君を守る、その理由   作:かなっち館長

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第四話 護衛役は、抹茶パフェとともに

 翌日。

 

 頬に貼った小さな絆創膏を見て、ミズキは朝から何度目か分からないため息をついた。

 

「本当に、それだけなの?」

 

「それだけだってば」

 

 私はカウンターの中でグラスを拭きながら答えた。

 

 頬に残った傷は、昨夜の銃弾がかすめたものだ。背中にも倒されたときの痛みが少し残っているけれど、動くことに問題はない。

 

 胸元には、ナイフの先で切れた服の代わりに、別の制服を着ている。

 

 あの刃がもう少し深く入っていたら。

 

 考えると少しだけ寒くなる。

 

 でも、今はいつもどおりだ。

 

 先生が店を開け、ミズキが文句を言い、私は看板娘として働いている。

 

「背中は?」

 

「ちょっと痛い」

 

「ほら、怪我してるじゃない」

 

「打っただけだよ」

 

「それを怪我って言うのよ」

 

「ミズキは細かいなぁ」

 

「千束が大雑把すぎるの!」

 

 ミズキの声が店内へ響く。

 

 幸い、まだ開店直後でお客さんはいなかった。

 

 カウンターの奥でコーヒー豆を確認していた先生が、静かにこちらを見る。

 

「今日は任務を入れていない。無理はしないように」

 

「先生まで大げさだなぁ。これくらい平気だよ」

 

「平気かどうかを決めるのは千束ではない」

 

「私の体なのに?」

 

「千束は、自分の怪我を正しく判断しない」

 

「信用ないなぁ」

 

「これまでの行動を振り返りなさい」

 

 反論しようとして、言葉に詰まった。

 

 ちょっとくらいの傷なら黙っていたことはある。

 

 撃たれたわけじゃないから大丈夫、と報告しなかったこともある。

 

「過去は過去だよ」

 

「反省してない人の言い方ね」

 

 ミズキが呆れた顔をする。

 

 私は拭き終わったグラスを棚へ戻した。

 

 昨夜のことは、セーフハウスから先生へ報告した。

 

 フードの男に襲われたこと。

 

 その男が外国人だったこと。

 

 奏斗が現れて助けてくれたこと。

 

 相手はリリベルが追っている対象で、奏斗たちが回収したこと。

 

 分からないことは多い。

 

 男がどこの組織に属していたのか。

 

 なぜ私を狙ったのか。

 

 最初に奏斗が店へ来た日の夜、私を監視していたのも同じ男だったのか。

 

 奏斗は、リリベル側から必要な情報がDAへ伝わると言っていた。

 

 でも、いつ伝わるのかは分からない。

 

「奏斗、今日来るかな」

 

 私が呟くと、ミズキが露骨にこちらを見た。

 

「またそれ?」

 

「だって、任務が終わったら来るって言ったし」

 

「正確には、行くつもりはある、でしょ」

 

「同じだよ」

 

「全然違うわよ」

 

「ミズキ、細かすぎると嫌われるよ」

 

「今は私の話じゃない!」

 

 私は笑いながら入口を見る。

 

 扉は閉じたまま。

 

 もちろん、まだ朝だ。

 

 奏斗がこんな時間からパフェを食べに来るとは思えない。

 

「来たらどうするの?」

 

 ミズキが尋ねる。

 

「何が?」

 

「昨夜のこと、詳しく聞くんでしょ?」

 

「うん」

 

「相手はリリベルよ。素直に全部話すとは限らないわ」

 

「話せる範囲で話してくれればいいよ」

 

「ずいぶん信用してるのね」

 

「助けてくれたからね」

 

「それとこれとは別でしょ」

 

「そうかな?」

 

 私は少し考える。

 

 奏斗が来なければ、私は今ここにいなかったかもしれない。

 

 あの場に奏斗がいたのは偶然だと言っていた。

 

 リリベルの対象を追っていただけ。

 

 私を助けるために来たわけではない。

 

 それでも、私と敵が重なって射線が通らない中、確実に撃てる位置まで移動してくれた。

 

 そのあとも怪我を確認し、強い口調で帰れと言った。

 

 奏斗自身は、それを必要な行動だったと言うのだろう。

 

 でも、必要だからといって誰でも同じように動くとは限らない。

 

「奏斗は悪い人じゃないよ」

 

「人を撃ち殺すリリベルでしょ?」

 

「それは……考え方が違うだけ」

 

「ずいぶん簡単にまとめるわね」

 

「簡単じゃないよ」

 

 倒れた男たちの姿は、今も覚えている。

 

 動けなくなっていたのに、奏斗は撃った。

 

 命令された対象だから。

 

 生かす理由がないから。

 

 その考えを、私は納得できない。

 

 たぶん、これからも。

 

「でも、考え方が違うからって、話せないわけじゃないでしょ」

 

 私が言うと、ミズキはしばらく黙っていた。

 

「まあ、あんたはそういう子よね」

 

「褒めた?」

 

「呆れてるの」

 

「照れなくてもいいのに」

 

「照れてないわよ!」

 

 先生は私たちの会話を聞きながら、何も言わなかった。

 

 ただ、店の入口へ一度だけ視線を向けた。

 

     ◇

 

 その日、奏斗は昼になっても来なかった。

 

 午後三時を過ぎても来ない。

 

 昨日までと違い、今日は店内が少し忙しかった。

 

