君を守る、その理由   作:かなっち館長

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第二話 甘い再会と、冷たい銃口

 あの少年がもう一度、喫茶リコリコの扉を開けたのは、最初に来店してから数日後のことだった。

 

 時間は、前とほとんど同じ午後三時過ぎ。

 

 昼の忙しさが落ち着き、店内に少しだけのんびりとした空気が流れ始めた頃だった。

 

 その日は珍しく、ミズキが自分からテーブルを拭いていた。

 

「ミズキ、どうしたの?」

 

「何がよ」

 

「働いてる」

 

「私はいつも働いてるわよ!」

 

「えー?」

 

「その心底意外そうな顔をやめなさい」

 

 ミズキが布巾を握ったまま、こちらを睨む。

 

 私はカウンターの中でグラスを並べながら、うんうんとうなずいた。

 

「分かった。今日は特別な日なんだね」

 

「何も分かってないでしょ」

 

「ミズキが自発的に働いた記念日」

 

「千束、あんた本当に失礼ね」

 

「冗談だってばー」

 

「冗談なら何を言ってもいいと思ってる?」

 

「そんなこと思ってないよ。ミズキなら何を言っても許してくれると思ってる」

 

「もっと悪いわよ!」

 

 店内にミズキの声が響く。

 

 先生はカウンターの奥で、いつものように穏やかな顔をしながらコーヒー豆を挽いていた。

 

「先生、ミズキが怒ってる」

 

「怒らせたのは千束だろう」

 

「えー、先生まで」

 

「二対一ね」

 

 ミズキが勝ち誇ったように笑う。

 

 私は少しだけ考え、それから入口へ視線を向けた。

 

「じゃあ、お客さんが来たら味方になってもらおう」

 

「初対面の客を巻き込むんじゃないわよ」

 

 その直後だった。

 

 扉のベルが、からんと鳴った。

 

「ほら来た!」

 

「絶対巻き込む気でしょ」

 

 私が入口へ振り向くと、そこには見覚えのある少年が立っていた。

 

 落ち着いた色の服。

 

 きちんと整えられた髪。

 

 年齢より少し大人びて見える、穏やかな表情。

 

 数日前、チョコレートパフェをきれいに完食して帰っていった少年だった。

 

「あ!」

 

 私が声を上げると、少年はこちらを見た。

 

「どうも」

 

「来た!」

 

「来ましたね」

 

「本当に来た!」

 

「来ると言ったと思いますが」

 

 少年は少しだけ笑った。

 

 最初に店へ来たときと比べると、入口で立ち止まる時間が短い。店内を確認することもなく、自然に前回と同じ席へ歩いていく。

 

「いらっしゃいませー! 甘いものが大好きなお客さん!」

 

「勝手な肩書きをつけないでください」

 

「でも、今日はパフェを食べに来たんでしょ?」

 

「まだ何も言っていませんよ」

 

「違うの?」

 

 私が尋ねると、少年は椅子を引きながらわずかに黙った。

 

「……違うとは言っていません」

 

「やっぱり!」

 

「誘導されている気がします」

 

 少年が席に座る。

 

 私はすぐに水とおしぼりを持っていった。

 

「今日は何パフェにする?」

 

「パフェを頼むことは確定しているんですか?」

 

「もちろん」

 

「前回はチョコレートでしたよね」

 

「そうそう。今日は、いちごがおすすめ」

 

「それでは、いちごパフェを」

 

 あまりにも素直に注文されて、今度は私が少し驚いた。

 

「もう頼むの?」

 

「おすすめなのでしょう?」

 

「そうだけど」

 

「もしかして、迷ってほしかったんですか?」

 

「ちょっとだけ」

 

「面倒な店員ですね」

 

「お客さん、前より遠慮がなくなってない?」

 

「店の雰囲気に慣れただけです」

 

「つまり、リコリコに馴染んだってことだね」

 

「二度目で馴染んだことになるのでしょうか」

 

「うちは一度来たら常連だから」

 

「ずいぶん基準が緩いですね」

 

 少年は楽しそうに返してくる。

 

 数日前と同じだ。

 

 落ち着いていて、丁寧な話し方なのに、冗談を向ければすぐに返してくれる。

 

 私はカウンターへ向かい、先生に注文を伝えた。

 

「先生、いちごパフェ一つ!」

 

「分かった」

 

「あら、本当に来たのね」

 

 ミズキが少年を見て言う。

 

「こんにちは」

 

「いらっしゃい。千束に無理やり来させられたんじゃないでしょうね?」

 

