君を守る、その理由   作:かなっち館長

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第六話 見過ごさなかった手

 リコリコで働き始めて、数日が経った。

 

 最初は護衛任務の一環として、必要な時間だけ店内にいればいいと思っていた。

 

 外から監視するよりも、店員として千束のそばにいた方が自然である。

 

 それだけの理由だった。

 

 実際、上層部へ提出した報告書にもそう記載している。

 

 喫茶店員として勤務することで、護衛対象へ近い位置を維持し、店内外の監視を行う。

 

 接客業務はあくまで偽装の一部。

 

 任務の妨げにならない範囲で協力する。

 

 そのはずだった。

 

「奏斗、三番テーブルにコーヒー追加!」

 

「分かりました」

 

「あと二番の食器下げて!」

 

「すでに下げました」

 

「じゃあ四番のお水!」

 

「先ほど補充しています」

 

「……奏斗、仕事取りすぎじゃない?」

 

「千束が遅いだけでは?」

 

「違うよ。私はお客さんとの交流を大事にしてるの」

 

「先ほどから常連客と雑談しているだけに見えます」

 

「それが交流!」

 

 店内の中央で、千束が得意げに胸を張る。

 

 数日前まで、奏斗の接客を指導すると言っていた人物とは思えない。

 

「接客指導をする前に、通常業務を行ってください」

 

「弟子に注意された!」

 

「弟子になった覚えはありません」

 

「でも百点あげたよ」

 

「採点基準が不明です」

 

「今日は百五十点目指そう」

 

「満点が増え続けていますよ」

 

 千束の声に、近くの客が笑う。

 

 奏斗は小さく息を吐き、空になったカップをトレイへ載せた。

 

 護衛任務。

 

 そう思って勤務を始めたが、今では通常の店員業務が思った以上に増えている。

 

 注文を取る。

 

 料理を運ぶ。

 

 食器を片づける。

 

 会計を行う。

 

 空いた時間には簡単な仕込みを手伝い、ミカからコーヒーの淹れ方も教わり始めていた。

 

 まだ客へ出せるほどではない。

 

 だが、豆の種類や器具の扱いについては、少しずつ覚えている。

 

 上層部からは、店員として自然に振る舞うよう命じられている。

 

 そのためには仕事を覚える必要がある。

 

 合理的な判断だ。

 

 決して、店の仕事そのものに慣れてきたわけではない。

 

 奏斗はそう考えていた。

 

「押村君」

 

 常連の女性客に呼ばれる。

 

 五十代ほどの女性で、週に何度か昼食を取りに来る人物だった。

 

「はい」

 

「お水をお願いしてもいい?」

 

「承知しました」

 

 水差しを持ち、テーブルへ向かう。

 

 女性は千束と話していた。

 

「最近、このお店、前よりお客さんが増えたわね」

 

「そうでしょー?」

 

 千束が自分のことのように喜ぶ。

 

「やっぱり看板娘の力かなぁ」

 

「前から千束ちゃんはいたでしょう?」

 

「今、少しずつ実力が認められてきたんだよ」

 

「奏斗君が来たからじゃない?」

 

「えっ」

 

 千束の表情が固まる。

 

 女性客は楽しそうに笑い、奏斗を見る。

 

「若い女性のお客さん、増えたでしょう?」

 

「それは……偶然だと思います」

 

「ほら、謙虚なところもいいのよ」

 

「奏斗、人気者だね」

 

 千束が言う。

 

 笑顔ではあるが、少しだけ納得していないように見える。

 

「千束ちゃんが教えたんでしょう?」

 

 女性が尋ねる。

 

 千束の表情が一気に明るくなった。

 

「そう! 私が一から育てました!」

 

「店内の位置と挨拶を少し教わっただけです」

 

「笑顔も教えたよ!」

 

「採用したかは不明です」

 

「奏斗は照れてるだけだから」

 

「事実と異なる説明をしないでください」

 

 女性客がまた笑う。

 

「二人とも仲がいいわね」

 

「護――」

 

 奏斗は言いかけて止まった。

 

「勤務上、協力しています」

 

「今、何か違うこと言おうとした?」

 

 千束がすぐに反応する。

 

「何も言っていません」

 

「護、って聞こえた」

 

「聞き間違いです」

 

「護衛って言いそうになった?」

 

「店内で大きな声を出さないでください」

 

「奏斗が先に言いかけたんじゃん」

 

 奏斗は水を注ぎ、話を切り上げるために頭を下げた。

 

「ごゆっくりどうぞ」

 

「ありがとう」

 

 女性客は笑顔で答えたあと、ふと思い出したように言った。

 

「そういえば、昨日、駅前でこのお店のことを聞かれたわよ」

 

 奏斗の手が止まる。

 

 表情は変えない。

 

「リコリコについてですか?」

 

「ええ。場所を知っているかって」

 

 千束も興味を持ったように身を乗り出した。

 

「本当? 宣伝してないのに有名になってる!」

 

「観光客の方ですか?」

 

 奏斗は自然な口調を保ちながら尋ねた。

 

「たぶんね。外国の方だったから」

 

「外国人?」

 

 千束が繰り返す。

 

「片言の日本語で、この近くに喫茶リコリコはありますか、って。私、この店によく来るから場所を教えてあげたの」

 

「来てくれた?」

 

「昨日は見なかったわね」

 

 奏斗は水差しを持ったまま、女性客へ視線を向ける。

 

 外国人。

 

 この店を探していた。

 

 偶然である可能性は高い。

 

 リコリコは一般の喫茶店として営業している。

 

 近隣の住民や観光客から場所を聞かれること自体、不自然ではない。

 

 しかし、現在は状況が違う。

 

 国外の武装組織が千束を狙っている。

 

 店の存在も、すでに把握されている可能性がある。

 

 確認する必要があった。

 

 ただし、警戒していることを客へ悟らせる理由はない。

 

「どのような方でしたか?」

 

 奏斗は穏やかな口調で尋ねた。

 

 女性客が少し不思議そうに奏斗を見る。

 

「気になる?」

 

「最近、外国からのお客様も増えていますので、対応の参考になればと思いまして」

 

「奏斗、真面目だねぇ」

 

 千束が感心したように言う。

 

 理由を補強してくれた形になった。

 

「二人だったわよ」

 

「二人?」

 

「男の人と女の人。カップルか、ご夫婦じゃないかしら」

 

「年齢は?」

 

 質問が直接的になりすぎないよう、奏斗は少し間を置いた。

 

「お二人とも、若い方でしたか?」

 

「そうねぇ。三十歳前後かしら。男性の方が少し上に見えたけど」

 

「服装は覚えていますか?」

 

「男性は灰色っぽい上着。女性は明るい色のコートだったと思うわ」

 

「どちらが話しかけてきたのでしょう」

 

「女の人の方。日本語を話していたのも、その人よ」

 

「男性は?」

 

「ほとんど喋らなかったわね。横で周りを見ていたかしら」

 

 周囲を見ていた。

 

 観光客なら、場所を確認していた可能性もある。

 

 警戒や監視と断定はできない。

 

「何か持っていましたか?」

 

「小さな鞄くらい。旅行者にしては荷物が少なかったわね」

 

「近くのホテルに泊まっているのかもしれませんね」

 

「そうかもしれないわ」

 

