君を守る、その理由   作:かなっち館長

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第二十話 遥斗様

 朝。

 

 錦木千束は、ゆっくりと目を開けた。

 

 最初に見えたのは、見慣れたセーフハウスの天井ではなかった。

 

 喫茶リコリコの休憩室でもない。

 

 自分の部屋でもない。

 

 押村奏斗の部屋。

 

 その天井だった。

 

「……」

 

 ぼんやりとした頭が、少しずつ覚醒していく。

 

 カーテンの隙間から朝の光が差し込んでいる。

 

 部屋は静か。

 

 外を走る車の音が、遠くから小さく聞こえる。

 

 そして隣には、奏斗が眠っていた。

 

 千束は一瞬、何も考えられなかった。

 

 次の瞬間。

 

 昨夜の記憶が、まとめて押し寄せてきた。

 

 遥斗。

 

 セーフハウス。

 

 強引なキス。

 

 怒り。

 

 奏斗へ戻ってこいと叫んだこと。

 

 自分から奏斗へキスしたこと。

 

 奏斗の家へ戻ったこと。

 

 告白。

 

 俺の女になってください。

 

 それに自分が、うん、と答えたこと。

 

 そして、その後。

 

「……っ」

 

 千束は布団の中で小さく丸まった。

 

 顔が熱い。

 

 耳まで熱い。

 

 昨日の自分は、何を言ったのか。

 

 何をしたのか。

 

 思い出すだけで、布団を頭までかぶって叫びたくなる。

 

 でも、叫べない。

 

 隣で奏斗が寝ている。

 

 その奏斗の寝顔が、また妙に穏やかだった。

 

 いつも冷静で、何かと理屈っぽくて、すぐに「必要性が」とか「合理的に」とか言う奏斗。

 

 昨日は何度も照れて、何度も千束の名前を呼んだ。

 

 好きだと言ってくれた。

 

 千束を選んだと言ってくれた。

 

 その顔を思い出すと、また胸が苦しくなる。

 

「……ずるい」

 

 千束は小さく呟いた。

 

 寝ている奏斗は、当然返事をしない。

 

 千束は少しだけ体を起こし、奏斗の顔を覗き込んだ。

 

 寝息は静か。

 

 表情も穏やか。

 

 本当に眠っているように見える。

 

 昨日、あれだけ色々あったのに。

 

 自分だけがこんなに恥ずかしくなっているのが、少し悔しかった。

 

「奏斗」

 

 小声で呼ぶ。

 

 反応なし。

 

「寝てる?」

 

 反応なし。

 

 千束はしばらく見つめる。

 

 そして、ゆっくり顔を近づけた。

 

 昨日は自分からした。

 

 でも、今はまた違う。

 

 朝の光の中。

 

 眠っている奏斗へ、そっと。

 

 唇が触れる。

 

 ほんの一瞬。

 

 軽いキス。

 

 千束はすぐに離れようとした。

 

「……おはようございます」

 

 奏斗の声がした。

 

「ひゃっ!?」

 

 千束は飛び上がりそうになった。

 

 その勢いで、布団が大きく揺れる。

 

 奏斗は目を開けていた。

 

 いつから起きていたのか。

 

 表情はいつもどおりに見える。

 

 でも、耳が少し赤い。

 

「起きてたの!?」

 

「少し前から」

 

「何で寝たふりしてたの!」

 

「千束が起きた様子だったので、声をかけるタイミングを考えていました」

 

「絶対嘘!」

 

「事実です」

 

「じゃあ、今の」

 

「はい」

 

「分かってて?」

 

「はい」

 

 千束の顔が一気に熱くなる。

 

「起きてたなら言ってよ!」

 

「言う前に千束が」

 

「言わないで!」

 

「分かりました」

 

「もう!」

 

 千束は布団をかぶり、奏斗に背中を向けた。

 

 朝から何をしているのか。

 

 完全に見られた。

 

 いや、受け止められた。

 

 恥ずかしい。

 

 恥ずかしすぎる。

 

「千束」

 