「今のところ、そのような事実はありません」

 

「今のところ?」

 

「帰るまでに何が起きるか分かりませんので」

 

 少年が真顔で答える。

 

 ミズキが吹き出した。

 

「君、やっぱり面白いわね」

 

「ありがとうございます」

 

「褒めてるのよ」

 

「分かっています」

 

 私はカウンターに両手をついた。

 

「ちょっと待って。二人だけで仲良くならないでよ」

 

「あんたが引き合わせたんでしょ」

 

「そうだけど、私を置いていくのは禁止」

 

「面倒ね」

 

「ミズキに言われたくない」

 

「どういう意味よ」

 

 またミズキが睨んでくる。

 

 少年は私たちを眺めながら、水を一口飲んだ。

 

「ところで」

 

 私は少年の正面へ回った。

 

「はい」

 

「名前」

 

「名前?」

 

「前に聞くの忘れたから」

 

「ああ」

 

「私は錦木千束。覚えてる?」

 

「はい。前回、ご自分で看板娘と名乗っていましたので」

 

「自称じゃないよ」

 

「誰かから正式に任命されたんですか?」

 

「私が私を任命した」

 

「それは自称です」

 

「また正論で刺してくる!」

 

 私は胸を押さえた。

 

 少年は小さく笑う。

 

「それで、名前は?」

 

「押村奏斗です」

 

 少年はそう答えた。

 

「おしむら、かなと」

 

 私は確かめるように繰り返した。

 

「はい」

 

「奏でるに、北斗の斗?」

 

「そうです」

 

「奏斗かぁ」

 

 声に出してみる。

 

 なんとなく、少年の雰囲気に合っている気がした。

 

 落ち着いているけれど、少し柔らかさもある。

 

「じゃあ、奏斗君」

 

「君は必要ありません」

 

「え?」

 

「年齢も一つしか違いませんし、奏斗で構いません」

 

 私は少しだけ目を丸くした。

 

「いいの?」

 

「名前を聞いておいて、毎回お客さんと呼ぶつもりだったんですか?」

 

「甘いものが大好きなお客さん」

 

「もっと長くなっていますよ」

 

「じゃあ奏斗」

 

「はい」

 

 呼ぶと、すぐに返事が返ってくる。

 

 それだけのことなのに、少しだけ距離が縮まった気がした。

 

「奏斗は私のこと千束でいいよ」

 

「前回から、あなたが何度も自分の名前を口にしていたので、すでに覚えています」

 

「じゃあ呼んでみて」

 

「なぜですか?」

 

「名前を覚えてるか確認」

 

「今、覚えていると言いましたが」

 

「いいからいいから」

 

 奏斗は少しだけ困ったように私を見る。

 

 それから、ため息をつくほどでもない小さな息を吐いた。

 

「千束さん」

 

「さん付け?」

 

「基本的に敬語ですので」

 

「同い年みたいなものなのに」

 

「一つ違います」

 

「一つしか、でしょ?」

 

「では、錦木さんで」

 

「遠くなった!」

 

 ミズキが隣で笑う。

 

「何よ、呼び捨てにしてほしいの?」

 

「せっかく名前を教えたんだから、仲良さそうな方がいいじゃん」

 

「二回目の客に距離を詰めすぎよ」

 

「じゃあミズキは?」

 

 奏斗へ視線を向ける。

 

「ミズキさん、と呼びます」

 

「ほら!」

 

 ミズキが得意そうに腕を組んだ。

 

「それが普通なのよ」

 

「じゃあ先生は?」

 

「店長さん、でしょうか」

 

「先生だよ」

 

「学校の先生なのですか?」

 

「違うけど先生」

 

「説明になっていませんよ」

 

「私の先生だから先生」

 

 奏斗はカウンターの奥にいる先生を見る。

 

 先生は小さく会釈した。

 

「ミカです。千束がいつも世話になっています」

 

「逆だよ。私が先生の世話をしてる」

 

「どの口が言うのよ」

 

 ミズキがすぐに突っ込む。

 

 奏斗はほんの少し考えてから、先生へ頭を下げた。

 

「押村奏斗です。先日もお世話になりました」

 

「こちらこそ。よく来てくれた」

 

「千束が騒がしくなかった?」

 

 ミズキが尋ねる。

 

「それなりに」

 

「奏斗!」

 

「嘘は言えませんので」

 

「でも、また来たじゃん」

 

「パフェがおいしかったので」

 

「私じゃなくてパフェ目当て?」

 

「それ以外に何があると思ったんですか?」

 

「ひどい!」

 