 近所の常連客が昼食を食べに来て、少し遅れて観光客の二人組が入ってきた。午後には子供を連れた家族も来た。

 

 私は注文を取り、料理を運び、空いた食器を片づける。

 

 店内が忙しければ、入口を気にしている暇はない。

 

 そう思っていたけれど、ベルが鳴るたびに反射的に顔を上げてしまった。

 

「いらっしゃいませー!」

 

 声はいつもどおり。

 

 でも、扉の向こうにいるのが奏斗ではないと分かると、胸の奥にほんの少しだけ残念な気持ちが浮かぶ。

 

 もちろん、すぐに消える。

 

 来てくれたお客さんは大事だ。

 

 奏斗だけが特別というわけではない。

 

 たぶん。

 

「千束、三番テーブル」

 

「はーい!」

 

 先生から渡された飲み物を持ち上げる。

 

 少し勢いよく振り向いたせいで、背中に鈍い痛みが走った。

 

「いった……」

 

「ほら!」

 

 すぐにミズキが反応した。

 

「大丈夫大丈夫」

 

「交代しなさい」

 

「これくらい運べるよ」

 

「落としたらどうするの」

 

「落とさないもん」

 

 私は慎重に飲み物を運ぶ。

 

 さすがに痛みはある。

 

 けれど、何もできないほどではない。

 

 お客さんへ笑顔で飲み物を渡し、カウンターへ戻る。

 

 ミズキがじっとこちらを見ていた。

 

「何?」

 

「意地張ってない?」

 

「張ってないよ」

 

「奏斗君が来たとき、弱ってるところを見せたくないとか?」

 

「何で奏斗が出てくるの?」

 

「朝からずっと気にしてるから」

 

「気にしてないって」

 

「入口、何回見た?」

 

「覚えてない」

 

「数え切れないくらい見たってことでしょ」

 

 私はミズキから目をそらした。

 

 別に、弱っているところを隠したいわけじゃない。

 

 奏斗には昨夜、押し倒されて殺されかけている姿を見られている。

 

 今さら絆創膏や背中の痛みを隠しても意味はない。

 

 ただ。

 

 来ると言ったから。

 

 来てほしいと思っているだけだ。

 

 それの何が悪い。

 

 午後五時を過ぎると、客足は少しずつ落ち着いた。

 

 六時には最後のお客さんも帰り、店内は静かになった。

 

 閉店時間まで、あとわずか。

 

「今日は来ないね」

 

 私はテーブルを拭きながら呟いた。

 

 ミズキは椅子を上げていた手を止める。

 

「残念?」

 

「別に」

 

「そう」

 

「任務が忙しいのかも」

 

「そうかもね」

 

「昨夜の外国人のこともあるし」

 

「そうね」

 

「私が狙われてるかもしれないから、調べてるのかも」

 

「はいはい」

 

「何、その返事」

 

「残念じゃない人は、そんなに理由を考えないのよ」

 

 私は布巾を握ったまま黙った。

 

 ミズキが笑う。

 

「素直になれば?」

 

「何に?」

 

「来てほしかったって」

 

「来てほしかったよ」

 

 素直に答えると、今度はミズキが少し驚いた顔をした。

 

「何?」

 

「いや、あっさり認めるのね」

 

「だって本当だもん」

 

 奏斗と話したい。

 

 昨夜のことを聞きたい。

 

 それだけではなく、またパフェを食べながら、くだらない話もしたい。

 

 任務のときとは違う、普通の十七歳の奏斗と。

 

「でも、今日はもう閉店だね」

 

 私は入口にかかった札を見た。

 

 まだ営業中。

 

 あと数分で裏返す予定だった。

 

「千束、札を――」

 

 先生が言いかけた瞬間。

 

 扉のベルが鳴った。

 

 からん、と店内へ明るい音が響く。

 

 私は勢いよく振り返った。

 

 入口には、奏斗が立っていた。

 

 黒い任務服ではない。

 

 最初に店へ来たときと似た、落ち着いた色の私服姿。

 

 髪も整えられている。

 

 ただ、表情は普段より少し硬かった。

 

「奏斗!」

 

 思わず大きな声が出た。

 

「こんばんは」

 

「来た!」

 

「来ました」

 

「本当に来た!」

 

「前にも同じやり取りをした気がします」

 

「今日は来ないと思ってた!」

 

「閉店間際になってしまい、すみません」

 

 奏斗は店内を見る。

 

 客がいないことを確認し、先生とミズキへ頭を下げた。

 

「お話ししたいことがあります」

 

「私に?」

 

「千束と、こちらの皆さんにです」

 

 声がいつもより真面目だった。

 

 私は布巾をカウンターへ置く。

 

「じゃあ座って。今、お水持ってくる」

 

「その前に閉店の準備を続けてください。急ぎませんので」

 

「でも、閉店間際に来たお客さんを待たせるわけにはいかないよ」

 

「客として来たというより、報告に来ました」

 

「パフェは?」

 

「……注文しなければいけませんか?」

 

「もちろん」

 

「そこは譲らないのですね」

 

「リコリコに来た奏斗は、甘いものが好きなお客さんだからね」

 

 奏斗は少しだけ私を見る。

 

 昨夜、私が言った言葉を覚えているらしい。

 

「分かりました」

 

「何にする?」

 

「抹茶パフェをお願いします」

 

「えっ」

 

 今度は私が驚いた。

 