「何?」

 

「嫌ではありませんでした」

 

「そういうこと言わないで!」

 

「言うべきかと」

 

「言わなくていい!」

 

「では、嫌だったと言った方が?」

 

「それはもっと嫌!」

 

「難しいですね」

 

「奏斗の変態!」

 

「今の流れで私が変態扱いされるのですか?」

 

「起きてたのに黙ってたから!」

 

「千束が勝手に」

 

「勝手って言わない!」

 

「では、千束が自主的に」

 

「もっと恥ずかしい!」

 

 奏斗が小さく笑った。

 

 千束は布団から目だけ出す。

 

「今笑った」

 

「はい」

 

「認めた」

 

「かわいかったので」

 

 千束は完全に固まった。

 

「……奏斗」

 

「はい」

 

「昨日から、そういうこと言うの反則」

 

「思ったことを言っただけです」

 

「反則!」

 

「では、言わない方が?」

 

「言って」

 

「どちらですか?」

 

「私が困るけど、言って」

 

「分かりました」

 

「やっぱり今は言わないで」

 

「はい」

 

 奏斗は少し困った顔をした。

 

 その顔を見て、千束は布団の中で小さく笑った。

 

 この人が好きだ。

 

 そう思うと、昨夜の不安も、遥斗への怒りも、少しだけ遠くなる。

 

 完全に消えたわけではない。

 

 でも、奏斗が隣にいる。

 

 それだけで、今はよかった。

 

     ◇

 

 出勤前。

 

 二人は改めて相談した。

 

「リコリコでは、付き合っていることを隠しましょう」

 

 奏斗が言った。

 

「えー」

 

 千束は不満そうに声を上げる。

 

「なぜ不満そうなのですか?」

 

「だって、隠すの難しそう」

 

「努力してください」

 

「奏斗もね」

 

「私は問題ありません」

 

「朝からかわいいとか言ったくせに?」

 

「それは部屋の中です」

 

「店でも言っちゃうかもよ」

 

「言いません」

 

「本当?」

 

「はい」

 

「私は?」

 

「言わないでください」

 

「うっかり言ったら?」

 

「ミズキさんに一日中からかわれます」

 

「それは困る」

 

「さらに常連客へ広がります」

 

「それも困る」

 

「なら隠しましょう」

 

 千束は腕を組み、真剣な顔で頷いた。

 

「分かった。リコリコではいつもどおり」

 

「はい」

 

「友達」

 

「はい」

 

「護衛と護衛対象」

 

「はい」

 

「店員仲間」

 

「はい」

 

「恋人ではない」

 

 奏斗の動きが一瞬止まった。

 

 千束も自分で言って顔を赤くする。

 

「……一応、隠すための確認」

 

「はい」

 

「奏斗」

 

「何ですか?」

 

「恋人ってことでいいんだよね?」

 

 奏斗は少し目を伏せた。

 

 それから、まっすぐ千束を見る。

 

「はい」

 

 千束は満足そうに笑った。

 

「よし」

 

「その顔で店へ行くとバレます」

 

「奏斗も今ちょっと嬉しそう」

 

「気のせいです」

 

「嘘」

 

「急ぎましょう」

 

「逃げた」

 

 二人は時間差で部屋を出ることも考えたが、前日までの流れを考えると、今さら完全に隠すのは難しい。

 

 結局、少し時間をずらしてリコリコへ向かうことにした。

 

 千束が先に出る。

 

 奏斗はその数分後。

 

 監視員には当然見られているだろう。

 

 だが、リコリコでの被害を最小限に抑えるためには、それしかなかった。

 

     ◇

 

 リコリコへ着くと、千束はすでに開店準備をしていた。

 

「おはようございまーす!」

 

「おはようございます」

 

 奏斗も少し遅れて店へ入る。

 

 ミカは厨房から顔を出し、二人を見た。

 

 その視線は穏やかだったが、すべて分かっているようにも見えた。

 

 ミズキはカウンターでコーヒーを飲んでいた。

 

