誰一人、声を上げなかった。
しわぶきさえ漏れない、完全な沈黙。風の一つも吹かず、木の葉の一枚も落ちず、刻が止まったのではないかと思わず疑うような静寂が、数瞬流れる。
あまりにも突拍子のない内容に、200余名の村人たちは反応できずにいた。彼らは皆一様に、虚無と呆然を以て信長を見上げた。
「…………スケィビィ卿を、討つ……?」
ようやく、村人の内1人が反応。とはいえその口調もまた完全に呆けており、信長の言葉を全く飲み込めていないことがありありと伝わってくる。
「その、えーと……ノブナガ、様。いったいそりゃあ、どういう意味でごぜえましょうか……」
「言葉通りの意味だ。ま、謀反、或いは一揆ってやつだな」
「はっ……」
「い、一揆……?」
「アタイらが、スケィビィに、かい……?」
一揆。聞き慣れた単語を耳にしたことで、村人たちはようやく信長に何を言われているかを認識し始める。広場に音が戻り、ざわめきがさざ波のように広がる。
それは同時に、自覚された恐怖の伝播でもあった。
「一揆!?一揆だって!?」「冗談じゃねえ、なんでオラたちがそんな物騒な真似しなきゃならねえだよ!!」「帝国相手に一揆なんざ、村丸ごと一つ皆殺しにされちまわぁ!!」
「ぬはは、何を騒ぎやがる」
「」
阿鼻叫喚となった村人たちを見て、信長は心底おかしげに嗤う。……そしてそんな信長を、アイリーンはとびきり珍妙な魔物にでも出くわしたかのような表情で見ている。
「お主ら、今までも散々スケィビィやナラーンや、他の貴族共にアイリーンやルシアと共に楯突いてきただろうが。ほんのちょいといつもより踏み込むだけぞ」
「その“ほんのちょいと”がとんでもねえんだっつんだよ!!おんめ頭おかしいだかか!?」
「スケィビィの兵士は戦じゃねえ時だって300人もいるんだでよ!?な、何より……あのオッカねぇナラーンとその手下どもがいつだって周りを固めてるだ!!あいつら、揃いも揃って腕っぷしが強い上に加減さしらねぇ!!」
「皆殺されちまうだよ、勘弁してくんれ!!」
「………何だお主ら。まぁビビるのは分からんでもないが、じゃあどうする。このまま俺の提案を蹴り再びアイリーンを主に据えたとて、現状は変わらんぞ」
「変わらねえでいいってんだよ!!アイリーン様とルシアちゃんが守ってくれたんだ、おかげで生きていけりゃそれで十分だぁよ!!」
───村人の内の1人から、そんな言葉が飛んだ瞬間。
信長の表情が一瞬で、能面の如き「無」に変貌した。
「デ、アルカ」
「きゃあっ!?ち、ちょっと……!?」
即座に信長はアイリーンを担ぎ上げる。そのまま、まるで躊躇のない足取りで石台を降りると、今までの熱量が消え失せたが如く淡々と村の出口へ向かう。
「アイリーーーーーーン!!──ガグッ!?」
「邪魔よ」
「ルシア!?」
「ぐぅっ……ぅうっ………」
ルシアが飛びかかる。信長は冷たく一瞥をくれただけで無造作に剣を抜き放ち、振るう。突進の軌道上で火柱が屹立し、大蛇のごとく全身を波打たせてルシアを迎撃する。
直撃を受けて吹き飛ばされたルシアは背後の木に叩きつけられ、ズルズルと地面に落下する。なんとか意識は保っているものの、起き上がれる気配はない。
「(竜人族のルシアを、相性の悪い火炎魔法で叩きのめすなんて………!)
待って信長!貴方、ついさっきは“国盗り”に手を貸せって言ってたじゃない!なんで、突然こんな……」
「値せぬ」
……村人たちは、ルシアを一瞬で叩き伏せた信長の“本気”に震え上がり、アイリーンが攫われようとしていることに抵抗するどころか寧ろ後ずさり道を開けてしまっている。腰を抜かしている者も一人や二人ではない。
その有様に、信長の瞳が益々冷たくなる。
「お前の才覚を見て、最初は考えたさ。だが、今の言葉を聞いただろう。こ奴らは、今の自分が“生き延びる”ことしか考えておらん。
この世界に生きてきた者なれば、どんなに無学だろうとも魔法魔術の“礎”ぐらいは諳んじられよう。仮に本当に知らなんだら、そもその時点で度し難い愚物の集まりに他ならん」
「ひぃっ………」
そう吐き捨てつつ、信長はすぐ近くの村人の男を睨み据える。男は、情けない悲鳴をあげて縮こまる。
「……そして、知っている上で先の言葉を吐いたならば。この上なく醜い。
こ奴らとて、時を経る毎にお主の魔力がすり減っていってることなど解っていよう。纏った“癒し”の手段はなく、然としている時に戻る魔力なんざたかが知れている。つまり、どこかで終わりが、限りが来ることはこ奴らとて解っていたはずだ。
だがその実、口先では慕いつつ“領主”がまさに身を削って圧政を緩めてやっているのに、そこに甘んじて自らでは何も変えようとしない。獣の欲をもって奴等の手が領主を汚そうとも、薄い感謝を述べるのみで真の意味ではそこに力を貸さん。
挙句、領主の、二年間村を守ってきた恩人の純潔が散らされるは最早時期が早くなるか、遅くなるかの違いでしかないというのに、それを甘受すると宣う。
そのような腑抜けた連中、用いるに能わず。ただの、卑怯者よ」
「そんな……そんな言い方!!」