 私が机に突っ伏すと、奏斗が少しだけ笑った。

 

「冗談です」

 

「え?」

 

「店の雰囲気も良かったので、また来ました」

 

「……おお」

 

 不意に真っすぐ言われて、私は顔を上げる。

 

「何ですか?」

 

「いや、奏斗って、そういうこと普通に言うんだなって」

 

「どういうことです?」

 

「もっと照れて言わないタイプかと思ってた」

 

「事実を言っただけです」

 

「そういうとこ大人っぽいよね」

 

「また三十四歳ですか?」

 

「今日は二十九歳くらい」

 

「少し若返りましたね」

 

「パフェを食べると十七歳になる」

 

「実年齢です」

 

 先生が完成したパフェをカウンターに置く。

 

 私はそれを受け取り、奏斗の前へ運んだ。

 

「お待たせしました! いちごパフェです!」

 

 透明なグラスの中に、いちごアイス、バニラアイス、スポンジ、生クリームが重なっている。

 

 上には鮮やかな赤いいちごが何粒も並び、いちごソースがかかっていた。

 

 奏斗の視線が、パフェへ向く。

 

 表情は大きく変わらない。

 

 でも、少しだけ目元が柔らかくなる。

 

「今、十七歳になった」

 

「ずっと十七歳です」

 

「うれしそう」

 

「パフェを注文したのですから、届けばうれしいでしょう」

 

「素直になったね」

 

「前回も否定はしていなかったと思います」

 

「甘いもの好き?」

 

 奏斗はスプーンを手に取った。

 

「好きですよ」

 

「認めた!」

 

「二回も来てパフェを食べているのに、今さら隠す意味がありません」

 

「じゃあ、かなり好き?」

 

「かなり好きです」

 

「すっごく好き?」

 

「質問が子供っぽくなっていますよ」

 

「いいから」

 

 奏斗は私の顔を見る。

 

「そうですね。すっごく好きです」

 

「やった!」

 

「何に勝ったんですか?」

 

「奏斗の素直じゃない心」

 

「勝手に戦いを始めないでください」

 

「千束は勝負事になるとうるさいのよ」

 

 ミズキが横から言う。

 

「うるさくないよ。全力なだけ」

 

「じゃんけんでも本気出すじゃない」

 

「勝負は勝負だからね」

 

「大人げないのよ」

 

「十六歳だもん」

 

「都合のいいときだけ子供になるわね」

 

 奏斗はいちごとアイスを一緒にすくい、口へ運んだ。

 

 前回と同じように、食べた瞬間だけ少し表情がほどける。

 

「どう?」

 

「おいしいです」

 

「チョコとどっちが好き?」

 

「難しい質問ですね」

 

「そんなに?」

 

「どちらにも良さがありますので」

 

「真剣に考えてる」

 

「甘いものに対しては真面目なのね」

 

 ミズキが感心したように言う。

 

「好きなものくらい、真面目に選んでもいいでしょう」

 

「いいこと言うね」

 

 私が言うと、奏斗はスプーンを止めた。

 

「ですが、どちらか一つならチョコレートです」

 

「決めるんだ」

 

「聞いたのは千束さんですよ」

 

「またさん付け」

 

「そこが気になるんですか?」

 

「気になる」

 

「では、千束」

 

 何でもないように呼ばれた。

 

 あまりにも自然だったから、私は一瞬だけ反応が遅れた。

 

「……うん」

 

「どうしました?」

 

「いや」

 

 私はすぐに笑う。

 

「やればできるじゃん」

 

「名前を呼んだだけですよ」

 

「その名前を呼ぶのが大事なんだよ」

 

「そういうものですか」

 

「そういうもの!」

 

 奏斗は少しだけ首を傾げたが、それ以上は何も言わなかった。

 

 そのあとも、私たちは他愛のない話をした。

 

 最近見た映画。

 

 駅前に新しくできた店。

 

 甘いものと辛いものならどちらが好きか。

 

 犬と猫ならどちらが好きか。

 

 奏斗はどんな話題でも、少し考えてからきちんと答えた。

 

 会話を切ろうとしない。

 

 こちらが冗談を言えば、真面目な顔で冗談を返す。

 

「奏斗って学校でも人気ありそう」

 

 私が何気なく言うと、奏斗は少しだけ目を伏せた。

 

「どうでしょう」

 

「友達多いでしょ?」

 

「普通です」

 

「その普通が分からないんだよ」

 

「必要な会話はしますし、冗談も言います」

 

「今みたいに?」

 

「今よりは少し控えます」

 

