君を守る、その理由   作:かなっち館長

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第八話 狙われた護衛

 リリベルの国内活動拠点は、地上から見れば何の変哲もないオフィスビルだった。

 

 ガラス張りの正面玄関。

 

 受付。

 

 入居企業の名前が並ぶ案内板。

 

 朝になればスーツ姿の人間が出入りし、配送業者が荷物を運び込む。

 

 その地下に、武器庫や作戦室、訓練区画が存在することを知る者は少ない。

 

 押村奏斗は認証を通過し、地下二階の廊下を歩いていた。

 

 喫茶リコリコでの勤務を終えてから、まだ数時間しか経っていない。

 

 今日は夜間任務が予定されている。

 

 錦木千束が担当する、誘拐計画を企てている犯罪グループの拘束。

 

 奏斗は護衛として同行する。

 

 対象となる犯罪グループは五人。

 

 保有する武器は拳銃が数丁。

 

 戦闘経験はほとんどない。

 

 DAから共有された資料だけを見るなら、千束一人で十分に処理できる任務だった。

 

 むしろ、千束へ割り当てるには簡単すぎる。

 

「奏斗」

 

 背後から声をかけられた。

 

 振り返る。

 

 少し離れた場所に、同年代の少年が立っていた。

 

 短く整えられた黒髪。

 

 細身だが、無駄なく鍛えられた体。

 

 任務服ではなく、訓練用の黒いシャツとパンツを着ている。

 

「蒼士」

 

「やっぱりお前か」

 

 少年――久世蒼士は、片手を上げながら近づいてきた。

 

 奏斗と同じリリベル。

 

 訓練期から行動を共にすることが多く、現在も比較的近い関係にある。

 

 リリベル同士で友人という言葉を使う者は少ない。

 

 だが、奏斗が仲の良い人物を一人挙げろと言われれば、蒼士の名前を出す。

 

「久しぶりですね」

 

「三日前に会っただろ」

 

「拠点内ですれ違っただけです」

 

「目が合って、会釈もした」

 

「会話はしていません」

 

「細かいな」

 

 蒼士は奏斗の肩へ視線を向けた。

 

「傷、もういいのか?」

 

「問題ありません」

 

「錦木千束を庇ったんだってな」

 

「どこから聞いたのですか?」

 

「医療班。お前が女を庇って撃たれたって話が広がってる」

 

「表現に悪意がありますね」

 

「事実だろ」

 

「護衛対象を移動させるため、射線へ入りました」

 

「女を庇って撃たれた」

 

「言い方が違うだけで、意味は同じでは?」

 

「俺の言い方の方が面白い」

 

 蒼士は口元を上げた。

 

「喫茶店で働いてるって話も本当か?」

 

「本当です」

 

「エプロン着けて?」

 

「制服の準備が間に合っていないためです」

 

「写真は?」

 

「ありません」

 

「撮ってこいよ」

 

「なぜですか?」

 

「面白いから」

 

「任務中の服装です」

 

「喫茶店のエプロンだろ」

 

「店員として不自然でない格好をする必要があります」

 

「お前が真顔でパフェ運んでるところ、見てみたいな」

 

「今は普通に接客しています」

 

「普通に?」

 

 蒼士が少し意外そうな顔をする。

 

「笑うのか?」

 

「必要であれば」

 

「営業用か」

 

「それだけではありません」

 

 答えてから、奏斗は余計なことを言ったと思った。

 

 蒼士の目が細くなる。

 

「へえ」

 

「何ですか?」

 

「女に現を抜かすなよ」

 

「抜かしていません」

 

「反応が早い」

 

「事実ではないからです」

 

「錦木千束って、噂どおり美人なんだろ?」

 

「判断する必要がありません」

 

「毎日一緒にいるのに?」

 

「護衛対象です」

 

「店員仲間でもある」

 

「任務上です」

 

「撃たれたあと、心配された?」

 

 奏斗は少し黙った。

 

 翌朝、店へ入った瞬間に上着を脱げと言われた。

 

 傷を確認すると騒がれ、トレイを持てるか試された。

 

 歓迎会でも何度も肩を気にされた。

 

「何だ、その間」

 

「必要以上に心配されました」

 

「うれしかった?」

 

「迷惑でした」

 

「口元、少し笑ってるぞ」

 

 奏斗は無意識に表情を戻した。

 

「笑っていません」

 

「分かりやすくなったな、お前」

 

「蒼士に言われたくありません」

 

「俺は昔から分かりやすい」

 

「自覚があるなら直してください」

 

「嫌だね」

 

 蒼士は壁へ背を預ける。

 

「で、今日は何の用だ?」

 

「用があるとは言っていません」

 

「お前、俺を見つけた瞬間に何か考えただろ」

 

「顔に出ていましたか?」

 

「付き合い長いから分かる」

 

 蒼士は軽い口調で言ったが、目は奏斗をまっすぐ見ていた。

 

 普段は冗談が多い。

 

 しかし、任務になると判断が早く、周囲を見る力も高い。

 

 だからこそ、頼みたいことがあった。

 

「少し、時間はありますか?」

 

「今から訓練だったけど、十分くらいなら」

 

「場所を変えましょう」

 

「面倒な話か?」

 

「聞かれたくありません」

 

 蒼士の表情から笑みが消える。

 

「分かった」

 

 二人は人の少ない資料保管区画へ移動した。

 

 監視カメラの死角ではない。

 

 拠点内で完全に監視を避けることは難しい。

 

 それでも、音声を拾われにくい場所はある。

 

 蒼士は壁際へ立ち、腕を組んだ。

 

「それで?」

 

 奏斗はすぐには答えなかった。

 

 今夜の任務資料。

 

 簡単すぎる内容。

 

 最近起きた襲撃。

 

 外国組織。

 

 日本人協力者。

 

 店内へ潜入していた元自衛官。

 

 そして、護衛がいることを理解したうえでの攻撃。

 

 何かが噛み合っていない。

 

