君を守る、その理由   作:かなっち館長

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第二十一話 遥斗の計画

 翌朝。

 

 錦木千束は、いつもより早く目を覚ました。

 

 カーテンの隙間から差し込む朝の光はまだ薄く、部屋の中は静かだった。

 

 普段なら、目覚ましが鳴るまで布団の中でごろごろしている。

 

 もう少しだけ。

 

 あと五分。

 

 そう自分に言い聞かせながら、結局ぎりぎりまで寝てしまうことも多い。

 

 けれど、今日は違った。

 

 目が覚めた瞬間、千束は枕元に置いていたスマホを手に取った。

 

 画面をつける。

 

 通知。

 

 奏斗からだった。

 

「……奏斗」

 

 昨日の夜、奏斗からの返信はなかった。

 

 既読もつかなかった。

 

 寝る前に何度も画面を見た。

 

 寝落ちする寸前まで、通知が来ないか気にしていた。

 

 不安だった。

 

 でも、今はメッセージが来ている。

 

 千束はすぐに開いた。

 

 ――昨日は返信が遅れてすみません。

 

 ――少し体調が悪くなり、休んでいました。

 

 ――今日は念のためリコリコを休み、病院で診察を受けます。

 

 千束は画面を見つめた。

 

 返信が遅くなったことへの謝罪。

 

 体調不良。

 

 病院。

 

 文面は奏斗らしい。

 

 丁寧で、必要な情報だけが書かれている。

 

 でも、胸の奥に残っていた不安は、完全には消えなかった。

 

「体調悪かったんだ……」

 

 昨日、帰り道で何かあったのかもしれない。

 

 傷の影響かもしれない。

 

 訓練の疲れかもしれない。

 

 あの日から、奏斗は完全に回復したわけではない。

 

 無理をしていた可能性もある。

 

 電話しようか。

 

 そう思って、千束は通話ボタンへ指を動かしかけた。

 

 けれど、止めた。

 

 体調が悪いなら、寝ているかもしれない。

 

 病院へ行く準備をしているかもしれない。

 

 電話で起こすのはよくない。

 

 そう考えて、メッセージだけを返すことにした。

 

 ――分かった。無理しないでね。

 

 少し迷って、もう一文打つ。

 

 ――夜、奏斗の家に行くから。何か食べられそうなもの買っていくね。

 

 送信。

 

 すぐに既読はつかなかった。

 

 千束はスマホを胸の上に置き、天井を見る。

 

「……大丈夫だよね」

 

 昨日、頬にキスをして別れたときの奏斗を思い出す。

 

 少し照れた顔。

 

 でも、いつもの奏斗だった。

 

 帰るときも、周囲を確認していた。

 

 それなのに、連絡が遅れた。

 

 体調不良。

 

 そう言われれば納得できる。

 

 だけど。

 

 千束の奥にある小さな違和感は、まだ消えなかった。

 

     ◇

 

 リコリコに着くと、ミカはすでに厨房で仕込みをしていた。

 

「おはよう、千束」

 

「おはよ、先生」

 

 千束はいつもより少しだけ早く来たつもりだったが、ミカは変わらず落ち着いていた。

 

 その横顔を見て、千束はすぐに聞いた。

 

「先生、奏斗から連絡あった?」

 

「ああ」

 

 ミカは手を止めずに答える。

 

「今日は体調不良で休むと連絡があった。病院へ行くそうだ」

 

「そっか」

 

「千束にも?」

 

「うん。朝メッセージ来た」

 

「そうか」

 

 ミカは千束を一度見た。

 

「心配か?」

 

「まあ、ちょっと」

 

「昨日まで無理をしていたのかもしれないな」

 

「うん……」

 

 千束は曖昧に頷く。

 

 本当は、無理だけではない気がしている。

 

 でも、それを言葉にするほど確かなものは何もない。

 

 奏斗が体調不良だと言った。

 

 なら、まずはそれを信じるべきだ。

 

 そう思おうとした。

 

 そこへ、奥からミズキが出てきた。

 

 まだ少し眠そうな顔をしている。

 

「おはよー……って、あれ? 奏斗君は?」

 

「今日は休み」

 

 千束が答える。

 

「体調不良だって」

 

 ミズキの目が、一瞬で眠気から悪戯っぽさへ変わった。

 

「へえ」

 

「何?」

 

「千束が無理させたんじゃないの?」

 

「はぁ!?」

 

「ほら、昨日から付き合い始めて、いろいろあったんでしょ?」

 

「ない!」

 

「声大きいわよ」

 

