二十三歳、隠居した伝説の大将軍に自分から嫁ぎました ~旦那様の武勇伝、ご本人に聞くとかなり違うんですの~ 作:kuratn
初夏の入りの、よく晴れた日である。
好事家は、揉み手と一緒にやって来た。王都で武具を商うという、身なりのよい男である。応接間に通されるなり、壁の剣掛けへ目を吸い付かせた。飾ってあるのは儀典用の一振り。柄には金、鞘には侯爵家の紋。窓から差す昼の光を受けて、
「おお……あれが、城門を一太刀で断ったという、戦神の剣……!」
「見るか」
旦那様は剣を下ろし、鞘に手を掛け――止まった。
力が入る。腕の筋が浮く。鍛え上げた大男が、満身の力で、剣を、抜こうとして。
「…………抜けん」
「錆でございますな」
従士長が横から補記した。鞘と柄は磨いてまいりましたが、刀身は十年、どなたもお抜きになりませんでしたので、中で固まっております――とのことである。
外側ばかり磨かれて、中身は放って置かれた。歌と、同じ拵えである。
十年、式典がなかった。つまりこの人は十年、この剣を抜いて見せる相手を持たなかったのである。錆の匂いの向こうに、そういう年月がちらりと見えて――見えた分は、胸のいちばん静かな棚へ、そっと仕舞っておく。
好事家は膝から崩れかけた。旦那様は気の毒に思われたのか、納屋から別の一振りを持って来させる。無銘。刃こぼれの跡だらけ。柄糸は、三度は巻き直してある。鞘の塗りは剥げて、握りの位置だけが、飴色に光っていた。
道具の値打ちは、手擦れで測る。実家の机も、父の算盤も、そうだった。この剣は――ずいぶんと、高い。
「実際に使うたのは、こちらだ」
「は、はあ……銘は?」
「ない。数打ちだ。折れたら困るゆえ、二本ずつ買うた」
戦神の剣、まとめ買いである。言ってしまってから、ご本人が一番ばつの悪い顔をなさるのが、この家の見どころだ。
好事家は肩を落として帳面を閉じた。それでも商人の目だけは抜け目なく私を測って、揉み手のまま言ったものだ。
「いやはや。……若奥方様は、良い買い物をなさいましたな」
値踏みである。財産目当ての小娘が、と目が言っている。
「あら」
私は茶を、静かに注ぎ足して差し上げる。
「値の付かないものほど、良い買い物ですのよ。お商売なら、ご存じでございましょう?」
好事家は妙な顔で笑って、帰っていった。
値の付かないものを一番に数える日が来るとは。利息の計算で夜を明かしていた三年前の私が聞いたら、笑って取り合わないところである。
なお、錆びた儀典の剣は、その日のうちに従士長が研ぎへ出した。「飾りにも、手入れは要りますので」と、すました顔で。……あの折り目正しい老従士の胸の内には、閣下がもう一度、表の光の下へお出になる日の備えが、まだ畳まれずに残っているのかもしれない。
◇
夜の答え合わせで、剣の歌は面白いことになった。
「城門をお斬りになった、というのは?」
「斬れるわけがなかろう。門は工兵が開けた。わしは前に立っておっただけだ」
「では、いくさで一番お役に立った得物は?」
彼は少し考えた。暖炉の火が、白髪交じりの横顔を照らしている。大真面目な答えが、それから落ちてくる。
「鍋と、
「鍋」
「兵は剣では死なん。飢えと寒さで死ぬ。温かい飯と、雪を掘る道具と、乾いた靴。……道具というものは、人を生かす順に偉い」
剣の歌が、鍋に目減りした。そして例のごとく、目減りした分だけ、この人が増えるのである。人を生かす順に偉い。三年、道具の値段ばかり付けてきた私は、その物差しに、静かに参ってしまった。
◇
ところで、この数日で私はひとつ、歌にない発見をしていた。
茶の時間、菓子鉢が出る。旦那様は毎度「わしはよい」と仰って、鉢を私の方へ押しやる。そのくせ、視線だけが、干し杏の砂糖がけの上を、名残惜しそうに往復するのである。
「旦那様。お一つ、いかが?」
「……いや、わしは」
「お顔が、召し上がっていますわ」
沈黙。それから大きな手が、観念して一番小さいひと粒を取った。台所の方で、ヘートヴィヒの吹き出す音がする。あとで聞けば、閣下の甘党は家中十年の公然の秘密で、隠していらっしゃるのは当人だけなのだという。
翌日の茶の時間である。旦那様は領地の報せを読むふりをなさりながら、大きな手をすっと伸ばして、菓子鉢を心持ち、私の側へ押して寄越した。目は、合わせない。咳払いが、ひとつ。
「……あなたも、食べるとよい」
「まあ。ご相伴いたしますわ」
以来、鉢は食卓の真ん中に座を得て、数日後には、ヘートヴィヒがすました顔で、鉢そのものを大ぶりに替えている。
「菓子鉢の帳尻が、合いませんので」
台所と奥方の、無言の共同事業である。世話の形でしか出せない好意というものが、この家にはあるのだ。歌は千人だの城門だの歌うけれど、実物は、干し杏のひと粒で観念なさる。その景色を知っているのは、いまのところ、この家の者だけである。
――そこへ、また先触れが届いた。今度は王都の甥御殿、オイゲン様。用向きは「叔父上のご様子伺い」。
受け取ったヘートヴィヒの眉が、あからさまに曇った。様子伺いにいらっしゃる方の様子を、先に伺いたい顔である。