君を守る、その理由   作:かなっち館長

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第三話 信じた影と、本物の銃声

 喫茶リコリコへ戻ったときには、もう日付が変わろうとしていた。

 

 表の照明は落とされ、入口の看板も店内へ片づけられている。けれど、カウンターの上には明かりが残されていた。

 

 扉の鍵を開けて中へ入る。

 

「ただいまー」

 

 いつもの調子で声をかけたつもりだった。

 

 でも、自分で思っていたより、声に元気がなかった。

 

 カウンターの奥には先生がいた。

 

 紫色の和服姿のまま、椅子に腰かけている。その表情は穏やかだったけれど、私が帰ってくるのを待っていたことはすぐに分かった。

 

 ミズキも店に残っていた。

 

 カウンター席に座り、飲みかけの缶を片手にこちらを見る。

 

「遅かったじゃない」

 

「ミズキ、まだいたの?」

 

「通信を聞いてたら帰れるわけないでしょ」

 

「もしかして、心配してくれた?」

 

「違うわよ。面白そうな話を聞き逃したくなかっただけ」

 

「素直じゃないなぁ」

 

「無事そうなら、まず報告しなさい」

 

 ミズキはそう言ったけれど、その視線は私の全身を確認していた。

 

 怪我がないかを見ている。

 

 私は両腕を広げ、その場で一回転した。

 

「見てのとおり、怪我なし。今日も元気!」

 

「傷を隠してないでしょうね?」

 

「隠してないって」

 

「念のため確認する」

 

 先生に言われ、私は両手を上げた。

 

「先生まで疑うの?」

 

「千束には前科がある」

 

「ちょっとかすったくらいなら怪我じゃないよ」

 

「そういうところよ」

 

 ミズキが呆れたように言う。

 

 先生は私の腕や首元を簡単に確認し、本当に怪我がないと分かると、ようやく小さく息をついた。

 

「座りなさい」

 

「はーい」

 

 私はカウンター席へ腰を下ろした。

 

 いつもなら閉店後の静かな店内は落ち着く。

 

 けれど、今夜は少しだけ違って感じられた。

 

 つい数時間前、この店にいた少年が、夜の倉庫街で銃を持っていた。

 

 パフェを食べながら冗談を言っていた奏斗。

 

 無表情のまま人を撃った奏斗。

 

 どちらも同じ人間だと分かっているのに、二つの姿がまだ頭の中でうまく重ならない。

 

「それで?」

 

 ミズキが身を乗り出す。

 

「相手は何者だったの?」

 

「リリベル」

 

 私が答えると、ミズキの表情が止まった。

 

 先生も、わずかに目を細める。

 

「……リリベル?」

 

「うん」

 

「ちょっと待って。リリベルって、あのリリベル?」

 

「ほかのリリベルを知らないけど、たぶんそのリリベル」

 

「男性版リコリスみたいな連中のことでしょう?」

 

「そうみたい」

 

 ミズキは持っていた缶をカウンターへ置いた。

 

「本当に実在してたの?」

 

「私も同じこと言った」

 

「いや、いるとは聞いてたわよ。でもリコリスとは運用系統が別だし、情報もほとんど出てこないじゃない。活動範囲も任務内容も不明。DAの中でも知ってる人間は限られてるはずよ」

 

「奏斗は、自分でリリベルだって言ってた」

 

「奏斗?」

 

 ミズキが眉を寄せる。

 

「誰よ、それ」

 

「ほら、パフェ食べに来た子」

 

 数秒の沈黙。

 

 ミズキの目が大きく見開かれた。

 

「はあ!?」

 

 静かだった店内に、大きな声が響いた。

 

「うるさいよ、ミズキ」

 

「うるさくもなるわよ! あの子がリリベルだったの!?」

 

「そうだよ」

 

「甘いものが大好きで、あんたの馬鹿話に普通に付き合ってた、あの十七歳が?」

 

「馬鹿話じゃないけど、あの奏斗」

 

「全然そう見えなかったじゃない!」

 

「私も気づかなかった」

 

「千束が?」

 

「うん」

 

 私は素直にうなずいた。

 

 最初に奏斗が店へ来たとき、何の違和感もなかった。

 

 姿勢がよくて、少し大人びて見えた。

 

 会話が上手で、周囲をよく見ているようにも感じた。

 

 でも、それだけだった。

 

 訓練を受けたエージェントだとは思わなかった。

 

 まして、リリベルだなんて。

 

「武器を持っているようには見えなかった?」

 

 先生が尋ねる。

 

「見えなかった。たぶん持ってなかったと思う。少なくとも、分かりやすい場所には」

 

「歩き方や視線は?」

 

「普通だったよ」

 

「普通?」

 

「うん。お店に初めて来たお客さん。周りを警戒してる感じもなかったし、出口ばっかり気にしてるわけでもなかった」

 

「完全に日常へ溶け込んでたわけね」

 

 ミズキが腕を組む。

 

「リリベルの訓練って、そこまで徹底してるの?」

 

「それだけではないだろう」

 

 先生が静かに言った。

 

「日常で普通に振る舞うことが、奏斗という少年にとって自然なのかもしれない」

 

「そうそう」

 

 私は先生の言葉にうなずく。

 

「冗談も言うし、ツッコミも上手だよ。甘いものを食べるとちょっとだけうれしそうになるし」

 

「そこは今、重要なの?」

 

「重要だよ。人間性が出るところじゃん」

 

「リリベルの報告で甘党情報を最優先にするんじゃないわよ」

 

「最優先じゃないってば」

 

 そう言いながら、私は少しだけ笑った。

 

 奏斗がリリベルだった。

 

 それは驚いた。

 

 でも、リリベルだったからといって、店で見せていた姿が全部嘘だったとは思えない。

 

 奏斗は任務とは関係なく、パフェを食べに来たと言った。

 

 私たちと話して楽しかったことも本当だと答えた。

 

 なら、それでいい。

 

 少なくとも私は、そう思いたかった。

 

「それで、どうしてリリベルが千束の任務に?」

 

 ミズキが聞く。

 

「同じ対象を追ってたみたい」

 

「任務が重複していた?」

 

「たぶんね。私が捕まえようとした相手を、奏斗が横から撃った」

 

「撃ったって……非致死弾?」

 

 私は首を横へ振った。

 

「実弾」

 

 ミズキの表情から、冗談めいた雰囲気が消えた。

 

「全員?」

 

「動いてた人は、全員」

 

「死亡を確認したのか?」

 

 先生が聞く。

 