「ミズキが変なこと言うから!」

 

「体調崩すくらい、千束が張り切っちゃったのかと思って」

 

「違う!」

 

「じゃあ何でそんなに焦ってるの?」

 

「焦ってない!」

 

 ミズキはにやにや笑う。

 

「若いっていいわねぇ」

 

「ミズキ!」

 

「はいはい。奏斗君がいないと、千束も寂しいのね」

 

「それは……」

 

 千束は言い返そうとして、言葉に詰まった。

 

 寂しくないわけではない。

 

 昨日まで近くにいた。

 

 リコリコでも、隣にいるのが当たり前になっていた。

 

 それが今日は、いない。

 

 しかも体調不良。

 

 寂しいより、心配の方が大きい。

 

「ほら、黙った」

 

「うるさい」

 

「可愛い反応」

 

「仕事して!」

 

「してるわよ」

 

 ミズキは笑いながらカウンターへ向かった。

 

 千束は小さく息を吐く。

 

 表面上は、いつもどおり言い返した。

 

 でも、内心では不安が大きくなっていた。

 

 奏斗がいないリコリコは、少し広く感じた。

 

     ◇

 

 営業が始まってからも、千束は何度も時間を確認した。

 

 料理を運ぶ。

 

 注文を取る。

 

 常連客と話す。

 

 いつもどおり笑う。

 

 けれど、気づけば視線が時計へ向かう。

 

 そして、ポケットのスマホへ。

 

「千束ちゃん、今日は元気ない?」

 

 常連の女性客に言われ、千束は慌てて笑った。

 

「そんなことないですよ!」

 

「奏斗君がいないから?」

 

「ち、違います!」

 

「ふふ。早く良くなるといいわね」

 

「はい」

 

 素直に頷いた。

 

 奏斗が休みだと知ると、常連客たちも心配してくれた。

 

 昨日祝われたばかりなのに、今日はその相手がいない。

 

 何となく落ち着かなかった。

 

 昼過ぎ。

 

 少し客足が落ち着いた時間。

 

 千束はテーブルを拭くふりをしながらスマホを確認した。

 

 奏斗から返信が来ていた。

 

 ――夜、来てくれるとのこと、ありがとうございます。

 

 ――食材は無理のない範囲で構いません。

 

 ――気をつけて来てください。

 

 千束の顔がぱっと明るくなった。

 

 奏斗らしい文面。

 

 丁寧で、少し距離があるように見えるけれど、ちゃんと心配してくれている。

 

 夜に来てくれることへの感謝。

 

 気をつけて来てください、という言葉。

 

 それだけで、胸の奥の不安が少し和らいだ。

 

「何、嬉しそうな顔してるの?」

 

 背後からミズキの声。

 

「わっ!」

 

 千束は慌ててスマホを隠した。

 

「奏斗君?」

 

「ち、違う!」

 

「その反応、絶対そうでしょ」

 

「仕事中に見ただけ!」

 

「見たのは認めるんだ」

 

「あ」

 

「分かりやすいわねぇ」

 

 ミズキは呆れたように笑った。

 

「ちゃんと仕事しなさいよ」

 

「してる!」

 

「奏斗君のことばっかり考えてないで」

 

「考えてない!」

 

「顔に出てる」

 

 千束はスマホをしまい、布巾を握り直した。

 

「夜、様子見てくるから」

 

「はいはい。看病ね」

 

「そう!」

 

「変な看病しないようにね」

 

「ミズキ!」

 

 いつもどおり言い返せた。

 

 少しだけ、元気が戻った気がした。

 

     ◇

 

 閉店後。

 

 千束は片づけを手早く終わらせた。

 

 ミズキに「急ぎすぎ」とからかわれたが、聞こえないふりをした。

 

 奏斗の部屋へ行く。

 

 体調不良なら、消化の良いものがいい。

 

 スープ。

 

 お粥。

 

 果物。

 

 飲み物。

 

 それから、甘いものを少し。

 

 奏斗は甘いものが好きだから。

 

 体調が悪くても、食べられるものなら喜ぶかもしれない。

 

 鞄を持って店を出ようとすると、ミカが声をかけた。

 

「千束」

 

「何、先生?」

 

「奏斗がいない。いつもより気をつけなさい」

 

「分かってる」

 

「周囲は見ろ。人気の少ない道は避けること」

 

「うん」

 

「何かあれば、すぐ連絡しなさい」

 

「はいはい」

 

「はいは一回でいい」

 

「はーい」

 

 ミカの表情はいつもどおり落ち着いている。

 