「頼みがあります」

 

「珍しいな」

 

「内容については、誰にも話さないでください」

 

「上層部にも?」

 

「はい」

 

 蒼士の目が少しだけ鋭くなる。

 

「規則違反になる可能性があるぞ」

 

「承知しています」

 

「それでも頼む?」

 

「必要です」

 

 奏斗は声を落とし、依頼の内容を伝えた。

 

 蒼士は途中で口を挟まなかった。

 

 最後まで聞き終えると、しばらく黙って奏斗を見た。

 

「本気か?」

 

「はい」

 

「お前、思ったより錦木千束に入れ込んでるな」

 

「そういう話ではありません」

 

「護衛対象のために、上層部へ隠れて俺を動かすんだろ」

 

「私たち自身の安全確認でもあります」

 

「私たち、ね」

 

「言葉尻を拾わないでください」

 

 蒼士は小さく笑った。

 

「分かった」

 

「引き受けるのですか?」

 

「お前がここまで言うならな」

 

「危険な場合は、無理に介入する必要はありません」

 

「頼んでおいてそれかよ」

 

「監視が目的です」

 

「了解」

 

 蒼士は壁から背を離した。

 

「ただし、一つ貸しな」

 

「内容によります」

 

「今度、その喫茶店でパフェ奢れ」

 

「それだけですか?」

 

「エプロン姿で運んでこい」

 

「断ります」

 

「じゃあ引き受けない」

 

「……勤務中であれば、通常どおり接客します」

 

「よし」

 

「脅迫に近いですね」

 

「友人価格だ」

 

 蒼士は軽く手を振る。

 

「女に現を抜かすなよ、奏斗」

 

「まだ言うのですか?」

 

「危なくなったら呼べ」

 

「そのために頼みました」

 

「そうだったな」

 

 蒼士は笑いながら去っていった。

 

 その背中を見送り、奏斗は端末を取り出した。

 

 今夜の任務開始時刻。

 

 二十二時。

 

 集合地点は、対象グループのアジトから約一キロ離れた場所。

 

 奏斗は画面を閉じた。

 

 何も起きなければ、それでいい。

 

 自分の考えすぎだったと分かるだけだ。

 

 だが、もし何かが起きれば。

 

 自分と千束だけでは見えないものを、蒼士が見つける。

 

     ◇

 

 夜。

 

 指定された集合地点に着くと、千束はすでに待っていた。

 

 暗い色の上着。

 

 その下にはリコリスの赤い制服。

 

 肩に鞄をかけ、壁へ寄りかかりながら端末を見ている。

 

「お待たせしました」

 

 奏斗が声をかけると、千束が顔を上げた。

 

「奏斗、遅い!」

 

「集合時刻の三分前です」

 

「私は十分前に来たよ」

 

「早く来た千束の基準へ合わせないでください」

 

「護衛なら先に待ってないと」

 

「護衛対象が勝手に早く来たのでしょう」

 

「細かいなぁ」

 

 千束は端末を鞄へ入れる。

 

「肩は?」

 

「問題ありません」

 

「本当に?」

 

「昼間、トレイも持ちました」

 

「それは見てた」

 

「では聞く必要がありません」

 

「夜は冷えるから痛くなるかも」

 

「母親ですか?」

 

「護衛対象です」

 

「立場が逆です」

 

 千束が笑う。

 

「今日の任務、簡単そうだね」

 

「資料上は」

 

「五人でしょ?」

 

「はい。誘拐計画を立てていますが、現時点で被害者は出ていません」

 

「計画段階で止められるならいいよね」

 

「拘束後、警察へ引き渡されます」

 

「奏斗は見てるだけ?」

 

「護衛が優先です」

 

「また遠くから応援してくれる?」

 

「必要なら」

 

「今日は簡単だから、応援だけでいいよ」

 

「頑張ってください」

 

「軽いなぁ」

 

「では、千束なら五分で終わります」

 

「おっ、期待されてる」

 

「七分を超えたら減点です」

 

「私が採点される側になった!」

 

「たまにはいいでしょう」

 

「何点満点?」

 

「百点です」

 

「普通だね」

 

「千束のように毎回変えません」

 

「百二十点取ったら?」

 

「上限を超えています」

 

「特別賞」

 

「何もありません」

 

「パフェ!」

 

「なぜ私が奢るのですか」

 

 千束は楽しそうに歩き始める。

 

 奏斗は半歩後ろへついた。

 

 周囲に蒼士の姿はない。

 

 当然だった。

 

 監視していることを千束にも知らせていない。

 

 千束に隠す必要はないかもしれない。

 

 しかし、普段どおりの行動をしてもらうためには、知らない方がいい。

 

 対象のアジトは、使われなくなった小規模な物流倉庫だった。

 

 住宅地から少し離れた場所。

 

 周囲には同じような倉庫が並んでいる。

 

 夜になると人通りはほとんどない。

 

 奏斗は建物へ近づきながら、窓や屋上、周囲の車両を確認した。

 

「人の気配、少ないね」

 

 千束が小声で言う。

 

「資料では、全員が内部にいる予定です」

 

「寝てるとか?」

 

「誘拐計画の打ち合わせ中と聞いています」

 

「静かすぎない?」

 

「はい」

 

 建物の前に車両が二台。

 

 ナンバーは資料と一致している。

 

 しかし、車内に人はいない。

 

 運転席の温度も、長時間停車した車両と変わらない。

 

 先ほどまで使われていた様子はなかった。

 

「裏から入る?」

 

 千束が尋ねる。

 

「正面入口の施錠は解除されています」

 

「開いてるの?」

 

「はい」

 

「待ってました、って感じだね」

 

「そのようにも見えます」

 

 千束の表情から笑みが少し薄れる。

 

「罠かな」

 

「可能性があります」

 

「でも入らないと分かんないよね」

 

「私が先に入ります」

 

「護衛だから?」

 

「警戒のためです」

 

「私が前」

 

「千束」

 