 女性客はそれ以上、特に気にしていない様子だった。

 

 奏斗は頭を下げる。

 

「ありがとうございます。来店された際には、迷わず対応できそうです」

 

「奏斗、英語話せる?」

 

 千束が尋ねる。

 

「最低限は」

 

「すごいじゃん」

 

「任務で必要になる場合があります」

 

「今、普通に任務って言ったね」

 

「……海外客への対応で必要になる場合があります」

 

「言い直した」

 

「気のせいです」

 

 奏斗は水差しを持ち、カウンターへ戻る。

 

 背後では、千束と女性客の会話が続いていた。

 

「外国人のお客さんも来たら、もっと人気出るかなぁ」

 

「千束ちゃん、外国語できるの?」

 

「気持ちがあれば大丈夫!」

 

「通じないと思うわよ」

 

「身振り手振りで何とかなるって」

 

 いつもの調子。

 

 千束は今の話を、特に危険とは感じていないようだった。

 

 奏斗はカウンターへ水差しを戻す。

 

「聞こえていた」

 

 ミカが静かに言った。

 

「はい」

 

「どう見る?」

 

「現時点では判断できません」

 

 声を落として答える。

 

「駅前で場所を尋ねること自体は不自然ではありません。しかし、組織が店の周辺を確認している可能性もあります」

 

「上へ報告するか?」

 

「特徴だけ共有します。該当する人物が入国者リストや監視記録にないか確認させます」

 

「分かった」

 

 ミカはそれ以上言わない。

 

 奏斗は小型端末へ簡単な情報を入力する。

 

 外国人男女。

 

 三十歳前後。

 

 男性は灰色の上着。

 

 女性は明るい色のコート。

 

 女性が片言の日本語を使用。

 

 喫茶リコリコの場所を質問。

 

 男性は周囲を確認していた可能性あり。

 

 送信。

 

 すぐに回答が来ることはない。

 

 店員業務を続けながら、来店者を注意深く見る必要があった。

 

     ◇

 

 正午を過ぎると、店内は昼食を取る客で混み始めた。

 

 テーブルの半分以上が埋まり、先生は厨房から離れられない。

 

 ミズキは飲み物と会計。

 

 千束と奏斗が注文と配膳を担当する。

 

「奏斗、一番テーブルお願い!」

 

「承知しました」

 

「五番のランチ運んで!」

 

「千束が持っていますよね?」

 

「あ、そうだった」

 

「自分の仕事を私へ渡さないでください」

 

「連携を確認しただけ」

 

「言い訳が雑です」

 

 千束は両手に料理を持ちながら、器用に肩をすくめる。

 

 奏斗は一番テーブルへ向かった。

 

 年配の男性客が一人。

 

 いつもの常連ではない。

 

 服装は一般的な会社員。

 

 注文を取り、厨房へ戻る。

 

 その途中、入口のベルが鳴った。

 

「いらっしゃいませー!」

 

 千束の明るい声が響く。

 

 奏斗は振り返らず、伝票を先生へ渡した。

 

「一番テーブル、日替わりランチとホットコーヒーです」

 

「分かった」

 

 入口へ視線を向ける。

 

 男女が二人、店内へ入ってきていた。

 

 年齢は三十歳前後。

 

 男性は灰色の上着。

 

 女性は薄い色のコート。

 

 常連客が話していた特徴と一致している。

 

 奏斗は表情を変えなかった。

 

 ただし、男と女の立ち位置、視線、手荷物、靴、服の膨らみを短時間で確認する。

 

 女性は小型の鞄を肩へかけている。

 

 男性は何も持っていない。

 

 服の下に大型の武器を隠している様子はない。

 

 女性が店内を見渡す。

 

 男性は入口と窓を一度確認した。

 

 不自然と言い切るほどではない。

 

 初めて訪れる場所なら、周囲を見ることは普通だ。

 

「二名様ですか?」

 

 千束が二人へ近づく。

 

 笑顔。

 

 警戒した様子はない。

 

「ハイ。フタリ、デス」

 

 女性が片言の日本語で答えた。

 

 千束は大きくうなずく。

 

「お好きな席へどうぞー!」

 

 言葉が通じているのかは分からない。

 

 しかし、千束が手で席を示すと、女性は笑顔を見せた。

 

「アリガトウ」

 

 男女は窓際の二人掛け席へ向かった。

 

 男性は女性の椅子を引く。

 

 女性が座ってから、自分も向かいへ腰を下ろした。

 

 少なくとも、関係は悪くなさそうだ。

 

 常連客が言ったように、夫婦か恋人同士かもしれない。

 

 奏斗は別の客へ料理を運ぶ。

 

 護衛対象へ近づく人物を注視したいが、勤務中に露骨な視線を向けるわけにはいかない。

 

 店内のガラスや金属面へ映る姿を使い、二人の動きを確認する。

 

 千束が水とメニューを運ぶ。

 

「お水とメニューでーす」

 

「メニュー?」

 

 女性が聞き返す。

 

「そうそう。食べ物!」

 

 千束がメニュー表を開き、写真を示す。

 

 女性が理解したように笑う。

 

「オイシイ、ナニ?」

 

「おすすめ?」

 

「オススメ」

 

「うーん。お昼なら、日替わりランチ!」

 

 通じているのかいないのか、千束はいつもどおりの速さで話している。

 

 奏斗は近くのテーブルへ食器を置きながら、会話を聞く。

 

「コレ?」

 

「そう! 今日はハンバーグ!」

 

「ハンバーグ」

 

「あと甘いものなら、パフェ!」

 

 千束が別の写真を指さす。

 

「パフェ」

 

 女性が楽しそうに繰り返す。

 

 男性はメニューを見ながら、女性へ外国語で何かを話した。

 

 言語は英語ではない。

 

 奏斗にも完全には理解できなかった。

 

 ただ、発音から東欧圏の言葉である可能性がある。

 

 女性が男性へ短く返答する。

 

 再び千束を見る。

 

「ハンバーグ、フタツ。コーヒー、フタツ」

 

「はい! ハンバーグ二つ、コーヒー二つ!」

 

 千束は注文票へ記入する。

 

「パフェは?」

 

 自分から追加を促している。

 

 女性が笑う。

 

「パフェ、アト」

 

「食後ね! 何味?」

 

「チョコ」

 

 女性が指さしたのは、チョコレートパフェ。

 

「おっ、分かってるねぇ」

 

 千束がうれしそうに言う。

 

 男性も同じものを指した。

 

「フタツ」

 

「チョコパフェ二つ!」

 

 千束は満足そうに注文を確定した。

 

 女性が千束の赤い制服と髪のリボンを見る。

 

「カワイイ」

 

「えっ、私?」

 

 千束が自分を指さす。

 

「カワイイ」

 

「ありがとー!」

 

 言葉が通じた瞬間、千束の笑顔がさらに大きくなる。

 

「お姉さんもかわいいよ!」

 

「?」

 

 女性は理解できずに首を傾げた。

 

 千束は自分の頬の近くで両手を広げる。

 

「かわいい!」

 

 それから女性を指す。

 

「あなた!」

 

 女性が意味を理解したらしく、笑いながら胸元へ手を置く。

 

「アリガトウ」

 

 二人の間に、特に不自然な緊張はない。

 

 男性も穏やかな表情で見ている。

 

