色々とあって、魔王神なのはが限界を迎えたのは、国連調査機関EXCEEDSの本部へ搬送される直前のことだった。
保護した時点で、すでに意識は朦朧としていた。
右半身を侵す黒い魔力は不気味な熱を帯び、呼吸は浅く、脈も不安定。
それでも彼女は最後までレイジングハートを手放そうとせず、担架へ移される瞬間まで、まるで何かに抗うように指先へ力を込めていた。
その姿が、なのはには痛々しくてたまらなかった。
医療室の扉が閉じられてから、どれくらい時間が経ったのか。
控室に置かれた時計の秒針だけが、やけに大きく響いている気がした。
高町なのはは、ソファに浅く腰掛けたまま、ずっと俯いていた。
向かいの壁を見ているようで、実際には何も見えていない。
頭の中には、運び込まれた“もう一人の自分”の姿ばかりが焼きついていた。
フェイトはそんななのはの隣に座り、何も言わずに様子を見守っている。
はやては腕を組み、控室の中を落ち着きなく一度だけ往復してから、深く息を吐いた。
「……シャマル、遅いな」
小さな呟きは、焦りを押し殺した声だった。
やがて自動扉が開き、白衣姿のシャマルが控室へ入ってくる。
その表情を見た瞬間、なのはの胸がひやりと冷えた。
明るい報告ではない。
それが、すぐにわかった。
「シャマル……あの子は?」
はやてが真っ先に問う。
シャマルは一度だけ目を伏せ、それから三人を見回した。
「正直に言うわ。かなり深刻よ」
控室の空気が、さらに重くなる。
「身体の酷使が限界を超えてる。魔力回路、神経系、内臓機能……どこを取っても無事とは言えないわ。本来ならICUで寝たきりでもおかしくない状態よ。むしろ、どうしてあの状態で動けていたのか説明がつかないくらい」
なのはの指先が、膝の上で小さく震えた。
フェイトが気づき、そっとその肩へ手を置く。
なのはは顔を上げないまま、かすかに息を呑んだ。
「それと……DNAも確認したわ」
シャマルのその一言に、なのはがようやく顔を上げる。
「比較対象は、もちろんこの世界のなのはちゃん。結果は……100%一致」
沈黙が落ちた。
「クローンでも、擬態でもない。あの子は間違いなく、“高町なのは本人”よ」
「……っ」
なのはの喉が詰まる。
わかっていた。
たぶん、最初に見た時から。
あれはただ似ている誰かじゃない。
自分と同じ顔をした、別の可能性の果てだと。
でも、こうしてはっきり言葉にされると、逃げ場がなかった。
あの傷だらけの身体も。
血を吐きながら戦っていた姿も。
誰にも頼れず、ひとりで壊れかけていた姿も。
全部、自分だったのかもしれない。
「なのは……」
フェイトの声はひどく優しかった。
肩に置かれた手のぬくもりが、今は少しだけつらい。
なのはは唇を噛みしめる。
「……あの子、ずっと一人で……」
そこまで言って、言葉が続かなかった。
もし自分が、ほんの少し違う道を選んでいたら。
もし誰にも頼れず、誰にも甘えられず、全部を抱え込んでいたら。
あんなふうになっていたのだろうか。
考えたくないのに、考えてしまう。
はやてはそんななのはを一瞬だけ見て、それからすぐに視線をシャマルへ戻した。
総督として、今は感情よりも優先すべきことがある。
「治療方針は?」
「まずは安静。侵食している魔力の性質が特殊すぎて、通常の魔力治療だけじゃ追いつかないわ。負荷を抑えながら、身体機能の維持を最優先にするしかない。少なくとも、すぐに目を覚まして動ける状態じゃない」
「必要な人員と設備は全部回して。最優先案件や」
「ええ、もちろん――」
シャマルが頷きかけた、その時だった。
けたたましい警告音が、建物全体に鳴り響いた。
同時に、天井の警告灯が赤く点滅する。
『警報。警報。本部上空に多数の飛行反応を確認。外壁各所に着弾。繰り返します――』
「な、何!?」
はやてが即座に端末を開く。
表示された外部モニターには、信じがたい光景が映っていた。
空から、無数の青い影が降ってくる。
「……プリニー?」
フェイトが目を見開く。
それはまさしく、あのプリニーたちだった。
ただし今回は一体や二体ではない。
文字通り、雨のように降り注いでいる。
しかも地面に落下した瞬間、次々と爆発していた。
「ちょっ、待っ……あれ自爆してへん!?」
はやての声が裏返る。
モニターの向こうで、外壁の一角が派手に吹き飛んだ。
『外周区画に損傷拡大。迎撃部隊、至急出動してください』
「陽動かもしれん。なのはちゃん、フェイトちゃん!」
「うん!」
「了解!」
返事は一瞬だった。
なのはとフェイトは同時に立ち上がる。
さっきまでの重苦しい空気を、無理やり戦闘態勢へ切り替える。
今は考え込んでいる場合じゃない。
本部を守らなければならない。
はやてもすでに指揮官の顔になっていた。
「シャマル、医療室は任せる。結界班にも連絡、患者区画の防御を最優先や!」
「わかったわ!」
三人は一斉に動き出す。
なのはとフェイトは外へ。
はやては指揮所へ。
そしてシャマルだけが、医療室へ戻るために廊下を駆けた。
自動扉が開く。