「うん」

 

 短く答える。

 

 倒れた男たち。

 

 胸や背中から広がった血。

 

 もう助けられないと分かったときの、冷たい感覚。

 

 思い出したくはなかった。

 

 でも、忘れてしまうのも違う気がした。

 

「私はもう拘束できる状態にしてたんだよ。逃げられないようにして、武器も落とさせてた。それなのに奏斗は撃った」

 

「リリベルにとっては、それが通常の任務遂行なのかもしれないわね」

 

 ミズキの声は低かった。

 

「DAだって基本は同じでしょ。犯罪者を事前に見つけて、事件を起こす前に消す。あんたみたいに全員生かして終わらせる方が異常なのよ」

 

「異常って言わないでよ」

 

「組織の基準から見れば、ってこと」

 

「分かってるけどさ」

 

 私はカウンターへ頬杖をついた。

 

「奏斗にも聞かれた。どうして殺さないのかって」

 

「何て答えたの?」

 

「命は大事だから」

 

「いつもの答えね」

 

「うん」

 

「納得してた?」

 

「全然」

 

「でしょうね」

 

 ミズキはため息をついた。

 

「それで、言い争いになったの?」

 

「ちょっとだけ」

 

「ちょっと?」

 

「お互いに銃を向けた」

 

「それを先に言いなさいよ!」

 

 またミズキの大声が店内に響く。

 

 先生の表情も、明らかに険しくなった。

 

「撃ったのか?」

 

「撃ってないよ。私も奏斗も」

 

「本当に?」

 

「本当。奏斗には私を撃つつもりはなかったと思う」

 

「どうしてそう言い切れるのよ」

 

「見れば分かるもん」

 

 引き金へ置かれた指。

 

 腕の力。

 

 視線の動き。

 

 奏斗は私へ銃口を向けていた。

 

 でも、撃つ動きはなかった。

 

 少なくとも、あのときは。

 

「私が先に銃を下ろしたら、奏斗も下ろした」

 

「それで終わり?」

 

「少し話して、帰った」

 

「ずいぶん簡単に言うわね」

 

「実際、そんな感じだったよ」

 

「そんな感じで済ませる話じゃないでしょうが」

 

 ミズキは頭を抱えた。

 

 先生は何も言わず、しばらく私を見ていた。

 

 その視線が少しだけ重い。

 

「先生?」

 

「奏斗は、千束の正体を知っていたのだな」

 

「うん。最初に来たときは知らなかったみたいだけど、そのあと調べたって」

 

「二度目に来店した時点では知っていた?」

 

「たぶん」

 

「それでも店へ来た」

 

「パフェを食べに」

 

「それが本当だという保証はない」

 

 先生の言葉に、私は口を閉じた。

 

「店内の確認や、千束との接触を目的としていた可能性もある」

 

「でも、奏斗は任務と関係ないって」

 

「本人の言葉だけだ」

 

「先生、奏斗を疑ってるの?」

 

「判断するための情報が足りない」

 

 先生の声は落ち着いていた。

 

 奏斗を敵だと決めつけているわけではない。

 

 でも、私のように簡単に信じてもいない。

 

「リリベルはDAの内部でも情報が少ない。命令系統も活動目的も分からない。奏斗がどのような指示を受け、なぜ千束へ接触したのかも不明だ」

 

「たまたまお店を見つけたって言ってたよ」

 

「それが事実であっても、その後の行動まで偶然とは限らない」

 

「でもさ」

 

「千束」

 

 先生の声が、私の言葉を止める。

 

「奏斗が敵だとは言っていない」

 

「……うん」

 

「だが、味方とも限らない」

 

 先生は私の目をまっすぐに見た。

 

「気をつけなさい」

 

 それだけだった。

 

 店へ来るなとも、奏斗と話すなとも言わない。

 

 ただ、気をつけろ。

 

 先生らしい言葉だと思った。

 

 私が何を言っても聞かないことを知っているから、最初から止めようとしないのかもしれない。

 

「分かった」

 

 私はうなずいた。

 

 ミズキが疑わしそうにこちらを見る。

 

「本当に分かってる?」

 

「分かってるって」

 

「その顔は分かってない顔よ」

 

「どんな顔?」

 

「また来るといいな、とか考えてる顔」

 

「えっ、何で分かったの?」

 

「あんたが分かりやすすぎるのよ!」

 

 ミズキの指摘に、私は笑った。

 

 奏斗はまた店へ行くと言った。

 

 たとえリリベルでも、来店したら普通に迎える。

 

 次は抹茶パフェをすすめる。

 

 その気持ちは変わらなかった。

 

「そういえば」

 

 私はカウンターへ置かれた水のグラスを見ながら、ふと思い出した。

 

「最初の日の夜も、誰かにつけられてる気がしたんだよね」

 

「最初の日?」

 

「奏斗が初めて店に来た日の夜。任務の帰り道で、誰かに見られてる感じがした」

 

 先生とミズキの視線がこちらへ集まる。

 

「それ、今まで報告してなかったわよね?」

 

「だって誰も見つからなかったし、気のせいだと思ったから」

 

「どういう状況だった?」

 

 先生が尋ねる。

 

 私は記憶をたどる。

 

「任務が終わって、一人で帰ってた。背後から視線を感じて、歩く速度を変えたり、途中で止まったりしたんだけど、誰もいなかった」

 

「進路を変えたか?」

 

「一本違う道を通った。コンビニの窓にも後ろが映ってたけど、人影は見えなかったよ」

 

「それで気のせいだと?」

 

「うん」

 

「奏斗だった可能性があると思っているのね」

 

 ミズキが言った。

 

「最初に会ったあと、私のことを調べたって言ってたから。もしかしたら、あの夜に私を見つけて、ついてきてたのかなって」

 

「尾行されていたなら、千束が気づいても姿を確認できなかったことになる」

 

「奏斗ならできるかも」

 

「ずいぶん高く評価してるわね」

 

「昨日の射撃を見たからね。動きも速かったし」

 

 奏斗は遠距離から、私が押さえていた男だけを正確に撃った。

 

 夜の倉庫街。

 

 暗さも距離もあった。

 

 それでも迷わず急所へ当てていた。

 

 戦闘能力は高い。

 

 尾行や監視の訓練を受けていたとしても、不思議ではなかった。

 

「奏斗に直接聞いたのか?」

 

「聞いてない」

 

「次に会ったら聞くつもり?」

 

 ミズキに聞かれ、私は少し考えた。

 

「聞いても本当のこと言わないかも」

 

