君を守る、その理由   作:かなっち館長

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第二十四話 DA本部反乱

 DA本部の空気は、いつも冷たかった。

 

 白く磨かれた床。

 

 無機質な壁。

 

 規則正しく並ぶ端末。

 

 必要最低限の会話だけが飛び交う管制室。

 

 そこには、街の喫茶店にあるような笑い声も、コーヒーの香りもない。

 

 命令。

 

 報告。

 

 処理。

 

 隠蔽。

 

 それだけが、静かに積み重なっていく場所。

 

 リコリスたちは、その中で動く。

 

 白い制服を着た少女たち。

 

 国の治安を守るため。

 

 誰にも知られず、誰かを殺すため。

 

 それが当然だと教えられた少女たち。

 

 そのDA本部で、最初の銃声が響いた。

 

 乾いた音だった。

 

 続けて二発。

 

 管制室の奥にいた幹部の一人が、椅子から崩れ落ちる。

 

「え……?」

 

 近くにいた職員が声を漏らした。

 

 倒れた男の胸元から血が広がっていく。

 

 その前に立っていたのは、リコリスだった。

 

 年齢は十代半ば。

 

 表情は冷たく、銃口はまだ煙を上げている。

 

「対象、排除」

 

 少女は淡々と言った。

 

 次の瞬間、別の場所でも銃声が鳴る。

 

 廊下。

 

 会議室前。

 

 資料管理区画。

 

 幹部用の執務室。

 

 同時多発的に、DA本部内で銃撃が起こった。

 

 数名のリコリスが、DA幹部へ銃を向けていた。

 

 彼女たちは外部の侵入者ではない。

 

 DA本部内で任務を受け、待機し、命令に従っていたはずのリコリスたちだった。

 

 だが今、彼女たちは幹部を殺している。

 

 内部からの反乱。

 

 その言葉が管制室に届くまで、そう時間はかからなかった。

 

「第三区画で発砲!」

 

「幹部二名、応答なし!」

 

「第二区画にも反応! リコリスです、所属リコリスが幹部を攻撃しています!」

 

「隔壁を下ろせ!」

 

「駄目です、権限が書き換えられています!」

 

 管制室が一気に騒然となる。

 

 端末の警告表示が赤く染まる。

 

 銃声は遠くから近くへ移動していた。

 

 反乱リコリスたちはただ撃っているのではない。

 

 狙いがある。

 

 DA幹部。

 

 作戦権限を持つ者。

 

 情報統制に関わる者。

 

 リコリス運用に関わる者。

 

 そして、本部内部の一部システム。

 

 偶発的な暴発ではない。

 

 明確に準備された反乱だった。

 

「楠木司令!」

 

 職員の一人が叫ぶ。

 

 楠木は管制室の中央で、モニターを睨んでいた。

 

 表情に大きな乱れはない。

 

 だが、その目は鋭く細められている。

 

「反乱リコリスの数は」

 

「確認できているだけで六名。まだ増える可能性があります」

 

「外部からの侵入は」

 

「現時点で未確認。ただし、周辺の監視網に一部妨害あり」

 

「本部内協力者がいるな」

 

 楠木は低く言った。

 

 職員たちは返事をしない。

 

 返事をする余裕がなかった。

 

 銃声が、また近づく。

 

「各リコリスへ鎮圧命令」

 

「了解!」

 

 楠木の声は冷たかった。

 

 その直後、別のモニターに外部通信の警告が表示される。

 

 DA本部付近で、複数の不審反応。

 

 黒いフードの集団。

 

 外部から接近中。

 

 楠木の目がわずかに動いた。

 

「……来るか」

 

 彼女はすぐに端末を操作した。

 

 通信先は、喫茶リコリコ。

 

 正確には、錦木千束の端末だった。

 

     ◇

 

 車内で、千束の端末が鳴った。

 

 運転席には蒼士。

 

 助手席にはリリベルの一人。

 

 後部座席に千束が座っている。

 

 車は奏斗の発信機の位置を追って走っていた。

 