 こちらを見る。

 

 千束を見る。

 

 奏斗を見る。

 

 また千束を見る。

 

 目が細くなる。

 

「何かあったわね」

 

「何もないよ!」

 

 千束が即答した。

 

 早すぎた。

 

 奏斗は内心で頭を抱えた。

 

「千束、反応が早いです」

 

「え?」

 

「何もない場合、もう少し自然に」

 

「奏斗君」

 

 ミズキがにやりと笑う。

 

「今の、完全に共犯のフォローよ」

 

「業務上の指摘です」

 

「何の業務?」

 

「接客時の自然な応対について」

 

「そんな業務ある?」

 

「あります」

 

「ないわよ」

 

 ミズキはカップを置き、立ち上がった。

 

「二人とも、昨日の夜も一緒だった?」

 

「リリベルの警戒上、一定時間は」

 

「またその説明」

 

「事実です」

 

「千束」

 

「何?」

 

「顔、つやつやしてない?」

 

「してない!」

 

「髪もいつもより丁寧」

 

「普通!」

 

「奏斗君を見る目が甘い」

 

「見てない!」

 

「今見た」

 

「見てない!」

 

「奏斗君」

 

「何ですか?」

 

「付き合った?」

 

 直球だった。

 

 千束が固まる。

 

 奏斗も一瞬だけ言葉が遅れた。

 

 その一瞬が、致命的だった。

 

 ミズキの顔が勝ち誇る。

 

「あ、付き合ったわね」

 

「な、何で!?」

 

「千束が自白した」

 

「してない!」

 

「今ので十分」

 

「奏斗!」

 

「千束が反応しすぎです」

 

「奏斗も止まった!」

 

「予想より直接的だったので」

 

「ほら!」

 

 ミズキは両手を叩いて笑った。

 

「やっぱり! ついに! いやー長かったようで短かったわねぇ」

 

「ミズキ、声が大きい」

 

 ミカが厨房から出てくる。

 

 ミズキは楽しそうに振り返る。

 

「先生、二人付き合ったって!」

 

 店内が一瞬静かになる。

 

 まだ開店前で客はいない。

 

 それだけが救いだった。

 

 千束は顔を真っ赤にしている。

 

 奏斗は深く息を吐いた。

 

「隠す予定だったのですが」

 

「無理ね」

 

 ミカが穏やかに言う。

 

「私もそう思います」

 

「奏斗まで!」

 

「事実です」

 

「私、そんなに分かりやすい?」

 

「はい」

 

「即答!」

 

 ミカは二人を見て、静かに笑った。

 

「千束」

 

「先生……」

 

「奏斗」

 

「はい」

 

「よろしく頼む」

 

 それは、短い言葉だった。

 

 けれど、重かった。

 

 奏斗は自然と姿勢を正す。

 

「はい」

 

「先生、それだけ?」

 

 ミズキが不満そうに言う。

 

「もっと聞くことあるでしょ。いつから? どっちから? どこまでいったの?」

 

「ミズキ」

 

 ミカの声が低くなる。

 

「はいはい」

 

 ミズキは肩をすくめた。

 

 だが、笑顔は消えない。

 

「でも、あとで聞くからね」

 

「聞かなくていいです」

 

「千束に聞く」

 

「ミズキ!」

 

「うふふ」

 

 千束は奏斗の方を見る。

 

 困っているが、どこか嬉しそうでもある。

 

 奏斗も、完全に嫌ではなかった。

 

 秘密にするつもりだった。

 

 しかし、ミカに「よろしく頼む」と言われると、不思議と胸の中が落ち着いた。

 

     ◇

 

 開店後。

 

 二人が付き合ったことは、思ったより早く常連客へ広まった。

 

 原因はミズキだった。

 

 本人は否定した。

 

「私は大声で言ってないわよ」

 

「否定になっていません」

 

「常連さんが空気で察したの」

 

「ミズキさんが空気を作ったのでは?」

 

「細かいわね」

 

 最初に声をかけてきたのは、よく来る年配の女性客だった。

 