白い光に満たされた医療室の中央、隔離ベッドの上には、魔王神なのはが静かに横たわっていた。
呼吸補助と各種モニターに繋がれ、眠るように目を閉じている。
その姿は、戦場で見せた禍々しさが嘘のようにか細かった。
「今、追加の処置を――」
シャマルが一歩踏み出した、その瞬間。
空間が、赤く光った。
「……っ!?」
医療室の中央、ベッドのすぐ傍。
何もなかったはずの空間が、じわりと血のような赤に染まり、次の瞬間、裂けるように開く。
そこから現れたのは、小柄な少女だった。
赤い髪。
小悪魔じみた笑み。
手には長大な槍――エルダースピア。
侵入者は横たわる魔王神なのはを見下ろし、口元を吊り上げた。
「散々てこずらせてくれたけど、ちゃちゃっと終わらせて『魔王神』の称号をもらうとしましょうか」
「させるわけないでしょ!」
シャマルは即座にデバイスを起動し、駆け出す。
だが、距離が遠い。
侵入者の方が早い。
エルダースピアが高く掲げられる。
狙いは、無防備に横たわる魔王神なのはの胸元。
「――っ!」
間に合わない。
そう思った、直後だった。
空間が裂けた。
今度は赤ではない。
鋭く、眩い、黄色い閃光。
雷鳴にも似た衝撃とともに、その光が一直線に走る。
「なっ――!?」
侵入者の身体が横殴りに吹き飛んだ。
医療室の壁へ激突し、ガラスと金属が派手な音を立てて砕け散る。
シャマルが目を見開く。
魔王神なのはのベッドの前。
裂けた空間の残滓を背に、一人の少女が立っていた。
金の髪。
鋭い紅の瞳。
黒衣をまとい、手にはバルディッシュ。
その姿を見た瞬間、シャマルは息を呑む。
「フェイトちゃん……!?」
だが、違う。
似ている。
けれど、今外で戦っているフェイトとは纏う空気が違った。
もっと鋭く、もっと切迫していて、何よりその視線は、ただ一人のためだけに燃えていた。
「魔神エトナ!」
少女――魔王神なのはの世界のフェイトは、バルディッシュを構えたまま叫ぶ。
「なのはには手を出させない!」
吹き飛ばされた侵入者が、瓦礫を蹴ってゆっくりと立ち上がる。
頬に浅い傷が走り、そこから一筋、血が流れていた。
その血を指先でなぞった瞬間。
空気が変わった。
――魔神エトナ。
フェイトの叫びで、その名を知ったシャマルは、反射的に身構える。
エトナの周囲から、どろりとした黒い魔力が噴き出す。
瞳が、紅く爛々と輝いた。
「あんた……」
声は低い。
先ほどまでの軽薄さが、綺麗に消えていた。
「殺すよ?」
医療室の温度が、一気に下がった気がした。
シャマルは反射的に防御魔法を展開しながら、ベッドの魔王神なのはと、前に立つもう一人のフェイトを見た。
◇
最初に動いたのは、フェイトだった。
「バルディッシュ!」
『Yes, sir』
黒衣の少女は床を蹴る。
金の閃光が一直線に走り、エトナへと肉薄した。
振り下ろされる斬撃は鋭い。
迷いも躊躇もない、急所を狙った一撃。
だが。
「おっそい」
甲高い声とともに、エルダースピアが軽く跳ね上がる。
金属音が弾けた。
「っ!」
フェイトの斬撃は、あまりにもあっさりと逸らされた。
そのままエトナは半歩踏み込み、槍の石突きをフェイトの脇腹へ叩き込む。
「がっ……!」
鈍い衝撃音。
フェイトの身体が横へ吹き飛び、床を滑る。
「フェイトちゃん!」
シャマルが叫ぶ。
だがフェイトはすぐに受け身を取り、片膝をついたまま顔を上げた。
速い。
重い。
そして、隙がない。
目の前の相手は、これまで戦ってきたどの悪魔とも違う。
ただ力が強いだけではない。
戦い慣れている。
相手をいたぶる余裕すらある。
「へえ。今ので終わらないんだ」
エトナは楽しげに口元を歪めた。
その瞳だけが、冷たく光っている。
「でも、邪魔なんだよね。あたし、そこの“魔王神”を仕留めに来たんだけど?」
「……させない」
フェイトは立ち上がる。
腹の奥に鈍い痛みが残っていたが、構っていられない。
背後には、眠ったままのなのはがいる。
ここを通すわけにはいかなかった。
「何があっても、なのはは守る」
その言葉に、エトナの笑みが少しだけ深くなる。
「ふぅん。そういう顔、嫌いじゃないわよ」
次の瞬間、エトナの姿が消えた。
「――っ!」
反応した時には、もう遅い。
横合いから迫った槍を、フェイトは咄嗟にバルディッシュで受ける。
だが衝撃を殺しきれない。
火花が散る。
腕が痺れる。
押し切られる。
「くっ……!」
「防ぐだけで精一杯?」
エトナの声が、すぐ目の前で囁くように響いた。
槍がうねる。
一撃、二撃、三撃。
突き、薙ぎ、払い上げ。
まるで踊るような連撃が、容赦なくフェイトを追い詰める。
フェイトは必死に捌く。
だが、完全には防ぎきれない。
肩を裂かれる。
太腿を掠める。
頬に浅い傷が走る。
黒衣が次々と切り裂かれ、赤い血が飛んだ。
「フェイトちゃん、下がって!」
シャマルが中距離から魔力弾を放つ。
翡翠色の光弾がエトナへ殺到した。
しかしエトナは振り向きもしない。
片手で槍を回転させただけで、その全てを弾き飛ばした。
「うそ……っ」