「私は避けられるよ」

 

「前回も同じことを言っていましたね」

 

「今回はちゃんと警戒してる」

 

「私が先です」

 

「じゃあ一緒」

 

「横に並ぶと射線が広がります」

 

「奏斗、頑固」

 

「千束にだけは言われたくありません」

 

 結局、奏斗が半歩前へ出る形で入口へ近づいた。

 

 拳銃を抜く。

 

 千束も鞄から銃を取り出す。

 

 奏斗が扉の横へ立ち、ゆっくりと押す。

 

 扉は抵抗なく開いた。

 

 内部は暗い。

 

 奥に弱い照明が一つだけ点いている。

 

 荷物のない倉庫。

 

 広い床。

 

 壁際に古い棚と机。

 

 人影はない。

 

「誰もいないね」

 

 千束が小声で言う。

 

「音もありません」

 

「情報、間違ってた?」

 

「可能性は低いです」

 

「どうして?」

 

「対象の車両が外にあります。移動したのであれば、別の手段を使ったことになります」

 

「先に逃げたとか」

 

「DAの情報が漏れた?」

 

「それも考えられます」

 

 奏斗は内部へ入りながら、天井と床を見る。

 

 監視カメラ。

 

 配線。

 

 不自然な装置。

 

 見える範囲にはない。

 

「五分で終わる任務じゃなくなったね」

 

 千束が言う。

 

「まだ二分です」

 

「採点続いてたの?」

 

「減点対象です」

 

「情報が違うのは私のせいじゃないよ!」

 

「任務では結果がすべてです」

 

「昼間の私みたいなこと言ってる」

 

「店で学びました」

 

 軽口を交わしながらも、二人の視線は周囲を警戒していた。

 

 奥の机には、紙コップが五つ。

 

 食べかけの弁当。

 

 吸い殻。

 

 人がいた痕跡はある。

 

 だが、食事は乾き始めている。

 

 少なくとも数時間前から放置されていた。

 

「打ち合わせ中って情報、いつのもの?」

 

 千束が尋ねる。

 

「一時間前に更新されています」

 

「じゃあおかしいね」

 

「はい」

 

 情報源が誤っていた。

 

 あるいは、意図的に誤った情報を流した。

 

 DAの情報網が外部から操作された可能性。

 

 内部の人間が嘘を伝えた可能性。

 

 奏斗は入口を振り返る。

 

「一度、外へ出ます」

 

「同意」

 

 二人が入口へ向きを変えた瞬間。

 

 金属が落ちるような音が響いた。

 

 入口上部から、厚いシャッターが一気に下りる。

 

「奏斗!」

 

 千束が走る。

 

 だが、間に合わない。

 

 シャッターが床へ叩きつけられ、出入口を完全に塞いだ。

 

 鈍い音が倉庫内へ響く。

 

 同時に、唯一点いていた照明が消えた。

 

 暗闇。

 

 奏斗はすぐに千束の位置を確認する。

 

「千束」

 

「ここ!」

 

 銃声。

 

 右方向。

 

 奏斗は音より先に床へ体を沈めた。

 

 弾丸がすぐ横を通過する。

 

 千束も反対側へ跳ぶ。

 

 二人は別々の遮蔽物へ入った。

 

「敵、右奥!」

 

「確認しました」

 

 暗視機能を起動する。

 

 視界が緑色へ変わる。

 

 倉庫の奥。

 

 フードをかぶった人物が四人。

 

 全員が黒い服。

 

 顔は覆われている。

 

 拳銃、短機関銃、ナイフ。

 

 さらに、服の下が不自然に厚い。

 

 防弾装備。

 

「最初から待ってたね」

 

 千束の声。

 

「私たちを内部へ誘導した」

 

「誘拐グループは?」

 

「存在しない可能性があります」

 

「DAの情報ごと罠?」

 

「その可能性が高いです」

 

 敵が二方向へ分かれる。

 

 奏斗と千束を挟む動き。

 

 訓練されている。

 

「左、二人行きます」

 

「了解!」

 

 千束が遮蔽物から飛び出す。

 

 敵の銃口が動く。

 

 発砲。

 

 千束は弾道を読み、体を左右へ滑らせながら走る。

 

 非致死弾を三発。

 

 一人の胸部へ命中。

 

 しかし、敵はほとんど体勢を崩さない。

 

「硬い!」

 

「防弾仕様です!」

 

 奏斗も右側の敵へ発砲する。

 

 肩。

 

 腹部。

 

 胸。

 

 弾丸は装備へ食い込み、多少の衝撃は与える。

 

 だが、動きを止めるには足りない。

 

 敵は痛みを無視するように前進してくる。

 

「頭部か関節を狙います!」

 

「殺すのは駄目!」

 

「今、議論する状況ですか?」

 

「足撃って!」

 

「動きが止まりません!」

 

 奏斗が敵の膝へ撃つ。

 

 命中。

 

 敵が片膝をつく。

 

 だが、すぐに立ち上がった。

 

 防弾素材が脚部にまで入っている。

 

「全身?」

 

「通常装備ではありません!」

 

 敵の一人が短機関銃を連射する。

 

 奏斗は棚の陰へ飛び込む。

 

 金属板が弾丸でえぐられる。

 

 千束は机を蹴り倒し、盾として使う。

 

 その陰から手だけを出し、敵の腕を狙う。

 

 一発が手首へ命中。

 

 拳銃が落ちる。

 

 しかし、敵は反対の手でナイフを抜いた。

 

「しつこいなぁ!」

 

 千束が後退する。

 

 敵は千束との距離を詰める。

 

 奏斗は射線を作ろうと位置を変える。

 

 別の二人が、その動きを遮る。

 

 明らかに連携していた。

 

 千束と奏斗を分断する。

 

 そして、千束を拘束するためではなく。

 

 奏斗を千束から引き離すように。

 

「千束、こちらへ!」

 

「行けない!」

 

 敵二人が千束の前後へ回る。

 