「それなら、どうするのよ」

 

「顔を見る」

 

「顔?」

 

「奏斗、普通に会話してるときは分かりやすいところもあるから」

 

「リリベル相手に表情で嘘を見抜くつもり?」

 

「じゃんけんと同じだよ」

 

「相手が対策してたら?」

 

「そのとき考える」

 

「結局そればっかりね」

 

 ミズキが呆れたように缶へ手を伸ばす。

 

 先生は考え込むように黙っていた。

 

 やがて、低い声で言う。

 

「奏斗だったと決めつけない方がいい」

 

「どうして?」

 

「奏斗ではなかった場合、別の誰かが千束を監視していることになる」

 

 その言葉に、店内の空気が少しだけ冷えたように感じた。

 

「別の誰か……」

 

「心当たりは?」

 

 私は少し考え、首を横へ振った。

 

「ないよ」

 

「最近の任務で、逃がした相手は?」

 

「いない。みんな捕まえたし、クリーナーに任せた」

 

「組織の関係者に顔を見られた可能性は?」

 

「それはあるかも。でも、いつものことだよ」

 

「いつものことだから安全とは限らない」

 

 先生が言う。

 

「しばらくは、任務後の移動にも注意しなさい」

 

「了解」

 

「一人で帰らない方がいいんじゃない?」

 

 ミズキが口を挟む。

 

「大丈夫だよ。誰かいたら捕まえて聞くから」

 

「そういうところが心配なのよ」

 

「私、強いよ?」

 

「強くても、奇襲には限界があるでしょ」

 

 ミズキの言葉に、私は一瞬だけ黙った。

 

 視界の外からの攻撃。

 

 煙や暗闇。

 

 相手の姿が見えない状況。

 

 どれだけ動きを読めても、見ることができなければ避けられない。

 

「分かってる」

 

 そう答える。

 

 けれど、その時点では、まだどこかで軽く考えていた。

 

 最初の夜に感じた視線は奏斗だった。

 

 きっと、そうだ。

 

 リリベルとして私のことを調べていたのだろう。

 

 もしまた見られている気配を感じても、今度は名前を呼べば出てくるかもしれない。

 

 そんなふうに考えていた。

 

     ◇

 

 翌日。

 

 午後三時になっても、奏斗は来なかった。

 

「何度目?」

 

 ミズキが尋ねる。

 

「何が?」

 

「入口を見るの」

 

「見てないよ」

 

「今、見たでしょ」

 

「扉の汚れを確認してただけ」

 

「どこにも汚れなんてないわよ」

 

「細かいほこりが」

 

「掃除したのは私よ」

 

「じゃあ、きれいにできてるか採点してた」

 

「最低ね」

 

 私は笑いながら、カウンターの中へ戻った。

 

 店内には二組のお客さんがいた。

 

 奏斗が最初に来た日とは違い、完全な貸し切りではない。

 

 入口のベルが鳴るたびに、私は反射的に顔を上げてしまう。

 

 けれど入ってくるのは、近所の常連や観光客ばかりだった。

 

 もちろん、それが普通だ。

 

 奏斗が毎日来る約束をしたわけじゃない。

 

 また行くと言っただけ。

 

 それも昨夜は任務だった。

 

 今日は別の任務があるかもしれないし、普通に学校のような場所へ行っているのかもしれない。

 

「千束」

 

 先生に呼ばれる。

 

「はーい」

 

「注文」

 

「あっ」

 

 私は伝票を受け取り、慌てて準備へ戻った。

 

 ミズキが横でにやにやしている。

 

「何?」

 

「別に」

 

「言いたいことがあるなら言えば?」

 

「奏斗君、来ないわね」

 

「今日はまだ終わってないもん」

 

「待ってるんじゃない」

 

「待ってないよ」

 

「抹茶パフェの材料、朝から確認してたのは誰?」

 

「あれは在庫管理!」

 

「普段、在庫管理なんてしないでしょうが」

 

「成長したの」

 

「数時間で?」

 

「人はいつだって変われるんだよ、ミズキ」

 

「いいこと言った風にごまかすな」

 

 私はミズキから顔を背けた。

 

 別に、待っているわけではない。

 

 来たら楽しいだろうとは思っている。

 

 それだけだ。

 

 午後四時。

 

 奏斗は来ない。

 

 午後五時。

 

 入口の扉は何度か開いたが、奏斗の姿はなかった。

 

 午後六時を過ぎ、外が暗くなり始める。

 

「今日は来ないね」

 

 私はテーブルを拭きながら呟いた。

 

「ようやく認めた」

 

「何を?」

 

「待ってたこと」

 

「待ってないって」

 

「はいはい」

 

 ミズキは笑いながら、使用済みのカップを片づける。

 

 その日の営業が終わっても、奏斗は来なかった。

 

     ◇

 

 次の日も来なかった。

 

 その次の日も。

 

 入口のベルが鳴るたびに少し期待し、違うお客さんだと分かると、何事もなかったように笑顔で迎えた。

 

 もちろん、お客さんが来てくれるのはうれしい。

 

 リコリコの看板娘として、誰に対しても全力で接客する。

 

 それでも、扉の向こうに落ち着いた顔の少年が立っていないか、つい確かめてしまう。

 

「リリベルって忙しいのかな」

 

 ある日の午後、私はカウンターへ頬杖をつきながら言った。

 

「知らないわよ」

 

 ミズキは雑誌から目を上げない。

 

「連絡先は聞かなかったの?」

 

「聞いてない」

 

「名前を聞いた日に、そこまで聞けばよかったじゃない」

 

「二回目で連絡先まで聞いたら、距離が近すぎるってミズキが言うでしょ」

 

「普段から十分近いわよ」

 

「じゃあ聞けばよかったかな」

 

「今さら後悔しても遅いわね」

 

「後悔はしてないよ」

 

「その顔で?」

 

「どんな顔してる?」

 

「つまらなそうな顔」

 

「そんな顔してないって」

 

 私は笑顔を作ってみせた。

 

 ミズキは雑誌を下ろし、じっとこちらを見る。

 

「作り笑いが下手ね」

 

「失礼だなぁ。いつも笑顔の千束ちゃんですよ」

 

「そういうところよ」

 

 それ以上、ミズキは何も言わなかった。

 

 先生も、奏斗が店へ来ないことについて触れなかった。

 

 ただ、入口の扉を私が見るたび、気づいているような気はした。

 

 奏斗は、リコリスとリリベルは敵になる可能性があると言った。

 