 奏斗は料理を置き終え、次の注文を取りに向かった。

 

 女が千束へ接触する様子もない。

 

 周辺を探るような質問もない。

 

 店内の出入口やカウンターを繰り返し確認しているわけでもない。

 

 普通の観光客に見える。

 

 ただ、普通に見せる訓練を受けた人間である可能性は残る。

 

 それは奏斗自身も同じだ。

 

 見た目だけでは判断できない。

 

「押村君」

 

 別の女性客から呼ばれる。

 

「はい」

 

「会計お願いできる?」

 

「承知しました」

 

 レジへ向かう。

 

 会計を行い、店を出る客へ頭を下げる。

 

「ありがとうございました」

 

 その間にも、外国人男女へ意識を向ける。

 

 千束が料理を運ぶ。

 

 女性はうれしそうに写真を撮っている。

 

 男性もスマートフォンを取り出し、料理と店内の一部を撮影した。

 

 観光客なら普通だ。

 

 しかし、撮影範囲を確認する必要がある。

 

 男の端末は料理を中心に向けられている。

 

 千束や店の奥を重点的に撮っている様子はない。

 

 食事中、二人は穏やかに会話していた。

 

 女性は料理を何度も褒め、片言の日本語で千束へ話しかける。

 

「オイシイ」

 

「でしょー?」

 

「コレ、ナニ?」

 

「それは大根!」

 

「ダイコン」

 

「そうそう!」

 

 男性は女性ほど話さない。

 

 時折、小さく笑うだけだった。

 

 奏斗がコーヒーを運んだ際も、男性は丁寧に頭を下げた。

 

「アリガトウ」

 

「ごゆっくりどうぞ」

 

 視線が一瞬だけ合う。

 

 男の目に敵意はない。

 

 警戒も、それほど強くない。

 

 手元を見る。

 

 指に目立った傷はない。

 

 拳銃を長期間扱う人間に見られる特有の硬さも、確認できない。

 

 ただし、手はテーブルの下に置かれている時間が長かった。

 

 完全には確認できない。

 

 やがて、食後のパフェを二つ運ぶ。

 

 千束が自分で持っていった。

 

「お待たせしましたー! チョコレートパフェ!」

 

「オオ」

 

 女性が目を輝かせる。

 

「奏斗の一番好きなやつだよ!」

 

 なぜそこで自分の名前を出すのか。

 

 奏斗は少し離れた場所から千束を見る。

 

 女性が奏斗へ視線を向ける。

 

「カナト?」

 

「そう、奏斗!」

 

 千束がこちらを指す。

 

「新しい店員!」

 

 女性が奏斗へ笑顔を見せる。

 

「カナト、オススメ?」

 

 奏斗は仕方なく答えた。

 

「はい。おすすめです」

 

「オイシイ?」

 

「おいしいです」

 

 女性がうなずき、パフェを一口食べる。

 

 すぐに笑顔になった。

 

「オイシイ!」

 

「ほらね!」

 

 千束が自分のことのように喜ぶ。

 

「奏斗のおすすめ、海外でも通用するね」

 

「パフェがおいしいだけです」

 

「奏斗がすすめたから食べたんだよ」

 

「注文を取ったのは千束でしょう」

 

「細かいなぁ」

 

 外国人男女は、最後まで特に変わった行動を見せなかった。

 

 食事とパフェをきれいに食べ、会計も現金で済ませた。

 

 女性は帰り際、千束へ何度も礼を言った。

 

「アリガトウ。オイシカッタ」

 

「また来てねー!」

 

「マタ、キマス」

 

 男性も頭を下げる。

 

「Thank you」

 

「ありがとうございました」

 

 奏斗が答える。

 

 二人は並んで店を出た。

 

 扉が閉まる。

 

 千束は手を振りながら、満足そうに言った。

 

「良いお客さんだったね」

 

「そうですね」

 

「やっぱり怪しくなかったでしょ?」

 

 奏斗が千束を見る。

 

「警戒していたことに気づいていたのですか?」

 

「奏斗、ずっと二人のこと見てたから」

 

「接客中に周囲を確認していただけです」

 

「視線、ちょっと多かったよ」

 

「護衛任務です」

 

「私は怪しくないと思う」

 

 千束は使用済みのグラスを集めながら言った。

 

「理由は?」

 

「女の人の手」

 

「手?」

 

「うん。近くで何回か見たけど、戦闘訓練してる人の手じゃなかった」

 

 奏斗は少しだけ考える。

 

 千束は相手の服や筋肉の動きから、行動を予測する。

 

 観察力については、奏斗よりも優れている部分がある。

 

「具体的には?」

 

「銃をたくさん撃ってる感じじゃなかった。手のひらも柔らかかったし、指の付け根にも変な硬さがない。刃物を握る人の手でもないと思う」

 

「触れたのですか?」

 

「メニューを指さしたとき近くで見えた。それと、帰りに握手した」

 

「いつの間に」

 

「奏斗が会計してるとき」

 

 護衛対象が警戒対象と勝手に握手していた。

 

 注意すべきか迷う。

 

「不用意に接触しないでください」

 

「怪しくなかったって」

 

「確認する前に接触したのでしょう」

 

「握手くらい普通だよ」

 

「昨日、顔を確認せず相手へ近づいて襲われたばかりでは?」

 

「今回は顔も見えたし、明るい店内だったもん」

 

「状況が違っても、警戒は必要です」

 

「奏斗は心配性だなぁ」

 

「護衛です」

 

「でも、女の人は違うよ」

 

「男性は?」

 

 奏斗が尋ねる。

 

 千束は少し考えた。

 

「男の人は分からない」

 

「分からない?」

 

「手をちゃんと見られなかった。コーヒー持つときも袖で隠れてたし」

 

「それは偶然でしょうか」

 

「分かんない。でも、女の人と一緒にいるときの感じは自然だったよ」

 

「演技の可能性もあります」

 

「奏斗みたいに?」

 

「私を基準にしないでください」

 

「普通の高校生っぽく見えるリリベルだもんね」

 

「千束も普通の店員に見えるリコリスでしょう」

 

「私は看板娘!」

 

「自称の」

 

「そこはもう認めてよ!」

 

 千束が抗議する。

 

 奏斗は小さく息を吐いた。

 

「現時点では、敵と断定する材料はありません」

 

「でしょ?」

 

「ただし、警戒を解除する理由もありません」

 

「真面目だね」

 

「必要なことです」

 

「じゃあ私は、普通のお客さんとして覚えておく」

 

「それで構いません」

 

「次に来たら、またパフェすすめる」

 

「店員としては正しい対応です」

 

「奏斗も笑顔でね」

 

「必要に応じて」

 

 千束は満足そうにうなずき、テーブルを片づけ始めた。

 

 奏斗も次の客へ対応するため、店内を見渡す。

 

 そのときだった。

 

「お会計をお願いします」

 

 一人の男性客がレジ前へ立っていた。

 

 四十歳前後。

 

 日本人。

 

 昼前から店内の隅の席に座り、コーヒーと軽食を注文していた。

 

 派手な服装ではない。

 

 会社員にも、近所の住民にも見える。

 

 ほかの客と話すこともなく、長時間端末を見ていた。

 

「お待たせしました」

 

 奏斗は伝票を受け取り、金額を確認する。

 