 けれど、声には少し心配が混じっていた。

 

 奏斗がいない。

 

 それだけで、いつもより危険が増える。

 

 千束自身は戦える。

 

 それでも、最近の敵は普通ではない。

 

 千束はそれを分かっていた。

 

「先生」

 

「何だ?」

 

「奏斗、元気になったら連れてくるね」

 

「ああ」

 

 ミカは静かに頷いた。

 

「頼んだ」

 

「任せて」

 

 千束はリコリコを出た。

 

     ◇

 

 スーパーで買い物をする。

 

 米。

 

 卵。

 

 鶏肉。

 

 野菜。

 

 豆腐。

 

 果物。

 

 スポーツドリンク。

 

 ゼリー。

 

 そして小さなチョコレート菓子。

 

 買い物かごへ入れながら、千束は自然と奏斗の顔を思い浮かべた。

 

 お粥だけでは物足りないと言いそう。

 

 食べられます、とか言いながら無理して普通の食事をしようとしそう。

 

 甘いものを見れば少し顔が緩みそう。

 

 そう考えると、少し楽しくなる。

 

「何作ろうかな」

 

 小さく呟く。

 

 この一週間、奏斗の部屋で料理を練習した。

 

 最初は野菜の大きさもばらばらだった。

 

 でも、少しずつ上手くなった。

 

 今日は奏斗に、ちゃんと作ってあげたい。

 

 体調が悪いなら、無理なく食べられるもの。

 

 でも、少し嬉しくなるもの。

 

 買い物を終え、袋を持って奏斗のマンションへ向かう。

 

 道はできるだけ人通りのある場所を選んだ。

 

 背後。

 

 車。

 

 路地。

 

 窓の反射。

 

 奏斗に言われたことを思い出しながら、周囲を見る。

 

 不審な人影はない。

 

 少なくとも、千束の感覚では。

 

 それでも、奏斗が隣にいないことが、少し心細かった。

 

     ◇

 

 奏斗のマンションへ着く。

 

 エントランス前で一度、周囲を確認する。

 

 異常なし。

 

 千束はインターホンを押した。

 

 数秒後、応答があった。

 

『はい』

 

 奏斗の声。

 

 少しだけ安心する。

 

「私。来たよ」

 

『今開けます』

 

 自動ドアが開く。

 

 エレベーターで部屋の階へ上がる。

 

 廊下を歩き、奏斗の部屋の前へ。

 

 チャイムを鳴らすと、すぐに扉が開いた。

 

 そこに奏斗が立っていた。

 

 顔色は悪くない。

 

 いつもの服。

 

 ただ、少しだけ表情が薄いようにも見える。

 

「千束」

 

「来たよ。大丈夫?」

 

「はい。ありがとうございます」

 

「本当に? 病院行った?」

 

「行きました。大きな問題はありません」

 

「よかった」

 

 千束は心からほっとした。

 

 そのまま部屋へ入る。

 

 扉が閉まる。

 

 鍵がかかる。

 

 買い物袋を床へ置こうとして、千束は我慢できなくなった。

 

「奏斗」

 

「はい」

 

 返事を聞く前に、千束は奏斗へ抱きついた。

 

 ぎゅっと。

 

 昨日からずっと不安だった。

 

 返信がなくて。

 

 朝のメッセージも心配で。

 

 店でも落ち着かなくて。

 

 ようやく顔を見られた。

 

 だから、抱きついた。

 

 奏斗の体温。

 

 服の感触。

 

 いつもの匂い。

 

 でも。

 

「……?」

 

 千束の中に、わずかな違和感が走った。

 

 抱き返す腕の力。

 

 背中に回る手。

 

 奏斗なら、まず傷や荷物を気にして、少しぎこちなく受け止める。

 

 でも今の腕は、滑らかすぎた。

 

 遠慮が薄い。

 

 抱きしめ返すというより、逃がさないように固定するような。

 

「奏斗?」

 

 千束が顔を上げようとした瞬間。

 

 脇腹に鋭い痛みが走った。

 

「っ……!」

 

 電流。

 

 スタンガン。

 

 体が硬直する。

 

 買い物袋が床へ落ちる音。

 

 視界が揺れる。

 

「ごめんね、千束」

 

 奏斗の声。

 

 でも、声の奥が違う。

 

 遅かった。

 

 千束はその違和感の正体に気づく前に、意識を失った。

 

     ◇

 

 目を覚ますと、天井が見えた。

 

 見慣れた天井だった。

 

 奏斗の部屋。

 