 発信源は、DA本部の方向へ移動している。

 

 その時点で、千束の胸には嫌な予感があった。

 

 そこへ楠木からの通信。

 

 千束はすぐに出た。

 

「楠木司令?」

 

『錦木千束』

 

 通信越しの楠木の声は硬かった。

 

『DA本部で反乱が発生した』

 

「反乱?」

 

『本部所属リコリス数名が幹部を殺害。現在、本部内で銃撃戦が起きている』

 

 千束の手に力が入る。

 

「リコリスが?」

 

『そうだ。さらに外部から武装勢力が接近している。黒いフードを被った集団だ』

 

 千束は蒼士を見る。

 

 蒼士も端末の位置情報を確認していた。

 

「奏斗……ううん、遥斗もそこに向かってる」

 

『押村奏斗か』

 

「今は遥斗が表に出てる」

 

『状況は把握している。詳細は後で聞く』

 

 楠木は短く言う。

 

『錦木千束。DA本部へ救援に来い』

 

 千束は一瞬、答えなかった。

 

 DA本部。

 

 そこにはリコリスがいる。

 

 幹部がいる。

 

 反乱を起こしたリコリスがいる。

 

 そして、遥斗が向かっている。

 

 奏斗の体で。

 

「命令?」

 

『そうだ』

 

 楠木の声は変わらない。

 

『ただし、任務内容は反乱の鎮圧と、押村奏斗の確保。可能であれば生存状態で拘束しろ』

 

「可能であれば?」

 

 千束の声が低くなる。

 

「奏斗は殺させない」

 

『ならばお前が止めろ』

 

 楠木はそう返した。

 

 冷たい言い方だった。

 

 でも、千束には分かった。

 

 楠木も、状況が最悪へ向かっていることを理解している。

 

 DA本部で反乱。

 

 幹部の殺害。

 

 外部武装勢力の接近。

 

 奏斗の体を使う遥斗。

 

 このままなら、DAは奏斗を敵として処理する。

 

 それを止められる可能性があるのは、千束だけ。

 

「分かった」

 

 千束は答えた。

 

「行く」

 

『本部入口は混乱している。到着後、誘導を送る』

 

「いらない」

 

『何?』

 

「遥斗のところへ行けばいいんでしょ」

 

 千束は端末を握りしめる。

 

「私が見つける」

 

 通信を切る。

 

 車内に沈黙が落ちた。

 

 蒼士が前を見たまま言う。

 

「状況、最悪だな」

 

「うん」

 

「反乱リコリスが遥斗側なら、本部内に道案内がいる」

 

「遥斗たちを迎え入れるため?」

 

「そう考えるのが自然だ」

 

 千束は窓の外を見る。

 

 街の景色が流れていく。

 

 もうすぐDA本部。

 

 リコリスとしての古巣。

 

 けれど今は、そこへ奏斗を助けに行く。

 

 遥斗を止めるために。

 

 同じリコリスたちとも戦うかもしれない。

 

「千束ちゃん」

 

 蒼士が言う。

 

「迷うなとは言わない。でも、止まるな」

 

「分かってる」

 

「遥斗は、迷ったところを突く」

 

「知ってる」

 

 千束は自分の銃を確認した。

 

 非致死弾。

 

 十分な数。

 

 殺さない。

 

 でも、止める。

 

「奏斗を戻す」

 

 千束は小さく呟いた。

 

     ◇

 

 DA本部へ近づくと、すでに外周は混乱していた。

 

 通常なら、外からはただの管理施設にしか見えない場所。

 

 今は違う。

 

 警報灯が赤く回り、職員用車両が慌ただしく動いている。

 

 遠くから銃声が聞こえる。

 

 建物内部から響く、断続的な発砲音。

 

 千束は車が完全に止まる前に扉へ手をかけた。

 

「千束ちゃん、待て!」

 

「待たない!」

 

 車が停車する。

 

 千束は飛び出した。

 

 蒼士も後に続く。

 

 負傷している体で無理をしているのが分かる。

 

 だが、止めても聞かないだろう。

 