「あら、二人、そういうことになったの?」

 

 千束はトレイを持ったまま固まった。

 

「えっと」

 

「おめでとう」

 

 女性客はにこにこと笑う。

 

「若いっていいわねぇ」

 

「ありがとうございます」

 

 奏斗が丁寧に頭を下げる。

 

「奏斗君、千束ちゃんを泣かせちゃ駄目よ」

 

「はい」

 

「千束ちゃんも、奏斗君を振り回しすぎないようにね」

 

「えー、私そんなに振り回してます?」

 

「かなり」

 

「常連さんまで!」

 

 店内に笑いが起きる。

 

 その後も、何人かの常連客が「おめでとう」「やっぱりね」「お似合い」と声をかけてくれた。

 

 千束はそのたびに照れて、笑って、時々奏斗の背中を叩いた。

 

「奏斗、何でそんな普通にお礼言えるの?」

 

「祝福されたので」

 

「恥ずかしくないの?」

 

「恥ずかしいです」

 

「顔に出ない」

 

「出さないようにしています」

 

「ずるい」

 

「千束は出すぎです」

 

「うるさい」

 

 ミズキはカウンターの奥でずっとにやにやしていた。

 

「いやー、今日はコーヒーが美味しいわ」

 

「普段も美味しいです」

 

「甘い空気でさらにね」

 

「ミズキさん」

 

「新メニューにどう? 千束と奏斗の初恋パフェ」

 

「絶対嫌!」

 

「注文する人いると思うわよ」

 

「名前が恥ずかしすぎます」

 

「奏斗君は?」

 

「却下です」

 

「二人で即答。息ぴったり」

 

 営業中、二人はできるだけ普通に振る舞おうとした。

 

 だが、どうしても目が合う。

 

 目が合うと、千束が少し笑う。

 

 奏斗もわずかに口元が緩む。

 

 それをミズキが見逃さない。

 

「はい、今見つめ合った」

 

「注文を確認していました」

 

「目で?」

 

「はい」

 

「便利ねぇ」

 

 ミカはあえて何も言わなかった。

 

 ただ、時折二人を見る目は優しかった。

 

     ◇

 

 閉店後。

 

 片づけを終えた店内で、千束は少しだけ名残惜しそうに奏斗を見た。

 

「今日も奏斗の家行く?」

 

「行きません」

 

「早い」

 

「今日は千束をセーフハウスへ送ります」

 

「昨日は一緒だったのに」

 

「昨日と今日は違います」

 

「恋人になったのに?」

 

 奏斗は少しだけ固まった。

 

 ミズキが奥で反応しかける。

 

 奏斗は声を抑えて言った。

 

「その言葉を店内で使わないでください」

 

「照れた」

 

「照れています」

 

「素直」

 

「だからやめてください」

 

 千束は笑った。

 

 だが、最終的にはセーフハウスへ戻ることを受け入れた。

 

 ここ数日、奏斗の部屋に泊まることが続いていた。

 

 しかし、セーフハウスの安全確認も必要だ。

 

 それに、奏斗自身も一度頭を整理する時間が欲しかった。

 

 遥斗のこと。

 

 フード四人組のこと。

 

 そして、千束と付き合うことになったこと。

 

 幸せだけでは済まない。

 

 守るものが、より重くなった。

 

     ◇

 

 夜道を並んで歩く。

 

 いつものように、奏斗が車道側。

 

 千束が建物側。

 

 だが、今日は少し違った。

 

 千束が時々、手をつなぎたそうに視線を向けてくる。

 

「千束」

 

「何?」

 

「手をつなぎますか?」

 

「え、いいの?」

 

「人通りが少ないので」

 

「理由それ?」

 

「ほかにもあります」

 

「何?」

 

「……つなぎたいので」

 

 千束の顔が明るくなる。

 

「奏斗、今日どうしたの?」

 

「付き合うことになりましたので」

 

「真面目!」

 

「何と答えるのが正解ですか?」

 

「今のでいい」

 

 千束は奏斗の手を取った。

 