 何度も泊まった部屋。

 

 けれど、体は自由に動かなかった。

 

「……っ」

 

 千束は起き上がろうとして、手足が拘束されていることに気づいた。

 

 手首。

 

 足首。

 

 柔らかいが、簡単にはほどけない拘束具。

 

 ベッドの端に固定されている。

 

 痛みは少ない。

 

 傷つけるためではなく、動きを封じるための縛り方。

 

「起きたか」

 

 声がした。

 

 部屋の椅子に、奏斗が座っていた。

 

 いや。

 

 違う。

 

 奏斗の体。

 

 奏斗の顔。

 

 けれど、中にいるのは奏斗ではない。

 

「遥斗」

 

「正解」

 

 遥斗は薄く笑った。

 

「奏斗は?」

 

「奥でぼんやりしてる」

 

「戻して」

 

「今は無理だ」

 

「戻して!」

 

 千束は拘束されたまま体を動かす。

 

 手首の拘束具が軋む。

 

 遥斗は立ち上がらない。

 

「暴れるな。今日は乱暴なことはしない」

 

「昨日したくせに」

 

「昨日は悪かったな」

 

「謝る気ないでしょ」

 

「ないな」

 

「最低」

 

「そう言われるのは慣れてる」

 

 千束は歯を食いしばる。

 

「これ、外して」

 

「外したら俺を殴るだろ」

 

「殴る」

 

「正直でいいな」

 

「当たり前でしょ!」

 

 千束は拘束を引っ張る。

 

 だが、外れない。

 

 奏斗の部屋にあったものではない。

 

 遥斗が用意したのか。

 

 それとも、フードの四人組が持ち込んだのか。

 

「奏斗に何したの」

 

「何もしていない」

 

「嘘」

 

「本当だ。兄貴が迷ったから、俺が出た」

 

「また?」

 

「ああ」

 

 遥斗は楽しそうに笑う。

 

「兄貴はお前のことになると弱い」

 

「それで体を奪うの?」

 

「必要だからな」

 

「必要って何」

 

 千束は遥斗を睨む。

 

「俺の計画を遂行するうえで、お前の実力は邪魔だ」

 

「計画?」

 

「ああ」

 

「だから私を縛った?」

 

「お前は強い。下手に自由にしておくと面倒だ」

 

「褒めてる?」

 

「評価している」

 

「嬉しくない」

 

「だろうな」

 

 遥斗は椅子に座り直す。

 

「だが、殺すつもりはない」

 

「当たり前でしょ」

 

「俺にとっても、兄貴にとっても、お前は特別だからな」

 

 千束はその言い方に眉をひそめる。

 

「奏斗と一緒にしないで」

 

「俺は兄貴の中にいる」

 

「でも奏斗じゃない」

 

「そうだな」

 

 遥斗は否定しなかった。

 

「だから話を聞け、千束」

 

「嫌」

 

「聞け」

 

 声が変わった。

 

 【恐怖】。

 

 空気が重くなる。

 

 千束の背筋に冷たいものが走る。

 

 でも、千束は目を逸らさなかった。

 

「怖がらせても、言うこと聞くと思わないで」

 

「分かってる。お前はそういう女だ」

 

「女って言い方やめて」

 

「じゃあ、錦木千束」

 

 遥斗は少しだけ笑みを消した。

 

「俺の計画を話す」

 

 千束は黙った。

 

 聞きたくない。

 

 でも、聞かなければ分からない。

 

 奏斗を取り戻すためにも。

 

 遥斗が何をしようとしているのか知る必要がある。

 

「DA上層部を殺す」

 

 遥斗は淡々と言った。

 

「そして組織を壊滅させる」

 

 千束の表情が鋭くなる。

 

「何言ってるの」

 

「そのままの意味だ」

 

「リコリスは?」

 

「子どもは対象じゃない」

 

「リリベルは?」

 

「同じだ。リコリスやリリベルの子どもたちは殺さない。殺すのは、作っている側だ」

 

「DAの上層部」

 

「ああ」

 

「それで何が変わるの?」

 

「首を落とせば、組織は動きを失う」

 

「そんな簡単じゃない」

 

「だから壊滅させる」

 

 遥斗の声に迷いはなかった。

 

「今日も、俺の仲間とDAの上層部を殺してきた」

 

「……今日?」

 

 千束の背筋が冷える。

 

 今日、奏斗は体調不良で休むと言った。

 

 病院へ行くと言った。

 

 でも、それは嘘だった。

 

 遥斗が奏斗の体で動いていた。

 