 それは千束も同じだった。

 

 入口付近には、DA職員とリコリスが数名いた。

 

 彼女たちは千束を見ると、一瞬だけ驚いた顔をした。

 

「錦木千束……!」

 

「状況は?」

 

「内部で反乱リコリスが銃撃。上層階へ向かっています。外部からの侵入者も――」

 

 説明の途中で、奥の通路から銃声が響いた。

 

 壁の一部が砕ける。

 

 反乱リコリスが数名、姿を現した。

 

 白い制服。

 

 年齢は千束と同じか、少し下。

 

 顔には迷いがない。

 

 彼女たちは千束を撃たなかった。

 

 代わりに、一人が前へ出る。

 

「錦木千束」

 

 千束は銃を構えた。

 

「あなたたち、何してるの?」

 

「DAを終わらせる」

 

 少女は淡々と言った。

 

「遥斗様が来る」

 

「遥斗様?」

 

 千束の目が鋭くなる。

 

「あなたたちも遥斗の仲間?」

 

「私たちは解放される」

 

「誰に?」

 

「DAから」

 

 少女の声は静かだった。

 

 でも、その奥には強い熱があった。

 

「私たちは、殺すために育てられた。命令され、撃ち、隠される。失敗すれば捨てられる。もう終わりにする」

 

「だから幹部を殺したの?」

 

「そう」

 

「それで自由になれると思ってるの?」

 

「少なくとも、鎖は壊せる」

 

 千束は唇を結んだ。

 

 彼女たちの言葉を、全部否定できるわけではない。

 

 DAのやり方は、正しいだけではない。

 

 千束自身も、それを知っている。

 

 それでも。

 

「殺して壊した先に、何があるの?」

 

「何もないよりいい」

 

「違う」

 

 千束は一歩前へ出る。

 

「何もないからって、人を殺していい理由にはならない」

 

「DAがそれを言うの?」

 

「私はDAのために言ってるんじゃない」

 

 千束は銃口を下げなかった。

 

「私がそうしたくないから言ってる」

 

 少女は少しだけ目を細めた。

 

「遥斗様のもとへ案内する」

 

「罠?」

 

「違う。遥斗様が、あなたに会うことを望んでいる」

 

「奏斗は?」

 

 その名前を出した瞬間、少女の表情がわずかに変わった。

 

「押村奏斗は、遥斗様の器」

 

 千束の指が引き金にかかる。

 

「その言い方、嫌い」

 

「事実」

 

「違う」

 

 千束は低く言った。

 

「奏斗は奏斗。遥斗の器なんかじゃない」

 

 少女は答えなかった。

 

 ただ背を向ける。

 

「来るなら来て」

 

 千束は蒼士を見た。

 

「行く」

 

「ああ」

 

 蒼士は頷く。

 

「ただ、気をつけろ。案内されている時点で、向こうの土俵だ」

 

「分かってる」

 

 千束は反乱リコリスの後を追った。

 

     ◇

 

 本部内部は混乱していた。

 

 白い廊下に銃痕。

 

 倒れた端末。

 

 壊れた監視カメラ。

 

 遠くで続く銃声。

 

 白い制服のリコリス同士が撃ち合っている。

 

 DAの職員が壁際に倒れている。

 

 幹部と思われる男が、血を流して廊下に横たわっている。

 

 千束は歯を食いしばった。

 

 これは、遥斗が起こしたものだ。

 

 でも、それだけではない。

 

 この中にいる反乱リコリスたちは、自分の意思で引き金を引いている。

 

 遥斗に従っている。

 

 あるいは、遥斗を信じている。

 

 そのことが重かった。

 

 反乱リコリスは、上層階へ続く通路の前で止まった。

 

「この先」

 

「奏斗は?」

 

「遥斗様がいる」

 

「だから、その言い方やめてってば」

 

 千束は銃を構え直す。

 

 扉が開く。

 

 広い訓練ホールだった。

 

 DA本部内にある、リコリス用の実戦訓練場。

 

 高い天井。

 

 複数の遮蔽物。

 