 指先が絡む。

 

 昨日までも手はつないだ。

 

 だが、今日は意味が違う。

 

 千束は嬉しそうに笑った。

 

「恋人っぽい」

 

「そうですね」

 

「照れないの?」

 

「照れています」

 

「顔に出ない」

 

「出ないように」

 

「出して」

 

「難しい要求ですね」

 

 セーフハウスへ着く。

 

 周囲を確認する。

 

 異常なし。

 

「じゃあ、今日は帰るんだよね」

 

「はい」

 

「メッセージして」

 

「分かりました」

 

「既読つけて」

 

「はい」

 

「返信も」

 

「善処します」

 

「分かったって言って」

 

「分かりました」

 

 千束は満足そうに笑った。

 

「おやすみ、奏斗」

 

「おやすみなさい、千束」

 

 少し迷ってから、千束が近づく。

 

 軽く、頬へキスをした。

 

 奏斗は固まる。

 

「おやすみのキス」

 

「……はい」

 

「耳赤い」

 

「夜なので見えにくいはずです」

 

「分かるよ」

 

 千束は笑い、玄関の中へ入った。

 

 扉が閉まる。

 

 鍵がかかる。

 

 奏斗は数秒その場に立ち、周囲を確認した。

 

 異常なし。

 

 千束は無事に中へ入った。

 

 奏斗はゆっくりと帰路についた。

 

     ◇

 

 人気の少ない路地に入った瞬間だった。

 

 空気が変わった。

 

 奏斗は足を止める。

 

 前方に一人。

 

 背後に一人。

 

 左右の影から二人。

 

 黒いフード。

 

 四人組。

 

 同時に銃口が向けられる。

 

「動くな」

 

 低い声。

 

 奏斗は手を上げた。

 

「またですか」

 

「抵抗すれば撃つ」

 

「あなたたちは、いつも同じ手段ですね」

 

「黙れ」

 

 奏斗は視線を動かさず、袖の中の小型通信装置へ意識を向ける。

 

 外部へ緊急信号を送る。

 

 指先をわずかに動かす。

 

 しかし、反応がない。

 

「無駄だ」

 

 フードの一人が言った。

 

「周辺は電波妨害している」

 

「準備がいいですね」

 

「お前に連絡を取らせるほど甘くない」

 

「以前より学習しているようで」

 

「お前も学習しろ。抵抗は無意味だ」

 

 奏斗は周囲を確認する。

 

 距離。

 

 銃口。

 

 遮蔽物。

 

 逃走経路。

 

 四人のうち、一人はやや右足へ体重が偏っている。

 

 もう一人は銃の構えがわずかに甘い。

 

 完全な包囲ではない。

 

 隙はある。

 

 だが、今の奏斗には以前のような自由はない。

 

 千束を送った直後。

 

 武装は最低限。

 

 敵は電波妨害を準備。

 

 明らかに狙っていた。

 

「仲間になれ」

 

 正面のフードが言った。

 

「でなければ死ぬぞ」

 

 銃口が奏斗の頭へ向けられる。

 

 距離は近い。

 

 避けられる可能性は低い。

 

 だが、彼らは奏斗を欲しがっている。

 

 能力が必要だと言った。

 

 ならば、本当に殺す可能性は低い。

 

 奏斗はそう判断した。

 

「仲間にしたいなら、私は殺せないでしょう」

 

「仲間にできないなら、脅威は排除する」

 

 フードの声は本気だった。

 

「お前の【恐怖】は有用だ。だが、制御できない敵として存在するなら危険すぎる」

 

「つまり、私が拒めば殺す」

 

「そうだ」

 

 奏斗は静かに息を吸った。

 

「なら、殺してください」

 

 四人の空気がわずかに揺れた。

 

「私はあなたたちの仲間にはなりません」

 

「死ぬぞ」

 

「リリベルになった時から、死ぬ覚悟はしています」

 

 それは嘘ではなかった。

 

 任務で死ぬ可能性。

 

 敵に捕まり殺される可能性。

 