「横槍、うざい」
エトナが指先を弾く。
黒い魔力弾が逆にシャマルへ放たれた。
シャマルは防御障壁を展開するが、衝撃で大きく後退させられる。
医療機器が弾け飛び、警報音がさらに激しく鳴り響いた。
「シャマル!」
「私は大丈夫! それより――」
言い終わる前に、エトナが再びフェイトへ迫る。
速い。
フェイトは歯を食いしばり、雷光を纏って加速した。
真正面からでは押し負ける。
ならば速度で翻弄し、隙を突くしかない。
金の軌跡が幾重にも走る。
上段からの斬撃。
死角へ回り込んでの刺突。
さらに魔力刃を飛ばし、退路を塞ぐ。
だが。
「甘いって」
エトナは笑った。
槍が閃く。
たった一閃で、フェイトの魔力刃がまとめて砕け散る。
続く回転薙ぎがバルディッシュごとフェイトを弾き飛ばした。
「っ、あ……!」
背中から床へ叩きつけられる。
肺の空気が一気に押し出された。
それでもフェイトはすぐに起き上がろうとする。
なのはを守る。
その一念だけで、身体を動かす。
だが、エトナはその執念すら見透かしていた。
「いい加減、しつこいっての!」
怒声とともに、槍が突き出される。
フェイトは咄嗟に身を捻った。
致命傷は避けた――はずだった。
けれど。
「……え?」
鈍い感触が、腹の奥にあった。
視線を落とす。
エルダースピアの穂先が、フェイトの腹部を深々と貫いていた。
「フェイトちゃん!!」
シャマルの悲鳴が響く。
フェイトの口から、血がこぼれた。
槍を通して伝わる熱。
遅れて押し寄せる激痛。
全身から力が抜けそうになる。
それでも、倒れまいとした。
背後には、なのはがいるから。
「……ぁ、ぐ……っ」
「そこまでして守りたいんだ」
エトナは冷たく笑う。
そして、容赦なく槍を引き抜いた。
鮮血が弧を描く。
フェイトの身体がぐらりと揺れ、膝をつく。
腹部を押さえた指の隙間から、赤があふれ続けていた。
飛び散った血の一部が、隔離ベッドの上へ落ちる。
白いシーツに、赤い斑点が散った。
そして……その血が、眠る魔王神なのはの頬へ、胸元へ、ぽたりと落ちた。
ぴくり、と。
なのはの指先が動く。
シャマルが息を呑んだ。
「……まさか」
閉じられていた瞼が、ゆっくりと持ち上がる。
現れた左目は、まだ朦朧としていた。
けれど、その視線が定まる。
最初に映ったのは、腹部を押さえて膝をつくフェイトの姿だった。
「……フェイト、ちゃん……?」
かすれた声。
フェイトが顔を上げる。
苦痛に歪んだ表情のまま、それでもなのはを見て、何か言おうとした。
「なの、は……起き、ちゃ……」
そこまでだった。
血に濡れた手。
苦しげな呼吸。
今にも倒れそうな身体。
その姿を見た瞬間。
魔王神なのはの中で、何かが切れた。
「――ぁ」
音にならない声が漏れる。
次の瞬間、なのははベッドの上で身を起こした。
モニターのコードが引きちぎれ、警告音が一斉に跳ね上がる。
「なのはちゃん、だめ! まだ動いたら――」
シャマルの制止は届かない。
なのははふらつきながらも立ち上がる。
その顔には、もう先ほどまでの虚ろさはなかった。
あるのは、ただひとつ。
燃え上がるような怒り。
右目を覆っていたフェイスマスクへ、なのはは震える手をかける。
そして、ためらいなく引き剥がした。
露わになった右目から、どす黒い魔力が噴き上がる。
同時に、全身から魔王神ゼノンの膨大な魔力があふれ出した。
床が軋む。
窓ガラスが震える。
医療室そのものが悲鳴を上げるように揺れた。
「っ……!」
シャマルが思わず息を呑む。
この魔力は危険だ。
圧倒的で、禍々しく、触れるだけで心を削られそうになる。
だが、違った。
なのはの瞳は、まだ死んでいない。
呑まれていない。
意識を失っていない。
怒りに焼かれながらも、確かになのは自身の意思がそこにあった。
「フェイトちゃんに……」
低い声が、震える。
「フェイトちゃんに、何してるの……」
エトナが目を細めた。
さっきまで眠っていたはずの獲物が、自分の前に立っている。
しかも、その魔力は先ほどまでとは比べものにならない。
「へえ……起きるんだ」
それでもエトナは笑った。
挑発するように槍を肩へ担ぐ。
「でも、ちょうどいいじゃない。自分で立ってくれるなら、手間が省け――」
言い終わる前に、なのはの姿が消えた。
「な――」
轟音。
次の瞬間、エトナのいた場所が爆ぜた。
桜色と黒が混じり合った奔流が、空間ごと叩き潰すように炸裂する。
エトナは咄嗟に後方へ跳んだが、回避しきれない。
「っ、ぐ……!」
衝撃がその身を掠め、壁ごと吹き飛ばした。
なのはは止まらない。
右目から黒い魔力を噴き上げたまま、片手を突き出す。
無数の魔力弾が、まるで怒りそのものみたいに空間を埋め尽くした。
「逃がさない……!」
連射。
連射。
さらに連射。
医療室の壁も床も天井も関係なく、暴威のままに撃ち込まれる砲撃。
エトナは槍を振るって迎撃するが、押される。
「ちっ……!」
さすがのエトナも表情を歪めた。
重い。
速い。
そして何より、荒れ狂う感情がそのまま火力になっている。