 私たちは考え方が違うとも。

 

 もしかしたら、店へ来ない方がいいと判断したのかもしれない。

 

 自分の正体を知られた以上、私たちと関わる理由はないと思ったのかもしれない。

 

「また行きます」

 

 確かに、そう言ったのに。

 

 でも、いつ行くとは言っていない。

 

 明日かもしれない。

 

 一週間後かもしれない。

 

 もっと先かもしれない。

 

 だから、今は待てばいい。

 

 今日来ないなら、今日来たお客さんと楽しく過ごす。

 

 明日は明日のことを考える。

 

 それが私のやり方だ。

 

 そう思っているのに、ときどき抹茶パフェの写真を見ると、奏斗の真面目なツッコミを思い出した。

 

     ◇

 

 奏斗が店へ来ないまま、数日が過ぎた。

 

 その夜、私は都内にある古い雑居ビルへ向かっていた。

 

 今回の任務は、違法薬物の取引に関わる集団の制圧。

 

 対象は四人。

 

 すでに別のリコリスが周辺を確認し、一般人がいないことも確かめられている。

 

 私の役目は、建物の三階に集まっている対象を無力化し、取引に使われる記録を確保することだった。

 

『千束、準備はいいか?』

 

 耳元の通信機から先生の声が聞こえる。

 

「いつでもどうぞー」

 

『対象は武装している。狭い室内だ。油断するな』

 

「先生、最近そればっかりだね」

 

『何がだ』

 

「油断するな、気をつけろ、無理をするな」

 

『言われる理由を考えなさい』

 

「心配性だから?」

 

『千束』

 

「はーい。ちゃんと気をつけます」

 

 私は裏口の扉を開け、建物へ入った。

 

 照明の切れた階段は暗い。

 

 非常灯の緑色の明かりだけが、壁と床をぼんやり照らしている。

 

 足音を立てず、三階へ上がる。

 

 廊下の奥。

 

 一つの部屋から話し声が聞こえていた。

 

「それじゃ、お仕事開始」

 

 鞄から拳銃を取り出す。

 

 扉の横へ立ち、中の音を確認する。

 

 四人。

 

 一人は入口に近い。

 

 二人はテーブルの周り。

 

 残り一人は窓際。

 

 全員の位置を予想してから、扉を蹴り開けた。

 

「こんばんはー!」

 

 中にいた男たちが一斉にこちらを向く。

 

「何だ、お前!」

 

「夜遅くまでご苦労さまです。今日はここで解散してもらいまーす」

 

「リコリスだ!」

 

 一人が銃を抜く。

 

 私は銃口の動きを見て、左へ一歩ずれた。

 

 発砲。

 

 弾丸が背後の壁へ当たる。

 

 そのまま二発撃ち返す。

 

 非致死弾が男の肩と胸へ命中し、後ろへ倒れた。

 

 別の男がテーブルを蹴り、身を隠しながら発砲する。

 

 私は床を滑るように姿勢を下げ、弾丸を避けた。

 

 テーブルの端から見えた腕へ一発。

 

「ぐっ!」

 

 銃が落ちる。

 

 すぐに立ち上がり、男の腹部へ二発撃ち込む。

 

「二人!」

 

「化け物か!」

 

「女の子に向かって失礼だなぁ」

 

 三人目がナイフを持って突っ込んでくる。

 

 腕の動きは大きい。

 

 軌道も読みやすい。

 

 刃を避け、手首をつかむ。

 

 肘を押し上げ、体勢を崩させる。

 

「はい、没収」

 

 ナイフを落とし、男の足を払う。

 

 床へ倒れたところで背中へ一発。

 

 最後の男は窓から逃げようとしていた。

 

「危ないよー」

 

 窓枠へ足をかけた背中へ、非致死弾を二発撃つ。

 

 男は声を上げ、その場に崩れた。

 

「はい、終了!」

 

 静かになる。

 

 銃声の余韻だけが室内に残っていた。

 

『状況は?』

 

「四人とも確保。全員生きてるよ」

 

『記録を回収しろ。周囲にも注意しなさい』

 

「了解」

 

 男たちを拘束し、武器を遠ざける。

 

 テーブルの上には、小さな袋と端末がいくつか置かれていた。

 

 証拠として撮影し、指定された端末を回収する。

 

 任務そのものは、いつもどおりだった。

 

 対象を見つける。

 

 攻撃を避ける。

 

 全員を生かしたまま無力化する。

 

 特に難しいことはなかった。

 

 建物を出たときには、夜風が少し強くなっていた。

 

 私は拳銃を鞄へ戻し、人気のない裏通りを歩く。

 

 今回の任務場所からセーフハウスまでは、それほど遠くない。

 

 先生からは迎えを出すと言われたけれど、歩いて帰ると断った。

 

 少しくらい夜の街を歩きたい気分だった。

 

「今日は何食べようかなぁ」

 

 任務後はお腹が空く。

 

 冷蔵庫に何か残っていただろうか。

 

 帰りにコンビニへ寄ってもいい。

 

 甘いものでも買おうかな。

 

 そう考えた瞬間、奏斗の顔が浮かぶ。

 

「奏斗なら、何を選ぶかな」

 

 チョコレート。

 

 いちご。

 

 次は抹茶をすすめる予定だった。

 

 でも本人に選ばせたら、またチョコレートを選ぶかもしれない。

 

 そんなことを考えながら歩いていると、不意に背中へ冷たい感覚が走った。

 

 視線。

 

 誰かに見られている。

 

 私は歩みを止めなかった。

 

 耳を澄ませる。

 

 後ろから足音は聞こえない。

 

 車の音もない。

 

 道路の先に、一つだけ点滅している街灯が見える。

 

 両側には閉まった店と古い建物。

 

 人影はない。

 

「……また?」

 

 小さく呟く。

 

 最初の日の夜と同じだ。

 

 誰かに見られている気配。

 

 追いかけてくるわけでもない。

 

 姿を見せるわけでもない。

 

 一定の距離から、こちらを観察しているような感覚。

 

 私は歩く速度を少し落とした。

 

 気配も、それに合わせるようについてくる。

 

 速度を上げる。

 

 やはり消えない。

 

 次の角を曲がり、建物の陰へ入る。

 

 そこで足を止めた。

 

 鞄へ手を添え、いつでも銃を抜けるようにする。

 

 誰かが角から現れるのを待つ。

 

 数秒。

 

 十秒。

 

 人影は出てこない。

 

「奏斗?」

 

 私は暗い道へ向かって声をかけた。

 