 一人が銃撃。

 

 もう一人が接近。

 

 千束は弾丸を避けながら、接近した敵の腕を取る。

 

 体を回し、投げようとする。

 

 だが、敵の装備が重く、完全には崩れない。

 

 逆に腕をつかまれる。

 

「っ!」

 

 千束が肘を打ち込む。

 

 敵の顎へ入る。

 

 それでも離さない。

 

 もう一人が背後から千束の首へ腕を回す。

 

「千束!」

 

 奏斗が銃を向ける。

 

 目の前の敵が体を入れ、射線を塞ぐ。

 

 奏斗はその敵の頭部へ狙いを移す。

 

 引き金を引く直前。

 

 敵が腕を上げた。

 

 弾丸が前腕の防弾板へ当たる。

 

「対策されていますね」

 

 敵は答えない。

 

 フードの奥から目だけが見える。

 

 冷静。

 

 感情がない。

 

 奏斗の射撃方法を知っている。

 

 動きも、判断も。

 

 まるで事前に映像を何度も見たように。

 

「奏斗!」

 

 千束の声。

 

 見る。

 

 千束は背後から拘束され、腕をひねり上げられていた。

 

 銃は床へ落ちている。

 

 首元へナイフ。

 

 敵の一人が、そのまま千束を盾にして後退した。

 

「動くな」

 

 初めて敵が言葉を発した。

 

 日本語。

 

 声は加工されている。

 

「銃を下ろせ」

 

 奏斗は動かなかった。

 

 銃口は敵へ向けたまま。

 

 しかし、撃てない。

 

 敵の頭部は千束のすぐ横。

 

 装備の隙間を狙っても、わずかにずれれば千束へ当たる。

 

 千束なら、撃つ瞬間に動きを合わせられるかもしれない。

 

 だが、敵のナイフは首元に触れている。

 

 一瞬でも判断を誤れば、切られる。

 

「奏斗、私なら大丈夫」

 

「黙っていろ」

 

 敵が千束の首へナイフを押しつける。

 

 皮膚がわずかに切れ、赤い線が浮かんだ。

 

 奏斗の指が引き金へかかったまま止まる。

 

「武器を捨てろ」

 

 敵が言う。

 

「拒否した場合は?」

 

「女を殺す」

 

「私を殺したあと、どうするつもりですか?」

 

「質問する立場ではない」

 

「千束を殺せば、あなたたちもここから出られない」

 

「出る必要はない」

 

 奏斗は敵の位置を確認する。

 

 四人。

 

 千束を拘束している一人。

 

 その横に一人。

 

 奏斗の左右に二人。

 

 入口は閉鎖。

 

 ほかの出口は、資料上存在しない。

 

 天井に換気口。

 

 狭い。

 

 人が通れる大きさではない。

 

 蒼士はどこにいる。

 

 監視を頼んだ。

 

 外から状況を見ているはずだ。

 

 だが、シャッターが下りた。

 

 内部の映像までは確認できない可能性がある。

 

「奏斗」

 

 千束が静かに呼ぶ。

 

「撃ってもいいよ」

 

「何を言っているのですか」

 

「私なら避ける」

 

「首に刃があります」

 

「タイミング合わせるから」

 

「駄目です」

 

 奏斗は即答した。

 

 敵が小さく笑う。

 

「護衛対象を撃つ危険は取れないか」

 

「何が目的ですか?」

 

「お前だ」

 

 その言葉に、奏斗の目がわずかに動いた。

 

「千束ではなく?」

 

「その女は餌だ」

 

 千束の表情が変わる。

 

 敵は続けた。

 

「押村奏斗。銃を捨てろ」

 

「目的を説明してください」

 

「必要ない」

 

「私を殺すなら、今撃てばいい」

 

「お前が自分で死ね」

 

 奏斗は敵を見た。

 

「何を言っているのですか?」

 

「お前が死ねば、女は助けてやる」

 

 倉庫内が静かになる。

 

 敵の銃口。

 

 千束の首元の刃。

 

 奏斗の左右にいる二人。

 

 誰も動かない。

 

「信用できると思いますか?」

 

「信じる必要はない」

 

「では、応じる理由もありません」

 

「応じなければ、女はここで死ぬ」

 

 ナイフがわずかに動く。

 

 千束の首から血が一筋落ちた。

 

「奏斗、聞かなくていい」

 

「黙れ」

 

 敵が千束の腕をさらにひねる。

 

 千束が小さく息を漏らす。

 

 奏斗の思考が高速で動く。

 

 敵の目的は自分。

 

 千束は餌。

 

 それが本当なら、これまでの襲撃も見方が変わる。

 

 元自衛官の男。

 

 背後から千束へ銃を向けた。

 

 自分が庇うことを予想していた。

 

 反応を見るため。

 

 今回の罠。

 

 千束へ割り当てられた簡単すぎる任務。

 

 DAの情報。

 

 敵の装備。

 

 奏斗の射撃への対策。

 

 すべて、自分を誘い出すため。

 

 だが、なぜ。

 

 自分はリリベルの一人にすぎない。

 

 特別な地位はない。

 

 国外組織へ大きな損害を与えたこともない。

 

 千束の護衛を始める以前、彼らとの接点はほとんどなかった。

 

「どうする」

 

 敵が問う。

 

 奏斗は自分の拳銃を見る。

 

 武器を捨てる。

 

 そのあと、自分で死ぬ。

 

 方法は何でもいいのか。

 

 敵はどう確認する。

 

 銃口を自分へ向けることを求めるのか。

 

 その瞬間なら、反撃できる可能性がある。

 

 だが、敵は四人。

 

 一人を撃っても、千束へナイフが入る。

 

 護衛対象の生命を最優先。

 

 その原則に従えば。

 

 自分の命と千束の命を比較する必要はない。

 

 護衛役が死に、対象が助かるなら、選択は明確だ。

 

 問題は、敵が約束を守る保証がないこと。

 