「何ですか?」

 

「抹茶にするの?」

 

「千束が何度も勧めていたので」

 

「やった!」

 

「なぜ勝ち誇るのですか」

 

「奏斗との勝負に勝ったから」

 

「勝負をした覚えはありません」

 

「抹茶を食べさせたら私の勝ち」

 

「今、初めて聞きました」

 

「勝負って、始まってから気づくこともあるんだよ」

 

「それは一方的に巻き込まれただけです」

 

 奏斗の真面目なツッコミ。

 

 いつもの調子。

 

 それを聞いて、少し安心した。

 

「先生、抹茶パフェ一つ!」

 

「分かった」

 

 先生は静かにうなずく。

 

 ミズキは奏斗を見ながら腕を組んでいた。

 

「昨夜ぶりね」

 

「はい」

 

「あんたがリリベルだなんて、まだ信じられないわ」

 

「私も、千束が史上最強のリコリスだという事実には疑問があります」

 

「ちょっと!」

 

「普段の言動だけを見れば、ですが」

 

「フォローになってないよ!」

 

「実力は昨夜も確認しました」

 

「押し倒されてたところ?」

 

「その前です」

 

 さらりと返され、私は口を尖らせる。

 

 ミズキが吹き出した。

 

「やっぱり、あんたたち普通に話せるのね」

 

「会話はできます」

 

「奏斗、今の言い方だと、私が会話できない人みたいじゃん」

 

「否定はしていません」

 

「ひどい!」

 

「冗談です」

 

 奏斗の口元がわずかに緩む。

 

 その表情を見て、私はまた安心した。

 

 昨夜の冷たい目だけが、奏斗ではない。

 

「それで、話って?」

 

「パフェが来てからにします」

 

「甘いもの優先?」

 

「千束が注文させたのでしょう」

 

「じゃあ、食べながら話そう」

 

「内容は軽くありません」

 

「重い話ほど、甘いものが必要だよ」

 

「そういうものですか?」

 

「そういうもの!」

 

 奏斗は少し考えたあと、諦めたように椅子へ座った。

 

 私も向かい側へ座ろうとする。

 

「千束」

 

 先生に呼ばれる。

 

「何?」

 

「まだ営業時間中だ」

 

「あ」

 

「閉店の準備を終わらせなさい」

 

「はーい」

 

 私は急いで残りのテーブルを片づけ、入口の札を裏返した。

 

 扉を施錠する。

 

 外から見れば、いつもの閉店後の喫茶店だ。

 

 店内には先生、ミズキ、奏斗、そして私。

 

 先生が作った抹茶パフェを、私は奏斗の前へ置いた。

 

「お待たせしました! 念願の抹茶パフェです!」

 

「念願ではありません」

 

「検討に何日もかけたでしょ」

 

「単に来店できなかっただけです」

 

「はい、食べて食べて」

 

 奏斗はスプーンを手に取る。

 

 抹茶アイスと生クリームを一緒にすくい、口へ運んだ。

 

 いつものように、大きく表情は変わらない。

 

 それでも、目元が少しだけ柔らかくなる。

 

「どう?」

 

「おいしいです」

 

「チョコといちごと抹茶、どれが一番?」

 

「今、決めなければいけませんか?」

 

「大事な問題だよ」

 

「これから、もっと重要な話をする予定なのですが」

 

「じゃあ先に決めよう」

 

「なぜですか?」

 

「話の途中だとパフェが溶けるから」

 

「千束」

 

 先生に低い声で呼ばれる。

 

「はい。黙ります」

 

 私は姿勢を正した。

 

 ミズキがカウンター席へ座る。

 

 先生も奏斗の近くへ立った。

 

 奏斗はスプーンを置く。

 

 店内の空気が変わった。

 

 奏斗の表情から、甘いものを食べていた十七歳の少年らしさが薄れていく。

 

 任務中と同じではない。

 

 でも、リリベルとして話す顔だった。

 

「昨夜、千束を襲撃した男について、ある程度の情報が判明しました」

 

「もう分かったの?」

 

「完全ではありません。所持品と通信記録から確認できた範囲です」

 

 奏斗は私たちを順番に見る。

 

「男は、国外を拠点とする武装組織の構成員と考えられます」

 

「組織名は?」

 

 ミズキが尋ねる。

 

「現時点ではお伝えできません」

 

「機密ってこと?」

 

「はい。名称そのものが確定していないこともあります」

 

「複数の偽名を使っている?」

 

「その可能性が高いです」

 

 奏斗は静かに続けた。

 

「その組織は、武器の密輸、要人暗殺、破壊活動などに関与しています。特定の国家へ所属しているわけではなく、依頼や利益に応じて活動する武装集団です」

 

「傭兵みたいなもの?」

 

 私が聞く。

 

「それに近いですが、より組織的です。情報部門、工作部門、戦闘部門を持ち、複数の国に拠点があります」

 

「そんなのが日本に入ってきてるの?」

 

「はい」

 

 奏斗は短く答えた。

 

「リリベルは現在、その外国組織の国内構成員を殲滅しています」

 

 殲滅。

 

 奏斗はためらわず、その言葉を使った。

 

 捕まえるでも、排除するでもない。

 

 すべて殺す。

 

 そういう意味だ。

 

 私は少しだけ眉を寄せる。

 

「全員、殺すの?」

 

「それが任務です」

 