「こちらの金額になります」

 

 男が財布を取り出す。

 

 現金を受け取る。

 

 その手を見た瞬間、奏斗の意識が止まった。

 

 厚い皮膚。

 

 親指と人差し指の付け根に、硬くなった部分がある。

 

 指先にも細かな傷。

 

 拳銃だけとは限らない。

 

 工具を扱う職人にも似た特徴は出る。

 

 スポーツや重い荷物を扱う仕事でも、手のひらは硬くなる。

 

 しかし、男の手はそれだけではなかった。

 

 右手の人差し指。

 

 第一関節から先の動きが滑らかで、ほかの指とは独立している。

 

 引き金を扱う訓練を受けた人間に見られる動き。

 

 金銭を差し出すだけの動作なのに、手首が安定している。

 

 無意識に周囲へ対して手のひらを隠すような角度を保っていた。

 

 戦闘訓練。

 

 その言葉が頭に浮かぶ。

 

「どうしました?」

 

 男が尋ねる。

 

 奏斗はすぐに視線を上げた。

 

「失礼しました。お預かりします」

 

 表情は変えない。

 

 会計を行い、釣り銭を返す。

 

「ありがとうございました」

 

 男は釣り銭を受け取り、財布へ入れた。

 

「ごちそうさま」

 

 穏やかな声。

 

 訛りもない。

 

 ごく普通の日本人男性だった。

 

 男は扉へ向かう。

 

 歩き方を見る。

 

 足音が小さい。

 

 重心が安定している。

 

 姿勢はやや猫背だが、周囲への視線は自然に動いている。

 

 訓練を受けた人間が、そう見えないようにしている可能性がある。

 

 しかし、決めつける材料はない。

 

「ありがとうございましたー!」

 

 千束の声に送られ、男は店を出た。

 

 奏斗は閉まった扉を数秒見つめる。

 

「奏斗?」

 

 千束が声をかける。

 

「何ですか?」

 

「今の人、何かあった?」

 

「いいえ」

 

「ずっと見てたよ」

 

「少し気になっただけです」

 

「何が?」

 

 奏斗は答えるか迷った。

 

 今の段階で千束へ伝えれば、必要以上に意識する可能性がある。

 

 逆に、共有しなければ危険を見落とすかもしれない。

 

「手です」

 

「手?」

 

「戦闘訓練を受けている人間の手に見えました」

 

 千束の表情が少しだけ真面目になる。

 

「さっきの人が?」

 

「断定はできません。仕事や趣味による可能性もあります」

 

「日本人だったよね」

 

「はい」

 

「外国組織じゃない?」

 

「日本人構成員がいないとは限りません」

 

 国外組織が国内で活動するなら、日本人協力者を利用する可能性は高い。

 

 現地の言語、土地勘、身分証、車両、住居。

 

 外国人だけで活動するより、はるかに目立ちにくい。

 

「顔、覚えた?」

 

「はい」

 

「私も見たけど、普通の人に見えたなぁ」

 

「私にも普通に見えました」

 

「でも手だけ?」

 

「はい」

 

 千束は少し考え、扉の向こうを見る。

 

「追いかける?」

 

「いいえ」

 

「何で?」

 

「敵と断定できません。それに、店を空けるわけにはいかないでしょう」

 

「私が残るよ」

 

「護衛対象から離れることになります」

 

「じゃあ私も行く」

 

「相手が千束を誘い出すために、わざと違和感を見せた可能性もあります」

 

「考えすぎじゃない?」

 

「可能性を挙げただけです」

 

「奏斗って、何でも疑うんだね」

 

「任務中は必要です」

 

「今は店員中」

 

「護衛任務中でもあります」

 

 千束は小さく息を吐いた。

 

「分かった。今は何もしない」

 

「はい」

 

「でも、また来たら教えて」

 

「そのつもりです」

 

「私も手を見る」

 

「露骨に確認しないでください」

 

「握手すればいいじゃん」

 

「やめてください」

 

「冗談だって」

 

「千束の場合、実行しそうなので困ります」

 

「信用ないなぁ」

 

「昨日の行動を考えてください」

 

「またそれ言う」

 

 千束は口を尖らせながらも、話を終えた。

 

 奏斗は男の特徴を記憶し、隙を見て端末へ記録する。

 

 日本人男性。

 

 四十歳前後。

 

 中肉中背。

 

 暗い色の上着。

 

 右手に戦闘訓練の痕跡と思われる特徴。

 

 店内に長時間滞在。

 

 外国人男女と同時間帯に在店。

 

 ただし、接触や視線の交換は確認できず。

 

 報告を送信する。

 

 外国人男女と、日本人男性。

 

 関連があるかは分からない。

 

 偶然、同じ時間に店へいただけかもしれない。

 

 それでも、少しだけ気になった。

 

     ◇

 

 その日の営業は、何事もなく終わった。

 

 外国人男女が戻ってくることも、日本人男性が再び現れることもなかった。

 

 閉店後、奏斗は通常どおり片づけを手伝った。

 

「今日もお疲れさまー!」

 

 千束が両腕を伸ばす。

 

「千束は途中で休んでいたでしょう」

 

「休憩も仕事のうち」

 

「その間、私が二つのテーブルを担当しました」

 

「奏斗ならできると思ったから任せた」

 

「良いように言わないでください」

 

「信頼だよ、信頼」

 

「便利な言葉ですね」

 

 ミズキが売上を確認しながら口を挟む。

 

「今日もお客さん多かったわね」

 

「人気店になってきたね!」

 

 千束がうれしそうに言う。

 

「奏斗のおかげかなぁ」

 

「今日は外国人のお客さんも来たしね」

 

「私の国際的な接客が通じた!」

 

「ほとんど身振り手振りだったでしょうが」

 

「通じればいいの」

 

 奏斗は外国人男女が座っていた席を拭く。

 

 特に置き忘れはない。

 

 椅子の下、テーブルの裏もさりげなく確認した。

 

 盗聴器や小型機器は見つからない。

 

「奏斗、まだ疑ってる?」

 

 千束が後ろから尋ねる。

 

「確認しているだけです」

 

「何もなかったでしょ?」

 

「はい」

 

「だから普通のお客さんだって」

 

「そうであれば問題ありません」

 

「男の人も、女の人と一緒にいるときは普通だったよ」

 

「女性が組織と無関係でも、男性だけが関係者である可能性はあります」

 

「夫婦なのに?」

 

「相手の仕事を知らない夫婦もいるでしょう」

 

「夢がないなぁ」

 

「現実的な話です」

 

「でも、仲良さそうだった」

 

「演技かもしれません」

 

「奏斗、それ言ったら何も信じられないよ」

 

 千束の言葉に、奏斗は手を止める。

 

「何ですか?」

 

「全部演技かも。全部嘘かも。そう思ってたら、誰とも話せないじゃん」

 

「警戒と不信は別です」

 

「同じようなものじゃない?」

 

「違います」

 

 奏斗は布巾を絞る。

 

「相手を信用しながら、危険の可能性を確認することはできます」

 

「奏斗はできてる?」

 

「何をですか?」

 

「私を信用しながら、警戒してる?」

 

「千束は護衛対象です」

 

「答えになってない」

 

「戦闘能力は信用しています」

 

「それ以外は?」

 

「油断しやすいので警戒しています」

 