なのははゼノンに呑まれていない。
だからこそ厄介だった。
理性を失った暴走ではない。
怒りを抱えたまま、標的を正確に殺しに来ている。
「フェイトちゃんを……傷つけて……!」
なのはの声が震える。
そのたびに魔力が膨れ上がる。
桜色の光は本来なら優しい色のはずなのに、今は黒い魔力と混ざり合い、災厄の輝きに変わっていた。
シャマルは思わず動けなかった。
目の前にいるのは、傷ついた少女なのか。
怒りで立ち上がった高町なのはなのか。
それとも、魔王神ゼノンを宿した災厄そのものなのか。
そのどれもが正しくて、どれもが違う気がした。
腹部を押さえたまま、フェイトが苦しげに顔を上げる。
「……なの、は……」
その声に、なのはの肩がわずかに震えた。
けれど視線は、エトナから外れない。
怒りの矛先は、ただ一人へ向けられていた。
医療室を満たす魔力の奔流の中で、エトナは槍を構え直し、獰猛に笑う。
「はっ。面白いじゃない……!」
◇ ◇
砕けた壁の向こうから吹き込む風が、黒と桜色の魔力を激しく揺らしていた。
魔王神なのはの砲撃は止まらない。
桜色に黒を滲ませた魔力弾が、怒涛の勢いで医療室を埋め尽くす。
床を抉り、壁を砕き、天井の照明を次々と爆ぜさせながら、ただ一人の標的へ殺到していく。
「逃がさない……!」
その声は低く、震えていた。
怒りと痛みと、どうしようもない焦燥が混ざり合っている。
エトナは舌打ちしながら槍を振るう。
黒い魔力を纏った穂先が閃くたび、砲撃の一部は切り裂かれ、弾き飛ばされる。
だが、全ては捌ききれない。
「っ、ぐ……!」
肩を掠める。
脇腹を打つ。
爆ぜた魔力の余波が、エトナの身体を容赦なく削っていく。
それでもエトナは笑った。
「いい火力じゃない……! でも、雑!」
叫ぶと同時に、槍を軸にして身体を回転させる。
黒い衝撃波が円を描いて広がり、迫る砲撃をまとめて薙ぎ払った。
空間が震える。
その一瞬の隙を、エトナは見逃さない。
床を蹴る。
赤い残像を引いて、一気になのはの懐へ飛び込んだ。
「――っ!」
なのはは反射的に腕をかざす。
直後、エルダースピアの石突きがその腕に叩き込まれた。
骨まで響く衝撃。
なのはの身体が横へ流れる。
さらに追撃。
槍の穂先が閃き、肩口を裂いた。
「ぁ……っ!」
鮮血が散る。
なのははよろめきながらも、至近距離で魔力弾を叩き込む。
エトナはそれを半身で避けるが、爆風までは殺しきれず、再び後退した。
互いに距離を取る。
荒い呼吸。
砕けた床。
焦げた空気。
医療室はもはや原形を留めていなかった。
「なのはちゃん、もうやめて! その身体じゃ――」
シャマルの叫びが飛ぶ。
なのはの足元には、すでに血が落ちていた。
さっきまで治療を受けていたはずの身体だ。
無理やり立ち上がり、これだけの魔力を振るえばどうなるか、考えるまでもない。
右目から噴き出す黒い魔力はなおも膨れ上がり、同時に、なのは自身の呼吸を削っていた。
「……まだ」
なのはは息を吐く。
口元から、赤が一筋こぼれた。
「まだ、倒れられない……!」
その視線の先には、腹部を押さえて膝をつくフェイトがいる。
苦しげに呼吸しながらも、なのはを見ていた。
その姿が、なのはを立たせていた。
だが、エトナはその執念すら嗤う。
「泣けるわね。ボロボロのくせに、まだ守る気?」
槍をくるりと回し、肩に担ぐ。
その笑みは獰猛だった。
「でもさぁ、そういうのって大抵――先に潰れるのよ!」
エトナが消える。
次の瞬間、なのはの背後。
「っ!」
振り向くより早く、蹴りが脇腹へ突き刺さった。
なのはの身体が吹き飛び、砕けた医療機器の残骸へ叩きつけられる。
「なのは!」
フェイトが叫ぶ。
だが自分も動けない。
腹部の傷が深すぎる。
なのはは咳き込みながら立ち上がろうとする。
しかし、その膝が大きく揺れた。
限界だった。
怒りで無理やり繋いでいた身体が、悲鳴を上げ始めている。
視界が滲む。
耳鳴りがする。
右半身を侵すゼノンの魔力が、今度は内側から肉を裂くように暴れていた。
「……ぁ、ぐ……っ」
片膝をつく。
その隙を、エトナは逃さない。
「終わり!」
槍が一直線に突き出される。
なのはは咄嗟に身を捻り、直撃だけは避けた。
だが穂先は脇腹を深く抉り、そのまま床ごと貫いた。
「かはっ……!」
血が飛ぶ。
シャマルの顔色が変わる。
フェイトが歯を食いしばる。
「なのはっ!!」
なのはは床に縫い止められたまま、荒く息を吐いた。
痛い。
苦しい。
意識が遠のきそうになる。
それでも。
目の前には、エトナがいる。
このまま倒れれば、次に狙われるのはフェイトだ。
それだけは、絶対に駄目だった。
なのはは震える手で、槍の柄を掴む。
「……まだ」
「は?」
「まだ……終わって、ない……!」
なのはは自分の身体を貫く穂先ごと、無理やり前へ引き寄せた。
「なっ――!?」
予想外の動きに、エトナの体勢がわずかに崩れる。
その一瞬。
なのはは床を蹴った。
血を撒き散らしながら、エトナの背後へ回り込む。