 白い床に、薄く残る足跡。

 

 その中央に、黒いフードを被った人物が立っていた。

 

 フードがゆっくり外される。

 

 奏斗の顔。

 

 でも、目が違う。

 

「来たか、千束」

 

 遥斗が笑った。

 

 千束の胸が痛む。

 

 それでも、銃を下ろさない。

 

「奏斗を返して」

 

「何度も言わせるな。まだ無理だ」

 

「じゃあ、無理やり戻す」

 

「できると思うか?」

 

「やる」

 

 遥斗は楽しそうに笑った。

 

「いい目だ」

 

「褒められても嬉しくない」

 

「兄貴が惚れるわけだ」

 

「黙って」

 

 千束は引き金を引いた。

 

 非致死弾が床を蹴るように飛ぶ。

 

 遥斗は横へ跳んで避けた。

 

 速い。

 

 けれど、千束の目は追えている。

 

 奏斗の体。

 

 遥斗の動き。

 

 どこかに必ず、奏斗の癖が残る。

 

 足の踏み込み。

 

 視線の動き。

 

 怪我をかばう癖。

 

 完全に遥斗のものではない。

 

 千束はそこを見る。

 

 遥斗は近づく。

 

 銃ではない。

 

 ナイフを抜き、距離を詰める。

 

 千束は撃つ。

 

 一発。

 

 二発。

 

 三発。

 

 遥斗は避ける。

 

 だが、完全には避けきれない。

 

 左肩に一発、右腿に一発、非致死弾が当たる。

 

「ちっ」

 

 遥斗が顔を歪める。

 

「避けられると思った?」

 

「兄貴の体が邪魔だな」

 

「奏斗の体だから、私には見える」

 

 千束は走る。

 

 弾幕を張るのではなく、遥斗の動きを誘導する。

 

 右へ逃げるなら、そこへ弾を置く。

 

 左へ踏み込むなら、足元を撃つ。

 

 遥斗は強い。

 

 速い。

 

 迷いがない。

 

 でも、千束は銃弾を避ける天才だ。

 

 相手の射線を読むだけではない。

 

 体の動きから、次の行動を予測できる。

 

 しかも、相手は奏斗の体。

 

 この数週間、誰よりも近くで見てきた体だった。

 

 戦う時の癖も。

 

 迷った時の癖も。

 

 傷をかばう時の癖も。

 

 千束は知っている。

 

「奏斗!」

 

 千束は呼びながら撃つ。

 

「聞こえてるんでしょ!」

 

 遥斗が一瞬だけ眉をひそめる。

 

「呼んでも無駄だ」

 

「無駄じゃない!」

 

 千束はさらに踏み込む。

 

 遥斗のナイフが横薙ぎに走る。

 

 千束は身を沈めて避け、近距離から腹部へ非致死弾を叩き込んだ。

 

 遥斗の体が後ろへ飛ぶ。

 

「ぐっ……!」

 

 床を滑り、膝をつく。

 

 千束はすぐに銃口を向ける。

 

「終わり」

 

 遥斗は息を荒くする。

 

 非致死弾とはいえ、至近距離から複数発受ければ動きは鈍る。

 

 しかも奏斗の体は、まだ完全ではない。

 

 療養明けの傷もある。

 

 遥斗は立とうとするが、膝がわずかに震えた。

 

「……兄貴の体が、足を引っ張る」

 

「違う」

 

 千束は言う。

 

「奏斗が止めてるんだよ」

 

 遥斗の目が鋭くなる。

 

「奏斗が、中で抵抗してる。だから、あなたは完全には動けない」

 

「黙れ」

 

「奏斗!」

 

 千束は叫んだ。

 

「戻ってきて!」

 

 その瞬間、遥斗の表情が大きく歪んだ。

 

 奥で何かが揺れた。

 

 奏斗が反応した。

 

 千束には、それが分かった。

 

 だが、次の瞬間。

 

 横から黒い影が飛び込んできた。

 

「千束ちゃん!」

 

 蒼士の声。

 

 フードの一人。

 