 奏斗が死んだあと、千束も殺される可能性が高い。

 

 しかし、拒否すれば今この場で殺される。

 

「奏斗」

 

 千束が言う。

 

「変なこと考えないで」

 

「考えていません」

 

「嘘」

 

「黙っていてください」

 

「嫌だ」

 

 敵のナイフが動く。

 

「話すな」

 

「奏斗、私のために死んだら怒るから」

 

「今、怒る内容ですか?」

 

「一生怒る」

 

「私が死んだら聞こえません」

 

「そういう冗談いらない!」

 

 千束の声が強くなる。

 

 奏斗は少しだけ口元を緩めた。

 

 こんな状況でも、千束は千束だった。

 

「安心してください」

 

「何を?」

 

「勝手に死ぬつもりはありません」

 

 敵が銃口を上げる。

 

「なら、女が死ぬ」

 

「ただし」

 

 奏斗は続ける。

 

「護衛対象を守るために、必要な判断はします」

 

「奏斗!」

 

 千束の声。

 

 奏斗は敵の配置をもう一度確認した。

 

 自分が銃を床へ置く。

 

 敵が少し注意を緩める。

 

 その瞬間、足元の銃を蹴り上げ、近くの敵へ接近。

 

 千束が同時に動ければ。

 

 成功率は低い。

 

 千束が刃を避けられる保証はない。

 

 自分だけなら実行する。

 

 しかし今はできない。

 

「銃を置け」

 

 奏斗はゆっくりと腕を下げた。

 

「奏斗、駄目」

 

「千束」

 

「駄目だから」

 

「少し静かにしてください」

 

「嫌だって言ってる!」

 

「聞こえません」

 

「絶対聞こえてる!」

 

 奏斗はしゃがみ、拳銃を床へ置こうとする。

 

 敵全員の視線が、その動きへ集中した。

 

 その瞬間。

 

 倉庫の天井付近から、破裂音が響いた。

 

 照明が一斉に点灯する。

 

 暗視機器へ強い光が入り、敵の一人が顔をそむけた。

 

「何だ!」

 

 続いて、倉庫奥の高窓が割れる。

 

 細い黒い影が内部へ飛び込んだ。

 

 着地。

 

 即座に発砲。

 

 一発目が、千束を拘束していた敵の手首へ当たる。

 

 防弾板の隙間。

 

 ナイフが落ちる。

 

 二発目。

 

 その敵の膝裏。

 

 装備で覆われていない部分。

 

 敵が崩れる。

 

「千束、伏せろ!」

 

 聞き慣れた声。

 

 久世蒼士。

 

 千束は迷わなかった。

 

 拘束が緩んだ瞬間、体を沈める。

 

 敵の腕から抜け、床へ転がった。

 

 奏斗は置きかけた拳銃を掴み直す。

 

 目の前の敵へ接近。

 

 銃口を向ける前に、腕を払い上げる。

 

 肘。

 

 喉。

 

 膝。

 

 三連続で打ち込み、敵の体勢を崩す。

 

 防弾装備は銃弾には強い。

 

 だが、関節と呼吸までは守れない。

 

 敵が後退する。

 

 奏斗は足元を撃つ。

 

 弾丸が靴と床の間へ入り、敵が倒れた。

 

「蒼士、右!」

 

「見えてる!」

 

 蒼士が振り向かずに答える。

 

 背後から接近した敵へ、後ろ向きのまま一発。

 

 手首へ命中。

 

 短機関銃が落ちる。

 

「何者?」

 

 千束が床の銃を拾いながら尋ねる。

 

「奏斗の友達!」

 

「紹介が雑です!」

 

「今はそれでいいだろ!」

 

 敵の一人が何かを床へ投げる。

 

「伏せてください!」

 

 奏斗が叫ぶ。

 

 閃光。

 

 白い光と爆音。

 

 視界が一瞬奪われる。

 

 敵の足音が複数、倉庫奥へ向かう。

 

 奏斗は目を閉じたまま音を追う。

 

 発砲。

 

 逃走方向へ二発。

 

 金属へ当たる音。

 

 命中したかは分からない。

 

 視界が戻る。

 

 倉庫奥の床が開いていた。

 

 隠し通路。

 

 敵はそこへ飛び込んでいる。

 

「追います!」

 

 奏斗が走ろうとする。

 

「待て!」

 

 蒼士が腕をつかむ。

 

「離してください!」

 

「下がどうなってるか分からない!」

 

「逃げられます!」

 

「追わせるための罠かもしれない!」

 

 奏斗は足を止めた。

 

 その言葉は正しい。

 

 入口を塞ぎ、内部へ誘導した敵。

 

 隠し通路も、追跡を想定している可能性がある。

 

 千束が首元へ手を当てながら近づいてくる。

 

「奏斗、追わない方がいい」

 

「千束まで」

 

「今は三人とも生きてる。それでいいよ」

 

「敵の目的が分からないままです」

 

「追ってまた罠に入ったら、もっと分からなくなる」

 

 奏斗は開いた床を見つめた。

 

 暗い。

 

 通路の先から音は聞こえない。

 

 敵はすでに別の出口へ向かっている。

 

「……分かりました」

 

 奏斗は銃口を下げた。

 

「蒼士、入口は?」

 

「外から開けられる。今、解除装置を動かしてる」

 

「一人ですか?」

 

「お前が単独で来いって頼んだんだろ」

 

 千束が二人を見る。

 

「頼んだ?」

 

 奏斗は答えなかった。

 

 蒼士も、言ってしまったことに気づいたらしく口を閉じる。

 

「奏斗」

 

「あとで説明します」

 

「今」

 

「周辺の安全確認が先です」

 

「逃げた」

 

「逃げていません」

 

「逃げた顔してる」

 

「どのような顔ですか?」

 

 奏斗は倉庫内を確認する。

 

 敵が落とした装備。

 

 血痕はわずか。

 

 倒したはずの敵も、閃光の間に逃走していた。

 

 四人全員がいない。

 