「生きたまま捕まえて、情報を聞いた方がいい人もいるでしょ」

 

「必要な対象は拘束します。しかし、戦闘員の多くは排除対象です」

 

「どうして?」

 

「危険だからです」

 

「それだけ?」

 

「十分な理由だと思います」

 

「私はそう思わない」

 

「今は、私たちの方針について話しに来たのではありません」

 

 奏斗の声は落ち着いている。

 

 でも、少しだけ会話を切るような硬さがあった。

 

 私はそれ以上言わなかった。

 

 今ここで言い争っても、奏斗の任務は変わらない。

 

「その組織が、私を狙ってるんだよね?」

 

「はい」

 

 奏斗は私を見る。

 

「昨夜拘束した男の通信端末から、錦木千束に関する情報が確認されました」

 

「私の写真も?」

 

「複数ありました」

 

「いつ撮られたもの?」

 

「リコリコ周辺、任務先、移動中です」

 

 背中に冷たい感覚が走る。

 

 自分の知らないところで、ずっと見られていた。

 

 最初の日だけではない。

 

「じゃあ、一回目に奏斗が店へ来た日の夜、私を見てたのもその人たち?」

 

「可能性が高いです」

 

「昨夜の男?」

 

「同一人物かは断定できません。監視に関わっていた構成員は複数いると考えられます」

 

「複数……」

 

 私は思わず入口や窓を見る。

 

 閉じられたカーテン。

 

 外から店内は見えにくい。

 

 でも、周辺の建物や通りから、人の出入りを確認することはできる。

 

「この店も監視されているのか?」

 

 先生が尋ねた。

 

「その可能性があります。ただし、現時点でリコリコへの直接攻撃を示す情報はありません」

 

「油断はできないわね」

 

 ミズキが小さく呟く。

 

「どうして私を狙うの?」

 

 私は奏斗へ尋ねた。

 

「過去に何かした相手?」

 

「個人的な復讐ではありません」

 

「じゃあ何?」

 

「組織の活動を行いやすくするためです」

 

 奏斗は一度言葉を区切った。

 

「彼らは、日本国内での活動を継続するうえで、DAとリコリスを障害と判断しています」

 

「そりゃ犯罪を止めるからね」

 

「特に、能力の高いリコリスを優先的に排除する計画を立てていました」

 

「能力の高いリコリス……」

 

「その最優先対象が、千束です」

 

 店内が静かになる。

 

 時計の秒針が進む音まで聞こえそうだった。

 

「私、一番人気ってこと?」

 

 冗談めかして言ってみる。

 

 誰も笑わない。

 

「そこは笑ってよ」

 

「笑える内容ではありません」

 

 奏斗が真面目に返す。

 

「でも、私を消したら本当に活動しやすくなるのかな」

 

「少なくとも、彼らはそう判断しています」

 

「私、今はDA本部にいないよ?」

 

「だからこそ狙いやすいと考えたのでしょう」

 

 先生の表情が険しくなる。

 

 リコリコでの私は、街中に溶け込んで生活している。

 

 DA本部のような厳重な警備はない。

 

 任務の行き帰りに一人になることも多い。

 

「旧電波塔事件を含め、千束の戦闘能力は国外にも知られているようです」

 

 奏斗が続ける。

 

「日本で大規模な活動を行う前に、脅威になり得る人物を排除する。彼らにとっては合理的な判断です」

 

「奏斗まで合理的とか言わないでよ」

 

「敵側の判断を説明しているだけです」

 

「私を殺すためなら、一般人を巻き込む可能性もある?」

 

「あります」

 

 即答だった。

 

 私は先生とミズキを見る。

 

 二人とも表情が硬い。

 

 私だけなら、どうにでもなる。

 

 撃たれても避ければいい。

 

 襲われても返り討ちにする。

 

 でも、店を狙われたら。

 

 先生やミズキ、お客さんが巻き込まれたら。

 

「リコリコから離れた方がいい?」

 

 言葉が口から出た。

 

 先生がすぐにこちらを見る。

 

「千束」

 

「だって、私がここにいるせいで――」

 

「それを決めるのはまだ早い」

 

 先生の声は落ち着いていた。

 

「敵の目的と戦力を把握し、対策を立てる」

 

「でも」

 

「千束がいなくなれば安全になるという保証もない。すでにこの店の存在を知られているなら、関係者として狙われる可能性もある」

 

「そうですね」

 

 奏斗も同意する。

 

「千束だけが移動しても、リコリコへの監視が解除されるとは限りません」

 

「じゃあ、どうすればいいの?」

 

「そのために、今日来ました」

 

 奏斗が私を見る。

 

「本日、リリベル上層部から新たな命令を受けました」

 

「新しい任務?」

 

「はい」

 

 奏斗は姿勢をわずかに正した。

 

「外国組織の国内拠点を殲滅するまで、錦木千束の護衛を担当します」

 

「……護衛?」

 

「はい」

 

「奏斗が?」

 

「そうです」

 

 私は何度か瞬きをした。

 

 奏斗が、私の護衛。

 

「私、護衛されるの?」

 

「命令では、そうなっています」

 

「私、強いよ?」

 

「知っています」

 

「昨日はちょっと油断しただけで」

 

「知っています」

 

「本当なら一人でも平気だよ?」

 

「上層部へ直接言ってください」

 

「奏斗はどう思ってるの?」

 

「命令であれば従います」

 

「そうじゃなくて」

 