「ひどい!」

 

 千束が声を上げる。

 

 奏斗は少しだけ口元を緩めた。

 

「冗談です」

 

「最近、冗談の使い方が上手くなったね」

 

「千束の影響だとすれば、不本意です」

 

「百六十点!」

 

「採点はもう終わったのでは?」

 

「今日も更新中」

 

「何の意味があるのですか」

 

「奏斗が立派なリコリコ店員になってる証明」

 

「上層部への報告には書きませんよ」

 

「書いてよ。接客能力百六十点って」

 

「意味不明として差し戻されます」

 

 ミズキが笑う。

 

 店内の空気は穏やかだった。

 

 昼間の違和感も、この場所にいると薄れていく。

 

 しかし、奏斗は忘れなかった。

 

 外国人男女。

 

 日本人男性。

 

 手の硬さ。

 

 視線。

 

 動き。

 

 少なくとも、確認が終わるまでは偶然と決めつけるべきではない。

 

     ◇

 

 夜。

 

 その日は千束にも奏斗にも、追加の任務は入っていなかった。

 

 閉店作業を終え、ミカとミズキへ挨拶して店を出る。

 

「じゃあ先生、ミズキ、おやすみー!」

 

「寄り道するんじゃないわよ」

 

「奏斗がいるから大丈夫!」

 

「護衛を保護者みたいに使わないでください」

 

「似たようなものでしょ?」

 

「違います」

 

 扉を閉める。

 

 夜の空気は少し冷たかった。

 

 通りにはまだ人がいる。

 

 飲食店の明かり。

 

 車の音。

 

 仕事帰りの人。

 

 この辺りでは、すぐに襲撃される可能性は低い。

 

 しかし、セーフハウスへ向かう途中には人通りの少ない道もある。

 

 奏斗は千束の半歩後ろを歩いた。

 

「今日は本当に任務ないんだよね?」

 

 千束が尋ねる。

 

「はい」

 

「じゃあ、ゆっくり帰れるね」

 

「寄り道はしません」

 

「まだ何も言ってないじゃん」

 

「コンビニへ行きたいと言うと思いました」

 

「何で分かったの?」

 

「これまでの行動から予想しました」

 

「すごいね」

 

「感心する前に、諦めてください」

 

「甘いもの買うだけだよ?」

 

「セーフハウスにもあるでしょう」

 

「ないかも」

 

「昨日、ミズキさんが補充したと言っていました」

 

「聞いてたんだ」

 

「店内で話していたので」

 

「奏斗、私のこと何でも知ってるね」

 

「必要な情報だけです」

 

「好きな食べ物は?」

 

「甘いもの全般」

 

「私のだよ」

 

「……千束の好きな食べ物ですか?」

 

「そう」

 

「特定できません」

 

「ほら、何でも知ってるわけじゃない」

 

「知る必要がありますか?」

 

「護衛対象の好みは大事じゃない?」

 

「非常食を選ぶ際には参考になるかもしれません」

 

「もっと普通に考えようよ」

 

 千束が笑う。

 

 奏斗も周囲を確認しながら答える。

 

「では、何が好きなのですか?」

 

「知りたい?」

 

「聞かれたので」

 

「その言い方だと教えたくなくなるなぁ」

 

「では、結構です」

 

「諦めるの早い!」

 

「どちらなのですか?」

 

「教えてあげる。私はね――」

 

 千束が話し始めたとき、二人は表通りから一本外れた道へ入った。

 

 人通りが急に減る。

 

 街灯の間隔が広い。

 

 片側には閉まった店舗。

 

 反対側には古い建物と駐車場。

 

 奏斗の意識が自然に周囲へ広がる。

 

 前方。

 

 約三十メートル。

 

 一人の人影がこちらへ歩いてくる。

 

 性別は男性。

 

 身長は平均的。

 

 暗い色の上着。

 

 両手をポケットへ入れている。

 

 顔は街灯の外にあり、はっきり見えない。

 

 歩調は一定。

 

 こちらを見ている様子はない。

 

「奏斗?」

 

 千束が呼ぶ。

 

「何ですか?」

 

「聞いてた?」

 

「好きな食べ物の話ですね」

 

「途中で反応なくなったから」

 

「聞いています」

 

「じゃあ何て言った?」

 

「まだ答えを聞いていません」

 

「正解」

 

 千束は前方の人物を気にしていない。

 

 奏斗は歩く速度を変えず、男を観察する。

 

 ポケットの中の手。

 

 肩の位置。

 

 歩幅。

 

 不自然な膨らみは見えない。

 

 しかし、右側のポケットだけが少し下がっている。

 

 重量物が入っている可能性。

 

 拳銃。

 

 工具。

 

 端末。

 

 断定はできない。

 

 男はこちらへ近づいてくる。

 

 二十メートル。

 

 十五メートル。

 

 顔が少し見える。

 

 日本人。

 

 四十歳前後。

 

 どこかで見たような気がする。

 

 だが、暗さと距離のため判断できない。

 

 奏斗は千束との位置をわずかに変える。

 

 男と千束の間へ入れるよう、半歩前へ出る。

 

「どうしたの?」

 

 千束が小声で尋ねる。

 

「前方の人物を警戒しています」

 

「怪しい?」

 

「分かりません」

 

 千束も男を見る。

 

「普通に歩いてるだけじゃない?」

 

「両手が見えません」

 

「ポケットに入れてるだけでしょ」

 

「その中身が分かりません」

 

「奏斗は本当に心配性だね」

 

 男との距離が五メートルになる。

 

 奏斗は右手を上着の近くへ置く。

 

 すぐに拳銃を抜ける位置。

 

 千束も気づいているはずだが、特に構えない。

 

 男は顔を上げない。

 

 そのまま二人の横を通り過ぎた。

 

 何も起きない。

 

 足を止めない。

 

 ポケットから手も出さない。

 

 そのまま背後へ遠ざかっていく。

 

「ほら、普通の人だった」

 

 千束が言う。

 

「そうかもしれません」

 

「警戒しすぎると疲れるよ」

 

「必要な警戒です」

 

「でも、全員疑ってたら大変じゃん」

 

「全員ではありません」

 

「さっきの人、何もしてないよ?」

 

「はい」

 

 奏斗は前を向いたまま数歩進む。

 

 思い過ごしか。

 

 両手をポケットへ入れた人間など、珍しくない。

 

 夜道で顔が見えにくいのも当然だ。

 

 それでも、違和感が消えない。

 

 男の歩き方。

 

 肩。

 

 顔。

 

 どこかで見た。

 

 今日。

 

 店。

 

 会計。

 

 手。

 

 そこまで考えた瞬間、奏斗は足を止めた。

 

「千束」

 

「何?」

 

「前へ進んでください」

 

「え?」

 

 奏斗は振り返る。

 

 通り過ぎた男も、すでに振り返っていた。

 

 右手がポケットから出ている。

 

 手には拳銃。

 

 銃口が、こちらへ向けられていた。

 

「伏せてください!」

 

 叫ぶと同時に、奏斗は千束の肩をつかんだ。

 

 自分の体を千束と男の射線の間へ入れる。

 

 銃声。

 

 夜道に乾いた音が響く。

 

 奏斗は千束を抱えるようにして横へ飛んだ。

 