 残されたのは空薬莢と、破損した装備の一部だけ。

 

 蒼士が壁際の制御盤を操作する。

 

 シャッターがゆっくり上がった。

 

 外の冷たい空気が入ってくる。

 

「外は?」

 

 奏斗が尋ねる。

 

「敵は確認できなかった。倉庫へ入る前から、周辺に人影はなし」

 

「監視していたのは、いつからですか?」

 

「お前たちが集合する前から」

 

「車両に動きは?」

 

「なし。アジトに人が入った形跡もなかった」

 

「では、敵は事前に内部へ潜伏していた」

 

「隠し通路から入ったんだろうな」

 

 奏斗は床の開口部を見る。

 

 この倉庫の構造資料に、地下通路の記載はなかった。

 

 DAから共有された建物情報にも。

 

「蒼士、外から見て何か分かったことは?」

 

「お前たちが入ったあと、シャッターが下りた。遠隔操作じゃない」

 

「内部?」

 

「倉庫の東側で、短時間だけ通信反応が出た。暗号化されてたけど、リリベルで使う短距離信号に似てた」

 

 奏斗の表情が固まる。

 

「確かですか?」

 

「完全に同じじゃない。ただ、民間の機器じゃない」

 

「記録は?」

 

「取ってある」

 

「上層部には」

 

「言ってない」

 

 千束が二人の会話を聞いている。

 

「リリベルの信号?」

 

「似ているだけです」

 

 奏斗が答える。

 

「でも、DAの情報も間違ってた」

 

「はい」

 

「この倉庫の隠し通路も、資料にない」

 

「はい」

 

「敵は奏斗のこと知ってた」

 

 奏斗は黙った。

 

 千束は真剣な表情で続ける。

 

「これ、外国組織だけでできるの?」

 

「分かりません」

 

「DAの情報を変えるか、偽物を混ぜる。リリベルの信号を使う。奏斗の動きを知ってる」

 

「内部協力者がいる可能性があります」

 

 言葉にすると、よりはっきりする。

 

 DA。

 

 リリベル。

 

 どちらか。

 

 あるいは両方。

 

 外国組織へ情報を渡している人間がいる。

 

「だから、蒼士さんに頼んだの?」

 

 千束が尋ねる。

 

「名前は言っていませんが」

 

「さっき呼んでたよ」

 

「聞いていましたか」

 

「普通に聞こえた」

 

 蒼士が肩をすくめる。

 

「久世蒼士。奏斗の訓練同期みたいなもん」

 

「友達?」

 

「違います」

 

 奏斗が即答する。

 

「友達だ」

 

 蒼士も即答する。

 

 千束が笑う。

 

「仲良いんだね」

 

「話を戻してください」

 

「照れなくていいのに」

 

「照れていません」

 

 蒼士が奏斗の肩を軽く叩く。

 

「喫茶店で明るくなったって本当なんだな」

 

「今、それを言う必要がありますか?」

 

「女に現を抜かすなよ」

 

「蒼士」

 

「女?」

 

 千束が反応する。

 

「何でもありません」

 

「私のこと?」

 

「違います」

 

「錦木千束以外に誰がいるんだよ」

 

「蒼士!」

 

 千束が奏斗を見る。

 

 目が少し楽しそうになっている。

 

「奏斗、私に現を抜かしてるの?」

 

「抜かしていません」

 

「即答」

 

「事実です」

 

「私を庇って撃たれたり、秘密で友達に監視頼んだりしてるのに?」

 

「すべて護衛任務のためです」

 

「ふーん」

 

「何ですか、その反応は」

 

「別に」

 

 千束は笑っている。

 

 先ほどまで人質になっていたとは思えないほど、いつもの調子へ戻っていた。

 

 ただし、首元には傷が残っている。

 

「傷を見せてください」

 

 奏斗が近づく。

 

「かすり傷だよ」

 

「昨日の私と同じことを言っていますね」

 

「奏斗より浅いもん」

 

「確認します」

 

「ここで?」

 

「照明があります」

 

「朝、奏斗は嫌がったのに」

 

「状況が違います」

 

「私も嫌」

 

「見せてください」

 

「やだ」

 

 千束が一歩下がる。

 

 奏斗が一歩進む。

 

「出血しています」

 

「止まってるよ」

 

「感染の可能性があります」

 

「先生に見てもらう」

 

「今、応急処置をします」

 

「奏斗、しつこい」

 

「護衛です」

 

 千束が少しだけ笑った。

 

「分かった」

 

 首元を見せる。

 

 傷は浅い。

 

 刃先で皮膚が切れただけ。

 

 動脈や筋肉へは届いていない。

 

 奏斗は携帯していた応急処置用品を取り出し、傷口を消毒する。

 

「染みる!」

 

「動かないでください」

 

「もっと優しく」

 

「十分優しくしています」

 

「昨日、私が傷見たとき嫌がったくせに」

 

「千束は無理にシャツを引こうとしました」

 

「見えなかったから」

 

「今は見えています」

 

「奏斗、顔近い」

 

「傷を確認しています」

 

「照れてる?」

 

「消毒液を追加しますよ」

 

「それは脅し!」

 

 蒼士が少し離れた場所から二人を見る。

 

「やっぱり現を抜かしてるな」

 

「黙っていてください」

 

「俺、助けに来たんだけど」

 

「感謝しています」

 

「全然そう見えない」

 

 処置を終え、奏斗は小さな保護材を貼った。

 

「終わりました」

 

「ありがと」

 

 千束は傷へ軽く触れる。

 

「触らないでください」

 

「奏斗、先生みたい」

 

「千束が言うことを聞かないからです」

 

「奏斗にだけは言われたくないなぁ」

 

 奏斗は返事をせず、敵の残した装備へ向かった。

 

 防弾服の破片。

 

 特殊な複合素材。

 

 国内で簡単に入手できるものではない。

 

 表面に製造番号はない。

 

 縫製方法も一般的な軍用品とは異なる。

 