「何ですか?」

 

「私の護衛、嫌?」

 

 奏斗が少しだけ黙った。

 

「嫌であれば、任務を拒否できると思いますか?」

 

「できないの?」

 

「正当な理由がなければ難しいでしょう」

 

「じゃあ、本当は嫌なんだ」

 

「そうは言っていません」

 

「でも、うれしいとも言ってない」

 

「護衛任務を命じられて、喜ぶ人間は少ないと思います」

 

「私と一緒にいられるんだよ?」

 

「なぜ、それを利点として提示するのですか?」

 

「楽しいじゃん」

 

「任務です」

 

「任務でも楽しい方がいいでしょ」

 

「護衛対象が油断しなければ、もう少し楽になると思います」

 

「まだ昨日のこと言ってる」

 

「重要な反省点です」

 

 奏斗の真面目な顔に、少しだけ安心する。

 

 護衛という言葉には重さがある。

 

 私が狙われていることも、まだ危険が続いていることも変わらない。

 

 それでも、奏斗がそばにいると聞いて、胸の中に浮かんだのは不安より先にうれしさだった。

 

「護衛って、具体的に何するの?」

 

 ミズキが尋ねる。

 

「千束の任務への同行、移動時の警戒、リコリコ周辺の監視です」

 

「二十四時間ずっと?」

 

「必要に応じて交代要員が配置される可能性はあります。ただし、現時点では私が主担当です」

 

「店の中にもいるの?」

 

 私は聞いた。

 

「周辺の状況によります。外部から監視する場合もあります」

 

「えー」

 

「何ですか?」

 

「外に隠れてるだけじゃつまらないじゃん」

 

「護衛に娯楽を求めないでください」

 

「でも、ずっと外にいたら怪しいよ」

 

「一般人に紛れて行動します」

 

「奏斗、普通の高校生っぽく見えるからね」

 

「実際に十七歳です」

 

「三十四歳に見えるけど」

 

「またその話ですか」

 

「じゃあ、もっと自然に店の中にいればいいよ」

 

「長時間客席にいる方が不自然です」

 

「何か注文し続ければ?」

 

「一日に何個パフェを食べさせるつもりですか?」

 

「三個くらい」

 

「護衛任務中に体調を崩します」

 

 ミズキが笑いをこらえるように口元を押さえた。

 

 私は少し考える。

 

 奏斗が店内へ自然にいられる方法。

 

 客ではなく。

 

 外から見ても不自然ではなく。

 

 周囲を確認できる立場。

 

「あ」

 

 一つ、思いついた。

 

「奏斗、リコリコで働けば?」

 

 奏斗の動きが止まった。

 

 ミズキも先生も、私を見る。

 

「……何を言っているのですか?」

 

「店員だよ、店員」

 

「意味は分かっています」

 

「だったら話が早いね」

 

「早くありません」

 

 奏斗は困ったように眉を寄せた。

 

「私は護衛として来たのです」

 

「だから店員になれば、ずっと店内にいても自然でしょ?」

 

「任務と接客業は別です」

 

「接客もできるよ。コミュニケーション能力高いし」

 

「自分で言った覚えはありません」

 

「私やミズキと普通に話せるなら大丈夫」

 

「それは接客能力の基準になりますか?」

 

「私の相手ができる人は、大体何でもできるよ」

 

「どういう自信ですか」

 

「奏斗なら敬語も使えるし、真面目だし、仕事も早そうだし」

 

「厨房の経験はありません」

 

「先生が教えてくれるよ」

 

「私を巻き込まないでほしいわね」

 

 ミズキが言う。

 

「ミズキも教えてあげればいいじゃん」

 

「私は接客担当よ」

 

「じゃあ接客を」

 

「何で本当に雇う流れになってるのよ」

 

「いい案だと思わない?」

 

 私は先生を見る。

 

 先生は腕を組み、奏斗を見ていた。

 

「店内の警戒という点では、理にかなっている」

 

「先生?」

 

 奏斗が少し驚いた声を出す。

 

「外から監視を続ければ、組織側に護衛の存在を悟られる可能性がある。店員として店内にいれば、千束の近くにいても不自然ではない」

 

「ほら!」

 

 私は得意になって奏斗を見る。

 

「先生も賛成!」

 

「まだ賛成とは言っていない」

 

「でも反対でもないでしょ?」

 

「奏斗の所属組織との調整が必要だ」

 

「そう、それです」

 

 奏斗がすぐに言った。

 

「私個人の判断で、勤務形態を変更することはできません」

 

「じゃあ上の人に聞けばいいじゃん」

 

「リリベルの護衛任務中に、喫茶店の店員として働きたいと上申するのですか?」

 

「そう」

 

「許可が出ると思いますか?」

 

「出るんじゃない?」

 

「なぜ、そんなに楽観的なのですか」

 

「だって護衛しやすいんでしょ?」

 

「合理性はありますが」

 

「それに、お給料も出るよ」

 

「必要ありません」

 

「まかないもあるよ」

 

「任務中の食事は支給されます」

 

「パフェも食べられる」

 

 奏斗が一瞬黙った。

 

 私は見逃さない。

 

「今、迷った」

 

「迷っていません」

 

「絶対迷ったよ」

 

「パフェを報酬にしないでください」

 

「従業員割引もあるかも」

 

「まだ雇うと決まっていませんよね?」

 

「先生、従業員割引ある?」

 