 DAの上層部を殺していた。

 

「奏斗の体で?」

 

「ああ」

 

「ふざけないで」

 

「兄貴なら止めるからな」

 

「当たり前でしょ!」

 

「だから俺がやる」

 

 千束は拘束を強く引く。

 

「そんなことしたら、奏斗が」

 

「分かってる」

 

「分かってない!」

 

「分かってるさ」

 

 遥斗は初めて、少しだけ声を低くした。

 

「だから、お前をここに置いた」

 

「どういう意味?」

 

「兄貴が戻っても、お前がいれば暴走は抑えられる」

 

「私を保険に使うな」

 

「兄貴にとって一番効くのはお前だ」

 

「……最低」

 

「それも慣れてる」

 

 遥斗は少しだけ目を伏せる。

 

「この計画は、リリベルになった時から考えていた」

 

 千束は息を飲んだ。

 

「子どもの頃から?」

 

「ああ」

 

「遥斗、あなた……」

 

「DAは壊すべきだった」

 

 遥斗の声には、冷たい怒りがあった。

 

「孤児を拾い、訓練し、武器を持たせる。自由も未来も選ばせず、正義の名で殺しを教える。そんなものは壊すしかない」

 

「方法が間違ってる」

 

「正しい方法で変わると思うか?」

 

「それでも」

 

「千束。お前も分かっているだろう」

 

 遥斗の目が千束を射抜く。

 

「DAがまともな組織じゃないことくらい」

 

 千束は黙った。

 

 DAに救われた命もある。

 

 DAが守ってきた平和もある。

 

 でも、その裏で何人もの子どもたちが銃を持たされ、人を殺してきた。

 

 千束自身も、その一人だ。

 

 否定はできない。

 

 でも。

 

「それでも、殺して壊せばいいとは思わない」

 

「兄貴と同じだな」

 

「奏斗の方が正しい」

 

「甘い」

 

「甘くてもいい」

 

 千束は睨み返す。

 

 遥斗は少し笑った。

 

「だからお前は厄介だ」

 

 そして、話を続けた。

 

「DAは俺の計画に気づいていた」

 

「気づいてた?」

 

「ああ。俺が死んだ大規模作戦。兄貴に話したやつだ」

 

「奏斗と遥斗が重傷を負った作戦」

 

「そうだ」

 

 遥斗の声から笑みが消えた。

 

「あの作戦の参加者には、俺の計画に賛同していた奴らがいた」

 

「フードの四人?」

 

「一部だ。全員ではない」

 

「その人たちを、DAは」

 

「消した」

 

 遥斗は短く言った。

 

「俺はそう思っている」

 

「証拠は?」

 

「作戦情報が不自然だった。敵の数も装備も、現場の構造も、何もかも違っていた。撤退命令は遅れ、通信は潰れた」

 

「罠だったってこと?」

 

「DAが仕掛けた処分だ」

 

「でも、奏斗も巻き込まれた」

 

 千束の声に怒りが混じる。

 

「奏斗は計画に関係なかったんでしょ?」

 

「兄貴は俺の近くにいた」

 

「それだけで?」

 

「DAにとっては、それだけで十分だったんだろう」

 

 遥斗の手が膝の上でわずかに握られる。

 

「俺は死んだ。計画は終わったはずだった」

 

「でも」

 

「俺は兄貴の中で生き残った」

 

 遥斗は自分の胸へ手を当てる。

 

 奏斗の体。

 

 遥斗の意識。

 

「それには意味がある」

 

「意味?」

 

「俺がまだやるべきことを残しているという意味だ」

 

「違う」

 

 千束は即座に言った。

 

「それは、奏斗が生きてるって意味でしょ」

 

 遥斗の目がわずかに揺れた。

 

「遥斗の臓器で、奏斗が助かった。遥斗が奏斗の中にいるのが本当なら、それは奏斗を壊すためじゃない」

 

「お前に何が分かる」

 

「分からないよ」

 

 千束は真っ直ぐ返す。

 

「でも、奏斗は遥斗のこと、嫌いになりきれてなかった」

 

「……」

 

「ひどい弟だったって言ってた。でも弟だって言ってた」

 

「兄貴は昔からそうだ」

 

 遥斗の声が、少しだけ変わる。

 

 それまでの冷たさに、別の感情が混じった。

 

「俺が何をしても、結局そばにいた」

 

「……」

 

「俺は人から恐れられていた」

 

 遥斗は静かに言った。

 

「それは自覚していた。子どもの頃からだ。睨めば黙る。怒鳴れば従う。勝てば誰も逆らわない」

 