 弾丸が上着の肩口をかすめ、背後の壁へ当たる。

 

 千束とともに地面へ倒れ込む。

 

「奏斗!」

 

「動かないでください!」

 

 二発目。

 

 奏斗は千束の体を押し、建物のくぼみへ入れる。

 

 自分も低い姿勢のまま銃を抜いた。

 

 男は歩きながら距離を詰めてくる。

 

 拳銃を両手で構えている。

 

 昼間、会計をした日本人男性。

 

 間違いない。

 

 右手。

 

 戦闘訓練の痕跡。

 

 あの違和感は正しかった。

 

 男が三発目を撃つ。

 

 奏斗は銃口と肩の動きから、狙いを読む。

 

 壁際へ体を沈める。

 

 弾丸がすぐ横を通過する。

 

 奏斗は撃ち返した。

 

 一発。

 

 男が右へ避ける。

 

 動きが速い。

 

 訓練を受けている。

 

 二発目。

 

 男の左肩へ命中。

 

 体勢が崩れる。

 

 それでも男は銃を落とさない。

 

 千束のいる方向へ銃口を戻そうとする。

 

 奏斗は迷わず、もう一度引き金を引いた。

 

 胸部。

 

 男の体が大きく揺れる。

 

 後ろへ倒れる。

 

 拳銃が手から離れ、路面を滑った。

 

 静寂。

 

 銃声の余韻だけが残る。

 

 奏斗は銃を構えたまま、周囲を見る。

 

 別の人影はない。

 

 車両の接近もない。

 

 狙撃位置になりそうな窓にも動きは見えない。

 

「千束、怪我は?」

 

「私は大丈夫。それより奏斗!」

 

 千束が起き上がる。

 

「肩、撃たれた?」

 

「かすっただけです」

 

 上着の肩口が裂けている。

 

 その下のシャツにも小さな赤い跡が見えた。

 

 弾丸は皮膚を浅く削っただけで、深くは入っていない。

 

「見せて!」

 

「あとです」

 

 奏斗は男へ近づく。

 

 銃口を向けたまま、倒れた人物の状態を確認する。

 

 呼吸は浅い。

 

 まだ生きている。

 

 胸部への弾丸は急所を少し外れていた。

 

 意図的に外したわけではない。

 

 短い時間で、千束への射線を止めることを優先した結果だ。

 

「武器から離れてください」

 

 男は反応しない。

 

 意識を失っている。

 

 奏斗は男の拳銃を足で遠ざけ、腕を後ろへ回して拘束した。

 

 その顔を見る。

 

 昼間、店で会計をした男。

 

 間違いない。

 

「この人……」

 

 千束も近づいてくる。

 

「リコリコにいた人だよね」

 

「はい」

 

「奏斗が手を気にしてた」

 

「その人物です」

 

 千束の表情から、いつもの笑みが消える。

 

「日本人だよね」

 

「少なくとも、見た目と話し方は」

 

「外国組織の人じゃないの?」

 

「分かりません」

 

 奏斗は男の上着とポケットを調べる。

 

 身分証。

 

 日本人名が記載された運転免許証。

 

 現金。

 

 鍵。

 

 一般的な端末。

 

 予備弾倉。

 

 小型の通信機。

 

 拳銃は外国製だが、日本国内で入手することも不可能ではない。

 

「名前は?」

 

 千束が尋ねる。

 

「免許証では、日本人名です」

 

「偽物かも?」

 

「可能性はあります」

 

「外国組織に雇われた日本人?」

 

「それも考えられます」

 

 奏斗は通信機へ手を伸ばす。

 

「押村です。護衛対象への襲撃が発生。襲撃者一名を確保しました」

 

『護衛対象の状態は?』

 

「無傷です。私は肩に軽傷」

 

「軽傷じゃないかもしれないよ!」

 

 千束の声が通信へ入る。

 

『場所を送れ。回収班と医療班を向かわせる』

 

「了解しました」

 

 位置情報を送信する。

 

 千束は奏斗の肩を見ていた。

 

「本当に大丈夫?」

 

「問題ありません」

 

「見せて」

 

「回収班が来てからです」

 

「今見せて」

 

「この場の警戒が先です」

 

「私も見てるから」

 

「千束は襲撃者を確認してください」

 

「奏斗」

 

 声が少し強くなる。

 

 奏斗は千束を見る。

 

 いつもの笑顔はない。

 

 本気で心配している。

 

「……浅い傷です」

 

「だったら見せてもいいでしょ」

 

「今、上着を脱ぐ必要はありません」

 

「頑固」

 

「任務中です」

 

「任務が終わったら絶対見せてよ」

 

「必要であれば」

 

「必要!」

 

 即答だった。

 

 奏斗はそれ以上反論しなかった。

 

 周囲の警戒を続けながら、男の持ち物を確認する。

 

 端末には強固なロックがかかっている。

 

 通信機も暗号化されていた。

 

 組織的な背景がある可能性は高い。

 

「どうして日本人が私を狙うの?」

 

 千束が小さく呟く。

 

「外国組織に協力する理由があったのかもしれません」

 

「お金?」

 

「可能性の一つです」

 

「脅されてたとか?」

 

「それも考えられます」

 

「自分から参加してたかもしれない?」

 

「はい」

 

 奏斗は男の顔を見る。

 

 店内では普通の客に見えた。

 

 静かにコーヒーを飲み、会計を済ませ、礼を言って帰った。

 

 外国人男女よりも、はるかに目立たなかった。

 

 奏斗が手を見なければ、記憶にも残らなかった可能性がある。

 

「外国人二人と関係あると思う?」

 

 千束が尋ねる。

 

「現時点では分かりません」

 

「同じ時間に店にいたよね」

 

「はい。しかし、接触は確認できませんでした」

 

「目で合図してたとか?」

 

「少なくとも、私は気づきませんでした」

 

「私も」

 

 千束は少し考える。

 

「じゃあ、たまたま?」

 

「それも判断できません」

 

「分からないことばっかりだね」

 

「情報が不足しています」

 

「でも、この人が敵だったことは分かった」

 

「はい」

 

「奏斗が気づいてくれたから」

 

 千束が奏斗を見る。

 

「手、見逃さなかったんだね」

 

「確証はありませんでした」

 

「それでも覚えてた」

 

「気になっただけです」

 

「そのおかげで助かったよ」

 

「私が振り返るのが遅ければ、危険でした」

 

「でも振り返った」

 

「念のためです」

 

「奏斗の念のため、すごいね」

 

 千束は少しだけ笑った。

 

 無理に明るくしているようにも見える。

 

 銃を向けられたことより、奏斗が庇ったことを気にしているのかもしれない。

 

「何で私の前に出たの?」

 

 千束が尋ねる。

 

「避ける時間がありませんでした」

 

「私は避けられたかも」

 

「確認する余裕はありません」

 

「奏斗が撃たれるかもしれなかったよ」

 

「護衛です」

 

「それだけ?」

 

「それ以外に何があるのですか?」

 

 千束は奏斗の顔を見つめる。

 

「私を守りたかった、とか」

 

「護衛なので守りました」

 

「同じじゃん」

 

「任務上の行動です」

 

「でも、体が勝手に動いたでしょ?」

 

「判断して動きました」

 

「本当に?」

 

「はい」

 

「一瞬で?」

 

「そのための訓練を受けています」

 

