二十三歳、隠居した伝説の大将軍に自分から嫁ぎました ~旦那様の武勇伝、ご本人に聞くとかなり違うんですの~ 作:kuratn
甥のオイゲン様は、香水と一緒にやって来た。
旦那様の亡き弟君のご子息で、三十四。王都の騎士院にお勤めで、御曹司の常として、いずれ叔父上の爵位を継ぐおつもりの方である。子のない叔父の、若すぎる後添え。万一にも男子が生まれれば、その勘定は根元から狂う。ご様子伺いの正体は、まあ、そういうことだ。
応接間に入るなり、甥御殿は屋敷をぐるりと目で値踏みした。壁掛けの織物、燭台、暖炉の飾り。あれは、いずれ自分のものになるつもりの品を、数える目である。
それから私を見て、にっこりなさった。礼儀の形をした無礼を、絵に描いて額に入れたような笑みである。
「これはこれは、お若い叔母上だ。……叔父上も罪なお人だ。若い方を飾りに置くとは」
「飾りは向こうの剣掛けですわ。わたくしは帳場ですの」
「ほう、帳場」
扇子が、ぱちりと鳴る。土の匂いのするこの屋敷で、王都の香水は、少しばかり声が大きい。
「では帳場の叔母上に、率直に伺うが――財産がお目当てかな?」
隣で、旦那様の気配が硬くなった。椅子の肘掛けを、大きな手が握っている。口を挟むおつもりだ。その前に、私は扇を開いた。守っていただくのは、ありがたい。けれどこれは、私の仕事である。三年、こういう目から家を守ってきたのだ。手の内は、身体が覚えている。
「ええ、目当てでしたのよ」
「……ほう?」
「条件書を拝見して参りましたの。後見の判と、家政のお役目。それが目当てで――お会いして、目当てが、増えましたけれど」
「増えた。それはそれは。して、何がお望みかな? 宝石か、権利書か?」
「旦那様の武勇伝ですわ」
扇子が、止まった。冗談の在庫にない返しだったらしい。私はお茶をひと口いただいてから、声を半音だけ低くして続けた。
「それから、相続のお勘定でしたら、まだ開いておりませんの。開いてもいない帳簿の取り分のお話は、いたしかねますわ。……ちなみにわたくし、持参金は一銭も持ち込んでおりませんのよ。持ち出しの帳尻でしたら」
ひと呼吸。
「あなたさまの騎士院界隈での、付け買いのお噂のほうが、よほど大きゅうございましてよ」
甥御殿は扇子を三度開け閉めして、それから所用を思い出されて、お帰りになった。
馬車の音が遠ざかると、旦那様が長い息を吐く。肘掛けから、ようやく手が離れる。
「……済まん。弟の子だが、どうにも」
「よろしいのよ。ああいうお客様は、慣れっこですの」
「…………よく、言い返した」
ぶっきらぼうに、それだけ。けれど私は、そういう短い言葉ほど聞き逃さないたちである。旦那様は、褒め言葉の在庫が少ない。少ない分、ひと言が重いのである。
それから旦那様は、窓の外へ目をやって、低くひとつだけ付け足した。
「……あれの父は、よい男だった」
悪く言い切らない人である。身内の困った子の話は、それきり、窓の外へ流れていく。
◇
その夜の答え合わせは、軍旗七本である。甥御殿が帰り際まで「軍旗七本の家名に恥じぬよう」と繰り返すものだから、締めておきたくなったのだ。
「七本、お折りになったの?」
「……二本だ」
「五本、目減りしましたわね」
「一本は風で倒れてな。あとは、敵が退くときに自分で巻いて置いていった。それを勘定に入れた者がおる」
では、二本のお話を――。
私が促すと、彼は火掻き棒で薪を直しながら、ぽつり、ぽつりと話した。
旗を折るのは、旗手を斬るためではない。旗が折れれば、兵は逃げてよくなる。だから旗だけ折って、旗手は逃す。
「最後の一本は、敵の将が自分で差し出した。降るという。……その名を歌に入れるな、とだけ頼んできた。故郷に、親がおろう」
軍旗七本の歌から五本が消えて、代わりに、名を伏せられた敵将がひとり記帳される。今夜も、差し引きで増えた。
思えば、昼間も同じである。身内の悪口を口の端に載せない人は、敵将の名も歌に載せない。……この人の筋は、どこを切っても一本である。
◇
寝る前、廊下の窓から空を見た。星が出ている。よく晴れた夜である。
なのに旦那様は、階段の下で右膝を一度さすって、言ったのだ。
「明日は、雨だな」
「星が出ておりますけれど」
「膝が鳴っておる。……はずれん」
翌朝。屋敷を叩く雨音で、目が覚めた。本降りである。
寝台の中で、しばらく雨の音を聞く。……妙である。何かが、足りない。少し考えて、分かった。桶の心配をしていないのである。雨音を、ただの雨音として聞くのは、三年ぶりだ。
王都の天文台より当たる膝が、この家にはある。そして、雨漏りのしない屋根も。膝には申し訳ないけれど、次の雨の予報を、私は少し楽しみにしている。寝台の中でひとしきり笑ってから、起き上がる。
朝食の席で、旦那様が仰った。雨の日は、来客も畑もない。ついては――書斎に、見せたいものがある、と。