そして、そのまま両腕で後ろから強く抱え込んだ。
「っ、離せ!」
エトナが暴れる。
肘打ちが、頭突きが、魔力の衝撃が、なのはの身体を容赦なく打つ。
だが、なのはは離さない。
細い腕に、信じられないほどの力がこもる。
「なのはちゃん、何を――」
シャマルが息を呑む。
なのはの周囲に、膨大な魔力が集まり始めていた。
桜色。
そして黒。
二つの光が渦を巻き、天井を突き抜けるほどの奔流となって収束していく。
フェイトの目が見開かれる。
「……だめだ、なのは……それは……!」
わかっていた。
こんな至近距離で撃てば、エトナだけでは済まない。
抱え込んでいるなのは自身も、ただでは済まない。
それでも、なのはは腕を緩めなかった。
「離しなさいよ、このっ……!」
エトナが叫ぶ。
槍を逆手に持ち替え、なのはを刺そうとする。
だが、その前に魔力の収束が臨界へ達する。
なのはは、血に濡れた唇を震わせながら、静かに告げた。
「……テラ」
空気が凍る。
「スターライト……」
上空に展開された強大な魔方陣。
管理人の承諾が必要なテラスターと、スターライトブレイカーを融合させたなのはだけの必殺技
「ブレイカー!!」
轟音。
世界そのものが白く染まった。
超高密度に圧縮された魔力奔流が、上空から一直線に解き放たれる。
なのはとエトナを中心に、桜色と黒の巨大な柱がのように炸裂した。
医療室の壁が消し飛ぶ。
床が砕ける。
本部全体が激震に揺れる。
「なのはぁぁぁっ!!」
フェイトの叫びが、爆音に呑まれた。
シャマルは咄嗟に最大出力の防御障壁を展開し、フェイトとベッド周辺を包み込む。
それでも衝撃は凄まじく、障壁の表面に無数の亀裂が走った。
光は、長く続いたようにも、一瞬だったようにも思えた。
やがて――。奔流が、ゆっくりと収まっていく。
舞い落ちる瓦礫。
焦げた空気。
焼けた魔力の残滓。
そこに残っていたのは、半壊どころでは済まない、完全に吹き飛んだ医療室の残骸だった。
「……なのは……?」
フェイトが、かすれた声で呼ぶ。
煙の向こう。
崩れた床の中央に、二つの影が倒れていた。
一つは、赤い髪の少女。
エルダースピアを手放し、全身を焼かれ、ぴくりとも動かないエトナ。
もう一つは、そのすぐ傍に倒れ伏す、魔王神なのは。
右目を覆っていたものは完全に失われ、全身は血と煤にまみれている。
呼吸はかすかで、今にも消えそうだった。
「なのはっ!」
フェイトが立ち上がろうとして、傷の痛みに崩れ落ちる。
それでも手を伸ばす。
シャマルはすぐに駆け出した。
医療者として、まず確認すべきは生死だ。
震える指で、なのはの首筋へ触れる。
「……生きてる」
その一言に、フェイトの肩から力が抜けた。
「エトナも……まだ息がある。でも、戦闘続行は無理ね……」
引き分けだった。
勝ったわけじゃない。
完全に止めたわけでもない。
ただ、なのはは自分ごと撃ち抜くことで、あの魔神をここで止めたのだ。
フェイトは唇を噛みしめる。
そんなやり方しか選べなかったなのはが、痛くてたまらなかった。
崩れた天井の向こうに、夜空が見える。
冷たい風が吹き込み、焦げた空気をゆっくりと押し流していく。
その瓦礫の中で、魔王神なのはは意識を失ったまま、静かに横たわっていた。
まるで、燃え尽きた星の残骸みたいに。
◇ ◇ ◇
本部全体を揺らした衝撃がようやく収まりきる頃、外周でプリニーの迎撃に当たっていたなのはとフェイトは、ほとんど同時に異変を察知した。
「今の……!」
「医療区画の方だ!」
爆発とは違う。
もっと重く、もっと深い、桜色の魔力反応。
それが何を意味するのか、考えるより先に身体が動いていた。
二人は空中から一気に進路を変え、半壊した本部へ飛び込む。
砕けた外壁から中へ突入した瞬間、目に飛び込んできた光景に息を呑んだ。
医療室は、もはや原形を留めていなかった。
壁は吹き飛び、床は抉れ、天井は崩れ落ちている。
焦げた空気の中に、桜色と黒い魔力の残滓がまだ濃く漂っていた。
「シャマル!」
なのはが叫ぶ。
「こっちよ!」
瓦礫の陰から、障壁を維持したままのシャマルが声を返す。
その傍らには、腹部を押さえて膝をつく“もう一人のフェイト”の姿があった。
「フェイトちゃん……!?」
この世界のフェイトが目を見開く。
自分と同じ顔。
けれど、傷だらけで、血に濡れ、なおも倒れまいとしているその姿は、あまりにも切迫していた。
だが今、なのはの視線は別の場所に釘付けになっていた。
崩れた床の中央。
そこに、もう一人の自分が倒れている。
「……っ」
息が止まる。
血と煤にまみれ、右目を覆っていたものも失われ、全身のあちこちが焼け爛れている。
それでも、その顔は間違いなく高町なのはだった。
自分と同じ顔。
けれど、自分よりずっと傷ついて、ずっと無茶をしてきた顔。
「なのは!」
この世界のフェイトが先に駆け出す。
なのはもすぐに後を追った。
二人は瓦礫を飛び越え、倒れた魔王神なのはの傍へ膝をつく。
「しっかりして……!」
なのはが震える声で呼びかける。
返事はない。