 奏斗は淡々と答える。

 

 実際、判断した。

 

 敵の銃口。

 

 千束との位置。

 

 射線。

 

 回避できる方向。

 

 すべてを短時間で確認した。

 

 ただ。

 

 千束を庇う以外の選択肢を考える前に、体が動いていたことも事実だった。

 

 それを言う必要はない。

 

「奏斗って、素直じゃないね」

 

「千束に言われたくありません」

 

「私は素直だよ」

 

「怪我を隠します」

 

「今は奏斗の話!」

 

「話を変えないでください」

 

「変えてないよ」

 

 遠くから車両の音が近づいてくる。

 

 回収班。

 

 奏斗は周囲を確認し、武器を少し下げる。

 

 黒い車両が二台、道の入口で止まった。

 

 複数のリリベルが降りてくる。

 

 警戒役。

 

 回収担当。

 

 医療担当。

 

 奏斗は状況を簡潔に報告する。

 

「襲撃者は一名。護衛対象へ背後から発砲。左肩と胸部に命中させ、拘束しました。所持品はこちらです」

 

「押村、負傷は?」

 

「肩をかすっただけです」

 

「確認する」

 

 医療担当が奏斗の上着へ手を伸ばす。

 

 千束がすぐ隣へ立つ。

 

「私も見る」

 

「千束は離れていてください」

 

「何で?」

 

「処置の邪魔になります」

 

「邪魔しないよ」

 

「近いです」

 

「見えないじゃん」

 

「見る必要はありません」

 

「ある!」

 

 医療担当の少年が、二人を交互に見る。

 

「処置していいか?」

 

「お願いします」

 

「私も見ていい?」

 

「千束は護衛対象だろ。周囲の警戒範囲内にいてくれ」

 

「ここも警戒範囲でしょ?」

 

 千束は引かない。

 

 奏斗は諦め、小さく息を吐いた。

 

「静かにしてください」

 

「やった」

 

「喜ぶことではありません」

 

 上着を脱ぐ。

 

 シャツの肩口が切れ、血がにじんでいた。

 

 傷は浅い。

 

 弾丸が皮膚の表面を削っただけで、骨や筋肉への損傷はない。

 

「ほら、血出てる!」

 

「かすり傷です」

 

「痛くないの?」

 

「多少は」

 

「嘘。絶対もっと痛いでしょ」

 

「耐えられる範囲です」

 

「奏斗も怪我を隠すじゃん」

 

「隠していません」

 

「軽く言ってる」

 

「千束より正確に報告しています」

 

「先生に言うからね」

 

「なぜミカさんへ?」

 

「奏斗が怪我を軽く考えてるって」

 

「店長へ報告する内容ではありません」

 

「一緒に働いてる店員だもん」

 

「護衛任務中の負傷です」

 

「明日の仕事に影響するかもしれないでしょ」

 

「影響しません」

 

「トレイ持てる?」

 

「右手で持てます」

 

「左は?」

 

「使えます」

 

「じゃあ大丈夫かな」

 

「切り替えが早いですね」

 

 千束が少し安心したように笑う。

 

 医療担当が傷を洗い、簡単な処置を行う。

 

 その間に、襲撃者は担架へ載せられた。

 

「この人、生きてる?」

 

 千束が確認する。

 

「はい」

 

「よかった」

 

「情報を得る必要がありますので」

 

「それだけじゃなくて、生きてる方がいいよ」

 

「そうですか」

 

「奏斗、今日は殺さなかったね」

 

 奏斗は答えなかった。

 

 千束へ銃を向けた相手。

 

 必要であれば、急所を撃ち抜くつもりだった。

 

 胸部へ当てた弾が致命傷にならなかったのは、結果にすぎない。

 

 しかし、千束はうれしそうに見える。

 

「別に、千束に合わせたわけではありません」

 

「聞いてないのに言った」

 

「誤解されそうだったので」

 

「ちょっとは意識した?」

 

「していません」

 

「本当?」

 

「状況に応じた射撃です」

 

「じゃあ、殺さなくても止められたってことだね」

 

「今回は」

 

「それで十分!」

 

 千束は笑った。

 

 今日、外国人の客を普通の人だと言ったときと同じような笑顔。

 

 相手を疑うより、信じる方を選ぶ笑顔。

 

 奏斗にはまだ、その考え方を理解できない部分がある。

 

 今夜の日本人男性も、店内では普通の客だった。

 

 千束が普通だと信じた外国人男女よりも、目立たない存在。

 

 それが突然、背後から銃を向けた。

 

 人は見た目だけでは判断できない。

 

 手の特徴一つで敵と断定することもできない。

 

 だが、小さな違和感を見落とせば、千束が撃たれる。

 

「奏斗」

 

「何ですか?」

 

「考え込んでる?」

 

「状況を整理しています」

 

「外国組織のこと?」

 

「はい」

 

 奏斗は担架で運ばれていく男を見る。

 

「国外組織が日本人を雇用、あるいは協力者として利用している可能性があります」

 

「そしたら、外国人だけ警戒しても駄目だね」

 

「最初から、国籍だけで判断するべきではありません」

 

「今日の二人も関係ないかもしれない」

 

「はい」

 

「関係あるかもしれない」

 

「はい」

 

「難しいなぁ」

 

「だから調査します」

 

「奏斗たちが?」

 

「リリベルの情報部門が行います」

 

「私にも教えてね」

 

「共有可能な範囲で」

 

「またそれ」

 

「規則です」

 

「護衛対象なのに」

 

「必要な情報は伝えます」

 

「本当に?」

 

「はい」

 

 処置が終わる。

 

 奏斗は新しい包帯の上からシャツを整え、上着を羽織った。

 

 破れた肩口は隠れない。

 

「そのまま帰るの?」

 

 千束が尋ねる。

 

「問題ありません」

 

「寒くない?」

 

「少し破れただけです」

 

「私の上着貸そうか?」

 

「サイズが合いません」

 

「着られるよ」

 

「赤い制服を着て帰るつもりですか?」

 

「上着じゃなくて、鞄に入ってる予備」

 

「必要ありません」

 

「遠慮しなくても」

 

「本当に不要です」

 

「じゃあ一緒に買いに行く?」

 

「この時間にですか?」

 

「まだ開いてる店あるよ」

 

「先にセーフハウスへ送ります」

 

「奏斗の服が先」

 

「護衛対象の安全が先です」

 

「頑固だなぁ」

 

「千束に言われたくありません」

 

 回収班の責任者が近づいてくる。

 

「押村、対象は拠点へ運ぶ。お前は護衛を継続しろ」

 

「了解しました」

 

「その負傷なら任務継続可能と判断する。異常があれば交代を要請しろ」

 

「はい」

 

 車両が動き出す。

 

 襲撃者と回収班が夜道の向こうへ消える。

 

 残ったのは奏斗と千束。

 

 周辺を監視するリリベルが数名いるが、姿は見えない。

 

「帰ろうか」

 

 千束が言う。

 

「はい」

 

 二人は再びセーフハウスへ向かって歩き始める。

 

 今度は奏斗が千束より少し前。

 

 敵が通り過ぎてから背後を取ったことを考慮し、前方だけではなく後方も定期的に確認する。

 

「奏斗」

 

「何ですか?」

 

「さっきの続き」

 