「考えておこう」

 

「先生まで!」

 

 奏斗が珍しく少し強い声を出した。

 

 ミズキが楽しそうに笑っている。

 

「いいじゃない。似合いそうよ、店員」

 

「ミズキさんまで何を言っているのですか」

 

「顔も悪くないし、女性客が増えるかも」

 

「それは護衛任務と関係ありません」

 

「お店としては重要よ」

 

「勝手に集客要員へ変更しないでください」

 

 私は奏斗が店員として立っている姿を想像する。

 

 真面目な顔で注文を取る。

 

 お客さんには敬語。

 

 変な注文にも冷静に対応する。

 

 たまに鋭いツッコミを入れる。

 

「絶対似合うよ」

 

「何を想像しているのですか?」

 

「奏斗がエプロンしてるところ」

 

「やめてください」

 

「色は何がいいかな」

 

「決まっていません」

 

「赤?」

 

「千束と同じになるでしょう」

 

「黒もいいね」

 

「話を進めないでください」

 

「奏斗」

 

 先生が声をかける。

 

 奏斗は私から視線を外し、先生を見る。

 

「はい」

 

「護衛任務の詳細と、店内での立場について、上層部へ確認してほしい」

 

「……本気ですか?」

 

「店員として勤務するかは、許可が出たあとに判断する。だが、選択肢として検討する価値はある」

 

 奏斗は少しの間、黙っていた。

 

 おそらく頭の中で、上層部へどのように説明するかを考えているのだろう。

 

「分かりました」

 

 やがて、静かに答えた。

 

「上層部へ相談します」

 

「やった!」

 

「まだ許可は出ていません」

 

「でも相談するんでしょ?」

 

「はい」

 

「じゃあ、ほぼ決まりだね」

 

「どのような計算ですか」

 

「千束式」

 

「信用できません」

 

「ひどいなぁ」

 

 私は笑いながら、奏斗の抹茶パフェを見る。

 

 話している間に、少し溶け始めていた。

 

「奏斗、パフェ」

 

「あ」

 

「ほら、重い話をしてると溶けるって言ったでしょ」

 

「千束が店員の話を広げたからです」

 

「早く食べないと」

 

 奏斗は再びスプーンを手に取る。

 

 抹茶アイスと餡、白玉を一緒にすくう。

 

「白玉はどう?」

 

「おいしいです」

 

「順位は?」

 

「まだ聞くのですか」

 

「大事だから」

 

 奏斗はパフェを見つめ、少し考えた。

 

「一位はチョコレートです」

 

「抹茶は?」

 

「二位です」

 

「いちごが負けた!」

 

「なぜ千束が悔しがるのですか?」

 

「全部うちの商品だから、どれが勝ってもいいんだけどね」

 

「それでは順位を聞く意味がないでしょう」

 

「奏斗の好みを知れる」

 

「知ってどうするのですか?」

 

「次に出すパフェを決める」

 

「また食べさせる前提ですか」

 

「店員になったら、休憩中に毎日食べられるよ」

 

「毎日は食べません」

 

「本当に?」

 

「……毎日は食べません」

 

 一瞬の間。

 

 私はにやりと笑う。

 

「今、ちょっと迷った」

 

「気のせいです」

 

「奏斗、甘いもののことになると分かりやすいよね」

 

「千束がしつこいだけです」

 

 いつものやり取り。

 

 でも今日は、その奥に新しい関係が生まれようとしている。

 

 奏斗は私の護衛になる。

 

 もしかしたら、リコリコの店員にもなる。

 

 リコリスとリリベル。

 

 考え方も、任務のやり方も違う。

 

 それでも、同じ店に立つことができるかもしれない。

 

 私はその未来を想像して、少し楽しくなった。

 

     ◇

 

 パフェを食べ終えると、奏斗は会計を済ませた。

 

「今日は報告に来たんだから、代金いらないよ」

 

 私が言うと、奏斗は財布からきっちり料金を出した。

 

「パフェを食べたので支払います」

 

「護衛の報告料ってことで」

 

「それは組織へ請求してください」

 

「じゃあ、護衛対象からの差し入れ」

 

「次回から検討します」

 

「次回があるんだ?」

 

「護衛任務が始まるのであれば、来る機会は増えるでしょう」

 

「おお」

 

 私は受け取ったお金をレジへ入れる。

 

「じゃあ明日から?」

 

「上層部の判断次第です」

 

「連絡先交換しようよ」

 

「なぜですか?」

 

「結果を教えてもらうため」

 

「正式な連絡は、ミカさんを通じて行います」

 

「えー」

 

「個人的な連絡先は必要ありません」

 

「護衛対象と連絡取れない方が困らない?」

 

 奏斗が少し黙る。

 

「それは……状況によります」

 

「ほら、必要かも」

 

「正式な端末が支給される可能性があります」

 

「じゃあ、それがなかったら交換ね」

 

「勝手に決めないでください」

 

 奏斗は入口へ向かう。

 

 私もついていく。

 

「気をつけて帰ってね」

 

「それは私の台詞です」

 

「私は今日は任務ないよ」

 

「外出は?」

 

「セーフハウスに帰るだけ」

 

「ミカさんかミズキさんと一緒に移動してください」

 

「奏斗は?」

 

「上層部へ報告があります」

 

「一緒に帰ってくれないの?」

 

「まだ護衛任務の正式な開始時刻を確認していません」

 