「暴れるな、お前を傷物にするとスケィビィが煩い」
怒り心頭になったアイリーンが信長の腕の中で藻掻くが、その細身の何処にそんな力がという膂力で押さえ込まれる。
「村人どもに“芯”が通っていたらお前の言ったように動くことも考えていたが……これではな。ならば、お前をスケィビィに売り渡して懐に入った方が手っ取り早い。
全く、無駄な刻を──」
「──待てよ!!」
叫び声が木霊した。信長の進路上に、1つの影が飛び出してその行く手を遮る。
炎のごとく鮮やかな橙色の髪を、ショートカットに切りそろえた少女が、信長の前で両手を広げて“通せんぼ”の姿勢を取る。
顔立ちの幼さから見るに、年の頃はまだ10台前半か。背も、信長やアイリーンより頭1つ半ほど低い。肉付きも決して良くはなく、大人たちが優先して食わせてはくれているのだろうがそれでも痩せぎすだ。細い体の線も相まって、信長との体格差は実際以上に大きく見える。
それでも、その少女は退くことなく、信長の前に立ちふさがり続ける。
「リナ………」
「ほぉう」
アイリーンが少女の名を呟く中、信長は少女──リナを見据える。冷え切っていた瞳に、僅かにだが温度が戻る。
「他の連中よりは肚ぁ座ってるな。
だが小娘、出るのが遅すぎだ。もう俺の“肚”も決まった。アイリーンはスケィビィに売り、俺は奴の懐に入る」
「ふざっけんな!!絶対そんな事させないからな!!」
「ならば、俺からアイリーンを助けたあとにどうする」
信長の冷徹な視線が、リナを射抜く。
「まず断言するが、お前らに俺を止める術はない。ルシアはあのざまで、残るお前らなんざ瞬き1つ2つしている間に全員炭に変えられる。
その上で、だ。仮にこのあと俺の気が変わるなりして、アイリーンをこの場に置きお前らを解放して去ったとしよう。
その後どうする。ラルカ村は、どのように生きていく」
「それは……!
で、でも!アイリーン様をスケィビィに渡すなんてダメだ!!今は無理でも、どこかで状況が変わるかも………」
「変わるかもしれんから、さらに領主に縋るのか?なんらアテのない救いの手を願い、魔力と心の両方を擦り減らさせる。はっ、大層な“恩返し”じゃねえか」
「そんな……言い方………!」
「言い方を変えたとて起きる事柄は変わらん。
先にも言ったが、仮に俺の“一揆”に乗らん場合、アイリーンも村もいつかすり潰される。それが明日になるか、数カ月後になるか、数年後になるかの違いでしかない。
何なら、俺にアイリーンを売らせた方がまだ双方助かる“目”はあるぞ。どのみち、俺ぁスケィビィを踏み台にするつもりなのは変わらんからな。奴を斬り国を盗る時期を早められれば………まぁー純潔は無理だろうが、アイリーンが正気を保っているうちには助けられるかも知れん」
「ふざけないでよ……!そんな、アイリーン様をただの道具としか見ていないような奴の言い草に、簡単に乗れるわけないじゃない!!アイリーン様のことも、アタシたちのことも、利用価値で判断しているようなアンタに!!」
「──それでも、何もせぬよりはマシだ」
悪辣に、残忍に、冷酷に、獰猛に。信長は、微笑みながらリナに向かって、村全体に向かって言い放つ。
「解りきっている破滅まで手を拱いているよりマシだ。
二年にも渡り村を守り、尊厳を許す範囲で犠牲にしてまでお前らの生を繋ぎ続けた一人の女を見殺しにするより、大分大分マシだ。
実をなさぬ感謝など口にしてお前らの心だけ満たすより、な」
「………………解っていたよ。アタシだって。アイリーン様にいつか限界が訪れるかもしれないことぐらい。
アタシらの“感謝”なんて、どんなに心の底から抱いていようが、何の行動も起こさないなら結局うわべだけで取ってつけたように礼を言ってんのと変わらないって」
信長からの、容赦なき現実の提起。理による徹底的な攻め。“二度目の生”を過ごす男と成人さえ迎えていない小娘の差異が明確に現れ、リナの目には大粒の涙が浮かぶ。
だがその眼は、それでも決して信長から逸らされはしなかった。
「ノブナガ、だっけ。アンタは強い人なんだろうね。魔法とか武術もそうだし、心もそうだってわかる。
それに比べりゃ、アタシたちは弱いよ。少なくとも、アンタみたいな強さはない」
すぅっと深呼吸をして、涙を拭い、よりまっすぐに信長を見返しつつ、言葉を続ける。
「それでも……此の村の皆が、アイリーン様に心の底から感謝してるのは本当なんだ。
………頼む、1日だけ、1日だけ時間をくれ。それまでに、アタシら全員、“肚を括る”から」
「リナ…………」
「…………………。よかろう」
「ウギギ………」
信長は、くるりと踵を返す。未だ起き上がれず苦悶の声を上げていたルシアを抱えると、アイリーン同様反対側の肩に担ぎ上げる。
「リナとやら。主の度胸に免じ、明朝まで待つ。明朝、古城の前に村の者共を集め返答を聞かせよ。
………ただし、それが最後の機会であることはゆめ肝に銘じ、答えを出せ」
そう言って、信長は広場に背を向け、古城へと歩み去る。
あとには村人たちと、今までの比に成らぬ程重い沈黙が残された。