けれど、胸はかすかに上下していた。
呼吸は浅い。
今にも消えそうなくらい弱い。
それでも、生きている。
その事実に、なのはの肩が小さく震えた。
「……生きてる」
呟いた声は、安堵とも、痛みともつかない響きを帯びていた。
この世界のフェイトはそっと魔王神なのはの肩へ手を伸ばしかけ、そこで一瞬ためらう。
触れれば壊れてしまいそうなほど、彼女はぼろぼろだった。
「こんなの……」
フェイトの声が掠れる。
「こんなの、無茶しすぎだよ……」
その言葉は、責めるものではなかった。
痛ましさと、やりきれなさと、どうしようもない悔しさが滲んでいた。
なのはは倒れた自分の顔を見つめる。
頬にこびりついた血。
苦しげに寄った眉。
戦いの果てに、何もかも使い果たして倒れた姿。
胸の奥が、ひどく痛んだ。
もし自分が、誰にも頼れず、誰にも止められず、ひとりで戦い続けたら。
その果てにあるのが、この姿なのだとしたら。
なのはは、そっと手を伸ばした。
震える指先で、魔王神なのはの頬に触れる。
熱い。
まだ、戦いの熱が残っている。
「……もう、いいよ」
思わず、そんな言葉がこぼれた。
「もう、一人で頑張らなくていいから……」
返事はない。
けれど、その言葉は確かに、目の前の自分へ向けたものだった。
少し離れた場所では、この世界のフェイトが傷ついた別世界のフェイトへ視線を向けていた。
同じ顔。
同じ声。
けれど、その瞳に宿るものは、自分が知っているものよりずっと鋭く、深い。
「……あなたが、守ったんだね」
この世界のフェイトが静かに言う。
別世界のフェイトは腹部を押さえたまま、苦しげに息を吐いた。
それでも視線だけは逸らさない。
「守るのは……当たり前、だから……」
短い答え。
それだけで十分だった。
この世界のフェイトは一瞬だけ目を伏せ、それから小さく頷く。
「うん。そうだね」
それ以上の言葉は要らなかった。
どちらの世界でも、フェイトがなのはを守ろうとすることに変わりはない。
その事実だけで、胸が締めつけられるようだった。
その時だった。
医療室の残骸の向こう、倒れ伏していたエトナの周囲に、黒い魔力がゆらりと立ち上る。
「……っ、まだ!」
なのはが反射的に身構える。
フェイトもバルディッシュを構えかけたが、次の瞬間、その気配がエトナ本人のものではないと気づく。
空間が、静かに裂けた。
そこから現れたのは、一人の男だった。
長身。
鋭い眼差し。
エトナとどこか似た面差しを持ちながらも、その纏う気配はずっと重く、冷たい。
黒い魔力をまとったその姿に、場の空気が一段階張り詰める。
男は、なのはたちにはほとんど関心を向けなかった。
ただ一瞥しただけで、すぐに倒れているエトナへ歩み寄る。
別世界のフェイトが、その姿を見た瞬間、目を見開いた。
「……ゼノリス」
男――ゼノリスは何も答えず、しゃがみ込むと、気を失いかけているエトナの身体を抱え上げた。
その腕の中で、エトナがうっすらと目を開ける。
「……バカ兄貴」
掠れた声だった。
ゼノリスは表情を変えないまま、淡々と告げる。
「そろそろいいだろう。ラハールもしびれを切られている」
エトナは眉をひそめ、苦しげに息を吐いた。
「あたしの、プリニーがいなくなって……魔王城の家事が、回らなく、なったから……でしょう」
「どうだろうな」
「……ちっ」
エトナは小さく舌打ちし、そっぽを向く。
だが、抱えられていること自体に抵抗する様子はなかった。
そのやり取りは、ついさっきまで殺し合いをしていた空気からはあまりにもかけ離れていて、なのはたちは一瞬だけ言葉を失う。
ゼノリスはそんな周囲の反応など意に介さず、片手を軽く振った。
足元に黒い魔力陣が広がり、空間がゆっくりと裂けていく。
別世界のフェイトが、腹部を押さえたまま低く唸る。
「……待て……」
だが、追える状態ではない。
ゼノリスは振り返らない。
ただエトナを抱えたまま、開いた空間の裂け目へ足を踏み入れる。
黒い魔力が二人の姿を包み込む。
次の瞬間には、ゼノリスもエトナも、跡形もなく消えていた。
あとに残ったのは、崩壊した医療室と、焼けた魔力の残滓だけだった。
静寂が落ちる。
残されたのは、傷ついた者たちだけだった。
シャマルがすぐに意識を切り替える。
「話は後! なのはちゃんもフェイトちゃんも、すぐ治療室へ! はやてちゃん、医療班の追加をお願い!」
『もう向かわせてる! みんな無事なんやな!?』
「無事とは言いにくいけど、まだ全員生きてるわ!」
その言葉に、なのはは倒れた魔王神なのはを見下ろした。
まだ生きている。
ぼろぼろで、壊れかけていて、それでも。
なら、今度こそ。
今度こそ、この子を一人にはしない。
なのははそっと、もう一人の自分の手を握った。
「大丈夫」
それが自分に向けた言葉なのか、目の前の彼女に向けた言葉なのか、自分でもわからなかった。
「今度は、ちゃんと助けるから」
その小さな誓いだけが、崩れた医療室の中で静かに残った。
Q&A
Q.どうして異世界のフェイトは、この世界にやって来ることができたの?