 どこに潜んでいたのか、反乱リコリスの案内に紛れていたのか。

 

 黒いフードを被った一人が、千束へ刃を向けて襲いかかる。

 

 千束は気づくのが一瞬遅れた。

 

 遥斗へ意識を集中していた。

 

 奏斗を呼ぶことに、全力を注いでいた。

 

 刃が腕を裂いた。

 

「っ!」

 

 左腕に鋭い痛み。

 

 血が飛ぶ。

 

 千束は反射的に後退し、右手で銃を構える。

 

 だが、フードはさらに踏み込む。

 

「邪魔だ、錦木千束!」

 

 千束は撃とうとした。

 

 しかし、左腕の痛みで体勢が崩れる。

 

 フードの刃が、今度は肩口を狙う。

 

 その時。

 

「やめろ」

 

 声がした。

 

 遥斗の声ではない。

 

 奏斗の声だった。

 

 フードの動きが止まる。

 

 千束も息を飲む。

 

 床に膝をついていた奏斗が、顔を上げていた。

 

 目の色が戻っている。

 

 冷たい遥斗の目ではない。

 

 いつもの、少し固くて、でも千束を見る時だけ柔らかくなる奏斗の目。

 

「奏斗……!」

 

 千束の声が震える。

 

 奏斗は立ち上がろうとして、よろめいた。

 

 蒼士が駆け寄ろうとするが、奏斗は片手で制した。

 

「千束の傷を」

 

「奏斗、自分が」

 

「先に千束です」

 

 奏斗は千束の方へ歩く。

 

 一歩ごとに痛みがあるはずだ。

 

 非致死弾を受けた体。

 

 遥斗が無理に動かした体。

 

 それでも奏斗は千束の前まで来た。

 

「見せてください」

 

「奏斗、戻ったの?」

 

「今は」

 

「今はって何」

 

「完全ではありません。でも、表には戻りました」

 

 奏斗は持っていた簡易止血材を取り出す。

 

 いつの間に取り戻したのか。

 

 おそらく、訓練ホール内の応急処置セットから取ったのだろう。

 

 奏斗は千束の腕の傷を確認する。

 

「深くはありません。止血します」

 

「奏斗」

 

「痛みますか?」

 

「痛いけど、それより」

 

「動かないでください」

 

 いつもの奏斗だった。

 

 こんな状況なのに。

 

 千束の傷を見て、真っ先に手当てしようとしている。

 

 千束は泣きそうになった。

 

「戻ってきた……」

 

「千束が呼びましたから」

 

 奏斗は静かに言った。

 

「聞こえました」

 

「本当に?」

 

「はい」

 

 その言葉に、千束の胸が熱くなる。

 

 でも、安心する時間はなかった。

 

 フードの一人が、少し離れた場所で笑った。

 

「甘いですね、押村奏斗」

 

 奏斗は振り返る。

 

 フードは銃を構えていた。

 

 千束ではなく、奏斗へ。

 

「遥斗様なら、まず敵を排除する。あなたは負傷した女の手当てを優先した」

 

「千束は敵ではありません」

 

「だから弱い」

 

「その言葉は聞き飽きました」

 

「あなたが弱いから、遥斗様が必要になる。あなたが迷うから、遥斗様が表に出る。あなたが守れないから、遥斗様が殺す」

 

 フードの言葉が、奏斗へ突き刺さる。

 

 千束はすぐに声を上げた。

 

「違う!」

 

 だが、フードは止まらない。

 

「今日、遥斗様は多くの幹部を殺した。あなたの体で。あなたの手で。DAはあなたを殺人犯として扱うでしょう」

 

 奏斗の表情がわずかに揺れる。

 

「あなたが戻っても、もう遅い」

 

「やめて」

 

 千束が言う。

 

「奏斗にそんなこと言わないで」

 

「事実です」

 

 フードはさらに続ける。

 

「あなたがいなければ、遥斗様はもっと早くDAを壊せた。あなたが邪魔をしている。あなたの弱さが、すべてを遅らせている」

 