「私相手だと遠慮してないってこと?」

 

「遠慮してほしいですか?」

 

「全然」

 

「では、このままで」

 

 それは何気ない会話だった。

 

 でも、私は少しうれしかった。

 

 奏斗がこの店では、無理に取り繕わず話してくれているように思えたからだ。

 

 もちろん、まだ二度しか会っていない。

 

 何をしているのかも、普段どこにいるのかも知らない。

 

 それでも、悪い人ではないと思った。

 

 少なくとも、甘いものを食べているときの奏斗は、とても普通の十七歳だった。

 

「ごちそうさまでした」

 

 奏斗は今回もパフェをきれいに食べ切った。

 

「次は何にする?」

 

「もう次の話ですか?」

 

「次は抹茶にしよう」

 

「私に選択権はないのですか?」

 

「あるよ。抹茶か、抹茶以外」

 

「ほとんど誘導ですね」

 

「じゃあ何がいい?」

 

「そのとき決めます」

 

「また来るんだ?」

 

 私が笑うと、奏斗は少しだけ間を置いた。

 

「甘いものが食べたくなれば」

 

「食べたくならなくても来ていいよ」

 

「喫茶店なのに、注文しなくてもいいのですか?」

 

「何かは頼んで」

 

「結局、注文は必要なんですね」

 

「お店だからね」

 

「急に現実的ですね」

 

 会計を済ませ、奏斗は入口へ向かう。

 

 私は扉の近くまでついていった。

 

「またね、奏斗」

 

「はい」

 

「次は抹茶パフェだからね」

 

「検討します」

 

「絶対だよ」

 

「努力します」

 

「なんでパフェを食べるのに努力がいるの?」

 

 奏斗は扉を開ける。

 

 ベルが鳴る。

 

「では、また」

 

「うん。またね!」

 

 奏斗は一度だけ振り返り、小さく笑った。

 

 それから午後の街へ歩いていった。

 

「完全に常連扱いね」

 

 背後からミズキの声がする。

 

「二回来たからね」

 

「前は一回来たら常連って言ってなかった?」

 

「二回来たら超常連」

 

「基準がどんどんおかしくなってるわよ」

 

 私は閉じた扉を見ながら笑った。

 

 次はいつ来るだろう。

 

 そのときは、また少しだけ奏斗のことを知れるかもしれない。

 

 そう思っていた。

 

 その日の夜に、まったく別の形で奏斗と会うことになるなんて、もちろん考えてもいなかった。

 

     ◇

 

 夜。

 

 任務先は、港に近い倉庫街だった。

 

 海から吹く風が冷たい。

 

 大きな倉庫がいくつも並び、錆びた金属の匂いと潮の匂いが混じっている。

 

 街灯は少なく、辺りは薄暗い。

 

 私は倉庫の屋根に伏せ、下の様子を確認していた。

 

 今夜の対象は、違法な銃器の取引に関わっている男たち。

 

 確認できるのは五人。

 

 一人は倉庫の入口。

 

 二人は車のそば。

 

 残り二人は倉庫の中にいる。

 

『千束、状況は?』

 

 通信機から先生の声が聞こえる。

 

「対象は五人。情報どおりだね」

 

『武器は?』

 

「全員持ってる。たぶん倉庫の中にもあるよ」

 

『無理に制圧する必要はない。取引の確認だけでも構わない』

 

「でも、放っておいたら危ないでしょ?」

 

『千束』

 

「大丈夫。いつもどおり、全員生かして終わらせるから」

 

 私は屋根の端から下を見た。

 

 倉庫の入口にいる男が煙草を捨てる。

 

 車のそばにいる二人が、周囲を確認し始めた。

 

 取引が終わり、移動するつもりだろう。

 

「それじゃ、行ってきまーす」

 

 屋根から飛び降りる。

 

 途中の配管をつかみ、勢いを落として地面へ着地した。

 

 小さな音が響く。

 

 近くにいた男が振り返る。

 

「誰だ!」

 

「こんばんはー」

 

 私は笑顔で手を上げた。

 

「こんな時間までお仕事? 大変だね」

 

「ガキが、どこから入った!」

 

「普通に上から」

 

「上?」

 

 男が屋根を見上げる。

 

「嘘。今のうちに逃げようとしてるでしょ」

 

 車のそばにいた二人が銃へ手を伸ばした。

 

 肩の動き。

 

 肘の角度。

 

 視線。

 

 撃つ順番まで分かる。

 

 私は地面を蹴った。

 

 銃声が響く。

 