 返事はない。

 

「いるんでしょ?」

 

 静寂。

 

 遠くで風が看板を揺らし、金属の触れ合う音がした。

 

「最初の日も、ついてきてたの奏斗じゃないの?」

 

 それでも答えはない。

 

 でも、気配は消えていなかった。

 

 見られている。

 

 こちらの反応を確かめている。

 

「隠れるの上手だねー。さすがリリベル」

 

 私は少しだけ笑う。

 

「でも、もう正体知ってるんだから、出てきてもいいじゃん」

 

 建物と建物の間。

 

 暗い路地の奥で、何かが動いた。

 

 黒い人影。

 

 ゆっくりと、こちらへ近づいてくる。

 

「ほら、やっぱり」

 

 私は鞄から手を離した。

 

「奏斗、店に来ないから心配したんだよ」

 

 人影は何も答えない。

 

 頭から黒いフードをかぶり、顔は影に隠れている。

 

 服装も全身が黒い。

 

 背丈は奏斗とそれほど変わらないように見えた。

 

「何、その格好」

 

 私が尋ねても、返事はない。

 

 無言のまま、距離を詰めてくる。

 

「任務中?」

 

 人影が足を止める。

 

 十メートルほど先。

 

 フードの奥から、こちらを見ている。

 

「奏斗?」

 

 もう一度名前を呼ぶ。

 

 人影の右腕が動いた。

 

 上着の内側から拳銃を抜く。

 

 銃口が、まっすぐ私へ向けられた。

 

「またそれ?」

 

 私は困ったように笑った。

 

「この前も向けたでしょ。今度は何を聞くの?」

 

 返事はない。

 

 人影の姿勢を見る。

 

 肩。

 

 肘。

 

 銃を握る手。

 

 暗くて細かな動きまでは見えにくい。

 

 それでも、奏斗なら私を撃たない。

 

 前回だって、銃口を向けただけだった。

 

「とりあえず、顔見せてよ」

 

 私は一歩、近づいた。

 

 その瞬間。

 

 人影の指が動いた。

 

 銃声。

 

「えっ――」

 

 弾丸が顔のすぐ横を通過した。

 

 頬に熱い風を感じる。

 

 私は反射的に体をひねり、二発目を避けた。

 

 背後の壁が砕ける。

 

「撃った!?」

 

 三発目。

 

 地面を蹴り、横へ飛ぶ。

 

 弾丸が足元を削った。

 

 人影は止まらない。

 

 続けて引き金を引く。

 

 私は建物の壁へ身を寄せながら、銃口の向きに合わせて体をずらす。

 

 でも暗い。

 

 フードと黒い服が、細かな動きを隠している。

 

 通常より予測が難しい。

 

「奏斗、ちょっと!」

 

 呼びかけても返事はない。

 

 撃ち方にも見覚えがなかった。

 

 前回の奏斗は、必要な相手へ必要な数だけ正確に撃っていた。

 

 目の前の人物は違う。

 

 私の移動先を塞ぐように、連続して弾を撃ち込んでくる。

 

「……奏斗じゃない?」

 

 疑問が浮かぶ。

 

 その一瞬だった。

 

 人影が一気に距離を詰めてきた。

 

 速い。

 

 予想よりもはるかに速い。

 

 拳銃を持った腕を避けようとした瞬間、反対の手が私の肩をつかんだ。

 

「しまっ――」

 

 強い力で引かれる。

 

 体勢が崩れた。

 

 足を払われ、背中から地面へ倒される。

 

「っ!」

 

 衝撃で息が詰まる。

 

 反撃しようと腕を動かすより早く、人影が私の上へ乗った。

 

 両脚で腰を挟まれる。

 

 馬乗り。

 

 右手で拳銃を抜こうとする。

 

 しかし、手首をつかまれ、地面へ押しつけられた。

 

「奏斗じゃ、ない……!」

 

 至近距離からフードの奥を見る。

 

 顔は黒い布で隠されている。

 

 目元さえはっきり見えない。

 

 呼吸が聞こえる。

 

 奏斗よりも少し荒く、重い呼吸。

 

 体格も、よく見れば奏斗より大きい。

 

 完全に思い違いだった。

 

 最初から、奏斗ではない。

 

「誰?」

 

 問いかけても答えない。

 

 人影は空いた手を腰へ伸ばした。

 

 取り出したのはナイフ。

 

 街灯の弱い光を受け、銀色の刃が一瞬だけ光る。

 

「ちょっと、待って!」

 

 私は押さえられていない方の腕で相手の手首をつかんだ。

 

 ナイフの切っ先が、胸元へ向けられる。

 

 力が強い。

 

 両手で押し返そうとするが、片腕は地面へ押さえられている。

 

 刃が少しずつ下がってくる。

 

「話し合いとか、しない?」

 

 返事はない。

 

「私、あなたに何かした?」

 

 ナイフの切っ先が近づく。

 

 あと少しで服に触れる。

 

 相手の体を見る。

 

 腕。

 

 肩。

 

 腰。

 

 でも、この距離では避ける場所がない。

 

 押し倒され、上から体重をかけられている。

 

 足を使おうにも、腰を挟まれて動けない。

 

 私は手首へ力を込めた。

 

「くっ……!」

 

 刃が震える。

 

 一度は押し返す。

 

 しかし、人影はさらに力を加えた。

 

 少しずつ負ける。

 

 ナイフの先端が、服へ触れた。

 

 胸の中心。

 

 このまま押し込まれれば、避けられない。

 

 視界の端で、相手の拳銃が地面に落ちているのが見えた。

 

 手を伸ばしても届かない。

 

 自分の銃も鞄の中だ。

 

 こんなところで。

 

 見知らぬ相手に。

 

 奏斗だと思い込んだせいで。

 

 思った瞬間、別方向から銃声が響いた。

 

 人影の肩が大きく跳ねる。

 

「っ!」

 

 ナイフを持つ力が緩んだ。

 

 続けて二発目。

 

 人影の脇腹へ命中する。

 

 体が横へ傾く。

 

 私はその隙を逃さず、両手で相手を押しのけた。

 

 上に乗っていた人影が地面へ転がる。

 

 すぐに距離を取り、鞄から拳銃を抜いた。

 

「誰!」

 

 銃弾が飛んできた方向へ銃口を向ける。

 

 暗い建物の屋上。

 

 そこに、一つの人影が立っている。

 

 黒い服。

 

 拳銃を構えた少年。

 

 今度はフードをかぶっていない。

 