「うん」

 

「最初は気分が良かった。強い方が上。従わせる方が楽だ。そう思っていた」

 

「遥斗らしいね」

 

「だが、誰も本音を話さなくなった」

 

 千束は黙って聞いた。

 

「友達なんていなかった。周りにいたのは、俺を怖がる奴か、俺の力を利用しようとする奴だけだ」

 

「奏斗は?」

 

「兄貴だけは違った」

 

 遥斗の声が低くなる。

 

「兄貴は俺に怒った。文句も言った。殴られても、負けても、たまにまた向かってきた」

 

「奏斗らしい」

 

「弱いくせにな」

 

 その言い方には、わずかに懐かしさがあった。

 

「両親がいなくなってから、本音を話せる唯一の存在が兄貴だった」

 

 千束は、初めて遥斗の顔が少しだけ人間らしく見えた気がした。

 

 支配したがる男。

 

 恐怖を振りまく存在。

 

 DAを潰そうとする危険な人格。

 

 でも、その奥に、兄だけを頼りにしていた弟がいる。

 

「奏斗は、遥斗と周りの仲を取り持ってくれたんだよね」

 

「ああ」

 

「優しいね」

 

「余計なことばかりしていた」

 

「でも、嬉しかった?」

 

 遥斗は答えなかった。

 

 ただ、わずかに視線を逸らした。

 

 それが答えのように見えた。

 

「なら、奏斗を傷つけないで」

 

 千束の声が柔らかくなる。

 

「奏斗の体で人を殺したら、奏斗が苦しむ」

 

「それでもやる」

 

「何で」

 

「兄貴がやらないからだ」

 

「奏斗は殺すために生きてるんじゃない」

 

「なら、何のために生きてる」

 

「そんなの、これから決めればいいでしょ!」

 

 千束は拘束されたまま身を乗り出した。

 

「奏斗は奏斗の人生を生きればいい。遥斗の計画のためじゃない」

 

「その奏斗の人生に、お前がいる」

 

 遥斗は千束を見る。

 

「だから俺は、お前とは戦いたくない」

 

「え?」

 

「兄貴にとって、お前は大切な存在だ」

 

 遥斗ははっきりと言った。

 

「だから殺さない。傷つけるつもりもない」

 

「スタンガンで気絶させて拘束してるけど?」

 

「最低限だ」

 

「最低限の意味、間違ってる」

 

「昨日乱暴にしたのは悪かった」

 

 千束は目を細める。

 

「急に謝るの?」

 

「兄貴がうるさいからな」

 

「奏斗、起きてるの?」

 

「まだ朦朧としてる。でも、昨日の件だけは奥でかなり暴れている」

 

 遥斗はうんざりしたように言った。

 

「俺は、兄貴がじれったいからさっさと付き合えと思っただけだ」

 

「はぁ?」

 

「結果的に付き合っただろ」

 

「それを自分のおかげみたいに言うな!」

 

「事実だ」

 

「違う!」

 

「兄貴一人なら、あと半年はうじうじしていた」

 

「……それは」

 

 千束は一瞬だけ言葉に詰まった。

 

 奏斗ならあり得る。

 

 そう思ってしまった。

 

「でも、あのやり方は最悪!」

 

「だから悪かったと言っている」

 

「謝り方が全然悪いと思ってない!」

 

「思っていない部分もある」

 

「最悪!」

 

 遥斗は肩をすくめる。

 

 そして、少しだけ表情を戻した。

 

「兄貴と俺の入れ替わりについても話しておく」

 

 千束はすぐに顔を上げた。

 

「どうやったら奏斗に戻るの?」

 

「兄貴に弱い心が出た時、俺が表に出たいと思えば出られる」

 

「弱い心?」

 

「迷い、恐怖、焦り、強い怒り。特に、お前が絡むと出やすい」

 

「私……」

 

「兄貴はお前のことになると揺れる」

 

 遥斗ははっきり言った。

 

「守りたい。失いたくない。嫌われたくない。触れていいのか。傷つけたくない。そうやって迷う」

 

「奏斗らしいね」

 

「それが隙になる」

 

「でも、それが奏斗だよ」

 

「だから俺が出る」

 

「勝手に?」

 

「勝手にだ」

 

「戻るには?」

 

「出ている間、兄貴の意識は朦朧としている。完全に眠っているわけじゃない。だが、自分から強く表へ戻ろうとしない限り、俺が主導権を持つ」

 

「奏斗が中で目覚めたら?」

 