 一発目を右へかわし、二発目を体を沈めて避ける。

 

 そのまま距離を詰め、一人目の腕へ発砲。

 

「ぐあっ!」

 

 男が拳銃を落とす。

 

 さらに腹部へ二発。

 

 男が地面に崩れた。

 

「一人!」

 

「こいつ、リコリスか!」

 

「正解!」

 

 私は振り返る。

 

 背後から撃たれた弾丸が、髪のすぐ横を通り過ぎた。

 

 銃口の向きを見て、半歩ずれる。

 

 それだけで当たらない。

 

 男の懐へ踏み込み、銃を持つ手首を払う。

 

 肘を腹へ打ち込み、姿勢が崩れたところで胸元へ二発撃った。

 

「二人目!」

 

 倉庫の中から残りの男たちが飛び出してくる。

 

 三人。

 

 一人は拳銃。

 

 一人は短機関銃。

 

 最後の一人は、黒いケースを抱えていた。

 

「逃がすな!」

 

 短機関銃がこちらを向く。

 

 私は車の陰へ滑り込んだ。

 

 激しい銃声。

 

 車体に弾丸が当たり、火花が散る。

 

「危ないなぁ」

 

 私は車の下へ一度視線を向けた。

 

 男たちの足の位置を確認する。

 

 銃撃が止まる瞬間に車の陰から飛び出す。

 

 短機関銃を持つ男の腕へ三発。

 

 非致死弾が当たり、銃口が上へ跳ねる。

 

 そのまま走り込み、男の膝を蹴った。

 

 倒れたところへ追加で一発。

 

「撃ちすぎかも」

 

 でも、生きている。

 

 問題なし。

 

 拳銃を持った男が逃げながら発砲する。

 

 私は銃弾をかわし、その背中を追った。

 

 倉庫と倉庫の間にある狭い通路へ入る。

 

 男は振り返りながら何度も撃つ。

 

 焦っている。

 

 狙いは雑だ。

 

 かわすのは難しくない。

 

「待ってー!」

 

「来るな!」

 

「じゃあ銃を捨ててよ!」

 

「ふざけるな!」

 

「真面目に言ってるんだけどなぁ」

 

 男の弾が切れる。

 

 スライドが後退したまま止まった。

 

 男は顔色を変え、拳銃を投げ捨てる。

 

 そして腰からナイフを抜いた。

 

「まだやるの?」

 

「うるさい!」

 

 男が突っ込んでくる。

 

 右手の動き。

 

 足の運び。

 

 狙いは腹。

 

 私は半身になって刃をかわし、男の手首をつかんだ。

 

 そのまま体を回転させ、腕をひねり上げる。

 

 ナイフが落ちる。

 

「ぐっ!」

 

「はい、終わり」

 

 私は男の背中を壁へ押しつけ、拘束具を取り出した。

 

 腕を後ろへ回す。

 

 あとは拘束するだけ。

 

 その瞬間だった。

 

 乾いた銃声が響いた。

 

「え?」

 

 私が押さえていた男の体が大きく揺れた。

 

 胸元から血が飛び散る。

 

 男は力を失い、その場に崩れ落ちた。

 

「ちょっと!」

 

 私はすぐに身を低くする。

 

 別方向から、続けて銃声が響く。

 

 黒いケースを抱えて逃げようとしていた男の背中が撃ち抜かれる。

 

 男は数歩よろめき、地面に倒れた。

 

 遠くから、さらに二発。

 

 先ほど私が倒した男たちのうち、まだ動こうとしていた者へ正確に命中する。

 

 一発ずつ。

 

 急所を狙った迷いのない射撃。

 

 動いていた男たちが、完全に沈黙する。

 

「誰!」

 

 私は銃を構え、弾が飛んできた方向を見る。

 

 倉庫の屋根。

 

 月明かりの下に、一つの人影が立っていた。

 

 少年のように見える。

 

 人影は屋根の端から飛び降りる。

 

 地面へ着地し、ゆっくりこちらへ歩いてくる。

 

 暗がりから姿を現したその顔を見て、私は息を止めた。

 

「……奏斗?」

 

 数時間前、リコリコでいちごパフェを食べていた少年。

 

 押村奏斗。

 

 今は昼間と違う、黒を基調とした服を身につけていた。

 

 その手には拳銃。

 

 表情はない。

 

 店で冗談を返し、パフェを食べて笑っていた顔から、すべての感情が消えている。

 

「どうして……」

 

 奏斗は答えない。

 

 静かに周囲を見る。

 

 倒れている男たちを一人ずつ確認する。

 