 月明かりの中に見えた顔を、私は知っていた。

 

「奏斗……!」

 

 奏斗は屋上の端から飛び降りた。

 

 途中の非常階段へ足をかけ、音をほとんど立てずに地面へ着地する。

 

 こちらへ走ってくる。

 

 表情はない。

 

 前回の任務で見た、感情を消した顔。

 

 奏斗は倒れたフードの人物へ近づくと、拳銃を向けたまま足でナイフを遠ざけた。

 

「動かないでください」

 

 低い声。

 

 フードの人物は肩と脇腹を撃たれながらも、まだ意識があるようだった。

 

 逃げようと体を起こす。

 

 奏斗は迷わず脚へ一発撃った。

 

「ぐっ……!」

 

 初めて、相手の声が漏れる。

 

 男の声。

 

 日本語ではない短い言葉を吐き、再び地面へ倒れた。

 

 奏斗は男の腕を後ろへ回し、手早く拘束する。

 

 その動作には無駄がなかった。

 

「千束、怪我は?」

 

 男から目を離さないまま、奏斗が尋ねる。

 

「え?」

 

「怪我です」

 

「あ、うん。たぶん大丈夫」

 

「たぶんでは困ります」

 

 奏斗はようやくこちらを見る。

 

 私の顔。

 

 首。

 

 胸元。

 

 腕。

 

 短い時間で全身を確認している。

 

「頬に傷があります」

 

「最初の弾がちょっとかすっただけ」

 

「ほかは?」

 

「背中を打ったくらい」

 

「ナイフは?」

 

 私は胸元を見る。

 

 服の表面に小さな切れ目があった。

 

 けれど、皮膚までは届いていない。

 

「ぎりぎりセーフ」

 

「そうですか」

 

 奏斗の声はいつもどおり落ち着いていた。

 

 でも、握っている拳銃の手に、少しだけ強い力が入っているように見えた。

 

「助かったよ」

 

 私は笑う。

 

「ありがと、奏斗」

 

「礼は必要ありません」

 

「でも、来てくれなかったら危なかったし」

 

「私が来なくても、千束なら対処できたのでは?」

 

「今回はちょっと無理だったかも」

 

 素直に認める。

 

 相手の正体を勘違いした。

 

 奏斗だと思い込み、最初の一発への対応が遅れた。

 

 そこから距離を詰められ、押し倒された。

 

 最初から敵だと分かっていれば、もっと早く銃を抜いていた。

 

 少なくとも、無防備に一歩近づくことはなかった。

 

「私、あの人のこと奏斗だと思ったんだよね」

 

「なぜですか?」

 

「前にも誰かに監視されてる感じがしたから。あれも奏斗だったのかなって」

 

 奏斗の目がわずかに細くなる。

 

「いつの話ですか?」

 

「奏斗が最初にリコリコへ来た日の夜。任務帰りに誰かにつけられてる気がした」

 

「私はその場にいません」

 

「え?」

 

「千束を尾行したこともありません」

 

 奏斗ははっきり答えた。

 

 迷いもない。

 

 嘘をついているようには見えなかった。

 

「じゃあ、あのときも……」

 

 私は拘束された男を見る。

 

 黒いフード。

 

 顔を隠す布。

 

 今回と同じ人物だったのかもしれない。

 

 最初の日から、私を監視していた。

 

 奏斗ではなく、この男が。

 

「奏斗は、どうしてここに?」

 

「説明はあとです」

 

 奏斗は男のフードへ手をかけた。

 

「顔を確認します」

 

 黒い布を外す。

 

 現れたのは、見覚えのない男の顔だった。

 

 年齢は三十代くらい。

 

 彫りの深い顔立ち。

 

 髪の色も瞳の色も、日本人とは違う。

 

「外国人……?」

 

 奏斗は男の顔を確認し、服のポケットを探る。

 

 財布はない。

 

 身分証もない。

 

 代わりに、小型の通信機と予備の弾倉が出てきた。

 

「日本語は話せる?」

 

 私が聞いても、男は答えない。

 

 こちらを睨むだけだ。

 

 肩と脇腹から血が流れている。

 

「応急処置しないと」

 

 近づこうとすると、奏斗が腕を伸ばして止めた。

 

「必要ありません」

 

「必要だよ。このままだと危ない」

 

「死ぬ場所には当てていません」

 

「でも血が出てる」

 

「すでに連絡しました。リリベルの回収班が対応します」

 

「リリベルの?」

 

「はい」

 

 奏斗は立ち上がり、周囲を確認する。

 

 暗い道。

 

 建物の屋上。

 

 路地の奥。

 

 まだ仲間が潜んでいないかを警戒している。

 

「この男は、リリベルが追っていた対象です」

 

「知ってる人?」

 

「個人名までは分かりません。ただし、国外の武装組織に所属している可能性が高い」

 

「国外?」

 

「最近、日本国内へ複数の工作員が入ったという情報がありました」

 

 奏斗の説明は簡潔だった。

 

「目的は不明です。武器の調達、要人への攻撃、国内組織との接触。複数の可能性が考えられています」

 

「その一人が私を狙った?」

 

「現状では断定できません」

 

「でも、私のことを監視してたかもしれない」

 

「その可能性はあります」

 

「どうして私を?」

 

「それも不明です」

 

 奏斗は男の通信機を手に取り、画面を確認する。

 

 外国語の文字が並んでいる。

 

「解析が必要です」

 

「じゃあ、私も残る」

 

「帰ってください」

 

 すぐに言われた。

 

「え?」

 

「ここからはリリベルが対応します」

 

「でも私が襲われたんだよ?」

 

「だからこそ、現場から離れてください」

 

「私もこの人に聞きたいことがあるし」

 

「答えるとは思えません」

 

「奏斗たちだけなら答えるの?」

 

「尋問は専門の人間が行います」

 

「じゃあ、その結果を教えて」

 

「約束はできません」

 

「何で?」

 

「リリベルの情報は、リコリスへ共有されません」

 

「同じような組織なのに?」

 

「管轄が違います」

 

 奏斗は冷静に答える。

 

 私は少しだけ眉を寄せた。

 

「私が狙われてるかもしれないのに、何も教えてくれないの?」

 

「必要な情報であれば、適切な経路を通じてDAへ伝達されます」

 

「適切な経路って、いつ?」

 

「私には分かりません」

 

「だったら、ここに残って自分で聞く」

 

 私は動こうとした。

 

 奏斗が一歩前へ出て、進路を塞ぐ。

 

「帰ってください」

 