 いつか戻れない日が来る可能性。

 

 すべて、訓練の中で教え込まれてきた。

 

 自分はそういう世界にいる。

 

 だから死ぬことを恐れるな。

 

 それがリリベル。

 

 それが役目。

 

 そう思ってきた。

 

 だが。

 

 銃口が額へ向けられたとき。

 

 奏斗の胸の奥に、初めて明確な恐怖が生まれた。

 

 死にたくない。

 

 その感情は、あまりにもはっきりしていた。

 

 千束の顔が浮かぶ。

 

 朝、こっそりキスをしてきた顔。

 

 リコリコで照れていた顔。

 

 ミカに「よろしく頼む」と言われたとき、嬉しそうに笑った顔。

 

 セーフハウス前で、おやすみのキスをした顔。

 

 まだ伝えていないことがある。

 

 まだ一緒にいたい。

 

 まだ、千束の隣にいたい。

 

 死ぬ覚悟はしていた。

 

 でも、生きたいと思ってしまった。

 

『情けないな、兄貴』

 

 頭の奥で声がした。

 

 遥斗。

 

『死ぬ覚悟? 笑わせるなよ。今さら生きたいって顔してる』

 

『黙ってください』

 

『力を貸してやろうか?』

 

『必要ありません』

 

『死ぬぞ』

 

 銃口がさらに近づく。

 

 フードの指が引き金へかかる。

 

『千束を置いて死ぬのか?』

 

 その言葉が、奏斗の心を揺らした。

 

 千束を置いて。

 

 何も告げずに。

 

 守ると決めたばかりで。

 

 好きだと言ったばかりで。

 

 奏斗は迷った。

 

 また。

 

 迷ってしまった。

 

『貸せ』

 

 遥斗の声。

 

『今度は、俺が守ってやる』

 

『違う。あなたは』

 

『死にたいのか?』

 

 奏斗は答えられなかった。

 

 次の瞬間。

 

 意識が沈む。

 

 体の主導権が、遥斗へ渡った。

 

     ◇

 

 奏斗の顔が変わった。

 

 フードの四人は、即座に気づいた。

 

 瞳の奥の温度が消える。

 

 口元に冷たい笑みが浮かぶ。

 

 姿は奏斗。

 

 だが、そこにいるのは遥斗だった。

 

「お前ら」

 

 遥斗は低く笑った。

 

「俺に銃を向けるのか?」

 

 その声だけで、空気が変わった。

 

 四人の手が震える。

 

 【恐怖】。

 

 それは、音も光も伴わない。

 

 けれど確かに、場を支配した。

 

 フードの一人が後ずさる。

 

 もう一人が呼吸を乱す。

 

 銃口がわずかに下がる。

 

「頭が高い」

 

 遥斗が言った。

 

 命令だった。

 

 逆らう余地のない声。

 

 四人のうち一人が、片膝をついた。

 

 続けて二人目。

 

 三人目。

 

 最後の一人も、銃を下げ、膝をつく。

 

 誰も撃たない。

 

 誰も動けない。

 

「そうだ」

 

 遥斗は笑う。

 

「それでいい」

 

 フードの一人が言った。

 

「遥斗様……お待ちしておりました」

 

 遥斗の目が細くなる。

 

「遥斗様、ね」

 

 四人は頭を下げる。

 

「お前らは」

 

 遥斗は記憶を探るように、ゆっくりと言った。

 

「俺の計画に賛同していたやつらか」

 

「はい」

 

 主導していたフードが答える。

 

「我々はあなたの帰還を待っていました」

 

「帰還?」

 

「押村奏斗の中で眠るあなたが、再び表へ出る時を」

 

 遥斗は短く笑った。

 

「なるほどな」

 

 奏斗の知らないところで、遥斗の計画に賛同していた者たち。

 

「遥斗様」

 

「分かってる。潰すしかない」

 

 四人が頭を下げたまま動かない。

 

 遥斗は夜空を見上げる。

 

 奏斗の体で。

 

 奏斗の声で。

 

 しかし、そこにある意思は別のものだった。

 

「行くぞ」

 

「どちらへ」

 

「DAを潰しに行こうか」

 

 その言葉に、四人の気配が変わった。

 

 恐怖の中に、歓喜が混ざる。

 

「仰せのままに」

 

 遥斗は笑った。

 

 その笑みは、奏斗のものではなかった。

 

     ◇

 

 同じ頃。

 

 セーフハウスの部屋で、千束はベッドの上に座っていた。

 

 奏斗へメッセージを送る。

 

 ――着いた?