「真面目だなぁ」

 

「命令系統は重要です」

 

「じゃあ、早く許可もらってきて」

 

「店員の許可まで出るとは限りません」

 

「大丈夫だよ」

 

「根拠は?」

 

「私の勘」

 

「最も信用できない答えですね」

 

「昨日は勘で奏斗だと思って失敗したけど、今日は大丈夫」

 

「それを自分で言いますか」

 

「成長したからね」

 

「一日で?」

 

「人はいつだって変われるんだよ」

 

「ミズキさんに同じことを言っていませんでしたか?」

 

「聞いてたの?」

 

「店の外まで声が聞こえました」

 

「えっ」

 

「冗談です」

 

「奏斗、そういう冗談言うようになったね」

 

「千束の影響かもしれません」

 

「それ、褒めてる?」

 

「判断は任せます」

 

 奏斗は扉を開ける。

 

 ベルが鳴った。

 

「では、相談してきます」

 

「うん!」

 

 私は大きく手を振る。

 

「明日からよろしくね、奏斗店員!」

 

「決まっていません!」

 

 奏斗の少し強い声が、閉まる扉の向こうへ消えていった。

 

 私は笑いながら、扉を見つめる。

 

「楽しそうね」

 

 背後からミズキの声。

 

「うん」

 

「護衛される立場なの、分かってる?」

 

「分かってるよ」

 

「命を狙われてるのよ?」

 

「それも分かってる」

 

 私は頬の絆創膏へ触れた。

 

 怖くないわけじゃない。

 

 また暗い場所から撃たれるかもしれない。

 

 次は奏斗が間に合わないかもしれない。

 

 リコリコが狙われる可能性もある。

 

 でも、不安なことだけを考えていても何も変わらない。

 

「奏斗が護衛してくれるなら、少し安心でしょ?」

 

「まあね」

 

「店員になったら、もっと安心」

 

「本当に働かせる気なの?」

 

「もちろん!」

 

 先生がカウンターの奥からこちらを見る。

 

「千束」

 

「何?」

 

「奏斗の意思も尊重しなさい」

 

「ちゃんと相談するって言ってたよ」

 

「押し切ったように見えたが」

 

「気のせい気のせい」

 

 私は奏斗が食べ終えたパフェグラスを持ち上げる。

 

 中身はきれいになくなっていた。

 

 白玉も、餡も、抹茶アイスも残っていない。

 

「でも、ちゃんと抹茶食べてくれた」

 

「それと店員の話は関係ないでしょ」

 

 ミズキが呆れる。

 

「関係あるよ」

 

「どういう?」

 

「約束を守る人ってこと」

 

 奏斗は抹茶パフェを注文するとは約束していなかった。

 

 検討すると言っただけ。

 

 それでも、私がすすめたものを選んでくれた。

 

 店に来るという言葉も守った。

 

 なら、きっとまた来る。

 

 今度は客としてではなく、店員として。

 

「明日が楽しみだね」

 

「許可が出なかったら?」

 

「そのとき考える」

 

「本当にそればっかりね」

 

 私は笑いながら、グラスを洗い始めた。

 

     ◇

 

 同じ頃。

 

 押村奏斗は、リリベルの国内活動拠点へ戻っていた。

 

 外見上は、民間企業が使用する事務所ビル。

 

 受付も看板もあり、昼間は一般人らしい人間が出入りしている。

 

 しかし、地下には複数の作戦室と武器庫、通信設備が設けられていた。

 

 奏斗は認証を通過し、廊下を進む。

 

 周囲では、同年代のリリベルたちが報告書を提出し、装備を返却していた。

 

 誰も大きな声を出さない。

 

 喫茶リコリコとは正反対の空気だ。

 

 静かで、無駄がなく、必要な会話だけが交わされる。

 

 奏斗は上層部への報告室へ入った。

 

 室内には一人の男性がいた。

 

 四十代ほど。

 

 暗い色のスーツを着て、端末へ目を落としている。

 

「押村奏斗、帰還しました」

 

「入れ」

 

 奏斗は扉を閉め、机の前へ立った。

 

「錦木千束および喫茶リコリコへの接触結果を報告します」

 

「続けろ」

 

「対象へ、外国組織による襲撃計画と護衛任務について説明しました。ミカおよび中原ミズキも同席しています」

 

「反応は?」

 

「護衛について、強い拒否はありません」

 

「強い拒否は、か」

 

「錦木千束は、自分に護衛は必要ないと主張しました」

 

「予想どおりだな」

 

「最終的には受け入れています」

 

 男性は端末へいくつか入力する。

 

「リコリコ側の警備状況は?」

 

「外部からの攻撃へ対応する設備は十分ではありません。周辺には一般住宅と店舗が多く、目立つ形で警備要員を配置することは困難です」

 

「お前が常駐する必要があると?」

 

「はい」

 

「方法は考えているか」

 

 奏斗は一瞬だけ黙った。

 

 ここまでは予定どおりの報告だ。

 

 問題は、次だった。

 

「喫茶リコリコ側から、提案がありました」

 

「何だ」

 

「私が、喫茶リコリコの店員として勤務する案です」

 

 男性が端末から顔を上げた。

 

 無表情。

 

 何を考えているか分からない。

 

「店員?」

 

「はい」

 

「お前が?」

 

「はい」

 

「喫茶店の?」

 

「……はい」

 