「だから――」

 

「帰ってください、千束」

 

 声が強くなった。

 

 昼間の穏やかな敬語でも、前回の冷たい問いかけでもない。

 

 はっきりとした命令口調。

 

 私は少しだけ驚いて、奏斗を見る。

 

「何でそんなに怒るの?」

 

「怒っていません」

 

「怒ってるよ」

 

「現場に残るべきではないと言っているだけです」

 

「私はまだ戦えるよ」

 

「戦えるかどうかの問題ではありません」

 

 奏斗は倒れている男へ視線を向ける。

 

「この男が単独とは限りません」

 

「仲間がいるかもってこと?」

 

「はい。千束が標的なら、別の人間が周囲で待機している可能性もあります」

 

「だったら一緒に探す」

 

「だから帰ってください」

 

「奏斗一人で大丈夫なの?」

 

「すぐに増援が来ます」

 

「来るまでは一人でしょ」

 

「問題ありません」

 

「私だって問題ないよ」

 

 言い返すと、奏斗の目が鋭くなった。

 

「先ほど、殺されかけていました」

 

 その言葉に、私は口を閉じた。

 

「相手を私だと思い込み、警戒を解いた。その結果、初撃への反応が遅れ、接近を許した」

 

「……見てたんだ」

 

「途中からです」

 

「だったら、もっと早く撃ってくれてもよかったのに」

 

「射線が通りませんでした。千束と対象が重なっていたため、確実に外せる位置まで移動しました」

 

 奏斗は淡々と説明する。

 

 でも、言葉の奥に強い緊張が残っているように感じた。

 

「今回助かったのは、偶然です」

 

「偶然じゃないよ。奏斗が助けてくれた」

 

「私がここにいたことが偶然です」

 

「でも――」

 

「次も同じとは限りません」

 

 奏斗の声が、さらに低くなる。

 

「敵かどうかを確認できない相手へ不用意に近づかないでください。私だと思っても、先に武器を確認するべきです」

 

「奏斗なら撃たないと思ったから」

 

「私が撃たない保証はありません」

 

「でも、撃たないでしょ?」

 

「状況によります」

 

「じゃあ今、私を撃てる?」

 

「そういう話ではありません」

 

「私は奏斗を信じたんだよ」

 

「それで死にかけたのでしょう」

 

 冷たい言葉だった。

 

 私は何も言えなくなる。

 

 奏斗の言うことは正しい。

 

 信じた相手を間違えた。

 

 顔も見えないのに、背丈と気配だけで奏斗だと思った。

 

 撃たないと決めつけた。

 

 その結果、ナイフを胸へ突き立てられる寸前まで追い詰められた。

 

「……分かったよ」

 

 私は小さく答えた。

 

「帰ればいいんでしょ」

 

「はい」

 

「セーフハウスまで?」

 

「できればリコリコへ戻ってください」

 

「今日はセーフハウスの方が近いよ」

 

「では、そこへ。到着したらミカさんへ連絡してください」

 

「先生のこと知ってるんだ」

 

「調べたと言いました」

 

「店に二回来ただけなのに、すごい調査力だね」

 

「感心している場合ですか?」

 

「奏斗が怖い顔してるから、ちょっと空気を変えようと思って」

 

「変える必要はありません」

 

「あるよ。怒ってるまま別れたくないし」

 

「怒っていません」

 

「じゃあ笑って」

 

「無理です」

 

「即答なんだ」

 

 少しだけ、いつもの奏斗に戻った。

 

 それだけで、胸にあった重さが少し軽くなる。

 

 遠くから車の音が聞こえてきた。

 

 黒い車両が二台。

 

 ヘッドライトを落としたまま、こちらへ近づいてくる。

 

「増援?」

 

「はい」

 

「じゃあ、もう大丈夫だね」

 

「最初から問題ありません」

 

「私がいたから?」

 

「逆です」

 

「ひどいなぁ」

 

 車両が少し離れた場所で止まる。

 

 黒い服を着た少年たちが、複数降りてきた。

 

 年齢は奏斗と同じくらいに見える。

 

 全員が静かで、無駄な会話をしない。

 

 倒れている外国人を確認し、周囲の警戒へ散っていく。

 

 一人が奏斗へ近づき、短く状況を聞いた。

 

 奏斗も簡潔に答える。

 

 その横顔は完全に任務中のものだった。

 

 私は少し離れたところから眺める。

 

 本当にリリベルなんだ。

 

 前回、自分でそう名乗った。

 

 でも、同じ制服のような装備をした少年たちの中にいる姿を見ると、ようやく実感が湧いた。

 

「千束」

 

 奏斗に呼ばれる。

 

「うん?」

 

「まだいたのですか?」

 

「増援が来るまで待ってた」

 

「もう来ました」

 

「冷たいなぁ」

 

「帰ってください」

 

「分かったってば」

 

 私は数歩進み、それから振り返った。

 

「奏斗」

 

「何ですか?」

 

「助けてくれて、本当にありがとう」

 

「……はい」

 

 今度は、礼は必要ないと言わなかった。

 

「それと」

 

「まだ何か?」

 

「リコリコに来てよ」

 

 奏斗が少しだけ目を見開く。

 

「今、その話をしますか?」

 

「今だからするの」

 

「襲われた直後ですよ」

 

「だからだよ。今日も来てくれなかったし」

 

「店へ行く余裕がありませんでした」

 

「忙しかった?」

 

「はい」

 

「私を狙ってる人を追ってたから?」

 

「それはまだ分かりません」

 

「でも、この外国人を追ってたんでしょ」

 

「そうです」

 

「そっか」

 

 奏斗が店へ来なかった理由。

 

 私たちと距離を置こうとしていたのかもしれないと思った。

 

 でも実際は、任務をしていただけだった。

 

 そう分かると、少しだけうれしかった。

 

「じゃあ任務が終わったら来て」

 

「状況によります」

 

「またそれ?」

 

「約束できないことは言えません」

 

「抹茶パフェ、まだ食べてないじゃん」

 

「私は注文すると言っていません」

 

「検討するって言った」

 

「検討中です」

 

「何日検討するの?」

 

「重要な問題なので」

 

「甘いものには真面目だもんね」

 

「千束が勝手に抹茶へ誘導しているだけです」

 

 奏斗の口元が、ほんのわずかに緩んだ。

 

 私はそれを見逃さない。

 

「今、笑った」

 

「笑っていません」

 

「笑ったよ」

 

「気のせいです」

 

「店に来たら認めてあげる」

 