A.はやて(魔王神なのは世界)がエトナ配下のプリニーに新鮮イワシ666匹(領収書・管理局宛)をワイロとして送り、エトナの動向を把握していた為です。
Q.もしもゼノリスじゃなくてラハールが来たらどうなってた?
A.フロンは天界で試験中。シシリーは付き添い。
ラハールを止める者が不在の中、食生活が悪くなり、ストレスが溜まり、部下であるエトナがやられたことでブチ切れます。
結果、ディスガイア2のバッドエンドの一つのように魔王玉によってこの星が終わります。
Q.この世界の偽ゼノンはどうなったの?
A.魔王連合軍に参加。漁夫の利を得ようとしましたが、返り討ちに遭いました。
まあ、本編みたいに擬似親子関係もないのでね……。
ここから先はディスガイア恒例の救いのないバッドエンドになります。
かなりシリアスなので注意して下さい。
ただ、ディスガイア2の超バッドエンドほどではないです。
【バッドエンド:優しさの果て】
戦いは終わった。
魔神エトナの襲撃は退けられた。
本部は半壊し、多くの者が傷ついたが、辛うじて壊滅だけは免れた。
だが、その代償は決して小さくはなかった。
医療室から移された病室の白い天井を見上げながら、なのはは眠れぬまま、ただ静かに息をしていた。
身体の痛みは、もうどうでもよかった。
それよりも、脳裏に焼きついて離れない光景がある。
血を流すフェイト。
自分を守ろうとして、傷ついた姿。
苦しげに、それでも自分の名を呼ぼうとした声。
あの瞬間を思い返すたび、胸の奥が冷たく沈んでいく。
自分がいるから、誰かが傷つく。
自分が立ち上がるたびに、守ろうとする者が血を流す。
ならば、自分はもうここにいてはいけない。
それは絶望というより、ひどく静かな結論だった。
高町なのはは、優しい少女だった。
だからこそ、自分のために誰かが傷つくことに耐えられなかった。
そして、その優しさはついに、自分自身を消すという答えへ辿り着いてしまった。
「……ゼノン」
誰にも聞こえない声で、なのはは己の内に呼びかける。
すぐに応じる気配があった。
黒く、深く、底知れない魔王神の力。
恐れるべき存在。
けれど今のなのはにとって、それはもはや恐怖の対象ですらなかった。
「わたし、もう前に出ない」
その言葉に迷いはなかった。
「だから……あなたに譲る」
ただし、と彼女は続ける。
「みんなには手を出さないで。この世界の私や仲間にも、私の世界のフェイトちゃんにも、はやてちゃんにも……誰にも」
それは取引だった。
高町なのはが消える代わりに、残された者たちの平穏を守らせるための。
なんとも彼女らしい、最後まで自分より他人を優先した条件だった。
ゼノンはそれを受け入れた。
かくして、高町なのはは自ら退くことを選んだ。
誰かに敗れたのではない。
奪われたのでもない。
自分の意思で、自分の居場所を明け渡したのだ。
それがどれほど悲しいことか、当の本人だけが知らないまま。
意識は深く沈んでいく。
光は遠のき、音は消え、最後に残ったのは、血に濡れたフェイトの姿だけだった。
そして――高町なのはは、眠りについた。
しばらくして、病室の空気が変わった。
ベッドの上でゆっくりと身を起こした存在は、もはや以前の魔王神なのはですらなかった。
これまで右側を覆っていた黒いフェイスマスクは消え、代わりに左側へ白いフェイスマスクが装着されている。
黒から白へ。
右から左へ。
それは侵食の進行ではなく、完了を思わせた。
暴走ではなく、定着。
混濁ではなく、静かな決着。
その姿を見た者がいれば、きっとこう思っただろう。
ああ、もう戻らないのだ、と。
横のベッドで治療を受けていたフェイトが、微かな気配に反応して目を開ける。
「……ん……」
腹部の傷がずきりと痛む。
それでもフェイトは身を起こし、視線を向けた。
そして、息を呑む。
「なのは……」
一瞬だけ、そう呼びかける。
けれど次の瞬間、フェイトの表情が強張った。
「……違うっ。ゼノン!」
その名を呼ばれた存在は、静かにフェイトを見た。
懐かしい顔。
忘れようのない声。
それなのに、そこにいるのはもう、フェイトの知る高町なのはではなかった。
「……もう我に関わるな……」
低く、静かな声。
拒絶の言葉。
だがそこには、怒りも嘲りもなかった。
それがかえって、フェイトの胸を締めつけた。
「関わるなって……そんなの、できるわけない!」
フェイトは痛みを堪えながら、ベッドの端を掴んで身体を起こす。
「その身体はなのはなんだよ! その声も、その顔も……全部なのはなのに、関わるななんて言わないで!」
ゼノンは答えない。
ただ、白いフェイスマスクの奥の瞳をわずかに伏せる。
「返して」
フェイトの声が震える。
「なのはを返して……お願い。まだ間に合うよね? まだ、なのははそこにいるんだよね?」
沈黙。
その沈黙が、何より残酷だった。
フェイトは唇を噛みしめる。
「答えてよ、ゼノン!」
叫びに近い声だった。
傷が痛む。
腹部の包帯に赤が滲む。
それでも止まれない。
「なのはは、あんなふうに諦める子じゃない! ひとりで全部終わらせようとするかもしれないけど、それでも本当は、ちゃんと手を伸ばせば――」
「……伸ばした手が届かなかったから、こうなったのだ……」
ゼノンの声が、静かに割って入る。
フェイトが息を呑む。