 私が非致死弾で倒した者。

 

 奏斗が銃弾で撃ち抜いた者。

 

 さっきまで動いていた男たちは、もう誰一人として動かない。

 

「何で撃ったの?」

 

 私は倒れた男へ駆け寄った。

 

 首元へ手を当てる。

 

 脈はない。

 

 呼吸もしていない。

 

「この人、もう抵抗できなかったのに」

 

「対象だったからです」

 

 奏斗が初めて口を開いた。

 

 声は、昼間と同じように落ち着いていた。

 

 けれど、そこに柔らかさはない。

 

「対象?」

 

「排除対象です」

 

「だからって、殺さなくてもよかったでしょ」

 

「生かす理由もありません」

 

 奏斗の答えは早かった。

 

 迷いがない。

 

 まるで、それが当たり前だと言うように。

 

 私は立ち上がる。

 

「あるよ」

 

「何がですか?」

 

「生きてるんだから、生かす理由はある」

 

「犯罪者です」

 

「犯罪者でも人でしょ」

 

「彼らが運んでいた武器で、これから多くの人間が殺される可能性がありました」

 

「だから止めた。もう動けないようにした」

 

「再び同じことをしない保証はありません」

 

「そんなの――」

 

 言いかけた瞬間、奏斗の拳銃が動いた。

 

 銃口が、まっすぐ私へ向けられる。

 

 私は反射的に自分の銃を構えた。

 

 互いの銃口が、相手を狙う。

 

 夜の倉庫街に、冷たい風が吹き抜ける。

 

「奏斗」

 

「なぜ殺さないのですか?」

 

 奏斗の声は静かだった。

 

 怒っているわけでもない。

 

 責めているようにも聞こえない。

 

 本当に分からないから尋ねている。

 

 そんな声だった。

 

「さっき言ったでしょ。命は大事だから」

 

「あなたはDAのリコリスです」

 

 その言葉に、私は目を細めた。

 

「……知ってるんだ」

 

「はい」

 

「いつから?」

 

「最初に店へ行ったときには、知りませんでした」

 

「じゃあ、いつ?」

 

「その後です」

 

 奏斗は銃口を下げない。

 

「錦木千束。ファーストリコリス。七歳のとき、旧電波塔事件の解決に関わった。現在はDA本部を離れ、喫茶リコリコを拠点に活動している」

 

「ずいぶん詳しく調べたね」

 

「必要な情報でしたので」

 

「今日、店に来たのも?」

 

「任務とは無関係です」

 

「本当に?」

 

「パフェを食べに行っただけです」

 

 こんな状況なのに、その答えがあまりにも奏斗らしくて、私は少しだけ力が抜けそうになった。

 

「そこは普通なんだ」

 

「甘いものが好きなのは事実です」

 

「銃を向けながら言うことじゃないよ」

 

「先に構えたのは千束です」

 

「先に人を撃ったのは奏斗でしょ」

 

「排除対象を処理しただけです」

 

 また同じ言葉。

 

 排除対象。

 

 処理。

 

 奏斗は、倒れている人たちを人間として見ていないわけじゃない。

 

 でも、任務の対象になった瞬間、それ以外のすべてを切り捨てている。

 

 そう見えた。

 

「奏斗は何者なの?」

 

 私は尋ねる。

 

 奏斗の目がわずかに細くなる。

 

「リリベルです」

 

「リリベル……」

 

 聞いたことはある。

 

 DAが運用する男性エージェント。

 

 リコリスとは別の系統に属する、少年たちの部隊。

 

 詳しい情報は、私もほとんど知らない。

 

 同じDAに関係しているはずなのに、普段は接点がない。

 

「本当にいたんだ」

 

「こちらも同じ感想です。史上最強のリコリスが、喫茶店で自分を看板娘と呼んでいるとは思いませんでした」

 

「そこはいいでしょ」

 

「事実を述べただけです」

 

「じゃあ、私を撃つの?」

 

 私は奏斗の銃口を見る。

 

「リコリスとリリベルって、会ったら戦う決まりでもある?」

 

「そのような規則はありません」

 

「じゃあ下ろしてよ」

 

「千束が先に下ろしてください」

 

「奏斗が先」

 

「子供の喧嘩ではありませんよ」

 

「一つしか違わないじゃん」

 

「今は年齢の話をしていません」

 

 真面目な顔でツッコミが返ってくる。

 

 昼間と同じ。

 

 でも、目の前には死体がある。

 

 奏斗の手にある銃は、私を確実に撃てる位置に向けられている。

 