「外国組織の装備に見える?」

 

 千束が横へ来る。

 

「以前拘束した構成員の装備とは違います」

 

「じゃあ別組織?」

 

「分かりません」

 

「分からないことばっかり」

 

「一つずつ確認します」

 

 奏斗は破片を回収袋へ入れる。

 

「現時点で分かったことがあります」

 

「何?」

 

「今回の狙いは、千束ではなく私だった可能性が高い」

 

 千束の表情が少し変わる。

 

「敵がそう言っただけかも」

 

「行動とも一致します」

 

「私を捕まえて、奏斗に死ねって言った」

 

「はい」

 

「でも、どうして奏斗?」

 

「分かりません」

 

「外国組織に何かした?」

 

「護衛任務を開始する以前、直接的な接触はほとんどありません」

 

「じゃあ、護衛を始めたから?」

 

「その可能性はあります」

 

「私から離れさせたいのかな」

 

「護衛役を排除すれば、千束を狙いやすくなります」

 

「だったら、結局狙いは私じゃない?」

 

「最終目的はそうかもしれません」

 

 だが、違和感が残る。

 

 護衛を排除するだけなら、わざわざ千束を人質にして、自死を要求する必要はない。

 

 敵は奏斗の判断を見ようとしていた。

 

 護衛対象のために死ぬか。

 

 命令と自分の命、どちらを選ぶか。

 

 それを確かめるような言葉だった。

 

「もう一つ」

 

 奏斗は続ける。

 

「DAかリリベルの内部に、今回の件へ関与している者がいる可能性があります」

 

「情報が間違ってたから?」

 

「はい。千束へ割り当てられた任務そのものが罠でした」

 

「誘拐グループは?」

 

「存在していたとしても、今夜ここに集まる予定はなかった」

 

「誰かが偽の情報を作った」

 

「あるいは、本物の情報を途中で差し替えた」

 

「リリベルの信号みたいなのもあった」

 

「蒼士が記録しています」

 

 千束は少し考え込む。

 

「奏斗、上の人に言う?」

 

「すべては言いません」

 

「どうして?」

 

「内部関与を疑っている状況で、報告先が安全とは限りません」

 

「でも黙ってたら怒られない?」

 

「怒られるだけなら問題ありません」

 

「そこは真面目なんだか不真面目なんだか分かんないね」

 

「規則を守ることより、敵を見つける方が優先です」

 

「奏斗らしい」

 

「褒めていますか?」

 

「半分くらい」

 

「残り半分は?」

 

「心配」

 

 千束が奏斗を見る。

 

「一人で調べようとしてるでしょ」

 

「蒼士へ協力を頼んでいます」

 

「二人で調べようとしてる」

 

「必要な範囲で」

 

「私も入れて」

 

「駄目です」

 

「即答!」

 

「千束は護衛対象です」

 

「でも私も狙われてる」

 

「だからこそです」

 

「自分のことなのに、何も知らないまま守られるの嫌だよ」

 

「必要な情報は伝えます」

 

「前も聞いた」

 

「今回も同じです」

 

 千束はしばらく奏斗を見つめる。

 

「じゃあ、約束して」

 

「内容によります」

 

「危ないことするときは、私に言う」

 

「却下します」

 

「まだ全部言ってない!」

 

「危険な調査について、事前に千束へ知らせるという意味でしょう」

 

「分かってるじゃん」

 

「護衛対象を巻き込めません」

 

「巻き込まれなくても、知るくらいいいでしょ」

 

「千束は知ったら動きます」

 

「動かないかも」

 

「自信がないのですね」

 

「奏斗、最近ツッコミ鋭いね」

 

「話をそらさないでください」

 

「そらしてないよ」

 

 千束は一度息を吐いた。

 

「今日は、奏斗の友達が来てくれなかったら危なかった」

 

「はい」

 

「奏斗が自分で死のうとしたかもしれない」

 

「そのつもりは」

 

「少し考えたでしょ」

 

 奏斗は答えなかった。

 

 千束の目が細くなる。

 

「やっぱり」

 

「護衛対象を守るための選択肢を検討しただけです」

 

「同じだよ」

 

「敵が約束を守る保証がないため、実行するつもりはありませんでした」

 

「保証があったら?」

 

 奏斗は一瞬、言葉に詰まった。

 

 千束はその反応を見逃さなかった。

 

「駄目だから」

 

「何がですか?」

 

「私を守るために、奏斗が死ぬの」

 

「護衛任務では、自分の危険を考慮しない場合があります」

 

「私はそんな護衛いらない」

 

 千束の声は強くなかった。

 

 だが、冗談でもなかった。

 

「奏斗が死んで私だけ助かっても、うれしくない」

 

「うれしいかどうかではありません」

 

「私には大事」

 

「任務です」

 

「私を守る任務なんでしょ?」

 

「はい」

 

「だったら、私が嫌だって言ってる」

 

 奏斗は黙った。

 

 理屈としては通らない。

 

 護衛対象の感情だけで、行動基準を変えることはできない。

 

 しかし。

 

 千束の言葉を、無視することもできなかった。

 

「……今後、同じ状況にならないようにします」

 

「そうじゃなくて」

 

「敵に人質を取らせません」

 

「奏斗」

 

「それが最も確実です」

 

 千束は少し困ったような顔をした。

 

 それから、小さく笑う。

 

「本当に頑固だね」

 

「千束に言われたくありません」

 

「でも」

 

 千束は奏斗の前へ立った。

 

「助けてくれて、ありがとう」

 

「助けたのは蒼士です」

 

「奏斗も」

 

「私は人質に取らせました」

 

「その前も、ずっと守ってくれてた」

 

「護衛なので」

 

「それでも、ありがとう」

 

 奏斗は千束を見る。

 

 いつもの笑顔。

 

 だが、首には自分が貼った保護材がある。

 

 少し遅ければ、もっと深く切られていた。

 

「……どういたしまして」

 

 短く答える。

 