 

 数分待つ。

 

 既読がつかない。

 

「……あれ?」

 

 奏斗なら、帰宅したら連絡すると約束した。

 

 既読だけでもつけるはずだ。

 

 千束はもう一度送る。

 

 ――奏斗?

 

 既読はつかない。

 

 胸の奥に、小さな不安が生まれる。

 

 でも、すぐに自分へ言い聞かせた。

 

 もしかしたら、帰ってすぐシャワーに入ったのかもしれない。

 

 端末を置いたのかもしれない。

 

 リリベルから連絡が入ったのかもしれない。

 

 過剰に心配しすぎるのはよくない。

 

「……大丈夫だよね」

 

 千束は端末を握ったまま、ベッドへ横になる。

 

 画面を見る。

 

 既読はまだつかない。

 

 不安は消えない。

 

 けれど、今日はリコリコで一日働いた。

 

 昨夜のこともあった。

 

 体は疲れている。

 

 千束は端末を枕元に置き、目を閉じた。

 

「奏斗、返信してよ……」

 

 小さく呟く。

 

 しばらくしても、端末は鳴らなかった。

 

 千束は不安を抱えたまま、浅い眠りへ落ちていった。

 

 その夜。

 

 奏斗の端末に、既読がつくことはなかった。

 

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総合評価:941/評価:8.61/連載:16話/更新日時:2026年08月02日(日) 14:24 小説情報

ベル・クラネルの代わりに世界を救うのは間違っているだろうか(作者:ただくも)(原作:ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか)

 神代彼方は、「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」の世界に転移してしまった。▼ 彼は主人公ベル・クラネルの冒険を支え見届けようと決意した。しかし、世界が主人公不在というバッドエンド確定ルートに入っているとしたら?▼ボロボロになっても止まることを知らない主人公を見て周りが曇ってほしい、そんな自己満小説です。


総合評価:822/評価:7.94/連載:7話/更新日時:2026年07月26日(日) 00:02 小説情報

絶対防壁の転生者は平穏に暮らしたい(作者:雨風 時雨)(原作:魔法科高校の劣等生)

「――お兄様、ごめんなさい。私はこの方をお守りします」▼攻撃力最低の二科生(ウィード)として入学した転生者・御守漣。彼の目的はただ一つ、原作に関わらず平穏に卒業すること。▼しかし、過去に偶然『深雪の命を救ってしまった』せいで、氷の美姫から狂おしいほどの愛と庇護を向けられ、結果的にシスコンの極みである『司波達也』からガチの殺意を向けられるハメに!?▼最強の矛(…


総合評価:2758/評価:7.15/連載:13話/更新日時:2026年08月04日(火) 01:30 小説情報

アイズさんの脳を年上お兄さんでこんがり焼こう!(作者:脳でバーベキュー)(原作:ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか)

タイトル通りです。主人公はアストレアファミリアの一員です。・・・・ということは?お察しの通りです。


総合評価:1841/評価:7.79/連載:7話/更新日時:2026年08月07日(金) 10:17 小説情報

行きつけの喫茶店の珈琲が美味(作者:夕凪楓)(原作:リコリス・リコイル)

▼最近、行きつけの喫茶店の看板娘達がやたら構ってくれるんだけど、耐性無いから心臓に悪い。やめてちょっと距離近い。▼────因みに作者はちさたき派閥。


総合評価:21082/評価:9.05/連載:44話/更新日時:2026年06月21日(日) 00:00 小説情報


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