「強制的に兄貴が表になる」

 

「じゃあ、昨日は」

 

「お前が呼んだ」

 

 遥斗は少し不機嫌そうに言った。

 

「兄貴の名前を何度も呼んだから、奥で目を覚ました」

 

「今日も呼べば戻る?」

 

「今は無理だ」

 

「何で」

 

「兄貴が疲れている」

 

「遥斗が無理やり動いたからでしょ!」

 

「そうだ」

 

「認めるな!」

 

 千束は悔しそうに拘束を引く。

 

「外して。奏斗を起こす」

 

「無理だ」

 

「無理じゃない」

 

「お前が自由なら、俺は動きづらい」

 

「当たり前でしょ」

 

「だから縛っている」

 

 遥斗は立ち上がった。

 

「話は終わりだ」

 

「まだ終わってない!」

 

「追手が来る」

 

「蒼士さんたち?」

 

「おそらく」

 

「じゃあ、早く奏斗に戻って」

 

「今は戻らない」

 

 遥斗は玄関の方へ向かった。

 

 黒い上着を羽織り、装備を確認する。

 

 奏斗の部屋に置かれていたものではない。

 

 フードの仲間が運び込んだ装備だろう。

 

「待って!」

 

 千束が叫ぶ。

 

「遥斗!」

 

「何だ」

 

「奏斗の体で、これ以上人を殺さないで」

 

 遥斗は一瞬だけ止まった。

 

「保証はしない」

 

「遥斗!」

 

「兄貴に言え。強くなれとな」

 

「奏斗は弱くない!」

 

 遥斗は振り返らずに言った。

 

「なら、俺を止めてみろ」

 

 玄関の扉が開く。

 

 外へ出る直前、遥斗は少しだけ横顔を見せた。

 

「拘束は、すぐに外れる」

 

「じゃあ今外していって!」

 

「嫌だね」

 

「最悪!」

 

「それも聞き飽きた」

 

 扉が閉まる。

 

 鍵がかかる音はしなかった。

 

 遥斗は出ていった。

 

     ◇

 

「ちょっと! 外していけってば!」

 

 千束はベッドの上で暴れた。

 

 手首と足首を固定されたまま、何とか拘束を外そうとする。

 

 体をひねる。

 

 指を伸ばす。

 

 器用に手首を動かす。

 

 だが、拘束具は簡単には外れない。

 

「遥斗のバカ! 最低! ほんと最悪!」

 

 文句を言いながらも、千束は諦めない。

 

 部屋の中には、買ってきた食材が床に散らばっている。

 

 袋から転がった果物。

 

 倒れたスポーツドリンク。

 

 奏斗のために買った食材。

 

 その光景を見ると、千束はさらに腹が立った。

 

「奏斗に食べさせるつもりだったのに……!」

 

 遥斗の話は、重かった。

 

 DAへの怒り。

 

 過去の作戦。

 

 死んだはずなのに、奏斗の中で生き残った意味。

 

 兄への執着。

 

 孤独。

 

 全部が嘘だとは思えなかった。

 

 でも、だからといって許せない。

 

 奏斗の体で人を殺すことも。

 

 奏斗を苦しめることも。

 

 千束を利用することも。

 

 全部、許せない。

 

「奏斗……」

 

 千束は呼んだ。

 

 でも、返事はない。

 

 遥斗はもう出ていった。

 

 奏斗はその奥で眠っている。

 

 千束の声は、届かない。

 

 それでも、千束は小さく呟いた。

 

「戻ってきてよ」

 

     ◇

 

 それから五分ほど経った頃。

 

 玄関の方で足音がした。

 

 千束は即座に身構える。

 

 遥斗が戻ってきたのか。

 

 それともフードの仲間か。

 

 扉が開く。

 

「千束ちゃん!」

 

 入ってきたのは蒼士だった。

 

 その後ろに、リリベルが二名。

 

 千束は一気に力が抜けた。

 

「蒼士さん!」

 

「無事か?」

 

「無事だけど、これ外して!」

 

「今やる」

 

 蒼士がすぐに拘束具を確認する。

 

「うわ、厄介なやつ使ってるな」

 

「感想いいから!」

 

「はいはい」

 

 後ろのリリベル二人が室内を確認する。

 

 一人は窓。

 

 一人は玄関と廊下。

 

 蒼士は専用の工具を使い、拘束を外していく。

 

「奏斗は?」

 

「いない」

 

「遥斗?」

 

「うん。出てった」

 

「くそ、やっぱり遅れたか」

 

「追わないの?」

 

