーンに利用価値がないと判断すれば、即座に“次善の策”を取りにかかるだろう。
「………わかったわ」
アイリーンは深く息を吸い込み、目を閉じ、再び開く。困惑は消えずとも、“腹を括る”。自分自身はともかく、村やルシアも救うには………今は、隣の“第六天魔王”に縋るより他にないのは事実なのだから。
「皆、聞いて」
広場のざわめきが、少しだけ収まる。
「私は………この村の、主ではなくなったわ」
どよめきが広がった。
「これより、この村を治めるのは、この方です。私を含めて、村全体の新たな主となります」
「はぁっ!?」
「アイリーン様とルシアちゃんが負けた、ってことなのか!?」
「あの男、スケィビィの手の者でねえか!」
「エイーロ市で、ナラーンの部下に迎えられてたのがあいつだ! 見オラ見ただよ!」
「そういや、最年少の銀冒険章持ちの冒険者がスケィビィの依頼を受けたって………じゃあ、あいつが、ネイブ・ナガン……!!」
反発の声が、次々と飛び交う。石台を囲む輪が、わずかに押し縮められたように見えた。怒りと不信が、空気を重くする。
その中で、信長は一歩前に出た。
「織田信長である!!!!!」
大音声が、広場に響いた。若い、一見細身の外見に似合わぬ、腹の底から響く声だった。広がり始めていた村人たちの怒号が、一瞬にして止まる。
あっという間に機先を制した信長は、不敵な笑みを浮かべつつ広場全体を見渡した。
「アイリーンの言うとおりだ。
つい先程、俺ぁあの古城でこやつと、後ろに控えるルシアらを伸し、軍門に降らせた。
これよりこの村ぁ俺の所領だ!従えぃ!!」
「グルッ……!!」
「ダメよルシア、抑えて……」
信長の言葉に、後ろで立っていたルシアが唸り声をあげて身をかがめる。だが、その気配を即座に察したアイリーンが振り向き、小声で制する。
「懸命だ」
「ぐ、うっ、うっ……」
一見傲岸不遜な態度を取りつつも、信長の手は何時でも剣を抜き打てるようしっかりと柄に添えられている。アイリーンの首元に突きつけるのは容易だし、よしんば抜き切る前に飛びかかるのが間に合っても、乱戦の中でアイリーンを巻き添えにしかねない。
アイリーン自身に止められて幼いなりにこれらの可能性に思い当たったか、ルシアは歯をむき出しにして目に涙をためつつも引き下がった。
「………!」
「な、何だって………」
一方眼前の村人たちのあいだでは、ざわめきが再び大きくなる。今度は、単なる反発ではない。信じられない、という色が混じっていた。
信長は、そのざわめきをむしろ楽しむように、口角を上げた。
「じ、じゃあ、オラ達はまたあのスケィビィやナラーンの野郎に、今以上になんもかんも搾り取られるだか……?」
「奴ら、今までアイリーン様とルシアちゃんが抑えてくれてた分の税も取り立てるとか言っとったぞ!?んなことされたら誰一人冬を越せねえだ!!」
「それだけじゃないよ!村中の娘っ子かっさらわれるし……何より、アイリーン様がスケィビィに……!」
「なして、なしてこんなひでぇことになっちまっただ………」
信じられないし、信じたくない。……だが、信じざるを得ない。
信長から降された言葉と、それに反論も訂正もせず項垂れるアイリーンの姿に、村人たちは現実を突きつけられていく。
ずっしりと重い、鉛のような絶望が、広場を満たす。
「何を言ってやがる。おみゃーら、揃いも揃って耳が聞こえねーだぎゃ?」
──信長は、村人の様子を見下ろしつつ、白々しく問いかける。
その口元には、この上なく悪辣で、獰猛な笑みが浮かんでいた。
「言っただろう。今日より、“俺が”このラルカ村の主だと。お主らが仕え、従うのはスケィビィでもナラーンでもねぇ。この俺、織田信長だ」
「……………へ?」
織田信長。
後世、ファストゥルからファイバまで、様々な史書においてこの名に触れていない書を探すことは恐らく不可能だろう。パルス王国記、シンドゥラ宮廷史書、セリカ偉人伝、ゼニアルゼ王国文書、大和創書紀、サーディアン大陸魔術師協会公式記録………全ての大陸の汎ゆる国・組織・団体が、この英雄の足跡を書き留めることになる。
しかしながらその年少期については、意外なほどに記載が少なく、また資料や書物によって内容がまちまちで安定しない。本人が語りたがらなかったためとも、彼の“妻”が意図的にそうなるよう仕向けたからとも言われるが、その真相は定かではない。
「ラルカ村の、“新たなる主”として、主らに命じよう!!」
ただ、いずれにしても。
「スケィビィ・クシャローを討ち、エウロイ郡を取るぞ!!!」
織田信長の“天下取り”への歩みは───共暦1549年【清涼の月】6日、ラルカ村における村人たちへの宣言より始まったという点について、ほぼ全ての史書が見解を一致させている。