 千束が少しうれしそうに笑った。

 

「素直」

 

「感謝に返事をしただけです」

 

「前はもっと、任務です、とか言ってた」

 

「今も任務です」

 

「でも、どういたしましてって言った」

 

「何度も確認しないでください」

 

「照れてる?」

 

「蒼士、そろそろ戻りませんか」

 

「俺を使って逃げるなよ」

 

 蒼士が笑う。

 

「二人とも元気そうでよかったよ」

 

「蒼士さんもありがとう」

 

 千束が言う。

 

「助かった」

 

「俺は奏斗にパフェ奢ってもらうから、それでいい」

 

「奏斗のエプロン姿で?」

 

「話したのですか?」

 

 奏斗が蒼士を見る。

 

「条件だろ」

 

「千束へ言う必要はありません」

 

「じゃあ私が接客する!」

 

「千束では条件を満たしません」

 

「奏斗が運ぶんだよ」

 

「なぜ楽しそうなのですか?」

 

「友達連れてきてくれるんでしょ?」

 

「友達ではありません」

 

「まだ言うか」

 

「じゃあ、仲の良いリリベル」

 

「千束まで」

 

「合ってるでしょ?」

 

 奏斗は否定しようとした。

 

 だが、蒼士が助けに来なければ、今こうして話してはいない。

 

 秘密の依頼を受け、単独で監視し、危険を察知して侵入した。

 

「……否定はしません」

 

 蒼士が目を丸くする。

 

「お前、店で何食わされてるんだ?」

 

「まかないです」

 

「そういう意味じゃない」

 

「明るくなったでしょ?」

 

 千束が得意そうに言う。

 

「私の指導!」

 

「三割です」

 

「また減った!」

 

「現時点では二割かもしれません」

 

「何で下がるの!」

 

 蒼士が笑い出す。

 

「本当に変わったな、奏斗」

 

「何も変わっていません」

 

「そういうことにしとく」

 

 遠くから車両の音が近づいてくる。

 

 リリベルの回収班。

 

 奏斗は千束と蒼士へ視線を向けた。

 

「今夜の報告内容は、私が決めます」

 

「俺の存在は?」

 

「公式には、周辺監視中の別働隊が異常を察知し、介入したことにします」

 

「単独行動がばれたら?」

 

「私が指示したと報告します」

 

「お前が処分されるぞ」

 

「必要なら受けます」

 

「奏斗」

 

 千束が名前を呼ぶ。

 

「何ですか?」

 

「一人で背負わないで」

 

「頼んだのは私です」

 

「でも助かったのは私たち二人」

 

「千束はリリベルではありません」

 

「そういう問題じゃない」

 

 奏斗は少し考える。

 

「では、報告書の内容を確認してもらいます」

 

「私にも?」

 

「共有可能な部分だけです」

 

「一歩前進」

 

「何のですか?」

 

「奏斗が一人で決めないようになるまで」

 

「そこを目標にしていたのですか?」

 

「今決めた」

 

「いつもどおりですね」

 

 回収車両が倉庫前へ到着する。

 

 複数のリリベルが降りてくる。

 

 奏斗は銃を収め、最後に一度だけ隠し通路へ視線を向けた。

 

 今回、分かったこと。

 

 敵の狙いは千束ではなく、自分だった可能性がある。

 

 DAの任務情報が操作されていた。

 

 敵はリリベルの通信規格に似た信号を使用した。

 

 奏斗の戦闘方法を理解し、防弾装備で対策していた。

 

 そして、自分へ自死を要求した。

 

 外国組織だけの仕業なのか。

 

 DA内部に協力者がいるのか。

 

 リリベル上層部まで関与しているのか。

 

 分からない。

 

 敵は逃げた。

 

 証拠もほとんど残していない。

 

 ただ、一つだけ確かなことがある。

 

 今まで自分は、千束を狙う敵から守っているつもりだった。

 

 だが。

 

 自分が千束の近くにいることで、千束を危険へ巻き込んでいる可能性がある。

 

「奏斗」

 

 千束が隣へ並ぶ。

 

「何ですか?」

 

「また難しい顔してる」

 

「考えることが増えました」

 

「一人で考えないでね」

 

「努力します」

 

「本当に?」

 

「可能な範囲で」

 

「いつもの言い方」

 

「すぐに変わると思わないでください」

 

「少しずつでいいよ」

 

 千束は笑った。

 

「奏斗も助かったし、私も助かった。今日はそれでいい」

 

「敵を逃がしました」

 

「次に捕まえればいい」

 

「簡単に言いますね」

 

「簡単じゃないよ」

 

 千束は開いた入口の向こうを見る。

 

「でも、生きてないと次はないから」

 

 奏斗は何も答えなかった。

 

 千束が前を向く。

 

 首元の小さな傷。

 

 それでも歩く足取りはいつもと変わらない。

 

「帰ったら先生に報告だね」

 

「その前に、上層部です」

 

「リコリコにも来る?」

 

「護衛なので」

 

「夜食あるかも」

 

「それは報告と関係ありません」

 

「パフェは?」

 

「この時間にですか?」

 

「助かった記念」

 

「また記念日を増やすのですか」

 

「今日は特別でしょ」

 

 奏斗は小さく息を吐く。

 

「チョコレートなら検討します」

 

「食べる気あるじゃん!」

 

「検討です」

 

「それ、食べる人の言い方だよ」

 

「千束も食べるのでしょう」

 

「もちろん!」

 

 千束の声が倉庫内へ明るく響く。

 

 敵の残した不穏な痕跡。

 

 内部への疑惑。

 

 自分が狙われた理由。

 

 どれも消えてはいない。

 

 それでも今は、千束が生きている。

 

 蒼士も無事だった。

 

 奏斗自身も、ここにいる。

 

 次へ進むためには、それで十分なのかもしれない。

 

 少なくとも、今夜だけは。

 

 奏斗は千束と並び、倉庫の外へ歩き出した。

 

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