戦えない荷揚げ屋の俺、全滅寸前の探索隊へ「あと一箱」を届け続けたら、最深層の生命線と呼ばれていました ~攻撃スキルはありませんが、地上まで必ず連れて帰ります~ 作:ramunade
「水がもうありません! 尽きました。繰り返します、水が――」
雑音が、若い声を途中で呑んだ。
深度四十階の宿場に、朝も夜もない。岩の天井から吊るした魔石灯が、白っぽい明かりを飯場の湯気に落としているだけだ。それでも中継杭のスピーカーは、地上の時刻を生々しく運んでくる。八時十二分。俺は
百二十個、ひとつも割らずに四十階まで背負ってきた朝である。そういう朝に限って、こういう声が降ってくる。
「管制より各位。七十階、
荷継の掛け声が止み、杭の下に人が集まって――誰も、応えない。
責める気はない。攻略の主力は〈上がり番〉で地上だ。大穴の探索は交替制で、強い連中ほど、いないときはとことんいない。管制の声は事実だけを重ねていく。崩落帯は再崩落のおそれで接近禁止。救助隊の突入は、地上での編成を待って早くて明朝。医務班の見立てでは、負傷者のうち重い二人は――十九時が山。
水が尽きた、という声には、俺の体だけが先に返事をする。手が勝手に紐の位置を確かめ、脚が荷の重さを量り始める。理由なら知っている。十五年前の夜に置いてきた理由だ。ただ、今は撫でている暇がない。
スピーカーの向こうで、管制官が小さく息を吸った。若い女の声だ。
「水を持って走れる方は、いるかもしれません。ですが――入れても、出せないんです」
その通りだ。届けるだけなら、命知らずが一人いれば済む。だが崩落帯の奥から、負傷者ごと十二人を、群れの間を通して連れて帰る手立てが誰にもない。救助というのは、行きの話ではない。帰りの話だ。
俺は卵の箱を棚に上げ、
戸倉の親方が、店の奥から出てくる。
「朔。おまえの道は、十二時間で消えるんだぞ」
「知ってます」
「止まれるのは、二百数える間だけだ」
「数えは得意です」
「肩を空けたら、道ごと終わるんだろうが」
三つとも、俺のスキルの話である。【経路固定】――荷を背負って歩いた道筋が、十二時間だけ「安全な道」になる。それだけの地味な性分だ。剣も魔法も使えない俺に大穴が寄越したのは、荷揚げ屋の道が一本きり。
親方はしばらく俺の顔を見て、それから顎をしゃくった。
「荷は?」
「六十五階で荷を組みます。担ぐのは紐と背負子だけ」
「……行くのか?」
「――荷揚げ屋には、今夜の便があります」
四十階を八時四十分に出た。本道の下りは、六十キロ背負って一階あたり十分が俺の脚になる。今日はほとんど空身だ。それでも道は、道の都合で長い。五十階を過ぎると宿場の匂いは消え、岩と水と、下から上へ吹き続ける風だけの世界になる。深くなるほど大穴は冷え、土の匂いが濃くなる。螺旋の坑道に並ぶ杭の明かりを数えて降りて、六十五階の前進基地に十三時十分。
基地に残っていた班長が、俺の顔と背負子を見比べる。
「規定外だ。単独は認められん」
「ええ。ですから、止められたら困ります」
押し問答の間も、手は動かしておく。水三十リットル。経口補水の粉。
「空の袋なんぞ、何に使う?」
「水は、着いたら軽くする荷なんです」
締めて五十五キロ。背負い上げると、腰の据わりで荷の機嫌がわかる。今日の荷は、急いでいる。
支道口、十四時四十分。杭に触れて、管制へ一言だけ入れた。
「岩永運送。これより、敷設に入ります」
「……管制、了解しました。あの、どうか――どうか、気をつけて」
俺は紐を握り直して、誰にともなく言った。
「――敷きます」
一歩目から、足の裏の下で岩がほのかに白くなる。踏んだ跡だけが、幅三メートルほどの薄い光の帯になって、闇の底に残っていく。月の裏側みたいな白だと、俺は思っている。綺麗だと思ったことは一度もない。まだ誰も救っていない白さだからだ。道は、使われて初めて道になる。
魔物はこの上に乗れない。路面は崩れない。効き目は、この上を歩く全員に及ぶ――俺の道の自慢は、それで全部だ。
そこから先は、稼業の時間だった。
岩を拳で叩いて、鳴きを聞く。詰まった低い音の下は生きている。乾いた高い音は、剥がれる前の悲鳴だ。風の向きを確かめ、
空気に石の粉の味が混じり始めたら、崩落帯の芯は近い。瓦礫の壁の根元に、人ひとりが這って通れるだけの隙間を見つけた。荷揚げ屋の言葉で〈
俺はそこへ、口を寄せた。
「――岩永運送です。お荷物のお届けに上がりました」
沈黙。
自分の鼓動だけが速い。組合には、無線が死んだときの古い決まりがある。杭でも壁でも水筒でもいい――三つ叩けば「無事か」。三つ返れば「無事」。
俺は壁を、拳で三つ叩いた。
間。
こつ、こつ、こつ。
水筒を叩く乾いた音が、三つ返ってくる。
生きている。十二人ぶんの水は、俺の背中にある。ここから先は時間の仕事だ。俺が止まっていられるのは、二百数える間だけ。
「――まず、最初の水を、通す」
俺は数え始めた。
「――ひとつ」