「別班が追ってる。俺たちは千束ちゃんの回収優先」

 

「私は大丈夫!」

 

「縛られてる時点で大丈夫じゃない」

 

「それはそうだけど!」

 

 拘束が外れる。

 

 千束はすぐに起き上がった。

 

 手首に痕が残っている。

 

 足首も少し痛む。

 

「怪我は?」

 

「スタンガンされた。でも動ける」

 

「医療確認は?」

 

「あとでいい。奏斗を追わないと」

 

「千束ちゃん」

 

 蒼士の声が少し低くなる。

 

「今、あいつを追うのは危ない」

 

「でも!」

 

「遥斗が完全に表に出てる。しかも仲間がいる。無策で追えば、また捕まる」

 

 千束は歯を食いしばる。

 

「奏斗、奥で朦朧としてるって」

 

「遥斗が言ったのか?」

 

「うん。奏斗が中で目覚めれば、強制的に戻るって」

 

「……情報としては大きいな」

 

「蒼士さん」

 

「何だ?」

 

「奏斗を助けたい」

 

「分かってる」

 

「遥斗も止めたい」

 

「分かってる」

 

「でも、遥斗を殺したら駄目」

 

 蒼士は少しだけ千束を見る。

 

「奏斗の体だから?」

 

「それもある」

 

「他には?」

 

「遥斗は奏斗の弟だから」

 

 千束の声は強かった。

 

「奏斗は、遥斗を嫌いになりきれてない。だから、殺したら奏斗が壊れる」

 

「……難しいこと言うなぁ」

 

「難しくてもやる」

 

「だろうな」

 

 蒼士は小さく息を吐いた。

 

「とりあえず、ここから移動しよう」

 

「リコリコ?」

 

「その前に安全確認だ」

 

「先生に連絡する」

 

「詳細はまだ伏せた方がいい」

 

「分かってる」

 

 千束はスマホを探した。

 

 テーブルの上に置かれていた。

 

 遥斗は取り上げなかったらしい。

 

 画面を開く。

 

 ミカへメッセージを送る。

 

 ――奏斗の部屋に着いたよ。少し遅くなるかも。

 

 嘘ではない。

 

 奏斗の部屋に着いた。

 

 ただ、奏斗はいない。

 

 千束は送信したあと、しばらく画面を見つめた。

 

 ミカに全部言いたい。

 

 でも、今言えばリコリコを巻き込む。

 

 ミズキにも知られる。

 

 騒ぎが広がる。

 

 まずは状況を整理しなければならない。

 

 ミカからすぐ返信が来た。

 

 ――気をつけなさい。無理はするな。

 

 千束は小さく頷いた。

 

「……先生には、とりあえず着いたって送った」

 

「それでいい」

 

 蒼士が言う。

 

「千束ちゃん」

 

「何?」

 

「遥斗から何を聞いた?」

 

 千束は手首をさすりながら、遥斗が話した内容を思い返す。

 

 DA上層部を殺す計画。

 

 リコリスやリリベルの子どもは対象ではないこと。

 

 今日も仲間とDA上層部を殺してきたこと。

 

 大規模作戦はDAによる処分だったと遥斗が考えていること。

 

 協力者たち。

 

 遥斗の孤独。

 

 奏斗だけが本音を話せる存在だったこと。

 

 入れ替わりの条件。

 

 奏斗が中で目覚めれば戻ること。

 

 全部、重要だ。

 

 そして全部、重い。

 

「話す」

 

 千束は言った。

 

「でも、その前に」

 

「何だ?」

 

「奏斗が帰ってきたときのために、食材だけ片づけていい?」

 

 蒼士は一瞬、目を丸くした。

 

 それから苦笑する。

 

「千束ちゃんらしいな」

 

「奏斗、体調不良ってことになってるから。食べやすいもの買ってきたんだよ」

 

「そうか」

 

「奏斗が戻ってきたら、食べさせる」

 

 千束は床に落ちた買い物袋へ向かった。

 

 手首は痛い。

 

 足首も少しだるい。

 

 でも、動ける。

 

 奏斗を取り戻す。

 

 遥斗を止める。

 

 DAの闇も、フードの四人組も、全部これからだ。

 

 その前に。

 

 奏斗が戻ってきたとき、少しでも安心できるように。

 

 千束は散らばった食材を、一つずつ拾い始めた。

 

 胸の奥には、怒りと不安と決意が混ざっていた。

 

 それでも、手は止めなかった。

 

 奏斗は必ず戻ってくる。

 

 そう信じて。

 

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