ゼノンはゆっくりとフェイトを見据えた。
「我の半身は……お前が傷つく姿を見た」
「……っ」
「お前だけではない。ここに来てから、自分に関わる者が次々と傷ついていくのを見続けた。あれは、それに耐えられなかった」
淡々とした口調。
だが、その一言一言が刃のようにフェイトへ突き刺さる。
「違う……それは……」
「違わぬ」
ゼノンは言い切った。
「お前たちは救おうとした。手を伸ばした。だがその手が、結果として半身をさらに追い詰めた」
「そんなこと……!」
否定したかった。
けれど、できなかった。
フェイトの脳裏にも、あの瞬間は焼きついている。
エトナの槍。
腹を貫かれる激痛。
血に濡れた自分を見て、なのはの中で何かが切れた瞬間。
あれが決定打だったのだと、わかってしまう。
フェイトの指先が震える。
「……だからって、こんなの駄目だ」
声が掠れる。
「こんなの、なのはが望む終わり方じゃない……!」
「望んだのだ」
ゼノンの返答は、あまりにも静かだった。
「我の半身は、自ら深い眠りにつくことを選んだ」
フェイトの顔から血の気が引く。
「我に身体の支配権を譲り、お前たちに危害を加えぬことを条件に、自ら退いた」
「やめて……」
「もうお前たちが知る半身が目覚めることはない」
「やめて!!」
フェイトの叫びが病室に響く。
涙が滲む。
それでも、視線だけは逸らさない。
「そんなの、なのはじゃない……! なのはは優しいけど、勝手にいなくなっていいわけない! わたしは、まだ何も返せてない……まだ、ちゃんと助けられてもいないのに……!」
ゼノンは黙って聞いていた。
その沈黙が、拒絶よりもなお重い。
フェイトは震える手を伸ばす。
「お願い……一度でいい。なのはに会わせて。声を聞かせて。わたし、ちゃんと伝えてないことがあるんだ……」
ゼノンの瞳が、ほんのわずかに揺れたように見えた。
だが、それも一瞬だった。
「……叶わぬ」
短い言葉。
「半身は深く沈んだ。自ら望んで、な」
「そんなの……そんなの、あんまりだ……」
フェイトの手が力なく落ちる。
届かない。
もう、届かない。
目の前にいる。
なのはの身体も、声も、面影も、そこにある。
それなのに、肝心の“なのは”だけが、どこにもいない。
それは死よりも残酷だった。
ゼノンは窓の外へ一度だけ視線を向ける。
夜の向こう、どこか遠くを見るように。
「……我も……身を潜める……」
フェイトがはっと顔を上げる。
「待って……!」
ゼノンの足元に、空間の歪みが広がり始める。
「待って、ゼノン! 行かないで! なのはを返して、お願いだから……!」
フェイトはベッドから降りようとして、傷の痛みに崩れかける。
それでも、這うように手を伸ばした。
「わたし、まだ諦めない……! なのはがどこにいても、眠ってても、絶対に見つけるから! だから――」
ゼノンは振り返らない。
ただ一度だけ、足を止める。
「……もう一度言う……。我に関わるな。その行為が我が半身を追い詰める……」
低い声が落ちる。
白いフェイスマスクをつけた横顔のまま、歪んだ空間の中へ一歩踏み出す。
「なのはっ……!」
フェイトの叫びが病室に響く。
けれど、ゼノンは振り返らない。
その背中は、あまりにも静かで、あまりにも遠かった。
やがて歪みは閉じ、そこには誰もいなくなる。
残されたのは、白い病室と、伸ばした手のまま動けないフェイトだけ。
彼女はただ、茫然と立ち尽くすしかなかった。
守れなかった。
届かなかった。
助けると誓ったはずなのに、最後の最後で、なのはは自分から手の届かない場所へ行ってしまった。
……こうして、魔王神ゼノンは歴史の表舞台から姿を消した。
世界を滅ぼすこともなく。
新たな恐怖として君臨することもなく。
ただ、誰にも知られぬ闇の奥へと、その姿を隠したのである。
それは一見すれば、平和な結末だったのかもしれない。
大きな戦乱は起きなかった。
新たな魔王の侵攻もなかった。
世界は何事もなかったかのように、やがて日常へ戻っていった。
だが、本当にそうだったのだろうか。
たった一人の少女が、自分がいるだけで誰かを傷つけると信じ、
自ら眠りにつくことを選んだ。
その喪失を知る者にとって、これを平和と呼ぶことはできなかった。
高町なのはは、もう目覚めない。
その事実だけが、救いのない結末として残された者たちの胸に沈み続ける。
そして時折、誰かが夜空を見上げるたび、思うのだ。
あの優しい光は、もう二度と戻らないのだと。
暗黒議会議題
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別次元の魔王神ゼノンの転生体に会いたい
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原初の魔王に会いに行きたい
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日ノ本魔界へ観光に行きたい
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地獄にプリニーのスカウトに行きたい
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邪悪学園にリクルートしに行きたい