 奏斗の呼吸が乱れる。

 

 千束はそれに気づいた。

 

 まずい。

 

 奏斗が揺れている。

 

 遥斗がまた表に出る条件。

 

 焦り。

 

 恐怖。

 

 危険。

 

 そして、自分を責める心。

 

「奏斗!」

 

 千束は手当て途中の腕で、奏斗の袖を掴んだ。

 

「聞かないで!」

 

「ですが」

 

「私を見て!」

 

 奏斗は千束を見る。

 

 千束はまっすぐ見返す。

 

「奏斗は戻ってきた。私の傷も見てくれた。今ここにいるのは奏斗」

 

「……はい」

 

「遥斗じゃない」

 

「はい」

 

 奏斗は頷こうとした。

 

 その時、頭の奥で声がした。

 

『本当にそうか?』

 

 遥斗の声。

 

 奏斗の視界が揺れる。

 

『お前が戻ったせいで、千束は傷を負った』

 

『違います』

 

『俺なら防げた』

 

『違う』

 

『俺なら、あいつを先に殺していた』

 

『殺させません』

 

『だから弱い』

 

 奏斗は目を閉じた。

 

 内側へ沈む。

 

 千束の声が遠くなる。

 

 外の訓練ホールが薄れていく。

 

 意識の中に、暗い空間が広がった。

 

 そこに、遥斗が立っていた。

 

 幼い頃の姿ではない。

 

 今の奏斗と同じくらいの年齢。

 

 だが、目だけは昔のままだった。

 

 人を従わせる目。

 

 恐怖を知り、恐怖を使う目。

 

「やっと向き合う気になったか、兄貴」

 

 遥斗が笑う。

 

 奏斗は静かに立つ。

 

「あなたを止めます」

 

「止めてどうする」

 

「千束を助ける。DA本部の反乱も止める」

 

「甘いな」

 

「何度も聞きました」

 

「お前は戻っても地獄だぞ」

 

 遥斗は歩きながら言う。

 

「俺が殺した幹部の血は、お前の手につく。DAはお前を敵として見る。リリベルも、お前を危険物扱いする」

 

「それでも戻ります」

 

「千束も傷ついた」

 

「だから戻ります」

 

「お前がいれば、また傷つく」

 

「私がいなくても傷つきます」

 

 奏斗は遥斗を見る。

 

「千束は、私が守ると言っても勝手に前へ出る人です」

 

「よく分かってるじゃないか」

 

「だから、一緒に戦うしかありません」

 

「守れないくせに?」

 

「守るだけでは足りない」

 

 奏斗の声が少し強くなる。

 

「千束は、守られるだけの人ではありません」

 

 遥斗の笑みが消える。

 

「私は千束を守りたい。でも、千束の意志を奪いたいわけではない」

 

「だから弱い」

 

「それが私です」

 

 奏斗は一歩前へ出る。

 

「弱くても、迷っても、私は私のまま戻ります」

 

「俺を否定するのか」

 

「いいえ」

 

 奏斗は首を振った。

 

「あなたも私の一部です。遥斗、あなたは私の弟です」

 

 遥斗の目がわずかに揺れる。

 

「だから、もう私の体で勝手に殺させない」

 

「兄貴……」

 

「あなたの怒りも、痛みも、孤独も、知らなかったことにはしません」

 

 奏斗は言う。

 

「でも、あなたの計画には従わない」

 

 暗い空間が揺れる。

 

 遥斗の周囲に黒い霧のようなものが広がる。

 

 【恐怖】。

 

 奏斗の中にある恐怖。

 

 遥斗の中にある恐怖。

 

 それが意識の空間を満たしていく。

 

「なら、力ずくで奪ってみろ」

 

 遥斗が低く言った。

 

 奏斗は構えた。

 

 外では、千束が奏斗の体を支えている。

 

 内側では、奏斗と遥斗が向かい合う。

 

 兄と弟。

 

 器と影。

 

 恐怖を使う者と、恐怖を抑える者。

 

 二人の戦いが、意識の奥で始まろうとしていた。

 

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