 確認を重ねられるたびに、奏斗は自分が何を報告しているのか分からなくなってきた。

 

 リリベルの任務報告室。

 

 外国武装組織の殲滅作戦。

 

 最重要護衛対象。

 

 その流れで、喫茶店の店員として働く許可を求めている。

 

「理由を説明しろ」

 

「店員として勤務すれば、対象の近くに長時間滞在しても不自然ではありません。店内と周辺の警戒を同時に行うことができます」

 

「外部から監視する場合と比べて、敵に護衛の存在を悟られにくい」

 

「はい」

 

「店員としての業務に支障はないか」

 

「接客経験はありません」

 

「最低限の会話はできるな」

 

「はい」

 

「調理は?」

 

「できません」

 

「店長から指導を受けろ」

 

 男性は再び端末へ視線を落とした。

 

「許可する」

 

 奏斗は一瞬、返事が遅れた。

 

「……許可、ですか?」

 

「聞こえなかったか」

 

「いえ。聞こえました」

 

「ならば、明日から勤務しろ」

 

「あの」

 

「何だ」

 

「もう少し、審査や協議があるものかと」

 

「必要ない」

 

「所属の異なる組織の関係者が運営する店舗です」

 

「ミカの経歴は把握している。喫茶リコリコもDAの外部拠点として登録されている。問題はない」

 

「しかし、私が接客業務を行うことについては」

 

「潜入任務の一種と考えろ」

 

「喫茶店への潜入ですか」

 

「不満か?」

 

「いいえ」

 

 奏斗は即答した。

 

 不満ではない。

 

 ただ、拍子抜けしている。

 

 千束に提案されたときは、認められるはずがないと思った。

 

 護衛任務中に喫茶店で働く。

 

 理由は合理的でも、組織が簡単に許可するとは考えていなかった。

 

「勤務中の報酬は?」

 

 男性が尋ねる。

 

「報酬?」

 

「店舗から給与が支払われるのか」

 

「確認していません」

 

「二重報酬になる場合は申請しろ」

 

「はい」

 

「食事の提供は?」

 

「まかないがある可能性はあります」

 

「任務への支障がなければ許可する」

 

「はい」

 

「ほかに報告は?」

 

 奏斗の脳裏に、千束の言葉が浮かんだ。

 

 パフェも食べられる。

 

 従業員割引もあるかもしれない。

 

 さすがに、それを報告する必要はない。

 

「ありません」

 

「では、明日九時までに喫茶リコリコへ入れ。開店準備から参加し、自然な形で勤務を開始しろ」

 

「開店準備からですか?」

 

「店員なら当然だろう」

 

「……了解しました」

 

 男性は端末へ何かを入力し、正式な命令書を奏斗の端末へ送信した。

 

 画面に表示された任務名を確認する。

 

 外国武装組織対策特別護衛任務。

 

 任務場所、喫茶リコリコ。

 

 活動上の身分、店舗従業員。

 

 冗談ではない。

 

 本当に許可が出た。

 

 それも、上申してから数分も経っていない。

 

「下がっていい」

 

「失礼します」

 

 奏斗は一礼し、報告室を出た。

 

 扉が閉まる。

 

 静かな廊下を歩きながら、もう一度端末を見る。

 

 命令内容は変わらない。

 

 明日から、喫茶リコリコの店員。

 

「……簡単すぎるでしょう」

 

 思わず、小さく呟いた。

 

 もっと反対されると思っていた。

 

 リコリスとリリベルの管轄について質問される。

 

 勤務中の情報管理について長い確認が入る。

 

 場合によっては上層部同士の協議に数日かかる。

 

 そう予想していた。

 

 実際は、許可する、の一言だった。

 

 奏斗は歩みを止める。

 

 明日の朝、リコリコへ行けば、千束はどんな反応をするだろう。

 

 おそらく、大きな声で喜ぶ。

 

 自分の予想が当たったと勝ち誇る。

 

 そして、店員用の服や仕事について、勝手に話を進める。

 

 ミズキには面白がられ、ミカには冷静に仕事を教えられるだろう。

 

 接客。

 

 配膳。

 

 片づけ。

 

 もしかすると、簡単な調理も覚えさせられる。

 

「護衛任務のはずですが」

 

 誰に言うでもなく呟く。

 

 端末へ新しい通知が届いた。

 

 上層部からの補足事項。

 

 護衛対象と良好な関係を維持すること。

 

 店舗業務へ可能な範囲で協力すること。

 

 周辺住民へ不審感を与えないこと。

 

 奏斗は画面を見つめ、小さく息を吐いた。

 

「完全に店員ですね」

 

 それでも、不思議と嫌ではなかった。

 

 喫茶リコリコの店内。

 

 コーヒーの香り。

 

 ミズキの大きな声。

 

 ミカの落ち着いた雰囲気。

 

 そして、自称看板娘として笑う千束。

 

 あの場所で働く自分を、まだうまく想像できない。

 

 任務中は感情を持ち込まない。

 

 命令されたことを、必要な形で実行する。

 

 明日からの勤務も、その一つだ。

 

 ただ。

 

 休憩中に、従業員割引でパフェを注文できるのか。

 

 その点だけは、少し気になった。

 

「……確認する必要がありますね」

 

 奏斗は誰もいない廊下で、小さく呟いた。

 

 そして、明日の開店時刻を確認しながら、装備の返却へ向かった。

 

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