 私は奏斗の体を見る。

 

 視線。

 

 肩。

 

 指。

 

 引き金を引く気配は、今のところない。

 

 本当に撃つつもりなら、すでに撃っているはずだ。

 

 奏斗も、おそらく私が同じように観察していると分かっている。

 

「私は奏斗を撃たないよ」

 

「なぜですか?」

 

「友達だから」

 

「二度会っただけですが」

 

「二回来たら超常連だよ」

 

「店の基準を人間関係にも適用しないでください」

 

「じゃあ知り合い」

 

「それなら理解できます」

 

「細かいなぁ」

 

 私はゆっくり銃口を下げた。

 

 奏斗は少しだけ私の動きを見つめたあと、自分の銃も下ろした。

 

 張りつめていた空気が、わずかに緩む。

 

「奏斗」

 

「はい」

 

「殺す以外にも方法はあるよ」

 

「非致死弾ですか?」

 

「それだけじゃない。拘束して、武器を取り上げて、もう悪いことができないようにすればいい」

 

「逃亡する可能性があります」

 

「そのときは、また捕まえる」

 

「効率が悪いですね」

 

「命に効率なんて関係ないよ」

 

 奏斗は黙った。

 

 無表情のまま、私を見ている。

 

「奏斗は、何とも思わないの?」

 

「何についてですか?」

 

「人を殺すこと」

 

「必要な行為です」

 

「そうじゃなくて、奏斗自身はどう思ってるの?」

 

 少しだけ間が空いた。

 

 初めて、奏斗の返事が遅れた。

 

「任務に個人の感情は必要ありません」

 

「でも、あるでしょ」

 

「必要がないので、考えません」

 

「それって、ないんじゃなくて隠してるだけじゃない?」

 

 奏斗の目が、ほんのわずかに変わった。

 

 怒ったわけでも、焦ったわけでもない。

 

 でも、私の言葉が少しだけ内側へ届いたように見えた。

 

「千束は、敵の感情まで考えるのですか?」

 

「全部は分からないよ。でも、生きたいとは思ってるかもしれない」

 

「彼らに殺された人間も、生きたいと思っていたはずです」

 

「うん」

 

「それでも殺さないのですか?」

 

「殺さない」

 

 私は即答した。

 

「私は、誰かを殺して平和を守るより、みんな生きたまま終わる方法を探したい」

 

「理想論です」

 

「理想でいいよ」

 

「実現できなければ意味がありません」

 

「だから実現させるの。私、強いから」

 

 自分で言って笑う。

 

 奏斗は笑わなかった。

 

 けれど、呆れたような小さな息を吐いた。

 

「自信がありますね」

 

「史上最強らしいからね」

 

「自分で言いますか」

 

「有名なんでしょ?」

 

「少なくとも、リコリスとリリベルの間では」

 

「奏斗も私のファン?」

 

「違います」

 

「即答!」

 

「事実ですので」

 

「傷つくなぁ」

 

 胸を押さえてみせる。

 

 奏斗は無表情のまま私を見る。

 

「その反応も演技ですね」

 

「ばれた?」

 

「先ほどまで私に銃を向けていた人が、その程度で傷つくとは思えません」

 

「奏斗、私のこと分かってきたね」

 

「分かりやすいだけでは?」

 

「えー」

 

 奏斗は周囲へ視線を向けた。

 

 遠くから、車両の音が近づいてくる。

 

 後処理の部隊だろう。

 

「私は行きます」

 

「もう?」

 

「ここに長くいる理由はありません」

 

「先生たちに会っていけば?」

 

「この状況で喫茶店へ戻るつもりですか?」

 

「戻るよ。帰る場所だもん」

 

「そうですか」

 

 奏斗は拳銃を収め、背を向けた。

 

「待って」

 

 私が呼び止める。

 

 奏斗の足が止まった。

 

 振り返りはしない。

 

「もうリコリコには来ない?」

 

「……なぜそう思うのですか?」

 

「私の正体を知ったし。私も奏斗の正体を知ったから」

 

「それが理由になりますか?」

 

「奏斗は気まずいかなって」

 

「千束は気まずいのですか?」

 

「ちょっとびっくりした。でも、昼間の奏斗まで嘘だったとは思ってないよ」

 

 奏斗は何も言わない。

 

「甘いものが好きなのも、本当なんでしょ?」

 

「はい」

 

「パフェがおいしかったのも?」

 

「本当です」

 

「私たちと話して楽しかったのも?」

 

 少しだけ沈黙が続いた。

 

 夜風が、奏斗の服を揺らす。

 