「何の話ですか?」

 

「私の好きな食べ物」

 

「まだ話すのですか?」

 

「途中だったじゃん」

 

「襲撃があった直後ですよ」

 

「だからこそ、普通の話をしようよ」

 

「切り替えが早すぎます」

 

「今日を楽しく終わらせたいからね」

 

 千束は少しだけ早足になり、奏斗の隣へ並ぶ。

 

「それでね、私は――」

 

 楽しそうに話し始める。

 

 奏斗は周囲を警戒しながら、その声を聞いた。

 

 外国人男女。

 

 日本人の襲撃者。

 

 国外組織。

 

 国内協力者。

 

 まだ分からないことが多い。

 

 男が単独で動いていたのか。

 

 昼間から千束を狙っていたのか。

 

 外国人男女と関係があるのか。

 

 なぜ店内では攻撃せず、帰路を狙ったのか。

 

 情報はこれから解析される。

 

 すぐに答えは出ないだろう。

 

 それでも、一つだけ確かなことがある。

 

 敵は外国人だけではない。

 

 普通の客として店へ入り、普通の日本語を話し、普通に会計を済ませる。

 

 そして夜になれば、背後から銃を向ける。

 

 千束を守るには、国籍や外見ではなく、もっと小さな違和感を見つけなければならない。

 

「奏斗、聞いてる?」

 

「聞いています」

 

「じゃあ、今何て言った?」

 

「甘いものも好きですが、食事なら肉料理が好きだと」

 

「正解!」

 

「それほど意外ではありませんね」

 

「何で?」

 

「よく動くので、食事量も多いでしょう」

 

「でも、野菜もちゃんと食べるよ」

 

「知っています」

 

「何で?」

 

「店のまかないを見ているので」

 

「やっぱり私のこと何でも知ってるね」

 

「必要な範囲だけです」

 

「じゃあ、奏斗の好きな食べ物は?」

 

「甘いものです」

 

「それは知ってる。食事なら?」

 

「特にありません」

 

「絶対あるでしょ」

 

「何でも食べます」

 

「つまらない答え」

 

「食事に面白さを求めないでください」

 

「じゃあ今度、先生に奏斗の好きなもの作ってもらおう」

 

「私のために用意する必要はありません」

 

「店員歓迎会、まだしてないじゃん」

 

「必要ですか?」

 

「必要!」

 

「また勝手に決めていませんか?」

 

「ミズキも賛成するよ」

 

「本人へ確認していないでしょう」

 

「先生もきっと」

 

「ミカさんを巻き込まないでください」

 

 千束の笑い声が夜道へ響く。

 

 先ほど銃撃があったことが嘘のようだった。

 

 奏斗は一度だけ、包帯の巻かれた肩へ意識を向ける。

 

 痛みはある。

 

 だが、任務に支障はない。

 

「それとね」

 

 千束が続ける。

 

「明日、店に来たら先生にちゃんと傷見せてよ」

 

「処置は終わっています」

 

「先生にも確認してもらう」

 

「必要ありません」

 

「私から言うから」

 

「やめてください」

 

「ミズキにも言う」

 

「さらに面倒になります」

 

「奏斗が素直に見せればすぐ終わるよ」

 

「なぜ店員の負傷確認が、店舗業務の一部になっているのですか」

 

「仲間だから」

 

 千束が何でもないことのように言った。

 

 奏斗は一瞬、返事を止める。

 

「奏斗はリコリコの店員でしょ?」

 

「護衛任務の一環です」

 

「でも店員」

 

「はい」

 

「だったら仲間」

 

「判断が単純ですね」

 

「分かりやすくていいじゃん」

 

 千束は笑う。

 

「だから、怪我したら心配する。普通でしょ?」

 

 奏斗は前を向いた。

 

「……そうかもしれません」

 

「おっ」

 

「何ですか?」

 

「素直!」

 

「一般論としてです」

 

「照れなくていいのに」

 

「照れていません」

 

「じゃあ明日、歓迎会ね」

 

「話が飛んでいます」

 

「怪我も確認して、甘いものも食べて、歓迎会」

 

「勝手に予定を増やさないでください」

 

「今日、私を守ったご褒美」

 

「任務です」

 

「でもありがとう」

 

 千束の声が少しだけ柔らかくなる。

 

「本当に、助かったよ」

 

「……はい」

 

 奏斗は短く答えた。

 

 セーフハウスが見えてくる。

 

 今夜も千束は無事に帰る。

 

 それが奏斗の任務だ。

 

 だから庇った。

 

 だから撃った。

 

 それだけのはずだった。

 

 しかし、千束から礼を言われると、肩の痛みとは別の場所に小さな熱を感じた。

 

 何なのかは考えない。

 

 考える必要もない。

 

「到着しました」

 

「うん」

 

 千束が入口の鍵を取り出す。

 

 扉を開ける前に、奏斗を振り返った。

 

「明日も来るよね?」

 

「護衛任務が継続しているので」

 

「店員としても?」

 

「勤務予定です」

 

「じゃあ、朝から傷の確認!」

 

「忘れてください」

 

「忘れないよ。記憶力いいから」

 

「自分に都合の良いことだけでは?」

 

「奏斗、私のこと分かってきたね」

 

「分かりやすいだけです」

 

「それ、前にも言った」

 

「事実は変わりません」

 

 千束は笑いながら中へ入る。

 

「おやすみ、奏斗」

 

「おやすみなさい」

 

「気をつけて帰ってね」

 

「千束は施錠してください」

 

「はーい」

 

 扉が閉まり、鍵のかかる音がする。

 

 奏斗は周囲を見渡す。

 

 異常なし。

 

 監視担当からも問題なしの連絡が入った。

 

 それでも、すぐにはその場を離れなかった。

 

 数秒。

 

 窓。

 

 屋上。

 

 路地。

 

 停車車両。

 

 すべてを確認する。

 

 今夜の襲撃者は日本人だった。

 

 外国組織を追っていたはずの任務に、国内の人間が現れた。

 

 組織が想定より深く日本へ入り込んでいるのか。

 

 あるいは。

 

 外国組織とは別に、千束を狙う存在がいるのか。

 

「……どちらでしょうね」

 

 小さく呟く。

 

 答えはない。

 

 夜の街は静かだった。

 

 奏斗は端末を取り出し、上層部へ追加報告を送る。

 

 外国組織との関連は未確認。

 

 襲撃者は日本人名の身分証を所持。

 

 昼間、喫茶リコリコへ一般客として来店。

 

 戦闘訓練の痕跡を手に確認。

 

 帰路で護衛対象を銃撃。

 

 外国人男女二名との接触は確認できず。

 

 送信。

 

 画面を閉じる。

 

 店内で見つけた小さな違和感。

 

 その違和感がなければ、振り返る判断が遅れていたかもしれない。

 

 今回は間に合った。

 

 次も間に合う保証はない。

 

 奏斗はセーフハウスへ背を向け、拠点へ向かって歩き始めた。

 

 肩の傷が、歩くたびにわずかに痛む。

 

 それでも足は止めない。

 

 敵が外国人か、日本人かは関係ない。

 

 千束を狙う者であれば、見つける。

 

 次は銃口を向ける前に。

 

 店員として交わした笑顔の裏に、何が隠れているのかを。

 

 見落とさないように。

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