「何をですか?」

 

「奏斗が私を助けてくれた、優しい甘党のリリベルだってこと」

 

「余計な肩書きをつけないでください」

 

「じゃあ、来る?」

 

 奏斗は少し黙った。

 

 背後では、リリベルたちが外国人を車両へ運んでいる。

 

 奏斗もこのあと、報告や処理があるのだろう。

 

「任務が終われば」

 

「絶対?」

 

「可能であれば」

 

「また曖昧」

 

「ですが」

 

 奏斗は私を見る。

 

「行くつもりはあります」

 

「本当?」

 

「はい」

 

「よし!」

 

 私は思わず笑顔になる。

 

「じゃあ待ってるね」

 

「毎日入口を見続ける必要はありませんよ」

 

「何で知ってるの?」

 

「千束なら、そうしていそうなので」

 

「してないよ」

 

「本当ですか?」

 

「たまにしか見てない」

 

「見ていることは認めるんですね」

 

「細かいなぁ」

 

 奏斗は小さく息を吐いた。

 

 呆れているようで、でも少しだけ安心しているようにも見えた。

 

「早く帰ってください」

 

「はーい」

 

「寄り道はしないでください」

 

「コンビニくらいなら」

 

「しないでください」

 

「甘いもの買いたい」

 

「セーフハウスに何かあるでしょう」

 

「奏斗が買ってくれる?」

 

「なぜ私が」

 

「助けたついで」

 

「意味が分かりません」

 

「じゃあ今度、リコリコで一緒に食べよう」

 

「私は一人で食べます」

 

「前もそれ言ってたね」

 

 私は笑いながら、今度こそ背を向ける。

 

 数歩歩いてから、もう一度だけ手を振った。

 

「またね、奏斗!」

 

 奏斗は答えなかった。

 

 けれど、私が歩き出すまで、その場でこちらを見ていた。

 

 夜道を進む。

 

 頬の傷が、少しだけひりひりする。

 

 背中も痛い。

 

 ナイフが服へ触れた感覚を思い出すと、今さらになって心臓が速くなった。

 

 本当に危なかった。

 

 あと少し、奏斗の銃声が遅ければ。

 

 私は今、歩いていなかったかもしれない。

 

「次からは、ちゃんと確認しないとね」

 

 誰に言うでもなく呟く。

 

 奏斗だから撃たない。

 

 奏斗だから大丈夫。

 

 そう思う気持ちは変わらない。

 

 でも、顔も見えない相手まで奏斗だと決めつけるのは違う。

 

 信じることと、油断することは同じではない。

 

 先生に言われた「気をつけなさい」という言葉の意味を、ようやく少し理解した気がした。

 

 それでも。

 

 奏斗が本当に来てくれたことは、うれしかった。

 

 偶然だと言っていた。

 

 任務で対象を追っていただけだと。

 

 でも、あの瞬間に奏斗が引き金を引いてくれたから、私は助かった。

 

「優しいじゃん」

 

 私がそう言ったら、きっと奏斗は否定する。

 

 必要な行動だった。

 

 任務対象を撃っただけだ。

 

 そう言うだろう。

 

 でも、私の怪我を確認したときの目。

 

 帰れと強く言った声。

 

 あれは任務だけではない気がした。

 

 私の思い込みかもしれない。

 

 それでも、そう思う方が楽しい。

 

 セーフハウスが見えてくる。

 

 私は先生へ連絡するため、通信機へ手を伸ばした。

 

「先生、聞こえる?」

 

『千束か。どうした?』

 

「ちょっと報告がある」

 

『怪我をしたのか?』

 

「何で最初にそれ聞くの?」

 

『声で分かる』

 

「先生、すごいね」

 

『怪我をしたのか』

 

「ちょっとだけ」

 

 通信の向こうで、重いため息が聞こえた。

 

『今どこにいる』

 

「もうセーフハウスの前。ちゃんと帰ってきたよ」

 

『一人か?』

 

「うん。でも途中までは奏斗がいた」

 

 少しだけ間が空いた。

 

『奏斗が?』

 

「私を助けてくれた」

 

『詳しく話しなさい』

 

「長くなるよ」

 

『構わない』

 

「今日は先生、怒らないで聞ける?」

 

『内容による』

 

「前と同じじゃん」

 

 私は笑いながら扉の鍵を開けた。

 

 暗い室内へ入り、照明をつける。

 

 いつもと変わらない部屋。

 

 静かで、安全な場所。

 

 扉を閉めて鍵をかけた瞬間、ようやく全身から力が抜けた。

 

「でもね、先生」

 

『何だ』

 

「奏斗、今度こそ店に来るって」

 

『……そうか』

 

「抹茶パフェ食べさせるんだ」

 

『まずは怪我の状態を説明しなさい』

 

「はーい」

 

 私は頬へ触れる。

 

 指先に、少しだけ乾いた血がついた。

 

 今日の出来事は、たぶん簡単には終わらない。

 

 私を監視していたかもしれない外国人。

 

 その背後にいる組織。

 

 なぜ私が狙われたのか。

 

 奏斗たちリリベルが何を追っているのか。

 

 分からないことばかりだ。

 

 それでも今は、生きて帰ってこられた。

 

 先生へ報告できる。

 

 ミズキにまた心配される。

 

 そして、奏斗へもう一度、店に来てと言えた。

 

 今日できることは、きっとそれで十分だ。

 

 明日のことは、明日考えればいい。

 

 私は通信を続けながら、救急箱を取り出した。

 

 次に奏斗がリコリコの扉を開けたとき、どんな顔で迎えよう。

 

 助けてくれたお礼として、パフェを少し豪華にしてもいい。

 

 でも、あまり特別扱いすると、きっと真面目な顔で断る。

 

 だから、いつもどおりがいい。

 

 大きな声で迎えて。

 

 甘いものをすすめて。

 

 冗談を言って、ツッコまれて。

 

 そのあとで、ちゃんと聞こう。

 

 どうしてあの場所にいたのか。

 

 私を狙う相手について、何を知っているのか。

 

 そして。

 

 私が殺されそうになったとき、本当は何を思ったのか。

 

 答えてくれるかは分からない。

 

 でも、奏斗ならきっと、完全には無視できない。

 

「待ってるからね」

 

 小さく呟いた声は、誰にも届かない。

 

 けれど、私は笑っていた。

 

 今夜の暗闇で見つけた本物の奏斗は、冷たい銃を持っていた。

 

 それでも、その銃声は確かに私を救ってくれた。

 

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