「……本当です」

 

「じゃあ、また来なよ」

 

 奏斗がゆっくり振り返る。

 

 無表情に見える。

 

 でも、その目には少しだけ迷いがあった。

 

「私たちは、考え方が違います」

 

「そうだね」

 

「次に任務で会えば、敵になる可能性もあります」

 

「そのときは、そのとき考える」

 

「ずいぶん軽いですね」

 

「明日のことばっかり考えてたら、今日が楽しくないじゃん」

 

「今日、銃を向け合ったばかりですが」

 

「でも昼は一緒にパフェ食べた」

 

「私は一人で食べていました」

 

「細かいことはいいの!」

 

 私は奏斗へ笑いかけた。

 

「リコリコにいるときは、リリベルとかリコリスとか関係ないよ。奏斗は甘いものが好きなお客さん。私は看板娘」

 

「自称の」

 

「そこは言わなくていい!」

 

 奏斗の口元が、ごくわずかに動いた。

 

 笑った。

 

 ほんの一瞬だったけれど、昼間と同じ笑い方だった。

 

「次は抹茶パフェだったね」

 

「まだ決めていません」

 

「約束したじゃん」

 

「検討すると言いました」

 

「検討した結果、抹茶ね」

 

「勝手に結論を出さないでください」

 

「じゃあ、来てから決めよう」

 

 奏斗は私を見つめた。

 

 そして、小さく息を吐く。

 

「機会があれば」

 

「それ、前にも言った」

 

「では、また行きます」

 

「うん!」

 

 私は大きく手を振った。

 

「待ってるからね、奏斗!」

 

 奏斗は答えなかった。

 

 けれど、立ち去る前に一度だけ、小さくうなずいた。

 

 そのまま暗い倉庫街の奥へ歩いていく。

 

 黒い服が夜の闇に溶け、やがて姿が見えなくなった。

 

 私はしばらく、その方向を見つめていた。

 

 昼間はパフェを食べながら、真面目な顔で冗談を言っていた。

 

 夜は同じ顔で人を撃ち、私へ銃を向けた。

 

 どちらが本当の奏斗なのだろう。

 

 たぶん、どちらも本当だ。

 

 甘いものが好きで、会話も上手で、笑うこともできる十七歳の少年。

 

 そして、命令された対象を迷わず排除するリリベル。

 

 私は倒れている男たちを見る。

 

 助けることは、もうできない。

 

 少しだけ胸が痛んだ。

 

 でも、奏斗を責めるだけでは何も変わらない。

 

 奏斗がなぜそうするのか。

 

 何を考えているのか。

 

 まだ、私は何も知らない。

 

「……また来るって言ったもんね」

 

 誰に言うでもなく呟く。

 

 次に店へ来たら、普通に迎えよう。

 

 抹茶パフェをすすめて、またくだらない話をする。

 

 その中で少しずつ、奏斗のことを知ればいい。

 

 もしかしたら、奏斗もいつか、私が殺さない理由を少しだけ分かってくれるかもしれない。

 

『千束、聞こえるか?』

 

 通信機から先生の声が聞こえた。

 

「あ、先生」

 

『銃撃を確認した。状況を報告しなさい』

 

「えーっとね」

 

 私は少し考える。

 

 リリベルの奏斗と会った。

 

 奏斗が対象を殺した。

 

 銃を向け合い、価値観について話した。

 

 そして、またリコリコに来るよう誘った。

 

 全部をそのまま話したら、先生はどんな顔をするだろう。

 

「ちょっと長くなるかも」

 

『構わない』

 

「それと、怒らないで聞いてね」

 

『内容による』

 

「先に約束してよー」

 

『千束』

 

「はーい。話します」

 

 私は歩き始めた。

 

 夜の倉庫街を抜け、喫茶リコリコへ戻るために。

 

 足取りは少しだけ重かった。

 

 けれど、不思議と気持ちは沈み切っていなかった。

 

 奏斗は、また来ると言った。

 

 あの言葉が本当なら、次に会う場所は銃弾が飛び交う倉庫ではない。

 

 コーヒーの香りがして、先生がいて、ミズキが騒いでいる喫茶店だ。

 

 そこでなら、きっとまた笑える。

 

 敵になるかもしれない少年に、私は次のパフェをすすめる。

 

 それが正しいかどうかなんて、まだ分からない。

 

 でも、正しいかどうかは明日考えればいい。

 

 今日の私は、奏斗にまた来てほしいと思った。

 

 だから、そう伝えた。

 

 それで十分だった。

 

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